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2006年8月の記事

2006年8月31日 (木)

監督からの招待状

「・・・この感激!この喜び!ついに勝ちました!ゴジラがそのなきがらを海底深く没し去るのをこの目ではっきりと認めました!」
1954年。ラジオが伝えるゴジラ撃滅の実況に沸き返る、避難所の人たち。カメラはその様子をゆっくりズームアウト。避難所から外へ。(ヒッチコックばりにカメラだけで。)ゴジラに蹂躙された町をロングショットで捉えるカメラ。その町がゆっくりオーバーラップして、1984年現在、繁栄する超高層ビル街へ。
その映像をバックにタイトル「ゴジラ」・・・

こんなシーンあったか?」とお考えの貴方、ごめんなさい。ありません(笑)。
これは、1984年の復活ゴジラ鑑賞後に、私が勝手に想像した「復活ゴジラ」のオープニングです。このタイトルの後、まるで戦後の復興のように、町の再建に奮闘する政府や立ち直っていく都市の様子が「モノクロの写真で」描かれながら、キャスト・スタッフの字幕が流れて・・・と、考えたんですが。
84ゴジラはこれくらい重厚な描き方をして欲しかったなー、なんて願望を含めた妄想を、当時膨らませていたものでした。

好みもありますが、私は映画、テレビ問わず、タイトル前に一つシーンがある、いわゆる「掴み」を持つ作品が好きなんですよ。
確かにいきなりタイトル、というのも悪くはないんですが、作品世界へ私達を引きずり込んでいってくれる「監督からの招待状」的な演出スタイルがお好みで。「アバンタイトル」と呼ばれるこの部分を見るだけで、監督の大体の力量を判断する事もできますしね。(偉そうにって?失礼しました(笑)。
今日は私が選んだ、タイトルが出るまでの「名招待状」の数々です。ポップコーン片手にご覧下さい。

まず何と言っても外せないのは、大好きな特撮映画。
順不同ですが、「吸血鬼ゴケミドロ」(1968年松竹 佐藤肇監督)なんて好きですねー。
赤い空をバックに飛ぶ飛行機。機内でテンポ良く描かれるキャラクター達。不穏な空気が支配する中、突如窓に衝突する鳥達。操縦席の計器異常。そして機上をかすめる、謎の飛行物体!
いやー抜群の掴みです。飛行機が飛んでいるのはここだけですからねー。あとはあの密室劇でしょ?実にうまいと思います。

「宇宙大戦争」(1959年東宝 本多猪四郎監督)も好きな作品。
1966年、地球上空に浮かぶ宇宙ステーションJSS3に突如飛来する謎の円盤。たった三機の円盤になすすべもなく破壊されるステーションというショッキングな場面です。
この演出で、円盤が敵である事、地球の科学力とは圧倒的な差がある事、そして今回の「戦争」は壮絶になるぞ、と、観客の興奮度を高める効果を与えていました。

怪獣映画では「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967年大映 湯浅憲明監督)がお気に入り。
冒頭、海底火山・三宅島の異常活動が報告され、観測所で開かれた記者会見で富士山の噴火を示唆する所長。その直後噴火する「日本の象徴」につられ、飛来する「世紀の大怪獣 ガメラ」!
円谷英二氏へのエールとも言われるネーミングの、主人公栄一少年が叫ぶ「あっ!ガメラだ!」の声が、このシリーズの持つ明るさを象徴していました。

最近の作品ではやはり、金子修介監督作品は外せませんね。
「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年大映)や、「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」(2001年東宝)などは、怪獣映画の王道を行く迫力に満ちていました。

金子作品で言いたいのは、「タイトル文字の出し方」ですねー。重厚感があるんですよ。いかにも「力入れて観てね!」的なメッセージが伝わってきます。
(デザイン学校出身の私は、そういう所にも妙にこだわりがあって(笑)。

次に私が好きなのは、「カルトの帝王」石井輝男監督の作品。
特に新東宝映画時代の諸作品は、淀川長治さんも絶賛した名作ばかりです。
戦後のアクション映画の一翼を確実に担った作品の数々は、そのオープニングもすばらしいものばかり。未見の方もいらっしゃると思いますので、中身を想像しながらご覧下さいね(笑)。

