2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

ネヴュラ・プライベートライン

無料ブログはココログ

« ジェットビートル・コンプレックス | トップページ | 醒めない夢の為に »

2006年8月 5日 (土)

言えなかったさよなら

夏休み。暑さに負けず、元気に遊ぶ子供たちを見かけるたびに、子供の頃の自分の姿を思い出します。前回、おもちゃがらみの恥ずかしいエピソードをお話しました。今日も、幼い日々に私に訪れた、ちょっとほろ苦い思い出です。

Photo_82 「キャラメル箱」。こう呼ばれるプラモデルの箱があります。
大手メーカーから名も知らぬメーカーまで、50円程の小額プラモデルに採用されていた箱の総称で、普通の上下割の箱に対して、左右に空け口を持つ形の箱です。キャラメルの箱に形が似ている事から、いつしかそう呼ばれるようになりました。

Photo_83 1970年代初頭。この「キャラメル箱」のプラモデルは、一般のおもちゃ屋などとは別に、いわゆる「駄菓子屋」に流通経路を持っていました。
50円という金額は、子供にとってちょっとお小遣いを貯めれば出せる、3日に一度程度の贅沢だった訳です。
当時私も、駄菓子屋特有のあの薄暗い店の奥に並ぶキット達を眺めながら、友達に先を越されないよう、くじもお菓子も「3日の我慢」。そうして手に入れた「キャラメル箱」を後生大事に抱え、家路を急いだものでした。

この頃、全国にどれだけの駄菓子屋さんがあったのでしょうか。
今はコンビニやファーストフード・ショップの出現と共にすっかり姿を消した駄菓子屋さん。当時は子供が自分の判断でおもちゃやお菓子を選び「買い物」のなんたるかを覚える初歩のコミュニティー空間として機能していたように思います。
そして、どこの学区でも最低2~3軒の駄菓子屋さんがあり、子供たちは毎日、「新製品情報」についてホットな情報交換をしていたのです。

数軒あった駄菓子屋さんで、子供達にもっとも強い印象を残したのは、なんといっても「お店のおばちゃん」
「各店」に名物のおばちゃん、おばあちゃんが居て、お店の敷居をまたぐたびに「いらっしゃい」と笑顔を向けてくれたものでした。(あまり毎日覗くと、「あんた宿題は?」なんて怒られたこともありますが)

そんな駄菓子屋の中で、私が特に気に入っていた「行きつけ」の一軒がありました。そこは小さなおばあちゃんが一人でやっていたお店で、子供好きのおばあちゃんは私達の訪問をいつも嬉しそうに迎えてくれました。お菓子やおもちゃの事とは別に、いろいろなお話をしてくれた事も憶えています。

これは当時、駄菓子屋さんに通った人だけ分かる微妙な感触なんですが、駄菓子屋さんって「割引」しませんよね。只でさえ利幅の薄い駄菓子は、割引などしていては儲けにならないからです。裏を返せば、それだけ儲けの薄い駄菓子屋さんを続けている、という事は
子供好きの人である事を証明している訳ですが。
子供心にも「割引しないのが当たり前」と思い込んでいた私。そんな私に、衝撃はふいに訪れました。
以前からどうしても欲しかった日東科学のキャラメル箱キット、「ミラーマン」を買いに、お店を覗いた時の事でした。
「あんた、これ40円でいいよ。」いつものおばあちゃんは、急にそんなことを言い出したのです。「なんで、50円持ってきたのに。」たずねる私に、おばあちゃんはこう答えました。

「お店、もうすぐ終わりにするんだよ」

Photo_84 幼い私にとって、馴染みのお店がなくなる。それは初めての経験でした。
「えー、どうして?」意味がわからず問いただす私でしたが、おばあちゃんは寂しそうに笑って答えてくれませんでした。
その「10円引き」は、「店じまい在庫一掃セール」だったのです。

寂しさと話題性をないまぜにしながら、私は周りの友達に、その事を触れ回りました。
今になって思えば、親友が転校してしまうような、一抹の寂しさを一人では受け止めきれず、友人達と共有したかったのかもしれません。

