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2007年3月の記事

2007年3月30日 (金)

’71年物の深いコク

もうすぐ夜明け。随分遅い時間の更新になってしまいました。
これには理由がありまして。

私、実は昨日から来月1日の日曜日まで連休なんです。
まーフリーの私にはこの言い方は正確ではなく、「お仕事を入れていない」というのが正しいんですが。
で、昨日からの四日間をどう過ごそうか考えていたのです。

せっかくの四連休。ここで普通の方なら旅行、レジャーなどを発想されると思うんですが、ご存知の通りオタクでおバカな私。
そんな健康的な過ごし方など思いもよらず。

先日、妹宅で甥たちとプラモデルを楽しんだ事から「工作部屋」を復活させた私。
丁度春休みの頃合です。せっかくですからちょっと子供の頃に戻ってこのプラモデル三昧を楽しもうと。
思いっきりレトロな四日間を過ごすことを決めたのでした。

今はその一日目が終わったところ。年度末でご多忙な読者の皆さんには申し訳ありませんが、今日は久々のプラモまみれなお話です。
小学生の頃に戻って、同級生の部屋を訪ねた感覚でお聞き下さい。

Photo_622 さて、今回私が「夢の四日間」を共にするべく選んだキットはこれ。「宇宙猿人ゴリ」の登場怪獣としてアオシマ文化教材社から発売された「化石怪獣ガレロン」です。
以前にもご紹介しましたがそれはキット状態でしたので、製作過程をお見せするのは初めてですね。

Photo_623 このキット、初版の発売は当然の事ながら「宇宙猿人ゴリ」放送当時の1971年。
この現物は1983年ごろの再版ですが、内容は初版と同じなので『70年代初頭』のブラモデルの味を充分堪能することができます。
なんとゼンマイで手を振り足を上げて歩行するというハイブリッドキット。ガンダムのディスプレイキットが逆立ちしても真似できない高性能です(笑)。
なぜ私がこのキットを選んだのか?
実は私、今までこのキットの完成品を見たことが無かったんです。


「宇宙猿人ゴリ」の怪獣プラモデルは、71年の放送当時この「ガレロン」を含む4種類が発売されました。(怪獣以外にはスペクトルマン、ゴリ、ラーの3種。ラインナップの合計は7種)
この怪獣シリーズはいずれも大変出来がよく、作りやすさも手伝って小学生の間では爆発的な売れ行きを誇っていたのです。友人たちも先を争ってそれぞれを作り倒していました。
ところが私の周りではなぜかこの「ガレロン」だけ、手をつける者が居なかったのでした。


後に「スペクトルマン」関係の文献で明らかになったのですが、この「ガレロン」という怪獣は、実際には「スペクトルマン」番組中に登場しなかった幻の怪獣だったんですね。
Photo_624 まあ業界でよくある「お蔵入り台本」の一本「コンビナート破壊計画」というエピソードに登場する怪獣だそうで、実際、一峰大二による「スペクトルマン」コミカライズで作品化されています。
(「冒険王」71年3月号掲載)。
当時「宇宙猿人ゴリ」という番組が掲げていたテーマ「公害」を体現した怪獣で、有機水銀を浴びた化石が怪獣化したという恐ろしい設定。
巨大な三本の角牙を備え、これを使って空けた穴に、口から直径3メートルもの水銀球(!)を吐き出して射ち込み、相手を撃破するという斬新かつストロングなファイト・スタイルを持ちます。


これが映像化されていたらさぞかし大迫力のエピソードになったことでしょうが、残念ながらメディアに載ったのは前述の「冒険王」のみ。(一峰氏の画力も手伝って、この一篇もすばらしい仕上がりではありましたが)
そんな経緯を持つこの「ガレロン」は、「宇宙猿人ゴリ」番組立ち上げ段階、図らずも現場の錯綜により「アオシマ文化教材オリジナル怪獣」の道を辿った悲劇の一頭だったのです。

でもビデオなんて影も形も無かった当時のメインターゲット・私達は、テレビ怪獣もコミックスのみの怪獣も分け隔てなく愛していました。
この「ガレロン」も他の怪獣同様「カッコイイ一頭」として見ていた記憶があります。誰も作らなかったのは、たまたま売っていなかった為とかそんな単純な理由によるものだった筈です。
当時をご存知の方は頷かれると思います。
あの頃、怪獣を好きになる基準は「カッコイイかどうか」。「円谷」「ピープロ」なんてブランド分けもしなければ、テレビ出演の有無で格付けをする事もなかったのです。

Photo_625 さて、そんな訳で「36年前を経た初挑戦」として箱を開けた私。このキットは83年ごろの再版ですが(しつこいですね)、それでも発売から四半世紀近くを経た「年代物」。
まずは心臓部のゼンマイボックスをチェックです。

これが奇跡的にまだ動く。やはりビニール袋に入っていたおかげでしょうか、空気にあまり触れない分ゼンマイ部分に錆がまったく見られません。

Photo_626 心臓部の健在に安心した私は久々に部品を点検しました。
「ガレロン」は映像化が叶わなかったものの、そのデザインは「帰ってきたウルトラマン」のステゴンを凶悪化したようななかなかの美形。
顔つきもこの通り精悍そのものです。

ある本に「尖った部品が多いので、今このキットは子供には与えられませんねー」みたいなコメントがありましたが、まあ確かにそうかもしれませんね。

Photo_627 いやーそれにしても、今のガンダムキットなどに比べてこの部品数はどうでしょう(笑)。
今の目で見れば実に他愛の無い、簡単な部品構成に見えますね。
ところがこの部品一つ見るだけでも、私はぐっと気が引き締まるのです。それはなぜか?
当時、これらの怪獣キットを組み立てたご経験がおありの方々は体でおぼえていらっしゃると思います。
「部品の合いが悪い」んです(爆笑)。


私は昨日、29日の朝からこのキットの製作に着手しました。
この手のキットは可動部分があるのに加え、口の中などは再現されず素抜けのまま。
今回は「改造せず、キットの味を堪能する」事をテーマに当たっていますので、別に口の中を工作する必要はないのですが、それでも可動によって見える胴体の中や素抜けの口の中、つまり「胴体部品の裏側」は無彩色にはしたくありません。
昔から「見えないところのおしゃれ」にこだわる性格で(笑)。

私の工作は、まず胴体の内側を彩色する事から始まるのです。と言っても暗めのガンメタルですが(笑)。

他にも手足の部品の「裏側」を塗っていきながらの組み立て。これが想像以上に時間がかかる。なにしろ色が乾かなければ次に進めないという(笑)。以前から仲間に「手が遅いな」と言われる理由は、私のこんな妙なこだわりのせいなのです。

さて、朝から塗りを施した部品も乾き、午後からやっと「接着」へ。
いよいよプラモデルらしい工程を迎えるわけですが、ここで前述の「緊張」が頭をもたげてきます。
「部品の合いが悪い」。これがまた完成への道のりを恐ろしく困難なものにするのでした。

Photo_628 これが、日付が変わる頃に終わった「今日の進行結果」。お恥ずかしい限りですが、一日格闘してここまでしか進みませんでした。
全然遅いでしょ(号泣)。

Photo_631 その理由をご覧下さい。さっき接着が終わった胴体の背びれ部分の接写ですが、よーく見ると背びれの張り合わせ部分が少しズレているのがご確認いただけますよね。
これが昔のプラモデルの味なんですよ(笑)。

アオシマに限らず、この頃のキットはどこのメーカーも「部品がピッタリ合う」なんて事はまずありませんでした。それでもまだロボットなどのメカモデルはましな方。部品の合いが最も悪いのがこの「怪獣キット」なのでした。やはり当時、部品の金型やキット成型機「インジェクションマシン」の精度にも限界があったのでしょうね。
当時の子供達はこの「合いの悪さ」と格闘しながら完成を目指していたのです。


部品の接着一つにも非常に気を使います。
「どう張り合わせれば最もズレを少なく、その後の成形処理を簡単にできるか」が常に頭にあるのです。スナップキットに慣れた今の子供達には考えられないでしょうね。「合わないのが当たり前」のキットなんて(笑)。

でも私などはこういうキットじゃないと作る気がしない。「メーカーと対峙している」感じがするんですね。
担当者の「ここまでが我々の限界ですから、後は貴方がフォローしてね」という語りかけが聞こえるんですよ。「大丈夫。何とかしますから。」なんて、キットを通じてメーカーとやり取りしている感覚。
この頃のキットにはコンピュータなど使わずに設計している「メーカーの温かみ」が感じられるんですね。


部品の裏塗り、接着、そして一部の成形。36年前のプラモデルをまともに組み上げようとすれば、当然これだけの工程が必要になります。
私の手が遅いのは勿論ですが、初日の結果がこの程度なのは「36年前のコク」を味わっているからでもあるのです。

Photo_630 ようやく一日目も終了。次は、これらパテ打ちした部品の成形です。このペースで行けば、おそらく完成までにはこの4日間を全て費やす事でしょう。でもそれはそれでいいような気がします。

久しぶりに「手が喜んでいる」んですよ。

まーブランクも長いですから決して満足行く出来にはならないでしょうが、それはそれでいいリハビリになると思います。
やっぱり物を作るのは楽しいですね。

次の悩みはカラーリング。
さて、どんなテイストにしようかな(笑)。

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2007年3月28日 (水)

プラモード準備完了

「お兄ちゃん!プラモまつりだよ!」
顔を紅潮させ、兄弟を呼びに行く小学一年生。
彼の目の前には、山と積まれたガンダムのキット15個が。

いやーもう手も足も出ず。
昨日から今日お昼の3時半まで行われていたココログメンテナンスのおかげで、記事を書きたくてもまったくログインできませんでした。
ココログにはたまにこういう事があるので困ります。
本当は昨日、楽しい出来事があったので皆さんにも是非お伝えしたかったのです。
ですからこれは昨日のお話。ちょっと鮮度は落ちますがよろしければお聞き下さい。

私には4歳下の妹が居ます(彼女は本物の女性です(笑)。
平凡な結婚をし、子供ももう3人。全部男の子で上から小学六年生、三年生、一年生。
今は春休みなので4月になればそれぞれ一級ずつ進級します。

ここ数年あまり濃い付き合いもなかった私と妹一家だったのですが、昨年11月の母の他界により残された親族は私と妹のみとなったため、にわかにお互いの行き来も頻繁になったのでした。
どこのお宅でもそうでしょうが、やはり子連れの家の主役は子供達ですよね。妹一家もこの三人兄弟にいつも振り回され、あわただしい毎日を送っているようです。

以前、妹一家が家に遊びに来たことがありました。
おもちゃ屋じみたオタク部屋を見て3人の子供達も大興奮。
母親である妹から「絶対に触っちゃだめだよ!」と強いお達しがあった3人はけなげにも壁のプラモデルを指をくわえて見ているだけでした。
後日妹の家に遊びに行ったとき、子供部屋にプラモデルが一つも無い事に気づいた私。
やっぱり今の子の遊びはテレビゲームがメインなのね・・・

少しガッカリしながらも一応聞いてみました。
「みんな、プラモデルって作らないの?」
返って来たのは意外な答えでした。
「プラモデルは高いから買えないもん。」

そうかー。なるほどねー。確かにそうかもね。
今、子供達のメインアイテムとして君臨しているテレビゲームのソフトは確かに高額ですが、それはある意味「特別な買い物」なのかもしれませんね。毎月お小遣いで買える代物ではないと。
確かに一本ソフトを買えば飽きるまでプレイできる訳ですからプレイバリューは高いと言えますが。
それに対してプラモデルは作っちゃったらそれで終わり。子供にとってはコストパフォーマンスの低いアイテムなのかもしれません。

しかもプラモデルのブランドとして一番メジャーなガンダムのキットは、おそらく一番低価格でも300円程度。
子供がもらえる月ごとのお小遣いで買うには散財が大きすぎると。
しかもちょっと複雑なキットやプラカラー、周辺の工具などを買い揃えれば大した額になってしまう。そう考えると今、プラモデルって子供には手の届かない遊びになっているんですね。
いやー再発見。今、そんな事になっているとは。

100円ショップで買ったぬいぐるみに埋もれて遊ぶ三兄弟をちょっと不憫に思った私は(笑)、オタク部屋の片隅に眠るもう不要なキットの埃を払い、ささやかな贈り物を企てたのでした。
名づけて「春休みプラモまつり」。(東宝チャンピオンまつりみたいですが)

結局ラインナップされたのは古いガンダムのプラキット15個。
紙袋に詰め込めば結構なボリュームです。ガンダムのネームバリューが今の子の興味をどこまで引くか分かりませんが家にある最新アイテムはこれが限界。
つくづくレトロなコレクションと思います(涙)。

「ごめんねー。気を使わせちゃって。」妹宅に持ち込んだ紙袋を待っていたのは苦笑する妹と満面の笑みの子供二人でした。下の子、真ん中の子です。
「おーっすげえ!」歓喜の声とともに紙袋からキットを取り出す二人。出しても出しても終わらない(笑)。
もう興奮はマックス状態。

「一人5個ずつだからね。」ちょっと甘やかしたかな、と軽い後悔を覚えましたがそれもつかの間。「これ、どれが一番カッコいいの?」という子供達の質問に事細かに答える私が(笑)。

「お兄ちゃん!プラモまつりだよ!」
冒頭のセリフを叫びながら一番上の子を呼びに行く三男。でもここで既にジェネレーションギャップは確立されていたのでした。

子供達三人はこの「箱で売っているプラモデル」というものを作った事がありません。手に取るのも今日が初めて。でも感性の柔軟な下二人は興味を持ち、すぐに手に取ることができる訳です。
ところが一番上の子は4月から中学生。
その年までプラモデルに触れた事がないと、もう興味を示さなくなるんですね。
これはなんとなく分かります。つくづく子供の頃の体験の重要性と、それがその後の人生に与える影響の大きさを感じますね。
私達が子供の頃プラモデルは一種の通過儀礼だっただけに、こういう子供の反応には時の流れを感じます。
でもまあいいじゃないですか。世代間で趣味が違っても(笑)。

ここで面白い事がありました。
15個のガンダムキット三等分の選別を迫られた子供達。選別を放棄した一番上の子を除き後の二人は悩みに悩んでいました。
ここで偉いのが二番目の子。「お前、まず好きなの選べよ」と下の子に優先権を与えるんですね。さすがお兄ちゃん。もう兄貴の自覚があるのです。
「じゃーこれにしーよう!」嬉々としてキットを積み上げる下の子。面白いのはここです。
私は特に意識していなかったのですが、部屋から持ち出したキットはガンダム系8個、それ以外のいわゆる「敵モビルスーツ」が7個。自由に分けさせればいいか、なんてノリで持ってきたのですが、これが見事に色分けされてしまいまして。
一番下の子は5個ともガンダム。二番目の子はガンタム3個に敵2個。結局残った上の子分はすべて敵という色分けに(笑)。これには笑いました。

「この子はヒーロー好きだから」なんて笑う妹を見ながら、やはり子供は成長するにしたがって「カッコイイ系」から「渋い系」に好みが移っていくんだなー、なんて妙に感心したりして。

例によってあっという間に袋を開け、パーツを手でちぎって作り始める子供達。やっぱり子供はこうじゃなくちゃいけません。
「1/144ガンダムGP02」を手に取った一番下の子に笑いかける私。
「こんな難しいの、ホントに作れるのー?」
「出来るやい!」と意気盛んな彼でしたが、設計図を見た途端パタッと手が止まってしまいました。
「ほらーやっぱり。どうしたの?」と尋ねる私に彼は頭をひねりながら一言。「これ、なんで一番じゃないの?」
最初、私は何の事か分からなかったのですが、やりとりする内に彼の悩みが理解できました。

プラモデルって、必ずしもパーツに振られたナンバーの順番で組み立てる訳じゃないですよね。
プラモデル初体験の彼は、パーツに「1」と振ってあればそれを一番に組み立てると思うのが自然。でも設計図は最初の工程が「5と6を組む」とある訳ですよ。だからパーツナンバーと設計図の工程のどちらを優先するのか分からなくなっちゃっていると。

いやー実に新鮮な感動でした。こんな事思いもつかなかった。
確かに生まれて初めてプラモデルを見ればこうなりますよねー。
「ゴメンね。そうか。わかんないよね。こう作るんだよ。」
教える手つきにも力が入る私。そうかー。私も最初はこうだったんだなー。なんて。

でも最近のキットは簡単ですよねー。なにしろ接着剤不要のスナップキットですからパチパチ組んで行けばあっという間に出来ちゃう。
おまけにある程度多色成型ですから彩色しなくてもほぼ設定どおりのカラーリングですし。至れり尽くせりです。
でもそこはどんなに進化してもプラモデル。多少の山や谷はあって欲しいもので。

「あっ折れちゃった。」待ってました(笑)。こういうハプニングがプラモデルの醍醐味なのよ。。
見れば、手首の差込みピンを折ってしまったようです。くっつけようと努力する彼ですがそれは無理。
「ちょっと貸して。」超兵器・タミヤセメントの登場です。
「それでくっつくのー?」不思議そうな彼。
でも次のセリフは想像できました。「臭いー」(笑)。

「しばらく触らないでね。」パーツを箱の隅に置いた私。すると彼はプイとそこを離れてしまいました。
「どうしたの、あー、もう飽きちゃったなー?」
「だって触らないでって言ったから。」
あ、そーかそーか。私が悪かったね。
他のパーツは組んでいいから。

そんな事をやっている私達の傍らで「ザク・FAZZ(ガンダム0080)」を黙々と組み立てる真ん中の子。さすがお兄ちゃんです。三年生ともなると手際もバッチリで。プラモデル初体験とは思えない。
この子には何もいう事はありません。これがきっかけで立派なオタクになっても私は責任取りませんが(爆笑)。

お昼前。妹に手間をかけてはと思い腰を上げた私。子供達はまだキットに集中していましたが、「ちゃんと完成させてね」という私の言葉に「出来たら見に来てね」と嬉しそう。
まあ春休みの工作としては丁度いいでしょう。「じゃあ出来たら電話してね」と言い残す私を見る彼らの瞳は輝いていました。
でも土間で靴を履いているときに部屋から聞こえた彼の「お昼、またラーメン?もう飽きたー!」の一言には笑えましたね。
「今日はコロッケ入れてあげるわ。」「やったー!」
プラモデル。ラーメン。コロッケ。
なんてのどかな、昭和テイストあふれる一日でしょう。

そんな思いに包まれ、子供の笑顔に癒されて部屋に帰った私は、しばらく使っていなかった「工作部屋」の扉を開きました。
Photo_615 私も以前はこの部屋でキット制作にいそしんでいたのです。でもお仕事が忙しくなるにつれ、自然とやる気も萎え、工作机は物置となり・・・
ちょっと申し訳ない気分になった私は、机周りを整理してみました。

Photo_616 Photo_617 机に乗るのはエアブラシ・コンプレッサーのセット。
塗装用ブースも買ってあります。

数年前に入手して一度開封したきり。宝の持ち腐れですね。
そろそろ使わないと。

Photo_621 愛用のタミヤ・アクリルカラーも在庫は残り僅か。

これも買い足さなくちゃいけません。


Photo_619 で、これは長年使っているマルイ製電動リューター。
これは貧乏な私にとって大変重宝している工具で、先っぽを付け替えるだけでいろんな工作に使える優れものなのです。
まさに「♪アーターッチメントがー武ー器ーなんだー」(スペクトルマン・ゴーゴー二番歌詞より)

こんな貧相な装備ですが、これでも家のキット製作体制「プラモード」は準備完了。
いずれ彼ら兄弟に「大人のブラモ」を見せてやるべく、これからボチボチ作り始めます。
完成予定は未定ですが(笑)。

Photo_620 ともあれまず手掛けるのはこのキットの補修作業。古いキットなので可動部分が壊れてしまったのです。写真はプラバンで補修中の部分接写。
さて皆さん、今日の最後はクイズです。このキットが何か当ててみて下さい。この接写からキットを言い当てられるのはかなりマニアの方ですね。ご覧のとおり怪獣のキットです。
デイテールは追加してありますし色も塗ってありますからこれで分かったらスゴイ!

