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2006年8月 1日 (火)

作品の出来を決めるもの

・・・さすがに昨日はダウン。お仕事は比較的早く終わったのですが、いつも以上に集中した為、帰宅してすぐ寝てしまいました。

昨日は番組の「編集」だったのです。

映像作品というものは、企画から始まって、「台本作成」「撮影」「ナレーション収録」「編集」「音入れ」など、段階を踏んだ行程が踏まれます。
それぞれに集中力が必要ですが、私はこの中で「台本作成」「撮影」「編集」が、作品作りで特に重要な部分と思います。
今日は私の、仕事の上での考え方をお話しましょう。
ちょっと固いお話なので、苦手な方はごめんなさいね。

まず最初の行程「台本作成」。実はこれは、このブログが結構役に立っているんです。
考えを言葉にする練習。その日のお話を書き通す技術。自分のボキャブラリーの限界を知る事もいい事で。
実際の台本作成で言えば「テーマにあったストーリー」を考える事に、まず一番時間を使います。それを終えてしまえば後は言葉を操る作業ですが、これは私にとって楽しい作業だったりして。好きなんでしようね。(「名ゼリフ」が浮かばないときはそれこそ七転八倒しますが、そういう事も含めて)

作品づくりの設計図「台本」が完成すれば、次はいよいよ「撮影」ですが、私は、この撮影現場では「照明技術」が最大の要、と思っています。
同業者の方には異論がおありかと思いますので補足しておきますと、照明以外の、出演者の演技、カメラワーク、気象条件などは「既に出来上がっている」か、「現場ではどうしようもない」かのどちらかと思うからです。実際現場に立ち会ってみると痛いほど分かりますが、ここでの「下準備の重要さ」がいかに大事かと言う事は、年だけは重ねた今も痛感します。

照明の重要さについて面白いエピソードがあります。
知り合いのディレクターの奥さんの、ドラマの照明についての印象。
その奥さんは無類のドラマ好きで、最近のテレビドラマはほとんど見ているそうですが、
「フジテレビ系のドラマは照明がベタで、TBS系のドラマは照明のコントラストが深い」。と言うのです。
ひょっとして皆さんもお気づきの事かもしれませんが、面白い印象ですよね。

出演者、カメラワークなどと同様に、照明もそのドラマのテーマにあった効果を狙うものなのです。
例えば20歳代の若年層をターゲットにした明るいテーマのものや、コメディータッチのドラマなどは、全体に照明が行き届いた画面づくりがなされますし、シリアスなドラマや人生の意味を訴えかけるような深いテーマのドラマなら、「光と影の芸術」とも呼べる、明暗に差があるハイ・コントラストの画面が作られます。良い悪いではなく、作品のテーマによって画面作りも変わってくる訳です。

前述の奥さんの印象も実に的を得ていますよね。
決してフジテレビ系のドラマにシリアスなドラマが無いわけではないのですが、全体的に明るいドラマが多いので、そういう印象を持ってしまうという。逆に「ドラマのTBS」と呼ばれたTBS系のドラマは、例え明るいテーマであってもそんな印象を与えてしまうんですね。

そんなドラマに比べればはるかに規模も小さい私の作品も、照明担当に言わせると「なかなか面白い」そうで。
実際現場で画面を見ていても「この現場でこの画面が撮られたとはとても思えないねー」なんていうミラクル・カットに何度も遭遇、その一瞬はスタッフの職人技を感じたものです。こんな風に照明効果というのは、見る者を画面に引き込む力があるんですね。
そこからは出演者、カメラマンの仕事となるわけですが、それらも重要なファクターである事は言うまでもありません。

そんな風に撮られた映像素材は、言ってみれば「パズルのピース」のような物。これをベースにはめこんで、一つの形にまとめ上げるのが「編集」です。
ディレクターの中にはこの編集作業が一番楽しいと言う人もいますね。前述の通り、台本という設計図を目標にしながらも、様々な現場状況によって変更せざるを得なかった撮影素材をまとめ上げるのですから、最初の目論見とは当然違ってきます。
「作品づくりは編集が要」なのです。
(「ネヴュラ」風に言えば、円谷英二監督も編集好きでしたねー)

