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2007年1月20日 (土)

そして心はメガリスの崩壊

「ちょっと複雑な心境だけどなー。」
お仕事の合間を縫って訪れたDVDショップ。

Photo_446 奇しくも昨日は1月19日。「119・防災の日」だそうで。ここに発売日を持ってくるという意気込みを感じて予約買いしちゃいました。
DVD「日本沈没スペシャル・コレクターズ・エディション」

去年の7月15日、公開初日に鑑賞して以来いろいろ難癖をつけて来たいわく付きの作品ですが、なんだかんだ言っても「日本沈没」というタイトルには弱いんですよね。どうしても手が伸びてしまうのです。

お仕事も一段落。満を持して「ネヴュラ座5.1サラウンド」なんて贅沢な環境で半年ぶりに鑑賞したこの作品。部屋の灯りも消してまさに劇場環境を再現、飲み物もしっかり用意しました。
あの時から心を寝かせ、思いを熟成させた上での再会は・・・

「う~ん・・・」
鑑賞直後の印象はやっぱりこの一言。

自宅でリラックスして観た分、より作品にダイレクトに向かい合えたとは思います。一度鑑賞していますからその「ショック」も和らいでいるとは思ったのですが、やはり劇場で鑑賞した直後の印象が拭いきれない。
「やっぱり何かが違うなー。」


今回再会してみて、劇場で初鑑賞した時の漠然とした居心地の悪さの原因がなんとなく分かったような気がしました。
Photo_447 根本的な原因は一つ。それに付随した演出テイスト。さらに根本的な原因を作ったであろう制作者側の発想について。
大まかに分けるとこの三点じゃないかと。

まあ以下は、オリジナルとも言える1973年公開の森谷司郎版に心酔した私ゆえの、ちょっと斜めな見方でしょうからお気になさらず(笑)。

まず第一に「根本的な原因」として。
この作品が何故私の心に響かなかったのか。これ、当たり前のお話で。
今回の「日本沈没」って、日本が沈没するっていう現象がメインのお話じゃないですよね。

これは昨年の公開時、色々な方々のサイトでも書かれていたことなので皆さんご存知かもしれません。下世話なお話をしてしまうと「フルコースディナーを注文したらメインディッシュがサラダだった」という時の感触に近いのかなーと。
「私はステーキが食べたかったのに」って(笑)。


1973年版が物差しになっちゃった私は、あの骨太な、「沈没」メインのお話に心を奪われ、「日本沈没」とタイトルが付けば当然そういうお話と心に固くロックが掛かっているのでした。ですから当然、物語は主人公達はもとより、私達観客までが沈没の恐怖、人間の無常観、未来への希望などを画面から受け取れるものだ、と思い込んでいたんですよ。ところが今回の作品にはそれが見事に欠落している。
この作品、「日本沈没という現象を背景にした個人のドラマ」ですよね。
確かに原作どおり、小野寺、玲子、田所博士などのメインキャストは名を連ねています。役どころもほぼ同じ。なのに何故、こんなにテイストが異なるのでしょう。

結局この一言に尽きます。以前もお話した事ですが。
「メインキャストが沈没の被害に遭っている、という感覚が画面から伝わってこない。」
これが「沈没メインじゃない感」を醸し出しているのではと。


今回と1973年版の「沈没」を比較して論じた批評にこんなような事が書いてありました。
「今回の作品は、1973年版のように中盤の「東京大地震」や、後半の「富士山噴火」など、作品の顔となるシークエンスが無い。その為作品の全体像がぼやけてしまい、強烈なメッセージを受け取りにくくしている。」
私もそう思います。「沈没」という未曾有の大災害の恐ろしさは、具体的な描写なくしては伝わらない。
今回の作品は「沈没が災害ではない」感触さえあります。


ちょっとお話は飛躍しますが、「映画を活性化させるには敵の存在が重要」というセオリーがあります。
敵が強ければ強いほど、主人公が敵に打ち勝った時のカタルシスが大きくなるという事です。

「日本沈没」というドラマの場合、この「敵」は「沈没現象」なんじゃないかと。
この地殻変動の恐ろしさがしっかり描かれていないと、ラストに向かってストーリーが疾走していかない。ドラマがまったりしてしまうんです。

その「地殻変動の恐ろしさ」を観客に認識させる事が前述の「作品の顔」であり、そういった大災害に主人公達が巻き込まれる事で、観客は事の重大さを肌で感じられるのでは、なんて思っちゃうんですよ。

以前も何度かお話しましたが、今回の作品では「都市の陥没」は北海道を除いて、人々が退避した後に起こります。唯一人々を襲った北海道にも、主人公側のキャストは一人も被害に遭っていない。
メインキャストにとっては対岸の火事なんです。
私流にお話させてもらえば前作の沈没現象は『怪獣』、今回のそれは『雨』ぐらいの違いがあります。唯一心が痛んだシーンは、やはり首相が阿蘇で亡くなる所でしょうね。あの展開には衝撃を受けました。
ただ他のキャストは依然として「ATフィールドの中」(笑)。
なぜここまで頑なに、メインキャストを安全圏に置こうとするんでしょうか?