分かった貴方には「満足感」「優越感」を差し上げます(笑)。

2007年3月26日 (月)

『ちょんまげディレクター』

「オンエア枠入りました!」
スタジオに響くのはフロアディレクターの声。
生放送の現場です。

出演者・スタッフ・一般観覧者の皆さんそれぞれに、生放送ならではの緊張感が走ります。
観覧席に向け、台本を回し拍手を指示するフロアディレクター。
こんな風景、皆さんもご覧になった事がおありでしょう。
でもこの日は少し違いました。
台本を回すフロアディレクターが「白衣」を着ていたのです。

テレビ番組収録の現場は、番組の内容によって様々です。近くは局内のスタジオから遠くは極地まで。それこそ地球のあらゆる場所へ飛んで映像を手に入れる訳です。
場合によっては宇宙へ飛び出す事だってありますね。

結局私達テレビ屋は、そのロケ現場そのものを「スタジオ」と化して中継や収録を行っている訳です。ある意味道路工事など、肉体労働に従事されている方々と同じなんですね。
ツルハシがカメラに変わっただけで、現場で行う事はほとんど変わりません。朝の情報番組で屋外の中継を予定し、たとえ当日が大雨でも中継を中止する訳にはいかないのです(笑)。
そんな時は女性リポーターの笑顔の後ろでスタッフ達の怒鳴り声が飛び交っていると思って下さい。私も随分怒鳴られました。

そういう過酷な現場ですから、スタッフ達は自然と職務を円滑に進めるための「自分だけのノウハウ」を身につけていきます。
今日は私が見聞きしたそんな「業界ならではの現場の空気」をお話しましょう。


実は冒頭のお話は先輩のディレクターから聞いた「伝説」。
皆さんピンと来ないかもしれませんが、フロアディレクターというのは副調整室(サブと言います)で番組進行を指揮をするディレクターからの指示で、スタジオ全体を仕切る役割。

フロアの指揮次第でスタジオの雰囲気が決まるほど重要な存在なのです。たとえ親分のディレクターと言えど、スタジオに降りて行って現場を指揮することは出来ない。
「スタジオはフロアディレクターのもの」なのです。彼らの心づもり一つで拍手の量を調整する事さえ出来るんですよ。
ところが、スタジオにはいろいろな魔物が棲んでいまして(笑)。


これは一言ではとても言い表せませんが(ご同業の読者の方、大きく頷かれていると思います)中でも大きいのが「出演者の指示無視」。
スタジオ収録の放送でタレントがカンニングペーバー担当のスタッフにツッこんでいる場面を目にされる事も多いと思いますが、あれは実はタレントがスタッフに「気を抜くな」と激を飛ばしているんですね。「ちゃんとカンペを出せ」と。
たしかにスタジオに於いてスタッフと出演者のコンビネーションは最需要項目ですが、出演タレントの中にはへそを曲げてしまってスタッフの指示を聞かない人も居るのです。どんなに指示を出しても「見えなかった」「聞こえなかった」とトボける人が。
冒頭のフロアが「白衣」を着ていた理由がお分かりでしょうか。


そのタレントの無視に悩んでいたフロアの彼は「絶対無視させない!」という気合の元に、衣裳部屋から白衣を借りスタジオに立ったのでした。「どうだ!この姿なら無視できないだろう!」という彼なりの主張だったんですね。
彼の気合は功を奏し、そのタレントは彼を無視できなくなったそうです。当のフロア本人が後に大きな番組を数多く手掛ける大プロデューサーになった事を知った時には、「やっぱり大物はやる事が違うなー」と感心したものです。


彼の例に漏れず、スタジオで目立つ事を第一目標に挙げるフロアディレクターは多く存在します。声が大きい事は最低条件。普段絶対にしない格好をスタジオでは進んでやる者、そのフロア独特の「トレードマーク」的な衣装を常に身に着けている者などなど。
傍からは滑稽に見えますが、これはスタジオという戦場でタレントという存在と戦う上で彼らが生み出した武器とも言えましょう。
「空気に絵を描く」と言えるテレビの世界では、こんな風にスタッフもタレント並の「芸」を磨かなければならない。特異な感性を売る存在・タレントを相手にするからには、普通の事をやっていては追いつかないのです。

このスタッフの感性はスタジオの中だけではなく、局を飛び出した屋外のロケ現場でも発揮されます。

皆さんが「テレビマン」という言葉から想像されるイメージは、おそらく「軽薄」「変わり者」「人生を遊んでいる」などの、ちょっと社会通念から外れたアウトサイダーではないでしょうか。これはある意味当たっています。
以前「ネヴュラ」でお話した事もありました。テレビマンとは「醒めない夢」を追いかける子供のようなものなんですよね。

ですから普通の人から見てビックリするような奇行をする事も多い。私の存在からしてそうですが(笑)。
実際の所「あいつ、変わってるねー」「テレビ屋だからね」なんて会話の末、その奇行が許されてしまう事も多いです。あるスタッフのご親族が亡くなられた時、そのお通夜に駆けつけたスタッフ達の姿が目に痛いほどカラフルだった事も日常茶飯事で(苦笑)。

しかしその一面でスタッフ達には「空気を作る」という、やや説明しがたい才能が要求されます。
私を含めたテレビマンに目立つ奇行は、「いつも明るく、現場の笑顔を保ちたい」という強迫観念めいた使命感がなせる業なのです。
私が長年現場を共にしたカメラマンも、そんな感性を持っていました。


彼は昔、いにしえの名番組「とんねるずのみなさんのおかげです」のコーナー「仮面ノリダー」のスタッフで、とんねるずの二人と多くの現場を共にした経験を持ちます。おそらくかなり過酷な現場であったことが想像できたあの番組。そんな現場で揉まれた彼も、独特のノウハウで私達を楽しませてくれました。
彼はロケ車での移動中、ずーっと喋りっぱなしなのです。


それはおそらく、過酷な現場で出演者やスタッフを退屈させないために彼が培ったノウハウの一つだったのでしょう。
お笑い芸人さんが同行するロケなどの場合、駆け出しのスタッフなどは芸人さんから「何か面白い話ない?」なんてフリを受ける事が多いのです。
相手は言葉のプロ、芸人さんですから、おざなりのお話では馬鹿にされるだけ。ましてやとんねるずの二人です。彼にとってそのフリが熾烈なものであった事は想像にかたくありません。
彼はそのフリに耐えたわけです。


実際、彼のトークは抜群のキレを見せます。
車中から見かける通行人一人からでも独自のトークを展開してしまいます。

「この時間にあんな格好で歩いているあの男はきっとこれからお忍びで不倫相手に会いに行くんだ。その相手は20代のOLで」
「あのラーメン屋はきっと夜飲み屋になって、そこは藤達也みたいな陰のある男が常連で」なんてトークは序の口で。「あるある」と想像させ、ちょっと毒を交えたトークがいかにも「とんねるず好み」を連想させるのでした。

そんな彼のトークの中で、私が妙に気に入っているネタが今回のサブタイトル「ちょんまげディレクター」というもので。

彼は「ちょんまげディレクター」。
この平成時代にマゲを結い、粋な江戸装束でロケに臨みます。
ロケ現場への移動は常に愛馬。現場にひづめの音が高らかに響き渡る時、ちょんまげディレクターが華麗な演出を炸裂させるのです。


ちょんまげディレクターは横文字を使いません。ディレクターと言えば横文字ばかりというセオリーを無視するのです。
カメラマンは「撮影役」。リポーターは「案内役」。
もちろん台本は巻紙で全部筆書き。
カメラワークの指示も全部日本語。
「撮影役、この辺りから撮影機材を静やかに上手に振ってたもれ。振りの速さは牛が横を向く按配で」
「案内役はその振りと共に速やかに状況説明をせよ。」
ロケ中、ファーストフードでの昼食も彼は絶対「箸を所望じゃ。」

武士のたしなみ、刀の手入れを常に忘れない彼はリポーターのNGを許しません。
ちょっとでもリポーターが間違えようものなら「打ち首じゃ!」
哀れ彼女の首は、彼の自慢の名刀の露となり・・・


彼のトークは止まる所を知りません。で、これがまた私のようなおバカも混ざったスタッフ達ですからこの手のお話は嫌いじゃない。話が膨らんでいくんですね。
ハードワークが予想される現場では、こういう他愛の無いお話で空気を和らげる事でスタッフ間の連帯も高まり、いいお仕事が出来るものなのです。
この空気を画面に封じ込めようとするスタッフの努力がお分かりでしょうか。


どんなお仕事でも職場の空気は大切です。これは皆さんの職場でも同じですよね。
テレビマンの奇行はそんな空気を作りたい一心の賜物。
サービス精神が高じて過激になっちゃう事もありますがそれもご愛嬌の一つです。

撮影が始まったら人が変わったように真剣になるスタッフの姿。
「やる時はやる」という彼らの心意気は、いつも私に感動を与えてくれます。
たまには「打ち首じゃ」と怒りたい時もありますが(笑)。

2007年3月25日 (日)

能登半島沖地震

被災された方々、心よりお見舞い申し上げます。

幸い今日の地震(9時42分の本震)では、私の地方では震度3程度だったので自宅への被害はまったくありませんでした。
でも多くの方がこういう時「ここではこの程度だったけど震源地は別の所で、そこではもっと大きな被害が?」なんて不安に襲われますよね。私も同じで、反射的にテレビを点けました。
時間を追うにつれ刻々と明らかになる被害の様子に、胸が潰れるような思いでした。

地震は怖い!

生活の基盤一切を奪い去ってしまう事さえあります。

最大震度6強ですから、これから被害状況が詳細になるにつれこの大きな地震の全貌も見えてくるでしょう。
その情報をこれからの地震予知、災害対策の参考に役立てる事はもちろんですが、何より今は被害者の救助、現場地域の一日も早い復興、通常生活の再開を心より願ってやみません。

何も出来ない私などが偉そうに申し訳ありませんでした。

2007年3月24日 (土)

技の祭典

「横、しっかり持ってろよ。」
おとといのロケ現場。アシスタントに指示を出す照明スタッフ。
おぼつかない手つきのアシスタント君は、自分のやっている行動の意味が分からずにオロオロしています。
「そうじゃないだろ!」すかさず飛ぶカメラマンの激。

「台本作成」から「カット割」と続く、ここ数日の私のお仕事記録。こんな一連の専門的なお話をしたくなった理由を考えてみると、一つ思い当たる節がありました。
丁度今は3月末。退社や卒業など、別れの季節なんですね。

お仕事を共にしている現場スタッフも入れ替わりの時期なんですよ。ですから何かとスタッフ毎の個性が目に付きやすい。お仕事の進め方について考える機会が多いんですね。
そんな訳でおとといのロケもいろいろ思うところがありまして。
オタク話じゃなくてごめんなさい(笑)。つまらない番組制作の現場トークですが、もしよろしければお聞き下さい。

おとといのロケ。私の他にお仕事を手掛ける現場スタッフはカメラマン、照明マン、カメラアシスタント、そして局のアナウンサーの4人。まあ番組制作の規模としては最小限の体制です。
局アナを除いた3人は一日中私のわがままにつきあってくれます(笑)。

彼らは私と同じ一種の専門職なので、その役割分担もはっきりしていれば番組内で追求する部分も違います。
各セクションのエキスパートなんですね。
私は彼らに撮るカットを指示し、現場の状況から算出される様々な事情を加味して自分の目指す映像を追求していく訳です。

番組自体は非常に基本的な構成、ロケ内容も大した事はないのですが、そこは自然現象にさえ左右されるロケ現場。たかがお天気程度の事で臨むカットを諦めざるを得ない事だってある訳で。

おとといの場合、まず朝一番のカットから行く手を阻む自然現象が。お天気が良すぎる、という(笑)。

映像のコントラストをはっきりさせる上で、「お天気がいい」という事は必ずしもプラスには働きません。コントラストはカメラ側の絞り調整でなんとかなるので、実は少々曇り気味の方が自由が効くのです。
おとといの場合、お店のショーウィンドーを撮影したかったのですが晴れすぎていてまあガラスへの映りこみが凄い。「そんな事か」と思われるかもしれませんが、カメラマンはじめウィンドーの前に居る全員が映りこんでしまっては「そこにカメラは居ないはず」という映像づくりの基本が打ち砕かれてしまいます。

おまけにウィンドーというものは全面ガラス張りというのがほとんど。さて皆さん、こんな時どんな手を使うと思いますか?

撮影という物は、まず私が「こんな絵が欲しい」と指示する所から始まります。その指示に従いカメラマンが画角を決めます。
この場合「ウィンドーのロングショット」などと指示するわけですね。「ちょっとナナメからなめようか」などとカメラマンが撮る位置を決めます。そのカメラの映像はスタッフがチェックする為のモニターテレビに繋がっており、私はそれを見て「はい、画角はOK」などと偉そうに決定する訳です(笑)。
その「OK」は、照明作業の開始を意味します。モニターテレビに映し出された画角内をいかに魅力的に演出するか。ここが照明マンの腕です。

ここで若い照明マンの彼は照明用の伸縮スタンドと大きな黒いカーテンを取り出しました。お分かりでしょう。黒カーテンをウィンドーの前に張り、外の映りこみをカットしようというのです。

これは業界人なら誰もが知る技で、やや意味合いは異なりますが「夢」(1990年 黒澤明監督)劇中の「川」のシーンなどで効果的に使われていましたね。ただショーウィンドーは広い。この、僅か6秒のカットにかける下準備は実に大がかりな物なのです。
冒頭のアシスタント君はこういうロケに慣れておらず、自分が何をやっているのか分からない様子。映像制作の現場というのはこんな風に「感覚で覚えていく」ものなんですよね。
「いやー綺麗に切れたねー。」モニターを見ながら驚嘆する私。照明マンの意地が表れたカットです。
「どうです、いいでしょう。」と得意げな彼。
こういう時、私がいつもつぶやく言葉があります。
「技の祭典だね、今日は。」


「技」。そう、これは現場の試行錯誤が生み出す「技」なのです。
確かに基礎や参考資料は色々な映像作品から推測できますが、それを現場の事情に合わせ臨機応変に使いこなしていく事は各スタッフのたゆまぬ努力による物。
事実私は今日、スタッフとの事前打ち合わせで「ウィンドー撮るから」の一言しか発していません。
その一言で彼らは察する訳です。


さてお店に入ると、今度は「光と影の戦い」となります。これは何もクトゥルー神話じみたお話ではなく(笑)、映像センスに裏打ちされた「カッコイイ絵」を手に入れようとするスタッフの苦労を表現しているのです。
「この部屋のロングひとつもらえる?」私のお願いに適正な画角を決めるカメラマン。照明も決まりいざシュートの瞬間を迎えたとき、彼は言いました。
「このカット、何秒使うの?」
彼の言葉の意味を察した私は答えます。「うーん、5秒かな?」
「ちょっとやりたい事があるんだけど。」


実はカメラマンの彼は「カットに動きを付けたい派」。
何気ないカットでも「ゆっくりしたパン」や「微妙なズーム」など、どこかに「俺が撮ってるんだぞ」という印を付けたい性格なのです(笑)。ディレクターにとってここで重要なのは、彼のカメラマンとしての力量を知っておく事。
ちょっとしたパン、ズームひとつでも、そこにはカメラマンそれぞれの個性、力量が反映されるものだからです。


「やってみようか。」彼にGOを出す私。
案の定実に「色気」のあるパン、ズームを見せてくれます。
やはり「やりたい」というからには自信があるんでしょうね。
「パン一つでも酔わせてみせるぜ!」的な(笑)。
私はそれを見てまた言います。「技の祭典だね。」


映画などを観ていても、監督がカメラマンに助けられている作品はあまたありますね。
私などが印象深かったのは「ダイ・ハード」(1988年アメリカ ジョン・マクティアナン監督)あたりでしょうか。後に「スピード」(1994年アメリカ)を監督した名カメラマン、ヤン・デ・ポンの色気たっぷりのカメラワークは、後年の「ダイ・ハード3」の粗雑さとは非常に対照的。
「ダイ・ハード」が後続の類似作品と一線を画すのは、あのカメラワークによる所も大きいと思うのですが。

さて、店内を一通り撮影した後、私達は今回の目玉、ウェディングドレスの「イメージカット」に臨みました。
「挙式を間近に控えた花嫁さんが、「このお店でドレスを選びたい」と思うような見せ方。」
このシーンに与えられた時間は20秒。皆さんならどんなカット割で臨みますか?

今日のカメラマン・彼の力量を信じた私は、「ゆっくりした動きの連続」という演出方法を選びました。ドレス表面の流れるようなシルエットを存分に見せる、海外のCMのようなイメージです。しかしそれでも現場の状況は過酷で。
「ちょっとこのドレス、上手(かみて)に動かしていいですか?」
照明マンが声を上げます。ドレスに照明を当て美しい影の階調を作り出してくれているのですが、彼曰く「ドレスがバックから引き立たない」というのです。


バックは照明を落としたい。しかし今の位置では照明を当てられない。ただカメラマンも「いや、この位置がベストポイント」と譲りません。
ドレスを少しでも上手(画面右側)に動かしてしまうと、さらに上手にある鏡が映りこんできてしまう。
こういうやりあいも現場では日常茶飯事なのです。


「どうします、監督?」
「ドレスを少し移動させてパンしようか。鏡が映りこむギリギリで次の絵にディゾる(オーバーラップ)するから。ただしストロークは10秒程度。リズムが狂うからね。」
私の苦肉の策です。でも実際はそんな苦労を感じさせない、実に綺麗なカットが撮れました。
私もこんなドレス着たくなっちゃう程。(実際可愛いデザインだったんですよ。)


たとえ短いカットでも、現場ではいつもこんな苦労があります。その後も難関は山ほどありましたが(笑)、スタッフの「技の祭典」に支えられ、撮影も無事終了。
夕方、番組のナレーション収録の時間です。

「私、このすぐ後に報道のお仕事がありまして。そんなに時間はかかりませんよね。」
申し訳なさそうに事情を話す局の女子アナ。
ベテランの域に達するキャリアを持ちながら、彼女はこういう時、実に謙虚な態度です。
「いやー、貴女ならNG知らずですから、すぐ終わっちゃうでしょう。大丈夫ですよ。」余裕を見せながらちょっと彼女にプレッシャーを与える私。

このさじ加減が難しいんですよ。あまり持ち上げすぎてもいけないし野放しも良くない。アナウンサーはその時のメンタルバランスが読み方に出ますから、直前のケアも大切なのです。

私は、生真面目な彼女の読みを大変買っています。アナウンサーの基礎「聞き取りやすさ」に加え、ナレーションの世界に広がりがあるのです。時間が切迫していながらもその読みは実にエレガント。
これも「技の祭典」ですね。
私の稚拙な原稿も、彼女にかかると一流ライターのそれに聞こえるから不思議です(笑)。

「なんでそんなに忙しいんですか?」ナレーション収録後、原稿を片付ける彼女に私は聞きました。
「実は、この3月で退社する女子アナが二人居るんです。そのしわ寄せが来ちゃって。」
そのお二人は両方とも寿退社(あー羨ましい(笑)。
時間もないのに詳しく聞く私。

「でもその穴は、また募集して補充するんでしょ?」「それがすぐにという訳には。」
女子アナは人気職の為、その競争率も半端じゃない上に、逸材は局側でも早くから目を付けなければ他の局に取られてしまうそうです。通常、入社の一年以上前にテストを行い、内定しているとの事。応募者の気合も半端ではなく、事前の勉強、個人レッスンも徹底しているそうです。
「そんな状態ですから、急な寿退社が二人も出るとすぐには補充人員が居なくて。まあしょうがない事なんですが。」
明るく笑う彼女。


なるほど。「技の祭典」を繰り広げるこういう専門職には、それなりの素養や準備も必要なんですね。才能も実力も無い私などはまったく門外漢で。いやー勉強になります。

Photo_614 こんな内輪のお話でごめんなさい。
でも「台本」「カット割」と来ればやっぱり「ロケ」は必要ですよね。後は「編集」ですが、これはまた別の機会に。
どんな超大作の映画も、この行程とほぼ同じ流れをとります。人々を唸らせる名画も、こんな「技の祭典」で成り立っているんでしょうね。
ディレクターはそんな技を引き出す、オーケストラの
指揮者のような存在。
私の指揮ではチャルメラ程度の演奏ですが(笑)。

2007年3月21日 (水)

覆面パト応答せよ

「危ねえ奴だなー、コイツ。」
私の周りを取り囲むのは屈強な刑事さんたち。本気とも冗談ともつかないつぶやきの中で私は一人悦に入っていました。
彼らが「危ねえ」とつぶやくのも無理はありません。
私の手には今も世界の名銃として名を馳せる一丁が。
「ブローニング・ハイパワー ミリタリーモデル」実銃でした・・・


テレビのお仕事を長くやっていると、普段皆さんが足を踏み入れない現場を数多く経験します。これは私にとって非常に貴重な人生経験となりました。テレビとは関係ない先日の「夜のお仕事」なども、こんな私のディレクターとしての探究心がさせた事かもしれません。
いろいろな経験を重ねることで見聞は深まりますが、同時に「普通の刺激では満足できない」という危ない精神レベルになってしまう事もしばしばで(笑)。
これは両刃の剣と自分を戒めていますが(笑)。

今日こんな事を思ったのも、夜7時から日本テレビ系で放送された特番「愛と勇気のマル秘実話映像 世界の超決定的瞬間!! まさかの大事件SP」をなんとなく見ていたからでした。
私だって普通にテレビぐらい見るんですよ(笑)。

「日テレの番組って、相変わらず身も蓋もないタイトル付けるなー」などと思いながら眺めていました。でも今日の番組は、件の「決定的瞬間」なる映像だけを羅列した構成が非常に良かったと思いまして。
スタジオにお笑い芸人や女性アイドルを並べてVTRの感想を思いつきで喋らせるようなレベルに陥らなかったことにより、ギリギリでチャンネルを変えさせない訴求力を保たせていたような。(スタジオ収録の大変さも分かるんですが)

ああいう「決定的瞬間」の現場って、取材する方はそんな事が起こることを予想なんてしていないから物凄く心に残るものなんですよ。
私は今日の番組ほどの大事件に遭遇した事はありませんが、やはりジャーナリストの端くれとして怖い現場を経験した事はあります。
冒頭の「刑事部屋」などはほんの余興程度に過ぎませんが、ちょっとその時のお話を。

数年前。いわゆる「警視庁24時」的な番組の取材で、ある県警の捜査一課にお邪魔した事がありました。
オタクの私はこの手の取材も大好きで。取材当日は頭の中で「大都会PARTⅢ」のサントラがかかりっぱなし。(警察関係に従事される読者の方、ごめんなさい。)

暴力団から押収した拳銃を見せてもらった私は狂喜乱舞。
提供された数丁はトカレフなどいわゆる「定番」がほとんどでしたが、その中に一丁だけ混じっていたのが件の「ブローニング・ハイパワー」。
イギリスの名作アクションドラマ「特捜班CI☆5」で、私が最も敬愛するアクションスター、ルイス・コリンズ様が使っていた銃です。

この銃、通常コマーシャル・モデルかカナディアン・モデルを見かける事が多いのですが、なんとこの日見かけたのはミリタリー<ボーディー>モデル。撃鉄に特徴があるのですぐ分かります。頭の中はもうあのローリー・ジョンソンのテーマ曲が大音響で。どういう経緯でこんなモデルが・・・
刑事さんに食い下がりましたが、「そんな事答えられねーよ」とにべもないご返事で。そりやそうですよね(涙)。

何度も持ち替え、重さを確かめて舐めるように見つめる私。
その妙に慣れた手つきを周りの刑事さんたちも不審に思ったのでしょう。弾丸は入っていないのに皆さん自然と周りに集まってくるんですよ。「あのー、あんた・・・」って(笑)。

いっこうに動きをやめない私に、刑事部長さんが搾り出すように放った一言が冒頭のセリフでした。あまつさえ「撮らせてよ」と業を煮やしたカメラマンに肩を叩かれる始末。
だって一生に一度ですよきっと。実銃を触れるなんて!