実際、編集によって作品は大きく変わります。
バラエティー番組などでお笑い芸人が言う「お前きっと編集されてオンエアでは無口になってるぞ」なんてネタがありますが、実際カットされて悔しい思いをした芸人の、心の叫びだったりするんですよね。
事実、その長さが決まっている番組の編集は実に非情なもので、タレントの発言はおろか、そのタレントが番組に出演した事実までカットする事さえ可能なのです。そういう意味ではディレクターは、番組制作の上では「神」とも言えましょう(ここで日頃のうっぷんを晴らしたりして(笑)。

そんな風に制作した作品ですが、ここでディレクターには宿命とも言える苦難が待っています。

自己評価と、世間の評価のギャップです。

これは本当に不思議な事なんですが、評価の高い番組というのは、そのほとんどが精神的、時間的に追い詰められて、苦し紛れに作ったものが多いんです。逆に予算も時間的余裕もたっぷりあって、自分でも満足がいった作品の方か、評価が低いという(笑)。

追い詰められた状況での集中力が、作品の完成度を高めるんでしょうね。

ここでオタクの私などは、ある逸話を思い出してしまいます。
ウルトラマンティガ(1996年)第3話「悪魔の預言」。
当初この第3話は別の作品が予定され、その為の脚本も用意されていましたが、プロデュースサイドの意向で急遽別の作品を放送する事になり、脚本担当の小中千昭はわずか2日間でこの脚本を書き上げたというお話です。

あの、ティガの世界観を構築した一篇を、わずか2日で紡ぎあげたとは!

規模はまったく違えど、同じ「ものづくり」に関わる私などは、こういったお話に強い共感を覚えます。
つくづく「作品の出来」って、時間じゃなく「集中力」なんだなーと思うんですね。
いやーダメですね。編集程度で疲れてちゃ(笑)。

ここまで書いて、こんな言葉を思い出してしまいました。(カッコつけてる訳じゃないんですが、思い出しちゃったもので。ごめんなさい)
故・円谷英二監督が、どんな難しい特撮画面を要求されても、涼しい顔で言った言葉。

「出来るよ。」

この一言の裏で、自分を追い詰めて集中力を高めていたんでしょうね。
私にはまだまだ言えない、深く、重い言葉です。

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コメント

前にも書きましたが、自分と違うお仕事をされている方のお話を聞くのはとても楽しいし、勉強になります。照明ひとつで、ドラマの立体感がかわるとは、またドラマの内容によって照明でコントロールされているとは、思いもよりませんでした。
素人が勝手なことをコメントしているので、笑い飛ばしていただければよいのですが、テレビドラマは、いつの頃からかわかりませんが、フィルム的な映像からビデオ的な映像に変わったような気がします。違っていたら、お話はここで終わりなのですが、もしそうなら、フィルム的な映像が陶太されるには、なんらかの理由があったのでしょう。しかし、フィルムならではのホリの深さがあったように思います。明度ではビデオが勝っているモノの、奥行き感では、フィルムに軍配があがったような・・・たとえば、「木枯らし紋次郎」のオープニングの山中をバックに闊歩するシーン・・・
フィルムならではの、空気が流れているようなリアルさを感じるのは、作品に対する自分の思い入れでしょうか。(笑)お疲れのところながながと関係ないことをかいてしまい、すみませんでした。

コメントありがとうございました。hiyokos654321さん、実に鋭いですね。ちょっと感激しました(笑)。

実は、「フィルム」と「ビデオ」の質感についてはいずれ、記事でじっくり書こうと思っていたのです。おっしゃる通り、ビデオよりもフィルムの方がはるかに深いコントラストを再現できます。またフィルムの方が良い意味で「空気感・リアル感」を表現できます。

最近のテレビドラマの印象が薄いのは、作品の内容よりも、そもそもビデオの映像が何を作っても「作り物っぽく」見えてしまうからだと思うのです。

ビデオの映像を当たり前と感じる若年層の台頭により、映像の感じ方の有り様も変わっていくんでしょうね。
その辺の私見についてはいずれまた書きます。
長文のコメント、感謝いたします。

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