まず「凄いなー」と思ったのは、「女体桟橋」(1958年新東宝)。
この作品は、流麗に捉えた夜の銀座をバックに、思わせぶりな男性ナレーションで開幕します。暗黒街の住民が「東京租界・ポーカーストリート」と呼ぶ地域が、この銀座に存在する事を延々と語るナレーション。観客はここで既に物語に引きずり込まれます。
「ここに並ぶ高級車に、ひそかに差し込まれる桃色のカード。このカードこそ、肉体と交換される手形であり、東京租界のパスポートなのです。」
男性の皆さん、ちょっとドキドキしませんか?
「この物語に疑問をお持ちの方は、ポーカーストリートの一角に高級車を停めてお待ち下さい。東京租界へのパスポート、桃色のカードを手に入れるチャンスに恵まれるかもしれません・・・」車に差し込まれるカード。歩み寄る謎の男性。カードを開けると、(ここでナレーションは小声になって)「あなたは金髪の美女とお付き合いしたくありませんか・・・」
突然、鳴り響くビッグバンドの演奏と共に踊る、半裸の女性。そこにタイトル「女体桟橋」。

このドライブ感は、女性の感覚を持つ私でさえドキドキしてしまう、「掴み」の教科書のようなものですね。あまり知られていない作品ですが、観客を未知の世界にいざなう案内役として、このオープニングは非常に見事と思います。今だに私は、このオープニングを見たくてビデオをデッキに入れることがありますから。

他にも石井作品には、この監督にしか描けない独特の「リズム」があります。オープニングが一つの「曲」になっていると言うか。

「黒線地帯」(1960年新東宝)など、タイトル前のセリフは「あっ!」だけですよ(笑)。
後をつける、謎の男の存在に気づいた女性の発するセリフです。「黒線地帯」というタイトル後、渡辺宙明のアップテンポのタイトル曲に乗って小気味良く描かれる、逃げる女性、追う男のカットバック。
ここではもう、「あっ!」は曲の一部になっているんですね。
他にもアバンタイトルが作品の出来を保証する「黄線地帯」(1960年新東宝)「大悪党作戦」
(1966年松竹)もおすすめ。

石井作品を語りだすときりが無いので(笑)、ちょっと趣向を変えて、テレビ作品を見てみましょうか。
テレビ作品は、一つのテーマを重層的に描ける利点があるので、「ウルトラQ」などのアンソロジーを除いて、印象的なアバンタイトルは少ないですね。
(「怪奇大作戦」(1968年)の「かまいたち」「狂鬼人間」なんてとんでもないアバンもありましたが)
その代わり、何と言っても耳に残るのが、毎回流れる「オープニングナレーション」。

今だに完全に記憶しているナレーションは「マイティジャック」(1968年)ですねー。
「マイティジャックとは。近代科学の粋をこらして建造された万能戦艦マイティ号に乗り込んで、科学時代の悪、Qから、現代社会を防衛する、11人の勇者達の物語である」
なんてカッコイイ!胸躍るナレーション!
このナレーションが冨田勲のテーマ曲と共に流れれば、もう全てOK!となってしまうのでした。
その感じで行くと、「ウルトラQ」の「これから30分・・・」という石坂浩二の名調子も、この部類に入るのでしょう。他にも海外ドラマの「トワイライト・ゾーン」「アウター・リミッツ」「謎の円盤UFO」(ムーンベースは月面基地!)「スパイ大作戦」など名ナレーションはいっぱい。名番組はやはり、「招待状のセンス」もいいんですねー。

さて、ポップコーンがコーヒーに変わっちゃいましたね(笑)。
今私が見ている途中の作品が、日本映画「豹は走った」(1970年東宝 西村潔監督)。アバンタイトルがなかなか良いんですよ。
ある国の革命の様子が写真で描写され、内乱の中、国外へ逃亡する大統領。その名は「ジャカール」。「JACGAR GET AWAY」と打ち出されるタイプの文字の後、赤文字でタイトル「豹は走った」。

加山雄三、田宮二郎主演のアクション映画です。「招待状」は受け取っちゃいましたから、最後まで付き合わないとね(笑)。

2006年8月30日 (水)

