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2006年9月16日 (土)

120秒一本勝負

以前、一緒に仕事をしたディレクターと雑談していた時のお話です。
当時、彼は情報番組の映画紹介コーナーを担当していて、新作映画のダイジェストを2分程度に編集し、番組で流していたそうです。映画会社から渡されるダイジェスト版や、映画全篇のビデオテープを見ながら編集するわけですね。

彼がそこで力説していたのは「面白い映画は、2分程度に編集しても面白い」という事でした。逆につまらない映画は、どんなにダイジェストを面白く作ろうとしてもできない。
作品の面白さというものは、たったワンカットの中にも詰まっているんだ、という事をしきりに話していました。
作品の編集について興味があった私は、彼の話に「なるほどなあ」と納得していたものです。

当然の事ながら、ノーカットの全長版に興味が向きがちな映画。そりゃそうですよね。テーマやストーリー、表現の妙に惹かれて見るのが映画の正しい見方です。
ところがテレビ屋の悲しい性。おまけにCM好きの私などは、映画本篇に加え、いろいろな映画の「特報」や「予告篇」など、作品の周辺映像にまで気が向く始末で。もうどうしようもありませんが(笑)。

そんな訳で、今日はあまり語られることのない「予告篇」について、つたないお話など。

以前の記事で、タイトル前の「アバンタイトル」を「監督からの招待状」と呼んだ事がありました。普通に考えれば、「招待状」という呼び名にふさわしいのは今日お話する「予告篇」じゃないの?なんてお考えの方もいらっしゃるでしょうね。
私が何故、予告篇を「招待状」と呼ばないのか。

ご存知の方も多いでしょうが、映画の予告篇って、実は「助監督」が作る事が多いんですよ。

かつて映画界は、監督志望の助監督の力量を「予告篇」で推し量っていた時期があったんです。
今の事情は分かりませんが、どんな映画でも、その監督は封切りまでは作品の制作にかかりっきりで、劇場に掛ける「予告」などを作っている時間がありません。その為、その制作は助監督に任せる場合が多かったようなのです。もちろん作品毎に事情は異なりますから、監督自らが予告篇を作っている場合もありますが。
私もAD時代、忙しいディレクターから「次回予告をでっちあげといて」なんて言われ、夜中の編集室で一人頑張っていた時期がありました。

これ、実は助監督にとって「チャンス」なんですよね。
なにしろ予告とはいえ、自分で編集した立派な「作品」なんですから。この出来によって観客動員も変わってくれば、会社に自分の力もアピールできる。
逆に予告篇を任されるという事は、監督にそれたけ信頼されているという事ですらね。そりゃ力も入るというもの。

あの円谷英二だって、一時期予告篇を専門に手がけていた時期があったと聞きました。予告篇を量産する事で編集技術とセンスを磨き、会社に「円谷あり」と認めさせたという逸話は、映画黄金期の伝説として、私も耳にした程です。

後にある仕事で、プロデューサーから「お前は映画に詳しいから」と、あるスキー場のオープン告知ビデオを「映画の予告篇風に」作ってくれないか?と依頼された事があります。
面白かったですよ。ハリウッド超大作風のハッタリを効かせて、「ダイ・ハード」「ターミネーター」もかくや、という大風呂敷風に仕上げましたから(笑)。

昔から予告篇に興味があった私は、その仕事の時、少し予告篇の構造を勉強した事がありました。まあそんな大げさなものでもないんですが。
予告というのは、人間の集中力と、作品への興味をそそる長さを考えてほぼ、2分程度。
当然、本篇の作品はまだ完成していない時に打つ予告ですから、映像素材も在るものだけ。
観客の期待をあおる為、予告の映像のつながりと、本篇のつながりが違っていてもOK。

その他、作品によっていろいろですが、大まかにはこんな感じです。

で、実際作ってみて分かったんですが、「予告篇」と「実際の作品」って、作る上で違う才能を要求されるようなんです。
考えてみれば、一から作品を作り上げる映画本篇と、できた映像しか素材が無い予告とでは、まるで条件が違う。ある意味「騙してでも見たい作品に見せる」という才能が必要なんです。

よくありますよね。「予告篇で期待していたのと違った」「予告篇で出てた怪物なんて出なかった」みたいなガッカリ感。あれは、助監督が苦肉の策として「嘘を承知で」でっち上げた「手口」だったりするんですよね。
でも私は、そんな予告篇を妙にいとおしく感じちゃうんです。「苦労したのね。あんた」みたいな感じで。

