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2006年9月18日 (月)

ドキュメンタリーな親分

今日は敬老の日でしたね。私は特に何もしなかったんですが、なぜか今日、服にアイロンをかけながら思い出した事がありました。
私が今のお仕事を始めて、しばらくしてから関わったあるディレクターの事です。
敬老の日に思い出した、なんて言ったら、彼に失礼かもしれませんが(笑)。
そう、彼は、今ならもう60代。普通の企業ならとっくに定年を迎えている年齢なのです。

彼はこの業界で言う、いわゆる「イメージ・リーダー」と呼ばれる存在でした。どんな業界でも居ますよね。いわゆる「カリスマ」という人です。
テレビの業界にもそういう伝説を残す人はたくさん居て、そんな人たちのテレビ創世記の逸話に、私達は胸を躍らせて聞き入っていたものです。

言うまでもなく、テレビ番組にはいろいろなジャンルがあります。彼はいわゆる「ドキュメンタリー番組」のディレクターとして鳴らした人でした。
ご存知でしょうか。海外ドキュメンタリーの旗手にして伝説の番組「日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行」(1966年~1985年)。
日本テレビ系で毎週日曜日の夜放送された、30分の海外ドキュメンタリー番組でした。

番組放送当時私もまだ子供で、当然の事ながら一般視聴者。海外旅行がまだ今ほど身近でなかった時代でした。ブラウン管の中で繰り広げられる海外の興味深い映像を、毎週親と一緒になって見入っていた事を思い出します。

彼も、その番組を通じて世界中を飛び回った人でした。番組終了後も日本国内各地の局で良質のドキュメンタリーを作り、業界の各賞に輝いた事もあるすばらしい経歴の持ち主です。
そんな彼も、娘さんの結婚出産を機に、娘さんの嫁ぎ先の近くの局に落ち着きたいという希望を出したそうです。私が勤める局の制作部に契約社員として招かれたのはそんな理由からでした。

テレビ業界をご存知の方はお分かりと思います。ディレクターという職業はある種肉体労働なんですよね。最前線で働くには結構な体力が要求されます。年齢による体力の低下は深刻な問題で、高齢のディレクターが少ないのはそういう理由もあったりするのです。
(体力に反比例して、年を重ねるごとに番組の深みは増していきますが)
彼も、海外ドキュメンタリーという過酷な経歴を財産にしながら、のんびりと余生を楽しむがごとくの制作を続けていました。

私がADとして彼と関わったのは、ある美術館に展示されている日本の歴史遺産の謎を探る、という特別番組の時でした。
ローカルとはいえ一時間のドキュメント番組はそれなりの制作期間もかかり、ディレクターという「親分」の世話から、番組に関するあらゆる事柄を熟知する必要があるので、自然と彼の人柄や制作手法を目の当たりにする事となるのです。

私も数多くのディレクターと仕事をしましたが、彼ほど独創的な仕事をするディレクターは後にも先にもこれが始めて。
いろんな意味で勉強になりました(笑)。

まず、朝、出勤しない。
私の最初の仕事は、局の近くに住む彼の部屋に彼を起こしに行くところから始まるのです。
再三のチャイム、ドアごしの「起きて下さーい」の攻撃(借金取りみたいですね)にようやく開いた扉の向こうには、寝癖で頭が倍の長さになっている50過ぎのおじさんの姿が(笑)。
さて、彼を引っ張って局へ向かった後も、彼の「おもり」は続きます。まず、彼の午前中の仕事は、コーヒーを飲みながらゆっくり新聞を読む事。
「午前中ぐらいゆっくりしようよ」なんて言いながら、新聞のネタ、過去の経験など、面白いお話をたくさん聞かせてくれました。
不思議なもので、そんな彼のお話の面白さに引かれて、周りに自然と人が集まってくるんですよね。テレビ創世記の逸話というのは、やはり同業者として興味を引かれるものがあるようで。

アラビアの取材で、お金を円からドル、さらに現地の通貨に換金するため、土地のマフィアの巣窟へ乗り込んだお話。
レートの関係で、両手の紙袋から溢れんばかりの札束に換金されたお金を持った彼は、その現場から生きて帰れないと思ったそうです。

「すばらしい世界旅行」は国から国へ渡る取材が続く為、常に東京の日本テレビに取材費を送ってもらいながら国を超えていたそうで、交通機関が発達していない国へ渡ったときなど、現地で「車を買って」取材を続けたというお話。
取材費で車を買うって!
買った車は、次の国に入国する時売るという荒業。すごいお話ですよ。

