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2007年1月の記事

2007年1月31日 (水)

最大のライバル

いい年して、今日は随分青臭い思いをお話しします。
呆れないで下さいね。

「わかりました。すぐ確認します。」
彼女はそうつぶやくと、手元の電話のキーを手早く押しました。

お仕事の打ち合わせ場所。打ち合わせ先の会社で作っているDVDの映像を番組で使えるか、というお話になりまして。担当者の彼女、Mさんは懸案事項を後日に持ち越さず、その場で即解決するタイプ。Mさんのおかげで実に仕事が早く進みます。

実は彼女とは数年前に何度か一緒にお仕事をした仲で。
彼女の配置転換で一時疎遠になっていたのですが、ふただびの配置換えで再度お仕事をする事になったのです。

ちょっと言いにくい事ですが、先日まで彼女のポストについていた前任者は非常に対応が遅く、同じ打ち合わせをしてもおそらく結果まで一週間はかかったと思います。

番組作りというのはこういう細かい事柄の積み重ねなので、一つの確認が遅いといつまでたっても進まない。冒頭のMさんのように、出来る事はすく行うという確固たるスタイルを目にすると、自分も襟を正される思いになるのでした。

考えてみれば、Mさんとは以前お仕事をした頃から随分の年月が流れています。数年を経て私の前に姿を現した彼女は、以前にも増して存在感にあふれていました。その存在感はどこから来るのか。
「さすが、相変わらずお仕事早いですねー。」正直に感想を漏らす私に「こういうのはすぐわかった方がお互いいいですもんね」と笑いかけるMさんの表情に、私はキャリアがもたらす余裕を見ました。

打ち合わせも終わり、予約していた美容院へ向かった私。
女たるもの一応は身だしなみに気を使わないと、という訳で髪の色をちょっと明るくしてもらいました。
ここでいつも私を担当してくれるのが女性スタッフのOちゃん。彼女とも随分長いお付き合いです。

なにしろ3年以上前、私が今より10キロ以上太っていた頃を知っている、記憶を消去したいような仲で(笑)。
Oちゃんの対応は実に癒し系で。お仕事で疲れた私を思いやってくれ、むやみに話しかけてきません。美容院にありがちなコミュニケーション過多の姿勢がないのです。
この放ったらかしの時間が私には実に心地よくて。私、美容院では雑誌などもまったく読まないんです。ファッション誌をパラパラめくっていた時期もあったんですが、なんとなく落ち着かなくてダメなんですよね。以来ひたすら寝ている事にしていまして。

でもOちゃんの気使いは並じゃない。私に合わせてくれているんでしょう。実にいいタイミングで当たり障りの無い事を聞いてくれる。心地いい世間話の時間。
この癒しあればこそ、日頃の体当たりロケ(笑)にも耐えられるというもので(爆笑)。


「私、パソコンなんか全然わかんないんですよ。あんなに小さいのに高いし。何が入ってるんですか?」笑いながら、半ば本気で時代錯誤なセリフをのたまうキュートさはOちゃんならではの魅力でしょう。確かに天然っぽい可愛さは否定できませんね。彼女本人は意識していない事なのかもしれません。

私は今日この二人の女性との関わりを通じて、ちょっと思う所がありました。
おそらく彼女達は、自分を好きになる為に努力してるんだろうなーと。


この思いを説明する為には、お話を数日前に戻さなければなりません。
先日、頼んであったある海外テレビドラマのサントラCDが届いた日の事です。その夜私は、このドラマについて詳しい昔の友人に電話をかけました。
彼はこのCDについて、以前発売されていたLPレコードからのCD化で、きっとこの曲だけが版権元から許可されたので発売したのだろう、という見解を話してくれました。
しかしながら私の印象に残ったのは、電話中そこかしこに見え隠れする彼の思いでした。
「やっぱり自分の持っている音源と同じ」「なんであの曲がないのか」「最後の曲なんてテレビ録りのまんま」等々・・・
まあ、言わんとする事はお分かりでしょう。


私はこういう言い回しはあまり好きではありません。「じゃあ今の時代、ほとんど世に知られていない番組のCD化に踏み切ったこのメーカーの心意気はなんとも感じないの?」と反論したい衝動を抑えきれないのです。
このCDを発売したのは通販専門の個人商店のような所。この番組の良さをなんとか世間に知らしめたくて、傑作選DVDも2セット発売しています。あくまでファン活動が元になり、DVD発売までこぎつけた高い志のメーカーと思います。

別にその肩を持つつもりはないんです。でもこのメーカーのスタッフやCD、DVDを買った友人、私などは「ファン」という立場で同列のはず。私などはその情熱の末にDVD、CDを出せたメーカーに拍手を送りたいくらいなのです。同じ立場でここまでやったか。あなた方は偉いと。「作った」という事実だけで、作り手の方が受け手より遥かに立派なんですよ。
それなのに友人は、そういう事情をまるで解せずただ文句をいうばかり。

「じゃーあんたはここまで出せるの?その、自分の手持ちの「レア音源」を超えるような音源を捜して来れるの?それを版権元と交渉してCD化できる情熱を持っているの?」と聞きたくなってしまう。

ここまで直接的ではなくとも、何度かこの友人とはこういうニュアンスの話をしました。しかしその度に彼はこう言うばかり。
「自分はそこまで積極的じゃないから」
「君は作り手側に立ちすぎている」
皆さん、どう思いますか?


自分は絶対安全圏内に居て、与えられるのを待っているばかり。与えられたものに文句を言うだけ。百歩譲って、お金を出して買っている上での文句は仕方ないとしても、「じゃあ次は自分が!」とは決して言えない。
彼はそんな自分を好きになれるのでしょうか?

確かに作品に対する意見は人それぞれでしょう。それはあった方がいい。
でもファンの熱気が実現したこういう例の場合、与える側の事情ももうちょっと考える必要があるのでは?


実はこういう考えは、今私が居るテレビ業界に入ってなおさら感じた事です。皆さんテレビ番組を作っている人間は、特別な生い立ちでコネがあって特殊な才能を持っている集団、なんて思っていませんか?賢明な「ネヴュラ」読者の皆さんはよもやそんな事を思われていないでしょう。私の毎日をご覧になっていればなおさら(笑)。
つまりこういう事です。「特撮怪獣番組を作っている人々だって、私達と同じ普通の人間」なんですよね。別に腕が3本あるわけでも、一日が48時間与えられているわけでもないと。
ああいう、私達を驚愕させるような映像は、すべて彼らの「努力の賜物」なんですよ。
ですから私はどんな作品であれ、自分が目にする作品についてはまず敬意を払う姿勢で居ます。


その友人を始め、一部の人々はこう思っているのでは。
「彼ら番組を作る人たちは特別な人間だ。」
「彼らは自分とは違う人種の人間だ。」


まったくそんな事はない。私はこの業界に入ってよくわかりました。
その気になれば企画が通る可能性だってある。特撮業界に一石を投じるチャンスだって無い訳ではない。番組ジャンルは違えど、自分の望む番組を制作できた同僚達の努力を、目の前でいくつも見ていますから。
怖いのは、それは夢物語と「自分で自分に線を引いてしまう事」なんではないかと。

「自分で自分に線を引いてしまう。」誰しもある事です。これは人それぞれ、いろんな事情がありますよね。お家特有の事情、家族を含めた守るべき人の存在、経済的な事情、その他もろもろ。だから全ての人におすすめする訳ではありません。でも、そういう事情がない幸福な人が線を引いてしまう理由、それは「自分に負けているだけ」じゃないかと。
自分を縛り付けているもの、それは「殻を破れない自分という最大のライバル」では。
友人の彼にしてみれば「このドラマは好きだけど、文句しか言えない自分は嫌い」なんじゃないかと思うんですよ。


冒頭のMさん、Oちゃんにしたって、自分というライバルと常に戦い続けているはずなんです。自分が自分を好きになる為に。的確な応対、人を癒せる笑顔。それは「自分というライバルと戦って得た、好きな自分」だと感じるのです。

偉そうな事をばかり言って、お前はどうなんだというご意見もごもっとも。
私だって友人の彼と同じ、自分に線を引く事の多いダメな存在です。結果だって出せていない。毎日が挫折と敗北感の連続で。自分を嫌いになる事も多いです。
だから余計感じるのです。
皆さんの大好きな映画やテレビ、いや世の中の全ては、「自分という最大のライバル」に打ち勝とうとする人々の努力の賜物という事を忘れたくないと思うんですよ。
件のドラマCD発売だって、結構なリスクを背負ってまで実現に踏み切ったメーカー担当者の心意気の賜物ですから。担当者はこう思ったのでは?「この番組を好きな自分を否定したくない」と。


これはどんな業界にだって当てはまりますよね。読者の皆さんも思い当たる節がおありでは?
だから私は皆さんと一緒に頑張りたいです。
「その線を越えないと好きな自分に出会えない」と願って。


年端もいかない若輩のような理屈を振り回してしまい、申し訳ありません。でも幾つになってもこの思いだけは忘れたくありません。
きっと年を重ねれば重ねるほど、「自分を超えようとすること」は難しく、その努力は無様に見えるでしょう。
でもそれもいいかなって。
「開きなおり」が似合う年なのかもしれません(笑)。

2007年1月28日 (日)

ブラウンは泣いている

「あいよ!毎度ありい!」
なぜか威勢のいい宅配便のおにいさん。その手から受け取ったのは待ちに待った「東宝特撮 巨大生物箱」。

予約していたDVDがついに届けられたのでした。

Photo_467 以前は単品発売されていた東宝特撮映画のDVDを数作品ずつボックスにて発売する今回の企画。今月と来月の2ヶ月連続リリースと言う事で。
不覚にも東宝特撮のDVDをほとんど持っていない私にとってはまさに渡に船。ここしばらく市場から姿を消していた作品を一挙に手に入れるまたとないチャンスと飛びついたのでした。

今月リリースの「巨大生物箱」は、「空の大怪獣ラドン」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」という、まさに夢の組み合わせ。
東宝特撮黄金期の諸作品をDVDの高画質で観る事ができるとあって嬉しい限りなのですが、私を狂喜させたのはなんといってもこの3作品に加え、ボックスにしか付かない特典ディスクなのでした。このディスクを手に入れる為にボックスを入手された方も多いのでは?

Photo_469  「フラバラ」と「サンガイ」(もうお分かりですよね。)に海外公開バージョンがある事は有名なお話で、それぞれ国内公開版とは内容が微妙に異なる事もよく知られています。「フラバラ」のラストシーン違いなど、1980年代にオタクな青春を過ごした私には楽しい研究課題でした。
今回の「巨大生物箱」特典ディスクは、この「フラバラ」「サンガイ」2作品の海外公開バージョンを一枚に収めた、まさにファンが待ちに待ったコレクターズ・アイテムなのです。

Photo_470 いそいそと部屋に持ち帰りパッケージを開けた私は、すぐさま件の特典ディスクを開け、「ネヴュラ座映写室」にセット。目指すは「サンガイ」海外バージョンです。
レア度で言えば今回初のディスク化となる「フラバラ」海外版の方が上なんですが、「サンガイ」に魅力を感じる私としてはどうしても(笑)。

「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」(1966年 本多猪四郎監督)。この作品については今もさまざまな評論、感想、研究などが乱れ飛んでいるので説明の必要もありませんね。
この前年公開された「フランケンシュタイン対地底怪獣」(本多猪四郎監督)の「姉妹編」として公開された、いわゆるフランケンシリーズ第2弾です。

1965年当時、東宝はゴジラ映画をやや子供向け路線に変更し、怪獣というキャラクターが本来持つ怪奇、恐怖性を全面に押し出した新路線を模索していました。このフランケンシリーズはそんな試行錯誤の一つの回答として非常にユニークな位置を占めています。
怪獣に怖さ、強さなどを求める私にとって、この2作品はまさに一つの到達点。
平成ガメラの制作陣が「大怪獣空中決戦」制作時、「サンガイ」のテイストを目指した事は良く知られています。

Photo_471 で、「フラバラ」と「サンガイ」を見てよく抱く疑問が一つ。「サンガイ」に登場する「サンダ」という怪獣は、「フラバラ」に於けるフランケンシュタインなの?という物。
確かに劇中そういう描写はあります。でも出演者は2作を通じ、同じキャラクターは怪獣の母(笑)水野久美さんのみ。しかも彼女はそれぞれ違う名前で出ています。他のキャラクターは総入れ替えされ、肝心のフランケンシュタインも「サンガイ」に出演する子供時代の風貌は「フラバラ」の時とは似ても似つかない物で。
私も長年の謎だったのですが、今回このディスクのライナーノートを読んで納得がいきました。

それはどうやら様々な事情が重なったものらしいという事で。「フラバラ」のニック・アダムスは出演不可能となり「サンガイ」のラス・タンブリンに。フランケンの造形も海外キャラクターゆえの権利問題で変えざるを得なかったらしいです。
そういう事情に合わせ、水野さんの役名も若干変わったと。

なるほど。「姉妹編」という微妙な位置づけは、本来やりたかった事ができなかったゆえの措置だったんですね。

でもこの場合、このお家事情はプラスに働いたと言っていいのでは?もし「サンガイ」の2怪獣の造形が「フラバラ」に順ずるものだったらあそこまでの醜悪さ、恐怖感、迫力が出せたかどうか。つくづく運というものは作品に大きな影響を与えますよね(笑)。

「サンガイ」は前作「フラバラ」で海中に沈んだフランケンシュタインの細胞が、「サンダ」「ガイラ」という二体の怪獣に分離、闘争を繰り広げるといったお話です。
こう書いてしまうと身も蓋もないですが(笑)、前作のフランケンの人間らしい性格を受け継いだのが「サンダ」。そしていまひとつ、「ダークサイド・フランケン」と化した一体が「ガイラ」という訳ですね。

劇中でも「二体は兄弟ではなく分身」と言われる通り、彼らはお互いを補完するような関係なのです。だから敵対している訳ではない。「二人で一つ」的な位置づけなんですね。だから引かれあうように争う。こういうテーマの怪獣映画は今までに無かったものです。
痛々しいんですよ。二体の闘いが。

この痛々しさは国内版、海外版通じて同じですが、私には海外版の方がよりテーマを強調しているように感じました。せっかく海外版を鑑賞したので、国内版との味わいの違いを少々お話しましょう。
ガイラというのは、本来一つの体であったフランケンシュタインの「本能」のみが分離したもの。自分のアイデンティティーは「本能の赴くままに生きる事」なんです。
だから自分の行いに疑問を持たない。
「理性」という概念があるから「本能」が認識できる訳で、彼の中には本能しかないからそもそも二つの区別がつかない訳です。やって良い事、悪い事という概念が無いんですね。それに対して「サンダ」は理性という概念を持っている。自分はやりたいんだけどそれは悪い事、という判断ができるわけです。
ここに対立が生まれる。


ガイラは人食をします。おそらく他の動物なども食物にしていたんでしょうが、ガイラは人間の味を知ってしまった。
これはガイラにとって禁断の実だったんですね。
人間を食糧にすべく都市に現れます。当初ガイラは光を嫌い、夜しか現れないといった性質を持っていましたが、人間の味を知ってからは昼間でも堂々と現れる。
自分が生まれ持つ性質を生存本能がねじ伏せてしまう。
そんな恐ろしさもこのドラマは物語っています。


作品前半、ストーリーにはガイラしか現れません。羽田空港に現れ、人々を次々と貪り食うガイラ。海外版ではここで国内版には無い、胸を締め付けられるような演出があります。
おそらく国内版では刺激が強すぎると判断されたのでしょう。ほんのワンカットにすぎませんが、ガイラの恐ろしさ、「巨大生物の怖さ」を感じるカットです。「ガメラ 大怪獣空中決戦」では、このあたりのテイストをうまくアレンジし、ギャオスの恐怖感を表現していました。
このカットがあるかないかで、ガイラの「食人」というキャラクターがかなり違ってくるのでは、なんて思うのですが。

ガイラ掃討の為自衛隊が出動します。東宝超兵器の中でも一二を争う人気メカ、「メーサー殺獣光線車」(喜)。この山中を舞台とした一連の対ガイラ作戦は本当に血湧き肉踊るものがありますが、海外版ではかなり雰囲気が異なります。
カット割りは同じなんですが、BGMが違うんです。
国内版では「L作戦マーチ」と名付けられた伊福部昭さんの名ナンバーがファンの心を盛り上げるシークエンスなんですが、何故か海外版ではこのあたりのBGMがそっくり差し替えられているのです。

白状しましょう。
私は海外版のBGMの方が好きなんですねー(笑)。

こればっかりは好みの問題なのでお許し下さい。
実は国内版を観た時から、「どーもここのBGMって間延びしてない?」なんて思いに囚われてしまって。(L作戦マーチファンの方々、ゴメンナサイ!)
海外版のアップテンポナンバーの方があのシーンにピッタリくるような。
作戦の切迫感、追い詰められたガイラの焦燥感が強調されていると思います。


この山中で絶体絶命の危機に陥ったガイラの元に現れるサンダ。しかしサンダは自衛隊員を蹴散らしてガイラを守るような暴挙には出ません。
あくまで人間を傷つけない事が彼のポリシーなのです。前作「フラバラ」で人間に育てられたという記憶が彼の食人本能にブレーキをかけているのでしょう。
国内版では「サンダ」「ガイラ」と呼称されたこの二体。山のサンダ、海のガイラという事ですね。海外版ではそれぞれの体色をとって「ブラウン・ガルガンチュア」「グリーン・ガルガンチュア」と呼ばれます。「巨大な化け物」という意味を持つガルガンチュア。二体は人間社会に受け入れられずひたすら闘争を続け・・・

