怪獣とは「怪しい獣」
11月も下旬。2年程前までは、毎年この時期になると決まってある事が脳裏をかすめていました。
「今年のゴジラは、旧作にどれくらい迫っているんだろう?」
1984年に復活したゴジラ映画は、途中何度かの中断をしながらも2004年12月公開の「ゴジラ ファイナルウォーズ」を最後に一端終了を迎えました。
私にとっては、その内何作品かを除いてがっかりするようなものばかりでしたが、それでも毎年前売り券を買い、ほぼ全作品を公開初日に劇場で鑑賞していたのです。
ゴジラ好きの性とでも言いましょうか(笑)。 年をとったせいもあるでしょうが、この84ゴジラからの復活ゴジラシリーズで、昭和のゴジラ作品に匹敵する、もしくはそれを凌駕する感動を覚えたのは2001年公開の「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」のみで。
その他の作品はもう、公開時期が冬という事もあって鑑賞直後は心が寒い、または仲間と盛大にグチを言い合いたい欲求に満ちて家路を急いでいた事を思い出します。
「なぜこんなに割り切れない気持ちになるのか。最近の作品のどこに問題があるのか。」
クリスマス、お正月を前に、毎年こんな気持ちで過ごす日々は、「これも怪獣ファンの因果かなー」なんて思いに満ちていましたが。
ゴジラ作品が制作されなくなって2年目。前述の記憶も懐かしい今日この頃。
考えてみますと、その頃頭にあった「問題点」の糸口がなんとなく見つかったような気がしまして。
この数日ずっと頭にあった事なんですが。
例によって今日もコテコテの私見です。「またバカ言って」なんて笑ってお聞き下さい。
確かにファンによる、84ゴジラからを「復活ゴジラ」としたくくりは正しいでしょう。そこから1995年公開の「ゴジラVSデストロイア」までが一連のシリーズとなっている事、1999年公開の「ゴジラ2000ミレニアム」から前述の「ファイナルウォーズ」までは、ほぼ一作毎に異なった世界観の作品となった事も、シリーズの試行錯誤を思わせて興味深い所です。
特撮技術も発達しゴジラ自身もパワーアップ、対する人類側の兵器の発達も手伝って戦闘シーンの迫力は類を見ないほどになりました。ところが少なくとも、観客である私には何かが欠けて見えてしまう。
この「何か」というのは、おそらく100人居れば100通りの意見があるでしょう。ですから一つにはまとまりません。
そんな中私が一つ挙げるとすれば、それは「怪獣存在の説得力」でしょう。
この一点が欠けているために、お話全てが嘘っぽく見えてしまうのでした。
「怪獣」という字はそのまま「怪しい獣」という意味ですよね。ところが復活ゴジラシリーズでは、1989年の「ゴジラVSビオランテ」、1995年公開の「ゴジラVSデストロイア」、2000年公開の「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」を除いて、心情的に「怪しい獣」と呼べる怪獣は出現していないんです。
この「怪しい」というのは、「作品中で存在に一応の説得力がある」という意味で、こんな怪しい獣が誕生する為の理由が描かれている所が、作品に感情移入できる重要な点なんですね。
このシリーズ中、前述の作品以外で出演する「怪獣」と呼ばれる存在は、もう「怪しくない」と思いませんか。キングギドラ、モスラ、バトラ、ラドン、ベビーゴジラからゴジラジュニア、メカゴジラ、スペースゴジラ、オルガ、機龍・・・
ゴジラを始め、これらは「怪しい獣」というよりは「レギュラーメンバー」あるいは「敵キャラクター」とでも呼べる存在じゃないですか?
なんかもう「こういう理由でこの怪獣が生まれた」じゃなくて、「最初にこのキャラクターがあって、そこに着地したいから後付で設定を作った」というのが見え見えなんですよ。
この写真の怪獣はゴジラ映画によく出演する「常連」の方々ですが、私などから見ると「毎度このメンバーが出るなら、ストーリーが大体読めちゃう」と思っちゃう訳です。
案の定「こんなシーンを何回見せられたか」「他に手は無いの?」と思うような作品のオンパレードで。
「ネヴュラ」をご覧の方々にちょっとお聞きしたいんですが、毎年新作が作られていた当時のゴジラ映画に、皆さんは何を期待されていましたか?
