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2006年11月15日 (水)

鏡の中の形見

今日の記事は、書くことを随分悩みました。
いつも楽しい記事をアップする事を心がける「ネヴュラ」にふさわしい内容ではないと思ったからです。
でも、ブログというものは、日々の思いを綴っていかなければ意味がないのも事実なので、あえてアップさせていただきます。

11月11日土曜日、母が他界しました。70歳でした。

以前より糖尿病を患っていた母は、追ってパーキンソン病なども併発、4年前に父親を亡くしてからは実家に一人暮らしをしていましたが、各々の病気の悪化により入退院を繰り返していました。去年3月、部屋で転倒した母は腰の骨を折り、その後はさらに病状も悪化。5月からは私の判断で老人保健施設に入所し、厚い介護体制の下、生活をはじめました。
同じような境遇のお仲間も出来、それなりに母も施設生活を楽しんでいたようでした。
しかしそれも長続きはしませんでした。今年の夏あたりから再び血糖値が安定しない症状が続き、施設の介護体制では治療は不可能という判断で、施設系列の病院へ入院したのです。

秋口。突然の脳内出血により体中に後遺症が残る事態に。医師のお話では大した事はないという事でしたが、結果的に呼吸器感染の合併症を誘発してしまいました。
肺に雑菌が入り、その高熱の為こん睡状態が続いた末の死去でした。
「この高熱が収まれば、あるいは施設へ戻れるかも」などと聞いていた為に、この突然の他界は少なからずショックで、告別式数日後もまだ実感が湧きません。

父も、ガンによりこん睡状態が続いた末の他界だったため、今回の母の最期を看取った時には、不謹慎なお話ですが不思議な既視感を憶えてしまいました。

母のなきがらをゆっくり見るまもなく、通夜、葬儀とあわただしく進む流れ。喪主である私はその忙しさにかまけて、母の思い出と遊ぶ時間さえ持てませんでした。次々とやってくる決定事項、連絡事項に我を忘れ、悲しみに浸る間もなく過ぎる時間。
告別式も終わり、放心状態となった昨日、今日。何をする気力もなく押し寄せる虚脱感の中で、今この記事を綴っています。

この年で父母二人とも亡くすというのも、私にとっては意外な事でした。
父を亡くして以来、母は一人で部屋にこもりがちであまり外出はしませんでした。体の不自由もありますが、それ以上に連れ合いを亡くした落胆が母をそうさせていたのでしょう。私も仕事を持つ身なので、いつも母に付き添う訳にはいきませんでした。
定時を持たず、日曜祭日も関係なく仕事に駆り出される私は、母からよく「あんたは何故日曜が休みじゃないの」となじられたものです。
今考えれば、もう少し一緒に居る時間を持ってあげれば良かったなと思います。
今となっては叶いませんが。

幼い頃から私が育った実家は団地で、母も施設入所まではその実家に住んでいました。
部屋は団地の一階でしたが、部屋にたどり着くには、三段だけ階段を上がる必要がありました。施設に入所した時、「いつかまた部屋に帰る事ができる」と希望を持っていた母も、パーキンソン病の進行により立っていることさえ困難になるにつれ、その「たった三段」の階段が、部屋までの道のりを遠くしている事を感じていたようでした。
私も、周りの部屋の方々も「がんばれ」「もう少し歩くだけ」なんて励ましてはいましたが、心のどこかに、主を無くしつつある部屋への思いを感じずにはいられませんでした。

その末期、病床で言葉少なくなっていく母を見舞うのが辛くなる日が続きました。「ネヴュラ」の更新が不規則になったのは、仕事の環境が変わった理由だけではなかったのです。
穏やかながら朗らかで、いつも周囲に柔らかな空気を放っていた母。脳内出血の後遺症でろれつが回らない口を少し動かしながら小声で話す事もやがてなくなり、私の姿を認めるとかすかに笑うのが精一杯となりました。
その微笑の中に、語りたかった全ての思いが託されていたのでしょう。その心中を察すると言葉に変えがたい思いが巡ります。
こんな時私は本当に弱いです。ただの弱い子供です。

最期の顔は本当に穏やかでした。眠るように逝ったようです。それだけがせめてもの救いでした。父が亡くなった時も、その最期は穏やかな顔でした。
向こうでは二人できっと仲良くやっていることでしょう。

