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2006年8月30日 (水)

ヒーローのエアポケット

突然!マニアの皆さんを驚愕させる、オタクにあるまじきカミングアウト。
私は今、「ウルトラマンメビウス」「仮面ライダーカブト」「ボウケンジャー」「リュウケンドー」などのヒーロー番組を一本も見ていません。(あー言っちゃった)。
やっぱりどんなに見ても、「昔見た番組の焼き直し」ばっかりで。ごめんなさいね。
(「カブト」のクロックアップ、キャスト・オフは斬新と思ったんだけどなー)

何故でしょうね。やっぱり「ウルトラ」「ライダー」「戦隊」などは、今の時代に合わないんでしょうか。あの熱狂的な「怪獣ブーム」を一番多感な時期に過ごした私としては、それを超えるものを期待しているんですが。

今の状況を考える時(OLが何を考えているんでしょうか(笑)20年ほど前にある脚本家が語った言葉が思い出されます。

佐々木守さん。「ウルトラマン」などで実相寺昭雄監督と組んで、数々の異色作を送り出した、特撮ファンには馴染みの深い脚本家です。その佐々木さんがあるウルトラ関係の特別番組でこんな事を語っていました。

「国家がある目標に向かっている時は、ヒーローが生まれやすい」

この特番は初代ウルトラマンを支えたスタッフ・キャストなどを集めた座談会方式のトーク番組でしたが、佐々木さんのこの意見には他の出演者からも異論が無かった事を強く憶えています。

これはなにも難しい理屈じゃなくて(おバカな私にそんな高度な理屈はわかりませんから)
「時代の大きな変革期には、名作、傑作を作るエネルギーが生まれる」という事なんだと思います。
今日、そんな事を考えながら、少ない手持ちの資料を見てみると、なるほどその言葉を裏付けるような歴史が見えてきました。

遠くは我らの「ゴジラ」が生まれた昭和29年。(あえて西暦を使いません(笑)
「もはや戦後ではない」と言われたこの年。「ゴジラ」の他に公開された有名な映画はあの「七人の侍」(黒澤明)・「潮騒」(谷口千吉)。「東宝三羽烏」と呼ばれた名監督の傑作が集中して公開されています。
海外に目を転じてみても、映画の当たり年と言われたこの年は、実に名作の日本公開が多いのです。
ローマの休日・麗しのサブリナ・第17捕虜収容所(以上アメリカ)
恐怖の報酬・嘆きのテレーズ(以上フランス)・・・

どうです?「ゴジラ」と同じ年に「七人の侍」「ローマの休日」「恐怖の報酬」って。
その後の映画の歴史は何だったの?と思うほどの充実ぶり。
いつもの私見ですがこれは、やはり戦後の復興が落ち着き、世界中が経済の建て直しに本格的に乗り出した背景を抜きにしては語れないような気がするのです。
(おおー。映画雑誌のコラムみたいだ。あくまで私見ですからね)

私が大好きな怪獣映画に関しても同じ事が言えます。
「怪獣ブーム」(「第一次」とついたのは後の事ですから)が活況を呈した昭和41年。
この年、日本の総人口は一億人を突破。まさに高度経済成長の真っ只中。日本中がリッチになるべく燃えていた時期でした。ヒーローの生まれる素地は揃っていたのです。

皆さんにはもはや説明の必要も無い「ウルトラマン」が生まれたのがこの年。この戦後最大のヒーローのスタッフに、今回のテーマとなるお話を語った佐々木守さんが加わっていたのは象徴的です。
翌42年にかけて制作された怪獣番組は数知れず。
スクリーンでも怪獣は大活躍で「ガメラ」「大魔神」「ギララ」「ガッパ」など有名どころをはじめ、怪獣映画の転換期作品と言われる「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」が公開されたのもこの時期です。御大ゴジラも「南海の大決闘」「ゴジラの息子」と新たな可能性を模索していました。
ある意味「ゴジラのヒーロー化」に拍車がかかったのもこの時期かもしれませんね。

おそらく、この「ヒーローを切望する時代」のサイクルは、大きさの波はあっても数年に一度、訪れるのだと思っています。つたない私の人生でも、いくつかのムーブメントを体感する度に、その思いは強くなりました。(1971年頃の「変身ブーム」もまともに体験)。

アニメーションやテレビゲームなど、メディアを変えながらのブームを経て時は経ち、迎えた1990年代。(ここだけ西暦。「ヤマト」「ガンダム」が抜けてるって?あれはちょっと違うような気がするのでまた別の機会に。)ここで私などがちょっと驚くムーブメントが起ります。
乱暴にひとくくりで言ってしまえば、いろんな研究誌でも言われている「同時代的な作品」の登場ですね。
「新世紀エヴァンゲリオン」「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年)「ウルトラマンティガ」(1996年)。


