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2007年2月18日 (日)

石に宿る怒り

「いやーやっぱり大迫力だなー。」
今日も「ネヴュラ座」46インチテレビの前で歓声を上げる私。

今まで小さいテレビばっかり見ていたので、この大画面テレビには今だに一種の「畏敬の念」さえ覚えてしまうのでした。
観る前にちょっと心の準備をしたりして(笑)。

昨日の「ネヴュラ」をご覧頂けばお分かりの通り、GEOでDVDを格安レンタルしてきた私。昨夜から今日にかけ、昔見た作品を再見する「夢のリバイバル上映」にどっぷり浸かっていました。昨日お話した「めまい」もその一本だったのですが、何と言っても特撮好きな私、実はお店で最初に手にしたソフトは別の作品だったのです。

Photo_529 「大魔神」(1966年大映 安田公義監督)。和製特撮映画の中でとしてゴジラ、ガメラと並ぶ知名度を誇る人気キャラクターの、これは第一作です。
大魔神シリーズはこの第一作に続き、この1966年中に「大魔神怒る」(三隅研次監督)「大魔神逆襲」(森一生監督)の全三作が公開され、その後幾度か新作の情報が流れながら、今も実現されていません。
ここへ来てやっと、来年新作公開の予定(角川ヘラルド 三池崇史監督)が耳に入ってきましたが。それほど新作が熱望される人気シリーズですから、改めて第一作の再見を思い立った気持ちもお分かり頂けると思います。

この「大魔神」。そのキャラクターばかりが一人歩きしてしまい、ストーリーをしっかり覚えている方は意外に少ないのではないでしょうか。
かく言う私もその一人。お話するにはお恥ずかしい限りで(笑)。
実際、この第一作は劇場鑑賞した事がありませんでした。
私が生まれて初めて劇場で観た作品は「ガメラ対大魔獣ジャイガー」(1970年)でしたから、その4年前に封切されたこの作品を劇場で観られるはずもなく。
でもこれ、公開当時劇場で体験していたら、まず間違いなくトラウマになっていたでしょうね(笑)。


Photo_530 実は、今回の再見はそれほどまでに衝撃的でした。
毎度申し上げますが、映画というメディアは監督が「大スクリーンで上映する事」を前提に作ります。あの暗い劇場内に浮かび上がる、巨大な画面の為に作り上げるのです。
ですからその全ての効果は本来、テレビ画面では最大限に発揮されません。

:劇場のスクリーンには叶わなくとも、それに迫るサイズの46インチ(2メートル手前まで近づいて鑑賞)すると、監督の意図が少なからず分かります。本当はこれでも足りないんですが。
考えてみて下さい。「あの大魔神の目が1メートル!」って!

こういう効果は、監督が「ここで大アップを入れて、観客のドギモを抜いてやろう」と企んだ末の演出。これはビックリしますよー。病み上がりの体にはショックが大きい(笑)。
つくづくこういう映画を観るには体力が必要と思いました。

画面の迫力もさることながら、そのストーリーもなかなか魅せるものがありました。
実は私、この第一作をちょっと敬遠していたのです。
というのは、この作品を昔テレビで見た時、魔神出現までのあまりの冗長さに辟易した経験がありまして(笑)。

怪獣映画で怪獣が暴れる場面以外に興味が持てない子供だったんですね。ですから今回の再見で、初めてまともに作品と向かい合ったという訳で。遅すぎますね(笑)。
今回は私の覚書の意味も含め、ざっとお話をご紹介しましょう。

Photo_533 戦国時代。豪族の一人、花房家が統治するある村では、「魔神の伝説」がありました。
ある夜、地を揺るがす謎の足音におののく村人は魔神の怒りを鎮める村祭りを開きます。

当主花房は村人の不安を取り除くよう家老、左馬之助に命じますが、左馬之助はこの祭りの喧騒に乗じて花房に反旗を翻したのです。
花房夫妻は左馬之助の手にかかり、残された幼い遺児、忠文と娘の小笹は近臣の子源太と一緒に「魔神の住む山」に逃れました。
ここまでが第一部的展開ですが、これはある一点を除いてまさに時代劇、大映京都の風格を存分に見せる堂々たる作風です。ここでも、セットのあらゆる場所に視点を据える大映ならではのダイナミズムは健在。
子供の頃には退屈に見えたこの序盤でしたが、今見ると大変力の入った演出ですね。
ここまで本篇をしっかり見せられる自信を持つ大映京都でなければ、この「大魔神」という企画は考えられず、また後半の迫力も生まれなかったと思います。


左馬之助による謀反から十年。
領民は、城主となった左馬之助の傍若無人な悪政・重税に苦しんでいました。そのシンポルとなるのが城の城壁。

都に攻め入ろうとする左馬之助は領民を酷使して城壁工事に駆り立てていたのです。
その仕打ちに耐え切れず体を壊す人々も。

その頃、若く立派な若者に成長した花房の子息、忠文は、左馬之助の悪政を打ち砕かんと近臣、子源太と山を下り都へ。
しかし多勢に無勢、駆けつけた花房の残党と一緒に捕まり、領民の見せしめとして磔の刑に処せられる運びに。