最後の戦い、港を前に争う二体の姿は、本来一つであったものが引き裂かれたゆえの悲劇を感じます。
そのリアルな照明効果、ラス・タンブリン・日本人離れした風貌の水野久美が見せる演技はもはや洋画のテイスト。
海外との合作ですから当然の事ですが、この味わいは英語吹き替えの海外版に軍配を上げたいと思います。ここでも差し替わったBGMを含め、「外国映画」の風格があるんですよ。

ブラウン・グリーン(海外版ですからここからはあえてこの呼び名で)を戦いに駆り立てたものはいったい何だったのでしょうか?二体で共闘し、人間に襲いかかる事さえできた筈なのに。
本当は本能に殉ぜず、理性を持ってしまったブラウンの方に悲劇が宿ってしまったのかもしれません。

巨大生物にあるまじき「人間性」を宿してしまったゆえの悲劇。

私はこのシーンを観て感じる事があります。
「ブラウンの目は泣いている。」


これはグリーンへの相容れなさに感じる涙と共に、本能に忠実に生きられない自分に対しての涙だったのではないでしょうか。
理性を持ったブラウンにとって本能のまま暴れるグリーンは言わばもう一人の自分に見える筈。その行いが粗暴であればある程、自分の醜悪な部分を見せつけられているように感じる、悲しい構造。
それでいてブラウンはそんなグリーンにどこか憧れを抱いているのでは。

「サンダ対ガイラ」をご覧になる機会があれば、是非一度決戦シーンの「彼の目」を観てください。本来スーツメーションによって表情など作れないはずの、着ぐるみのマスクを。
海に墜落した、もつれ合った二体が迎えるあのラスト。あれはひょっとして絶望の淵に立ったブラウンがグリーンと共に迎えた「理性ゆえの犠牲」だったのかもしれません。


「ジキルとハイド」をもう一歩進めたドラマの深みが、この作品には感じられるのです

テーマは同じでも、国内版とは若干異なるテイストの海外版。色々な所で新しい発見がありました。やっぱり怪獣は怖く、テーマを持ってなくちゃ。
私はイケメンのブラウンが好みだけど、やんちゃ坊主のグリーンも好き。食べられる程愛されたい、なんて(笑)
シリアスな感想ぶちこわしですか?
こんなもんですよ私は(理性なき涙)。

2007年1月26日 (金)

日常怪獣王

・・・ちょっと風邪気味かも。
きのうお仕事で一緒だったアナウンサーさんが風邪の治りかけで、おまけにメイクさんまで大きなマスクしていましたから、ウィルスを射ち込まれた可能性は充分ありそうで。
喉と鼻に来てます。空気の乾燥も関係しているとは思いますが。
気をつけないと。

そんな訳で今日は、お洗濯を済ませてからずっと部屋にこもりっきりで。まあこんな日があってもいいか、なんてくつろいでいました。
(う~ん、これじゃ普通のブログですねー。信じられない。)
ご安心下さい。風邪気味でもオタクイーン。部屋を見回してみてある事に気がつきました。
「そういえば最近、この手の品物を見かけないなー。」


Photo_460 「この手」というのは写真のようなグッズ。これは家のキッチンに置いてある石鹸置きなんですが、まあ見たとおりゴジラなんですよ(笑)。これは当然私の趣味で、この部屋に入居した時に買ったもの。
今の部屋の状況からすればむしろピッタリなんですが、当時はゴジラ関係のグッズなんてさほど持っていませんでしたから、私にとっては嬉しい一品だった訳です。このイタズラっぽい顔つきが可愛いでしょ。

こういう生活雑貨はちょうど20数年前、ゴジラが復活を遂げた1984年あたりから店頭に出回り始めたような記憶があります。時を同じくして、「ウルトラシリーズ」などもデフォルメされたキャラクターが子供や女性に人気を博しだした頃でした。
ゴジラもこの頃、色々な生活雑貨に姿を変えて、部屋の隅々に置かれるようになりました。私もご他聞にもれずこのブームを楽しんだクチです。

ゴジラが銀幕から姿を消して2年あまり。おもちゃ屋さんの店頭をにぎわすゴジラ関係のフィギュアはその売り場スペースを縮小され、冒頭のような生活雑貨もいつの間にか他のキャラクターに主役を奪われた感があります。
こういう物にもブームって関係してるんですねー。

さて、そんな視点で部屋をうろうろしていると、そこかしこにブームの残照が影を落としている事に気がつきました。前述の「石鹸置き」はネタ振り的な小物で(笑)。

Photo_461 これはどうですか?リアルにお手洗いに据え付けてあるものです。もちろんいつも綺麗にしてますが。
私の部屋に初めて遊びに来た人がトイレに立つと、まず間違いなくこれの事を話題にしますね。「あんたやりすぎだよ」って(笑)。

でもいいでしょ。ゴジラにトイレットペーバーを持ってもらえるなんてめったに経験できませんから。微妙に視線を外してくれてる所もグッド。女子としてはこういう気配りに喜びを感じたりするのですが(笑)。

Photo_462 これなんかも当時の物ですねー。単純に貯金箱なんですが、なにしろこれは大きい。
左の缶コーヒーと比べていただければ大きさがお分かりと思います。高さが30センチ近くありますから、この貯金箱に貯めたらさぞかしお金持ちになれることでしょうね。

もちろん私はこういう物を「フィギュア」として見ているので、コインを入れる事はありませんでしたが。

でもこれ、デファルメとはいえやっぱり当時のゴジラをモチーフにしているんですよね。
完全に平成ゴジラのデザインです。これが初代とかキンゴジとかならもっと愛着も湧いたんだけど・・・。この丸っこいデフォルメーションもあって、私の部屋ではこれは「招き猫」扱い。
一体何を招いているのやら(笑)。

Photo_463 貯金箱は平成ゴジラがモチーフでしたが、これはまた違うアプローチが時代を感じさせる一品。ご覧のとおりのデキャンターです(笑)。当時、これをお店で見かけた私はビックリしました。「ついにゴジラからお酒を注がれる時代が!」なんて。まあ今ではゴジラの銘柄を持つお酒さえ限定発売されている、なんて噂も聞きますが、とにかくこの「ゴジラ・デキャンター」は、ゴジラを貴方色に染める事ができるという魅惑の品なんですねー(笑)。
私は晩酌をしないのでこれに好みの銘柄を入れて、なんてことはしないんですが、お酒好きな方ならたまらないでしょうねー。
このデキャンターから注がれた美酒に酔いながらゴジラ映画を鑑賞、なんて楽しみを、自宅で味わえる訳です。

Photo_464 このデキャンター、アップにするとわかりますが、前述の貯金箱とは異なりこれは、昭和のゴジラがモチーフとなっているんです。
しかも「対メガロ」「対メカゴジラ」あたりの渋い線。
確かにこの頃のゴジラをモチーフとした商品も多いんですが、まさかデキャンターにまでなるとは。
同好の士の集まりではそんな話題も楽しい肴になりそうですね。

Photo_466 で、オン・ザ・ロックにしたい時は?そんなわがままなお客さんにも、「ネヴュラ座」はちゃんと対応しています。ちょっとわかりづらいですが「ゴジラの形の氷」を作れる製氷器があるんですねー(笑)。
こんなもの誰が発想したんでしょうか。「ジュラ期の空気を閉じ込めた」なんて謳い文句はなかったですが。
こんなグッズがあるたげでお酒もちょっと違った味になるんだから不思議ですね。

この手のいろいろな生活雑貨やグッズなどは、やはりブームの衰退と共に市場から姿を消す運命なのかもしれません。大型スーパーなどでは不要在庫として安売りの対象に最もなりやすい物ですし。(私も以前そういう時期に、いくつか手に入れた物もあります)。
ただ難しいのは、こういうグッズというのはその商品展開の全貌が分かりにくいという事で。予告もなく売り出され、前触れもなく消えてゆく。後年の特集記事などでそんなグッズがあった事を始めて知る、というような事態になりやすいんです。
ですからこういう物を集めている方などには本当に敬服の念を禁じえません。毎日が戦いのようなもので。
見たら即買い、「一期一会」の世界ですよね。


幸い私は、こちらの世界へはそこまで入れ込んでいませんから、なんとなく部屋のあちこちにある怪獣達に癒されるだけで満足で。
これも「ユル好き」の私ならではの感覚なのかもしれませんが。

でもこういう生活雑貨が受け入れられた時代は、今より怪獣が身近だったような気がします。ゴジラ映画が商売にならなくなった今、怪獣というジャンルはよりマニアックな世界となった感じがしますね。またこういうグッズがブームとなった時、怪獣はスクリーンに帰って来るのかもしれません。

Photo_465 そういえば今日、これらの雑貨を漁っていて面白いものを見つけました。これ、1994年に私の部屋で開いた「自宅版TVチャンピオン・映画・怪獣ウンチク王選手権」的なイベントで、玄関ドアに貼り付けたいわゆる「看板」。
当時の雑誌「テレビマガジン」の付録を組み立てて、スチレンボードに据え付けた物です。生活雑貨ではありませんが、94年当時の子供雑誌には毎月こんな風にゴジラの付録が一杯付いていたんですね。
たしかこれは「子供が被れるゴジラマスク」という触れ込みでした。
こんな角ばったゴジラ、ありえませんが(笑)。
でも、こんな付録が雑誌に付く、というブームの「空気」も楽しいんですよね。


「キング・コング」も最近復活した事だし、「ゴジラ」も第一作のリメイクとか狙っているような気もするんですが。ひょっとして昨年の「日本沈没」の興行成績次第だったのかも・・・
ここでもう一つ、東宝さんに期待したい所ですね(笑)。

2007年1月24日 (水)

路地裏美術館

こんな物が見つかりまして。
Photo_450 どうですか、このそうそうたるメンバー。東宝、円谷の人気怪獣が大活躍(ゴルゴスはどうか、というお話はさておき)画面の片隅には違う世界のお友達までが参戦、子供の夢をそのまま具現化したような(笑)一場面です。

Photo_451 このイラストは有名な怪獣図鑑のものを流用した、今で言うポストカード。
ほら、裏にはちゃんと宛名欄があります。
モグネスな切手スペースにある「七円切手をはる」という一文が時代を感じさせますねえ。

こういうハガキは、昔よく駄菓子屋さんなんかで売っていました。
考えてみれば、こういうハガキを使って便りを出した事など一度もありませんでしたね。まあ当時流行った怪獣ブロマイドの一種とでも考えていたんでしょう。

1971年に流行った「仮面ライダーカード」に先駆ける事数年。カルビーがテレビであのスナックのCMを放送するはるか昔から、私達子供の間ではプラモデルやチープトイと同じ比重で「紙モノ」と呼ばれる一連のおもちゃが流行していました。
その多くはテレビで放送されていたウルトラシリーズなどの一場面を紙焼きした、迫力あるブロマイドでしたね。
今もマニアの間で珍重されている「5円プロマイド」という代物です。
今で言う「トレーディングカード」のような物ですね。袋入りで中身が分からないところが、子供達の購買心を煽った心憎いアイテムでした。

私も当時よく集めましたが、後に書かれている色々な研究文にもある通りこのブロマイドはその全貌が非常につかみ辛く、正直集めても集めても集め切れないあせりが付きまとっていました。専用のアルバムなんて気の利いたものもなかったので、ただトランプのように重ねて保存していたものです。
当初はこのブロマイドもテレビで見たメジャーなヒーローや怪獣ばかりでしたが、そこには商業原理が付きまとい(笑)。加熱するブームに合わせて、なにやら怪しい怪獣や怪人、ヒーローが山のように量産され、版権逃れの「加筆」や、写真とはとても言えない「イラスト」に姿を変えて、駄菓子屋さんの片隅で怪しい輝きを放っていたのでした。

実はこの頃メインターゲットだった私達もこのまがい物ブロマイドの存在は察知していて、正統派ブロマイドとの住み分けを行っていたのです。「これは偽者でから買わない」なんて。
ところが好事魔多し!(笑)メジャーな「ウルトラ」や「ゴジラ・ガメラ」などは早々に売り切れちゃうわけですよ。
で、どうしてもそっちに手を出さざるを得ない状況になるわけで。

この頃の空気は1980年代初頭の「ガンプラブーム」に非常に似ていましたね。バンダイのガンダム、ザクが店頭では品切れで、仕方なく売れ残りの「アニメージ」や「モビルフォース・ガンガル」に手を出す心理と同じでした。
それにしたってこれらブロマイドの出来はお世辞にもいいものではなく。
なにしろオリジナルの怪獣に露骨に作画してるから違和感もまあ大したもので。ひどいものでは実景の写真に怪獣だけセル画まがいの「絵」という、TV版「バンパイヤ」みたいな出来の物もあったのでした。冒頭のハガキなどまだ出来がいい方だったのです。


しかしながらこの「まがい物ブロマイド」、東宝や円谷の図版がムック本などで手軽に見られる今の時代にはかえって貴重なものになりつつあります。まあとりたてて騒ぐ事もないんですが、今見てみるとそれなりに時代の空気を感じるものが多いですねー。

Photo_452 こんなお話をするのも、先日オタクショップで見つけたこの本の影響なのです。
この本にはあえてオリジナルを載せない(載せられない?)まがい物怪獣のブロマイドを中心に置こうとする編集者の酔狂な心意気がありまして。少し前の本ですからお持ちの方も多いのでは?
でも私、これを見て久しぶりに旧友に会った気分(笑)。

Photo_453 例えば円谷や大映の人気怪獣だって、ちょっと角を生やしたりデザインをいじっただけでまったく素性の異なる「別人」になっちゃうんですねー。この豪気さ!(爆笑)。
メガネをかけただけでスーパーマンとは分からないクラーク・ケントの芸風を踏襲した、見事な存在感です。


Photo_454 ネーミングのセンスも常人を超えたものがあると思いませんか?古今東西、大体の怪獣にはそれなりに名前の由来などがあるものですが、これらの名前の素性はどうひねっても推測できない。私もそれなりにやってみたんですよ。逆読みしたり一個飛ばしにしたり。
「レッカカトリス」って何語なんでしょうか(笑)。

Photo_455 でもこれはこれで実に駄菓子屋にマッチするキャラクターですねー。私も当時、この内のいくつかを掴まされた事があります。こういうのって子供心に「負け」なんですよね。だからコレクションの一番下に重ねて置いたりして。
束の一番上はやっぱりウルトラマンで(笑)。

Photo_456 Photo_457 ヒーロー達もこれまた個性溢れる方たちがいっぱいで(笑)。
左のライダーもどきなんかいい味だしてますよね。

このあたりのセンスって私大好きなんですよ。皆さん子供時代に遊んだキャラクターって、必ずしもテレビヒーローそのままじゃなかったんじゃないですか?妄想好きな私などは、テレビヒーローの設定を自分で勝手にアレンジして、オリジナルストーリーをでっち上げながら楽しんでいましたから。
子供の想像の幅って、設定デザインにがんじがらめにならない分無限の広がりを持っていたと思ったりするのです。

Photo_458 これもいいでしょ。
右上の「変身正義の人」(笑)。ネーミングが素晴らしい。
名は体を表すとはまさにこの事で(爆笑)。

「変身剣士」や「ロボット人間」もいいですねー。「地球を守る隊員」って何の隊員なんでしょうか。
でもやっぱり「正義の人」のセンスが好きです。
某ライオンヒーローよりかっこ良くないですか?「正義の人」って(笑)。


Photo_459 これはSFイラスト界の巨匠、小松崎茂先生が描かれた作品ですから、ちょっと特別扱いしなければならないイラストなんですが、これらの怪獣、当時50円のプラモデルとして発売されていたんですよ。だからこれは正確には「箱絵」なんですよね。
「公害怪獣ヘドロ」「スモガ」「ギャオー」。私、このフラモデル作りました。近所のおもちゃ屋さんには「ヘドロ」「スモガ」しかなくて、「ギャオー」までコンプリートしている友達が羨ましくて。
その友達とは今でも交流があります

物持ちがいい彼の事だからまだ持っているんじゃないかな。でも彼は今リバプールに居るので、確かめる事はできませんが(笑)。
左下のイラストのヒーローは当時見かけなかったんですが、こんなのもひょっとして発売されていたんでしょうか?まあこのあたりのお話は長くなりそうなので別の機会に。

でもこうして見ると、今も昔も駄菓子屋さんって「日の当たる裏道」って感じがしますよね。大人のおよび知らない所で繰り広げられる、路地裏アートの世界って言うんでしょうか。まあある意味、資本主義が引き起こす商魂のパワーも感じますが(笑)。
でもそんな部分は子供にはうかがい知れない事。なんだかんだ言っても、昔の私はこういう「まがい物」に創造力を刺激され、楽しませてもらったような気もします。

理由はどうあれ、子供の頃にこうした「オリジナルを圧倒するパワー」に触れた事も、決して無駄ではなかったと。そうでなければ作品世界の広がりを感じる事や、サイドストーリーを楽しむ力だって育まれていなかったはずですから。

こういうアレンジが許された時代は、まだ版権に対する意識が大らかだったのでしょう。
ただここが難しい所ですが、私達が子供の頃、周りに溢れていたヒーローや怪獣のイメージって、決して公式設定やデザインだけではなかったのでは。むしろこうした「まがい物」を含めた総合的なイメージで受け止めていたのではないかと思うのです。それが大きなうねりとなってブームを作り上げていたような記憶があります。


「公式設定にとどまらない、無限の怪獣世界」に触れる事ができた、幸福な時代だったんですね。
まちがってもこれらの怪獣やヒーローは食玩にはならないと思いますが、もしなったらどうしよう?
「HG変身正義の人!」
コナミあたりが出しそうで怖いです(笑)。