ゴビ砂漠を取材したとき、砂漠の真ん中で手持ちの水分が底をつき、本当に死の恐怖に直面したお話もすざまじいものでした。

その取材のドキュメントを作ったほうが面白いんじゃないの?と思うほどの、おそろしく過酷な毎日。嬉々として話す彼の姿はやはり、イメージ・リーダーとしての貫禄充分でした。

さて、お昼ご飯をはさんで午後。ここで彼はふらりと「資料を探しに行って来る」と出かけます。
そうなったらもう、その日は帰らないというサイン(笑)。

プロデューサーと顔を見合わせて苦笑いするしかありません。古書が好きな彼は、古本屋街をぶらぶらしながら番組の構想を練るのが常なのです。ADとしてはついて行きたいのですが、「君は手配とか、色々するべきことをやりなさい」とか言われて、いつも体よくあしらわれてしまうのでした。考えてみれば、それだけ役に立たないADだった訳ですが。

そんな事が何日も続いたある日、彼が突然動きを見せました。番組の構成案を作り出したのです。
私が驚いたのはその仕事の速さと、構成の緻密さでした。わずか2時間程度の間に、それまで彼の頭にあった構成が、実に分かりやすくまとめてあったのです。
午前中の新聞もコーヒーも古本店巡りも、このためにあったのか、と思わせる凄さ。いやーこれが本当のプロの仕事か!と、当時の私は感激したものです。

そこからはめくるめく初体験の嵐。テレビの取材というのは、ディレクターがあらかじめカメラマンなど技術サイドに取材日を打診して、スタッフを押さえてもらって行う物なんですが、この人の場合は違いました
「この日からこの日を押さえといて。どこで行くか分からないから」という(笑)。いわゆる「待機日」がある訳です。
これは、報道など突発的なニュースが飛び込んでくるセクションでしかあり得ない事で。「どういう事なんだこれは!」というスタッフ側からのクレームを受け止め、ディレクターを守るのがADたる私のお仕事だったわけですねー(笑)。

彼は私の「取材日を指定して欲しい」という願いに、涼しい顔でこう言うんですよ。
「いつ行くかわからないよ。ドキュメンタリーなんだから。」

このセリフ、あまりにカッコいいので、しばらく私の部署で流行りました。
「お昼何食べる?」
「行ってみなきゃわからないよ。ドキュメンタリーなんだから」(笑)

さて、この番組では江戸文化研究家の杉浦日向子さんに出演してもらったんですが、親分たる彼はもう、杉浦さんとの打ち合わせに実に時間を費やすんですね。
もう取材期間中、撮影していない時はほとんど杉浦さんとベッタリで。

これは彼が、少しでも杉浦さんの知識を引き出し、番組に反映させたいという意識の表れと思います。事実この番組は、杉浦さんにかなり助けられましたから。

取材も無事終わり(正確には周りに謝りっぱなしだったですが)、いよいよ編集。それにしても番組も、映画と同じで編集で決まりますね。どんなディレクターもそうですが、やはり彼にもあった「ここは絶対譲れない」というこだわりが随所に見られた作品でした。
編集中、あるエピソードがありました。
番組中で描かれた登場人物の心情を表す情景として、「海バックの夕日」という映像がどうしても欲しかったんですが、撮影は終わっているし、局のライブラリーにも無い。
「ここは絶対夕日が欲しいんだ!」という彼は、電話一本でいとも簡単にその映像を手に入れたのです。

それまで彼が国内各地で作り続けた番組のネットワークが役に立ったのです。彼はある地方局のお知り合いに電話をかけ、「夕日ない?」なんて打診、そのお知り合いから映像を送ってもらったという訳。
「ほら、夕日にかかる雲がいい芝居してるだろ」なんてうそぶく彼を、私は心底「カッコいい!」と思いました。

「会社から見れば俺なんて、余った「雑給」で養われてるんだから。君をはじめ、みんなの方が俺より格が上なんだよ」なんて、いつも笑っていた「親分」。私は彼の元を離れ、しばらく連絡もとっていませんが、私は、彼にはまだ現役でバリバリやっていてほしいと思います。
重ね重ね、「敬老の日」なんかに思い出しちゃって申し訳ないとは思いますが。

でも今会ったら、彼はやっぱりこう言うかな?
(ご想像通りですが)

「なにやってるかわかんないよ。
人生はドキュメンタリーなんだから」。

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