この日は科学捜査研究所、通称「科捜研」なんてかっこいいネーミングのセクションも取材できまして。この科捜研では、刑事ドラマでよく見る「銃弾の発射痕検査」なんてものも手掛けています。拳銃発射と同時に銃弾に刻み込まれる「ライフルマーク」の照合(「間違いない。あの拳銃から発射された弾だ!」という奴です)ですが、テレビで見るものよりもこまかくはっきり見えるんですね。「科学捜査は日進月歩」という刑事さんのセリフに大きく頷いてしまいました。
おまけにこの日は「実銃の発射実験」なんてものまで見せてもらえて。
専用の実験室に通された私達はいきなり機動隊が持つ楯を渡されました。「跳弾に備えて下さい。」えーっ!この部屋、弾が跳ね返るの!?
おかげで大迫力のカットが撮れました。後日、編集室でこのカットを何度スロー再生した事か。その時の私の顔は喜びに満ち溢れていた事でしょう。
(アブなすぎますね。女子ですからね私。女子(笑)。


以前お話した、覚せい剤密売の現場潜入も怖かったですね。
地方都市ながら私が住む街はいわゆる「四大都市」の一つ。
今は根絶されましたが当時、駅前で不法入国の外国人が一般の人々に覚せい剤を売る事件が続発していたのです。会社帰りのサラリーマンやOLに近づき、「面白いものあるよ」とささやく彼ら。興味を示した客が連れて行かれる物陰には、一生を台無しにしてしまう恐ろしい薬が・・・という訳。

この実態を探る為、私が囮になって彼ら客引きに声をかけられる一連を撮影しようという事に。言いだしっぺは私ですから私が体を張らなきゃスタッフがついてこない。
ただ、カメラマンを従えて歩いていては目立ちすぎるし、第一声をかけられる訳が無い。カメラマン以下スタッフは現場を見渡せるロケ車に配置、カーテンを閉めてレンズだけを覗かせました。囮の私はワイヤレスのピンマイクを体に仕込み、声だけはクリアに収録できるようにして一人現場へ。

怖いですよ勿論。取材だって事がバレたら彼らは何をしでかすか分からない。場合によっては顔を見られた彼らが刃物を持ち出す事だって考えられます。
「なんでこんな事言い出しちゃったんだろ」と後悔にさいなまれながら彼らの前を歩く私。
しかし事態は意外な方向に展開しました。

彼らは私ではなく、撮影クルーが乗るロケ車に気がついたのです。カーテンの間から覗く、テレビカメラのレンズに。
(「裏窓」みたいですね。)


取材行為に気づいた彼らは雲の子を散らすように隠れてしまいました。結果的に取材は失敗。「さすがに警戒してるねー」とロケ車に戻った私にカメラマン以下スタッフはつぶやきました。
「もし奴らが車に迫ってきたら、お前を置いて逃げる準備をしてたんだよ!」
えーっ?私置いてけぼり?かよわい女一人残して?
今は笑い話ですが、その夜は興奮して眠れませんでした(笑)。


夜の道路を我が物顔に占領する暴走族。この取材も、今まで味わった事のない興奮が私を待っていました。
都心部へ繋がる幹線道路に出没し、独特のフォーメーションで全ての車線を塞いでしまう暴走族の存在を聞きつけた私は、彼らが現れる土曜日の深夜を取材日に設定しました。
以前取材に協力して下さった県警の交通機動隊も出動。ただ彼らがハトカーで派手に動くとターゲットの暴走族は散ってしまい検挙できません。
こういう時、交通機動隊は隠密行動を取ります。
「覆面パトカー」の出動です。
このパトカーには暴走車のナンバーを撮影できる暗視カメラが装備されており、このカメラで撮影した映像を証拠にして後日車の使用者を検挙する訳ですね。


取材日当日。暴走族出現の一報が県警に入りました。私達も覆面パトカーの後ろについて出動です。
なるほど彼らは都心へ続く一本道をほぼ封鎖、ノロノロ運転で大渋滞を引き起こしています。彼らは数十台の車・バイクを扇状に展開、4車線もある広い道路を自分達の意のままにしているのです。
興奮したカメラマンがつぶやきます。「こりゃ大迷惑だな。」

「側道へ回って彼らの前へ出ます。」覆面パトからの指示を受けた私達は素早く側道へ。
しかしどこまで行っても彼らの前に出る事が出来ません。側道から本線に出る道は限られている上、彼らの台数が半端ではないのです。


私の携帯が鳴りました。巡査部長からの指示です。「ちょっと冒険ですが、彼らの真ん中に入ろうと思います。何かあったら助けますからなるべく短時間に撮影して下さい。」
私を含めスタッフの興奮は絶好調。どんな映画も叶わないアクションシーンの幕開けです。
ドライバーに指示するカメラマン。「しっかり運転しろや!」
満を持して私達2台は側道から暴走族のど真ん中に躍り出ました。しかし彼らはそれを予測していたのです。


突然取材車の前を一台の暴走車が塞ぎました。横、後ろにも数台の車が。つまり族は私達の取材車を取り囲み、前を走る覆面パトカーとの分断を仕掛けてきたのでした。
あわてて前を見ると、暴走車に煽られ側道へと追いやられる覆面パトの姿が。
「孤立した!」唯一の連絡方法・携帯を鳴らしてみても覆面パトの返事がない。
「出る余裕がないんだよ!」カメラマンの叫びが取材車にこだまします。

ホーンを鳴らし、私達を威嚇する暴走車たち。私は一瞬ひるみましたが、ああいう時って逆に一種の興奮状態に陥るんですね。「撮って!あっちも!この横のバイクも!」なんて車の中で叫ぶ私が(笑)。
カメラマンも興奮しちゃって「オラー!」なんて叫んでいましたが(笑)。


ちょっと落ち着いたところで覆面パトから電話が。
「大丈夫ですか?」「今の所は。」「なんとか前に出られましたからそのまま走って下さい。奴らはスター気取りですからあなた方に危害は加えませんよ。」
「そうみたいですねー。」カメラに向かって手を振る族のお兄ちゃんを見ながら、私はほっと胸を撫で下ろしました。


・・・とまあ、毎日がこんな現場ではないですが、こういう体験をすると、映画など作られた興奮が色あせて見えてしまうのも事実で。どんなに凄いアクションシーンも「これ、安全に撮ってるんだろーなー」なんてどこか醒めてしまうのでした。
やはり本物の迫力には叶わない。

私が映像作品をある種「作品」として捉え、登場人物に感情移入できないなどの弊害を持ってしまう理由はそんなところにあるのかもしれません。

でも大丈夫。そんな矮小な私の鑑賞眼をせせら笑うような名作も、世の中には数限りなく存在するのです。
だからオタクはやめられない。
「現実よりスゴイ!」と驚嘆させてくれる作品との出会いを夢に、明日もロケに出かけます(笑)。

2007年3月20日 (火)

カットワークに夢が湧く

「編集を考えて撮ってる監督がいるんだよね。」
・・・1973年版「日本沈没」のオーディオコメンタリー。
原作者、小松左京氏の発言でした。
私はこの一言を聞いた時、「小松さん、小説家としてはプロだけど監督業は素人だなー」と強く思いました。


編集を考えず、撮影に望む映画監督など居ません(笑)。

そんな事を思い出したのは、今日私がロケに備えて「カット割」を行っていた時でした。
「カット割」。賢明な「ネヴュラ」読者の皆さんならこの言葉をお聞きになった事がおありでしょう。ですが以前、映像業界以外のお仕事に就く知り合いにこの単語を発した時、彼は怪訝な顔をしました。
「えっ?映画ってワンカットで繋がってるんじゃなかったっけ?」


この「カット割」という単語が持つ重要性は、一般の方々にはなかなか理解されにくいと思います。
先日「台本作成」についてのお話をしましたが、映像作品を作る上で「台本」の次に来る行程がこの「カット割」なのです。

簡単に説明すれば「台本上、この意味合いを観客に理解させる為にはここで主人公が喋るカットをアップで撮って、次は相手役との2ショットを・・・」なんて、テーマに即した映像の流れを組み立てる訳ですね。これを「カット割」と言います。

台本を「作品の設計図」と表現するなら、カット割は「その作品を組み立てる部品の形を考える」作業と言えます。この作品はいくつのパーツで作り上げればもっとも美しいか。いい形になるかを考える訳ですね。
ただあくまで設計図は台本なので、台本の出来が良くなければいいカット割は出来ません。

台本は通常の文章とまるで違うノウハウを必要とするので「物語は腕に覚えが」的な考え方で臨むとひどいしっぺ返しがあります。私もそうでした(笑)。
ともあれその台本を手にして、「映像作品」に組み立てるのが監督・ディレクターのお仕事。
カット割にもその監督の力量が表れます。


監督の力量を見るのに最適な方法として私が考えるのは、同時に数人の監督に全く同じ台本を渡して作品を作ってもらう事じゃないでしょうか。予算だけ決めておいて、キャスト・スタッフまですべて各々の監督にお任せ。ただし台本は一言一句変えてはならないという条件付きで。
それはそれは個性豊かな作品が集まるのでは。
名作と呼ばれる映像作品を思い出す度に、こんな事を考えてしまいます。


以前にもお話したことがありましたが、映像作品はキャスト・スタッフも決まり制作がスタートすると、現場で変えられる事はほとんどありません。台本通りロケハンも行い、撮影当日に向かってすべてのスタッフが下準備を進める訳ですから、当日になって「このカット変えます」では下準備が無駄になってしまいます。あくまで商業原理にのっとった作品制作ですから、この「監督の心のぐらつき」を許す事はそのまま予算の超過に繋がってしまいます。
現在景気のいい邦画界にしたってここまでの許容範囲は無い。
その大きなリスクを回避する為にも「カット割」は完璧にしておかなければならないのです。

お話が専門的になりすぎましたね。昨日とは人が変わったようで(笑)。
ちょっとくだけた話題にしましょう。この「カット割」に関して、皆さんどんな印象をお持ちですか?前述の知り合いほどではないにせよ、ほとんどの方が「主人公のセリフは覚えていても、そのセリフを喋った時の主人公の画面サイズは覚えていない」のではないでしょうか。「目のアップだった」とか、「バストショットだった」「バックショットで顔は見えてなかった」なんて覚えている方の方が少ないのでは。
実は、映像作品としてはその方が成功していると言えるのです。


これも以前お話しましたが、映像作品と言うのは「勝手に捲られていく本」のようなものなんですよね。要は通勤電車で貴方の隣に座った人が広げている新聞みたいなもので。横から見ている貴方は、その記事を全部読み終わらないうちに勝手にページを捲られて、また読み終わったのにいつまでもページが捲られない事にやり場の無い不満感を覚えた経験がおありでは?カット割がうまく行っていない映像作品に感じる不満感はまさにその時と同じものがあるのです。
ですから「カット割を覚えていない」という事は、それだけストレスを感じずに見られる作品と言う事です。

「えーっ?でもつまんない作品だったよ」という貴方。その意見もごもっとも。「ストレスを感じず見られる」というのは監督に求められる最小限の資質です。ここさえクリアできない監督は、残念ながら監督業には向いていません。
これは経験上よく分かります。
おっと、このセリフは私にも向けられていますね(汗)。

古今東西、名作と呼ばれる映像作品は、この「カット割」も優れたものが多いのです。
カット割が作品の顔となった名作を思い出してみて下さい。

Photo_610 「ネヴュラ」によく登場するサスペンスの巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督。
その代表作「サイコ」(1960年アメリカ)の看板シーンと言えば・・・そう、皆さんもよくご存知の「シャワー室での殺人」ですね。
それまでの作品でも緩急自在のカットワークで観客を魅了してきたヒッチコックですが、このシャワーシーンも幾多の監督がお手本にしたと言われるだけあって実に見事なものでした。

今日もこのお話の為に再見しましたが、あのシーン、意外にもカットワークのセオリー「切り返し」を結構無視しているんですね。
「切り返し」というのは、二人の人物が画面内に居る時、お互いの動きを交互に捉えて画面に変化を付ける基本テクニックなんですが、あのシーンはどのカットも画面内での人物は比較的同じ大きさで、撮る方向もそれ程バラエティーに富んではいない。
あの場面が凄いのはその異常なまでのカット数、そしてリズムなのです。

Photo_611 試しに数えてみましたが、ジャネット・リーがバスタブに足を踏み入れるカットから問題の惨劇が行われ、排水口から彼女の目にオーバーラップ・ズームアウトするショッキングなカットまで僅か2分38秒。この短いシーンに実に64カットもの映像が詰め込まれているのです。
私はそのカット数もさることながら、あれだけの絵変わりを頭の中で組み立て撮影に臨み、見事に編集するヒッチコックの才能に恐るべきものを感じます。
出来上がったカットを数えるのは簡単ですが、撮影の段階では当然あのシーンは出来ていない訳で、その状態からあのシーンの効果を予想できる頭の構造は普通ではありません。

後年、あのシャワーシーンはタイトル・デザイナーのソール・バスによるものではという解析を目にしましたが、「鳥」「フレンジー」など後のヒッチ作品を見れば一目瞭然。あの編集センスはまぎれもなくヒッチのセンスと思いを禁じえません。

ヒッチと言えばもう一つ、私には忘れられない名カットがあります。
Photo_612 「第3逃亡者」(1937年イギリス)でのラスト近く、ホテルのホール・ルームのワンカット。
これはヒッチお得意の「神の目線」カットで、主人公達が探す犯人をカメラの方が一足先に観客に教える効果を持つものなんですが、これが凄い。
ホール内部の全景からカメラが移動し、ある人物のある部分まで大トラックアップするんですが、このワンカットの長さ、実に1分7秒。

これだけの時間を使って観客の頭に「ねじ込むように」進むカメラの動きを計算し、それを「ストーリーの為のテクニック」として成立させるヒッチの手腕には舌を巻きます。
実際、私が同じシナリオであの作品を撮ったとしても、あんなカット絶対に発想できないと思いますから(当たり前ですね。あの巨匠と頭を比べること自体「サイコ」ですが(涙)。
結局、同じ台本を与えられ同じものを撮影しても、監督によって画面の切り取り方やカットのつなぎ方はまったく違うという事です。

Photo_613 それは監督と出演者の信頼関係も大きく影響してきます。冒頭にお話した「日本沈没」(1973年東宝 森谷司郎監督)にも印象的なシーンがありました。
作品後半、山本総理(丹波哲郎)と渡老人(島田正吾)が「日本民族の将来」に関して語り合うシーン。
島田正吾の「何もせんほうがええ」とのセリフ後、いくらかのやり取りの中で丹波哲郎が作る「溜め」の時間。じっと考え込む丹波さんのセリフなし、苦悩に満ちた顔を捉える事14秒。
彼が「しかし渡さん」と口を開くまでの、全スタッフ耐えるがごとくの重厚な時間は、あの「日本沈没」という作品に見事な風格を与えていました。


あのシーン。DVDコメンタリーによると森谷監督はお互いの出演者の後ろにカメラを構え、一切お芝居を止めずに撮影に臨んだとの事。
まさに名優二人の演技が火花を散らす名場面となった訳ですが、監督にとってこういう演出は不安なものなんですよ。
カットを割った方が編集に頼れる分安心なんです。でも森谷監督はそうはしなかった。
「二人にあずけた」んですね。このシーンを。

「出演者の力量によってカット割が決まる」というのもよく理解できます。
「カットを割らなくても画面が持つ役者」も少なくなりましたが。


でもお仕事はいえ、カット割はやっぱり楽しいものです。
作品作りで一番夢が広がる時間ですね。「ここは360度パン」「ここはゆっくりズーム」なんて。
自宅で一人巨匠気分。
私はヒッチみたいに出演はしませんが(笑)。

2007年3月19日 (月)

改獣模倣地帯

ここ数日、胸の内を吐露するようなお話が続いたので、その反動も半端ではなく(笑)。
いやー今日のお話は気楽で気楽で。
なーんにも考えてません(爆笑)。

Photo_598 これ、どうですか?まあいつもの怪獣ちゃん達なんですが、これらをブラウン管でご覧になった事はないと思います。
「似た人」は居ると思いますが。

今日はこんな、愛嬌いっぱいながらどこか後ろめたい『改獣』のお話です。目を細めに開けてご覧下さい(笑)。

Photo_608 この子たちを見つけたのはいつもご贔屓にしている100円ショップ。
貧乏OLの高級デパート「ダイソー」でした。

数年前「ちょっとアイシャドー切らしちゃった」なんてノリで化粧品売り場を物色していた私(女性読者の失笑が聞こえます(涙)は、その隣にあったおもちゃコーナーにも目が行きました。
100円ショップのおもちゃコーナーというのはオリジナルをキッチュにアレンジした乗り物やフィギュアがうず高く積まれていて、ある意味駄菓子屋的なデジャブーを感じるものですが、この日はなぜか特にオタク的な予感が。
オタクを長くやっていると自然と身に付く「ゆる嗅覚」という奴でしょうか。で、覗いた先にはこの子達が「いらっしゃーい」という訳で(笑)。
当然、より分けなどと言う発想はまったくなく、瞬間的に「全部お引取り」となったのですが。

でも困るんですよね。その時の私の格好は黒ブレザーにタンクトップ、ボトムスはチェックのプリーツスカート。お仕事の帰りだったんです。化粧品を買うのはまだアリとしても、怪獣のソフビを手当たり次第カゴに放り込むのは「アウト」でしょうと。
でも100円ショップでの出会いと言うのは、普通のオタクグッズ以上に再会の可能性が低い。オタクを取るか女子を取るか。
ここで私は迷わず「オタク」を取りました。
まー考えてみれば「オタクイーン」ですから悩む必要も無い訳で(爆笑)。


Photo_599 さて、無事保護の上部屋に連れて帰ったこの子達ですが、これがまた部屋に良く合う(笑)。やっぱりウチの部屋はこのテイストがピッタリなんですよ。この適度なユルさはもう私の心をオーダーメイドしたかのよう。
まさに和みの極地でした。

先日お話した「エイリちゃん」もそうでしたが、そのグッズが部屋に合うかどうかは連れて帰ってみて初めて分かるんですね。彼らが「おー、仲間がいっぱい」なんて喜んでいるのが感じられるんですよ。

Photo_600 私にとって「怪獣」という存在は、映画やテレビに登場したものが全てではありません。
竹内博さんには激怒されそうですが(笑)、別に円谷プロの公式データがどうの、ガレージキットの造形の正確さがどうのというのは私にはあまり興味が無いのです。「怪獣はカッコ良ければいいじゃん」的な考えなんですよね。
そうでなければユルソフビなんて集められません(笑)。
バルタン星人の造形を「ウルトラマン」版と「ウルトラファイト」版で比べてもしょうがないんじゃ、というタイプです。(同一番組ならお話は別ですが)

ですからこういう子達にもまったく抵抗なし。足の裏に「マルサン」とあろうが無印であろうがまるで気にしません。
むしろブームの仇花的な存在として歓迎したいくらいで。

一匹ずつ見ても本当に愛嬌があるんですよ。
Photo_601 Photo_602 このザ○ガス風の「ミラゾン」ちゃんなんて、パープルの体色がすごくキュートでしょ(笑)。
設定もなかなか凝っていて(笑)。なんと3億6千年前の地底出身ですよ。「3億6千年前」じゃないんです。「6千年」だけが異常に細かいという(笑)。
身長に対して結構体重があるのはその体型を見ても分かりますね。もうちょっとダイエットしないと(笑)。「巨大な角を相手に向けて発射する」必殺技は凄いけど、発射後はかなり可愛い顔になっちゃうんでしょうね。いやー癒される(笑)。


Photo_603 Photo_604 ゼラギラス星から地球にやってきた「きっと凶悪宇宙人(笑)ゼラギラス星人」。
この人は凄いですよ。「すぐれた変身能力を持つ」訳ですから宇宙界ではかなり評価も高いんでしょうね。既にこの状態は「変身途中」をフィギュア化したものではないかと(笑)。
頭と腕を除いて「ベ○スター」に似ているのはゼラギラス星人の芸術的な変身能力の賜物なのです。
いつも変身していると自分のオリジナル体型がわかんなくなっちゃうんじゃないの、なんて余計な心配もしてしまいますが(笑)。

Photo_605 Photo_606 で、私の一番お気に入りがこれ。
ゾラン星からやってきた金色の刺客(笑)メガゾラン。

以前「ネヴュラ」でもちょっとご紹介しましたよね。
これ、単純にカッコ良くないですか?そりゃまあ「シー○ラス」の頭に「メカ○ジラ」の体という大胆な反則技なんですが、これはこれで成立しているんじゃないかなー、なんて。
(両怪獣のファンの皆さん、石が痛い、痛い(涙)。

身長73メートルと言いますからかなり大きいですね。
体重が120,000トンもあったら地面にめり込んじゃうんじゃないでしょうか。うーん重量級。
「体から高電流、口から光線」なんてダブル攻撃にはひょっとして「両G」も叶わないんじゃ!(ファンの皆さん、岩が痛い(号泣)。・・・ガメロンとゲラン蜂の事なのに。


Photo_607 家に連れてきてから何年も経つこの子達ですが、今でもたまに眺めて目を細めるだけの魅力があります。別に小難しい理屈をこねるつもりはないんですが、登場作品がないというのは結局「どんな風にもストーリーが作れる」という事なんですよね。
子供の頃に遊んだ「怪獣ゴッコ」って、たとえ公式なソフビを使っていても自分達でオリジナルストーリーを組み立てていました。
「この怪獣は第○話に登場、こういう戦い方をしたからこの遊び方はおかしい」なんて考えもしませんでしたから。

この子たちを見ていると、そんな頭が固くなった自分を笑ってしまいたくなるのです。
「怪獣は想像の産物なんだから、自分達ももっと自由にさせてよ」なんて言われているような気がして。

前述のソフビは最近入手したものですが、私の子供時代、怪獣ブームの頃にはやはり色々な「メーカーオリジナル」の怪獣プラモデルが売られていました。
こういうのは大抵「土曜日の午後のお友達」。

二、三日貯めたお小遣いで余暇を楽しもうと(笑)、豪遊気取りで意気揚々と暖簾をくぐる駄菓子屋さんの奥で「お買い得ですよ。プレイバリューも抜群ですよ」なんて手招きしているのです。
よせばいいのに毎週その暗い店の奥に吸い寄せられる私。ドーナツや飴、一口イカなどの香りが混ざった一種独特の店内は、これら怪獣が生息していてもおかしくない「三丁目のチベット(笑)」でした。
あの雰囲気には「ガンダム」のキットは合わないんですよね。

Photo_609 こういうキットはおおよそ50円程度。100円もしたらもう「高級品」でした。(写真のものは25年ほど前に発売された再販品。その時は一個100円の「高級品」でしたが)
あっと言う間に完成させ、色を塗るなんて発想など微塵もなかった私達はセメダインが乾く間も惜しんで遊び倒しました。その時も、なんの抵抗も無くオリジナルストーリーが湧いてきましたよね。

私はその時から妄想癖があったんでしょうが、大体どの友達もその妄想レベルは同じじゃなかったですか?
私は時々思います。「いつから設定にがんじがらめになっちゃったんだろう」って。

さて、チープながらオリジナル怪獣にまみれた毎日を過ごしていた私ですが、幼き日に一度だけ、「大人の事情」を思い知った事があります。
それはやっぱり50円の怪獣キットでした。
大仰にも「大怪獣ギラ」(濁点注意)と名付けられたそのキットは、あの冷凍怪獣を思わせる巨体が町を破壊する大迫力のボックスアートが食指をそそる甘い罠(笑)。私も若かった。(そりゃ子供ですから)