ヒーローのエアポケット

突然!マニアの皆さんを驚愕させる、オタクにあるまじきカミングアウト。
私は今、「ウルトラマンメビウス」「仮面ライダーカブト」「ボウケンジャー」「リュウケンドー」などのヒーロー番組を一本も見ていません。(あー言っちゃった)。
やっぱりどんなに見ても、「昔見た番組の焼き直し」ばっかりで。ごめんなさいね。
(「カブト」のクロックアップ、キャスト・オフは斬新と思ったんだけどなー)

何故でしょうね。やっぱり「ウルトラ」「ライダー」「戦隊」などは、今の時代に合わないんでしょうか。あの熱狂的な「怪獣ブーム」を一番多感な時期に過ごした私としては、それを超えるものを期待しているんですが。

今の状況を考える時(OLが何を考えているんでしょうか(笑)20年ほど前にある脚本家が語った言葉が思い出されます。

佐々木守さん。「ウルトラマン」などで実相寺昭雄監督と組んで、数々の異色作を送り出した、特撮ファンには馴染みの深い脚本家です。その佐々木さんがあるウルトラ関係の特別番組でこんな事を語っていました。

「国家がある目標に向かっている時は、ヒーローが生まれやすい」

この特番は初代ウルトラマンを支えたスタッフ・キャストなどを集めた座談会方式のトーク番組でしたが、佐々木さんのこの意見には他の出演者からも異論が無かった事を強く憶えています。

これはなにも難しい理屈じゃなくて(おバカな私にそんな高度な理屈はわかりませんから)
「時代の大きな変革期には、名作、傑作を作るエネルギーが生まれる」という事なんだと思います。
今日、そんな事を考えながら、少ない手持ちの資料を見てみると、なるほどその言葉を裏付けるような歴史が見えてきました。

遠くは我らの「ゴジラ」が生まれた昭和29年。(あえて西暦を使いません(笑)
「もはや戦後ではない」と言われたこの年。「ゴジラ」の他に公開された有名な映画はあの「七人の侍」(黒澤明)・「潮騒」(谷口千吉)。「東宝三羽烏」と呼ばれた名監督の傑作が集中して公開されています。
海外に目を転じてみても、映画の当たり年と言われたこの年は、実に名作の日本公開が多いのです。
ローマの休日・麗しのサブリナ・第17捕虜収容所(以上アメリカ)
恐怖の報酬・嘆きのテレーズ(以上フランス)・・・

どうです?「ゴジラ」と同じ年に「七人の侍」「ローマの休日」「恐怖の報酬」って。
その後の映画の歴史は何だったの?と思うほどの充実ぶり。
いつもの私見ですがこれは、やはり戦後の復興が落ち着き、世界中が経済の建て直しに本格的に乗り出した背景を抜きにしては語れないような気がするのです。
(おおー。映画雑誌のコラムみたいだ。あくまで私見ですからね)

私が大好きな怪獣映画に関しても同じ事が言えます。
「怪獣ブーム」(「第一次」とついたのは後の事ですから)が活況を呈した昭和41年。
この年、日本の総人口は一億人を突破。まさに高度経済成長の真っ只中。日本中がリッチになるべく燃えていた時期でした。ヒーローの生まれる素地は揃っていたのです。

皆さんにはもはや説明の必要も無い「ウルトラマン」が生まれたのがこの年。この戦後最大のヒーローのスタッフに、今回のテーマとなるお話を語った佐々木守さんが加わっていたのは象徴的です。
翌42年にかけて制作された怪獣番組は数知れず。
スクリーンでも怪獣は大活躍で「ガメラ」「大魔神」「ギララ」「ガッパ」など有名どころをはじめ、怪獣映画の転換期作品と言われる「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」が公開されたのもこの時期です。御大ゴジラも「南海の大決闘」「ゴジラの息子」と新たな可能性を模索していました。
ある意味「ゴジラのヒーロー化」に拍車がかかったのもこの時期かもしれませんね。