ここからは二つ目、その感覚をさらに増強させる演出テイストのお話です。


今回の作品、前述の通り「主人公が立ち向かう敵が分かりにくい、もしくは表現が薄い」という根本的な原因ゆえに、既に物語の牽引力が弱くなっています。それに輪をかけてウラメに出てしまったのが「主人公側への過剰な崇拝、もしくは特別扱い」。
これは公開当時、結構色々なサイトに書かれていた「小野寺ワープ」などが端的に物語っています。あれだけ国内が大混乱になっているというのに、政府関係者でもない彼がなぜあんなに楽に国内を移動できるのか。しかも被災地ばっかり(笑)。

こういう「特別扱い」は他にもあります。玲子が暮らす「ひょっとこ」のメンバーが避難した後、その店内で小野寺が「一緒にイギリスへ行こう」と玲子にもちかけるシーン。あの近所って「ひょっとこ」付近の避難民で大混乱になっているはずですよね。時間経過は照明で表現されていますが多少の喧騒は残ってももいい筈。でもその喧騒が店内にはまったく漏れてこない。全然違う場所のように見えます。
災害時の「空気感」が希薄なんでしょうね。

他にも首相官邸、田所研究所、結城の部屋に至るまで見事に「この地方に被害はない」(笑)。壁にひびさえ入っていないんです。1973年版のD計画本部で見られたあの壁の亀裂、あの怖さを欠いているんですね。
おまけに彼らメインキャストが声高に日本の悲劇を嘆いている場面には、一瞬たりとも「余震」が来ません。地震の方で揺らしどころを加減しているかのようで(笑)。

「沈もうとしている日本と、主人公達が居る日本が『別の日本』に見えてしまう。」
この演出の失敗(愛を込めてそう言ってしまいましょう)が、ドラマの緊張感を著しく欠いているのです。


Photo_448 実は私は、そうした根本的な原因で今回の演出テイストを創り上げてしまった樋口監督の気持ちがよく分かります。以前、劇場鑑賞日にお話した記事には「前作と同じ事ができないという強迫観念」と書きました。その思いは今も変わっていませんが、今回DVDで再会して、また別の「制作者側の発想」が推測できたような気がするのです。
これは1973年版をリアルタイムで観、その後の「沈没人生」(イヤな言い方ですね(笑)の過ごし方が極めて近い、樋口監督と私の思いなのかもしれませんが。

1973年版を観すぎると、こうなる。

これは前述の「同じテイストを避ける」という意味合い以外に、もう一つの意味があります。1973年版をあまりに観すぎ頭の中で反芻しすぎると、1973年版で描いた事はもう描かなくてもいいんじゃないか、なんて思いに囚われてしまうんじゃないかと。
あるインタビューで樋口監督が語っていました。「タイトルを「日本沈没」と付けた時点で既に日本が沈む事は分かっているんだから、わざわざ時間をかけてその兆候を語ったり、大災害を描く必要はないんじゃないか。だから今回は既に日本は沈む事が判明していて、その時期が早まるという風にしたんです。」

そうなんです。頭の中で前作が確立されてしまうと、「観客全員の中に前作があるもの」と思い込みやすいんです。私もそうでした。あれほど話題を呼んだ前作を観ていない人が居ないなんて信じられない、なんておバカな先入観を持ってしまうという。
これは制作者側にとって非常に怖い思い込みなんですね。
私も自分の番組でよくやります。「ここまで毎回同じテイストでやってるんだからたまには全然違う事を」なんて思いに囚われて。
でも、その回がその番組初見の視聴者だって居るんですよね。だから変えない。
「前作ありき」の制作意識はいわゆる「視聴者おいてけぼり」と呼ばれるんですよ。

今回の「沈没」は、若干この「樋口監督の「日沈愛」が暴走したもの」とも捉えられるんです。
これはある意味、前作にハマった私などには少しむずがゆい、逆に近親憎悪的な見方でもありますが。


Dvd ともあれ、やっぱりDVDを手にしてしまった「沈没」。出来はどうあれ、私はこのキラータイトルを冠されるとパプロフの犬状態です。ありえないお話ですが、もし73年当時のラジオドラマがCD化でもされようものなら、また予約買いしちゃうだろーなー。
なんだかんだ言ってきましたが、規模はまったく違えど私も樋口監督と同じような心持ちであったという事が発見できた、今回の再会。
過去のイチャモンが見事に自分に向けられたヤブヘビのような状況で。まさに持論が「メガリスの崩壊」を起こしてしまったと。

