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2006年8月10日 (木)

「変えない」という技術

新聞に、「サザエさん」の脚本家、雪室俊一さんのインタビューを基にした記事が載っていました。
アニメーションのクリエイターを長期に渡って採り上げるこの連載記事、私も楽しみにしているのですが、今日の記事もなかなか興味深いものでした。私、「サザエさん」にメインライターがいらっしゃるなんて、失礼ながらまったく知りませんでした。
雪室さんは放映開始以来、実に1600本もの脚本を手がけているそうです。これは凄いことですよね。

かねがね私は「おそらく日本のアニメ脚本で、もっとも難しく高度なものは『サザエさん』だろうなー」と思っていました。
私も放送業界の末席を汚す身なので、あの作品の難しさはよーくわかるのです。というのはあの作品、二つの相反する要素を両立させているんですよね。

変えちゃいけないけど変えなきゃいけない。

日本に居て「サザエさん」を見た事がない、という人はもう、日曜日の夕方は密室にでもこもって動かない、非常に特別なライフスタイルを送る方でしょう。それくらい、「日曜の夕方はサザエさん」というイメージは定着しています。
いったい私達が「サザエさん」を見る理由はなんでしょうか?
私で言えば「なんとなく」「時計代わり」「日曜日のシメ」などの、どちらかと言えばさほど積極的な理由を持たずに見ています。
でも私が知る限り、(おそらく放映開始以来見ている筈ですが)「今日のサザエさんは突出した名作だ!」とか、「ちょっと出来が悪かったなー」なんて、特別な感想を持った回はありません。皆さんもそうではないでしょうか。

毎回、同じテイストを持ちながら新作を作り続ける。
恐ろしい程の、クオリティーの均一化が図られているのです。

私も、毎週放送される番組の脚本を手がけているのでよく分かりますが、この「クオリティーを保ち続ける」というのは非常にむずかしい事なのです。
しかも、長谷川町子さんの「サザエさん」原作は全68巻。私も随分昔、全巻を読んだ事があります。確かにこれは、それなりに全て面白い。一本一本が「立っている」印象を受けました。
しかし長谷川さん没後の今、新作が作られない中で、あの原作のエッセンスを崩さずにアニメーションを制作する上での努力というのは、これはもう想像を絶するものがあると思うのです。

雪室さんの凄いところは、「原作だけではいずれ話が持たなくなる」と、新しいキャラクターを作り、それを定着させてしまった事です。
中島君、花沢さん、三郎さんを誕生させたのはなんと雪室さんなんですよ。

もう今や、中島くんと野球の練習をしないカツオ君なんて考えられないですよね。ちなみにイクラちゃんの命名も雪室さんです。

インタビュー記事で面白かったのは、「つなげるのは編集者の仕事であってクリエイターの仕事ではない」という言葉でした。
ちょっと補足しますと、「サザエさん」はライターに対して、制作陣からは毎回原作の四コママンガが3~5本渡されるそうです。要は「元ネタにしてください」という事なんでしょうが、雪室さんはその内一本しか使わないそうなんです。その理由は、「楽をしたくないから」。
凄いですよねー。私には真似できません。

若手の他のライターにも、「原作数本とオリジナルを繋げても、面白いのは原作の部分だけだよ」と言っているそうです。それだけ原作に敬意を払っているんですね。
そして、オリジナル一本だけを元ネタに、自分を追い込む。

元々四コマで起承転結を表現する四コママンガと、一本が7分のテレビアニメは全く作劇術が違う筈なのです。本当に、作品の長さが1分違うだけで、そのテイストは全く変わってしまいます。そんな中、大事件など起こしようもないあの世界で、ドラマを成立させなければならない。

これは本当に「プロ」の仕事です。

時代の流れだってありますよね。原作が描かれた昭和が終わってから既に17年半。携帯電話やパソコンが普及した現代でも、磯野家には今だに、それらのハイテク機器はありません。しかし、番組を見ている間はそういう事に疑問を持たない。
原作の空気を壊さない事を目的とした、そういう作劇がされているからです。
おそらくメインスポンサーである東芝の理解を得た上での措置でしょう。電気メーカーが自社提供のホームドラマに最新の電化製品を出さない。
バンダイにも見習って欲しい姿勢です(笑)。

さらに面白いのは、「単なるホームドラマは他のライターに任せて、ちょっとはみ出した部分をやりたい」という言葉です。
雪室さんはメインライターでありながら、「ウルトラマン」に於ける、佐々木守さんのポジションを取ろうとしているのです。

「他のライターと作品が似ない点では自信がありますね」と語る雪室さん。これは、どんなに自分が変化球を投げても、「サザエさん」という作品の幅からはみ出さない、という自負なのでしょう。

私も、仕事で書いた台本に直しが入る時、担当者に「この番組でこの表現はないでしょう」なんて言われることがあります。創作を行う上で小さくまとまってしまうのもよくないのですが、実はその番組のメインライターは私なんですよねー。自分が番組の幅を超えちゃいけませんよねー(笑)。

記事の最後に、今日の冒頭の言葉の答えらしき事が書いてありました。
「サザエさん」はいつも同じでいつも違う。同じ料理でも、盛りつけが変わっているのです。

なるほど。原作は「食材」。どう料理するかはライターの腕次第、といったところでしょうか。
私ももう少し、食器洗いから勉強し直す必要があるようです。

樋口監督。どうです、一緒に勉強しませんか?(笑)

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コメント

「サザエさん」のアニメが、そこまですごいプロの手によって作られているとは思いもよりませんでした。これは、私の仕事の上で知り得たことですが、ふつうの子供を持つ家庭の親で、理想にする家族の姿は他ならぬ「サザエさん一家」が大多数を占めることがわかりました。きびしいけれど愛される父親。懐深く、やさしく子供を見つめる母親。行事やならわしに敬意を払う家族の和。
なるほど、あこがれるところはあまたありそうです。しかも、決して押しつけがましくないこと、説教くさくないこと、神経をさかなでするような乱暴な言動がないこと・・・など思い当たります。いわれないと気付かないプロの仕事というのは、案外身近にあるのかもしれませんね。

コメントありがとうございました。「なにも起こらない日常」を舞台にドラマを作るのは至難の業です。

私達物書きは作劇上なにかと大事件を起こそうとするのですが、それが許されない「サザエさん」の世界では、ささいな出来事からストーリーを展開させる難しさがある訳ですね。
毎回、放送を見て思うのですが、おっしゃる通りどんな事件が起こっても後味が悪くならない。説教臭くない。理想の家庭に見えるというお話の運びは、それこそ綱渡りにも等しい、難しい技術なのです。

でも、記事を書き終わり、コメントを頂いてみて思い返せば、どんなお仕事も「プロ」である以上、業界ごとに皆さん、すばらしい技をお持ちですよね。そんな技を見る度に、今だ感動を禁じえない私。いやーまだまだ勉強ですね(笑)。

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