山に残った娘、小笹は、「魔神の住む山」で、魔神の寄代とされる武神像の下に暮らしていました。この武神像が後々ストーリーの中心と化す大きな意味を(皆さんお分かりでしょうが)持つのですが、この設定がこの映画オリジナルというのはちょっと信じられません。
出来すぎている。ひょっとして昔の民話か何かにこういうお話があったのでは、と思えるくらい違和感が無い。
「これ以上でもこれ以下でも成立しない」お話の典型です。


武神像を神とあがめ、封じる巫女、信夫は、満を持して左馬之助の元へ。しかし神の存在を信じない左馬之助により返り討ちにあってしまいます。あまつさえ左馬之助は、領民の信仰の元となる武神像を破壊せんものと家来を山に差し向けました。
家来、軍十郎率いる武隊に襲われる小笹。さらに武隊は武神像破壊の為、像の額にタガネを打ち込むという暴挙に出ます。しかしその時恐ろしい事が。
武神像の額から真っ赤な鮮血が流れ出てきたのです。


ドラマはここまででほぼ一時間が経過しています。「大魔神」は全篇で84分ですから、魔神出現の兆しまで全篇の3分の2を費やしているという訳です。
おそらくこの一時間が子供には耐え切れない長さだったのでしょうね。でもここからはどんな怪獣映画も到達しきれないリアルな破壊絵巻となるのです。

Photo_531 Photo_532 さて。私の説明はここまでとしましょう。以降の迫力は私の筆力ではとても表現できません(笑)。

まあここから先は皆さんご存知の「変身」「破壊」「終局」です。

高山良策による大魔神の見事な造形、武神像から大魔神への表情のコントラスト、実物の2.5分の1サイズの瓦一枚一枚を本当に焼いたと言われる通称「魔神工房」製の城壁ミニチュアなどなど、見所満載のスペクタクルシーン。
まさに「魔神の怒り」を表現したすばらしい展開です。

ここを語るだけでも大変な時間がかかってしまいますから今回は作品をご覧頂くとして。
実は私、今回の再見で二箇所程再発見があったのです。


今日のお話の前に、いろんな方々が書かれた「大魔神」のレビューを拝見したのですが、私が気になった部分に言及された記事にはお目にかかれず。結論めいた事も正確な解説もないので、毎度の私見になってしまう事をお許し頂きたいのですが・・・
「大魔神は神」という、これまでの定説についての私見ですが。

その一。オープニング直後の「大魔神の足音と地響き」。
これについて明確な説明は劇中のどこにもありません。
この地響きが領民の思い過ごしや超自然的な現象で無い事は、実際に揺れる部屋の映像が証明しています。
あれ、何だったんでしょうか?

この直後、魔神の怒りを鎮める為の村祭りのシーンに移っていますから、この地響きは作品の導入部として非常に大きな意味を持ちます。
つまり、大魔神は作品開始時点で「他の場所で暴れ、山へ戻ってきた」という事でしょうか?人々が噂する「神社境内の大きな足跡」は、大魔神が以前も出現した事を暗示しているのでは?

さらにその二。
「武神像にタガネを打ち込んだ時の、額から流れる血」。

これは作品後半、大魔神の怒りを呼び覚ます上で大変重要な場面ですよね。
しかしよく考えてみると、神様ともあろう存在が「赤い血」を流すでしょうか?仏様ならまだしも。


Photo_534 この二つから考えられるのは(あくまで想像上のお遊びですが)
『大魔神は神ではないのでは?』という発想で(笑)。
確かに大魔神はその形相を変化させたり光になって移動するなどの能力を持つ事から、人工物で無い事は明らかでしょう。昔、雑誌「宇宙船」にあった「圧政に苦しむ村人が密かに建造した攻撃型巨大ロボット」などではないと思います(笑)。
でも、神と言うよりは「人」に近いような気もするのです。

こう考えてみたいんですね。
「大魔神は、この時代の理不尽な圧政に苦しめられた、名も無い人々の怒りの集合体では」なんて。


この存在は思念の集合体ですから形を持ちません。光となって国内各所に移動も可能であれば、像のような物体を寄代として物理的な破壊も可能という訳で。さらに各地の怒りを吸収して力もますます強大になるという。
作品オープニングの地響きは、別の場所で圧政を退け、怒りを吸収した魔神が山へ帰ってきた事を表しているのではないかと。
「血」もそうですね。神が赤い血というのはちょっと考えにくいですが、「虐げられた人々が流す血」という事なら鮮血も納得が行く、なんて。
この作品で武神が魔神に変身したのは左馬之助の圧政が頂点に達した時。領民の怒りの大きさに反応して、この存在も動き出すのでは。


私をそんな考えに導いたのは、怒りの魔神の形相、そのスーツアクターを務めた橋本力氏の「目」を見たからかもしれません。
あの血走った、怒りに満ちた赤い目。
あれは神の目でしょうか?