恐怖の「ヒッチ・フィールド」

久しぶりに訪れた都心の書店。
「ここのがいいんだよねー。」
手に取ったのはお気に入りの500円DVD数枚でした。

公開後50年以上の映画が版権切れとなり、同じ作品でも複数の会社から安く発売できるようになっている事は皆さんご存知の通り。
そうなると、自然にお好みのメーカーが出てしまうもので。ちょっとした機能の差が購買の決め手になったりしますね。同じメーカーで揃えればパッケージも統一できるし。

Photo_449 最近私はこの「KEEP」というメーカーのDVDがお気に入り。日本語、英語の字幕選択や字幕の有り無しが選択できる所がいいですね。パッケージデザインも好みです。

今回手に入れたのは大好きなアルフレッド・ヒッチコック監督の作品数点。昔はこういう作品はなかなか鑑賞の機会に恵まれなかったのですが、最近はわずか500円で手に入るんですからこんなにありがたいお話もありません。

で、「ロープ」。公開は1948年とあります。
勿論私はこの頃影も形もありませんでしたが、この作品、イギリスで名を馳せたヒッチコックがアメリカに渡り、連作を続けていた頃の実験作であった事は有名なお話で、私も20年ほど前、ビデオで初鑑賞しました。

鑑賞当時はヒッチ作品を絨毯爆撃(笑)していた時期でもあり、この作品の印象として全盛期の「サイコ」「鳥」「海外特派員」「見知らぬ乗客」ほどの絢爛さもなければ、イギリス時代の「第3逃亡者」「バルカン超特急」のような勢いも感じられない、いわゆる「意欲作」の一本に見えてしまったのでした。

今回、20余年ぶりにこの作品を手に取った理由、そのキーワードは「TMT」と呼ばれる撮影技法でした。「TMT」とはヒッチが実験的に採用したもので、「テン・ミニッツ・テイク」の略。これはこの作品のスタイルからはじき出されたもので、有名なお話ですがこの作品、上映時間81分がワンカットで撮られたように作られているのです。つまり作品内の時間経過と上映時間が同じ。シーンや場所が飛んでいないという意味です。
ヒッチはこのスタイルを貫く為に、当時の撮影カメラのマガジンに入るフィルムの最長、10分を一気に撮影し、それを繋いで全篇81分を作ったという訳です。

10分間ノーカット撮影。それがどういう意味を持つのか。
これに似たような感触を持つ作品が以前から話題になっていますよね。そう、TVドラマ「24」です。この作品も物語の経過と放送時間が同じ。途中を端折らない分、その空気感は「ロープ」と似た部分を持っています。

まあ「ロープ」は、実際にはヒッチが意図した通り完全にカットが繋がっている訳ではありませんでしたが、それでもエモーションの流れを断ち切らない演出は大変な緊張感を与えます。

私も以前鑑賞した記憶が薄れ、今回「あー、「24」と同じね。」なんて感じで新鮮に観る事ができました。ヒッチ初のカラー作品という事もあり、1948年制作ながらモノクロ作品ならではの身構えも必要なく(笑)観られたのです。
「ネヴュラ」読者でこの「ロープ」をご覧になった事がおありの方、どんな感想を持たれましたか?私は「三谷好喜、『古畑任三郎』はこれ観て書いたでしょう!」でした。
三谷好喜が舞台の世界からテレビに進出した事は皆さんご存知の通りですが、彼の得意とする「限定空間での濃密なやりとり」は、この「ロープ」の舞台設定と極めて近いのです。


まあ元々がこの作品、パトリック・ハミルトンの舞台脚本(戯曲ですね)を元に作られていますから場所が限定されるのも無理はありません。

開巻まもなく、ある高層アパートの一室で一人の青年が二人の友人にロープで絞殺されます。それだけでも充分ショッキング。
その絞殺直後、殺人者の一人ブランドン(ジョン・ドール)は共犯のフィリップ(ファーリー・グレンジャー)に、自らの信念を語ります。
「ある種の超越した人間は殺人さえ犯せる権利を持つ。それを完全に成し遂げえる事が選ばれた我々の特権なのだ。」
彼らは絞殺した友人の遺体を衣装箱に安置し、その上にクロスをかけてテーブルに見立てました。この部屋で今まさに、大勢のゲストを呼んだパーティーが開かれるのです。
部屋の中心に遺体が安置されている事など誰も知りません。
このパーティーを何の不都合も無く終わらせる事。これが二人にとっての「殺人芸術」の完成なのです・・・


魅力的な設定です。作品を観る観客は、殺人者二人の会話を最初に聞く事で「共犯」となります。今後パーティー会場で少しでも遺体入りテープルに近づこうとする者があれば、それだけで心臓が鷲掴みにされるような緊張を味わうのです。
これは最初から犯人を分からせるパターン。いわゆる「コロンボ型」の展開ですね。でもこういうストーリーは、進行中のサスペンスの作り方一つで傑作にも駄作にもなってしまう。でもこのあたりはさすがヒッチコック、おそろしく緊密な空間で観客の心を釘付けにします。

この作品を『古畑』と言ったのには訳があります。『古畑役』が居るのです。
犯人二人は大学の同級生。今日のパーティーには彼らの恩師、ルパート・キャデル教授(ジェームス・スチュワート)が呼ばれていました。殺人心理に極めて詳しい彼は、パーティー中の二人の様子、現れない犠牲者、そして不自然な現場の状況から犯行を推理して、恐ろしい犯行を導き出すのです。
どうです?『古畑』でしょ?


実はこの「ロープ」という作品、ヒッチコックの諸作品の中では「駄作」「失敗作」という評価が非常に高く、あまり有名な作品でもないんですね。確かにヒッチコックの持ち味は大胆な編集やトリッキーなカット割り、また独特のライティングやもはや「特撮」の域に達したカメラワークなどに特徴がありますが、私は今回再見してみて「ヒッチ・フィールド」とでも言うべき独特の空気感を味わいました。
別に大仰なBGMやものすごいカメラの動きがある訳でもないのに「うわ~っ」とでも唸りたくなるような緊張を観客に与える「場の空気」。ヒッチはどの作品にもそんな場面が盛り込まれていますが、この「ロープ」にもその興奮があります。

それは作品中盤。パーティー中、事情を知らないお手伝いの女性が、ゲストがまだ居る部屋の中で例の衣装箱の上を片付けるカット。この作品はほぼ全カット連続ですから、メインキャストのグループショットから振られたカメラは約2分間、テーブルの上の食事を片付け、クロスをたたむ女性「だけ」を捉えます。2分間ですよ。この間カメラは動きません。
この緊張。この息づまる空気。あまりにカメラが動かないので、このまま衣装箱が開けられ、死体が白日の下に晒されるのでは・・・と、観客は完全に犯人の立場になり、怯えてしまうのです。こういうある意味「放ったらかし」の長回しが、ヒッチは非常に巧い。
こういう空気感は後に「北北西に進路をとれ」(1959年)のとうもろこし畑のシーンや「鳥」(1963年)のジャングル・ジムのシーンなどに受け継がれ、「フレンジー」(1972年)で結実するのではと思います。
あの、空気さえ恐怖に震えるような独特の「緊張感あふれる場所」こそが、誰にも真似ができない「ヒッチ・フィールド」なのではないかと。

他にも言葉では表現できない「怖い寄り」など、凡百の監督が束になっても叶わない独特のヒッチ・スタイルが、この「ロープ」にも数多く現れています。
「ヒッチコック」と言うと最近では、必ず自身が作品中に顔を出すとか、仏頂面をしたふとっちょのおじさん、なんてイメージで語られる事が多いですが、私はそんな「演出のキレ」が現れた時こそまさに「ヒッチだ!」という思いに囚われてやまないのでした。

いろいろな文献にも書かれている通り、ヒッチはこの「ロープ」で、カットバックという自身の得意技をあえて封印して新しい境地を目指したのではと思います。この時ヒッチ49歳。この後、皆さんもよくご存知の絶頂期を迎える訳ですね。
人間、挑戦し続ける事が実を結ぶんだなーと改めて思います。
あの「サイコ」が61歳の時ですからねー。


ヒッチがフィルムに定着させた「ヒッチ・フィールド」は今だ健在。「ロープ」は公開後60年近く経った現在も、私に興奮を与えてくれました。
えっ?オチにひねりが無い?
巨匠の前には素直にならなきゃ(笑)。

2007年1月21日 (日)

光に賭けたプライド

「お早うございます。」
ロケ日の朝。スタッフルームに現れたのは私より10歳ほど年配の照明スタッフでした。初対面です。

テレビ番組の場合、ロケ毎にスタッフ編成が異なる場合も多く、特に照明部門は別会社が担当している為、こうして初対面の方がいらっしゃる事も珍しくないのです。
挨拶も早々に、他のスタッフも交え今日の撮影内容についてのミーティング。ディレクターの私は、過去の作品をVTRで見せながら欲しい絵についてイメージを説明します。
説明が終わった時、その照明マンから質問がありました。
「監督、見せていただいたVTRでは、照明が比較的コントラストの強い、カチッとした絵になっていますね。台本の感じからするともう少し柔らかな、優しい絵にしてもいいとは思いますが、監督のお好みはどちらでしょう?」


「監督」なんて呼ばれる事に若干の照れを感じながらも、その時私は思いました。
「やるな、この人。」

番組の絵作りについてこういう質問を受けたのは初めてだったからです。確かに私は、絵のテイストは照明ではなく、カメラの特殊レンズやフォーカスで表現する事が好みなのかもしれません。
質問されて初めて気がつきました(笑)。
「そうですね。好みとしてはハイ・コントラストの方ですね。でも場面に応じて、やりやすい当て方をして下されば結構ですよ。」
こう答えた私に、彼は笑ってつぶやきました。
「そうですか。ありがとうございます。」


今日の「ネヴュラ」は、時々お話しする、私の普段の撮影現場の点描です。特に今回は「照明」に光を当ててみました。日曜日の記事としてはちょっと硬いかもしれませんが、「コイツ、いつもこんな事考えて仕事してるんだ」なんて笑っていただければ。

どんなお仕事でもそうですが、初対面のスタッフとお仕事をする時ってやはり「お互いの探りあい」になりますよね。年だけ重ねて相変わらず不勉強な私などは、自分の思いを素直に相手に伝える事しかできませんが、この日の照明マンのようにキャリアを重ねてくると、探りあいというより「相手のリクエストに応えられる引き出し」を沢山持っているのでしょう。
「この監督はこのテイストを求めているな。だったらこうしよう」
なんて。


一箇所目の撮影場所はいわゆるブライダルショップ。
最近改装したばかりでピカピカのお店です。ご想像通り、純白のウェディングドレスが店内狭しと展示され、撮り方も限定されてくる難しい場所でした。
さてここで、私はスタッフに指示します。
「白のドレスを撮って下さい。」
スタッフは、私のこの言葉に込められた様々な意味を汲み取って絵作りをするわけですね。

当然の事ながら、前述の照明マンは「白」というドレスをどう見せよう、と苦心するわけですね。なにしろ白ですから光の当て方ひとつでどんなイメージにも作れてしまう。
彼も最初は戸惑っていたようです。
今まで白のドレスに光を当てた事は何度もあったでしょうが、それを「私が望む絵」にする為の苦心ですね。

正直な所、カメラの映像を映し出すモニターテレビを見ながら最初は「ちょっと違うかな」なんて思っていました。いわゆる「ベタ明かり」という感じでドレスのディテールが出ていない。陰影が無いんですね。
このあたりの考えの違いを埋めるのがお互いのコミュニケーション。「もうちょっと影を出したいですねー」なんて言いながらワンカットずつ作り上げていく訳です。
でも長年のキャリアを持つ彼の事。すぐに理解してくれました。
この「理解してくれた瞬間」が良いんですよ。私の要望がモニター内に表現された瞬間、つくづく「このお仕事をしていて良かったー」と思いますね。
「テレビ屋冥利に尽きる」って感じでしょうか。


こんな感じで撮影は進んでいくんですが、ここで面白い現象が起こります。これは私もしばしば経験している事なので別段不思議ではないんですが。
わずか一日で、照明マンの腕が上がっていくんです(笑)。
これは、前述のコミュニケーションで出来上がった意志の疎通が生み出す賜物なんですが。


一箇所目、ブライダルショップの撮影も終わり、二箇所目はメガネ屋さんへ。
ご同業の方ならお分かりでしょうが、メガネや宝石などの「光物」って撮影が大変ですよね。というのはどう撮っても周りの風景が映りこんでしまう。本当ならスタジオへ持ち込んで、映りこみを完全に無くしてから撮るのがベストなんです。でも事情が許さず店内での撮影。
私もこのこういう物には時間を多めに割き、じっくり撮っていく事にしています。

今回のメガネには二つの難問が待っていました。
一つ目は「フレームに刻印された極小サイズのブランドロゴ」。

これは照明の陰影によって刻印部分に影を作り、ロゴを浮き立たせるという技が必要なんです。ところがお察しの通り、この技は刻印が小さければ小さいほど光の当て方が難しい上に、ただ当てればいいという物でもないんですよ。あくまで「自然光のようなさりげなさ」が重要なんです。「いかにも当てました」という絵は見ていて「恥ずかしい」。これは私もよく言います。「素人じゃないんだから」なんて(笑)。
ここでも照明マンのセンスが物を言います。
「半分ぐらい当てましょうか。」
この「半分ぐらい」の加減で、皆さんがパンフレットなどでご覧になる「おしゃれなメガネ」の絵が生まれるわけですね。


二つ目の難問は「金色のフレーム」。
純金フレームのメガネをアップで撮らなくてはいけないんです。

これも照明マン泣かせで。「金」という素材は明かり次第で高級感がまったく違ってくる。表面の艶とレンズ部分の反射次第で、物の価値が1万円にも100万円にも見えてしまうんです。
さあここで出たのが「カメラマンと照明マンのコラボレーション」。
今回私は、メガネの高級感を演出する為に「クロスフィルター」を発注しました。
これは光の形を加工するカメラのフィルターです。
昔、実写版「人造人間キカイダー」で、ジローがキカイダーに変身する時、肩のスイッチを押した所で光る十字の輝き、ああいう効果を出せるものなんです。
十字だから「クロスフィルター」という。


このクロスフィルターは光を変形させるものですから、いい場所に光が当たっていなければどうにもなりません。ここでうまく光を誘導するのが照明マンの腕。「いい感じ」というのは言葉では説明できないので、まさにセンスの世界なんですよね。何度も置き場所を移動させながら「いい位置」へ明かりを持ってきます。僅か1ミリの位置のずれが命取りになるデリケートな作業です。でもその甲斐あって、今回もベストショットが撮れました。
「どう?ここ?」なんて言いながら、小さな光を操る彼に、私は心底プロの意地を見たものです。


三箇所目はイタリアンレストラン。先日「ネヴュラ」でお話した、カプチーノの上に文字を描くお店です。
「カフェチョコラータ」と呼ばれるこのコーヒーは撮影が比較的簡単だったんですが、予期せぬ出来事は襲ってくるもので・・・
このお店、この日の撮影の数日後、大改装する予定だったんです。放送日は改装後。放送の内容的には、お店は改装後のように見せなければならない。
無理ですよねこんな事。お店が変わっちゃうんだから。
「そこをなんとか」とお店のマネージャーに頼み込まれて仕方なく、店内でもわずかに残った「改装しない場所」を沢山撮ってなんとか急場をしのぐ事にしたのですが、これがまた絵にならないところばっかりで。「暗い」「殺風景」「狭い」という三拍子(笑)。


「なんとかなりますでしょうか?」弱音を吐く私にスタッフはドンと胸を叩いてくれました。
さてどんなマジックを見せてくれるのか。
小粋に「レンズ!」なんてアシスタントに指示するカメラマン。
狭い場所を広く撮れる通称「オバケレンズ」の登場です。
こういう時のカメラマンはかっこいいですねー。
照明マンは、と見ると、なにやらお店の外へ出てセッティングしている様子。その直後モニターに映し出された絵を見て、私は思わず唸りました。
あの狭い店内の一角が別のお店のように広く見え、そして・・・

画角的に寂しさを感じる、テーブルから天井までの空間に、窓の外からいい角度で朝日が差し込んでいるのです。午後3時半なのに(笑)。
ライティングによって「朝」を演出した、照明マンの見事な技でした。


「これはすごい。私、何も言っていないのに。」
これが照明の仕事なんですねー。何年もこのお仕事を続けていると、時々こういう感動に出会えます。私のイメージをスタッフが上回った瞬間です。
「どうですか?」「いいですねー。」


収録後、照明機材の電球を交換している照明マンに私は言いました。
「すごい機材ですねー。」
ははは、と彼は笑っていましたが、その手元の動きには、いくつもの場数をこなしてきた「光に賭けたプライド」が感じられました。「どんな要求にも応えてみせる。」

たまに弱気になって、番組の貧弱な出来を制作環境のせいにしてしまう私は、彼のその笑顔に襟を正されるような思いでした。
これがあるからこのお仕事がやめられないんですね(笑)。

下らないお話を長々としてしまいました。なにか職場の朝のスピーチみたいでいやですね(笑)。でもどんなお仕事にもこういう「感動」があると思います。皆さんだって同じですよね。映画やドラマなどにはすっかり感力が衰えてしまった私ですが、かえってこういう現場での感動が増えたような気がします。いつもながら年のせいでしょうか(笑)。

お仕事のモチベーションって、こういう感動が糧になりますよね。吹けば飛ぶような小さな番組ですが、こういう感動をまた味わいたくて頑張るのかもしれません。
みんなそうですよ。ディレクターなんて(笑)。

2007年1月20日 (土)