興奮の内に入手していざ部屋へ。箱を開けてもまだ気づかない。それはいわゆる「糸巻き式」の歩行キット。
興奮を抑えきれない私はランナーにモールドされた二つのパーツにもっと注意を払うべきだったのです。


例によってあっという間に組み立てた私は、最後の最後にその二つのパーツを接着する事に。
その時初めて気がついたのです。
「あれ?怪獣なのにシルクハットとステッキが?」

よく見てみるとその「ベギラ」本体も、怪獣とはとても言えない可愛い顔立ちのペンギンちゃんで(笑)。
もうお分かりですね。その「ベギラ」というのは、きっと以前に発売されていた「トコトコペンギン」とでも言うべきミニキットを、怪獣ブームを当て込んだメーカーが怪獣風のパッケージングに「改良」して売り出した代物だったのです(爆笑)。

今なら「看板に偽りあり」とメーカーにクレームが付きそうな出来事ですね。当時の私もその事情は察しました。
でも子供の想像力って凄いですよね。私はその「シルクハットにステッキのペンギンちゃん」を「大怪獣ベギラ」と思い込めたんですよ。結構お気に入りだったりして(笑)。
皆さんもそんなご記憶はありませんか?「想像力が実物のクオリティーを補填できた子供時代」のすばらしい記憶が。


あれから数十年。世の中の様々な仕組みを理解するに従って、子供時代の感力は大きく衰えたような気がします。今回ご紹介したオリジナル怪獣には、その頃の想像力をほんのちょっと蘇えらせてくれる効果があるのです。
成田亨さん、高山良策さんも、きっとどこかに「心のベギラ」が居たんじゃないかな。
そんな事を信じてみたい一日でした。


あ、また皆さん、その手に握り締めた石は投げないでね(笑)。

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2007年3月18日 (日)

『ボーイ・ミーツ・ガール』の呪縛

今日はお仕事で。いつもの台本作成でした。
このお仕事を始めてもう20年近く。台本作成のノウハウもなんとなく身に付き、駆け出し当時ほど四苦八苦することはなくなりましたが、相変わらず悩む部分はあるものです。

ただ、この「悩む」という部分がなくなってしまうと、面白い台本は作れない。
「悩む」という事は、それだけ「以前と変えようとしている」事だと思うからです。

経験上、これだけははっきり分かった事ですね。
出来上がった台本の良し悪しは別として(笑)。

Photo_597 ここ数日、寝る前に必ず「G×G」の場面を思い描いてしまう癖が付いてしまいました。
一度考え出すと、その作品の事がなかなか頭から離れないのが昔からの習慣で。

良くも悪くも、その「しつこい」という癖は「ネヴュラ」の文面にも表れていると思います。
一つの作品を何度も何度もテーマにする「ネヴュラ」は、読者の皆さんにはきっと呆れられているでしょう。「またこの話か」なんて(涙)。
私も分かっているんですよ。ただ、好きになった作品をあらゆる角度から語らないと気が済まない性格は昔からのものなので、こればかりは直しようもなく。
この性格がディレクターという職業に向いているとも言えますが。

以前、ボスであるプロデューサーから聞いたお話がありました。
「ディレクターに求められる条件」のお話です。
「ディレクターとは時代を切り取るバランス感覚と、自分が興味を持ったことをとことんまで追いかけるしつこさが大事」だそうです。その為には、「広く浅く、狭く深く」が両立していなければならない。

一般的な事は一通り「広く深く」理解していて、ある専門分野だけは「狭く深く」知っている。「この分野だけはあいつより上が居ない」と言われる所まで行けばお前の勝ちだ。と言うんですね。それがたとえ怪獣でも映画でも。

確かに言いえて妙な教えです。テレビの世界は言ってみれば何でも屋が重宝されるので、「自分はこの分野しか知りません」ではお仕事が来ない。どんなテーマが来ても一定レベルの作品が創れなければお払い箱です。そういう意味では職人的と言えます。先輩のディレクターは「町の絵描き」と表現しましたね。芸術家では駄目なんです。
ところがそれだけではそのディレクターは大成しない。代わりがいくらでも居るからです。
「オンリーワン」の部分が要求されるんですね。ですからディレクターは自分の得意分野を大事にするし、またそれを徹底的に極めようとする。
ディレクターは個性的な人物が多いですが、それは「誰にも真似できない自分だけの世界」を誇りにできる自信ゆえなのです。

私も局務めの頃には、「怪獣」という得意分野を周りに触れまくり、「怪獣ネタは任せなさい」的な勢いで局内を堂々と歩き回っていました。面白い事に、テレビの世界はそれを認めてくれるんですね。
そうでなければ東宝撮影所の取材など許される訳もなく。
ただ実際は私の上を行く怪獣オタクが局内に二人も居て、三人でシノギを削る事になっちゃったんですが(笑)。

さて、そんな風に育ってしまった私は、「G×G」なる魅力的なテーマも「企画の一つ」として考える癖が付いてしまっています。これはもう職業病と言ってもいいでしょう。ですからたとえお遊びでも、自分が納得行かないとどうしても先に進めない。
昔読んだある本に、著名な小説家が紡ぎだした二行の文章に接続詞の「の」が四個付くことを悩み、どうしても「の」を三つにしたくて一晩悩んだ末、諦めたというお話が載っていました。
記憶なので正確ではありませんが、ものを考えるというのはそれほどまでに身を削るものなのかと、いたく感服した覚えがあります。

それがどこかに引っかかっているんでしょうね。

Photo_595 以前もお話したように、「G×G」に関しては以前から頭に漠然としたアイデアがありました。それは本当に思いつきの域を出ないもので、そのワンアイデアだけではとてもストーリーとして成立しない。
ストーリーの背景には説得力を持つバックボーンの存在が必要と考えてしまうんですね。
「真実を知らなければ嘘に真実味を与えられない」という事で。

「面白いから」というだけの理由でやみくもに好き勝手書くことは簡単ですが、私の場合は「これは本当は違うんだけど、この作品の世界観なら許されるだろう」と自分を納得させないとダメなんですよ。因果な性格で(涙)。
今のお仕事でもそういう局面はよくあります。「お前、この世界観でこの場面は成立しないだろう。」なんて会話は頻繁にありますから。


とはいえ、この考えに縛られすぎても想像力の幅を狭めてしまい、発想の大胆さを削いでしまうので決して良くはありません。
求められるのは「世界観ギリギリの所で遊ぶバランス感覚」なんでしょうね。

サスペンス映画の巨匠であり、私が尊敬する監督の一人であるアルフレッド・ヒッチコックがフランソワ・トリュフォー監督との対談中に「ある小話」としてこんなようなお話をしていました。
「ある脚本家が真夜中、就寝中にとんでもなく独創的なアイデアを夢に見た。彼は飛び起きるとそのアイデアを忘れないうちにメモに残し、安心して床についた。
翌朝彼が見たそのメモにはこう書いてあった。
「ボーイ・ミーツ・ガール」と。」
「ボーイ・ミーツ・ガール」。世の中に溢れる全てのストーリーの中で、基本にして普遍のものとして言われる言葉です。

「真夜中に浮かんだアイデアは、昼間見直してみると本当に下らないものが多い」とヒッチは語っています。日本にもこれに似たお話がありますよね。「真夜中に書いたラブレターを昼間見ると赤面する」というものです。
でも、果たしてそれは真実でしょうか?


真夜中。夢の中で浮かぶアイデア。それは人間の深層心理に浮かぶ一つの「物語のパターン」じゃないかと思うんですよね。
つまり「ストーリーとはこうであって欲しい」というような「刷り込み」というか。それが残っていて、夢まで支配してしまうというような。

この「ボーイ・ミーツ・ガール」というパターンに支配されてしまうと物語が広がっていかない。作品を貫くストーリーのパターンというものは、それほどまでに人の心に残り、またそのパターンの料理の仕方によっては、観客に著しい拒否反応を与える事になるのでは。

怪獣映画もそんな気がするんですよ。

怪獣映画にはいくつかの約束事がありますよね。「怪獣は基本的に一体ずつしか出ない」とか、「怪獣は必ず都市を破壊する」とか、「自衛隊の武器が通じない」とか。
「最後にはなんらかの決着が付く」というのもそうです。

ここをクリアしていないと「怪獣映画として認めない」的な考えがどこかにある。私も同じです。これは怪獣映画の「ボーイ・ミーツ・ガール」なんじゃないかと思うんですね。
多分「怪獣映画のベタドラマ」なんて作ったら、この他にも約束事が山ほどあるんじゃないでしょうか。

「ガメラ 大怪獣空中決戦」公開当時、この作品の成功要因の一つに「古い皮袋に新しい酒を盛って」的な感覚がある、という批評がありましたが、それはとりも直さず「ボーイ・ミーツ・ガール」を守ったがゆえの賛美ではないかと思うのです。実際、観客もそういう「パターン化された怪獣映画」を望んでいた訳ですし。
それは決していけない事ではないと思います。「怪獣映画ってそういうものじゃない?」という思いは私にだってあるし、多分皆さんの心の中にもおありじゃないかと思います。

ところが実は、今私の頭の中の「G×G」は、それとは別の方向へ進んでいます。
ですからこれはおそらく「怪獣映画」にはならないんです(笑)。

確かに、国内のみならず海外にまで名を馳せた両Gですから、その設定やストーリーを下敷きにすればどうしても「ボーイ・ミーツ・ガール」になってしまう。おバカな私にはどう考えてもそんなストーリーしか思いつきませんでした。お許し下さい。
今日の前半でお話した「世界観を成立させる為のバックボーン作り」についても、「これまでの両Gの世界観では創り上げられないストーリー」ゆえの苦労なのです。

「そんなに大風呂敷を広げて、本当にできるの?」「言い訳ばっかり言ってないで、作品を見せて下さい」とおっしゃるのもごもっとも。その通りなんですよね。
なんだかんだ言っても作品を発表された方々の方が遥かに立派です。今まで何度もお話しましたが「作った人が一番」なんですよ。本当に尊敬します。


Photo_596 以前にもお話しましたが、私の「G×G」は非常にパターン破りの部分が多く、ネット社会の功罪か参考資料もいくらでも集められてしまいます。その為、「これは使える」という背景資料の整理をするだけでも一苦労。でも集めれば集めただけ怪獣映画からは距離が離れてしまうと言う悪循環に(涙)。
「このままじゃ、江戸川乱歩の「悪霊」と同じ轍を踏むかも」なんて恐怖におののきながらも、この「G×Gを巡る旅」はやめられません(笑)。

よもや期待されている方などいらっしゃらないと思いますが、今日現在、私の思いはこんな所です。
「ボーイ・ミーツ・ガール」の呪縛から逃れる事ができるかどうか。
そもそも完成できるのかどうか。無知な私の事ですから「努力はしましたが」になる確率の方がはるかに高いです(涙)。
頭の無い私には難関です。でもやってみたいんですよね。
「悩む」というのは「以前と変えようとしている」事ですから(笑)。

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2007年3月17日 (土)

愛しきろくでなしたち

「彼」は、私がその「ボーイッシュパブ」に勤め始めてすぐ、私の教育係となりました。
前回から数えて四人目の彼のお話です。

お店勤めをする上で上下関係は絶対。特にこういう世界はその規律が厳しく、彼は私の前では「上司」の姿勢を崩しませんでした。また生物学上女性である「彼」は、私のような存在に親近感とともに一種の嫉妬心めいた感情を持っていたのかもしれません。
「男性の体」を持つ私に対しての、憧れめいた思いなのか。


彼も前回のベテランボーイッシュと同じく、お店のママがスカウトしてきた凄腕の「ホスト」。前回の「二人目の彼」とは正反対の、いわば「盛り上げ上手」なキャラクターでした。
可愛らしい顔立ち、小太りの体型。マシンガントークに加え、ありとあらゆる手段でお客さんを楽しませようとするその姿勢はプロのエンターティナーそのものでした。
当時ディレクターとして多少なりとも芸人さんなどと付き合いのあった私ですが、水商売の世界にも独自のエンターテイメントが脈々と息づいている事に少なからず衝撃を受けたものです。

上司である「彼」は、私に対して自らの男性性を強調し、「自分とコンビでお客さんを楽しませる」ことに意義を見出しているようでした。
実際、まったく逆の立場である彼と私が会話をすると、それが真剣な会話にも関わらず回りからは漫才に見えます。

「俺たち結婚できるんだぜ。」
「私、彼を孕ませられるのよ。」
「その時はやさしくしろよ。みゆき。」
お客さんの笑いが起きる度に彼は私に目配せをしたものです。「そうだ。その調子。」


「みゆき、最近だいぶ喋れるようになったな。」
午前一時。お客さんもはねたお店のカウンターで薄くなったカシスオレンジを口にしながら、彼は大きなあくびをしました。
「昼間のお仕事、忙しいんですか?」
「うん。3時間後には出勤。」

彼が手掛ける昼間のお仕事はお店や事務所の清掃業務。このお仕事は大変過酷で、お店や事務所の営業時間外にこなさなければならない為、深夜や早朝に行う事が多いそうです。
パブのホストだけでは生計が立たない彼らはそんな風に昼夜問わず働く事も珍しくありません。

「昨日もめちゃくちゃ忙しくてさ。やっぱりこの時期、掃除屋はひっぱりだこ。」
生物学上女性であるハンディは男性である私の比ではないようでした。彼のような存在は昼間出来るお仕事も限られている上、男性と共に肉体労働を強いられる事も当然なのです。
「体力の壁」は、どんなボーイッシュにも大きなハードルとなってのしかかっているようでした。
「頑張って下さいね。先輩。」
「そう思ったらもっと喋れるようになって、俺を助けてくれよ。」
彼は力なく笑って、お店を後にしました。

実際、彼の「男性」としての自覚は凄まじいものがありました。以前、お店で扱うビールサーバーの栓が固く締まってしまい、私を含めた女性スタッフが栓を開けられずにお手上げ状態だった時も、彼は「任せろ」と必死に栓と格闘していたものです。(結果は惨敗でしたが)
人間、やはり自分にない物には強い憧れを持ちます。
彼の場合、憧れていたのは「男の体力」でした。

「みゆき、腕相撲やろう。絶対負けないからな。」
以前お客さんの前で、彼が不意にこんな事を言い出しました。
「どうして?」目で問いかける私に、彼はこう答えました。「たまにはいいじゃん。」
結果は私の惨敗。彼は本当に腕力があるのです。その日お店が終わった後、「やっぱり男の人の力は凄いねー。ちょっと見直しちゃった」なんて私の言葉に満足そうな彼の表情は、今でも脳裏に焼きついています。


彼には遅刻癖がありました。
お店にはタイムカードが無かった為、出勤時間はバーテンの女性がチェックしていました。彼はいつも出勤時間ギリギリに慌ててお店に飛び込んでくるため、お店の母親的立場であるバーテンの彼女は苦虫を噛み潰したような顔でよくつぶやいていました。
「お早いお着きで。」
「昼間のお仕事が忙しいんだなー。」私はそんな彼の姿を見る度に、同じ境遇である彼を少なからず心配していました。
しかし彼の遅刻には、昼間のお仕事だけではない別の理由があったのです。

「集客用にお店のチラシを作ったから、あんた、みゆきと一緒に街で配ってきてよ。」
ある日ママに頼まれ、彼と私はチラシを握り締め夜の繁華街に出かけたのですが・・・
「ちょっといい?」車を裏通りで停めた彼は私にそう尋ねました。
「なんですか?」怪訝な私に、彼はこう続けたのです。
「今日、チラシ配りやめよう。ママには内緒だぞ。」
その後、彼の身の上話を聞く事になろうとは(笑)。

彼には同棲している「彼女」がいました。彼女は普通の女性で、彼が以前勤めていたボーイッシュパブのお客さんだった人。お店のNO.1だった彼は多くの女性と浮名を流していましたが、彼女の一途さにほだされ、一緒に暮らす事になったのだそうです。
彼女も水商売の人間で、今もお店で働くホステスさん。
お互いに働きながら暮らしているとの事。

「いいじゃないですか。好きな人といつも一緒に居られて。」
「そんなノロケ話をする為に車を停めた訳じゃないって。」


彼は彼女との生活を続けていく上で越えなければならないハードルについて語りだしました。
まず「彼女の嫉妬深さ。」
これはこういう職業に就く者につきまとう事です。彼の携帯チェックは当たり前。大事な女性客のデータを全部消された事も。酒乱でもある彼女は彼が働くお店に乗り込み、彼が接客中の女性客をお店の外に引きずり出した事さえあるのだとか。
「店に迷惑がかかる」と、彼が前のお店を辞めたのはそんな理由からでした。
彼女にとっては、彼への深い愛情ゆえの行動と思いますが。
「俺が今の店に勤めている事だってあいつは良く思ってないんだ。でもしょうがないよな。食っていかなくちゃならないし。」
毎日の遅刻の原因は、彼女がお店に出勤するギリギリまで一緒に居てやりたいという彼の思いからだったのです。

彼女はバツ一でした。
彼女は元のご主人との間に一児を儲けていました。彼女はその子を引き取り、最近まで今の「彼」と一緒に三人で暮らしていましたが、最近の彼女の酒乱、またボーイッシュである彼の生活能力を心配したご主人により、強引に子供を連れ去られてしまったのだそうです。


「俺はその子を引き取りたくてな。」
「彼」は生物学上女性。彼女との間に子供を作る事はできません。子供も彼の事をハパと呼び慕っていたとの事。彼にとって子供は、普通の家庭同様に大切なものだったのです。
元旦那は男であるがゆえに子供を作れた。子供を作れない「彼」にとってはそれがたまらないハードル、そして屈辱感、敗北感を覚える現実だったのでしょう。

「俺の彼女も、店での源氏名が「みゆき」って言うんだよ。なんかお前が他人とは思えなくてさ。」
「他の子を口説く時に合わせて、彼女の源氏名も毎回変わるんでしょ。」
彼の胸の内に流れる重いものは、そんな軽口では癒せなかったようです。
「帰ろうか。ママに感づかれる。」


ある日、彼がいつも以上に遅刻してきた事がありました。
・・・少し遅れてカウンターに腰掛けた「彼」。
「遅刻は黙っていて欲しいんだ。」
そうつぶやく彼の腕には、小さな包帯が巻かれていました。


「あんたそんな包帯して。お店に出られると思ってんの!」
激昂するママにも、おおまかな事情は分かっているようでした。
「そんな女、あんたをダメにするだけじゃないの!」

子供を取られ酒びたりになった彼女は、働くお店にも出られないほどになってしまったのです。彼はそんな彼女をなだめようとしましたが逆に夜働く事をなじられ、逆ギレの末取っ組み合いの喧嘩。巻かれた包帯はその時の怪我によるものでした。


「ねえ、あんたさー。彼女とやっていく気あるの?本当に好きなの?」
ママに問い詰められた彼は、「わからない」と答えました。「もうどうしたらいいのかわからない。」と。
「でも子供は取り返したい。」
ママは顔色一つ変えずに言いました。
「じゃあ腹を括ってその元旦那と戦ってきな。その時あんたは本当の自分の気持ちに気が付くんじゃないの?」


お店が終わりました。彼は「みゆき、またな。」といつものように挨拶を残し、街の喧騒に消えていきました。
お店で二人きりになったママと私。私は尋ねました。
「ねえママ、彼は本当に彼女の事が好きだったんでしょうか?」
ママはその問いには答えず、こんな事を語りました。
「みゆき、『恋』と『愛』の違いって知ってる?」
「一言では言えないと思いますけど。」
「そりゃそうだけど。水商売には昔からこんな言葉遊びがあってね。『恋』という漢字には下に「心」があるでしょ。「下心」なのよ。つまり恋は相手に下心を持つ事
なの。」
「じゃあ、『愛』は?」
「真ん中に「心」。「真心」という訳。つまり、相手に何があっても真心で接する事が『愛』なのよ。つまんない言葉遊びだけど、今のアイツにはふさわしい言葉かもね。」

その日を最後に、「彼」はお店に顔を見せなくなりました。私もテレビのお仕事が忙しくなり、やがてそのお店からはお暇を頂く事になってしまいました。
ですからその夜以来、「彼」とはついに顔を合わせずじまいになってしまったのです。
彼が夜の世界から足を洗った、という噂を小耳に挟みました。
私が久しぶりにその懐かしいお店を訪ねたのも、そんな噂を確かめたかったからかもしれません。でも時は流れていました。

お店があった雑居ビルは取り壊され、跡地には大きなマンションが建っていました。
照明を落としたシックな店内。男装の女性と女装の男が闊歩する空間。プロのプライドが交錯するベランダ。同僚のホステスと一緒にため息をついた階段の踊り場・・・
私にはそんな記憶のあれこれが、夢のように思い出されました。


一般の人にすれば彼らの人生や生活はメチャクチャ、ろくでなしの集団に見えるでしょう。私だって最初は「夜のお仕事」と聞けば身構えましたし。
でも彼らも彼らなりに一生懸命生きているのです。

夜のお仕事は夢を売る世界。私はその世界をほんのちょっと覗いただけですが、メチャクチャに生きている「ろくでなし」達にも確実に人生が存在する事を学びました。
同じくおバカでろくでなしの私には、彼らの世界が妙に身近に感じたのも偽らざる思いです。
こうした経験が、その後の私の創作活動に影響を与えている事はまぎれもない事実でしょう。


「彼」の彼女に対する思いは「恋」だったのか「愛」だったのか。
「ネヴュラ」にはふさわしくないお話かもしれませんね。
でもこんな一面が私を形作っている事も間違いないのです。
オタクである事は変わりありませんが(笑)。

2007年3月15日 (木)

『男の戦い』

・・・少し遅れてカウンターに腰掛けた「彼」。
「遅刻は黙っていて欲しいんだ。」
そうつぶやく彼の腕には、小さな包帯が巻かれていました。

昨日はホワイトデーでしたね。
私にはまったく縁のないイベントでしたが、皆さんはいかがてしたか?色々なドラマがあったのでは?
昨日何も無かった私にも、この時期になると思い出すある経験があります。今日はホワイトデーにちなんで、私と関わったある「男性」達のお話をしましょう。
決して暗いお話ではありませんが、少なからず私の生き様に影響を与えた経験です。

私が「女性として生活する男性」である事は皆さんご存知と思います。
毎日おバカなお話ばかりしている私も、日々そんな存在である事を意識しながら生活を続けている訳です。

最近は世間の認知度も高まり、さすがに後ろ指をさされる事もなく無事な毎日を送っていますが、まだ女性として駆け出しの頃(変な言い方ですが(笑)には、色々な試行錯誤がありました。
「女性として生きて行くって言ったって、どんな風に?」
今はフリーディレクターとしてなんとか業界の片隅で生きる私ですが、昔はそんなお仕事の合間の時間を使って、さらなる女性への追求の為、色々な職業を転々とした頃もありました。「女性にしか出来ないお仕事」を試してみたい時期だったんです。