おそらく、この「ヒーローを切望する時代」のサイクルは、大きさの波はあっても数年に一度、訪れるのだと思っています。つたない私の人生でも、いくつかのムーブメントを体感する度に、その思いは強くなりました。(1971年頃の「変身ブーム」もまともに体験)。

アニメーションやテレビゲームなど、メディアを変えながらのブームを経て時は経ち、迎えた1990年代。(ここだけ西暦。「ヤマト」「ガンダム」が抜けてるって?あれはちょっと違うような気がするのでまた別の機会に。)ここで私などがちょっと驚くムーブメントが起ります。
乱暴にひとくくりで言ってしまえば、いろんな研究誌でも言われている「同時代的な作品」の登場ですね。
「新世紀エヴァンゲリオン」「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年)「ウルトラマンティガ」(1996年)。


この三作品、マニアの間で圧倒的な支持を受けました。(私も支持した一人なので間違いありません(笑)。「エヴァンゲリオン」などは社会現象にまでなりましたね。
このブームが他のブームと違うのは、「作り手とターゲットが同じスタンスに居る」という事です。あのー簡単に言えば、「自分が見たいと思うストーリーを作ったらウケちゃった」って事ですね(笑)。

「同時代的」というのはそういう事で、あきらかに作り手は「昔の怪獣映画やヒーロー番組に熱狂した<元子供>が、その記憶を追体験したくて作っている」感が強いのです。
「新しいのに、どこか懐かしい」という批評が多いのも当然。実際「エヴァ」の庵野監督もいろんなインタビューで「原典」について語っていますしね。(エヴァンゲリオンの「猫背」。あれ、初代ウルトラマンを意識したのは有名なお話)。

また、いくつかの作品に現在公開中の「日本沈没」の樋口監督が関わっている事も象徴的です。彼はこうした「先人の遺産」の影響が強すぎて、「自分達はアレンジャーになることから逃れられない」ジレンマに常に悩まされていると語っています。その答えがおそらく「日本沈没」なのでしょうが・・・

まあ、こんなお話はマニアの皆さんならよくご存知の事。今日お話したいのはこれらが生まれた1990年代という時代です。
21世紀を前にして、人々はヒーローの登場を待っていたのかもしれません。私は作り手側に居たから実感するんですが、この頃「新世紀」とか「新たな時代に」なんてコンセプトの企画を出すと、採用されやすかったんですよ(笑)。
そんな時代の動きが実際形になったのが、前述の三作品だったのかもしれません。実際「ウルトラマンティガ」の企画時、スタッフの中では「新世紀ウルトラマン」という言葉が使われていたそうですから。

そしてこれも感じるのは「ティガ」の「ヒーローじゃないじゃんこれ」感覚。
初代ウルトラマン的な、絶対的なヒーローはもはや、ここには居ません。タイトルは「ウルトラマン」でも、ここでは悩み、傷つき、人間的な弱みを抱える主人公が手にした力が「ウルトラマン」という落とし所なのです。でもこれは斬新でしたねー。番組の中でさえ、作り手が主人公に姿を重ねて悩んでいた姿が見えましたから。

第一次怪獣ブームから40年。作り手も受け手も世代交代を繰り返しながら、みんなが夢想した「夢の新世紀」を迎えて数年が経ちました。冒頭のお話に戻りますが、今リアルタイムで見られる「怪獣」「ヒーロー」の姿がどことなく色あせて感じるのは私だけでしょうか。(やっぱり私だけかな?(笑)

それはやはり、「ヒーローを必要とする時代」ではないからでは、と思ったりするんですよね。「国家がある目標に向かっている時」ではないからかもしれません。
いろんな所で言われる通り、今は「国家一丸」というより「個」の時代。「みんなを守る」より、「愛する一人を守る」方がリアリティーを感じるからかもしれませんね。

「守るもの」を模索し、立ち尽くすヒーロー。今はそんな「ヒーローのエアポケット」の時代なのでしょうか。これはCGIなどの、最新テクノロジーの発達などで解決できるような問題ではないような気もします。

うまく言えませんが、「時代がもう一回転しないと」エポックな作品は生まれないような気がしますねー。
過去の作品の焼き直しでは、オリジナルは越えられないですからね(笑)。

2006年8月29日 (火)

