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2006年9月14日 (木)

創造と表現のバランス

「文書、確認させていただきました。」
今日お仕事で、局のプロデューサーから受け取った書類の返事。

あまり固いお話から始めるのも「ネヴュラ」向きではないんですが、今日はここから。

例の「ポケモン」事件。皆さんも覚えていらっしゃいますよね。
ある回の、速すぎる画面のチカチカの影響で、気分が悪くなった子供が全国で続出したあの事件です。

その後、全国の局では光に関する番組の表現方法の見直しを図り、現在ではかなりの配慮をしながら放送を行っています。
そんな中新たに、「放送できないレベルの光の点滅を感知する検知器」が導入されたそうなのです。今日返事をした書類は、そのお達しに対する事でした。

今までは、制作者側の自主的な判断で光の点滅の速さを変え、放送していた訳ですが、今回の「検知器」の導入で、それが数字的にはじき出されてしまう、という訳です。

この機械には一長一短ありまして、何と記者会見場などで焚かれるカメラのフラッシュにも反応してしまう、との事。
記者会見の時って沢山の新聞社、雑誌社などがやたらとフラッシュを焚くでしょ。検知器はあれを「速い点滅」と判断してしまう訳です。
「どーするんですか?そういう時?」私の問いかけに、プロデューサーも「それ、困ってるんだよね」と一言。まあ、生中継は仕方がないとしても、録画して編集する時などはちょっとその部分をスローにして・・・なんて手段しか無いんだそうです。

のっけから専門的なお話でごめんなさい。皆さん確実に読む気力をなくしましたよね(笑)。このお話は、最近私が感じている「作品の表現方法」と関連することだったので、つい・・・

以前、仲間のカメラマンから聞いた「ドラえもん」の演出法のお話。
「ドラえもん」というお話のパターンの一つに、「のび太とジャイアンの関係」というのがあります。いじめっ子ジャイアンにいじめられたのび太がドラえもんに泣きついて、ドラえもんは未来の道具でそれに対抗。ジャイアンを負かすというパターンです。ただジャイアンはそれを「ドラえもんの道具のおかげ」と思い、「おぼえてろー」と立ち去る。
のび太だけなら負けはしない、という含みを残して。

このパターン、最近変わった事をご存知ですか?
数年前からテレビアニメ版では、ジャイアンは最初こそのび太に高圧的ですが、お話の最後ではのび太に謝る、改心する、というバターンになっているのです。

これは制作者側の「いじめっ子に対抗する為にドラえもんがのび太に加担する」という構図が教育上望ましくない、という理由で原作から変更されているらしい、とカメラマンはある筋から聞いたそうです。又聞きなので正確ではありませんが、確かに最近のテレビアニメ版は、私が「てんとう虫コミックス」で読んだお話と若干違っているような。

自分の意思で鑑賞を選べる映画と違い、電源を入れれば否応なしにお茶の間に送り込まれるテレビというメディアは、おのずと表現方法が映画と違ってきます。
「子供も見る」という事実の為に、テーマや表現が過激な番組は「俗悪番組」などというレッテルを貼られ、教育機関などから目を付けられる構図は、昔から変わっていませんよね。
「番組モニター」などの意見を伝える番組にも関わりを持つ私。そういう意見についても普通の人以上に把握しているつもりです。

実際に現場で番組を作っていて感じる事ですが、ドラマというのは「テーマを語る脚本」と、「その表現となる演出」に大きく分かれます。
ここで思うのは、「最近の番組は脚本に力を入れずに、表現に力を入れすぎていないか」という事なのです。

もっと具体的に言えば、「あまり出来の良くない脚本を、画面的に過激な表現でむりやり盛り上げているのでは」と感じてしまうんですね。

冒頭の「ポケモン」の一件も、テレビの歴史の中でかつてなかった出来事です。これもいつもの私見ですが、「過激になりすぎた画面上の表現」が起こした事件ではなかったのかと。で、その脚本は別に、とりたてて問題になるような内容ではなかった訳です。となれば、やはり今、アニメーションを含めたドラマ全般で視聴者を引き付けるような要素は、「画面上の過激な表現」に頼っているのかなー、なんて思ってしまうわけですよ。

「世の中のオリジナルのストーリーは底をついた」なんて言われて久しいですね。
確かに、私は今、こと「ストーリーのオリジナリティー」に関しては、大変な閉塞感に襲われています。

かつての名画を「最新のCG技術で」リメイクした「新作」がまだまだ作られ続ける今、何を見ても「見た事のあるお話」「結末の見えたストーリー」ばかりで。
それはテレビドラマにも言える事なんですよね。「これは新しい」「これは全く先が予想できない」と感動した番組は、今やドキュメンタリーしか無いような次第で。
私のドラマ離れがひどいせいもあるかもしれませんね。勉強不足は否めませんが。