以前にも少しお話した事がありましたね。

そんな中、数年前の丁度この時期、正確には一月から四月ごろまでの四ヶ月程度、いわゆる「ボーイッシュパブ」に勤めていた時期がありました。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、これは「ニューハーフパブ」の逆、つまり平たく言えば「おナベパブ」の事です。

当時、何でも見てやろう、試してやろうという体当たり精神に燃えていた私は、たまたま求人誌で見かけたこのお店の広告に惹かれ、面接に望んだのでした。
なぜ生物学上男性の私が、「おナベ」のお店を訪ねたのか。
これは私にも分かりません。やはり私のような存在がお仕事をするにはまず「水商売」という意識が働いたのでしょう。
私とは逆の立場を持つ「彼ら」なら、この気持ちを分かってもらえるというような思いがあったのかもしれません。
そこで皆さん、当然ある疑問が湧くのでは?
「何故ニューハーフのお店にしなかったの?」


何故でしょうね。きっと容姿に自信が無かったんでしょう。
あんなに綺麗な方々のお仲間にはとてもなれない、なんて。
といってお笑いに徹する事もできない。
中途半端なプライドが私を包んでいたのだと思います。


ともあれ、「そんなのが居てもいいんじゃない」なんてノリで面接を通ってしまった私。そのお店で私は「女性」として、生物学上女性でありながら男性として過ごす「彼ら」と職場を共にする事となったのです。
私以外のスタッフは全員「女性」。でも店内でドレスやワンピースが許されるのは、同僚のホステスと私だけ。
奇妙な職場です(笑)。
ママからは「女の子はそんな仕草じゃだめ。一歩引いて男性を立てなさい。」と激が飛びます。
そうです。私はこのお店では「女の子」なのです。


正確には、そのお店は女性のママをはじめ、業界用語で「ボーイッシュ」と呼ばれる「おナベ」さん二人、純粋の女性ホステス二人、バーテンの女性一人という少人数。お店としても方向性を模索していたのでしょう。
私を加えてお店の特異性で売り出そうとしたようです。
私の入店の後にもやはりボーイッシュさんが一人入店し、さらに私がお店に在籍している間にはいろいろな人々がドラマを作っていきました。

こういう特殊な職場に身を置く事など初めての私は探究心で一杯で、毎日起きる様々な出来事に目を白黒させていましたが、その中でもやはり初めて接した「ボーイッシュ」という方々の存在は、その後の私の価値観に大きな変化をもたらしました。

一言でボーイッシュといってもそこは人、千差万別のキャラクターがあります。私はそのお店で合計四人のボーイッシュさんと接しましたが一人として同じタイプは居ませんでした。
最初の「彼」のお話をしましょう。
私のすぐ後に入店した「彼」は、まだ23歳の「男性になりたて(笑)」。ジャニーズ系の美形でした。
仕草や表情などにもまだあどけなさが残っていましたが、必死で「男」になろうと努力していました。

お店の先輩に聞いたお話ですが、生物学上女性の彼らにとって男性になり切る上での一番のネックは「声」なんだそうです。(もう一つありますが、これはお察しいただけるでしょう)。逆の立場である私達も同じなんですが、幸い高い声が出せた私はさほど気にしていませんでした。しかしその若い彼はどうしても低い声を手に入れたくて、毎日海で潮風に吹かれ、大声を出して地声を潰していたそうです。

どんなに「男」になりきろうしていても、口を開けば嫌でも認識してしまう「現実」。彼はその重さに耐えきれず、入店後しばらくしてから無断欠勤が続き、やがて辞めてしまいました。
言葉では簡単に言える「性別を超える」という一言は、かように人の心を乱すものなのです。


「俺達のような奴には、あいつみたいに悩むのが多いんだ。」なんて真剣に語るのは、お店で一番の経験者。
二人目の「彼」です。
彼は昔、私の街で一二を争う人気ボーイッシュで(実際カッコイイんですよ。顔は三田村邦彦タイプかな。優しいし。)その当時は福祉関係のお仕事に進む為、立場を捨てて昼間専門学校に通っていました。


「お店を手伝って欲しい」というママの思いにほだされ、二週間に一日程度の出勤率でお店に顔を出す彼でしたが、その接客手腕は見事なものでした。
「これが本当のボーイッシュか」と思わせる癒し系の空気。
控えめで決して前面には出ないけれど、お客さんを優しく包み込む包容力。ボーイッシュという事もあって女性客に圧倒的な人気を誇った彼でしたが、その裏には恐るべきプロ根性があったのです。


男性に対し、女性がどうしても差を感じる部分に「体力」があります。彼も例外ではなく、いくら男を演じていてもその体力は女性のそれ。皆さんよくテレビなどで「ホストクラブの裏側」なんて番組をご覧になると思いますが、彼らが接客でお酒を飲みすぎ、フラフラになっている場面をご覧になった事ってありませんか?でも彼らは仕事上倒れる訳にはいかない。
お客さんの前では「男」なんです。
男性でさえああなる。女性である「彼」にしてみれば余計苦しい事なのです。そこで「彼」はどうしたか?


彼は接客中しばしば「ちょっとごめん」などと言って席を外します。さほど広くないお店は逃げ場などありません。トイレに立つのはお客さんに失礼。お店の奥には小さな扉があって、それを開けると狭いベランダがあります。
もうお分かりでしょう。
彼はそこで胃に溜まったお酒を「・・・・」のです。

彼の目配せを受けた私は、彼がベランダに立つ間にお客さんを繋いでおく訳ですが、お客さんに「彼、どこ言ったの?」なんて聞かれると、「星でも見に行ったのよ。彼、ロマンチストだから」なんてごまかしていました。
心中穏やかではありませんでしたが。
プロは、お客さんの前で辛い顔を出来ないものなのです。


ある日、お店に上がるエレベーターで一緒になった一人の男性。なぜか私と同じ階で下り、お店へ向かいます。「あれ?開店時間はまだなのに」と不思議に思っていましたが、驚くべき事に彼も「ボーイッシュ」でした。三人目の「彼」です。
その日、彼は面接に来たのでお店スタッフは全員初対面。
「なーに?みゆきちゃん同伴してきたのかと思った」と言われるくらい、その「彼」は完璧な男性でした。
なにしろ「髭」がある。体の線も男そのもの。おまけに最大のネックと思われた「声」さえも私よりはるかに低い。

ママに「あんた本当は男でしょ。悪戯で応募してくるんじゃないわよ」なんて言われても全く動じず、「試しに使ってみて下さいよ」なんて余裕を見せます。

後日大勢のお客さんの予約が入り、スタッフが足りないお店は「彼」を呼びました。
今でも私はその日の事を鮮明に思い出せます。
その接客は自然そのもので、若い女性客に取り入って手相を見る姿などまるで本物のカップルのよう。
後に席に呼ばれた私は「彼とお似合い」なんて言われて一人ニヤけていました。
「ええ。でも社内恋愛は禁止されてまして。」なんて切り返す彼の頭の切れにも舌を巻いたものです。

結局彼は、その日一日だけで姿を消しました。
入店を切望するママに彼はこう言ったそうです。「今、昼間肉体労働をしている。夜も働けると思ったがやはり体力的に限界があるようだ。申し訳ないが今回は縁が無かったと諦めます。ただ、また何かありましたら呼んで下さい。できるだけお手伝いしますから。」
引き際さえカッコイイ。「男」を感じさせる人でした。


でも、今でもこの「彼」については謎が多い。
本当に女性だったのかどうか?
だって、街ですれ違っても絶対女性とは思いませんよ。
「顎鬚を蓄えた沖雅也」という表現がピッタリ。後で同僚の女の子に「あんた彼とは本当になんにもないの?」と詰め寄られ、至福の一時を味わった位ですから(笑)。
ただ彼が差し出した履歴書の性別欄には、男女のどちらにも丸がついていませんでした。それが、彼が超えられない壁を表していたのかもしれませんね。

小さなお店でも、こんな風に様々な人間模様があるものです。
今日のサブタイトルの意味がお分かり頂けたでしょうか。「彼ら」はハンディを乗り越え、毎日を戦いながら過ごしている訳です。

さて、好き勝手お話しているうちにちょっと長くなってしまいました。
実は冒頭にお話したネタふりの本題がまだでしたね。
それは四人目の「彼」のお話なのですが、これも長くなるので次回にお話する事としましょう。

こんなお話にお付き合い頂いてありがとうございます。
では次回の「ネヴュラ」につづく!

2007年3月13日 (火)

今日もユルユル

Photo_585 また、性懲りもなく買ってしまいました。
今日は珍しく「トイザらス」。
さて、これ、なんだと思いますか?
すぐ下に出てますが(笑)。



Photo_586 こちら。「グッドスマイルカンパニー」なるメーカーの「ゆるソフビ・エイリアンウォリアー」でした。
パッケージにも書かれていますからユルいのは間違いない(笑)。
エイリアンの関連アイテムはそれこそ星の数ほどありますが、不勉強かこの手のソフビはあまり見かけないので、これはいいものと思い手に取ってみたのです。

Photo_587 びっくりしたのはその価格。パッケージをご覧の通り、これは「エイリアンVSプレデター」時の物なので発売から結構年月を経ています。投売りギリギリという微妙な時期ながら、エイリアンというネームバリューがザらスを強気にさせているか・・・
結果は・・・定価の約五分の一という(笑)。ヤフオクだったら送料と振込手数料を足した程度のお値段で。残りはこれ一個。
もちろん即買いでした(笑)。
こういう事が起こるからショップ回りはやめられない。


Photo_588 組立式でしたがそこはソフビ。あっと言う間の完成です。身長約22センチ。まさにマルサン・ブルマァクサイズでした。
いやーいいですねー。これは新鮮。エイリアンのソフビは一個も持っていなかったので可愛くってしょうがない。
「エイリちゃん」ですね。これは。
こうなってくると一体なんの目的で買っているのかわからない(笑)。あの恐怖の宇宙生命体でこんな風に遊んでいいものかと。

リドリー・スコット、ジェームズ・キャメロン両氏は(他の監督を出さないのは察して下さい)このソフビの存在をご存知なのかと思っちゃったり(笑)。

ここ数日、ヤフオクなどで好みのアイテムを買い漁っている私ですが、やっぱりショップ回りもそれなりに楽しいですね。「手にとって触れる」という喜びは何物にも代えがたいものがあります。しかも「エイリアン」という作品はそれなりに好きなので、今回の買い物はまさに拾い物。「現場百回」の教えはやはり正しかった次第です。

Photo_589 いい年をして私が集めるソフビはこんなユルユルばかり。以前もお話した事がありました。なんとなく「ユルい物好き」な私のアンテナは、こういう物に実にビビッドに反応してしまう。
何故でしょうね?こればかりは説明できません。
映像作品などは結構シリアスな物を求めるのに、このユル好きはやめられないと言う(笑)。
まあ並べておいた時の「和み度」が違うんでしょうね。
リアルなガレージキットは今でも好きなんですが、最近はそんなアイテムをショップで見かけても隣にユルーい子が居るとそっちに目が行ってしまうんですね。
部屋に居る仲間が呼ぶんでしょうか(笑)。


2年ほど前、あるショップでマルサン・ブルマァクの復刻怪獣ソフビを投売りしていた事がありました。ファン垂涎のアイテムが定価の半額や三分の一、といった価格で店頭をにぎわし、私なども先を争って欲しい一体を探したものでした。
その投売り騒動も治まったある日、お店を覗いてみると、その時はたまたまお客さんがいない。ちょっと情報収集でもと、私は暇そうにしている店長さんに尋ねました。
「先日、大安売りしてましたよね。あれはたまった在庫の一掃処分だったんですか?」


「いや。」店長さんは答えました。
「あの怪獣ソフビのブームは、もう終わったんだよ。」


Photo_590 一時期加熱した怪獣ソフビの新作ラッシュはここへ来て一段落。これからは昔通り、価値もそれ程上がらない普通のおもちゃに成り果てる、と言うのです。
「えーっ。そうなんですか?」
正直私はビックリしました。別に投機目的でソフビを集めている訳ではないので、その事情には喜ぶべき所もあったのですが、店長さんがソフビブームに見切りを付けたという事がちょっと意外だったのです。


Photo_592 店長さんは続けました。「それは中央の動向を見ていれば分かることでね。」
私が住む地方都市には、ああいう一過性のブームは東京など中央の動きが少し遅れてやってきます。中央の動きを常に捉え次の一手を打つ事こそ、「モノをうまく転がす」秘訣なのだそうです。
なる程。そうでしょうね。という事は、消費者の方でも東京から地方へ影響が出るタイムラグを捉えていれば、賢い買い物ができると言う事になります。

事実別のオタクショップでも、わざわざ東京からこちらへソフビ大量購入の目的でやって来たコレクターさんを見た事がありますし。
中央と地方の価格差を考えれば、交通費などは問題にならないんでしょうね。いやー勉強になります。


これは2年前のお話です。現在はネットオークションも一般化し(私が出来るくらいですから)全国的に商品相場も一定していますから、よほどそれを知らないショップ以外ではおいしい目にはありつけないと思いますが、今日の「ザらス」のようなサプライズがあると・・・
以前にもDVD特典・ミドリのアストロボートが驚きの315円、という奇跡がありましたし。まだまだ「穴」はあるんですね。

さて。現実的なお話はこれくらいにして。今日「エイリちゃん」に感じた思いをちょっとお話しましょう。
まあいつものおバカ話ですが。

もともとソフビの人形と言うのは、子供が遊ぶ為に考え出されたもの。「ウルトラQ」放送時、1966年頃に生まれたと言われています。以前お話したのでよろしければそちらをご覧下さい。

「マルサンゴジラのふるさと」
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/07/post_0bd2.html

Photo_591 これらのソフビ怪獣はもともと子供が楽しむ事を目的に開発されたので、最初からリアルな造形を目指していなかったようなのです。
当時「Q」の怪獣を発売したマルサン商店の担当者も、「どういう造形にしていいものか試行錯誤だった」と語っています。

結果的にその造形は非常にデフォルメーションの効いたものになり、現在の目から見ればそれが味わいとなってえもいわれぬ魅力を発散していますよね。
郷愁というスパイスがまぶされたデフォルメ怪獣達は今も、当時子供だった私達を和ませてくれる「お友達」となっているわけですが、これがハードディテールのガレージキットとどう違うのかと考えると、うーん・・・答えは出ない。
皆さんそれぞれ好き嫌いはおありでしょうが。


結局、怪獣造形に対するアプローチの仕方が違うだけで、目指すものは同じような気がします。実際私だってリアルタイプの造形物に惹かれる事もありますし。

昔読んだある本に、「2001年宇宙の旅」(1968年アメリカ スタンリー・キューブリック監督)と「スター・ウォーズ」(1977年アメリカ ジョージ・ルーカス監督)の作風を比較した評論がありました。
私はその比較を非常に分かりやすく感じ、いつかこんな素敵な解析をしたいものだなーと思ったものです。


かいつまんで内容をお話しましょう。記憶を辿っているので少々の違いはご容赦下さい。
『2001年宇宙の旅」という作品は、車に例えればカー・テクノロジーの進歩に応じ、その持てる性能を駆使してスピードをどんどん上げていった結果のような作品。
それに対し「スター・ウォーズ」は、その車の高性能を使って「曲芸」をやっているような作品。』


特撮のテクノロジーは同じでも、使い方が違うと言うんですね。
「どうだ。こんなに速いんだ」と豪語する「2001年」と比べ、「スター・ウォーズ」は「これほど性能があればこんな事が出来るんですよ」と笑っているという。
なるほどなーと思いまして。

あの「スター・ウォーズ」のどこか優しい作風は、物凄い特撮技術を持ちながらスピードを出し切る手前で観客に振り向き、ニコニコ笑っている。そんな制作者の眼差しから来るものなのか。
そんな意見が綴ってありました。


Photo_594 怪獣モデルの造形もこれと同じじゃないか、なんて思うんですよね。
リアルタイプな造形は、原型である映像作品のディテールを極限まで追及していく方向性。生物感の表現や作家性の主張などがあるにせよ、それはやはり「2001年型」であると。
対するゆるソフビは造形の「曲芸」。あれはあれでオリジナル怪獣の持つデザインをうまく活かしながら「造形で遊んでいる」訳です。その精神は「スター・ウォーズ型」であろうと。
双方に違う良さがあり、独自の魅力を持つのは当たり前なんでしょうね。


Photo_593 「エイリちゃん」(もう呼び名が定着していますが)を眺め、海外作品に思いを馳せている内に、ちょっとそんな事を考えてしまいました。
まーおもちゃですから、そんな難しい事を考えずに単純に楽しめはいいんですけどね。

エイリちゃんも笑っているような気がします。
「あんたも曲芸のように人生を送ってるんでしょ。スター・ウォーズ型。私のようなユル~いのがお似合いだよ。」


なるほどねー。「類は友を呼ぶ」という訳で(爆笑)。

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2007年3月12日 (月)

幻の「G作品」

Photo_578 この台本をご存知でしょうか?
『ウルトラマン ジャイアント作戦』と名付けられたこの一篇。

ウルトラマンの名を冠している事からも、この台本があの「ウルトラマン」の一エピソードとして企画された事がわかります。ただこの台本、テレビシリーズとは別の作品、つまり「劇場用作品」として企画されたもの。
この存在は濃いウルトラファンならよくご存知の事でしょう。

この台本は1966年、初代ウルトラマン放送当時に書かれたものの復刻版。
数年前、講談社から発売されたパートワーク雑誌「オフィシャル・マガジン・ファイル ウルトラマン」の別売りバインダーに特典として付いていたものです。

一年ほど前、このバインダーをオタクショップで見かけた私は、定価の半額以下という価格とこの特典に目がくらみ(笑)、件の雑誌を一冊も持っていないのにバインダーだけ買ってしまったのでした。
相変わらず効率の悪い私(涙)。
その後この台本の事はすっかり忘れていたのですが、おととい放送の「ウルトラマンメビウス」に初代マンが登場した事もあったのでしょう。(「メビウス」についてはノーコメント(笑)。
頭の隅に残っていたウルトラマンのルーツにちょっと興味が湧き、この台本を初めて紐解いたという訳です。

表紙に「検討用」「仮題」とあるようにこの台本は叩き台として作られたようで、実際に作品化されていない事は皆さんもご存知でしょう。(「見た!」という方がいらっしゃったら是非ご連絡を(笑)。本編前には「あの」白石雅彦氏による詳細な解説があったので、この台本が作られた経緯はおおよそ理解できました。
お話の都合上、この解説についてはちょっと後回しにして、まず「ジャイアント作戦」の内容についてお話しましょう。

このお話は劇場用作品にふさわしく、テレビシリーズ「ウルトラマン」の世界観をそのままに、非常にスケールアップした規模で描かれています。
既にスクラップとなった旧式ロボットからの宣戦布告。スクラップロボット「ナポレオン」は人類に対し降伏を迫ります。その尖兵として北モンゴルに潜伏していた地底怪獣・モルゴを覚醒させると宣言。
対する科特隊のメンバーは二手に別れ、モルゴ掃討の為北アルプスに向かうと同時に居場所不明の「ナポレオン」捜索に奔走します。


O大の渡辺博士によって開発されたナポレオン。
オートメーション工場の運転を任されるほどの高性能を誇りながら、後継機の登場により徐々に活躍の場を失い、スクラップにされた悲劇のロボットです。
捜索を続けるハヤタ、アラシの前に現れたナポレオンは恐るべき事実を語ります。

「怪獣モルゴと私を含めて、人類の滅亡をねがう五種類のものの攻撃が、準備されています。」
人類を滅ぼした後その五種類の勢力が戦い、勝ち残った者が地球を支配する・・・・
まさにウルトラ世界のアルマゲドン。最終戦争に付けられた名称が「ジャイアント作戦」なのです。


強大な破壊力を持ちながらもハヤタの機転とアラシの活躍により作動不能に陥るナポレオン。ナポレオンは倒れる直前、謎の言葉を残します。「私を破壊しても、ジャイアント作戦に参加する為に、宇宙の彼方から、君達の敵バル・・・・・・」
時を同じく、ムラマツキャップらのメンバーもモンゴルでモルゴを仕留めていました。


基地に帰ったメンバー。しかし新たな脅威は目の前に迫っていました。
西洋の孤島「オカリナ島」。以前この島に現れ、科特隊が始末した鋼鉄巨人「G」が姿を消したと言う情報が入っていたのです。中世の西洋の甲冑をつけた兵士のような大巨人「G」。身長50メートルはあろうかという巨体は今どこに?
第三の敵の登場か?


