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2006年11月 3日 (金)

眼前の「45年前」

会場受付で忙しそうに働く彼は、私の姿を認めると軽く微笑んでくれました。
昨日、今日の二日間は、幼馴染の彼が所属する劇団の公演日。以前にも「ネヴュラ」でお話した社会人劇団の皆さんが、稽古の成果を発表する日です。

私も以前、この劇団とかかわりがあった事はお話しました。今また公演に顔を出すのも思えば不思議な縁ですね。
体の故障が心配された幼馴染の彼の元気な姿を見られただけでも、私にとっては嬉しかったのですが、その故障が原因で今回舞台に立てない彼の心中を察すると、喜んでばかりもいられません。挨拶もそこそこに客席に入り、最前列に陣取った私。

今回の演目は「時の物置」。昭和36年の東京を舞台に、ある一家で起こる悲喜劇を描いた作品です。
内容は笑いあり涙あり歌あり踊りありガチョーンあり(笑)。肩に力を入れずに見られるものでした。事実、上演時間は中休憩を入れて約2時間50分という長尺なんですが、時間を感じさせない心地よいストーリーはキャスト・スタッフの努力の賜物と言えましょう。

昭和36年が舞台の作品と言うと、観る方は先に「時代背景や風俗を予習しておかないと」なんて身構えてしまいがちですが、この作品に漂う空気は、そこまで当時の空気をバーチャルに感じさせません。
舞台と言う事情もあるでしょうが、セットの家具、調度品などが控えめに時代を主張する程度で、展開するお話はさほど現代と違和感の無いものでした。おそらく演出側でそのさじ加減は調整されたものと感じます。

テレビや電気洗濯機、電気掃除機などが家庭に普及し始めた時代を背景としている為か、そうした電化製品がらみのエピソードは散見されますが、それらの現物が舞台上にほとんど登場しない(色々事情もあったのでしょうが)のも、それ自体が主役ではない事を思わせました。(集めた大道具、小道具の充実度は抜群でした。ただ演出上の効果として)

そんな中で唯一感じるのは、主人公宅の三世代4人に加え、謎の下宿人や親戚筋、隣近所のおなじみさんが入れ替わり立ち代り出入りする賑やかな環境が映し出す「昭和」への憧憬。
これは舞台ではさほど違和感なく観られますが、現代の家庭環境ではありえない事ですね。向こう三軒の主婦仲間が自由に家に出入り出来るというのは。昭和の人間である私には、こういう場面には不思議な懐かしさを憶えます。

そんな一家に起きる様々な事件も、特に人の運命に関わる程の一大事はありません。劇中に勃発する自殺騒ぎの一幕も、「若気の至り」程度の軽いもので。安心して観られるのはそういう部分なのかもしれませんね。
で、ここからが今回思った事なんですが、こういうストーリー展開を持つ舞台の場合、演出側、出演者側の双方には「キメの細かい感情の表現」が要求されると思うんですね。
特にトリッキーな演出やエキセントリックなキャラクターが存在しない世界観では、出演者の眉の動き、セリフの語尾の震え、指先の操り方にまで観客の注意が注がれる訳です。
そんな中、今回の演出、出演陣は、この戯曲の要求にかなり答えたと思うのです。

実は私は、数回観たこの劇団の公演の中で、今回が一番楽しめました。
丁寧で素直な演出、安定した演技、物語のリズムまでもが非常に心地よく訴えかけてきたのです。

観終わった時思った事があります。
「ひょっとしてこういうストーリーが、この劇団のカラーを一番引き立てるのでは。」
(関係者の方、おバカな私の感想なのであまり気にしないで下さいね)

映画においても、映画会社や脚本家、監督や俳優などそれぞれが独自のカラー「個性」を持っています。彼らのカラーと関わる作品が見事に合った時、その作品が世間の共感を得、名作と呼ばれることは「ネヴュラ」読者ならとっくにご存知ですよね。
今回の舞台はまさにそれ。全てのパートがほぼ完璧に機能し、総合的に非常に観易い作品として結実したのではないでしょうか。

