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2006年8月20日 (日)

怪獣という天変地異

Sany0023 古いファイルをめくっていたら、こんなものが出てきました。
「ゴジラストーリー募集」。
1984年「メカゴジラの逆襲」以来9年間の沈黙を守っていたゴジラ映画の復活とともに、新作ゴジラのストーリーを広く募集するものとして東宝映画が企画したものです。
この募集、締め切りは1985年6月10日。その結果、小林晋一郎氏の応募作が採用され、「ゴジラVSビオランテ」(1989年)として平成ゴジラシリーズの口火を切った事は、「ネヴュラ」をご覧の皆さんならご存知ですよね。

Sany0030 いやー懐かしい広告。当時、私の周りでもこの募集を見て、「新時代のゴジラ映画を作るチャンス」とばかりに、温めていたアイデアを原稿用紙にぶつけていた仲間が何人もいました。
かくいう私もその一人。
実際、いわゆる「84ゴジラ」の出来が私にとって納得できるものではなかった為、(ファンの皆さん、ゴメンナサイ)その不満を一気に爆発させていたきらいもありました。若かったんですね(笑)。
締め切りギリギリ、6月9日に出来上がったそのストーリーを、私は東宝宛に送り、その結果を待ちわびたのです。

結果的にはそのストーリーは「ボツ」(爆笑)。そりゃそうですよ。世の中そんなにうまくはいきません。
でもこの時、全国の何万人、何十万人のゴジラファンが、「あわよくば自分のストーリーが」と壮大な夢を見たことでしょう。
私の中で、この応募は「自分の理想とするゴジラ映画とは」という事を自分に問い直す、いい機会だったのです。

さて、ここまでネタふりをすればもうお分かりですよね。そうです。この広告と一緒に、出てきたんです。応募したストーリーのコピーが。
なにしろ21年も前の事。応募方法にもある通り、200字詰め原稿用紙41枚に叩き込まれた当時の私の熱きゴジラへの思い(笑)。若き日に出した東宝へのラブレターは、21年の時を経て今再びの目に触れる事となったのでした。

本当に久しぶりに読み返してみましたが、実は私、ちょっと感心しちゃいまして。
「面白いじゃん、これ」なんて。

確かに人生経験も浅い頃したためたものだけに、登場人物の気持ちの動きなど、かなり背伸びして表現されている部分もあります。しかしながら、おそらくその後のいわゆる「VSシリーズ」に憤懣やるかたない方々には、溜飲を下げていただけるようなものが書かれているのでは、なんて勝手に自惚れています。

今でもそうなんですが、私にとって怪獣とは、「天変地異」なんですね。地震や津波、火山の爆発、土地の陥没など、「とんでもない事」が起こっているという感覚なんです。
不謹慎な言い方ですが、怪獣に襲われたらもう「命がない」というイメージがあります。怪獣の出現は、それくらい差し迫った状況と考えているんですよ。


当時応募したストーリーにも、その考えは今より色濃く、よりストレートに現れていました。
本当ならここで、ストーリーをこまかく説明すればより分かって頂けるのでしょうが、色々なお立場の方々に配慮せざるを得ない内容なので、差し支えない部分のみお話します。
逆に言えば、それだけハードな内容という事。おそらくこのストーリーをそのまま映像化したら、「ノストラダムスの大予言」(1974年東宝)と同じ末路を辿ることとなるでしょう。(事情通の方ならお分かりですよね。そういう事です。)

Sany0011 私のストーリーでは、ゴジラは大都市の真下に眠っており、発散される放射能の為、地上では通常考えられないような事態が起こります。お話はその異常な状況を調べる人々を中心に展開され、ゴジラの存在と覚醒のタイムリミットが判明しますが時既に遅し。「モスラ対ゴジラ」のように大都市の地面を割って巨大な尾が出現し、周りの建物をなぎ倒す、という阿鼻叫喚の図が展開されます。
遂に地中からその巨体を現したゴジラの影響で地殻変動が誘発され、都市ひとつが陥没してしまう。
ゴジラの体温で熱の対流が起こり、都市中心部は超高温に・・・という、「歩く天変地異」としての巨大生物が描かれているのです。