そして心はメガリスの崩壊

「ちょっと複雑な心境だけどなー。」
お仕事の合間を縫って訪れたDVDショップ。

Photo_446 奇しくも昨日は1月19日。「119・防災の日」だそうで。ここに発売日を持ってくるという意気込みを感じて予約買いしちゃいました。
DVD「日本沈没スペシャル・コレクターズ・エディション」

去年の7月15日、公開初日に鑑賞して以来いろいろ難癖をつけて来たいわく付きの作品ですが、なんだかんだ言っても「日本沈没」というタイトルには弱いんですよね。どうしても手が伸びてしまうのです。

お仕事も一段落。満を持して「ネヴュラ座5.1サラウンド」なんて贅沢な環境で半年ぶりに鑑賞したこの作品。部屋の灯りも消してまさに劇場環境を再現、飲み物もしっかり用意しました。
あの時から心を寝かせ、思いを熟成させた上での再会は・・・

「う~ん・・・」
鑑賞直後の印象はやっぱりこの一言。

自宅でリラックスして観た分、より作品にダイレクトに向かい合えたとは思います。一度鑑賞していますからその「ショック」も和らいでいるとは思ったのですが、やはり劇場で鑑賞した直後の印象が拭いきれない。
「やっぱり何かが違うなー。」


今回再会してみて、劇場で初鑑賞した時の漠然とした居心地の悪さの原因がなんとなく分かったような気がしました。
Photo_447 根本的な原因は一つ。それに付随した演出テイスト。さらに根本的な原因を作ったであろう制作者側の発想について。
大まかに分けるとこの三点じゃないかと。

まあ以下は、オリジナルとも言える1973年公開の森谷司郎版に心酔した私ゆえの、ちょっと斜めな見方でしょうからお気になさらず(笑)。

まず第一に「根本的な原因」として。
この作品が何故私の心に響かなかったのか。これ、当たり前のお話で。
今回の「日本沈没」って、日本が沈没するっていう現象がメインのお話じゃないですよね。

これは昨年の公開時、色々な方々のサイトでも書かれていたことなので皆さんご存知かもしれません。下世話なお話をしてしまうと「フルコースディナーを注文したらメインディッシュがサラダだった」という時の感触に近いのかなーと。
「私はステーキが食べたかったのに」って(笑)。


1973年版が物差しになっちゃった私は、あの骨太な、「沈没」メインのお話に心を奪われ、「日本沈没」とタイトルが付けば当然そういうお話と心に固くロックが掛かっているのでした。ですから当然、物語は主人公達はもとより、私達観客までが沈没の恐怖、人間の無常観、未来への希望などを画面から受け取れるものだ、と思い込んでいたんですよ。ところが今回の作品にはそれが見事に欠落している。
この作品、「日本沈没という現象を背景にした個人のドラマ」ですよね。
確かに原作どおり、小野寺、玲子、田所博士などのメインキャストは名を連ねています。役どころもほぼ同じ。なのに何故、こんなにテイストが異なるのでしょう。

結局この一言に尽きます。以前もお話した事ですが。
「メインキャストが沈没の被害に遭っている、という感覚が画面から伝わってこない。」
これが「沈没メインじゃない感」を醸し出しているのではと。


今回と1973年版の「沈没」を比較して論じた批評にこんなような事が書いてありました。
「今回の作品は、1973年版のように中盤の「東京大地震」や、後半の「富士山噴火」など、作品の顔となるシークエンスが無い。その為作品の全体像がぼやけてしまい、強烈なメッセージを受け取りにくくしている。」
私もそう思います。「沈没」という未曾有の大災害の恐ろしさは、具体的な描写なくしては伝わらない。
今回の作品は「沈没が災害ではない」感触さえあります。


ちょっとお話は飛躍しますが、「映画を活性化させるには敵の存在が重要」というセオリーがあります。
敵が強ければ強いほど、主人公が敵に打ち勝った時のカタルシスが大きくなるという事です。

「日本沈没」というドラマの場合、この「敵」は「沈没現象」なんじゃないかと。
この地殻変動の恐ろしさがしっかり描かれていないと、ラストに向かってストーリーが疾走していかない。ドラマがまったりしてしまうんです。

その「地殻変動の恐ろしさ」を観客に認識させる事が前述の「作品の顔」であり、そういった大災害に主人公達が巻き込まれる事で、観客は事の重大さを肌で感じられるのでは、なんて思っちゃうんですよ。

以前も何度かお話しましたが、今回の作品では「都市の陥没」は北海道を除いて、人々が退避した後に起こります。唯一人々を襲った北海道にも、主人公側のキャストは一人も被害に遭っていない。
メインキャストにとっては対岸の火事なんです。
私流にお話させてもらえば前作の沈没現象は『怪獣』、今回のそれは『雨』ぐらいの違いがあります。唯一心が痛んだシーンは、やはり首相が阿蘇で亡くなる所でしょうね。あの展開には衝撃を受けました。
ただ他のキャストは依然として「ATフィールドの中」(笑)。
なぜここまで頑なに、メインキャストを安全圏に置こうとするんでしょうか?

ここからは二つ目、その感覚をさらに増強させる演出テイストのお話です。


今回の作品、前述の通り「主人公が立ち向かう敵が分かりにくい、もしくは表現が薄い」という根本的な原因ゆえに、既に物語の牽引力が弱くなっています。それに輪をかけてウラメに出てしまったのが「主人公側への過剰な崇拝、もしくは特別扱い」。
これは公開当時、結構色々なサイトに書かれていた「小野寺ワープ」などが端的に物語っています。あれだけ国内が大混乱になっているというのに、政府関係者でもない彼がなぜあんなに楽に国内を移動できるのか。しかも被災地ばっかり(笑)。

こういう「特別扱い」は他にもあります。玲子が暮らす「ひょっとこ」のメンバーが避難した後、その店内で小野寺が「一緒にイギリスへ行こう」と玲子にもちかけるシーン。あの近所って「ひょっとこ」付近の避難民で大混乱になっているはずですよね。時間経過は照明で表現されていますが多少の喧騒は残ってももいい筈。でもその喧騒が店内にはまったく漏れてこない。全然違う場所のように見えます。
災害時の「空気感」が希薄なんでしょうね。

他にも首相官邸、田所研究所、結城の部屋に至るまで見事に「この地方に被害はない」(笑)。壁にひびさえ入っていないんです。1973年版のD計画本部で見られたあの壁の亀裂、あの怖さを欠いているんですね。
おまけに彼らメインキャストが声高に日本の悲劇を嘆いている場面には、一瞬たりとも「余震」が来ません。地震の方で揺らしどころを加減しているかのようで(笑)。

「沈もうとしている日本と、主人公達が居る日本が『別の日本』に見えてしまう。」
この演出の失敗(愛を込めてそう言ってしまいましょう)が、ドラマの緊張感を著しく欠いているのです。


Photo_448 実は私は、そうした根本的な原因で今回の演出テイストを創り上げてしまった樋口監督の気持ちがよく分かります。以前、劇場鑑賞日にお話した記事には「前作と同じ事ができないという強迫観念」と書きました。その思いは今も変わっていませんが、今回DVDで再会して、また別の「制作者側の発想」が推測できたような気がするのです。
これは1973年版をリアルタイムで観、その後の「沈没人生」(イヤな言い方ですね(笑)の過ごし方が極めて近い、樋口監督と私の思いなのかもしれませんが。

1973年版を観すぎると、こうなる。

これは前述の「同じテイストを避ける」という意味合い以外に、もう一つの意味があります。1973年版をあまりに観すぎ頭の中で反芻しすぎると、1973年版で描いた事はもう描かなくてもいいんじゃないか、なんて思いに囚われてしまうんじゃないかと。
あるインタビューで樋口監督が語っていました。「タイトルを「日本沈没」と付けた時点で既に日本が沈む事は分かっているんだから、わざわざ時間をかけてその兆候を語ったり、大災害を描く必要はないんじゃないか。だから今回は既に日本は沈む事が判明していて、その時期が早まるという風にしたんです。」

そうなんです。頭の中で前作が確立されてしまうと、「観客全員の中に前作があるもの」と思い込みやすいんです。私もそうでした。あれほど話題を呼んだ前作を観ていない人が居ないなんて信じられない、なんておバカな先入観を持ってしまうという。
これは制作者側にとって非常に怖い思い込みなんですね。
私も自分の番組でよくやります。「ここまで毎回同じテイストでやってるんだからたまには全然違う事を」なんて思いに囚われて。
でも、その回がその番組初見の視聴者だって居るんですよね。だから変えない。
「前作ありき」の制作意識はいわゆる「視聴者おいてけぼり」と呼ばれるんですよ。

今回の「沈没」は、若干この「樋口監督の「日沈愛」が暴走したもの」とも捉えられるんです。
これはある意味、前作にハマった私などには少しむずがゆい、逆に近親憎悪的な見方でもありますが。


Dvd ともあれ、やっぱりDVDを手にしてしまった「沈没」。出来はどうあれ、私はこのキラータイトルを冠されるとパプロフの犬状態です。ありえないお話ですが、もし73年当時のラジオドラマがCD化でもされようものなら、また予約買いしちゃうだろーなー。
なんだかんだ言ってきましたが、規模はまったく違えど私も樋口監督と同じような心持ちであったという事が発見できた、今回の再会。
過去のイチャモンが見事に自分に向けられたヤブヘビのような状況で。まさに持論が「メガリスの崩壊」を起こしてしまったと。

樋口監督、お互い73年版の呪縛からは逃れられないようですね。
「わしは日本と心中です」という田所博士の言葉が、胸に響きます(笑)。

2007年1月17日 (水)

お茶の間東宝東和

「・・・足りない!」
私は低くうそぶくと、そそくさと身支度を始めました。
向かうは電気屋さん。ある物を手に入れなければ「ネヴュラ座」は大変な事に。

「このケーブル、10メートル下さい。」店員さんに頼んで手にしたスピーカーケーブルは、今の私にとって天の助けほどにありがたい物なのでした。

お察しのいい読者の皆さんには説明の必要も無いと思います。実は今回、46インチテレビ購入とほぼ同時に、私は夢の音響システム「5.1サラウンド・ホームシアター」(こういう言い方でいいんでしょうか?)を導入したのでした。なんて贅沢!
まあ私のことですから、手に入れられる機種も別に大した事はなく(涙)、ONKYOの現行機種で一番安いシステムをこっそりと(笑)。
YAMADA電機のポイントがたまっていなければとても踏み切れなかった暴挙でした。

お恥ずかしいお話ですが、私、この「5.1サラウンド」という音響システムの意味を今までよく知らなかったんです。
「ステレオの『松』ってところ?貧乏な私には関係ないか」ぐらいにしか思っていなくて。まったく不勉強で。

ところがここ最近、親しい先輩やこういう事に詳しい親戚筋から「あれはスゴイ!」「迫力が違う!」なんて言葉をよく聞くようになったものですから、「今回画面が大きくなったんだから、音も迫力あるものを!」なんて、分不相応な野望を抱いてしまったりして。勢いで買ってしまった所もあります。

51 サブウーハー・スピーカーの重さが満足感を演出するダンボール箱をいそいそと部屋に持ち込み、封を開いて「オタク部屋」の四隅にスピーカーを配置してみた私。問題はここで起こりました。
「スピーカーケーブルの長さが全然足りない。」

それはまるで「大脱走」で、脱走の為に掘られたトンネルの出口が、計算違いで数メートル短かったようなショック(笑)。

Photo_444 皆さんご存知のとおり、5.1サラウンドは複数のスピーカーを各所に配置するシステムなので、メインスピーカーとなるサブウーハーからケーブルを延ばし、部屋中に這わせる必要があるのです。
なにしろ年末年始、睡眠時間を削って部屋の掃除を敢行した都合上、この整頓された状況を少しでも維持したい私。スピーカーケーブルが部屋のあちこちに露出し、「クモ男爵」の館よろしく、蜘蛛の巣が行く手を阻むような景観だけは絶対避けたかったのでした。
こういう時の私は異常に行動力がありまして(笑)。思い立ったらすぐ動かないと気がすまない。
冒頭のセリフの5分後、私はミニバイクのアクセルを吹かしていたのでした。
その勢い、サイクロンのごとし(笑)。


ただいつも読みの浅い私はここで間違いを起こす事に。「ネヴュラ座」の46インチテレビは台座にキャスターを配置し、部屋の好きな場所に移動できる方式を採っている為、ケーブルの長さもある程度の余裕を持っていないと動かせないのでした。
この「余裕」の読みが甘かった。サブウーハー、センタースピーカーを除く4つのスピーカーケーブルの長さを計算すると、結果的に30メートルの追加ケーブルが必要だったのです。ところがいつものドンブリ勘定で20メートル程度しかケーブルを買わなかったため、スピーカー一個分のケーブルがまるまる足りなくなってしまいました。
大誤算(爆笑)。冒頭の「うめき」はその時のもの。もう情けなくて。

早速出かける「2回戦」。追加のケーブルと一緒にケーブルカバーなども買い込んで問題はほどなく解決。
今「ネヴュラ座」は46インチの大画面と、夢の「5.1ネヴュラ・サウンド」が設置された、恐ろしい環境にあります。

51_1 いつも座っていた座椅子も、こんな風に肘掛けつき、回転式の高級タイプに買い替えちゃって。(近所のホームセンターで売っていた個数限定、激安目玉商品ですが。)

実は今、「インデペンデンス・デイ」を見ながら記事を書いているんですが、いやー5.1サラウンドって凄い。
私知らなかったんです。この音響システムって、音が「分かれる」んですね。部屋のあちこちから音が飛んできて恐ろしく臨場感があります。宇宙人の巨大円盤が起こす低音で文字通り床が地響きするし。円盤と戦闘機の空中戦では頭上を飛行音が交差する迫力。
「5.1ってこういう事なんだなー」と、今更感心しっぱなしで。


もちろん「GMK」も見ましたよ。大湧谷のゴジラ対バラゴン戦なんて、自分が現場に居るような錯覚さえ起こしてしまいます。
映画の音作りって、これほど細心の注意を払って作られていたんですね。今まで何度も見ていた作品も、この音響システムで聞くとまた違う表情を見せるんですよ。
「ここで左から音が来る事で、画面の左側に注意を向けさせる演出なのか」とか、
「このシーンはカット変わりでインパクトを持たせていたけど、実は前のカットの最後で、微妙に次のカットの音をこぼしていたんだな」とか。

私、音に関しては素人でしたね。詳しい方にはご承知の事ばかりで。本当にお恥ずかしい限りです。

さて、この5.1サラウンド、我がネヴュラ座では「ネヴュラ・サウンド」なんて勝手に呼んでいますが(笑)。昔の映画館にもこういう怪しげなサウンド・システムで集客を見込んだ作品が沢山存在しましたよね。

昔で言えばウイリアム・キャッスルの「ティングラー」などが有名ですが(あれを音響システムと呼ぶかどうかは異論もおありでしょうが)、何と言っても私の心を熱くさせるのは、1970年代から80年代頃にかけて公開された東宝東和配給の諸作品。
もうこれだけ言えばおわかりですよね(笑)。

『巨大生物の島』の「マトリックス360」(怪獣の声が劇場でこだまする、って当たり前ですが)『サスペリア』の「サーカム・サウンド」(悪魔の声が聞こえるという)、『バーニング』の「バンボロ・サウンド」(意味がわかりませんが)『猛獣大脱走』の「ロアリング360」(猛獣の声が劇場のあちこちから聞こえるそうで)など、そのネーミングだけで「劇場でとんでもない体験ができる」という先入観を観客に与え、足を運ばせるという見事な広告戦略でした。


今なら私、こういうの大好きなんですよ。なにか観る前からワクワクしちゃいまして。テーマパーク感覚とでも言うんでしょうか。やっぱり普段できない体験ができるっていう(実際には大した事なくても)「観る前から楽しめる感覚」も、「鑑賞料金の内」と思うんですよね。
前売り券を買った時から「あー!マトリックス360!」なんてかっこいいネーミングに期待しちゃいませんか?
「劇場で何が起こっちゃうんだろう」という非日常感。

ところが私、当時この手の「サウンド・システム」を劇場で体験した事が無いんです。前述の数々のシステム名も、「映画秘宝」からの受け売りで。ごめんなさい。
というのは私、この頃のあるサウンドシステムが元で、こういう作品への敷居が高くなってしまったからなんです。これは以前、お友達のブロガーさんにお話した事もあるんですが。


1975年。「大地震」(アメリカ マーク・ロブスン監督)という作品が劇場公開されました。
この作品、タイトル通りロサンゼルスを襲う地震の様子を描いたパニック映画なんですが、この作品で観客の興味を引いたスペシャル・ギミックこそ『超立体音響センサラウンド』というもの。公開する劇場には巨大な超低音スピーカーが増設され、地震のシーンで客席が本当に振動するという物凄いシステムでした。

公開前からこの売り文句を耳にしていた私達子供は、「凄い映画が上陸する!」と、その公開を心待ちにしていたのです。
友人数人とXデーを決め、その日を指折り数える毎日。
そんな幸福なある日、一人の友人が「大地震」観れなくなっちゃった」と言ってきたのでした。


当時を知る方はご存知かもしれませんね。実はこの頃、「センサラウンド方式」が体に悪影響を及ぼすかもしれない、なんて噂がまことしやかに流れた事があったのです。例の誇大広告の一バリエーションでもあったのかもしれませんが。ところがこれを信用してしまった友人のご両親が「そんな危ない映画、行っちゃだめ」とストップをかけてきたという。
当然その噂はご近所の親同士に広がり、結局「大地震禁止令」は、非公式ながら私の近所で確立されてしまったのでした。