私は「斬新なストーリー」「魅力的な新怪獣」「ゴジラの新たな魅力」あたりを期待して劇場に向かったクチです。正直、ほぼ毎年「連敗」(号泣)。
作り手である東宝と、受け手である私の間にはどうしても埋められない溝があったのでした。
まあ考えてみれば、この頃のゴジラ映画は明確な「子供番組」。そういう理詰めを期待する私が間違っていたのかもしれませんね。事実、「VS」の名が冠された90年代あたりのゴジラは、児童誌などでは「戦士」なんて呼ばれていましたから。もともと「恐怖の怪獣」として作られていない作品に求めてはいけない物を求めていたのでしょう。
しかしながら、当時の東宝が採ったその方法論は、本当に正しかったのでしょうか?
「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年 本多猪四郎監督)と、「ゴジラVSキングギドラ」(1991年 大森一樹監督)を思い出してみますと、時の重みに耐えるのは「三大怪獣」と思っちゃうんですよね。
どんなに怪獣対決シーンに迫力があっても、ストーリーの基盤となる設定がおかしいと、そこが気になって前に進めない。因果な性格で(笑)。
タイムマシンで過去に戻り、ゴジラを誕生させる要因を取り除いた主人公達。しかしある理由でキングギドラが誕生する現代。
現代に戻った主人公に「確かにゴジラは消えた。だが代わりに、キングギドラが現れた。」と語る関係者のセリフ。ゴジラが誕生しなければ歴史は変わり、「ゴジラ」などという言葉さえ現代には存在しないはずなのに。おまけに、代わりに現れた怪獣が「キングギドラ」と命名された理由も語られずじまい。もーついていけない。
こういう放りっ放しのストーリーから垣間見える「ゴジラ映画なんだからここまで説明すれば過去の作品から推し量って分かってよ」的な制作者の甘えは、私にとっては「なんで私があなたの尻拭いをしなければいけないの?」としか受け取れないのでした。
この時代のゴジラ作品に対し、必ず対比の意味で登場する「平成ガメラ」シリーズは、こういった「怪獣存在の説得力」に細心の注意が払われた事でも、私達ファンの溜飲を下げさせた作品群でした。
「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年)のギャオス、「ガメラ2 レギオン襲来」(1996年)のレギオンなど、現代科学が広げる想像の翼ギリギリのところで納得させる見事な設定に唸らされたものです。
(「ガメラ3 邪神覚醒」(1999年)のイリスはギャオスの変異体なので、ちょっと異質ですが)頭の固くなった怪獣マニアには、「ゴジラに挑戦するために宇宙から来た怪獣」や「ゴジラのフォルムが最も戦闘に適した形だからゴジラ型に作ったロボット」という理屈では納得できないんですよ。
「ゴジラ ファイナルウォーズ」に至ってはもう、「居るから居るんだ!」的な力技で。「超豪華版ウルトラファイト」と言われても仕方がないんじゃないかと。
「いいじゃんそれで」と考えられる方が羨ましい。初作の「ゴジラ」を引きずっている身としては、同じシリーズとは思えなくて。
さて、ここまで読まれて、一つの作品が語られていない点をお気づきでしょう。
そうです。再三「ネヴュラ」でお話している「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」(2001年)の事です。
平成ガメラシリーズでその名を轟かせた金子修介監督が手掛けた唯一無二の作品である、通称「GMK」と呼ばれるこの作品も、怪獣存在の実に周到な説得力がありました。
この作品に登場する怪獣、ゴジラ、バラゴン、モスラ、ギドラは、他のゴジラシリーズに登場した「常連さん」ではありません。まったく新たな設定を持った「新怪獣」であり、文字通り「怪しい獣」だったと思います。第一ゴジラ以外の三怪獣、本来は漢字表記なんです。
第二次大戦で散った戦争被害者の残留思念が集まった「亡霊」のような存在、ゴジラから、大和言葉の「くに」を守る為に立ち上がる「護国怪獣」バラゴン、モスラ、ギドラ。
「日本には古来、バラゴン、モスラ、ギドラなどの怪獣が居て、狛犬や八又のおろちなどの伝説の元となった」という劇中のセリフには、目からウロコが落ちました。
そして漢字表記で「魏怒羅」と書かれるギドラに、何故英語の「キング」がついて「キングギドラ」と呼ばれるようになるのか。以前にも「ネヴュラ」で問いかけをしましたが、これは前述の「VSキングギドラ」など及びも付かない、技あり一本と呼びたいウルトラC(古いですね)が炸裂します。