告別式。焼香も終わり、喪主挨拶の時を迎えました。参列された近所の方々は、幼い頃から私がよく知る方々ばかり。私の一家を懇意にして下さった皆さんでした。父に続き母をも見送る場面を迎えたその時の私は、なぜか大変心が穏やかになっていました。
周りは知っている方々ばかりだったせいでしょう。通り一遍の挨拶では心が通じないと思ったのです。

これからお話する事は、その喪主挨拶でも少しお話した事です。
その時の、そして今でも私の中で大部分を占めている、母への思いです。

「男の子は女親に顔が似る」と言います。女性として生活していながら生物学上は男性の私も、その例に漏れず母親の面影を残しています。
老人保健施設で車椅子に座る母と押す私は、スタッフから「一目で親子と分かるね」「似てるというよりそっくりだね」などとよく言われました。
実際私も、朝メイクを終え髪を整え、ふと見る鏡に母の面影を見ます。男でありながら母の顔を持つというのは、母の生前にはちょっと複雑な気分でした。

しかし、母の最期を迎えた今、私には一生離れない「母の形見」が息づいている事を知りました。実家に残る、母の家財道具のどれよりも、誰よりも誇れる「形見」。
鏡を見ればいつでも母に会える。そんな気さえしているのです。

不思議なもので、母と比べられ、「そっくり」と言われると違う部分を探したくなるこの顔も、こんな機会を迎えるといとおしくなるものなんですね。これだけはどんな品物にも勝る、最高の形見なのです。この顔で生きていく限り、私の中には母が息づいている。
今の寂しい気持ちを紛らわす、儚い抵抗なのかもしれませんが。

父が眠る晩秋の墓地には、秋桜が一面に咲き乱れていました。花が好きだった母も喜んだ事でしょう。納骨を済ませ、母を父と会わせたその日の夕暮れは、親戚一堂の気持ちを表すかのように穏やかな空気に包まれていました。

今日はこんな、極めて私的なお話でごめんなさい。お仕事やプライベートの転機が次々と訪れ、ちょっと弱気になっているのかもしれません。いつも「ネヴュラ」を覗いて下さる皆さんにすがりたくなる気持ちもお察し下さい。
いずれ、いつものおバカな私に戻るまで、もう少し時間を下さいね。

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コメント

ポン太です。
大変でしたね。お悔やみ申し上げます。

最近私の周りでもこのような事を見聞きする機会が増えてきたように思います。つまり親を看取る、霊界に送りだすという・・・
私達も そういう年齢になってきたんですね。

私も父親を20年前に亡くしております(以前お話した前の職場を離れたのも この事がきっかけでした)。幸い母は元気で、101歳になる祖母も介護が必要ながらもまだ今世に御縁を頂いております。

自分の姿を鏡に映すたびに母の面影がよみがえるなんて、素晴らしいことだと思いますよ。
失礼な事を言ったかもしれません。気に触ったらごめんなさい。

また楽しいエッセイ待ってます(*^^*)

ご母堂様の逝去、お悔やみ申し上げます。

70歳は早いような気もしますが天命を全うされての事と思います。
ここを毎日チェックするようになって数ヶ月ですが、特撮に対する見方、思いなどかなり影響されておりまして最近は昔の特撮グッズばかり物色しております。
落ち着かれた時にまた更新してくださいね。

ポン太様 暖かいコメントありがとうございました。
近しい人々を亡くされたのは私だけではない事に、今改めて気がついたような次第です。
お父様を20年前に亡くされたポン太様の心中も、深くお察し致します。

街並みがセピアに彩られたこの季節は、別れを経験するにはあまりにも寂しすぎまして。
悪戯に舞うだけの木枯しにも人の無常を感じてしまいます。
やがて来る冬を乗り切るために、心を強く持とうと努めて明るく、気丈を心がけている毎日です。

こんな時には、ポン太様はじめみなさんの言葉が身に染みますね。お顔も存じ上げない方々のお心遣いがこんなに励みになるとは思いませんでした。ありがとうございました。

「ネヴュラ」は近いうちに再開します。
モチベーションアップのいいリハビリですから。
ポン太様もお母様、お婆様を御大切に。

大和少年様 コメントありがとうございました。
おっしゃる通り、母は天寿を全うしたと信じます。
父と仲が良かった母の事です。
今頃は父との再会を喜んでいるでしょう。

私のような者の記事を毎日チェックして頂けるとは有難い限りです。
好き勝手に書いているだけですので異論もおありとは思いますが、その違った視点も是非うかがってみたいです。実はそういう多面的な見方こそが映像作品を味わう醍醐味と思いますので。