私にはあの目は、権力闘争の犠牲となり、またいわれの無い冤罪、不当な労働などで亡くなった、何万人と言う市井の人々の怒りの頂点に見えました。
破壊の限りを尽くさなければ収まりがつかない程の凄まじい怒りを、あの目に感じたのです。

まあこんなお遊びをしたくなる程、魅力的な作品世界と言う訳ですね。他のご意見も聞いてみたいような気がします。

そのラスト、高田美和扮する小笹の涙にその場を立ち去る魔神の心は、一時にしろ安らぎを迎えた事でしょう。
赤い血を流し、涙に反応する存在。
「血も涙も無い」訳ではないと(笑)。


実は今回、続篇「大魔神怒る」「大魔神逆襲」もレンタルしてきました。やはり敬遠し続けたこの2作。
再会を果たした時、今日の考えが変わっているか、思いを強くしているか。また楽しみが増えました(笑)。

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コメント

「大魔神」なんという偶然でしょう。
私もGEOで、レンタルしたんです。半額セールの時に・・・
今は、HDの中にイメージファイルで、ストックしてあります。
なので、この記事読んでません。あえて、(笑)。
読んでないのにコメントも何もありませんが、、、一言ご挨拶 (*^^*)

 こんばんは。TB&コメントをありがとうございます。
大魔神は私的オールタイム特撮映画ランキングでは常にベスト10にどっしりとおさまっています。
 御伽話のようで、それでいてシリアスな時代劇の要素を合わせ持つストーリー展開は幼稚園児だった僕にはインパクトが大きすぎたようで、本文中にも書きましたが、何度か夢に出てくる始末でした。ではまた。

ポン太様 コメントありがとうございました。
この「大魔神」は、どうしてもネヴュラ座で再見したいとかねてから思っていた「とっておきの一作」でした。
数十年を経て再会したこの作品は、やはり大画面を最大限に利用した画面構成とあの『目』(これが恐ろしい程の迫力で)が印象的な名作。是非ご鑑賞頂き、感想をお聞かせ下さい。

用心棒様 コメント&TBありがとうございました。
確かに「大魔神」は、夢に出てくるような怖さが残る作品ですね。
逃げても逃げても、物理的な距離ではなく「見据えられている」という感覚から逃れられない、不思議な印象があります。
こういう作品を「憑く映画」と言うのでしょうね。
でもこの作品の場合、怪談話にあるような後味の悪さは感じません。むしろ爽快感を覚えます。
この爽快感が、後年までファンを増やし続けている大きな理由なのでしょうね(笑)。

こんにちは~ソフビ散財が止まらないです(笑)
大魔神、子供の頃見た記憶があるのですが、オタクイーンさん同様にストーリーは憶えていません。
しかし虐げられた民衆の怒りというのは分かっていました~ただウルトラシリーズのように物分りの良いヒーローでないところが恐ろしかった記憶があります。これもまたレンタルして観賞して見たくなる作品です。
ヒッチコックは中学生ころに「ヒッチコック劇場」とかいう番組が毎週放送されていたのを食い入るように見た記憶がありますが、またまた記憶が曖昧です~これも再度観賞ですね~オタクイーンさんの影響で新作より旧特撮系ばかり見ているような気がします・・・
ヒッチコック作品で印象的なシーンがあるのですが作品名が思い出せません。
犯罪を犯した?人が車で逃げるシーンを車の後部座席から撮影したシーンなのですが、土砂降りでワイパーが役に立たないでほとんど前が見えないシーンです。
犯人の切迫した心理とすごくマッチして子供心に胸が押しつぶされそうになるくらい動揺しました。オタクイーンさんならご存知では・・・?

大和少年様 コメントありがとうございました。
「大魔神」は今回数十年ぶりの再見でしたが、自分が年を取ったせいか魔神出現までの一時間も充分に楽しめ(笑)、全体的に非常に重々しい、堂々とした大作、という印象を受けました。
映画最盛期の当時、大映制作陣の底力と怪獣ブームの勢いが見事に結合した実例ですね。

ヒッチコック作品についてはなかなか皆さんのコメントが頂けず寂しい思いをしていただけに、今日の大和少年様のコメントは嬉しい限りで(笑)。
コメント中にあった「人が車で逃げるシーンを車の後部座席から撮影したシーン」ですが、私の少ない知識と無い頭で考えますに、それは「サイコ」(1960年)ではないでしょうか?
(違っていたらごめんなさいね)
不倫相手の為、職場から4万ドルの大金を持ち逃げした主人公マリオン(ジャネット・リー)が一人車を走らせる夜のハイウェイ。土砂降りの雨にはワイパーも全く効かず、彼女の心理を表すかのような照明も大変効果的でした。この後彼女がたどり着くのが、映画史上あらゆる監督が手本とした「シャワー殺人シーン」の舞台、ベイツ・モーテルなのです。
タイトルは憶えていなくても、強烈なシーン、カットなど「作品の顔」を持つのがヒッチコックの真骨頂。また機会あるときにでもご覧下さい。
こんな風に、頂いたコメントが名場面を思い出すきっかけにもなるんですね。楽しい経験ができました。どうもありがとうございました。
老婆心ながらソフビの買いすぎにはご注意を(笑)。

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