こういうのを待ってたんですよ。今回もネタバレはしませんが(笑)。
確かに「GMK」に登場する怪獣たちも、今までのゴジラ映画の常連さんかも知れませんが、この作品に関しては、怪獣を「怪しい獣」として扱おうという制作者のこだわりを強く感じるのです。
これらの、怪獣を「怪しい獣」たらしめる設定がなければ、劇中登場するキャラクターはただの「対戦相手」。毎度同じ対戦は魅力が全く感じられません。この新味の無さがゴジラ作品の行き詰まりを招き、ひいては今の休止期間に至っているのではと思います。
もはや、ゴジラ自体の存在も「怪しさ」「怖さ」を失った現在。
かの怪獣王も歴史に埋もれてしまうのでしょうか。
ゴジラ誕生後まだ52年。
「名誉職」には早いと思うんですが・・・ 「ゴジラはミッキーマウスみたいな、愛される存在」という言葉があります。
でも私はゴジラは永遠に「怪しい獣」であって欲しいと願います。
ミッキーマウスは街を襲いませんから(笑)。
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『かぞくのぶろぐ』
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さん、11月22日の�... [続きを読む]
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オタクイーンさん、すこし落ち着かれましたか?
定番のゴジラネタ、今回も満喫しました~自分も平成ゴジラシリーズには回を重ねるごとに失望したくちですね。
その中ですきなのは自分もGMKでした、別にあわせたわけではありませんよ。
護国獣という新カテゴリー怪獣が大和を護るため最強ゴジラに向かっていく様に熱くなりましたよ!それまでバラゴンなんかなんとも思わなかったのに応援してしまいました(笑)
ゴジラだけでなく昔のあの奥域の深い映画はもう作られないのでしょうか~?
投稿: 大和少年 | 2006年11月22日 (水) 16時45分
大和少年様 コメントありがとうございました。
本当にご心配をおかけしました。普段の生活に戻るにつれ、気持ちも徐々に落ち着きを取り戻したようです。
記事もいつも通りのおバカ私見が復活しました(笑)。
「GMK」は、怪獣の存在理由の他にも「見たい絵を見せてくれた」という感動に溢れた作品でしたね。怪獣が複数登場すれば、どれがどれか分からなくなるに決まっている筈だし、ゴジラがあれだけの大声で吠えれば、建物のガラスが割れなきゃおかしいし、という、「マニアが夢見た光景」が眼前に展開した事も、愛着がわく理由です。
「分かってくれている感」が伝わってくるようで。
こういう丹念なディテール、演出が、怪獣という存在に説得力を与えているんでしょうね。
トンネルの中、崩れる内壁の向こうでチラリとその姿を見せるバラゴンに、「怪獣はこうでなくちゃ!」と心が叫びました(笑)。
ああいう「怪獣心」のある監督なら、おっしゃる通り奥域の深い作品が構築できそうなんですが・・・
投稿: オタクイーン | 2006年11月22日 (水) 19時23分
これは、映画の内容とは無関係の
キャラクターに対する意見なんですが、
最近の怪獣は「デザイン的」にも「演出的」にも
感情移入出来ない怪獣が多い気がします。
これは、東宝怪獣だけじゃなくてウルトラ怪獣にしても。
それこそ「獣(動物)」の部分が欠落している様な。
ディフォルメキャラにしても全く可愛くないみたいな。
昔の怪獣って「白目と黒目」がハッキしてたり、
どんな怪獣でも何処とな~く愛嬌があったんですがね。
今の怪獣は目が怖いんですよ。眼光が鋭いと言うか。
なんか洋物に影響され過ぎなんじゃないかな。
同じゴジラでも昭和物と平成物を比べると
やっぱり昭和ゴジラの方が「生きてる」感じするし。
未だに昔の怪獣の方が支持されるのは、
なつかしいだけではなく、
きちんと「生き物」として表現してたからだと思うのですが。
昭和版メカゴジラやモゲラでさえ何となく生きてる感じするし、
ガラモンって本当はロボットなのに完全に生き物ですもん。
(これは演出的にダメかも知れないけど、それで良いと思う)
CGを否定はしませんが、アナログと違いデジタルでは
そこに「血」を入れる事は出来ないのです。
投稿: ジャリゴン | 2006年11月23日 (木) 08時58分
ジュリゴン様 コメントありがとうございました。
返事が遅れて申し訳ありません。
おっしゃる通り、最近の怪獣は感情移入しづらい物が多いですね。
縫いぐるみの完成度は昔より高いのに、何故でしょうか?