Sany0006 さて、このストーリー、このテイスト、どこかで観たことが・・・と思われた貴方。そうです。その通り。当時の私は気がついていませんでしたが、今読み返すとはっきり分かります。
私は「ゴジラ」で、1973年版の映画「日本沈没」を再現したかったのです。

Sany0020 ストーリーの隅々に、73年版「沈没」のテイストが見られます。気がつかないほど微妙に傾く建物。主人公が「もしかしたら!」と看破した瞬間に起こる巨大な胎動。「大きさ4メートルの火炎瓶」と化した自動車が飛び込むビル。
あの、73年版「沈没」で繰り広げられた悲惨な災害の図に加え、ここでは書けませんが「核の申し子」としてのゴジラが放つ強烈な影響。
おそらく「ゴジラの逆襲」以降制作されてきたゴジラ映画が意識的に避けてきた「怪獣災害の悲惨な部分」が、全て盛り込まれているのです。

私の考えでは、怪獣災害の悲惨さはおそらく「ガメラ3 邪神覚醒」(1999年大映)で描かれたあの「渋谷シーン」の比ではないでしょう。
私の中でどんな怪獣映画を観ても「ぬるい」と感じるのはきっと73年版「沈没」で起こる悲惨な状況を、怪獣映画に追い求めているからなんでしょうね。私のストーリーが不採用になったのも無理はありません。このストーリーはエンターテイメントとしてはあまりにもバランスの悪い作品ですから。
でもきっとこれが、徹底的にリアリズムにこだわった、「私の理想の怪獣映画」なのです。

Sany0033 そんな「怪獣災害」の片鱗を、ほんの少しだけ垣間見せてくれたのが「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」(2001年東宝)でした。
そりゃー怪獣はあれくらい怖くなきゃいけませんよ。ゴジラの放射能火炎でキノコ雲が起きなきゃおかしいですよ。人間が怪獣に踏み潰されるのだって、あの状況だったら絶対起きる筈ですよ。

確かにあの作品のゴジラは、他の作品とは設定が違う「別人」とは思います。
でも、金子修介監督は思ったんではないでしょうか。

「一作目「ゴジラ」の怖さを再現するには、もう今のゴジラでは不可能」と。
ゴジラの本質を表現するには、ゴジラであってはならない、というこの皮肉。

ここでゴジラ論を展開すると、またまたスペースが足りなくなるのでいずれじっくりとお話させて下さい。まあ怪獣をどう捉えるかで、理想の怪獣映画なんて変わってきちゃうので、100人の心の中には100匹の異なるゴジラが居て当たり前。これはあくまで私のつたない「私見」です。性別がちょっと不自由なOLの独り言とでも思って、笑ってお許し下さい。

古い募集記事と、昔の応募原稿なんかが出てきちゃったので、可愛くありたい自分が「20年前の生意気なオタク」に戻ってしまいました。おバカですねー。
でも時の流れは本当に不思議なもので、クールダウンした頭で昔の自分の文章を見てみると、影響を受けた作品って浮き彫りになるものですね。今更ながらに73年版「日本沈没」の影響の大きさを痛感します。

はからずも今、おそらく私と同じような道を辿ったであろう樋口版「日本沈没」の公開中。
この記事、ストーリーが見つかったのも、何かのめぐり合わせかもしれませんね。

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コメント

お久しぶりです。体調をくずして、しばらくコメントができませんでしたが。毎日、愛読させていただいていました。とぎれとぎれのコメントしかできないかもしれませんがお許しください。
300万円の懸賞!そうだったんですか(笑)
どなたがいただかれたのでしょうね。うーーーんなシナリオでしたけどね。まだまだ、書きたいのですが、今日は無理せずこのへんで・・・おじゃまいたしました。

hiyoko様、コメントありがとうございました。東宝としてもこのストーリー募集で、ファンそれぞれのゴジラ像を把握したのではと思いますが、その後の作品にそれが生かされたかと言うと・・・(笑)。

