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2006年12月26日 (火)

タブーの境界

「ちょっとお話がありまして。」
番組プレビューの後、担当のタイムキーパーさんに呼び止められたVTR室。

「こういう文書が回ってきたんですが。」
見せられたコピーには、放送に於けるスーパー字幕の規定について記述がしてありました。
なんでも今後、値段など字幕で1,000円単位の表記をする時は「,」(カンマですね)を付けないように、という指示でした。
つまりカンマを付けないと「1000円」という表記になる訳です。

同席のプロデューサー達と首をひねった私。だって、どう考えてもカンマ付きの方が分かりやすい。テレビの字幕はずっと映っているわけではないので、短い時間で分かりやすい表記を心がけるのが普通なんですが。
文書を見せたタイムキーパーさんもきまりが悪いらしく「私もおかしいとは思うんですが」と歯切れが悪そうな気配。案の定他の番組スタッフも承服できないらしく、私の担当する番組も他の番組と足並みを揃えて様子を見よう、という結論となりました。

今日の一件は大した事ありませんが、番組制作という物は常に規定やモラルとの戦いがあります。
例えば街頭インタビューなどで述べられる意見に対しては、制作者は作為を加えてはならないとか。物事の是非を問う質問には、一方の意見だけを多く採り上げてはならないとか。
いつも事実に対して中立の立場をとる必要がある訳です。
私も常にその事には注意しているつもりなんですが、難しい判断に迫られる事も多くありまして。というのは人間、置かれる立場やモラルの認識というのは一人として同じではないからで。
この私にしてからが、「女性として生活する男性」なんて、極めて特殊な立場ですから(笑)。
人々に与える影響が大きいマスコミ界に身を置く者として、常に自分を戒めなければならないとは思っても、「相手の立場に立って考える」という事にも限界があるような気もします。
視聴者の皆さんの賛同を得られるかどうか、というのは手探りの状態なんですよね。

自分では「偏っていない」と思っていても、人の思いは千差万別。
常に反対意見は存在する訳で。

ただ、得てしてそういう作品は主張が突出していたり表現が過激な為、局側も「触れたくない」。
光の当たらない存在になりがちなんです。

「ネヴュラ」読者の方々には、私がよくお話するジャンルにもそういう作品群がある事をよくご存知ですよね。
核による被爆者団体の抗議を受けた「ウルトラセブン」12話や、犯罪者の精神鑑定をテーマに据えた「怪奇大作戦」24話あたりが有名なところで。

実はこれらの作品、今でも簡単に見ることができます。読者の皆さんならよくおわかりですよね。これらは「放送できない」というだけで、一時期ソフトもよく出回っていましたから。ですからその内容について今回お話する事は避けましょう。
これらの作品については最近、その「封印の経緯」を追いかけた書籍も発売され、おおよその流れは世間に認知されました。

で、私思うんですが、これらの作品をご覧になって「うわー!これは放送できない」とか、「いいの?こんな事言っちゃって」なんて感じられたでしょうか?
ほとんどの方は「なんでこの作品が放送禁止なの?」と、首を傾げられたのでは?

確かに今の目で見れば「問題作」なんでしょうが、いずれも本放送当時、「放送翌日に抗議の嵐」とか、「モニター調査で抗議の署名多数」とか、そういう事実は無かったように思います。

放送作品を作る立場の私は身に染みて感じる事なんですが、「表現の仕方」って本当に難しい。前述の番組に限らず「主張する側と受け取る側の間合いのとり方」はどんなクリエイターでも悩みのタネなんですよね。
自分の主張は曲げたくない。でも当たり障りのない表現にしてしまえば主張が弱くなってしまう。

社会問題などを採り上げる番組を作る際には、その主張部分が一番の重要点であるだけに、特にその問題の当事者には充分な配慮が必要と思います。

ところがここに、「タブーの境界」という問題が頭をもたげて来ます。
問題の当事者でない人間には、「当事者がどの部分に触れられたくないか」を完全に理解する事はできないような気がするんですよ。
つまり番組制作者と問題当事者に「タブーの境界」のずれが生じた結果が、前述の「放送禁止作品」なんじゃないかと。