「機動戦士ガンダム」の富野由悠季監督が、あるロボットアニメの新作発表でこのような事を言っています。

またロボットアニメか、と言われるかもしれないが、じゃあ連綿と作り続けられている恋愛ドラマの新作発表で「また恋愛ドラマか」という人は居ない。
ロボットアニメでも一本一本違うドラマはできる筈。

私はおバカなので、富野監督の真意(というか信念)は理解できても、彼がそれを実践できたか、というとちょっと?が付いちゃうんですよ。ごめんなさいね。本当におバカなので(泣)。
このお話ほど差し迫った形ではないにせよ、制作側にも蔓延する閉塞感ゆえに、過激な表現のみに頼る現状があるのかもしれません。

そしていま一つあるのは、「テーマは宿題にして先送り」感覚。
前述の「ドラえもん」でもそうですが、「ドラえもん」の良さって、「未来の道具に頼らない子供の強さ」にあると思うんですが、どうでしょうか?
私は劇場版のドラえもんを見た事がないので、原作版・テレビ版との違いが分からないんですが、少なくともジャイアンという宿敵をドラえもんの道具で負かしてしまうのび太って、「成長しない」って事では?

この辺は、こんな舌足らずなお話ではなく、いろんな方々も語られているので興味深い所です。制作側もこのテーマはよく分かっている筈なんですよきっと。
過去一度だけ制作された「ドラえもんが未来に帰っちゃうお話」とか、名編もあったのに。

このあたりの「テーマ上の宿題」を先送りする感覚は、私にもよく分かります。
この宿題、思った以上に難しいんですよ。「ドラえもん」の根本的な構造を考え直す事ですから。
だから今の所、ストーリーを倫理にあった形にして、やり過ごすしかないと。


「未来の道具の楽しさ」を単純に味わえばいい筈の「ドラえもん」。
考えれば考えるほど奥が深いですねー。
前述の「ポケモン」も含め、日本のアニメーションはテレビ界が抱える問題の縮図だったりして。
結局不勉強な私の、偏った物の見方ゆえなんでしょうね(笑)。

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コメント

オタクイーンさん、こんばんは。(^o^)ノ

私は、TV版ドラえもん が大嫌いです。
それはここにも書いてある通り、のび太が 何の努力もせずに、ドラえもんに頼り切っているからです。オタクイーンさんの言葉を借りれば、「未来の道具の楽しさ」の見せ方が間違っているように思います。
そして私の目には、のび太が 卑怯者のようにさえ映ります。
こういうアニメが、みんなに支持されているというのは、とうてい理解できません。
「最近の のび太とジャイアンの関係の変化」だけでなく、こういうところも見直されているのでしょうか? 気になります。
あと、最初に「TV版」と 断ったように、映画版のドラえもん は、全く別物です。
友情や、勇気、助け合いなど、文部科学省推薦の映画の資格十分です(笑)。
映画は こんなにステキなお話なのに、なんでTVでは???????????
そのあまりのギャップに、もしかしたら あの のび太のダメ駄目さは、映画の為の伏線として わざとやってるんじゃないの?と、勘ぐりたくなるぐらいです(笑)。
オタクイーンさんも、気が向いたら一度見てみて下さい。(たぶん気は向かないと思いますが(笑)

余談ですが、今の声優さんの方が断然いい! だって思い入れがZEROだったから(^^ゞ

ポン太様 コメントありがとうございました。
いやーこんな固い記事まで読んで下さるとは。本当に感謝感激です。
やっぱり皆さん気づいていたんですね。「ドラえもん」(TV版)の問題点。「のび太とジャイアン」については、例えば「アンパンマンとバイキンマン」でも同じ処置が採られているようなので、子供番組全般に言える事なのでしょうね。

その問題を別にしても、、「未来の道具」で優位に立てちゃうのび太の姿が、「健全な少年」とはとても思えないんですよね。この点については私もポン太さんとまったく同意見です。

やっぱりどんな世界でもパワーバランスがあって、それを克服する事が成長に繋がる、という事を教えないとまずいような気がするんですよ。まあ最近のTV版は見ていないので、そのあたりの処理がどうなっているのかは、私も分かりませんが。

「映画版」については、私の周りでも賞賛の声がたくさん上がっています。いつかは見ようと思っているのですが・・・
あの手の作品って、自分のバイオリズムとの微妙な差で、いまいち手が伸びない事が多くて。頑張ります(笑)。

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