この一件以来、東宝東和が打ち出す魅力一杯のサウンド・システム作品はなんとなく「体に悪い」というイメージがつきまとい、足を遠のかせてしまったのでした(爆笑)。

結局「センサラウンド方式」によって体を悪くした、なんて事実は無かったようで。つくづくあの時体感しておけばよかったと悔やんでいます。友人のご両親の親心も分かりますが(笑)。
でも結局、そんな体験をしなくても充分おバカに育っちゃってますから、観ても一緒だったかもしれませんね(爆笑)。

「ネヴュラ座」に「5.1ネヴュラ・サウンド」を導入した私の深層心理には、「大地震」を体験できなかった恨みがあるのかもしれませんね。
だから私はこのネーミングにこだわります。
「ネヴュラ・サウンド」。このネーミングには、『5.1サラウンド以上の「いかがわしさ』が込められているからです。
「ネヴュラ座」は東宝東和テイスト一杯のお茶の間を目指しているのかも(笑)。


どんな効果にしようかな。
「観た人をオタクにしてしまう音響効果」ってどうですか?
私が第一号って事で(爆笑)。

2007年1月15日 (月)

バニラのお香で

しじまを破って、部屋に鳴り響く電話のベル。
待ち構えていた私は受話器を取らず、その調べの流れるままに任せていました。
5回目のコール音の後、聞き慣れた「ピー」というFAXの送信音が・・・


フリーでお仕事をする私にとって、自分の部屋は半分、仕事部屋の役割を果たしています。先日お見せした「オタク部屋」の他に、私には仕事専用で使う「オフィス・ネヴュラ」とでも名付けたい(笑)場所があるのです。
実は冒頭のFAXは、本来2日前に届いていなければならないはずの仕事の企画書。私はこの企画書に基づいて台本を書きロケに臨み、ナレーション収録、編集を経て一本の番組をでっち上げる訳です。つまりこの企画書は番組の設計図とも言うべき大事な資料という訳で。その企画書が遅れれば、後の仕事も押していくのが自然の摂理。
しわ寄せはすべて私に来るのでした(笑)。

ついさっき届いた企画書を元に、なんとか台本一本を作り上げた私は、今安心して「ネヴュラ」の記事作成に向かえるという喜びの境地に。あー心配した。今日台本が出来上がればなんとかロケには間に合いそう。
まあ似たような事はどんなお仕事にもありますよね。私も今まで場数だけは多く踏んで来ましたから、ことさら大慌てすべき事でもなかったのですが。

自宅でお仕事をしていると、労働と私事の切り替えが非常に難しい時があります。
とりわけ私のようにテレビのお仕事などをしていると、自分の手掛ける番組がたまにリアルテイムで放送していて、それをすっかり忘れたままテレビを点けてしまう事もあったりして。ギョッとする時もあるんですよ。
特にCMなんかを作った時などはいつ流れるか分かったもんじゃない。(番組、CMともローカルの低予算作品ですので、特定地域の方しか目にされる事はありません。ご了承を)テレビを見ている時も気が休まらないのでした。

娯楽として楽しんでいる筈なのに、不意に自分が現実に引き戻されてしまう感覚って言うんでしょうか。
この感覚、最近は特にエスカレートしていて。

私など実力も無いのにキャリアだけ積んでくると、いわゆる「タレント」と呼ばれる人たちとそれなりに接する機会もありまして。一緒に仕事をした方々の顔をブラウン管で目にする度に、「あーあの人と仕事をした現場は大変なコンディションだったなー」「あの人、取材した時目が真っ赤だったけど、前の日撤夜だったのかな」なんて番組の内容以外の事ばっかり頭をよぎってしまうのでした。
「あの芸人さん、昔はスベりっぱなしだったけど、最近腕を上げたな」なんて事も(笑)。


そんな風に、虚構であるはずのテレビというものが舞台裏まで見えてしまうリアルな世界に感じられてしまうと、好きで入った業界なのに本当にこれで良かったんだろうかなんて考えてしまう事もありまして(笑)。
皆さんにお話できない、ひどい裏話もいやと言うほど聞いたものですから。


それでもお仕事ですからやらなきゃならない。それも今日のように、じらされて待たされてやっと手にした企画書で、実に夢のある内容を書かなきゃならない時には。
今日の企画書についてちょっとお話しましょう。
差し支えない程度に。


それはお店紹介の番組でした。あるイタリアンレストランで、一ヵ月後のバレンタインデーに向けた特別メニューを出すとの事。それはカプチーノ系のコーヒーの表面に、バリスタと呼ばれるお店のスタッフがチョコレートで絵や文字を描くというもので。
ここまではよくあるメニューなんですが、この後は・・・
企業秘密(笑)。


バレンタインデー。イタリアンレストランのティータイム。
熱々のカプチーノにバリスタが小粋に描く愛の言葉。
どうです?「ネヴュラ」にはとても不似合いのキーワードばかりでしょ(笑)。


こんなキーワードを元に、ちょっと洒落た謳い文句を並べ立てなければいけないんです。とっくに締め切りは過ぎ、カット割りからロケで使うカメラのレンズ、ライティング、恋人役のエキストラは誰に・・・まで混乱した頭で考えながら、気の利いたナレーションの一つも浮かべば私もいっぱしのクリエイターを気取れるんですが、悲しいかな「オタク部屋」で毎日怪獣に囲まれて暮らしている私(笑)。おいそれといいセリフなんて浮かんできません。

そんな時、私にはちょっとした気分転換の技があります。
これは最近のマイブームなんですが。


インドのお香。それもバニラの香りの。
部屋でこれを焚くと、少し気分が落ち着くんです。
気分が「オタク」から、「女子」に変わっていく感じでしょうか。


私が手掛けている番組のメインターゲットは20代から30代の女性。そういう意味では、私の思考回路は若干このお仕事に向いているとは思います。彼女達の気持ちに少しでも近づく事が、番組を成功させるコツとも言えるからです
今日の企画書のようなお題で一本書き上げようとする時は、私はバニラのお香の中で主人公の女性になり切る事にしています。お香に酔う訳ですね。(そこの貴方、「キモイ」って言わないで。私が一番思ってるんですから)
無理矢理にでも思わないとこんな台本、書き上げられない。
バレンタインデー。このレストランの片隅に座り、相手に差し出したチョコへの反応をじっと窺う女性。彼の返事はバリスタの描くカプチーノの表面に。YESかNOか。
彼女はカプチーノの表面を見つめられず、その表面が映る彼の瞳を静かに見つめるだけ・・・


あー恥ずかしい(笑)。でも考えてみると、この、私が今書いたシチュエーションって、主人公目線じゃないですよね。
これはカット割りを考えた「監督目線」ですよ。

主人公になり切るなんて言っておきながら、それを操る者の立場に立ってしまっている。
これがテレビ屋の悲しい性なのかもしれませんね。

私は「ネヴュラ」で、よくデッチ上げのストーリーをお話しますが、どうもこういう性癖は職業病、もっと言ってしまうと妄想癖を活かせる職業に就いてしまったゆえの所業なのかもしれません。前述の恥ずかしい妄想も、考えている時はお仕事である事を忘れ、「BGMはこう」「照明はこう」「カメラワークはこう」なんて、勝手に超大作気取りですから。実際は予算も時間もなく、ひどい出来になるのは分かっているんですが(涙)。

でも、こういう風に演出の真似事ができるお仕事って、今まで自分が観てきた映像作品がいい引き出しになりますよね。
よく仕事仲間と映画やテレビの話をする時、メンバー各々が心酔している作品を聞いて「あーだから彼は、あの番組の時ああいう演出をしたのか」「あのタレントを使ったのはそういう事だったのね」なんて分かって、つくづくこの業界がオタクの集まりである事を痛感します。
私より10歳以上年上のカメラマンが「ウルトラQ」のカメラ割りについて真剣に語るのを見た時は正直感動しました(笑)。

お仕事のスケールは天と地ほど違いますが、映画監督や番組ディレクターは私にとって「先輩」なんですよね。
それは今、映像業界で生きる人がみんな思っている事だと思います。そんな先輩の偉業を少しでも勉強して、自分の芸の肥しにできれば、なんて思ったりするんですが、観ているとやっぱり「勉強」どころか楽しませてもらっちゃって。
でもきっとそんな風に「勉強する気持ちを忘れさせるほどのめり込ませる」作品ほど、監督にとっては誇らしい筈。
私もそんな作品を作ってみたいものです。


今日はこんな独り言でごめんなさい。まだちょっと「バニラの香り」の酔いが醒めていないようですね。もういい加減にしないと。

今日の最後はこんな笑い話で。ある日どこかのディレクターが「凄い作品を作ったぞ」と意気込んできました。
問いただすと「劇場へ行ってみろ。スター・ウォーズの同時上映だから。」また嘘ばっかり。さらに問いただすと、彼が手掛けたニュース映像が、スター・ウォーズ上映前の「ご当地ニュース」(市町村が作るローカルニュースですね)で使われた、というオチでした(笑)。

これはもちろん作り話ですが、ディレクターの功名心は時としてこんな現れ方もするのです。私も気をつけないと(笑)。

2007年1月12日 (金)

時を超える調べ

その時、私は先輩の部屋で、一組のDVDを眺めていました。
赤いジャケットが印象的なそれは、言わずと知れた日本映画の金字塔「七人の侍」(1954年東宝 黒澤明監督)。
この映画も「ネヴュラ」ではたまに採り上げていますよね

ただこの作品については私はまだ全然不勉強で、偉そうな私見でも一席話そうものなら詳しい先輩諸兄から袋叩きにあいそうな気配さえ漂ってしまい(笑)、作品論に関してはまだまだまとまらない若輩者なのでした。

こうやって先輩と、日本映画の旧作を楽しむ機会は今まで数え切れないほどありました。その多くはいつものように、モニターに映るシーンやセリフを心の中で反芻させながら、あーでもないこーでもないと勝手な私見を無責任に言い合うだけ。まさに至福の一時で。
映画ファンの皆さんならお分かりの、楽しい時間なのでした。

カット割やカメラワーク、果ては太陽光のコントラストを計算したロケスケジュールのお話まで、一通りのよもやま話が終わった後で、不意に先輩がこんな一言を。
「この作品の『侍のテーマ』って曲、早坂文雄のボツ作品だったんだよね。ゴミバコに捨てちゃった譜面らしくて。」
「そうそう。それを黒澤さんが拾ったんですよね。で、早坂さんにピアノで引いてみろと。そのさわりを聞いた黒澤さんがその曲をいたく気に入って採用されたという。」

有名なお話ですよね。「七人の侍」のメインテーマ、あの勇壮なタイトル曲が、音楽担当の早坂文雄のボツ原稿だったという逸話。映画黄金時代の伝説として今も伝わる、早坂・黒澤の名エピソードです。
でもそれが偶然だったとしても、黒澤の天才的ヒラメキだったとしても、あの曲が名曲であった事は間違いありません。
「七人の侍」と言ったら、私はあの曲しか思い出せないですもん。

古今、星の数ほど作られている映像作品で、音楽が印象に残る作品は少なくありません。「ネヴュラ」読者のお一人お一人に大好きな映画音楽、番組テーマがおありでしょう。
私にも少なからず、心を奪われた音楽があります。


例えば「ネヴュラ」定番の特撮映画だって、音楽の印象度は作品によって違いますよね。
ゴジラシリーズ第一作「ゴジラ」のオープニング・タイトル曲。
日本の現代音楽の重鎮、伊福部昭作曲のあのテーマ音楽は、もはやゴジラと切り離せないほど有名かつスタンダードナンバーになってしまいました。私も好きな一曲なんですが、よく考えると伊福部メロディーで私が心を揺さぶられる一曲は、何と言っても「マーチ」なんですよ。
あの「ゴジラのテーマ」以上に魂を鼓舞される熱い一曲を挙げろと言われれば、私は迷わず「宇宙大戦争」(1959年東宝 本多猪四郎監督)の「突撃のテーマ」を挙げます。

作品後半のクライマックス、地球軍の戦闘ロケット隊とナタールの円盤が繰り広げる地球上空のドッグファイトを盛り上げた伊福部マーチの代表曲。あまりに早いそのテンポに、その録音時演奏者もクタクタになってしまったとか。
そりゃそうですよね。あれだけハイテンポの曲を演奏すれば息も切れるというもの。収録現場も「大戦争」だったのでしょう(笑)。


東宝チャンピオンまつり世代の方々はお分かりでしょうが、あの「突撃のマーチ」の旋律は伊福部氏がもっともよく用いたメロディーラインで、チャンピオンまつりのテレビスポットCMのBGMとして頻繁に使われましたよね。(後にわかった事ですが、実際に使われたのは「大怪獣バラン」(1958年東宝 本多猪四郎監督)のBGMらしいようで。)
あのBGMを聞くと、私などは「あ!明日から冬休みだ」なんて、子供の頃の楽しい感覚に囚われたりするのです。ただ、後に「宇宙大戦争」本篇を観た時、その大迫力に、単なるノスタルジーだけではない感銘を受けてしまった事も事実ですが。

伊福部昭と並んでゴジラ映画での登場が多かった佐藤勝は、意外に私、印象が無いんですよ。伊福部メロディーがあまりにもゴジラとのマッチングを見せてしまったせいでしょうか。
私にはむしろ「日本沈没」(1973年東宝 森谷司郎監督)の印象が強くて。
あの大災害と、日本人の悲壮感、無常観を音楽という表現で盛り上げた、見事な仕事と思います。「日本沈没」と言うと、あの重々しい「佐藤節」しか思い浮かびません。
これが伊福部さんでは違うんです。
あのオープニングの、低いドラムの旋律にしてからが。


他にも東宝特撮映画には、「妖星ゴラス」の石井歓、「世界大戦争」の團伊久磨、「ガス人間第1号」の宮内国郎など、独自の世界観で作品を盛り上げた名コンポーザーが名を連ねていますが、何故かいわゆる「東宝カラー」的な雰囲気が共通しているのが面白いですね。これが他社の作品となると、また全然違った音楽世界が展開して興味深いんですが。

「ゴジラ」と来れば当然「ガメラ」という訳で。昭和ガメラのBGMは「聞く人着プロマイド」とでも言いたくなるような、何とも言えない印象がありました。伊福部メロディーを「壮麗」と表現するなら、山内正、菊地俊輔など昭和ガメラのBGMは「華やか」とでも言えば良いのでしょうか。
「ガメラ・マーチ」など、オープニング・エンディングの歌が印象的なせいもあるのでしょうね。でも私は大好き。
ああいう軽快な歌は、ゴジラよりガメラの方が似合うような気もします。


特撮映画以外にも、映画のBGMやタイトル曲には独特の思い入れを持つものが数多くあります。私はなぜか、作品のオープニング、エンディングより、劇中流れるBGMに強い思いを持ってしまう性格で(笑)。
邦画、洋画問わず「あのBGMが欲しい」とばかりに、ひたすらスコア版サントラ集めに血道をあげる始末です。
この分野ではキングレコードさんや今は無きユーメックス、またバップさんに大変お世話になりました。

好きが高じてバップやユーメックスを訪ね、「この作品のサントラを是非!」などと頼み込んだ恥ずかしい記憶も。
「ミュージックファイル・シリーズ」の担当、バップの高島さんとは飲みに行きましたねー。「大追跡」の一エピソード「淳子のミステリー・ゾーン」について熱く語った夜でした(笑)。


お話が随分脱線してしまいましたね(笑)。今ではそういった、名作映画やテレビシリーズのBGMもそのほとんどがCD化され、手軽に楽しめる時代になってきました。喉から手が出るほど欲しかった「必殺シリーズ」のBGMなども有名どころは出揃い、「今日はどの手で殺そうか」などと物騒な思いを抱きながらCDをトレイに乗せる楽しみまで現実の物に。(引かないで下さいね(笑)。
このBGMについてのお話は、一日程度の記事ではとても語りつくせないのでおいおいお話していく事にしましょう。
それほどこの分野は奥が深い。
とりあえず今月末に通販が開始される「特捜班CI☆5」のサントラCDを楽しみにしている、と言えばなんとなく今の気分をお分かりいただけるのでは?(分かんないですよね。)

さらに脱線してしまいました(笑)。でも不思議な事に、例えば今、バラエティーや報道番組などで頻繁に使われている映画、ドラマ、アニメなどのBGMは、かなり昔のものもあるのに何故か違和感がないですよね。皆さんそう感じませんか?
その映画なり、番組などが放送されていた時代に流れていた歌謡曲などは、今聞くととんでもなく時代を感じさせるのに。映画やドラマのBGMは古さを感じさせないんです。
例えば「ガンヘッド」(1989年東宝=サンライズ)。この作品のBGMはインパクト大で、今でも報道番組などで頻繁に使われていますが、作品の知名度が低いせいもあり(涙)、その音楽が映画のBGMである事を知る人は少ないのでは。
18年も前の音楽なのに。


確かに昔の歌謡曲は、「聴いた者に昔を思い出させる」という効果はありますが、それを今の曲として認識する事はできません。ところがある種の作品のBGMは、それが作られた時代を知らせなければ「現代の曲」として通用する力を持っているような気がするのです。
昨日も、たまたま点けていたコンポから聞こえてきたFM番組のDJトークBGMに「大都会PARTⅢ」のテーマ曲が使われていました。今時、約30年前のBGM!高橋達也と東京ユニオン!あえて「西部警察」を使っていないのは実に英断、マニアックな選曲です(笑)。

こういうケースはテレビよりラジオの方が多いのですが、テレビも決して負けていません。ただそういう名作BGMの使われ方は、作品のネームバリューに寄りかかれない分、純粋に曲としての完成度が買われているようで、元作品を知っている方としては実に嬉しいものがあるのです。
「あなたも生き残ったのね」なんて、つい昔のサントラを聞いてみたくなったりして。


時を超えてなお聞かれ続ける名作BGM。きっと皆さんにも「この一曲」というのがおありだと思います。「寝起きはコレ!」「通勤の車ではコレ!」なんて。
ちなみに私の最近のマイブームは、車で聞く「桐子の決意」(『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』2000年東宝 手塚昌明監督)。ラスト近く、不時着したグリフォンで特攻をかける桐子(田中美里)のシーンを彩った、人気コンポーザー大島ミチル渾身のアップナンバーです。


この曲を聴くと、なぜかやる気が出るんですよ。
これも一種の「突撃のマーチ」ですから(笑)。
でも飛ばしませんよ。愛車はミラ・ジーノですから。
可愛く走ります(嬉)。



2007年1月11日 (木)

大怪獣場外乱闘

年末からお正月にかけて部屋にこもり、ひたすら大掃除を続けるといった流れがここ数年続いている私。
おかげでこの時期「オタクグッズ」のリサーチや新着アイテムのゲット、またいわゆる「買い時」に微妙なズレが生じる事が多く、悔しい思いをする時もあったり。

特に年末はアイテムの入れ替わりや値崩れの状況、在庫状況が時間単位で変動するため、その動きを掴むためには各ショップにロボットモニターを置き、D1計画並みのリサーチシステムを構築しないと(笑)全貌が把握できないのでした。
ですから、先日の「ダイ・ハード」DVDゲット事件のように、より賢い買い物はその日の運に左右される事も多くて。
朝の情報番組の占いも心なしか気になってしまうのでした。
今日起こった出来事も、幸薄い私が掴んだ中途半端な運の賜物で。

Photo_437 お仕事の打ち合わせも終わり、たまたま寄ったオタクショップで見かけたこの食玩。
「おーっ。ついに出ましたねー。いつか出ると思ってたけど。」
このアイテム、いわゆる「ソノシート世代」にはたまらない一品じゃないですか?