樋口監督、お互い73年版の呪縛からは逃れられないようですね。
「わしは日本と心中です」という田所博士の言葉が、胸に響きます(笑)。

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コメント

オタクイーンさん、お早うございます。
私も、昨夜 見ましたよ。
先にオタクイーンさんの記事を読んでいたんで、「なるほど、ここがそうなのね!」なんて見てたんですが ・・・・
飲んでいたせいもあるんでしょうが、重いまぶたをパッチリとはさせてもらえませんでした(笑)。

でも、最後の“わだつみ2000”の活躍は魅せましたね。
あそこは思わず身を乗り出してました(笑)。

ポン太様 コメントありがとうございました。
早速ご覧になったのですね。

ラスト近くは樋口監督お得意の展開で盛り上がったとは思いますが、あそこに至るまでのストーリーにもう一工夫あれば、と悔しい思いに囚われてもおります。
作品はこの記事作成後何度も観ているんですが(しつこいのが私の癖で)やっぱり「ここが」「ここが」と辛い部分ばっかり目立ってしまって。一つ一つの映像は凄いんですが(涙)。

樋口監督含め、やっぱり私達の世代ってどうしても前作に引きずられてしまうようですね。次回はまったくオリジナルの、「樋口印」作品を観てみたい気もします(笑)。

オタクイーンさん、先日はありがとうございました。

当ブログで紹介させていただいたのと前後しますが(当方からのTBは、うまく反映されなかったかも)、少々、コメントを。


>なんだかんだ言っても「日本沈没」というタイトルには弱いんですよね。

まったく僕も同様です。
(オタクイーンさんより沈没ファン歴が30年近く少ないので、レベルはともかく)

僕の場合は、「沈没」ロゴとそれを含むデザイン、というものに反応してしまうという面が強いのですが。


>「沈もうとしている日本と、主人公達が居る日本が『別の日本』に見えてしまう。」

僕の中でもやっとしていた感覚が言語化されて、すっきりしました。
僕は、特に「ちきゅう」周辺があまりに整然としている点に違和感を感じてましたが、言われてみると、それ以外のところでもそうですよね。


06年版「沈没」とそのDVDについては、またそのうち拙ブログで、ぼちぼち語れればと思っています。
また、よろしくお願いします。

ラコスケ様 コメントありがとうございました。
またまた紹介までして頂けるとは。感謝いたします。

樋口版「沈没」には、なんとなく私達の世代の限界を感じたりしてしまいます。
「前作が好きなら好きであるほど巨大に見え、リメイクでは負けるから前作とは違うものを」と発想した段階で既に「負け」だったのかもしれませんね。
そして度重なる鑑賞によって出来上がる「平衡感覚の欠如。」偏った鑑賞眼による「引き出しの少なさ」が一挙に露呈してしまって。
でもこれらの「限界」は樋口監督だけにとどまらず、前作に心酔した人たち全てに共通するものなのかもしれませんね。
それほど傑作を超えるのは難しい。

当たり前のお話ですが、作品というものは完成するまで監督でさえ仕上がりが分からない物で。
「前作でやっていない事をやった」はずが、「前作があえて避けてきた事をやってしまった」と気づくのは、まさに完成作品を目の当たりにした時なのです。

樋口監督は試写室で自作の「沈没」を観た時、どんな感想を持ったのでしょうか。
まあ少しでも作品に関わった人間には正確な判断が難しいと思いますが。

この作品の感想はまた少しずつ書いていくつもりです。ラコスケさんの記事も楽しみにしています。

オタクイーンさん、こんばんは!

ラジオ版「沈没」について書かれた興味深いエントリーに出会いました。
既にご存知かも、と思いつつ、お知らせしておきます。
http://bp.cocolog-nifty.com/bp/2007/01/nippon_chinbots_b601.html

ラコスケ様 有益な情報ありがとうございました!
いやーご紹介いただいた「究極映像研究所」さっそくお邪魔しましたが、実にしっかりしたサイトで敬服致しました。
ラジオドラマ版「沈没」も懐かしく拝聴させていただき、感動の余韻に浸っております(笑)。
このラジオ版は、放送当時私にとって一日の締めとして堪能する「至福の一時」で、何を差し置いてもラジオに向かった記憶があります。番組中に流れる独特の寂寥感が抜群でしたね。
BP様の行動力、解析能力にも大変感服いたしました。ラコスケさんのサイトも合わせ、「沈没ライフ」がますます楽しみになる毎日です。私のような者を気にかけていただいてありがとうございます。
ラコスケさんの記事の更新も楽しみにしています。

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