ストーリー上でも何箇所か、落胆すれすれで回避した所がありました。「手書き小説の送り先間違い」などその典型的な例。
主人公の一人、私小説の同人誌を主催する教師は、自分の作品を有名出版社に送り、作品を認めてもらおうとします。同時に自分が交際していた女性が書いた作品を返す為、本人宛てに郵送しようとする訳です。そのことづけを受けたのが、お手伝いと化した下宿人の女性。そこでお約束の「取り違え」が起こります。
もうあのことづけの場面でオチが読めてしまっているのですが、予想通りの結果をもう一ひねりして、彼女が「字が読めない理由」に落とし込む辺りはさすが。キャストもあの教師、あの下宿人でなけれはあれだけの効果は生まれなかったと思うのです。
(すみません。今回は関係者しかわからないお話ですね。そんな場面があったんです。)

こういう小技の連続が、この作品を「ちょっと人に話したい作品」にしているのではないでしょうか。つくづくベストワークってあるものなんだなーと思います。
ただ惜しむらくは2つ。これは好みと、私だけの事情が関係してくる事なので全然作品の出来とは関係ないのですが。

一つは幼馴染の彼が舞台に立つ場面が観られなかった事。彼の当初の役どころは知っていたので、他の役者さんが彼の役を引き継ぎ、演じた事がどうしても頭から離れず。
代役さんの演技と二重写しで、彼の演技を想像する時もありました。
これはその代役さんに失礼ですね。でもその方も見事に役を自分のものにしていて、これが幼馴染の演技だったら、という事を忘れさせてくれる程でした。
考えて見れはその役に関する限り、私は2倍楽しめたとも言えますが。


今一つはエンディングの曲。あれ、確か「東京ラブストーリー」のBGMですよね。あの曲に特別な思い入れがある私は、あそこまで舞台の世界に浸れていながら一気に現実に引き戻されてしまったのでした。
イメージがあまりに定着した曲を使う時は配慮が必要では、なんて思ったりして。私だけですよねきっと(笑)。

ともあれ、前作に比べ非常にストレスなく観られた今回の舞台は、私にとって久しぶりに演劇の面白さと、「劇団のカラー」について再認識させてもらえる機会となりました。
なんか、この内容で3回公演は惜しいような気もしますね。

エンドを迎え、ロビーで幼馴染と談笑した後、帰路につこうとした私は、今回の演出を担当した劇団の世話人代表者から声をかけられました。昔から私を知る方です。
「一度、戯曲を書いてみませんか?」
まったく予期しなかった言葉に思わず「また、なんでですか?」なんて失礼な答えをしてしまった私。
オリジナルの戯曲というのは今、なかなか書き手が居なくて困っているそうです。
私が「ネヴュラ」をはじめ、酔狂で駄文を綴る事をどこかでお知りになったのでしょう。
ご挨拶程度のお話でした。
すごく嬉しかった。私のような者にも偏見を持たず、お声をかけて下さった事が。
ドラマの脚本などの真似事程度しか経験の無い私ですが、一度戯曲も勉強してみようかな、なんて思わせる舞台でしたよ。今回は。

ただ、「サザエさん」と同じで、大事件の起こらない日常を描いて飽きさせないというのは、ストーリーテリングに於いて最も難しい。これは勉強が必要です。
きっと私が書くと、舞台のキャパをはるかに超えたストーリーになってしまうようで。
そこをどう舞台向けにするか。
魅力的な課題でもありますが(笑)。

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コメント

なかなかの高評価でありがとうございます。
確かにこの劇団のカラーに合った作品であるとは思いますね。
自分が出ていない作品が一番楽しめたというのは、ちょっと複雑な心境ではありますが・・・(笑)。

今回、初めて受付を担当したのですが、これはこれで、普段は気がつかなかったような発見や、新たな出会いなどもあり、決して自分の中ではマイナスな部分だけではなかったように思います。

ro_oku様 コメントありがとうございました。
今回の舞台が楽しめた理由は、自分の過去に近い世界観だった事に加え、いい意味で演出が直球だった事でしょう。映像作品に比べ、舞台は観念的な演出が難しい側面があるからです。
(但し、それがうまく決まった時は劇場全体がえもいわれぬ一体感に包まれますが)私も映像でそういう演出を手掛ける時はいつも、細心の注意を払います。

受付も大変な業務ですよね。あれだけの人数をさばくというのは。トラブルが起こらなくてなによりです。
私が居る事でロビーがパニックになったらどうしようかと(笑)。
一山越えて今はほっとしている事でしょうね。また連絡下さい。

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