ドラマはさらに、Gを開発した狂人ゾウ博士の娘ユカリの登場、さらに科特隊・そしてウルトラマン最大のライバル「バル・・・・・・」の襲来と二転三転、意外な結末を迎えます。

どうです?凄いストーリーですよね。
このお話はテレビシリーズ「ウルトラマン」のエッセンスを凝縮しただけでなく、随所に劇場版ならではの新設定が登場し、超大作感を感じさせます。

ムラマツキャップの上司サイゴー以下、科特隊メンバーも増員され、ナポレオンを作動停止させた光線銃「マルサイト・セブン」、鋼鉄巨人G掃討の為出動する水陸両用戦車「タイタン」等、劇場版ならではの新兵器が次々と登場するのです。

Photo_579 これは解説文に書かれていた事ですが、「ウルトラマン」の劇場用作品第一作は1967年7月、「キングコングの逆襲」と同時上映された「長篇怪獣映画ウルトラマン」という作品。これは後年私もビデオで見ましたが、いわゆる「テレビシリーズの再編集版」なので純然たるオリジナル作品ではありません。その後も「ウルトラマン」単体としてのオリジナルムービーは制作されていませんから、この「ジャイアント作戦」が実現していたら、初代ウルトラマン最初にして最大の娯楽巨編になっていたかもしれないのです。

「ジャイアント作戦」制作中止の経緯は今となっては想像の域を出ませんが、解説文にもある通りやはり制作費の問題、また当時の映画界とテレビ界の格差などの事情が絡んでいたと思われます。
今と違い、いかにテレビ番組が人気を博していようとも、銀幕世界の現場はまだまだテレビを差別していたのでしょうね。
ともあれ、この「ジャイアント作戦」企画は頓挫、日の目を見る事はなくなりました。しかしそのストーリー、設定などが散り散りになって「ウルトラマン」テレビシリーズ本篇に活かされていった事は間違いないでしょう。

私がこの台本を読んだ時、瞬時に浮かんだ私見は二つありました。その一つは「バルタン星人の登場」について。
直後に解説文を読み、そのイメージもむべなるかな、と思ったのですが、その理由はやはりこの作品を執筆した飯島敏宏監督にあるでしょう。
「ウルトラマン」に於ける飯島監督脚本、(脚本は千束北男名義)演出作品の中でも有名な第2話「侵略者を撃て」、同16話「科特隊宇宙へ」。
この二作品に共通する敵役「バルタン星人」は、今もウルトラマン最大のライバルとして抜群の知名度を誇っていますが、この「ジャイアント作戦」にもバルタン星人の登場が予定されていたのです。


解説文によると「ジャイアント作戦」準備稿の脱稿は1966年9月27日。この時点で既に「ウルトラマン」は第11話「宇宙から来た暴れん坊」(9月25日)までが放送を終えていました。
飯島監督が「ジャイアント作戦」にバルタン星人の登場を考えたのは、やはりこの時期のバルタン人気(笑)を物語る大きな証拠となるのではないかと。

しかしながら「ジャイアント作戦」の企画が頓挫した段階でも、飯島氏の中ではバルタン再襲来のアイデアは捨てがたかったものと推察できます。
何しろ生みの親ですし(笑)。
飯島氏は「ジャイアント作戦」中のバルタン登場部分を、テレビシリーズ「ウルトラマン」本篇に活かしたのです。


その結果が第16話「科特隊宇宙へ」(10月30日放送)である事はおそらく間違いないでしょう。同エピソードをご覧の方はご存知の「バルタンの集団移動、巨大化・縮小化」「ウルトラマンのテレポーテーション」などが、既に「ジャイアント作戦」に登場しているのです。
Photo_580 また面白い事に、このエピソードでウルトラマンの決め技として新登場した「八つ裂き光輪」ですが、「ジャイアント作戦」でも「秘密兵器ウルトラソード」なるものがウルトラマンの手から放たれているのです。
「磨きぬかれた無数のダイアモンドのように美しく光る金属片」と表現されるこの新技が現場の条件とすり合わされ、「八つ裂き光輪」に変化した、と考えるのも自然と思うのですが。


従来の疑問にも一つの回答らしきものが。
Photo_581 実は私「科特隊宇宙へ」には、「なんでバルタン星人って二代目であんなにフォルムが変わっちゃったの?」という疑問があったのです。
確かに初代バルタンは前作「ウルトラQ」に登場したセミ人間の着ぐるみを改造したもの。成田亨氏のオリジナルデザインは二代目の方が正しいんですが、初代の着ぐるみもいい出来だと思ったんですよ。
今でも「バルタン」と言えば初代のフォルムが浮かびますし。
それが何故新造されたのか?


2_11 ひょっとするとこの「ジャイアント作戦」実現化を見越して、円谷プロ側でもアクションを起こしていたのかもしれませんね。「劇場版だから着ぐるみも新造して呼び物に」的な考えで。
これも推測の域を出ませんが、一つの可能性ではあります。
なにしろ「ウルトラマン」全篇を見渡しても、初代と二代目であれだけフォルムが変わった怪獣って居ないですもんね。


そしてもう一つの私見。
「鋼鉄巨人G」についてです。

Photo_582 ちょっとこのイラストをご覧下さい。この巨人の雰囲気、「ジャイアント作戦」劇中「中世の西洋の甲冑をつけた兵士のような」というイメージに似ていませんか?
このイラスト、実は当時朝日ソノラマから発売されたソノシート「怪獣大画報」中のドラマ「青銅大魔人の怒り」に登場する「大魔人」なんです。このドラマは第一次怪獣ブーム最中の1966年、「完全オリジナルストーリー」として発売された物。かの天才編集者、大伴昌司氏の原案によるもので、650年前に沈んだ蒙古軍の戦艦から蘇ったこの大魔人が日本を征服する為に上陸する、といった内容でした。
このストーリー。このフォルム。「ジャイアント作戦」の香りがしませんか?

Photo_583 このソノシートについても昔から疑問があって、「なんでこの時期にオリジナルストーリー?しかも怪獣ならともかく、主人公が「青銅の魔人」って?」と不思議に思っていたのです。
ドラマの原作者大伴昌司は、当時「ウルトラマン」を通じて円谷プロと深い親交があった筈。ひょっとしてブレーンストーミングの段階で、このアイデアが大伴氏から出たのかもしれませんね。それをシナリオに取り入れたのが飯島監督。一方大伴氏も独自に動き・・・
そんな裏事情もあったのかもしれません。

このソノシートが発売されたのは1966年9月。「ジャイアント作戦」執筆時期とまったく重なっています。
ここにどういういきさつがあったのかは今となっては分かりませんが、「ジャイアント作戦」という台本の存在が一つのミッシング・リングとなって、ウルトラの歴史の暗部に光を当てる作用を持つ事は非常に面白いですね。
ゴジラ作品で言う「ジャイガンティス」のようなものでしょうか。


Photo_584 さて。ここにもう一つ懐かしいソノシートが。
この「怪獣大図鑑」は当時、朝日ソノラマが刊行した日本発の怪獣図鑑だそうです。(写真は最近発売された復刻版)この刊行時期っていつだと思いますか?

なんと前述の「怪獣大画報」の翌月、1966年10月なんです。

これを念頭に、もう一度表紙を見て下さい。
表紙を飾るのは「ウルトラマンとバルタン星人」。
これも「ジャイアント作戦」の関連?
この表紙に深い意味を感じてしまうのは私だけでしょうか(笑)。

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2007年3月10日 (土)

三本首のロマン

Photo_570 「見ろ!何か形になっていくぞ!」
歯切れのいい小泉博のセリフに乗って、吹き上がる炎から実体化していく金色の巨躯。

「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964年東宝 本多猪四郎監督)で鮮烈なデビューを飾った宇宙怪獣、
キングギドラ初登場のシーンです。


この一連のシークエンスは、あの「同ポジ」の残念さを割り引いても充分に印象的な名場面で、初見で「これは地球製の怪獣ではない」という事を観客に意識させる、見事な演出だと思います。
後年、このキングギドラに匹敵するインパクトを持った新怪獣登場シーンは、「ゴジラ対メカゴジラ」(1974年 福田純監督)のメカゴジラまで待たねばならなかった程です。

Photo_571 宇宙怪獣キングギドラ。超科学文明を誇った金星を滅ぼし、隕石に乗って宇宙を移動、圧倒的な破壊力を秘めた反重力光線で都市を一瞬にして破壊する「空飛ぶ災厄」。
あの巨大な体躯と、地球の生物には無い「金」という体色は、独特の咆哮音と相まって私達に怪獣映画の新時代を感じさせてくれました。

「三大怪獣」が公開された64年に東宝が公開した特撮映画は実に3本。予算、制作期間共に通常の作品よりはるかにリスクが高い怪獣映画を一年に3本も公開した事実を省みるにつけ、当時の日本映画の活況、東宝の体力、円谷英二の特撮技術の充実ぶりが偲ばれます。

Photo_572 さて。この「三大怪獣」ですが、この作品が公開されたのは年も押し迫った12月20日。
この前作、8月11日に公開されたのが、以前「ネヴュラ」でもお話した「宇宙大怪獣ドゴラ」(本多猪四郎監督)でした。「ドゴラ」は東宝特撮に「宇宙怪獣」という新しい視点を加えた野心作でしたが、試行錯誤の跡が見られながらもドゴラの造形、演出に若干未成熟の部分があり、それが興行成績に響いてしまったようです。

「三大怪獣」の制作はこの直後ですが、東宝首脳部がこの「ドゴラ」興行不振の反省を次作「三大怪獣」に反映させようと画策したと考えると、「キングギドラ」というキャラクターに込められた新しい解釈が生まれるような気もするのです。

「三大怪獣」の前に制作されたゴジラ映画は、同年64年の4月29日公開のご存知「モスラ対ゴジラ」(本多猪四郎監督)。東宝が誇る二大怪獣スター、ゴジラとモスラが正面切って激突する超娯楽大作でした。ストーリーの面白さ、連続する見せ場、特撮の充実ぶり。さらに独特の存在感を持つこの作品のゴジラは「モスゴジ」と呼ばれ、前作「キングコング対ゴジラ」の「キンゴジ」と人気を二分している事はファンの皆さんには周知の事実でしょう。

当時これほど人気の高かったゴジラ映画でしたが、東宝がこの「モスゴジ」の次作として「ドゴラ」を選んだ理由はどこにあったのでしょうか?
やはりそれは特撮映画の可能性を求める東宝、そして円谷監督の探究心に追うところが大きかったと思います。

しかし残念ながらその試みが結果に繋がらなかった事によって、東宝内部でも「やはり売れる怪獣はゴジラがらみ」という空気が漂った事は想像にかたくありません。それが「三大怪獣」の企画に繋がったとすれば、前述のギドラ誕生の理由はほぼ明確になってきます。

Photo_573 東宝首脳部、田中友幸プロデューサー、さらに本多、円谷監督らクリエイターは一度ドゴラの設定を捨て、ゴジラ達地球怪獣のみで新ストーリーを再構築しようとしたのではないでしょうか。しかしここに大きな壁が。
当時公開されていた怪獣映画の登場怪獣で、ゴジラの敵役として適当な相手はほぼ残っていなかったのです。
「ゴジラの逆襲」で戦ったアンギラス、「モスゴジ」で戦ってしまったモスラを除けば、64年当時存在した怪獣はラドン、バランのみ。
「獣人雪男」の雪男や「妖星ゴラス」に登場したマグマ、「地球防衛軍」のモゲラなどは敵怪獣としてはちょっと異質な部類に入りますし、何より相手役が務まりません。前述のバランにしても体長が10メートル程度でゴジラとは釣り合わない。

さて、どうするか。残った「ゴジラ対ラドン」というマッチメイクが集客に繋がるのか?
おそらくこれが、当時の首脳部の悩みの種だったと思います。
いつの世もマッチメイクという物は頭が痛いものなんですね(笑)。

さて。「ドゴラ」公開後、そんな経緯の中で彼らは「ドゴラ」の「宇宙怪獣」という設定に再び注目し、新怪獣の発案に力を注いだのではと思うのです。
無限に広がる宇宙空間。暗黒の銀河から襲い来る新たな脅威。それが形になったのが「キングギドラ」だったのでしょうね。


Photo_574 「キングギドラ」の形態で一際目を引くのは、とりも直さずあの「三本首」でしょう。しかし何故「三本首」なのか?この理由には諸説ありますが、私は前述の経緯から推し量ってみたいと思います。
まあいろんな推論が発表されていますし、どれかにカブるとは思いますが(笑)。

まずこれは、やはりストーリー上の要求「宇宙から来た新怪獣」という設定から発案されたものと思います。
宇宙怪獣が地球を滅ぼしに来たのなら、当然ゴジラ他全地球怪獣との対決、という図式になると。それは物語のスケールアップを狙った制作陣の目論見にも合致する事で。
そしてここがミソ、ゴジラとタッグを組ませる地球怪獣のメンバー選定が難しいところですよね。


当時の制作陣の立場で考えてみましょう。
この宇宙怪獣はゴジラより強く、華が無ければ話題性に結びつかない。となれば対抗する地球怪獣はなるべく多い方が敵怪獣の強さをアピールできる。
しかし今「手持ち」のカードはゴジラ以下・・・
こう考えていくと、「三大怪獣」の地球怪獣チーム、ゴジラ・モスラ・ラドンというメンバー選定は実に理にかなった選択に思えて来るのです。

ゴジラ・モスラ・ラドン。この三頭の怪獣に対抗する為のデザイン。敵が三頭なら・・・
そうです。キングギドラの「三本首」というデザインは、地球怪獣のメンバー数に合わせたものじゃないか、と推察するのです。
おそらくこの程度の思いつきは怪獣ファンの皆さんなら先刻ご承知、「何をいまさら」と思われるでしょうね。

でも、ギドラのデザインが「ドゴラからの繋がり」と「ゴジラ以下三頭」という「ストーリーの要求から逆算された」という事が、私には驚きなんですよね。

Photo_576 ある意味それだけの「限られた条件」の中からあれだけのデザイン、設定を生み出せたクリエイターの創造力には驚きを隠せません。
それは「正義の宇宙人」という条件から「ウルトラマン」という驚異のデザインを発案した芸術家、成田亨の先見性に通じるところがあります。

実際「宇宙怪獣」で「地球の怪獣達を相手にする」という条件で、ギドラ以上のデザインを考えられるでしょうか?
ゴジラ同様、あれ以上でも以下でも成立しないギリギリの意匠があのデザインにはあるのです。
諸説の一つ「日本に伝わる八又の大蛇伝説」が根底にあったものとしても、あのデザインは突出している。
メカゴジラのデザインは時代ごとに変化していても、キングギドラの基本デザインはほぼ変わらない所がそんな事実を裏付けているのです。

あれだけの存在感を持ちながら単独出演の作品が制作されないキングギドラ。これも「何故?」と昔からファンの間で話題になっていました。
事実私も友人と一緒に「宇宙超怪獣キングギドラ」なるタイトルでオリジナルストーリーを妄想、大迫力のシーンを夢想して一人悦に入ったものです。
でも、もしギドラ誕生の経緯が今日のお話に近かったら、単独作品が制作されなかった理由も推測できますよね。「ゴジラ以下三頭が居なかったら、ギドラは生まれようがなかった」訳ですから。でもそんな台所事情さえ思わせない魅力があの三本首にある事も、皆さん頷かれるのではないでしょうか。

個人的にはゴシラ映画の新作が休止している今こそがギドラ単独出演のチャンス、なんて勝手に思っているのですが(笑)。

さて。ここからはお遊びの妄想です。
この「ギドラの法則」をもしガメラ映画に当てはめたらどういう事になるのでしょうか?

この妄想には理由があります。
1971年。「ガメラ対深海怪獣ジグラ」公開後、大映は次回作として「ガラシャープ」という怪獣を設定していました。これはコブラをイメージした大蛇の怪獣。
以前「ネヴュラ」でもお話しましたよね。


「ガメラ4 蛇獣復活」
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/10/post_b91c.html

Photo_577 ところがこの「ガラシャープ」、当時の大映から発表された新作予告タイトルは、「ガメラ対双頭怪獣W」という物だったのです。実際のガラシャープのデザインは双頭ではないのでこの予告タイトルには少し謎が残りますよね。

Photo_575 まあ映画界にある「いつもの事情」である事はよくわかるのですが、この「双頭怪獣W」がもし「ギドラの法則」に従っていたとしたら、あるいは対するガメラ側は怪獣同士のタッグチームだったのでは、なんて突飛な発想が生まれて来るんですよ(笑)。
ガメラ映画初のタッグマッチ。ガメラの相棒として「双頭怪獣W」に挑むのは・・・
そのネームバリュー、実力から言っても「ギャオス」でしょう!


「ガメラ、ギャオス組」対、大映怪獣史上おそらく最大の脅威となろう「双頭怪獣W」。
ガラシャープ戦以上に興奮する闘いが期待できそうです(笑)。
 

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2007年3月 9日 (金)

あんかけの主水は何を想う

「あれーっ?」
今朝9時11分。たまたま点けたテレビをチャンネル換えしている内に、一瞬映った「必殺仕置人」第一話「いのちを売ってさらし首」のクライマックス。

こういうのってたとえ半秒でも分かりますねー。そりや穴の空くほど見た必殺シリーズですから、セリフの順番からカット割まで反射的に思い出せる。
当然チャンネルはそのまま。「こんな時間になぜ仕置人?」と期待していたら、ほどなくスタジオには見慣れた長いお顔が。

この番組はNHK総合の朝ワイド「生活ホットモーニング」。
今日は「この人にトキメキっ!」というトーク企画で藤田まことさんが採り上げられていたのでした。

スタジオには藤田さんがゲストとして呼ばれ、過去の経歴から近況までを語るという内容。
この番組は朝8時30分からの放送でした。私がテレビを点けたのは9時11分でしたからトークはもっと前から始まっていたのでしょう。お話は丁度藤田さんの経歴が「仕置人」に差し掛かったところで。運が良かった(笑)。

Photo_563 「必殺シリーズ」の顔、藤田まこと。
シリーズ中最多出演を誇り、名実共にシリーズのイメージを決定付けたキャラクター「中村主水」を演じた俳優さんです。

シリーズを通じてほとんどの作品に出演している事からも、この主水の人気の高さが窺えますね。「必殺」と言えば「ムコ殿」というのが一般の方々の認識ですもんね。
同心という立場でありながら、裏では非合法に悪人を始末する「殺し屋」の顔を持つ彼の設定は、シリーズ開始直後も、そして今も世のサラリーマンの心を捉えて離さないようです。現在でもどこかの局で必ず過去のシリーズが再放送されている事からも、シリーズの根強い人気が証明されています。

今日の番組では藤田さんの芸歴に触れ、「必殺」以前と以後で藤田さんご本人の意識がどう変わったかを掘り下げていました。
司会者からの質問に藤田さんは「やはり『芸人・藤田』から『俳優・藤田』になったきっかけは「必殺」と語っていました。
「ネヴュラ」読者の皆さんならば、藤田さんが必殺以前に出演し、大人気となった国民的番組「てなもんや三度笠」を憶えていらっしゃると思います。

「てなもんや三度笠」。1962年5月6日から6年間にも渡って放送された公開お笑い番組でした。現在で言う「吉本新喜劇」タイプの方式で、時代劇スタイルの珍道中もの。
関西でも指折りの構成作家、香川登志緒の脚本を、「出演者に一秒の何分の一のタイミングを要求するディレクター」澤田隆治が演出した、驚異的な完成度を誇る伝説の作品でした。
全309回にも渡る大長編コメディーは関西地区で60%を超える視聴率を稼ぎ出し、今だに「関東のシャボン玉ホリデー、関西のてなもんや」と言われる程の知名度を誇っています。

この「てなもんや」で、当時売り出し中だった藤田まことは主人公、「あんかけの時次郎」を演じました。もともと長い顔と流麗なトークが売り物だった彼は、ビジュアル的にもセリフ回しも舞台向きだった訳です。
利発な坊主白木みのるを従え、明るい渡世人として口八丁手八丁で諸国を旅する時次郎のキャラクターはお茶の間に受け入れられ、彼はまさに「時の人」となりました。


番組は「三度笠」以降も「一本槍」「二刀流」と続きましたが当初の勢いは続かず、やがてシリーズは終了。藤田さんはこの「てなもんや」の看板を背負ったまま、後の仕事が決まるまで辛い生活が続いたようです。

1972年。「必殺」は当初、緒方拳主演の「仕掛人」がスタート。その高視聴率に気を良くした制作局、大阪朝日放送のプロデューサー山内久司氏は、直ちに続篇の制作を決定します。
「徹底的にテレビ化した」という山内氏の「必殺」は、図らずも時代劇の衣を被ったビカレスク・ロマンとして視聴者の共感を得、続篇「必殺仕置人」(1973年)をさらなる「テレビ化」へ誘う事となります。

Photo_564 今日の番組で藤田氏が語った、興味深いお話がありました。
「仕置人」開始当時、藤田氏は中村主水のキャラクター作りに苦心していたそうです。

「昼間は奉行所の昼行灯、夜は凄腕の殺し屋」なんて設定はそれまでの時代劇には無かったものですし、前作「仕掛人」にも類するキャラクターは出演しません。
参考になるものが何も無い上、過去に自分が演じたキャラクターは軽めの渡世人「時次郎」タイプのみ。

実際どう演じていいか分からす、「仕置人」撮影開始当初、京都撮影所での彼は「殺し屋」としての顔を意識しすぎて、いつも仏頂面を崩さなかったそうなのです。
写真は「仕置人」当時の藤田氏です。昼間も殺気を漲らせた、迫力ある「殺し屋」中村主水。

ある撮影日の朝、彼は当時の監督、三隅研次さんからこう言われたそうです。
「あんた下手やなあ。」
藤田氏の演技はまるでなってない。三隅監督にはそう映ったようで、その日の午前中は撮影中止。キャスト、スタッフを別室で待たせて二人だけの話し合いとなったそうです。

その時の三隅監督のお話はこんな内容。
「てなもんやでの明るい演技と、殺し屋としての殺気だった演技。あんたにはその二面性を求めてるんだから。」

Photo_568 山内プロデューサーはじめ、監督以下「必殺」スタッフは、藤田氏の「てなもんや」での経験を買っていたのです。昼間は「時次郎」のような明るさを見せ、夜は切れ味鋭い「殺し屋」になる。その二面性を演じられるのは藤田氏を措いて他には居ないと。
撮影を中断した午前中、三隅監督の思い、演技指導を受けた藤田氏。後年思い返しても「それが中村主水の出発点」との思いが強かったと語っていました。

後にファンの間で語られる「仕置人当時の藤田氏の知名度は「てなもんや」どまり。何故彼が起用されたのか」という疑問の裏には、新しい時代劇を模索するスタッフの努力、先見性があったのですね。
事実、藤田氏演じる中村主水ほどの二面性を持ったキャラクターはシリーズを通して見当たりませんし、彼の昼間の明るさが「殺し」という陰惨なドラマをお茶の間向け番組として成立させている事は間違いないでしょう。

Photo_565 これはプロデュースサイドの考え方です。
ファンは番組終了後、全話を見渡して研究する訳ですが、当然の事ながらキャスティングの段階では作品は一話も出来ていない。
制作側としては制作前の段階で、演出や役者の演技を予想して(ある意味期待して)キャスト・スタッフ集めを行う訳ですね。
ましてや画面に顔を晒す役者などはシリーズが始まったら「演技が下手だから」と言って変更する事など出来ない訳で。

ですから後々「成功した」と言われる番組の裏には、その番組のテイストを計算してスタッフ・キャストを集めた制作陣、そしてその願いに応えた演出・出演者の総合力があるのです。

その日以来「中村主水」を探す道を歩んだ藤田氏。彼が「主水」を掴んだと感じたのはシリーズ開始後3年が経過した頃と言います。3年と言えば「必殺仕業人」(1976年)の頃ですね。
セピア色の色彩設計、牢屋見回りに格下げされた極貧の主水、番組全体に流れる寂寥感が印象的な、シリーズ中最も「寂しい」主水が描かれた作品でした。
「仕業人」は今も根強いファンが多い作品。
あの頃藤田氏は「主水」を自分の物にしていたのです。