没有規定都市<江門>

目の前に迫る巨大なバス!「ぶつかる!」と思った瞬間、バスは何事もなかったように私達の車の横をすり抜けて・・・

昨日の「香港」のお話で、古い記憶を紐解いていたら、懐かしい海外の思い出が次々と甦ってきました。
今日は昨日の続きとして、私が経験した海外の恥ずかしいエピソードをお話しましょう。海外経験の多い方には退屈かもしれません。お許し下さいね。

1994年5月。前日の徹夜で朦朧とした意識もさめやらぬまま、私は香港行きの飛行機に乗っていました。
やがて到着した香港、啓徳国際空港。ここからさらに船で2時間。今回の私の目的地はそんな、中国奥地の地方都市です。
本音を言うと私、この旅行は行きたくなかったんです。現地でのいろいろな噂は聞いていたし、日本との国交が開かれたばかりの都市と言う事で不安も・・・
案の定、物凄いカルチャーショック満載の、映画じゃ味わえない旅になりましたが(笑)。

この渡航は仕事で、私はディレクターとしてスポンサー、代理店担当者、カメラマンとの4人グループを編成、ほとんど探検隊のノリで現地へ向かったのでした。
広い川は中国特有の黄色い濁流で、前途の不安は増すばかり。不安におののく一行を乗せて進む船は、まるで「地獄の黙示録」状態。川岸のジャングルからいつ銃弾が飛んできても不思議じゃない雰囲気(笑)。

江門市(「ジャンメン市」と呼びます)。広東省の一都市として、当時他国との国交を開いたばかりの開放都市です。94年当時、若干の現地工業を除いてさほど大きな産業を持たない、のどかな地方都市でした。
日本人に対して免疫の無かったこの都市は、まず私達の上陸からその牙を剥いたのでした。(盛り上げすぎですかね(笑)。

船を降りた私達にいきなり突きつけられる自動小銃!本物の銃なんて初めて見ました。
どうやらマスコミ関係者に対する過剰な反応のようで。カメラ、テープ他の機材から全員の荷物まで没収、イミグレーションで待たされるという緊急事態に。

慌てますよねー。なにしろ英語も通じない。広東語特有のテンポの早いまくし立てに迫力負けして、あわや拷問?ここで命を散らすの?と「ランボー」のような展開にちょっと喜んだりして。こういう所がお気楽なおバカなんですが。

結局スポンサーが現地の有力者(これがまた謎に包まれた存在で)に話をつけて、私達はやがて解放され、荷物も半日後には返ってきたのでした。
なければ仕事にならない所でしたから。大変でした。

この時の仕事は、廃農ビ(ビニールハウスなどの廃材ですね)の海外での使用状況を取材するという物。実際工場でリサイクルされている所をロケした訳です。
その仕事そのものは順調そのものだったんですが、何よりも私達を驚かせたのは現地の文化の数々。

中国には「没有規定」という言葉があるそうで。「ルールが無い」と訳すそうです。その通りでしたねー。本当にものすごい都市。目の前で起きることが信じられない。

まず、取材地へ行く為私達が乗ったタクシー。これ、日本車だったんですよ。
「あー、こんなところにも日本車が」と思って安心して、助手席に乗ってビックリ。
助手席の床に細長い穴が、「どっかで見たような・・・あ!」
自動車学校の教習車。あの、教官が踏む助手席のブレーキ。あの跡だったんですね。
要は払い下げの教習車が流れ流れて、この街でタクシーになっていたと。まあ、それはまだ「アリ」なんですが、このタクシー、走り出したらなんと、ドアがはずれかかっちゃって、内側から慌てて押さえる始末で。もちろん窓なんか開きません。
「ダイ・ハード3」もビックリ(笑)。

街の中心を貫くメインストリートを走りながら(もちろんドアは押さえたままで)不安に駆られていると、これまたショック!
この道、6車線ぐらいあるのに中央分離帯がないんです。つまり、対向車が正面衝突直前でドライビングテクニックだけですれ違うという、恐ろしい状態。現地のガイドさんが笑いながら言いました。「事故もよく起るんですよ」やっぱり来るんじゃなかった!
冒頭のバスとのすれ違いはこの時。まるで「スピード」の一場面。(私的には「大都会PARTⅢ」と言いたいですが)