Photo_85 そしてなぜか私の足は、そのお店から遠のいていったのでした。本当なら、「常連客」として店じまいの日まで通いつめ、最後の日にはおばあちゃんに笑って「さよなら」を言いたかったはずなのに。
これも、幼い日ゆえの、「別れに対峙できなかった」微妙な心がそうさせたのでしょう。

思い出は必ずしも、ドラマチックでもいいお話にもなりませんよね。

結局幼い私は、別れのつらさを直視できず、おばあちゃんに別れを告げられないままだったのです。
「あのお店、もうなくなっちゃったよなー」と噂で聞いて、後日お店の後を覗きに行きました。そこには友達の笑いも、お菓子の甘酸っぱい香りも、おばあちゃんの笑顔もありませんでした。

結局、おばあちゃんがなぜお店をたたむ事になったのかは分からずじまい。
各地で駄菓子屋さんが姿を消し始めたのはこの頃からではないでしょうか。日本の高度経済成長は、こういうコミュニティーのあり方を少しずつ変えていたのでしょう。

子供が初めて体験する「親しい人との別れ」。
今も私は「キャラメル箱」のプラモデルを見ると、心の隅に軽い罪悪感を感じるのです。
あの「言えなかったさよなら」の記憶とともに。

後年、椎間板ヘルニアで3週間程手術入院した事があります。
その時病室で隣のベッドだったのが、小学3年生のやんちゃ坊主。

ヒーローや怪獣にくわしい私はたちまち彼になつかれ、毎日彼は私から離れませんでした。
そして迎えた、私の退院日。
私より長期の入院が必要だった彼は、幼い日の私のように、退院に立ち会ってはくれません。彼を探した私は、病棟の隅でお母さんに抱かれ、泣きじゃくる彼を見つけたのでした。

彼の泣き顔は、あの日の私そのものだったのかもしれません。
彼の頭をそっと撫でて、私は病院を後にしました。

後日、私は両手に抱えきれないほどのプラモデルを持って、彼を見舞いました。
なんか、そうしたくなっちゃって。
さすがにその時は、「キャラメル箱」は持って行きませんでしたが(笑)。

« ジェットビートル・コンプレックス | トップページ | 醒めない夢の為に »

「怪獣おもちゃ」カテゴリの記事

コメント

とても、あたたかいお話ですね。きっと、入院されていた「彼」はお見舞いのプラモデルを作らずに大事にしまって、ながめるだけにしたんじゃないかなあと思います。今でも、きっと一生の宝物として飾ってあるのではないでしょうか。私も1年ほど入院をしたことが、あります。「彼」や「オタクイーン様」のような、いたいけな子供ではなく、ひねた中年として病棟に入りました。至れり尽くせりの介護をしてくださいましたが、何よりさびしいのがこたえました。人にとけ込むのが苦手な私は、同室の方々と通り一遍の挨拶程度しか言葉をかわすことができず、誰か話にきてくれないかなーと、いつも願ってました。その「彼」もお見舞いの品々はうれしかったでしょうが、オタクイーン様の再会の方がより嬉しかったこと、想像に難くありません。感傷的になってごめんなさい。とても。いいお話だったので、つい。

コメントありがとうございました。なぜか、子供が街にあふれる今の時期は、昔の記憶が甦りますね。でも、必ずしもいいお話にならないのがつらい所で(笑)。

駄菓子屋さんのエピソードは本当に久しぶりに思い出しました。
キャラメル箱って最近ほとんど見かけないので(食玩の箱とはまたテイストが違うので)記憶に埋もれていたようです。あのとき行けなかった自分から、少しは成長しているでしょうか。

病室の「彼」にプラモデルを渡したくなったのは、きっとその時の罪ほろぼしをしたかったからなのかもしれません。
いやーなにか、このブログって自分を裏返しにしていくようで、ちょっと恥ずかしいですね。お許し下さい。
昔の事ばかり書くのも、年をとったせいでしょうか(笑)。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/104767/2937105

この記事へのトラックバック一覧です: 言えなかったさよなら:

« ジェットビートル・コンプレックス | トップページ | 醒めない夢の為に »