ある怪獣造形のプロが語っていたお話があります。
「最近の若い造形師は、クリーチャーは作れるがモンスターは作れない。」
ひょっとするとこの言葉に、現在の怪獣造形の問題点が凝縮されているような気がします。
おそらく最近の怪獣造形に見え隠れする海外作品の影響は、造形師の骨身にまで染みこんでしまっているのでしょう。
フォルムよりもディテール、愛嬌よりも迫力。細部の生物感はリアルになりましたが、要求される演出に合っていない。
CGも、最近のゲームに慣れた観客の目を満足させるべくクオリティーは高いですが、思い入れが入り込む隙さえ奪う完成度ははたして必要なのでしょうか。
ジャリゴンさんがおっしゃる「生き物としての表現」は、きっと「思い入れが入り込む隙」に生まれるような気もするのです。
中に人が入って演技する怪獣の予想外の動きに、生物感を覚えてしまうのかもしれませんね。
投稿: オタクイーン | 2006年11月23日 (木) 19時05分
ガメラ特化のガメラ医師でございます。
怪獣論、興味深く拝見いたしました。生物としての怪獣の異形性の表現は、如何にすれば納得のいく形となるのか、課題は深いものがあろうかと考えます。
造形に関しては、GⅡのレギオン、ウルトラマンの「邪神ガタノゾーア」等々、まだまだ可能性はあろうかとも思いますが…
「ジーダス」もまた一つの可能性なのだと信じたい、ガメラ医師であります。
投稿: ガメラ医師 | 2006年11月25日 (土) 18時33分
ガメラ医師様 コメント&TBありがとうございました。
怪獣の存在理由や世界観、デザインについて、皆さんそれぞれのご意見がうかがえて、大変楽しい毎日です(笑)。
皆さんのコメントを拝見しながら思いましたが、やはり「怪獣」というカテゴリーはある意味特殊なものなのかもしれませんね。
第一次怪獣ブームに活躍した、あの怪獣たちのデザインラインが絶対のスタンダードとして君臨し続けているのでしょう。
事実私も、初作のウルトラマンにただ一回登場したきりの「ネロンガ」に心酔している一人ですから。
難しいところですが記事にもあるように、やはり怪獣を生かすも殺すも「演出」次第なのではと思います。
結局レギオンも、ストーリーに対する演出側の要求に応えたデザインと言えますし。ガタノゾーアであっても、あれは「怪獣」ではないですよね。「物理的なものではない闇」を操る存在。「邪神」という別のカテゴリーがあるからこそ生まれたデザインだと思うんです。まず演出ありきなんですよ。
その演出の元、ストーリーに問題点があると、結局その問題は完成作品の致命的な欠陥となってしまう。全てがウソっぽく見えて、作品世界に入っていけない。
ストーリー、設定がうまく作ってあれば、怪獣の造形が少々難ありでもOK、となるような気もするのですが。
さて「ジーダス」ですが・・・。実は私、まだ見ていないんです。ガメラのあのかわいらしすぎる造形に恐れをなして、レンタル店でも避けて通る有様で・・・。そんなていたらくで偉そうな事言っていてはいけませんね。早速鑑賞して、自分なりに考えをまとめたいと思います。
貴重なご意見ありがとうございました。
投稿: オタクイーン | 2006年11月25日 (土) 21時07分