Photo_438 「夢の対決 ウルトラパノラマファイト」と名付けられたこのシリーズ。いわゆる「作品を越えた怪獣たちの対決」をジオラマ化したアイテムです。
最近の食玩のクオリティーの高さは驚愕の域に達し、おそらく後年「大ブーム」として記憶される時代に生きているんだろうな、とさえ思ってしまう昨今。この商品もそんな造形クオリティーと、ブームの仇花とも呼べるマニアックすぎる企画が生み出した、まさに「伝説の一品」じゃないでしょうか。

Photo_439 「ネヴュラ」読者の方々ならご存知の通り、たまに下手な妄想を繰り広げる私はこういう企画が大好き。「怪獣は単体で存在してるんだから、テレビや映画で描かれたストーリーはほんの一部で、キャラクターを生かしてもっといろいろなストーリーを作ってもいいよね」なんて考えてしまう私にピッタリの、なんとも夢のある企画です。
(よく円谷プロが許したな、なんていう邪推はともかく(笑)。

Photo_440 ガラモン対キングジョー、レッドキング対ゴモラ、バルタン星人対アントラー。「Q」「マン」「セブン」の人気怪獣が番組を越えて戦うドリームマッチ。こんな対決、ぜひ見てみたいものですねー。
こんな商品はこれほどまでに活況を呈する食玩ブームの今しかありえないものでしょう。前述の通り、こういう企画は第一次、第二次怪獣ブームの頃、映像媒体とは別の「ソノシート」など、印刷、音声媒体で展開されていたものです。それをそのまま食玩の世界に持ち込めてしまう。それだけ購買層が見込め、市場が確保できる業界なのでしょう。


少し前、故大伴昌司さんが創作された「怪獣の体内解剖図」が食玩サイズで商品化された時も「こ、こんなものまで!」と驚きを隠せませんでした。
「ウルトラ怪獣解剖図鑑」と名付けられたそのアイテムは、案の定またたく間に市場から姿を消し、今はショップでもほとんど見かけません。おそらく事前のリサーチによりきわめて購買層を絞り込んで、生産数も制限しているのでしょう。
この「ウルトラパノラマファイト」も、私を含め怪獣ブームの洗礼を受けた世代をピンポイントで狙う、実に「そそる」アイテムなのですが、これもそういった「幻のアイテム」と同じ運命を辿るであろう匂いを感じます。
定価で手に入る今が旬、という所でしょうか。
そういう危うさももマニア心をくすぐるんですが(笑)。

この商品、おそらく年末にリリースされた物じゃないかと思いますが、(ネットで調べたりしないので情報把握が曖昧で。ショップでの出会いが初対面となってしまう私をお許し下さい)実際にはラインナップは、写真の物にさらに2作品が加わっています。今日はご覧の3作品をそれぞれ単体で手に入れたのですが、残りの2作品はショップのショーケースに展示されていて確認できました。
きっとフルコンプリートでの発売もされていたのでしょう。こういうおいしい所を逃してしまうのが私の運の無さで。でも大掃除も大事だし。
「なるほどなあ。単体では売り切れちゃうわけだ。」その2作品もなかなかそそる対決でした。再入荷次第すかさずゲットを狙っています(笑)。

Photo_441 この商品、フィギュアにこんなオマケが付いています。対決シーンを迫力のイラストにした昔懐かしいメンコタイプのカードと、夢の対決ストーリーが文章になった解説書。
この解説書はプロダクションによる番組販売時、放送局に配られる「リリースシート」風の表紙がなかなかマニアックでニヤリとさせられますが、惜しいかなそのストーリーの語り口には、「これを書いた人はリアルタイムでブームを経験していないのでは?」などと感じてしまって。表現が微妙に「新しい」(爆笑)。
でもここまでこだわって作ってくれたのですから、それだけで充分満足なんですが。

私もこの手の「夢の対決」ソノシートは、少ないながらも持っています。このあたりは最近手に入れた物ではなく、本当に子供時代に買って貰った物。まさに昔の思い出が詰まった「聞くタイムマシン」なんですよね。
Photo_442 このコダマプレスの「ウルトラマン」は、後年の文献によると比較的レア度は低く、今でもショップなどで低価格で取引されています。そういう意味では自分の物でも「触れない」ほど貴重品ではないので気軽に中身を開いてみたり。
昔のソノシートは味がありますね。まあこの商品、朝日ソノラマ製じゃないので正確には「ソノシート」とは呼べないんですが(笑)。

Photo_443 このオリジナルドラマ「ウルトラマン」は、本編に登場した人気怪獣、チャンドラー、ベムラー、ネロンガが三つ巴で死闘を繰り広げる大迫力篇で、戦いに勝ち残った最後の怪獣の前に、満を持してウルトラマン登場、例によって一番おいしい所をウルトラマンが持っていってしまうという(笑)、まさに「夢の一篇」でした。
ビデオなど無かった子供の頃、このドラマを小さなプレーヤーで擦り切れるほど聞いて、頭の中で大怪獣の激闘を思い描いていたものでした。ラジオドラマと一緒で、音だけのドラマは想像力(創造力?)をかきたてられるだけに、より迫力ある場面を妄想できたりするんですよね。
このドラマ、私の中では今も心のブラウン管に再現できる幻の「ウルトラマン第40話」だったりするのです。
これはこういうアイテムをリアルタイムで楽しんだ者だけに許される、すばらしい特権ですね。


少し脱線してしまいました。
「ウルトラパノラマファイト」にお話を戻しましょう。
考えてみると、ガシャポンや食玩が発売された当初、こんな商品が出るなんて誰が想像したでしょうか。確かにキャラクター玩具の世界で「怪獣」というアイテムは昔からの定番ではあります。しかしながら、ここまでマニアックな展開は誰の頭にもなかった筈。
市場の拡大や他社との「企画の差別化」によって起こる競争は、こういう業界にもあるんだなーという事を改めて思い知りました。大きさ10センチにも満たないサイズの小さなアイテムの世界で、本当に各社しのぎを削る闘いが繰り広げられているんですねー。

かつてあるマニア誌のライターが「コナミが『謎の円盤UFO」のシリーズをリリースした頃、こりゃ次は『マイティジャック』だな」なんて言ってたら本当にリリースされてしまった。この食玩の加熱ぶりはちょっと異常じゃないか?」なんて書いていましたが、それから数年。食玩の世界はますますディープに、マニアックに進化しているようですね。
特定の世代や嗜好にターゲットを絞り込んだアイテムが、これからも続々とリリースされていく事でしょう。

「ウルトラパノラマファイト」もある意味番組の枠を超えた「場外乱闘」ですが、今の食玩の世界もまさに同じ。普通の企画を超えた「場外」での戦いを余儀なくされているように感じます。
オタクな私としては歓迎すべき現状ですが(笑)。


こうなってくると、いかにマニアックな企画でも実現されてしまうのが恐ろしい所で。今後どんな驚愕のアイテムが登場するのかまったく予断を許しません。
そんなにお財布に余裕はないのに。
もうショップの扉を開けるのが楽しいやら怖いやら(汗)。

2007年1月 9日 (火)

高画質の地雷原

ここ毎日、「ネヴュラ座」で観る映画は新たな驚きばっかりで。
今も記事を書いている傍では「スター・ウォーズ」(当然エピソードⅣですね)が流れているんですが、あのオープニング、スター・デストロイヤーの仰角カットが出ただけで「おおーっ。この戦艦こんなに全長あったっけ?」と思うくらいの大迫力。
ジョージ・ルーカスがこだわった「作品の顔」としての映像は、制作後30年を経た今でもまったく輝きと迫力を失っていませんねー。
つくづく「映画は絵だなー」という事を再認識させてくれます。

46インチ導入以来、とっかえひっかえいろんな作品を見まくりで。
今まで穴の開く程見た大好きな作品ですが、やはり見る度に監督が意図した「映画館の大スクリーン用の演出」に唸る事しきり。
いい時代になったものです。

ところで、ここへ来て私にはある悩みが頭をもたげてきました。
こんな事お話すると、また何を贅沢な事をなんて言われそうですが、これがまた結構深刻な悩みなんですよ。
実は、画面の大きさも46インチなんて代物になると、「映像ソフトのキメの細かさ」なんてものがまともに映し出されてしまうのです。つまりテレビ番組を録画したDVD-Rなんてものは、画面が荒くて観られたものじゃない。
今まではそんな事微塵も感じた事がなかったのに、やっぱりセルDVDってそれなりに高画質なんだなー、と今更ながらに感心してしまいました。

セルDVDと比べてみると、CSで放送された貴重な映画も残念ながら荒れて荒れて。ちょっとショックです。あんなに苦労してためこんだコレクションなのに。
その画面の解像度の差は、以前初めてレーザーディスクの画面を見た時の感動と似ていました。「うわー、これは綺麗。」
それは20余年前。レーザーディスク発売当時、その画面の美しさを見た私は思わず感激の言葉を漏らしたものです。

「これこそ究極の映像ソフト。ついに映画は所有する時代になった」なんて。これがDVDに取って代わられ、今またブルーレイなど次世代のフォーマットの登場を待つ時代になるなど、いったい誰が想像したことでしょう。

そんな訳で、私はここ数日、昔VHSからレーザーディスクの移行期に行った事と同じ行為を繰り返していたのでした。
そう、それは「名作映画のDVD買い揃え。」


「恐怖のアイテム」と言われ、ボーナスのほとんどが吸い取られたLDボックスは、私にとって宝物にも等しい物でした。勿論単品の映画もむさぼるようにかき集めましたが、なぜか揃える作品はVHS時代に集めた物とほとんど差がないという有様で(笑)。
結局、手元に置いておきたい作品は決まってしまうんですね。
その繰り返しが今また、DVDでも行われている訳です。


おバカなオタクである私が集める「定番作品」は、やはりジャンルも偏ってしまいます。
しかしながら今回は「大画面に映える事」が一つの条件。
そんな条件をクリアする作品はおのずと決まってきまして。
冒頭の「スター・ウォーズ」などは王道中の王道という訳です。


Photo_433 今回揃えたSW作品はこの3作品。本当にベタな、なんのヒネリもないラインナップですが(笑)。でも、「大画面で高画質を楽しむ」となると外せない作品である事は、皆さんもお分かりでしょう。
しかしながら今回私が驚いたのは、その迫力と並んで「価格」だったのです。

この「スター・ウォーズ・トリロジー」。お求め安い価格でご奉仕なんて謳い文句につい値札を見てみれば。や、安い。
3枚組で3,300円程度じゃないですか。

かつてこの作品がレーザーディスクで初リリースされた時の衝撃は今でも忘れられません。なにしろ超大作でしたから、12,000円前後もしたんですよ。
「とても手が届かない」と諦めた事が、昨日の出来事のように思い出されます。
それが今、3枚で3,300円って。

DVDって、メーカーがリリースする時期や、仕様・特典によって価格が恐ろしく違いますよね。同じ作品でもスタンダード、初回特別パッケージなどいろいろなバージョンがあります。そしてさらに有名な作品になると期間限定でプライスダウンになったり。さらにシリーズ作品ではシリーズ数本を一つのボックスにまとめてリリースしたりする。同じ作品で多くのバージョンが存在する訳です。その辺は皆さんもご存知でしょう。
お客さんはそれらの中から自分の希望に最も適したバージョンを選ぶ訳なので、ある意味選択枝が広がったとも言えます。


この「スター・ウォーズ」にしたって、シリーズ一作ごとに単品発売されているんですね。それぞれが2枚組みの「プレミアム仕様」という物です。2枚目のディスクには特典映像満載、という例の奴ですね。
ところがここに、私を悩ませる一要因があるのです。

私、昔一年間だけ、レコードショップで働いていた事があります。当時はDVDなど影も形もなかった頃なので、レコードなどの商品は「再販商品」と呼ばれ、再プレスされても仕様など変わらずに、価格もまったく同じものだと教えられてきたのです。
少なくともレーザーディスクまではこの規律はほぼ守られていたと思います。ところが。
DVDって一度大量プレスすると、再プレスの際仕様を変え、価格も変えて違う商品として発売される訳ですよね。(詳しくは知らないので推測の域を出ませんが。ごめんなさい不勉強で。)その為、同じ作品のソフトがプレス毎に様々な仕様、価格で数限りなく存在する事になる訳で。ショップ側としてもその全貌を把握する事は困難じゃないかと思うんですよ。


Photo_434 例えばこの「インディ・ジョーンズ」シリーズ。
これは先日買ったボックス仕様ですが、この作品は一作ずつ単品でも発売されていたはずです。
この単品商品が廃盤にならないうちにボックスがリリースされたとします。でも単品は初回プレスのみだから市場では品薄。お店で取り寄せを頼んでも入荷の確立は低い。
こういう場合、単品が欲しいお客さんに対してお店側は「もう入荷は困難かもしれませんねー」なんて言って、このボックスを勧めるんじゃないかと思うんですよね。
ここでお店側が体制を切り替えるのには大きな理由があります。

こういう大作映画の場合、今は単品とボックスの値段がほとんど変わらない場合があるんです。現にこの「インディジョーンズボックス」は、なんと4枚組、新品で約3,000円でした。

「一作目の『レイダース』だけで充分」と思っていたお客さんも、おそらく初回発売で3,000円近くしたであろうバージョンよりは、同じくらいの価格で特典ディスク付き、シリーズ全作が手に入ると思ったら「こっちでいいです」となるのでは。
なぜこういう事が起きるのでしょうか。

DVDはその誕生時、再販商品という枠を作られていなかったのです。その為、お店の都合で自由に価格を設定する事ができる。ちょっと動きの悪い商品、新パッケージリリースが迫った商品などは、お店の自由意志で「大幅プライスダウン」が可能となってしまうのです。
事実、冒頭の「スター・ウォーズ・トリロジー」は定価5,000円以上、「インディ・ジョーンズボックス」は定価6,000円以上の価格なのでした。

このCDやLDと異なる、DVDならではの販売ルールがある為に、私達ユーザーは「新品を少しでもリーズナブルに手に入れる事」に時間と労力を費やす事に(笑)。
なにしろお店の事情一つでこれほど価格の変わる商品も珍しい。一瞬たりとも気が抜けません。


もうこうなってくると、いわゆる「名作映画の期間限定プライスダウン」なんてシリーズの低価格さえ信用できません。
昨日も奇跡が起きました。
私の大好きなシリーズ「ダイ・ハード」。これは今、名作映画として全三作、単品でプライスダウンしています。その価格は一枚1,490円。これを探していた私は、あるお店で三作とも見つけ、手にとってレジへ向かおうとしたのですが・・・
「待てよ。ひょっとして・・・」
そうです。あるカンに導かれ、私は近くの大手DVDショップへ。ここで私は、超豪華仕様2枚組「ダイ・ハード」アルティメット・エディションを見つけたのでした。
その価格、なんと1,500円にプライスダウン!定価3,990円の新品が!
お店とメーカー協賛の、新年特別セールとのふれこみでした。

Photo_435 単品と、2枚組超豪華仕様の金額差、わずか10円です。勿論私は、このバージョンを三作ともゲットしました。
ひょっとしてさっきのお店で手に入れていたら、この金額を見て悔しい思いをしていたでしょう。
今は「誰もが安いと信じて疑わない、名作プライスダウン」のDVDがなんと割高の「地雷」と化すことさえある、恐ろしい状態なのです。
貧乏な私はそれこそ絶対避けたい事態。

しばらく映像ソフトのリサーチから遠ざかっていましたが、これからはちょっと真剣にショップ巡りをしなければ(笑)。

Photo_436 なんてわけで、この写真の作品はここ数日手に入れた新品ばかりですが、予想以上の低価格でビックリしました。これだけ買って一万円ちょっとなんて信じられない。定価なら倍以上していたでしょう。そもそも新品の段階で安いんですよね。
これでまた作品収集に歯止めがきかなくなったらどうしよう。
今月19日には樋口版「日本沈没」リリースも待ってるし。


