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2006年8月 5日 (土)

醒めない夢の為に

そこには、身長3メートルはありそうなティガ像が立っていました。
2000年1月17日。大阪、毎日放送前。

「行くぞ。」お世話になっている会社の社長は、私に促しました。
鞄には、その年3月14日から公開された映画「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」に向けた、特別番組の企画書。
「やっとここまで来たか。」不安と期待で張り裂けそうな胸を抱え、私は社長の後に続きました・・・

ディレクターという仕事につく人間が、その仕事を選ぶ動機、きっかけは大体決まっています。いろんな人間に合って語り合いました。
「タレントに会いたい」「なんとなく面白そうだから」「緊張する世界の最前線で、生の声を伝えたい」などなど。
中でも一番多かったのが、
「自分が影響を受けた番組があって、そんな番組を作りたい」というものでした。


ご他聞にもれず、私がこの道を目指したのもそんな動機からでした。
言ってみればディレクターという仕事は、昔見た夢の世界からいつまでも醒めることができずに、その世界をいつまでも追いかけているような物なのです。
だから私のように夢想家(妄想癖とも言いますが)が多い。

ただ、その「影響を受けた番組」というのは、いざこの仕事に就いても続々と放送される物なのです。私の場合も(それは極めて少ないですが)そんな番組の影響で、今の自分が形作られています。
冒頭でお話した「ウルトラマンティガ」も、そんな番組のひとつでした。

Photo_86 「ティガ」の評価については、放送開始直後からそれこそ数限りなく書かれ、語られていますので、今日は控えましょう。実際私もあの番組に関しては、いくら時間があっても語り足りないぐらいですから。別の機会にじっくりお話しますね。
ただ、冒頭にあったように、私はこの「ティガ」がウルトラシリーズ・クラシックにならない内に、なんとか自分の手でその良さを伝えたいと思ったのでした。それくらい影響を受けた、と思っていただければ。まあ、笑ってお読み下さい。

大阪、毎日放送は、当時「ティガ」のキー局としてティガ関係の全ての仕切りを行っていました。私がお世話になっている制作会社の社長のお知り合いが、たまたま毎日放送の関係者と古い仕事仲間だったのです。
その事を知った私は、社長に猛アタックをかけました。この企画はどうしても関係者に見せたかったのです。おそらく2000年当時、こんな企画を考えた特撮好きのテレビ屋さんは、それこそ星の数ほど居たでしょう。
でも、やりたかった。

企画の内容を詳しく書いてしまうと、関係各位にいろいろご迷惑がかかりますのでご勘弁ください。ただ2000年当時世間で認知されていた「ウルトラマンティガ」に関するすべてを語りつくすというものでした。特撮作品に造詣が深い、皆さんがよくご存知のライターさんをキャスティング、「THE FINAL ODYSSEY」に向けての現場や、出演者の声も聞くという内容。思い入れが先行していたせいか、盛り込みすぎぐらいの「濃い」分厚い企画書でした。

結論からお話しますと、この企画、「ボツ」でした。(爆笑)
一言で言えば「盛り込みすぎ」が祟ったという事です。

まあ、こんなもんですよ。企画のプレゼンという物は、そんなにドラマチックなものではありません。思い入れたっぷりに書かれた企画に制作サイドが感動して、「やろう!」なんて事は、私の今までの経験の中でもゼロですから。(企画力がないのが一番の理由ですが)
実際には、予算と放送時期に大きなウェイトがかかる現実があります。
いくらすばらしい企画書でも、局側でスポンサーを集める勝算がない限り、「絵に描いた餅」に過ぎないわけですね。

でも、私はこの日、夢のような気分でした。
こんな無茶苦茶を許してくださった社長、つなぎをつけて下さったお知り合いの方。(私のつたない企画に目を通して下さり、経験者のお立場から貴重なご意見を下さいました)
そして、毎日放送の番組担当の方々。後日、円谷プロの鈴木清プロデューサーにもお電話で丁寧にお話いただきました。
毎日放送玄関で出迎えてくれた「ティガ」像も、忘れられない思い出です。

Photo_87 ディレクターをやっていてよかった。そう思うのは、こんな日が過ごせた時です。
自慢するわけではありませんが、こんな、自分の夢を具現化する手段が許される業界は他にないからです。
チャンスが与えられている。たとえ1パーセントに満たなくても、「醒めない夢」がある限り不可能じゃない。

毎日ハードな仕事に追われるディレクターにとっての、それは唯一の希望なのです。
そう、「ティガ」が、地球上の人々の光でガタノゾーアに立ち向かったように、
「希望という名の光」は、ディレクターの心にいつもあるのです。

プロデューサーの机の上にはいつも、ボツ待ちの企画書がうず高く積まれている事もよく分かります。そんな現状を見る度に曇る「醒めない夢」。
でも、私を含め、テレビマンはなかなかしぶといです。たまにやる「無茶苦茶」に思いを馳せて、今日も地味な打ち合わせに走ります(笑)。
「やる」という事が大事なんですよね。「何か考える」ということが。

オタクな私にとって、この「考える」という事が実に楽しい。
皆さんがよくブログなどで発表されている「こんなウルトラマンが見たい」「理想のゴジラは」なんていう事が、私の中にもあるんです。
私の中にある「理想の番組」が、ひょっとしたら、なにかの間違いで、現実化する可能性がゼロとは言えない。
その為に私達テレビマンは「醒めない夢」を追い続けるのでしょう。

先日も局の入り口で、去年万博のお仕事でご一緒したディレクターにばったり会いました。その方は私より10歳近く年上。もう髪も真っ白です。
でもその時、彼は言いました。
「またなんか、でっかい事やろうぜ」。

この人も、まだまだしぶといようです(笑)。

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コメント

とても、熱い想いが伝わって、感動いたしました。とかく、「夢」というと「願う」と同じ意味合いで、使われがちですが、オタクイーン様の「醒めない夢」に向かう姿勢は、「夢に向かって可能性のある限り努力する」であり、「願」ったあと自分は何を考え、何をするのかが大切なのだということが伝わってきます。読ませてもらう私にとって、これはとても励みになります。私も私の置かれたポジションで、何ができるのか、考えてみたいと思います。

コメントありがとうございました。私に限らずディレクターって、元来「夢想好き」なんですよ。
部屋でテレビを見ていても、「自分だったらこう作る」「なんでこうしなかったんだろう」なんて、いつも思ってしまいます。
「自分の中の理想の番組」と比べてしまうんですね。だから、いい題材が与えられ、いい出演者も揃っているのに、出来が悪いともうたまらなくなっちゃうんですよ。自分の実力は棚に上げて(笑)。

いい年して「醒めない夢」なんて恥ずかしいですが、テレビ関係者が老け込まないのは、この若さがあるからと思います。
同窓会で同級生に会うと、その「精神的な」老け込み具合にビックリしますから。
努力なんてカッコいいものではありませんが、いつまでも子供っぽいガムシャラさは持っていたいと思います。
いまだ、精神年齢だけは子供ですが(泣)。

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