この三作品、マニアの間で圧倒的な支持を受けました。(私も支持した一人なので間違いありません(笑)。「エヴァンゲリオン」などは社会現象にまでなりましたね。
このブームが他のブームと違うのは、「作り手とターゲットが同じスタンスに居る」という事です。あのー簡単に言えば、「自分が見たいと思うストーリーを作ったらウケちゃった」って事ですね(笑)。

「同時代的」というのはそういう事で、あきらかに作り手は「昔の怪獣映画やヒーロー番組に熱狂した<元子供>が、その記憶を追体験したくて作っている」感が強いのです。
「新しいのに、どこか懐かしい」という批評が多いのも当然。実際「エヴァ」の庵野監督もいろんなインタビューで「原典」について語っていますしね。(エヴァンゲリオンの「猫背」。あれ、初代ウルトラマンを意識したのは有名なお話)。

また、いくつかの作品に現在公開中の「日本沈没」の樋口監督が関わっている事も象徴的です。彼はこうした「先人の遺産」の影響が強すぎて、「自分達はアレンジャーになることから逃れられない」ジレンマに常に悩まされていると語っています。その答えがおそらく「日本沈没」なのでしょうが・・・

まあ、こんなお話はマニアの皆さんならよくご存知の事。今日お話したいのはこれらが生まれた1990年代という時代です。
21世紀を前にして、人々はヒーローの登場を待っていたのかもしれません。私は作り手側に居たから実感するんですが、この頃「新世紀」とか「新たな時代に」なんてコンセプトの企画を出すと、採用されやすかったんですよ(笑)。
そんな時代の動きが実際形になったのが、前述の三作品だったのかもしれません。実際「ウルトラマンティガ」の企画時、スタッフの中では「新世紀ウルトラマン」という言葉が使われていたそうですから。

そしてこれも感じるのは「ティガ」の「ヒーローじゃないじゃんこれ」感覚。
初代ウルトラマン的な、絶対的なヒーローはもはや、ここには居ません。タイトルは「ウルトラマン」でも、ここでは悩み、傷つき、人間的な弱みを抱える主人公が手にした力が「ウルトラマン」という落とし所なのです。でもこれは斬新でしたねー。番組の中でさえ、作り手が主人公に姿を重ねて悩んでいた姿が見えましたから。

第一次怪獣ブームから40年。作り手も受け手も世代交代を繰り返しながら、みんなが夢想した「夢の新世紀」を迎えて数年が経ちました。冒頭のお話に戻りますが、今リアルタイムで見られる「怪獣」「ヒーロー」の姿がどことなく色あせて感じるのは私だけでしょうか。(やっぱり私だけかな?(笑)

それはやはり、「ヒーローを必要とする時代」ではないからでは、と思ったりするんですよね。「国家がある目標に向かっている時」ではないからかもしれません。
いろんな所で言われる通り、今は「国家一丸」というより「個」の時代。「みんなを守る」より、「愛する一人を守る」方がリアリティーを感じるからかもしれませんね。

「守るもの」を模索し、立ち尽くすヒーロー。今はそんな「ヒーローのエアポケット」の時代なのでしょうか。これはCGIなどの、最新テクノロジーの発達などで解決できるような問題ではないような気もします。

うまく言えませんが、「時代がもう一回転しないと」エポックな作品は生まれないような気がしますねー。
過去の作品の焼き直しでは、オリジナルは越えられないですからね(笑)。

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コメント

いつもながらの切れ味!説得力があります。。「みんなを守る」より、「愛する一人を守る」方がリアリティーを感じる・・・まったく同感です。「抽象」の階段をおりて「具体」によりかからねば、自分が探せなくなったのかもしれません。郷ひろみの歌ではないですけど「あなたが、いるからぼくがいる」みたいな、何か支え合う姿を煮詰めすぎるのが今のトレンデイなのかなと・・・これは、もういくところまで行っちゃうしかないような気がしますね。そうすれば、おっしゃるように、一回転するのかもしれません。

hiyoko様 コメントありがとうございました。
今朝たまたまつけていたテレビのワイドショーで、「浪花のロッキーとハンカチ王子のヒーロー性」について語られていたんですが、結局世間の興味というのは、架空のヒーローそのものにリアリティーを感じなくなっているのかもしれませんね。人知を超えた存在が人々を救うというお話に興味が持てなくなっていると言うか。少子高齢化の背景もありますが、社会の成熟化につれ、現実世界に頑張っている人々に自分の願望を投影する風潮が強いような気もします。

それだけ「想像の世界に遊ぶ」余裕が無くなっているのかもしれません。「個」の時代という意識の変革も含め、今後のヒーロー番組の動向はさらに難しい転機に差し掛かっているんでしょうね。
個人的には、ヒーローのあり方はもっと単純でいいような気がしますね。気まずい問題意識より、まず「スカッとするカタルシス」ですよ。やっぱり(笑)。

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