「ネヴュラ座」支配人の悩みは尽きません(涙)。

2007年1月 7日 (日)

ゼンマイ仕掛けのお正月

「・・・意外に大漁だったなー」
私の住む街にも雪が舞った日曜日。一月も一週間を過ぎた今日、私は年末の大掃除でより分けた不要な本、ゲーム、DVDなどをBOOK OFFへ持って行きました。

予想よりも高く買い取ってもらえた為、思わぬ臨時収入に頬もほころんで「ちょっと贅沢しちゃおうかな」なんて車を飛ばしていたのです。

向かった先は地元のオタクショップ「Hobby OFF」。
ここはあまりマニアックな物はありませんが、一般的な食玩などは他のマニア店より安く手に入る為、私にとっては「今ネタならここで」という暗黙の「目的別お店選定」が出来上がっていたのでした。

ここで集めそびれた食玩を補填でもしようかと。

自動ドアが開くのももどかしく、お店の食玩コーナーに向かった私。「たしかこのあたりにあれが・・・」なんて見渡しましたが、どうも勝手が違う。コレクターの方ならお分かりでしょうが、自分がよく行くお店って、商品の並びをなんとなく覚えていますよね。以前目をつけていたアイテムの位置も無意識に頭に入っているはずなんです。
ところが今日、私はその記憶を見事裏切られてしまいまして。狙っていた数個の食玩が影も形も無くなっていたのでした。

「あ、そーか。」考えてみれば理由は簡単。今日は1月7日でしたね。要は目ぼしい商品はお正月に売れちゃっていたんてすよ。
私も勘が鈍りました。昔だったらこんな事いち早く予想して、もうちょっと新商品が入荷したら再度挑戦していた所だったのに。

予想外の臨時収入にいつもの「オタクアンテナ」が鈍っていたんですね(笑)。

部屋へ帰って一息ついた頃、ある事に気がつきました。
「そういえば今日感じたような喪失感って、子供の頃にも味わった事があったなー。」


昭和40年代に子供時代を過ごした方々なら、なんとなく思い出していただけるでしょう。
この頃、私とその周りの子供たちが熱中したおもちゃの王者は、何と言っても「プラモデル」でした。特に、「お年玉」という強力な収入が見込めるこのお正月、子供の財布はそれこそ年間で最も潤う時期なのでした。


「貯金しなさいよ!」という親の言葉に、その大半は預金通帳の数字と化していましたが、それでもいくらかの軍資金を手にした子供たちは、先を争うようにおもちゃ屋へ自転車を走らせたのでした。
この時程「早こぎ」した事もなかったですね(笑)。
当時は、今のように元日から開いているお店も少なかったですから、年末に「お正月は何日から開いているか」なんて情報収集も完璧に済ませ、開店日を心待ちにして。
それは今で言うブランド品バーゲンに群がる女性達(私もそんな一人ですが)にも似た状況でした。
普段目をつけていたあのキット、あそこのお店のあの棚、後ろに隠したあのプラモをわが手に!子供たちの火花散る争奪戦は、お正月三が日の風物詩でもあったのです。

そんな戦いも終わり、在庫数も激減したお店が、問屋さんへ商品を仕入れに行く時期の狭間、エアポケットに当たる時期が、丁度今、1月7日あたりなのでした。
この喪失感、お店が一時的に品薄になる寂しさは、今も昔も変わっていないんですね。
私が昔を思い出すのも無理はないような(笑)。

Photo_428 お正月の「お年玉」の思い出としてもう一つ、強烈な印象を残すのが、「ゼンマイ」でした。
以前「ネヴュラ」でもお話しましたが、子供時代の私がもっとも親しんだプラモデルはゼンマイ動力の怪獣やロボットだったのです。
モーター付きの電動キットなど、お年玉をもってしても数年に一個買えるかどうかの「高級ブランド商品」。私達が普段手にできるのは「アオシマ」「日東科学」「マルイ」「クラウン」などの「一般メーカー品」なのでした。

Photo_429 年末からお店で目を付けていたゼンマイキットは、当然他の子供も狙っています。小さな町のおもちゃ屋ですから、いくつも在庫がないこれらのキットを奪取できた子供こそお正月の勝利者。
それはそれは楽しい年明けを過ごすことができました。

私の場合、その争奪戦の成績は比較的良く、毎年ほぼ勝ち続き。
友達や従弟と大勢で「大名買い」を敢行し、買ったその日に組み立てて翌日の「決戦」に臨むというのがまさに王道の遊び方。ある種その年の「運試し」とでも言えるような気合に溢れていました(笑)。

Photo_430 当時のプラモデルはとにかく「可動」が命でしたね。モーター動力のキットなどは本体の動きなど当然で、光る、吠える、煙を吐くなんて芸当をこなす逸品までありましたから。
でも私が所属(笑)していたゼンマイキット部門では、そんな派手な機能はほとんどなく、ただひたすら前進あるのみ。怪獣やロボットは、腕が足と連動して動けばいい方で、ほとんどのキットの腕は固定かゴムで留めてあるだけのお粗末な代物でした。

でも、私は今もこの「ゼンマイキット」に愛着があるんです。
何しろ、モーターキットと違って「電池が要らない」。
電池切れで動かなくなる事がありません。ネジさえ巻けばいつでも動く。このエコノミーさが実に魅力的だったのです。
ゼンマイ独特の「ジージー」という可動音も大好きでしたね。
モーターの「ギャアアアン」という可動音には劣りますが、どうしてどうして、ゼンマイのあの可動音もなかなか迫力があるんですよ。
ゼンマイは構造が簡単というのも、子供心に安心感がありました。
なにしろモーターキットは一度動かなくなると配線の接触からギヤーのかみ合わせまで全部調べなければならない。また当時のモーターキットはよく壊れましたから。
そこへ行くとゼンマイキットはまず壊れない。壊れちゃった時はもう、ゼンマイそのものが切れちゃったぐらいの原因しかないですから。その時は諦めるしかない訳で。
肉弾戦がメインだった怪獣キット同士の戦いでは、壊れやすかった当時のモーターキットよりも、むしろゼンマイキットの方が重宝していたくらいなのです。(貧乏人のひがみかも(笑)。

Photo_431 で、このゼンマイ、私の中で最大の思い出は、「買った翌日の朝」なんです。
これ、きっと同じ経験をされた方も多いんじゃないかと思いますが。
前述の通り、当時プラモデルは「買ったその日に完成させる」というのが当たり前でした。なにしろ買った翌日には「決戦」でしたから。ある意味実にスリリングなプラモライフだった訳です。ですから当然、買った日に完成させたプラモデルは、夜「試運転」を済ませてから枕元なり、机の上で「出場」の時を待つ訳ですよね。
ここで、ゼンマイならではの現象が起こります。

ゼンマイって、動かした後完全に止まったと思っても、その後不意に動く事がありますよね。これはゼンマイの巻きしろがちょっと残っていてその為に動くものなんでしょうが、これって気温の低下も多少の影響を与えるものじゃないかと思うんですよ。
なにしろゼンマイ本体は金属ですから、気温で伸縮してもおかしくない。

この、気温の低下によるゼンマイの収縮が、不意の「作動」を起こさせちゃう。
そうです。お正月の寒い朝、気温が下がった時に起こる「怪獣キットの不意の作動」。
これがまた、子供の眠気を覚ましてくれるんですよ(笑)。
「そうだ!今日はこの怪獣で決戦だ!」
まるで怪獣が決戦を前に武者震いをしているかのようなこの動き。いい景気づけになるんです。


お正月。冬の朝。センマイ怪獣の武者震い。
私にとってこの3つはセットなんですよ。


まあ、この武者震いがあったからといって、別に連勝する訳でもないんですが。でもなんとなくいいですね。あの時代の空気さえ思い出させる、温かい記憶です。
こんな事を思い出すのも、この冬一番の冷え込みだった今日ゆえでしょうか。
ゼンマイキットが絶滅して数年。ハードディテールのディスプレイキット全盛期の今では、そういうエピソードも昔話になってしまうんでしょうが(笑)。

Photo_432 記事の写真を撮る為に棚から取り出したゼンマイキットの数々。撮影も終わり、棚に戻した後で、ふとあの懐かしい「ジージー」という作動音が聞こえたような気がしました。

わが家の怪獣キットの心臓は、まだまだ元気なようです(笑)。

2007年1月 6日 (土)

侵略者は目を閉じない

事件は突然やってきました。
このお正月、友人と向かったファミレス。不意に立ったトイレで鏡を覗いた私に、それは襲い掛かってきたのです。

「右目が真っ赤!」

それは充血ではなく、明らかに「出血」でした。白目の表面は水面に赤いインクを垂らしたように鮮血で染まり、慌てた私は翌日、仕事始めの病院に駆け込んだのでした。
「どうしたんでしょうか?」
こんな事初めてだったのでパニクってしまった私は、すがるように先生に尋ねました。
ひょっとしてなにかの理由で眼底出血?これが引き金で失明?
目を使う仕事はもうできないの?

でも(皆さんお察しの通り)先生の答えは拍子抜けするほどあっけないものでした。
「あー、これは病気というより「状態」ですね。」

なんでもこれは『結膜下出血』というもので、目の中の弱い血管がたまに何かの拍子に切れて出血するんだとか。痛みもなにもないとすれば大した事はなく、病院でもこの症状の患者さんは一日一人くらいの割合で現れるほどポピュラーな物だそうです。

「確かに白目が真っ赤になりますから慌てますよね。まあ一週間も放っておけば自然に治りますから。」
笑って話す先生にほっと胸を撫で下ろした私。でも驚きますよ。
白目が真っ赤に染まるなんて経験、初めてでしたから。

「赤」。この色は人間にとって血を連想させ、ただならぬ緊張感を与えます。
そんな事もあったのでしょう。今日、朝7時前から「ネヴュラ座」に掛けた作品は、「赤い映画」として今も強烈な印象を残す「吸血鬼ゴケミドロ」(1968年松竹 佐藤肇監督)でした。


Photo_420 「ネヴュラ」でもたびたびお話した事のあるこの作品。東宝の変身人間シリーズと並んで強烈な印象を残す一篇です。
時は1968年。この前年、日本は第一次怪獣ブームが頂点に達し、東宝「怪獣島の決戦ゴジラの息子」大映「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」日活「大巨獣ガッパ」などを矢継ぎ早に公開。松竹も「宇宙大怪獣ギララ」を公開し、まさに邦画各社が先を争って怪獣という新しい鉱脈を掘っていた頃でした。
68年にもややその余波はあったものの、劇場、テレビ共に怪獣はやや下火となり、各社は怪獣に変わる新しい鉱脈発見にやっきになっていたのです。
「吸血鬼ゴケミドロ」は、そんな怪獣映画の空気を取り込みながらも、新しいジャンルに果敢に挑戦する映画人の息吹が感じられる好篇として、今も独自の輝きを放っています。

Photo_422  私はこの作品、以前お話した「電送人間」(1960年東宝 福田純監督)と並んで「食事時映画」として愛用しています(引かないで下さいね)
もう、この作品を何度見たことでしょう。ビデオ、レーザーディスク、DVD。メディア、フォーマットが変わるたびにソフトを手に入れ、同じ場面をハイクオリティーで観る事に血道を上げた20余年。それ程この作品には独特の魔力があり、私を捉えて離さないのです。

Photo_423 怪獣が登場しないながら、練りこまれた脚本と緊張感溢れる演出、そしてキャスティングの妙(!)が一体となって、独自の世界観を築き上げる事に成功したこの作品。ご存知の方も多いのでは?以前「ネヴュラ」でもご紹介した「マタンゴ」(1963年東宝 本多猪四郎監督)と並んで「人間ども映画」なんて呼ばれたりもしますよね。
それ程この作品、アクが強い。

羽田空港を飛び立ったジェット旅客機が空中で遭遇する原因不明の怪現象。突如飛来した青白い光体とすれ違った旅客機は計器が狂い、何処ともつかぬ岩山に不時着してしまいます。

不時着のショックでほとんどの乗客は死亡。
副パイロット、スチュワーデスと残った数人の乗客は、この未曾有の状況からなんとか逃れようとしますが・・・

まあ、これだけならよくある「パニック物」なんですが、この「ゴケミドロ」が秀逸なのは、乗客の一人にある国の大使を暗殺したプロのヒットマンを配した事。これで緊張感は一気に高まります。「生き残った者の一人が殺し屋。」この設定はこうしたサバイバルストーリーに適度なスパイスを与えてくれるのです。
そして、怪獣ブームの洗礼を受けた大きな意匠が、このストーリーの最も魅力的な所。
この、生き残ったメンバーがまた、ありえないくらい「濃い」キャラクター爆発なのでした。

異常にテンションの高いメンバー達の言動は、この際ご覧頂いたときのお楽しみとしましょう。この主要メンバーの個性は、ストーリーやテーマでよく比較される「マタンゴ」よりもおそらく上です。ある意味デフォルメされていると言ってもいいでしょう。
そしてさらにこれだけでは終わらない、作品のキモとも言うべきアイディアが、冒頭で旅客機がすれ違った「光体」にあるのです。

実は、この「光体」から始まる独自のストーリーがなければ、この作品はこれほどの高い評価を得なかったような気がします。それほど設定とストーリーが密接に関係している。さらに、前述した「キャスティング」がこれほど成功した例も珍しいのではと思うのです。
Photo_424 いずれも「この人しかありえない」と思わせるメンバーの中で、一際存在感溢れるキャラクターをアピールする存在、それがヒットマン役の「高英男」さんその人。
この方有名なシャンソン歌手だそうで、その舞台映えする独特な風貌が特徴。このキャラクターなくして「吸血鬼ゴケミドロ」の成功はあり得なかったのではないでしょうか。
それほどこの方の存在は大きい。


以前「ネヴュラ」でもお話しましたが、もし今「ゴケミドロ」をリメイクしようとしても、この人を超える存在感を持った俳優が居ない。それはこの作品が「リメイク不可」である事を意味するのです。

さて、この後のストーリーをちょっとお話しましょう。副パイロットらによって正体を暴かれたヒットマンは、スチュワーデスを人質に不時着した機外に逃亡します。その時彼らの目の前に現れたのが・・・
ここのシーンはなかなか雰囲気があります。後年、特撮の不備が生み出した効果だった事が判明しますが、かえって強い印象を与えるシーンとなっているのです。


Photo_425 この写真をごらん下さい。このカットは乗客の一人が高英男さんに襲われる所なんですが、「ゴケミドロ」を未見の方、高さんの額に縦に走る大きな傷が一際印象に残りませんか?
この「傷」こそが、この作品の印象を決定付ける大きな意匠なのです。

額が裂けたように走る、赤い大きな傷。

「吸血鬼ゴケミドロ」全篇は、この「赤」という色に支配されています。
「キル・ビル」でタランティーノ監督がマネたという、冒頭の赤い空。旅客機の窓に激突する鳥達が流す血の赤。侵略者の「光体」の正体が放つ赤い光。
侵略者ゴケミドロにしてからが、「吸血鬼」というタイトル通り「血」をイメージさせる存在ですね。そんな所にも、この作品のカラーが端的に現れているのでしょう。

冒頭、私が目の出血をきっかけにこの作品を思い出したのも、そんな理由だったのかもしれません。

そしてもう一つ。この「傷」が持つインパクトは、「ゴケミドロ」全篇にある種の「痛み」を感じさせます。
人間の一部が裂けている。こういうキャラクターが主人公級に扱われるゆえに、観客はその傷を目にする事によって生理的な痛覚を刺激されるのです。
しかもこの傷、乾いていない。見た感じ、まだ疼いているような感じさえ与えられます。


さらに恐ろしいのは、高さん演じるヒットマンはこれだけの傷を負いながらも、「まばたき一つしない」という所なのです。苦痛の表情さえ見せません。つまり痛みを感じていない。
それどころか「ゴケミドロ」全篇を通じて高さんが目を閉じているカットを私は発見できませんでした。明らかに気を失っていると思われる所でさえも「目を閉じていない」。
それは侵略者、ゴケミドロのキャラクターにも関係してくる事なのでここでは伏せますが、この「目を閉じない男」の存在によって、私達は「ゴケミドロ」という作品の術中に落ちていく感覚さえあるのです。


観客さえこの男からは逃れられない。まさに「ゴケミドロ」の魔力を体現するキャラクターです。希有な存在、高英男さんの名演の勝利でしょう。
まさに目が離せない存在。見ている方もまばたきさえできません(笑)。


なんか私、この高さんがなんとなく気になっちゃうんですね。映画界を見渡してもこんな人めったに居ないですし。この人に会うためにDVDを取り出しちゃう事さえあります。
それが食事時というのも妙な感覚ですが(笑)。
この高さんの名演に支えられて展開する驚愕のストーリーは、おそらく未見の方に強烈な印象を残す事でしょう。私も「ネヴュラ座」で何十回目かの再会を果たし、久々の緊張感を味わいました。なにしろ額の傷が50センチサイズですから(驚)

Photo_426 さて、今回の記事、ほとんどストーリーの解説をしていないのでさっぱりお分かりにならないと思いますが(笑)、おそらく「マタンゴ」をご覧になった方、そしてあの作品にある種の刺激を受けた方にはまさにうってつけ、ど真ん中ストレートな作品である事を保証します。
私は今まで「この作品がつまらなかった」という人に会った事がありません。
オタクイーン一押しのカルト映画と言えましょう。(まったく権威などありませんが)

Photo_427 でもまあ、マニアの方には今更言うまでもありませんね。こんな食玩まで発売されているくらい、人気の作品ですから。
私、ショップでこのフィギュアを見た時ひっくり返りましたよ。