東宝特撮は、世界に胸を張れる日本独自の映像世界。
これからも、ない頭を絞って駄文を綴りますので、またご意見など頂ければ幸いです。

厚いお心遣い、本当に感謝致します。

お母様の逝去、お悔やみ申し上げます。
さぞやお悲しみのことと思います。まだ、おわかいですよね・・・

また、切れ味するどいオタクイーン節が、アップされますのを、心からお待ちしております。

hiyoko様 お久しぶりです。
ご心配をおかけして申し訳ありません。
「ネヴュラ」を始めた頃、私を一番支えて下さったhiyokoさん。
ある意味今の私があるのもhiyokoさんのおかげです。
コメント頂く事をどんなに待ち望んだことでしょう。

決して切れ味があるとは思っていませんが、怪獣、映像作品への愛は誰にも負けないと自惚れています。お許し下さい。
hiyokoさんに読んで頂いているなら、いつまでも悲しんではいられません。いずれつらつらと書き始めますので、毎度の駄文を笑ってやって下さい。コメントもお待ちしています。

お母様の事で大変な時に
私のコメントにレスまで頂き恐縮です。

こちらを知って、まだ日が浅い私が言うのも
失礼な話しですが、どうぞ焦らずに
お気の向いた時にでもブログは更新すれば良いし
ご自身のブログなのですから、
「オタクイーン」じゃない内容でも良いと思います。
いずれに致しましても、ご心中お察し申し上げます。

またこちらにお邪魔させて下さい。

ジャリゴン様 コメントありがとうございました。
ご心配頂いて感謝に耐えません。

今回、これ程色々な方々に励ましのお言葉を頂けて、
改めてネットのありがたみを感じます。皆さんにご心配をおかけしてしまい返って恐縮してしまうような次第で。

今回の記事は、私がブログを続ける上でどうしても通過しなければならない局面でした。
これを書かなければ「悩まず明るいキャラクター」を演じ続けることになり、いずれ追い詰められるであろう事が想像できたからです。
「嘘をつかない」をブログの大目標にしている私にとって、自分の気持ちを曲げてまでお気楽な記事をアップする事はできません。
そういう意味で、ジャリゴンさんのご意見は大変勇気づけられました。「オタクイーン」とは架空の存在ではなく、心も怪我をする生きた人間なのです。

おかげさまで気持ちの整理もかなりつきました。いつまでも悲しんでばかりもいられません。
またつたない記事を綴っていきますのでどうぞお越し下さい。
いつでも大歓迎です。

遅ればせながら、心からご冥福をお祈りいたします。

このような時でも、いつも同様、ご自身の気持ちを分かりやすく言葉にできるオタクイーンさんに感心してしまいました。
文章のスタイルは違えど、きちんと愛を持って対象に向き合って書かれているということなのでしょうね。

更新はくれぐれもご無理なさらず。


ラコスケ様 コメントありがとうございました。
ラコスケ様をはじめ皆さんからのお心遣いに感謝する事しきりです。もう大丈夫。この季節のせいか、少し気弱になったりしましたが、皆さんのおかげで回復しました。

私は昔から思いを伝えるのが下手で、誤解を受けやすい性格と感じていました。
文面にたびたび登場する過激な表現がその基だと分かっているのですが、こればっかりはなかなか直らなくて失敗ばかりです。
それでも伝えたくなる自分の気持ちは、嘘偽りの無い言葉で綴る以外ないんだなと、最近特に感じています。
これからもあちこちぶつかって、体中に傷を作りながら生きていきますので、不器用な私を温かく見守っていただければ幸いです。

このたびはご愁傷様でした。

お力落としのことと存じますが
どうかオタクイーンさんもおからだに
気をつけてくださいね。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

ブラボー様 コメントありがとうございました。
ご心配をおかけしました。身辺も徐々に落ち着き、皆さんの励ましのコメントのおかげで気持ちも立ち直りつつあります。

いつも楽しく明るく、豊富な知識溢れるブラボーさんの記事は、母を失い気弱になっていた私に元気をくれました。
私はブラボーさん程の文才は持ち合わせていないので、こんな時も感心することしきりです。
うまく言えませんが「緩急のバランス」が絶妙で。

これからも私なりに駄文を綴っていきますので、大らかに見守ってやって下さい。

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