最近の作品で言えば、あの悪名高きアメリカ版「GODZILLA」(1998年 ローランド・エメリッヒ監督)。あの予告篇(笑)。
「GODZILLA」の姿を徹底的に隠し、物凄い破壊のドラマかと思わせるあの「手口」。「人類に、打つ手は無い」ってキャッチコピーも秀逸。あの戦略に騙されて公開初日の第一回目上映に出かけた私の胸の内はまさに「悲しみのプロパン爆破」(爆笑)。

でも、予告はよく出来ていたと思うんですよ。ああいう制作側と観客の駆け引きも、映画の楽しみだと思っているので。大げさな予告篇を見せられても「これは絶対つまらない」と思って踏みとどまった作品が、後日やっぱり駄作と分かった時、ひそかにガッツポーズをとったりしてね(笑)。

でもその逆もあるんですよね。
例えば「2001年宇宙の旅」(1968年アメリカ スタンリー・キューブリック監督)。
あの予告編を後年見たんですが、「これ、絶対キューブリックが作ってないと思う」と考えざるを得ない、凄く普通の作品に見えちゃうんですよ。


「予告篇」の一種に「特報」という物がありますが、私はどうも、短い時間で作品のイメージを端的に象徴する「特報」の方に感激しちゃうタイプなんですね。
というのは、「特報」はスピードポスターみたいなもので、映画本篇がほとんどまだ撮影されていない段階で見せざるをえない宿命。そのために、なんとか本篇の映像を使わずにイメージ戦略だけで見せようとする訳です。
ここは微妙な感覚なんですが、映像がない分「映像作品」としては成立していない。
でもグラフィカルな面白さではこちらの方が上のような気がして。

私が好きな「特報」は、まず「バットマン」(1989年アメリカ ティム・パートン監督)ですかね。
ゆっくり光学処理されるバットマークにカットバックされる、本篇のハイライトシーン。
「バットマン」というタイトルはどこにも出ない。「マークだけで分かるよね」というカッコよさがそそるんですよ。

もう一つ唸ったのは「ジョーズ」(1975年アメリカ スティーブン・スピルバーグ監督)
の特報。しかも最後のワンカットのみ。
特報の途中部分はまあ、普通なんですが、最後に「JAWS」とタイトルが出る場面。このアイデアには参りました。わずかワンカットであの映画の恐ろしさを見事に表現しています。
未見の方、一度ご覧下さい。本篇映像を使わず、作品の特徴を端的に表すお手本のような画面です。

お話は予告篇に戻りますが、最近の予告篇では「スーパーマン・リターンズ」がお気に入り。
「弾丸を眼球で跳ね返す」というイメージは秀逸でしたね。でも、あのアイデアが作品全体に溢れていたかと言うと・・・
観ていないので何とも言えませんが、私の中の何かが「いかーん!行っちゃいかーん!」と叫ぶのです。

本当はこんな声を無視していくべきなんでしょうね。騙されるのを恐れて、映画の楽しさを自分で摘み取っているんですよ。

「120秒一本勝負」そんな予告篇に敬意を表して。いつか観るつもりですが(笑)。

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コメント

オタクイーンさん 今晩は。
今日やっと アレ 見ましたよ。(^o^)ノ

で、この120秒一本勝負!
「うぁ~ッ」悲鳴で始まる 電送人間 の予告編。「地獄へご案内する。よろこんでご案内しよう」
これもなかなかイケてるんじゃないですか? (*^^*)

ポン太様 コメントありがとうございました。
「超科学 怪奇スリラー巨篇」良いですねー電送人間。
「喜んでご案内しよう」のセリフは、予告篇の謳い文句としてはこれ以上ないインパクトを持っていますよね。

連日「変身人間系」作品を記事にアップしている関係で、なんとなく再見する回数が増えてきました。こういうのもネットの楽しみですね。そういう傾向の作品ばっかり見ているので、他人を見た途端、体に走査線が走ったり、ガス化するのではとあらぬ想像を抱いてしまい・・・見すぎも程々にします(笑)。

「電送人間」本篇はいかがでしたか?
また感想など記事にアップ頂けると嬉しいです。
もちろんコメント頂くのも大歓迎です!

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