それらの番組を見るとき私達が感じる「これくらいなら別に大した事ないじゃん」という感覚は、乱暴な言い方をすれば「当事者じゃないから言える感覚」じゃないかと思ったりするんです。
私達テレビ屋は、ここを肝に命じておかないと同じ過ち(と言い切ってしまいましょう)を犯す可能性がある訳で。

これは他の業界にも当てはまることですよね。
例えば商品の生産コストの問題とか。

「これは便利な商品だけど、これだけコストがかさむと単価が上がり、その単価では消費者は手を出さないだろう」という。
「単価」というのは商品の大きなアピールポイントであり、「消費者との間合い」である訳です。この「生産者と消費者の金銭感覚の間合い」が、「制作者と視聴者とのモラルの間合い」に近いと言えば分かりやすいでしょうか。

ただ大きく違うのは、「モラル」は「お金」程、価値観が万人平等ではないという事ですね。
だから難しい。


実は私も、テレビの道を志した頃は「これほど自分の主張がダイレクトに発表できる業界は無い」なんて希望に燃えていました(笑)。
しかしながら、番組を作っていて思うのは「私が感銘を受けた番組は、すべからく制作者の主張がモラルギリギリのラインで視聴者に受け入れられた、過激な作品だったんだな」という事でした。
正直、自分がテレビマンとして失敗するかもしれないというリスクを覚悟で過激な番組を作れるか、と言われると、さすがに躊躇してしまいますから。
(その反動が「ネヴュラ」の私見に表れているのかもしれませんね。言いたい事言いまくりで皆さんにご迷惑をかけっぱなしですし(笑)

前述の「セブン」「怪奇」の封印作品は、好意に取れば当時のテレビマンの情熱が乱反射した「フライング」とも思えます。
「セブン」「怪奇」とも、現状に甘んじない、常に新しい表現を模索する制作者の思いが感じられますから。
しかしながら、これら封印作品が問題当事者の「タブーの境界」を超えてしまったのも確か。それは素直に反省すべきだと思います。

私だってそういう番組を作ったとき、いつ当事者のタブーに触れて謝罪をすべき立場になるとも限りませんから。

ここまでのお話は、番組の特定エピソードがまるまる一本放送できなくなった例ですが、特定の方々に対して不快感を与える表現には「放送禁止用語」などもありますよね。
昔の番組にはよくこれがあって、現在では放送の際そういったセリフ部分をカットして放送する場合も多くあります。ただこれは私、どうかと思います。

周りの仲間も同じ意見ですが、映倫と同じでそこを隠す事によって余計セリフの意味が強調されちゃうような気がするんです。
言葉の意味も千差万別で、場面やセリフ回しによってはその言葉の反対の意味を表現するために、あえてそのセリフを言わせている、なんて演出もある事ですし。言葉だけをカットすれば事足りる、というものでもないような。
この問題は今後、まだまだ処置の課題が残っていますよね。


私の地方のローカル局で最近ウルトラシリーズが再放送されていますが、この放送は番組のオリジナル性を尊重し、あえてセリフをカットしない方針だそうです。最後に趣旨を説明する字幕さえ出ます。この処置によって制作者の主張がはっきりし、視聴者はそれを理解して番組に臨むので、ある意味モラルの認識が共通になる訳ですね。
CS放送などでは一般化しつつあるこの処置。地上波に導引するのはいろいろ大変だったでしょうが、こうした動きにも、担当者の番組への愛を感じますね。
この処置によって局へのクレームは発生しないのではないでしょうか。


一人ひとりに存在する「タブーの境界」。メディアに対する人の嗜好が広がりを見せる現代は、この問題はさらに重要になってきていると思います。といって「タブーを恐れて、虚勢された作品を作る」のも、テレビマンのあり方じゃないだろうと。
新たな年を目前に、ちょっとそんな事を考えさせられる雨の夜でした。