Photo_566 役者という存在を傍らで見ている私は、「役作り」というものの難しさがなんとなく理解できます。
架空のキャラクターと言えど、人知の及ばない宇宙人などを演じるならともかく(これはこれで難しさがありますが)血の通った人間を演じる以上、そこには感情に裏打ちされた表情、動きのリアリティーが要求されるのです。
そのリアリティーの裏には人間観察、そして与えられた役への探究心が必要なんですね。
以前シナリオの事でもお話しましたが、役者も「経験していない事は演じにくい」と言う事です。新人俳優の演技の幅の狭さ、ベテラン俳優の深みある演技の差は、そんな所に出るのでしょう。
同じセリフを何通りにも演じ分けるベテラン俳優の技を見る度に、そんな思いを強くします。

Photo_567 今日の番組終盤、藤田氏は優しい「おじいちゃん」の顔を見せました。
お孫さんからのメッセージカードを肌身離さず持つ彼は、もはや「種無しかぼちゃ」の同心ではなく何処にでもいる好々爺でした。
この藤田氏の感情、稚児に対する優しい眼差しを見るにつれ、「俳優・藤田まこと」に新たな演技の深みが加わるような気がしてなりません。

若輩の私が言うのは生意気ですが、一人のファンとして期待したいのは、人生経験を積んだ役者の顔、立ち振る舞いからにじみ出る「深み」なのです。

「必殺」も、今回スペシャルドラマとして新作が制作されたそうです。その内容は決して期待できるものではなく、また藤田氏の主水再登板も不安要素いっぱいですが、今日のトークで藤田氏が見せた「深み」がもし新作に生かされているのならば、という一点だけを信じて鑑賞に望む事としましょう。(儚い望みですが)
演技とは経験を重ねる足し算。山内プロデューサーも想像しなかった「新しい主水」が見られる事を信じています(笑)。

2007年3月 8日 (木)

宇宙飛行士の特権

「あれ?どうしたんですか?」
局のVTR室。現れたのはいつもと違うプロデューサーでした。
待っていた私は、予期せぬ人物の登場にとまどいを隠せず。
「これから私が担当になりまして。よろしくお願いします。」
「じゃーこれまでのプロデューサー、●●さんは?」
「それが。」


フリーで番組制作を手掛ける私は、そのほとんどの作業を自宅で行います。
完成した番組は局に持ち込み、番組担当である局のプロデューサーと一緒に作品の最終チェックを行う事は、業界関係者ならよくご存知の事と思います。
通常、番組プロデューサーというものはディレクターと比較的密な連絡を取り、不測の事態への対処を怠らないものなんですが、私の担当番組の場合事情が少々異なっています。
この番組の制作経験が一番長いのは私なのです。
私が番組を作り続けている何年もの間ボスである局プロデューサーは次々と交代し、今や番組について一番詳しいのは私という状態になってしまった為、プロデューサーも「放ったらかし」という訳ですね。
それはそれで非常にやりやすいのですが(笑)。

何年も基本フォームが変わらない番組の場合、こういう事はよくあります。まあ「事情も分かってるし安く使える」というのが局側の本音と思いますが(涙)。

過去、プロデューサーの急な交代劇には随分立会いました。
ですから今回、お話を聞いた時も「いつもの人事異動」ぐらいの感触しかなかったのですが、冒頭の新プロデューサーの言葉は意外なものだったのです。


「彼本人のたっての希望で、ディレクターとして制作担当に再配属されたんだ。」

このセリフに私が少なからず衝撃を受けた理由は、ご同業の方ならお分かりと思います。
この私の感覚を分かっていただくには、まずプロデューサーとディレクターの関係をご説明する必要がありますね。

あまたあるテレビ番組のそれぞれを担当する番組スタッフ。
その中でプロデューサーという存在は、いわば「番組ごとの最高責任者」です。「プロデュース」という言葉が持つ「生み出す」という意味合いがその役割を表していますね。
プロデューサーは番組を「生み出す」役割なのです。

それに対し「ディレクター」という存在は、プロデューサーというボスから発注を受けて、スタッフとの打ち合わせや現場の指揮、編集から納品まで、実務レベルを引き受ける「直接担当者」という位置づけです。「ディレクション」という言葉が持つ「指示する」という意味がその役職を端的に表しています。
お分かりでしょうか。つまりプロデューサーとディレクターは「上司と部下」という関係なのです。

前述の新プロデューサーのセリフを思い出して下さい。
要は、前の担当者は「自ら望んで降格した」という事なのです。


「前々から希望が出されていてねー。」
新プロデューサーの言葉に相槌を打ちながら、私はある憧憬を感じていました。
私がフリーの道を選んだ理由も、その彼と近いものだったからです。


「映像を紡ぐ」というディレクターの仕事は、素人がいきなり出来るものではありません。
ある意味徒弟制度を思わせる、先輩後輩の関係の中で伝えられる専門技術なのです。ですからカメラマンや照明マンなどと同じ一種の職人技で、そこにはセンスや天性の素質なども要求されます。
映像演出の道を志す者はまずこのディレクターの下につき、先輩から技術を学んでようやくディレクターデビュー。
(この段階でほとんどが脱落しますが)
プロデューサーというのはそのディレクターのさらに上。ディレクター経験の無い者にプロデューサー業務は不可能です。なにしろ「仕切り屋」のディレクターを「仕切る」訳ですから経験者でなければ務まるわけがない。

ただし、このプロデューサーとディレクターの業務内容は、似ているようである意味真逆のものなのです。
一言で表現するのは難しいですが、「売り屋と作り屋」の関係が近いでしょうか。


「映画は監督で観るべき」なんてよく評論家の方々がおっしゃいますが、この言葉は監督が「作品に対して妥協しない」部分を表現していると思います。つまり監督は「自分の作品が可愛くて仕方がない」訳ですよ。作品を守る為なら何でもする。テレビ世界の監督に当たるディレクターにもその思いは強くあります。
それに対しプロデューサーは「売り屋」。この作品がどうやったら興行収入を上げられるか。テレビ番組なら視聴率を上げられるか。それを目指すのが仕事なんですね。
その目標の為なら平気で作品を変える。場合によっては監督の意に沿わない改変も辞さないという側面があります。


ただ、資金繰りから予算の算定までを任されるプロデューサーが作品の権利を握っているのも事実なので、プロデューサーとディレクターは上司と部下という関係ながら、作品のありようを巡って対立する場合もあります。
両者の思いが一致すれば最も理想的な作品が創れるのですが、現実にはなかなかそうはいきません。


さて、そんな「仲間でありながら敵」のような関係を持つ両者ですが、これ、やっていてどちらが面白いと思いますか?
これは複数の関係者の統計を取るまでもなく、過半数で「ディレクター」でしょう(笑)。


私も以前局勤めをしていた頃、プロデューサーなるものを経験した事がありました。生意気ながらも部下を持ち、制作の進行状況を見ながらある時はディレクターを持ち上げる。またある時は酷評し、アメとムチを使い分けながら作品を創り上げていく訳ですが、そこに付きまとうのは一種の「はがゆさ」でした。
もともとプロデューサーなどはほぼ全員がディレクター上がりなので、演出がしたくてしたくて仕方がないものなのです(笑)。
だからロケ現場へ行っても、ついタレントに口を出したくなってしまう。

でもそれは「ディレクターの権限」なんですよね。
私にできるのはディレクターに耳打ちする事だけ。
「あの出演者、もうちょっとなんとかした方がいいんじゃない?」
それ以上口を出せば、「じゃー貴女が演出すれば?」なんてディレクターが逆ギレする事は目に見えています。
耳打ちだけでぐっとこらえる。これがたまらない苦痛な訳ですね。
後日、その番組の打ち上げパーティーに参加した時、ゲストに呼んだ先輩に言われました。
「プロデューサーって、つまんないんじゃない?」
やっぱりみんなそう思ってたんだ。
その時、私の道は決まりました。


フリーながらも演出の道を選んだ経緯はそんなところで。
我侭な生き方とも思いますが、人生は一回限り。
やりたい事を我慢して、その時間の自分を殺しているくらいなら、多少リスキーでもやりたい道に進む事。
これが私の信条です。

「生き甲斐とリスクは背中合わせ」ですが、その方がスリリングじゃないかと(笑)。
ただこれは私のような独身者だけに許される事でしょうね。
ご家族を持つ皆さんが安定を目指すのは決して「守り」ではなく、それも勇気ある決断と思います。むしろそちらの方が難しいですもんね。
妙な奴の戯言とお笑い下さい。


「ジュラシック・パークⅢ」(2001年アメリカ ジョー・ジョンストン監督)の劇中、主人公グラント(サム・ニール)がこんな意味のセリフを語っています。
「若者には二つのタイプがある。『天文学者』と『宇宙飛行士』タイプだ。安全な場所で現場を想像する天文学者。現場で直接体験しないと気がすまない宇宙飛行士。
でも真実を見つけるのはいつも後者だ。」


冒頭の彼も、私と同じ「宇宙飛行士」だったのでしょうか。
私と同年輩、ましてや家族を持つ彼が今回の英断に踏み切るまでにはいろいろな葛藤もあったと思います。
それでも降格してまで現場を仕切りたいと思う情熱。
「宇宙飛行士の特権」は若者だけのものではないと信じたいです。


これ、自分に対してのエールでもあるんですが、現実はなかなか映画のようには行かず・・・
今日もまたひとつ、局の事情でお仕事のキャンセルが。
もーどーしよう(爆笑)。

2007年3月 7日 (水)

それゆけ!我らのヒーロー『達』

皆さんのブログで何かと話題になっている「ウルトラマンメビウス」。土曜日の夕方という放送時間も手伝って、私も時々目にする事があります。
これ、正直言いますが、「テレビを点けたらやっていた」という感じで。「メビウス」ファンには大変申し訳なく思っております(笑)。ですから途中から見る事も多くて。

最近、また出てるんですね。「兄さん達」。
「メビウス」はウルトラ兄弟の設定を受け継ぐ「第二次ウルトラ」の世界観なので、兄弟が登場するのはまったく理にかなっているんですが、週代わりで一人ずつゲスト出演、各々に見せ場を作るというのは新しい試みですね。
兄弟を「顔見せ扱い」ではなくストーリーの主軸に据えるドラマ作りに、制作側の気概を感じる事もあります。


バリバリの第一次ウルトラファンである私は、1966年の「ウルトラQ」「ウルトラマン」をまともに見てしまった世代なので、「ウルトラ」と言えばこの二作品が物差しになってしまっています。
(「ウルトラセブン」は微妙に違う印象なので後々お話ししましょう。)
「Q」は一話完結のオムニバスなので基本設定は以降のシリーズとは異なりますよね。
ですからヒーローの出る「ウルトラ」というのは私の中では「ウルトラマン」がもう、強烈な刷り込みとなっているのです。

Photo_558 当時のスタッフも語っていますが、ウルトラマンって実にシンプルなお話ですよね。今更ストーリーを語っても仕方がないので割愛しますが、実はストーリーラインに於いてはそれ以前のヒーロードラマの方が複雑なんですね。同時期に始まった特撮テレビドラマ「マグマ大使」と比べても、「マグマ」の方がストーリーは入り組んでいる。
やっぱりああいうドラマは分かりやすい展開の方が良いんでしょうね。初代ウルトラマンなんて今でも子供が喜んで見ているようだし。

そんなシンプルな「ウルトラマン」のクライマックスはとりも直さずウルトラマン対怪獣の一幕ですが、あそこが何故盛り上がるかと考えると、まあ言ってみれば「待って待ってやっと登場するウルトラマン」という部分にあるような気がします。
「伝家の宝刀・スペシウム光線」にしたってとどめの一撃として使われる訳で、ウルトラマンの露出を極端に抑えたからこそあのラストの格闘が生きたんじゃないかと思うのです。

まあ「特撮は2分程度が予算の限界」という、現場の台所事情も大いに関与していたのですが。

後々「ウルトラマン」にしか無かった部分を考えてみると、前述の「ヒーローの露出が抑えられていた」という所じゃないかと思えて来るのです。
これは微妙な感覚なんですが、初代ウルトラマンって、ストーリー上で「ハヤタがウルトラマンとして物を考えるシーン」って極端に少ないですよね。
怪獣が出現し科学特捜隊が事件解決に当たっている間は、後のシリーズに登場する「この怪獣に勝つためにはどうすれば」的な、人間体主人公の心の声は皆無でしたもんね。
帰りマン以降と比べ「ウルトラマン」だけは、画面上だけではなくストーリー上もヒーロー性の露出が抑えられていたのです。ですからラストバトル、満を持して眩しい光を放つベーターカプセルに私達はヒーロー登場のカタルシスを感じられたのではと。


Photo_559 「ウルトラセブン」から、ウルトラヒーローの人間体は饒舌に「心の声」を発するようになりました。モロボシ・ダンや郷秀樹は毎回悩んでいましたよね。変身後の画面上の露出も増えましたが、(予算のせいでしょうか?)ヒーローの「心の声」が頻繁に聞かれるようになる程、番組中いつもヒーローが登場しているような印象を受けるようになりました。
ヒーローの擬人化は加速度的に増し、逆にカリスマ性は加速度的に失われていったと思います。ただこれは「帰りマン」以降、TBS側のプロデューサーを務めた橋本洋二氏の方針だけではないような気もするんですね。

要は、初代ウルトラマン全39話程度の期間ぐらいが「ヒーローのカリスマ性」を保てる限界だったような気がするんですよ。
あれ以上話数を重ねたらおそらく路線変更せざるを得ない状況に迫られていたような気も。
そういう意味でも「ウルトラマン」の39話という話数は、ウルトラマンがウルトラマン足りえた微妙なリミットだったように思うのです。


Photo_561 「帰りマン」中期に萌芽が見られ、「A」あたりで確立した「ウルトラ兄弟」という設定は、第一次ブームが物差しとなっていた私には「ウルトラ世界の大転換」に映りました。
まあこれは同年代の多くのファンも同じ思いをした事なので今更言うまでもありませんが。
イベント篇とはいえ、ドラマの端々に登場する「客演」としてのウルトラ戦士達(この表現も違和感ありますが)は、あの「物言わぬ孤高の超人」とは他人に見えてしまって。黒部進さんがどんなに「兄さん」呼ばわりされてもとても「あのウルトラマン」と同一人物とは思えず。
例えて言うなら「ウルトラマン」と「ウルトラファイト」の世界観の違いのような居心地の悪さを感じてしまうのです。
「束になって戦う」というあの「まとめ売り感」も強烈な違和感で。
ヒーローは一人で戦うから強さが引き立つ、とかそういう事ではなく。

あまたあるシリーズヒーローにとって、その発端となる「初代」という存在はもともとミステリアスなものなのです。シリーズが進むにつれてその謎が次々と明らかにされてゆく。きっとその「謎解き」をうまく描けるかどうかでシリーズの成否が決まるんでしょうね。
ウルトラシリーズの場合で言えば、やはり初代と帰りマン以降の世界観の違いはいかんともしがたいと思います。

Photo_560 このお話になったので「セブン」についてちょっと補足しますが、「帰りマン」って「ウルトラマン」に直結して作られてますよね。「ウルトラセブン」って無かった事になっていません?
ベムスター戦で登場したとかそういう後付の設定の混ぜっ返しじゃなく、「セブン」は孤高のシリーズなんですよ。やはり初代マンからの脱却を図ろうとする、当時の円谷プロの上昇志向が表れたシリーズと思います。
識者の方々の「セブンは「ウルトラマンティガ」に近い」という指摘は、そういう制作姿勢にも頷けるところがあるのですが。


さて。良くも悪くも導入された「ウルトラ兄弟」の設定は図らずも「兄弟前」「兄弟後」という世界観の違いを生み出してしまった訳ですが、この背景に厳然として「テコ入れ」という現場事情が存在している事は、ファンの皆さんもご存知ですよね。
「帰りマン」でのセブンの客演には夏季の視聴率低下によるテコ入れ事情があったようですし、その後のシリーズでも「怪獣・視聴率ザウルス」に対して果敢に挑む兄弟たちがいました。後のシリーズ研究により、「兄弟登場の時期は人気が低迷している」などと先読みされてしまうほどで(笑)。
まあどんな番組にもテコ入れはあるものなのでこれは企業努力として実に正しい有り様なんですね。それが視聴率上昇の起爆剤になれば「番組は成功」な訳ですし。

実は「メビウス」の2作前、「ウルトラマンネクサス」開始直前に、私の元へ一本の電話がありました。「ネクサス」のキー局、CBCテレビの関係者からで、「今度ウルトラマンの新作が制作されるが、予算がまったく無いので特番を作る事など不可能。企画を練っても実現できないからゴメンネ」という「泣き」の電話でした。
「そんなに予算無いの?」と尋ねた私に相手は言いました。
「『ネクサス』は、円谷プロが潰れそうなのでCBCが仕方なく受けた企画なんだ。」

私、その言葉に結構ショックを受けまして。
「円谷プロが潰れる?」

いかにウルトラ関連のグッズが一定の売り上げを上げても、おそらくグループ分けした系列会社の利益に過ぎないでしょう。
番組制作部門となる円谷プロ自体が昔ながらの制作体制である事は想像にかたくないのです。

「ネクサス」はその後の評価の通り、設定を一新した野心作であったものの視聴率低迷による打ち切りのそしりは免れず、その反省を含め制作された続篇「ウルトラマンマックス」は正統的なウルトラシリーズとして固定層の人気を得たのではと思います。
これを「守り」と見るかどうかは人それぞれですが、今放送中の「メビウス」に繋げた功績は大きいのではないかと。(これは作品の評価とは別ですよ。職業柄プロデュースサイドの目で見てしまうもので)


Photo_562 ただ「メビウス」に導入された昔ながらの「兄弟」という設定が、もし例の「テコ入れ」の総決算だったらと考えると、作品うんぬんより円谷プロ本体の行く末を心配してしまうのです。
まあ「兄弟」の設定は第二次ウルトラの骨子のようなものですからそんなおいしい「財産」を使わない手も無いですし。

兄弟の描き方も今までに無いほど丁寧にされているようですから、行き当たりばったりのテコ入れとは性格を異にするものと信じたいですが。ただ「メビウス」が放送開始時、全国ネットされていなかったという悲しい現実は、今だに一途の不安を私に抱かせるのでした。
(別に私が心配しても意味は無いんですが)

おそらく第二次・第三次ウルトラの総決算となる「メビウス」終了時こそ、ウルトラの真の評価、新たな姿勢、そして円谷プロの行く末が問われる事となるのでしょう。
「ネヴュラ」をご覧の皆さん、夢を壊すようで申し訳ありませんが、大人気と言われるウルトラシリーズにもこんなに大変な事情があるんですよ。


私はもう「物差し的」に「メビウス」を毎週応援する情熱はありませんが、第二次ブーム以降が物差しになっている方々は、「メビウス」の行く末をしっかり見守って欲しいのです。
ギリギリの予算、まさに背水の陣で作品に挑んでいる現場スタッフの為にも。

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2007年3月 6日 (火)

NO.238を追え

「今日はちょっと寒いですねー。」
「風が強いですからねー。」
配達員さんとこんな会話を交わしながら、送り状にサインする玄関先。
そうです。今日は待ちかねた「お宝」が届く日だったのです。


238 これ、かわいいでしょ。また性懲りもなく「快獣ブースカ」のフィギュアいろいろ。
丁寧に施されたビニールコーティングを外したくなくて、凄い反射になってますが(笑)。

ウチのささやかな「ブーコレ」も着々と増えつつあります。
この「ウエストケンジ」のモデルはとてもかわいくて、ブースカ世代の私は条件反射的に手が出てしまうのでした。
なんて罪なメーカー(涙)。

さて。このお宝、「届いた」という事は店頭で買ったものじゃないとお察しいただけますよね。
その通り。実は私、最近ヤフーオークションにハマっておりまして。ここ数日でいくつか買い込みました。
今日はそんな「バーチャル駄菓子屋」、ヤフオクについてのお話です。

細々と落札したお宝をご覧頂きながらお聞き下さい。
ほんの2~3点ですが。

私がヤフオクなるものを知ったのはつい最近でした。
実は「ネヴュラ」開設よりずっと後だったんです。
ネット社会にうとい私はそれまで「おもちゃという物は足で探せ。現場百回(笑)」なんて勢いで、時間があればオタクショップを巡回活動していたのです。
それはもう結構マメで。「ネヴュラ」読者の方ならお話のあちこちにそんな気配を感じられていると思います。
本当にオタクでしょ(笑)。

ところが今年の頭頃、ちょっとしたきっかけでネット通販なるものを経験しまして。
一月末頃発売されたDVDBOX「巨大生物箱」購入時でした。


これ、商品の詳細をネットで調べている内に遅まきながら気がつきまして。
「あれ?店頭価格より安いじゃん。」

皆さんは先刻ご承知ですよね。私は業界大手筋のAmazonで気がついたのですが、この後色々なネットショップを覗いているうちに、ショップによって割引率や支払い方法が違う事が分かりまして。ただ、送料や支払い手数料を加えても店頭価格より安いんですねー。
いやー世の中進んでいますね。オタクを名乗りながら全然知らなかったんですよ。おバカでしょー(笑)。

でもこういうのって届くまでが不安で。結構ピリピリしてたんです。
でもいざ届けられた商品は実に手厚い梱包で、中身もまったく問題なしの大満足。
今更ながらネット社会の便利さに感動したような次第で。
(貴方の失笑が目に浮かびます。こんなもんですから私は(涙)。
さてそれからは堰を切ったようにあちこちのサイトを覗いて、欲しいグッズを物色し始めたという次第です。

しばらくは普通のショップを覗いていた私。でもある時、仕事仲間の言葉を思い出しまして。
「ヤフオクで落札したんだよねー。これ。」
ヤフオク。そーだ。これは新たな鉱脈が。


2382 それから私がヤフオクにハマるまでには時間を要しませんでした。
これは凄い。

楽天やAmazonなど普通のショップは、「店頭価格よりかなり安く、新品が手に入る」という利点がありました。私はその部分に安心感を覚えていたのですが、皆さんご存知の通りヤフオクはその多くが個人取引。リスクもありますが「店頭ではもう見かけないような商品が、場合によっては破格で手に入る」という大きな利点がありますよね。
そこに惹かれてしまいまして。

実際、私のような怪獣好き、おもちゃ好きのオタクにとって、ヤフオクのページはそれこそ宝の山。なにしろ「電撃ストラダ5」で検索しても、ちゃんと出品商品があるんですよ。
アオシマのレッド・フォックスとか。(ここのくだり、お分かりの方はちょっと濃い方ですね(笑)。

これはもう、欲しいお宝と出会う確立はショップまわりをするより遥かに高い。
もともとオークションという物は売り手と買い手を繋ぐシステムですから当たり前の事なんですが、とにかく出品物を見ているだけでもまったく飽きのこない、素晴らしい体験ではあります。
見るのはタダですから(笑)。