「時代はやっとゴケミドロに追いついた」なんて(笑)。

2007年1月 4日 (木)

四十一年目の発見

「ネヴュラ」をご覧の皆さんの中には、このお正月に旧友と再会され、親交を深められた方もいらっしゃるのでは。
私もご他聞にもれず、昨日一月三日、数年ぶりに昔の仲間3人を部屋に呼びました。

私の仲間と言えばやっぱり「その手」の連中で。昔から怪獣映画などを一緒に鑑賞し、作品論を語り合った仲。ただ最近は集まる機会も少なくなり、すっかり現役を離れてしまったせいか、昔のような盛り上がりはもうありませんでしたが(寂)。

Photo_415 お酒が飲めなかったせいもあるでしょうね。
ほとんどのメンバーは車で来ていたため、当然のように禁酒がルール。いい歳して「よいこのびいる」で乾杯という情けなさで(涙)。

でもこれ、色と泡立ちだけは本物そっくりで、一人だけヒールが飲めたメンバーとの乾杯もまったく違和感なし。雰囲気だけは楽しめました(笑)。

元日の記事でおひろめをした46インチテレビ、通称「ネヴュラ座」での「GMK」上映中も、劇場に迫る迫力に全員言葉を無くす場面は数知れず。昔のような横着な私見を交わせなくなってしまった事に、時の流れを感じます。
昔のテンションを保っているのはどうやら私だけのようで。これも毎回「ネヴュラ」で勝手な事を書きまくり、皆さんにお相手いただいているおかげですが(笑)。

深夜12時。翌日の仕事の為早めに切り上げたメンバーに別れを告げ、時間にリミットの無い先輩と二人になりました。
「せっかくの46インチなんだから色んなソフトを試してみようか」なんて乗りで取り出したのが、「ネヴュラ」レギュラーソフトと化している「ウルトラQ」DVD-BOX。既に何度か見ているんですが、深夜に部屋の明かりを消してまさに映画館状態で見るのは初めてです。例のタイトルバックが出たときはやっぱり興奮を抑えきれませんでした。

Photo_416 このDVD-BOX、お持ちの方はご存知でしょうが、映像、音声共に最新の技術でデジタルリマスターされた優れもの。本放送当時は受像機の性能が作品本来のクオリティーを再現できなかったため、今のDVD制作技術によって再現されたこの「ウルトラQ」本来の姿は、私達に名作のクオリティーを改めて認識させてくれます。

その事は、このDVD-BOX購入当時から感じていたことですが、今回「ネヴュラ座」でウルトラQを再見してみた所、また違った印象が残るのでした。

「ウルトラQ」は当然、テレビ番組ですから、そもそもこんな46インチなんて大画面で再生する事を想定されて作られていません。家電店などで、ガラモンやペギラを大画面テレビのデモンストレーション映像として流している所も見たことありませんし。(著作権法にも引っかかりますしね)。劇場で上映する映画よりも「ウルトラQ」のような映像は、かえって大画面上映が叶わないものなのです。ですから自分で大画面テレビを購入でもしなければこんな映像は見られない訳で。
ある意味すごく貴重な体験なんですよね。

Photo_417 そんな意気込みで昨夜も「ガラダマ」や「東京氷河期」など数本を観ました。
まあ、確かにとてつもなく大きい画面のサイズ(「ガラモンの逆襲」東京襲撃シーンの迫力たるや!)や擬似ステレオ処理された音声の効果も、普通のテレビと違う印象を与える要因ではあると思います。
1965年の制作当時、円谷プロ制作陣の英断によって実現した劇場用映画並みの35ミリフィルムのキメの細かさは、21世紀の今、フルハイビジョンテレビで再生される事により本来の意味を持つものかもしれません。

事実、ウルトラQを知らない人に、このドラマの本篇部分だけを見せたら、「映画?これ」という印象を持たれるレベルの、画面のクオリティーを獲得しているのです。
しかも「ハイキートーン」という明暗のはっきりした画面作りが、作品のイメージを陽性に仕上げている。
清潔感があるんですね。

これは撮影現場の照明技術に加え、カメラの絞り、フィルムの現像技術、編集上の仕上げ技術が一貫して同じ目標に向かって動いていた事を表していると思います。特撮テレビ番組黎明期のこの時期、画面のトーンを一定にするには、おそらく確固たる目標の元、試行錯誤を繰り返したと思うのです。それがこの、大画面に耐えるクオリティーを確保したとすれば、当時の円谷プロスタッフはおそろしく先見の明があったと言えましょう。

「おおー」「いやーすごい」なんて言いながら鑑賞した、真夜中の「ウルトラQ」。観ている私達は当初、見慣れたストーリー、画面を反芻するように画面に向かっていたのですが、不思議な事に、次第に違う感覚に囚われていくのでした。
それはまさに「目が体を離れて、この不思議な時間の中に入っていく」感覚。
「ウルトラQ」が、だんだんテレビ番組とは思えなくなってくるのです。
この奇妙な感覚はどういう事なのでしょうか。


1977年8月。あの有名なアニメーション「宇宙戦艦ヤマト」が全国で劇場公開されました。全国にアニメブームを巻き起こした作品として歴史に残る作品です。
ご他聞に漏れず、私も劇場前の「行列」に加わったクチ。思い出せば懐かしい熱き記憶です。(公開は夏でしたしね)さて、ようやく劇場に入り、熱狂の内に観た「ヤマト」。一部に新作部分もあったものの、そのほとんどがテレビシリーズの再編集という、当時よくあった人気アニメの興行形態でしたね。
さて、その時私が受けた印象は、「アップが多くて暑苦しいな、これ」というもの。確かに作品に惚れこんで劇場に向かったわけですから、ストーリーについては百も承知、文句は無いのですが、画面から受ける絵のサイズが、あきらかに劇場用作品のそれではない事に、改めて気づかされるのでした。

そりゃそうですよね。もともと劇場用として作っていない作品を、無理矢理映画にしてるんですから。そんな印象を受けるのは当たり前で。でも私はその時、「絵づくりというのはテレビと映画で違う」という事を初めて学んだのでした。

これは要するに、画面の大きさと見る人の「間合い」とでも言うものですね。監督の資質にもよりますが、劇場用映画では、情景カットなどは画面の広さを感じさせる効果が狙える為、多用する傾向があります。大爆発など迫力ある映像もなるべく引き目に撮ることで、劇場そのものが爆発に巻き込まれているような迫力を再現させようとするわけです。
人物も普段のカットバックなどはなるべく引いて撮ります。人物の感情を強調したい時にここぞ、とアップを使うわけですね。
大きなスクリーンを観る観客の為に考えられた、絵作りの文法とでも言うものです。


これがテレヒではまた違ってきます。劇場のスクリーンほど大きくない昔のテレビのブラウン管サイズでは、カメラの方から人物に寄らなければならない。テレビでは、人物のサイズが映画よりもアップ目になるんですね。そうする事で、小さなブラウン管で展開するドラマに迫力を与えるという演出方法が採られている訳です。
だからテレビ作品を劇場サイズの画面で映せば、画面がアップ目になり、暑苦しく感じる。逆にテレビ画面で劇場用映画を映せば、人物のサイズがやや小さめに感じる。これは二つのメディアの特徴を把握し、それぞれの効果を上げる為に制作者が努力した末の、異なる「間合い」なのです。

さて、前述の「ウルトラQ」にお話を戻しましょう。
確かに「ウルトラQ」の監督陣も、あるインタビューで「テレビ作品なので、アップ目を心がけている」といったお話をされています。今回大画面で見て感じたことはその部分。確かに言われればアップ目もあるんですが・・・
実際には、「ヤマト」で感じたほどの暑苦しさを感じないんですね。


Photo_418 これはやはり、「Q」演出陣に、東宝特撮映画に助監督クラスやカメラマンとして関わった、劇場作品経験者が多いせいではないかと思うのです。視聴者との間合いのとり方が、やはりテレビのそれとは違う。46インチで観て「映画だなー」と感じさせる要因は、そんな部分にもあるのでは。いやー、放送後41年目にしてこんな事を発見するとは。
ウルトラはまだまだ奥が深い(笑)。

これは今回「ネヴュラ座」で観てみて初めて体感した事です。大画面で作品を観るという事は、単に迫力を感じるだけではなく、作品を制作する上でのクリエイターの考え方をも重層的に感じる事ができるんですね。
これからもいろいろな発見があるでしょう。今まで穴の開く程見てきた作品にも、また新たな切り口が見つかったようで嬉しい限りです。

Photo_419 そうそう、元日の段階でまだ掃除が済んでいなかった食玩コーナーも、なんとかかたづけられました。これがその証拠写真です。ご覧の通り大した物は無いんですが、これだけあると拭くのも大変で・・・
え?写真が小さすぎてわからない?
そうなんですよねー。ブログの筆者と読者の「画面の間合い」というのも、今研究中の所で。
なかなか難しいところではあります(笑)。

2007年1月 1日 (月)

ネヴュラ座より愛をこめて

今、書き出しは朝の10時過ぎ。
「ネヴュラ」をご覧の皆様、あけましておめでとうございます。

ブログを始めてから初めて年を越しました。つたない駄文ながら、なんとかここまで更新し続けられたのも、可愛がってくださる皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
昨年は私事でちょっと寂しい事もありましたが、皆さんに励まされなんとか切り抜けられました。そういう意味では今、喪中なんですが、あえて
明るく行きたいと思います。
「ネヴュラ」は、今年も性懲りも無く続けていきますので、「まだやってんのか」とか言いながら、たまには覗いていただき、からかってやって下さい。


さて、こんな事をお話していながら、実は私、お正月気分など微塵もない有様で。
年末に始めた大掃除が、まだ完全に終わっていないんです。

私は本当に因果な性格で、一箇所でも掃除をしていないところがあると気持ち悪くて仕方がないんですよ。ですからつい「ここも」「ここも」となってしまって。普段まめに掃除をしていればこんなに汚れる事もないんでしょうが。これで不精癖がバレちゃいましたね(笑)。
女性として生きる私としてはちょっとお恥ずかしい所です。
年越しの瞬間も、私はお掃除の真っ最中で。実はお風呂で格闘していまして。
毎年こうなんですが、お掃除で汚れた体を洗い流しながら、一緒にお風呂の汚れも洗い流してしまおうという魂胆で。
大体大晦日はそういう流れになるんです。


でも、昨日は部屋中のいろんな汚れが目に付きすぎて、朝4時半からやってるのに全然終わらない。延べ日数で1週間以上かかりっきりなのに本当に押しまくりで。
お風呂をゴシゴシやってるところで新年を迎えてしまうとは(笑)。

結局昨日は21時間近く掃除してました。でも終わらない。
物が多いからじゃないんです。「家具すべてに雑巾の洗礼を受けてもらうわよ」という私の中の「掃除大王」がそうさせるのでした。

とまあ、そんな格闘の甲斐もありまして、一部を残しながらもなんとか格好のついた「ネヴュラ」。実は今回の大掃除は、我が家にやってくる大型メンバーの為にも行っていたのです。
それは!(ドラムロール)ジャーン!
以前記事でも採り上げた夢の46インチテレビなのでした。


46 いかがですかこの威容。貧乏人の私には一生で何度もない大英断でした。これで今年、私は贅沢が一切出来ません(涙)。
画面の左下に置いてある「GMK」のDVDと比べてみてください。画面の横幅は実に1メートル12センチ。映画前半を盛り上げた、大湧谷の対バラゴン戦も大迫力です。
先月の30日に配送されたのですが、配送してきたお店のスタッフも思わず「でかっ」とのたまうほどの大きな箱。
もう「パーテーション」ですよこれ。
案の定箱から出すのも一苦労で、お店の人二人と私の三人がかりで組み上げた「労作」でした。でももうこれはテレビじゃない。
狭い私の部屋では、この大きさの画面はもう「スクリーン」です。
われながら思います。
「映画オタクにとってこれは究極の贅沢だなー。」


46_1 それからというもの、私は部屋で映画を「上映」しながら掃除を行うという、夢のような年末を過ごしたのでした。
「スクリーン」に映し出される作品も怪獣映画はもとより、手持ちの007、SF映画などオタク心全開のものばかり。そりゃそうですよ。家具をひっくりかえして掃除してるときは、伊福部昭先生のマーチやジョン・バリーの曲がよく似合う。
お掃除は一種の戦闘ですから(笑)。

で、掃除も一応の区切りがついた今朝午前3時半。何故か新春第一弾の鑑賞は「怪獣ゴルゴ」(1960年イギリス ユージン・ローリー監督)で開けたりして。
どういう選定基準なんだか(笑)。

でも思ったのは、この大画面でここまで劇場体験が出来るって事は、今までビデオやDVDでしか鑑賞できなかった作品も、映画館で観ている感覚を擬似体験できるってことなんだなー、って事で。だって「怪獣ゴルゴ」って、ゴルゴのアップがやたら多いので、ある意味ゴジラ以上の大迫力なんですよ。
これは普通のテレビでは味わえない印象ですよねー。
つまり「作品から受ける最初の印象」が、テレビ画面と劇場ではこうも違うものか、という事実を再認識した訳です。
つくづく「映画は劇場で観ないと正確な評価が出来ないんだなー」と思いました。


そして今、私の傍らでは「ウルトラQ」が「上映」中。いやーガラモンやペギラは、大画面でもまったく遜色ありませんね。
こんな風にこの46インチは、劇場では絶対上映されないであろう作品まで劇場作品なみの迫力を体感できるのです。当たり前のお話ですが。


そんな訳で、まさに部屋にスクリーンを持った私は、部屋の名前を「ネヴュラ座」なんて洒落てみたくなりまして。なんとなく昭和30年代頃にありそうな、場末の映画館の香りを感じるネーミングがお気に入りなんですが(笑)。
なにしろこの「ネヴュラ座」、興行の事を考えなくていいという(笑)、採算度外視の上映プログラムが魅力。ただ、今は部屋のAVシステムの都合で、DVDプレーヤーしか繋いでいないのがちょっと難点ですが。でもこのネヴュラ座には、今のテレビの映像は映したくないな、なんて思います。
いつまでも「夢の映画館」であって欲しいな。なんて。

ちょっと舞い上がっちゃってごめんなさい。なにしろ何年かに一度の大きな買い物なので。舞い上がりついでに掃除した部屋をちょっとご覧下さい。
なにしろ今日写真でも撮っておかないとこの後は汚れていく一方ですから。私の掃除記念でもあるんです。
「ネヴュラ座」のロビーでも歩いている気分でご覧頂ければ。

Photo_409 ここが私のメインルーム。通称「オタク部屋」です。「ネヴュラ」でご覧頂いている怪獣やプラモデルは、この部屋にある物をとっかえひっかえ出している訳ですね。
私は「定価より高価な物は買わない主義」なので大した物はありませんが、こういう風に整頓され、埃もはらってある状態は今しかありません(笑)。

Photo_410 プラモデルのラインナップはこんな感じ。同じアイテムがいくつもあります。以前記事にも書きましたが、結局好きなアイテムって何個も買っちゃうんですよね。
なにしろ最近ではあまり店頭でも見かけない物なので、見つけたらつい買っちゃう。マルサン復刻のゴジラやウルトラマンなんて、何個あってもいいですもん。ただのおバカですが(涙)。

Photo_411 そのプラモデルコーナーの上はこんな感じ。昔のおもちゃ屋さんの陳列方法をイメージしています。昔のおもちゃ屋さんでは、大きくて高価なプラモデルは物理的にも予算的にも子供の手の手が届かないところに鎮座していました。毎日のようにお店を覗く私たち貧乏な子供は、そんな高価格キットを前に指を咥えていたものです。その頃の恨みが積もっているのでしょう(笑)。

Photo_412 これは少し前にユニファイブから発売された、マルサンプラモデルの縮小復刻版。本物の8分の一程度の大きさです。
これも必死で集めました。

これ程お財布の紐を緩めたアイテムも珍しい。「今自分はスカート穿いてるんだ」って事を忘れ、あるだけ抱えてレジへダッシュしてましたね。これ程OLに合わない品物も無いと思いますが。

Photo_413 こっちは最近私が力を入れているソフトビニールの怪獣くん達。掃除の時はこれらを一体ずつ丁寧に拭いて、きれいにしてあげました。
どうも私はガラスのウィンドーが嫌いで、こういう棚に飾ってしまうんです。彼らと繋がった空気を感じていたくて。ガラスウィンドーは埃を被らず保存の点では良いんでしょうが、彼らとの間に壁があるような気がして。
「私がいつもきれいにしてあげるから、ここでガマンしてね」という感覚なんですよ。

Photo_414 ところがここに例外が一体。以前「ネヴュラ」でお話したウチのご神体「バゴスちゃん」です。桜井浩子、西条康彦ご両人のサイン入りなので拭けません(笑)。
今も日焼けしないよう厳重に保管して、こうして年に一度のご開帳という(笑)、まさにご神体です。心なしか表情まで神々しい(ソフビ自体は復刻版なので大した事無いんですが)

いかがですか?「ネヴュラ」はこんなところから発信されているんです。まあ貧乏人の私、コレクションというほどの物がある訳でもなく、雰囲気を楽しんでいる感じでしょうか。
この、物が溢れかえったロビーと、46インチの劇場で「ネヴュラ座」は今年も快調。大したお話もできませんが、今年もよろしくお願いいたします。


ところで、冒頭にお話した「まだお掃除が終わっていない場所」ってどこだと思いますか?
実は、今日お見せした写真のコーナー以外に、壁一面に並べられた「食玩」があるんです。しかもソフビと一緒でガラスなし。
拭くのに一日かかりますね。
これが元日の私の「事始め」とは(涙)。

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