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コメント

こんにちは~
ついにカジノロワイヤル観にいきました。。。
結論から言いますと結構楽しめました~嫁も今まで見た中で一番面白かったと。^^;;
確かにヒーロー物?としての描き方はなかったですし、Mとのシュールなやり取りもなく等身大のボンドと感じがして、それはそれで良くも悪くも現代風だなと。
嫁はダニエル・クレイグもだんだんかっこよく見えるといいパンフまで買っておりました(笑)
自分はエヴァ・グリーンは綾瀬はるかに似ていると思いました。
オタクイーンさんのブログがなければ観にいってませんでしたので感謝、感謝です。
「小さき勇者たち~ガメラ~」もオタクイーンさんと同じような理由で避けておりましたが観てみます!

完成の鈍化は自分も感じます。なんでも経験してそれが普通になっちゃうと感じなくなるのは仕方がないことだと思います。
ベタなドラマで感動している人を見ると「まだまだだな。」と思う反面「うらやましい」と思っている自分ですが。子供の頃の感動は薄れることがないので時々昔の特撮などが見たくなるのでしょうね。

「カブト」はそろそろクライマックスですね。自分的にはカブトの造形が好きなので見てますけど子供がみて面白いのか?って疑問は残ります。感情移入できるのかなって。
ライダー好きな大人は楽しめるけど子供はどうか?と考えた時には超人然としたヒーローの方が万能感を感じて憧れるんじゃないかと思います。だって子供は不能感の塊ですからね。
「メビウス」も初めて見ましたが、もし自分が子供だったらおもちゃ欲しくならないだろうな~って感じました。すみません、勝手なコメントで。
現在の子供向け番組でその辺の要素があるのは「アンパンマン」かな?って思います。アンパンマンは理由なく正義と愛に生きてます(笑)

年末大型液晶テレビを購入予定でしたが諸般の事情で延期しました~(泣)
ゆるゆるソフビ、集めてはじめてしまいました。。。。もう押しかけ弟子1号です。

大和少年様 コメントありがとうございました。
「カジノ・ロワイヤル」ご覧になったのですね。私も最近は007づいてまして、新旧ボンド対決などと銘打ち「コールドフィンガー」「私を愛したスパイ」などを見ております。「カジノ・ロワイヤル」もおおむね好評のようで。まあ、私の感想はともかく、007人気が続いていくのは嬉しいものです。
「小さき勇者たち」も007と同じで、旧作にハマった人たちには意見の分かれる作品なんだろうなーとは思いますが。楽しめちゃった私は平成ガメラも大好きなんですが(笑)。

「感力の衰え」はやはり皆さん感じていらっしゃるんですね。
私だけじゃなかったんだ。ちょっと安心。確かにベタなドラマに感動できる人たちはうらやましいと思います。(皮肉じゃなくて本当に)そういう純な感性を失わずに成長する難しさを今更ながらに深く味わっています。

超人の条件は、おそらく時代背景によって変わっていくのでしょうね。昔、記事にも書きましたが、「個の時代」と言われる現代では、「万人の為に戦う」というより、「愛する人の為だけに戦う」という理由の方がリアリティーがあるのでしょう。
どちらも真理であり比べる事はできませんが、今、ヒーロー番組の「カッコ良さ」に興じている子供達が将来番組に込められたメッセージを読み取る年になった時、何を感じるのかを思うと、つい老婆心がでてしまう自分の頑固さを反省しています(笑)。
そういう意味で、「アンパンマン」は確かに今の時代、珍しいキャラクターですよね。おっしゃる通り「理由無く愛と正義に生きて」ますし。

ユルユルソフビの世界は一歩はまり込むと、その先は無限の桃源郷が待っています。それはまるでペットを飼うような可愛さですが、出費も怪獣並み。くれぐれも買いすぎないよう、お財布、奥様とご相談の上お楽しみ下さい(笑)。

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