作品ごとにいろいろな顔を見せるゴジラですから、ひとつのイメージに固定されないのも無理はありません。それがゴジラの魅力でもありますし。現在の一時休止状態は、私的には大変望ましい事だと思います。そんなに急いで量産する必要はないと思うので。じっくり時間をかけて、誰もが唸る面白いゴジラ作品をまた作ってもらいたいものですね。

まだまだ暑さが続きます。お体にお気をつけ下さい。無理をされずまたお相手頂ければこれ程嬉しい事はありません。

先日は「フランケンシュタイン対地底怪獣」にコメント、そして詳しい情報を教えて頂き、有り難うございました。
「怪獣という天変地異」読ませて頂きました。
オタクイーンさんスゴイです!思わず読みいってしまいました。
まさに大スペクタクルですね!
ここでは触れてませんでしたが、ゴジラも生き物という点で考えれば、最後は死ぬ(殺される)んでしょうか?
またよろしくお願いします。

ポン太様、コメントありがとうございました。
人々が怪獣映画に求める物って、一人一人違いますよね。あくまでもリアリズムを求める人、ファンタジー性を求める人。お笑いを求める人だっています。そういった全ての嗜好に応えなければならない作り手側は、本当に大変だと思います。

「ガメラ 大怪獣空中決戦」公開当時の1995年、東宝のゴジラ映画プロデューサー富山省吾さんは、そのリアリズムあふれるガメラ映画の出来に対して、「ゴジラとガメラってドラえもんとドラゴンポール程世界観が違うんですよ」とコメントしたとか。
それだけ違う客層を相手にしている、という事を言いたかったんでしょうね。

でも、私などはやっぱり「平成ガメラ」並みのリアリズムと迫力を持ったゴジラ映画を観てみたい。その答えの一つが、記事にも書いた「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」です。

ちなみに、頂いたコメントにありました「ゴジラの最期」なんですが、私のストーリーでは、それは携帯ラジオのニュースで報告されるだけ。その内容は・・・伏せておきましょう(笑)。

感動したー! ひどく興奮してます。
この思い、誰かに伝えたくて、早速コメントさせて頂きました。
あっ、こんにちは、オタクイーンさん。
1954年の「ゴジラ」のお話です。恥ずかしながら今日がまさに初見です(^^ゞ
私的には先日再見した「日本沈没(1973)」を凌ぐ衝撃だったかも・・・。
ここに描かれている ゴジラ こそ まさにオタクイーンさんがおっしゃる天変地異じゃないですか?
まさに大人の「ゴジラ」ですね!う~んすごい。興奮冷めやらぬ・・・です。

ポン太様 コメントありがとうございました。
初作「ゴジラ」に関しては、語りたい事があまりに多すぎてこのコメント欄では足りません(笑)。

思えばこの作品、初めてまともに見たのは25年前。
東宝ビデオから発売されていたセルビデオを仕事の先輩が購入し、(当時なんと50,000円もしました)先輩と一緒に鑑賞しました。

思ったのはやはりポン太さんと同じ「これは天変地異、災害を描いたものだ」という事。
反戦のメッセージ云々も言われていましたが、戦後生まれの私には正直ピンと来ず、モノクロの画面に展開される、強大な力になすすべもない人々の阿鼻叫喚の図を驚きとともに見つめていました。
「あっ、ゴジラは地面を蹴り飛ばしながら歩いてる!」
以降のゴジラ作品で見られなくなった、「道なりに歩かないゴジラ」がそこに居ました。蹴り飛ばされた地面が、町並みが、恐るべき破壊の様子を描いていたのです。

怪獣映画というのは、本来ああいう悲惨なストーリーなのです。まともに描けばああならざるを得ない。あの悲惨さを回避し、エンターテイメントに徹したものが、今見られる(子供の友達としての)怪獣映画なんでしょうね。

ただ、私は怪獣映画の可能性を信じています。
初作「ゴジラ」や「日本沈没」のような破壊スペクタクル(私はこちらが好みですが)の一方で、楽しい、誰もが興奮するアクションムービーとしての怪獣映画も期待したいです。

世間が作らないなら、私が作っちゃうぞ(爆笑)。


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