238_1 で、あれこれ見ている間に、いくつかの法則がある事に気がつきました。
こんな事も皆さんはよくご存知と思いますが。
まず「商品の落札価格には相場があり、時期によって若干変動がある」と言う事。

私は以前ある商品を狙っていたのですが、この商品はオークションによく出品される比較的メジャー、かつ新しい商品で。
要は私は「安く落としたい」と思っていたのですが、これがまた見事に落札価格が「相場」に落ち着く。


やっぱり入札者の皆さんもご存知なんでしょうね。
コストパフォーマンス、世間に出回る商品の希少価値、また再発売のニュースなどを総合して価格をはじき出すと。
ですからこの「相場」というのがその商品に対する世間一般の評価となるわけです。

これは面白いですねー。今まで私は、こういうオタクグッズのプレミア価格についてはショップごとの価格差でしか判断できなかったですから、この「落札者が決める相場」というのは非常に興味深く感じました。

前のお話に関連しますが「作品自体の評価が表れる」というのもありますね。
私が「スペクトルマン」の大ファンである事をご存知の方もいらっしゃるでしょうが、実は私、世間一般のスペクトルマンに対する認知度って低いと思っていたんですよ。
ところが意外に出品物が多い。結構レアなものもあったりして。
しかも前述の「商品相場」もそれなりに高いんですよねー。
これは本当に意外でした。ヤフオクを見ていると、その映像作品がどの程度メジャーか、ファン層やグッズに対する執着(笑)が読み取れる訳ですね。

「なんでも鑑定団」で北原照久さんがよく語る「この作品って今すごく人気があるんですよ」というのはこういう事なんだなーと。
ファンの嗜好が鳥瞰できるんですよね。

さらに「出品者の性格が表れる」という事も。
オークションは当然、締切日時を指定して入札が繰り返される訳ですからどんな出品にも入札締切が来ます。
入札者は締切日時を確認して入札する訳ですが、締切ギリギリになってくると締切時間が5分刻みで伸ばされていくという(笑)。
要は出品者が最高入札額に納得していないと。締切を伸ばして値を釣り上げようとしているんですよ。締切間際にはそんなかけ引きも展開される。こういう所に性格が出ますねー。

ただ私も、目をつけていた商品を締切ギリギリに入札、「買い抜ける」という部分に快感を感じていますから、落札者の性格も露呈してしまう訳ですが(笑)。
ああ。こんな所で「寅の会」の緊張感を味わえるとは。
鉄さんの気持ちがよく分かる(笑)。


他にもいろいろ発見はありましたが、このネットオークション、ただ楽しいばかりでもないようで。知り合いの中には騙しの被害者も居たようで、「一度失敗すると痛いからなー」なんてうそぶく人も。
確かに個人取引ですからねー。リスクだってあります。
だから私は、ネットオークションに対していくつか個人ルールを決めているんです。

一つ目は「基本的に定価より高い物は買わない」。
これは普通にグッズを買う時のルールでもあるんですが。結局「その商品はプレミアが付いた時点でもう別物」と思っちゃうんですよね。
「古い商品ゆえの残存性」とか「限定商品ゆえのレア度」なんてまったく関係ないんです。
レア=良い物とは思ってないんですね。
その代わり、珍しくなくても欲しい物は何個でも買います。
10個持っていてもまだ足りないと思う
アイテムは幾つもありますから。ただこれも「プレミアが付いたら別物」ですが(笑)。

238_2 二つ目は「基本的に高額商品は買わない。」
DVDBOXなど例外的に高いものでも、その代金を失って立ち直れないほどの高額商品は買いません。(「買えません」が正しいですね(涙)。確かにネットオークションは危険性が付きまといますから。いくら貴重なものであっても大事なお金を失っては元も子もないですもんね。
ネットオークションも利用の仕方ひとつ、という所で。

貧乏人ゆえのこんなルールにのっとって集めるグッズですから、私のコレクションなどたかが知れています。そういう意味では私は「コレクター」じゃないのかもしれませんね。
財産をつぎ込んでまでレアアイテムの収集に走る執着はないですから。結局「好きなものに囲まれていたい」だけなのかもしれません。
まああくまでも私の主義です。凄腕のコレクター諸兄に対しては尊敬の念も持っているんですよ。
それはそれで立派なエキスパートだと思います。

238_3 さてそんな中、気がかりになっている「幻の逸品」が。
これ、以前発売されていた、グリコ「ウルトラQスナック」のカードコレクションなんです。
これについてはお話した事もありましたね。


「大人の怪獣図鑑」
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/08/post_1309.html

238_4 238_5 前回「負け惜しみ」と書いた通り、コンプリートを目指すべくヤフオクも利用しながら細々と集めていたこのカードだったんですが、いよいよこれも残りはあと二枚。その一枚はいわゆる「ラッキーカード」なので諦めているんですが、問題はもう一枚で。
今日のサブタイトルはその番号という訳です。
長いフリでしたねー(笑)。
前後のラインナップから見て、どうやらこの幻の238番は第18話のパゴスか、第19話のケムール人じゃないかと思うんです。いやーどっちなんだろ?
こういう「追い込み」も楽しいですよねー。「あと一枚」という所がいいじゃないですか。まあ数年前に発売されていた程度の物なので、探すのもさほど大変じゃないでしょう。
オークションもまめに見る事にします。


でもこういうのはコンプリートしちゃうと面白くないのかもしれませんね。
「キカイダーが倒された後のハカイダーの気分」みたいに(笑)。

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2007年3月 5日 (月)

あいさつは「出来ねえよ」

先日「ネヴュラ」で、「G×G」についてオリジナルストーリー発表の予告をしましたよね。こういう発表をしてしまうと、小心者の私なんぞはいつもその考えがちらついてしまい。
何をしていても「この知識はストーリーに使えるな」「このエピソードはちょっとアレンジすれば」なんて考えてしまって。
いやー実に楽しい数日を過ごしております。


やっぱり一つお題があると毎日に張りが出ますね。でもそんな中、職業病とも言える余計な心配も頭をかすめてしまいまして。
「こんな事やったら予算いくらかかるんだろう」
「これはスタジオの広さを考えないと」
「ロケだとすると候補地は」・・・なんて、架空のストーリーなのについこんな事ばかり考えてしまうのでした。これは実はストーリー制作には大きな障害となるんですよね。

まあこういう事も含めて楽しんでいるんですが(笑)。

映像業界で働く者にとって、作品の企画立案はすなわち予算の算定をも意味します。
例えば局から企画を依頼される場合、依頼の項目にはまず間違いなく「予算はこれだけで」という一文が付けられるのです。

ディレクターとして駆け出しの頃、上に企画を提出した時最初にプロデューサーから出る質問は「これ、幾らかかる?」というものでした。
ディレクターたる者、自分の番組の値段くらい自分で計算するのが当たり前なのです。

これがレギュラー番組のワンコーナー程度の物なら、プロデューサーサイドで許容されるロケ日数、使えるタレント、編集室の使用時間などが決められている為、かえって考えるのは楽なんですが、「自分のやりたい事」をハッタリと共に売り込むオリジナル企画はそうはいきません。「この企画買った!」と上に言わせる為には、それなりの理論武装も必要なら、かかる経費もクリアーにしておかなければいけないのです。

確かにこの企画プレゼンの行程は、温めていた自分の夢を具現化するステージとしてディレクター冥利に尽きるものがあります。それがコンペにでも出され、さらに現実化した時の嬉しさは、お仕事ながらどんな映画よりも感動すると言えましょう。
ところが世の中それほど甘くは無く。ほとんどのプレゼンは「本当の事」を書いてしまうと通らないのが実情で。
これはどんな業界にも当てはまりますよね。
どんな企画にも多少のファンタジーは必要である事を(笑)。

私が弟子についた、師匠のディレクターや同僚含め、この「企画採用」に関わるプレゼンの手腕は実にお見事。なにしろオリジナル企画なんて映画と同じで、まだ出来上がっていない物を売り込むわけですからそれこそどんな大きい事でも言える訳です。企画が通ればこっちのものですから。それ程ディレクターという者は自己主張が強い。
ただし、いざGOがかかったらお話は別ですが。

先ほどお話した「本当の事」と言うのは、実は予算の部分にも当てはまります。
実際にはもっとお金がかかるのに、企画を通したいばかりに安めに予算を計上してしまう訳ですね。

「ネヴュラ」読者には製造業等に従事されている方もいらっしゃるでしょうから、こんな事書くと「えーっ?いいのそんな事して。自分で自分の首を絞める事になるでしょ」などと思われるのでは?
ところが、ここには映像業界独自の事情があるのです。


皆さん、映像作品の予算ってどんな印象を持たれますか?
タレントのギャラ、美術や大道具、小道具代、スタッフの人件費、カメラや照明機材、スタジオなどの使用費、編集室のレンタル費などなど・・・。大まかにはそんな所です。
企画を通したい為に大風呂敷を広げ、「こんな凄い企画の割にこんなお値打ち価格で!」なんてジャパネットたかた並のセールストークで勝ち取った番組。本当は予算だってもっともっとかかるんです。さて、たとえハリボテでも企画書通りの体裁を保つ為にはどうするか・・・。
これも、ディレクターの手腕の一つなんですよね。


こういう場合、ディレクターがカメラマンなど技術スタッフと相談する時には、あるルーティンなやりとりがあります。
ディレクターが「予算はこれだけしかないけどこんな事できる?」とカメラマンやライトマンに話を振ると、必ず返ってくるセリフがあるのです。
「そんな事出来ねえよ。」
出来ない?なんで?


私も以前、この先輩ディレクターとスタッフとのやりとりを目の当たりにした時はかなり動揺しました。
後で先輩に聞いたものです。
「どーするんですか?カメラさんが出来ないって言ってましたよ。他の手を考えますか?」

しかしその時、先輩ディレクターは涼しい顔でつぶやきました。
「いーや。あれは「出来る」って顔だよ。」
顔?顔ってどういうことなの?


後で知った事なのですが、この「出来ねえよ」というのは、技術スタッフにとって挨拶代わりのセリフだったのです。何故こんな符丁が受け継がれているのでしょうか?
ここが映像業界の七不思議の一つで(笑)。

この謎は撮影現場で判明しました。
例えばカメラの特殊レンズ(魚眼レンズなど、特殊な効果を狙いたい時に使うレンズ)やピンスポットライトなどの特殊照明機材などは、厳密に言えばレンタル費用が発生するものなのです。
ところがこちら、制作サイドは予算が無い。

打ち合わせでは「予算が無いならそんな絵を撮れない」と言っていたスタッフでしたが、いざ現場に入ると・・・
そこにはちゃんとその機材が準備されているのでした。
顔をほころばせカメラマンの肩をポンと叩くディレクター。
「まったく。お前にはかなわねーよ。」と半笑いでうそぶくカメラマン。
「その代わり、昼飯は沢山食わせて貰うぜ。」
これが予算の無いディレクターの手腕。
お分かりですよね。このカラクリ。


要は「お互い映像屋」という事なんですよ。なんだかんだ言ってもお互い「いい作品」を作りたい訳です。ディレクターとの打ち合わせの時、本当ならそんな高額な機材は貸し出せないはずのカメラマンであっても、やっぱりいい絵は撮りたい。
「企画に乗った」と思えば、口では「出来ない」と言っていても何とかしてくれるんですよね。
ただ「出来る」と言ってしまうと前例が出来、その後も低い予算を飲まなければならない。だから「出来ないとは言ったけど俺の裁量でサービスしてやったぜ」という形を取る訳ですね。

この「相手を乗せるようないい企画を立てる」というのが、ディレクターの手腕なのです。

趣味に走った企画など、局から出る予算は知れています。皆さんが知ったらビックリするような低予算なのです。でもなんとか、最低限でも番組としての体裁を保っていられるのは、こういう技術スタッフなどの協力に追うところが大きいんですね。そんなうれしい協力でこれまでどれほど助けられて来た事か。
その代わり、そのスタッフの期待に応えられる番組を創り上げる義務はあります。
楽しいものですよ。後で他のディレクターに「あの絵凄く凝ってたけど、あの予算でよくやったねー」なんて言われるのは無上の喜びです。

これは映画の世界などでも顕著ですよね。「黄線地帯」(1960年新東宝 石井輝男監督)の後半の舞台として圧倒的な作りこみを見せた「カスバ」のセットなども、当時斜陽に差し掛かっていた新東宝の美術スタッフが持てるノウハウの全てをつぎ込んだものです。
後年石井監督も「美術は予算の伏魔殿なんて言われて」と語っているようで。この場合も「映像屋魂」を見せたスタッフの仕事ぶりを語る上で絶好の例ですね。
いやー今も昔も低予算はノウハウを生むという(笑)。


映像とは「空気に絵を描く」ような物なので、カメラが回る一瞬だけ望む状態であればいい。後はどんなにひどくてもという特殊な事情があります。ある意味儚いお仕事でもありますが、その分夢もありますね。やっていてそう思います。
「出来ねえよ」と言っていたカメラマンやライトマンの方が、意外に絵作りにのめりこんでいるものなんですよ(笑)。
スタッフのそんな入れ込みぶりって、やっぱり画面に出ますよね。


皆さんも映画やテレビなどご覧になって息を呑むような名カットに出会った時は、ちょっとそんな事を思い出して下さい。
「名カットの裏に『出来ねえよ』あり」ってところでしょうか(笑)。

2007年3月 3日 (土)

東宝映像監督室秘聞

今日は雛祭りですねー。
Pagos3_1 ウチもなんとか可愛い2ショットを、と探してはみたものの、ご想像通りオタク部屋には怪獣ばかり。いつものご神体「バゴスちゃん」をお雛さまに見立てておきます。
この「バゴスちゃん」についてのいわれは、昔お話した事があるのでそちらをご覧下さい。

『ウチのご神体「バゴスちゃん』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/05/post_ff22.html



さて。今日のお話は、そんな女子な世界とはまったく無縁で(笑)、
夢見るオタクの桃源郷、世田谷は砧の東宝撮影所についての記憶です。


ここ数日盛り上がっている「G×G」の話題で、私の中でも過去の「G体験」が蘇えってきました。その中でも特筆すべき事は、やっぱりGに関わった方との対面でしょうか。
1991年。「ゴジラVSキングギドラ」公開前に、私は局の特番制作で一度だけ、東宝撮影所にお邪魔した事があります。
「ネヴュラ」でもお話したのでご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
ご参考までに以前の記事のアドレスを。


『東宝撮影所第11スタジオ跡』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/07/11_414c.html



Photo_557 「大の怪獣ファン」という言葉がまず先に立つ(笑)タレント、漫画家でもあるみうらじゅんさんとの撮影所訪問は大変有意義なものでした。なにしろそれまで穴の空くほど観ていたゴジラ映画の撮影現場に足を踏み入れる事ができた訳ですから、それが尋常の感動で無かった事は皆さんにもお察しいただけるでしょう。
以前の記事でもその興奮はお話しましたが、今回「G×G」についてお仲間とやりとりをしている内に、以前お話していなかった事が次々と思い出されてきたのです。

この取材は当時の新作「ゴジラVSキングギドラ」に先駆け、過去にギドラが登場した作品を週代わりで5週に渡って放送するというもの。「三大怪獣」「大戦争」「総進撃」「対ガイガン」そして「流星人間ソーン」。作品の解説者としてみうらじゅんさんが撮影所の各所を探訪するといった内容でした。実際には作品よりもその解説の方に力が入ってしまったのですが(笑)。

Photo_552 地方の局ゆえ、当時ADだった私は親分のディレクターと共に取材前日に東京入り。
夕方到着した私達は、「VSギドラ」のクライマックスシーンを彩った東京都庁を番組のオープニングに使う為、翌日撮影するポイントを探してロケハンに。

これは楽しかったですね。初作「ゴジラ」の撮影に先駆けて、円谷英二監督が東京の「破壊予定地」をロケハンした気分を味わいました。
実際自分達が探すと都庁撮影のベストポイントって意外に少ない。「壊し甲斐はあるけど撮りにくい」という訳で(笑)。


いよいよ撮影当日。朝靄の中、意気揚々と訪れる私達を東宝撮影所は快く迎えてくれました。
別便でタクシーで駆けつけたみうらさんもこの取材には興奮を抑えられなかったようで。なにしろ、当時みうらさんはゴジラのディスプレイモデルを東宝から「ちょっと拝借した」経歴を持ち、まだ返却していなかったからなのです。
気の使い方も尋常ではなく(笑)。
「よく俺の出演を許可してくれたなー」なんて苦笑していました。


Photo_553 撮影所の内部は意外と広く、移動には車が必要でした。撮影所で待ち合わせたカメラマン他取材クルーと共に撮影は順調な滑り出し。撮影所の通路を360度パンしたり、スタジオ前で解説したり。
今はもう撤去されてしまった大ブールや幻の「第11スタジオ跡」に赴くなど、もう好き放題。

そりゃそうですよ。きっともう二度と足を踏み入れる事など出来ない、特撮ファンの梁山泊だったんですから。
一生分の注意力とずうずうしさを駆使して取材に当たりました。
中でも私達の興味を引いたのは、撮影所の裏山にある「森」についての一件でした。

当時、この森は「VSキングギドラ」の撮影直後で、それなりに整備されていたようだったのですが、風の噂に「どうやらその森に、VSギドラの前作『VSビオランテ』で使われたビオランテの触手が廃棄されている」というお話を聞いていたのです。
みうらさん、ディレクターと3人で「探しに行きたいねー。あったら凄いお土産になるよ」なんてよからぬ企みを企ててはいたのですが、結局撮影スケジュールが押してしまいその計画はボツに。
まあ無理ですよね。「あの」みうらさんが同行していたんですから。
心なしか東宝担当者の目も光っていたような(笑)。ごめんなさい。もう時効ですからお許し下さいね。

Photo_554 さて、撮影所の各地をロケし終わって、みうらさんと私達は撮影所内の一室、東宝映像の監督室へと足を進めました。ここでは当初、みうらさん一人で「ここが!VSキングギドラの特撮を手掛けた川北紘一監督のお部屋で!」なんてやろうと思っていたのです。ところがここに驚くべきハプニングが。
これは以前にもお話したのですが、こちらの撮影スケジュールが変わった関係で、本来不在の筈だった川北監督が戻って来られたのでした!

考えてみれば当たり前のお話ですよね。ご自分のお部屋なんですからお仕事が終われば戻られるのは当然で。「あ、撮影中でしたか。失礼しました」なんて、特撮界の第一人者の驕りをおくびにも出さないその低姿勢。「いいよ。どうぞやって下さい」なんて、ご自分のお仕事を待ってまで撮影に協力して下さるその優しさ。
ここでディレクターと私は一世一代の大バクチを打ちました。
「川北監督に出演交渉してみようか?」


Photo_555 交渉はあっけないほどスムーズに進みました。確かにご自身が監督された映画のパブリシティーですから協力を断る理由もない訳で。みうらさんの興奮も最高潮に。
緊急企画「川北監督へのインタビュー」が決行されたのでした。
でもダメですねー。世界に名だたるゴジラ映画の、それも特技監督なんてビッグネームを前にすると、頭が真っ白になっちゃって質問なんて浮かんでこないんですよ。でもそこはさすが親分のディレクター、「こんな事もあろうかと」質問を用意していたという。
なにしろこの取材日の段階では「VSキングギドラ」は公開前ですから、私達も内容はまったく知りません。
そういう状態での質問という事をお考え下さい。
「見所」や「苦労した点」など、おざなりな質問に終始してしまいましたが、快くお答え下さった川北監督には今も感謝の念を禁じえません。
しかしこの監督室で私達は、またとんでもないものを見つけてしまったのです。


「モスラVSバガン」。
このタイトル、皆さんならもうご存知と思います。1990年、「VSビオランテ」の制作直後から検討に入っていた幻の企画として、ファンの話題に上った作品です。

残念ながらこの企画は実現には至りませんでしたが、作品のストーリーや敵怪獣「バガン」のデザインはあちこちの文献で見る事ができます。
この「モスラVSバガン」の企画ファイルがこの監督室の書棚にあったとしたら?
貴方がもしこのファイルを発見したとしたら?
実際あったんですよ。そんな出来事が(驚)

この企画がファンの話題に上ったのは1992年の「ゴジラVSモスラ」当時。91年現在には誰もこの企画の存在は知られていませんでした。もちろん私達の目に触れるのも初めて。
思わずディレクターと密談する私。
「あれって次回作?」「大スクープかもだよこれは!」


インタビューというのは主要な会話の収録の他、人物以外の風景などを映す「インサート」というカットを収録します。
この川北監督とのインタビューの場合、監督室に来ているという「アリバイカット」としてのインサート画面をインタビューのあちこちに編集で挿入して、より映像の面白さを出す訳です。当然この場合もインサートカットを撮影した訳で。ここで親分は実に気の効いた交渉をしたのでした。


「この部屋のどこを撮っても、問題ありませんよね?」

件のファイルを撮っていいかと聞けば、川北監督が気づいてしまう。そうしたら「これは社外秘」となるかもしれない。それを気づかせない為の見事な手腕でした。
当然OKは出て、私達は待望のファイルをカメラに収める事に成功したのでした。

でもまあ背表紙だけでしたし、まあ川北監督ともあろうお方が社外秘のファイルを外に出しておく訳もなく。
後々考えてみればあれは監督一流のファンサービス、私達へのちょっとした「目配せ」だったのかもしれませんね。
「こういう企画もあったんだよ。」という。


最後の解説、スタジオを背に撮影したみうらじゅんさんの顔は興奮に上気していました。これは番組のエンディングの撮影だったんですが、当初の台本ではみうらさんが空に視線を移した途端、編集で反重力光線を合成して一瞬の内にみうらさんが消滅(笑)というものだったんです。(生意気にも私の案でした)
ところがここでみうらさんから提言が。
「俺、盗んだゴジラ返すよ。」


この一言でエンディングは大幅に変更。
当時アトラク用のゴジラの着ぐるみが盗まれた事件がありましたよね。みうらさんには
「自分も返すからお前も返せよ」と呼びかける事で事件解決の一助になれば、という思いがあったのでしょう。
みうら案での撮影も無事終わり、帰路についた私達の心はもう最高潮。当日はまだお話できない色々なドラマもありましたが、この日ほど自分の職業に感謝した事もなかったですね。
「G×G」への熱い思いは、この日の経験も大きな原動力となっているのです。


きっと川北監督のあのお部屋には、またうず高く新作の企画書が積まれているんでしょうね。用心棒さんをはじめ、皆さんや私が考える「G×G」の企画書も、いつかあの机に乗って欲しいと夢見る次第です。
ファイルになって書棚の片隅、というのはちょっと避けたいですが(涙)。

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