現地での取材は順調だったんですが、何しろ暑い。温帯夏雨気候のこの土地は、湿気も多く体力が奪われます。もうクタクタになってやっとありつけたお昼ご飯。ここでまた私達は恐怖の体験をする事に。
現地スポンサーとしてはご馳走のつもりだったそうなんですが、連れて行ってもらったお店の看板は「虎・龍料理」と書いてあるだけ。いやな予感。
出てきた料理は角煮とスープ。何てことないと角煮に口をつけたまではよかったんですが、どうにも不思議な味。「何ですかこれ?」と聞いてもガイドさんは「羊です」と笑うだけ。
じゃあ「虎・龍」という看板の意味は・・・?もうお分かりですね。

そうです。角煮は羊ではなく、「猫」だったのです。「虎」というのは猫料理の意味。「広東省では、四つ足の物は机以外なんでも食べる」って本当だったんですね。
ちなみに「龍」は?そう、「蛇」です。


スープに浮いているまだらの模様は蛇の皮。私達は最初に口をつける役目をジャンケンで決めました。私の負け。その味は・・・味なんか分かりません!
午後の仕事も終わり、全然気分も休まらずにたどり着いたホテル。ここも凄い所でした。部屋は綺麗でしたが、高温多湿の地である為、渡り廊下に大きなミミズが!
「エイリアン」のチェストバスターもかくや、という大きさ(に見えました)のミミズは渡り廊下の主のように、堂々と真ん中を歩いていたのでした(笑)。

翌朝、街中を取材に出た私達に、またしてもカルチャーショックが。
歩道で私の前を歩いていたカメラマンが突然、消えたのです。
「えっ?ケムール人の侵略?」と思って下を見たら、なんと歩道の側溝の蓋が外れ、彼ははまっていたのでした。現地の側溝の深さはなんと2メートル以上。

落ちたら大ケガです。蓋が外れた疑問より、深さ2メートルの側溝の方が驚異でした。

まさしく「ブレードランナー」を彷彿とさせる、迷路のような路地。迷ったら二度と帰れないような魔力に満ちた街。でもなぜか私にはこの街が懐かしく思えました。

今だに街を走る、「ミゼット」タイプの三輪トラック。(荷台がタクシーになってるんです)
現地の人が食べる朝ゴハン、ラーメンと揚げパンの定食。(こんな大ボリュームでも、朝からOLさんがもりもり食べてました)。
宿泊ホテルの女性スタッフが歌ってくれた、物悲しい現地の民謡。
「ちょっと冒険してみよう」なんて飛び込んだ理髪店。(当時、現地では美容院が存在していなくて、女性も理髪店で髪を切っていたんです。私の隣の席でも現地の女性がセットしてもらっていました)

懐かしさとエネルギッシュな輝きに満ちた街、江門。
その空気はきっと、あの「ALWAYS 三丁目の夕日」を思わせる物なのでしょう。
私はこの映画を観ていませんが、12年前に遠い中国の地でそれを体験していたのです。

最後にこれも、ドラマのようなオチ。
取材も全部終わって、さあ出国、となった時、突然現地政府から「待った」の声が。どうもお話を聞いてみると、取材した廃農ビは、工場の屋外へ放置する事は法律で禁じられているそうで。「えーっ?撮った絵はそんなのばっかりなのに!」
泣く泣くその場で、その映像だけは「消去」したのでした。
半分以上消滅した映像を見ながら、私は「スパイ大作戦」を思い出していました。
どうやら私は今回も「当局の指令」に応えられなかったようです(涙)。

長々とごめんなさい。こんなもんですよ。海外取材なんて。
他にもお話はまだあるんですが、今回はこんな所で。

この夏も海外に出かけられた方は大勢いらっしゃるんでしょうね。私はこんな旅ばっかりで、皆さんが羨ましいです(笑)。

2006年8月28日 (月)

セピアに煙る魔都

・・・降り出しちゃった。
せっかくのお休み、張り切って出かけようとしたウォーキングの出鼻を挫かれて、私はちょっとテンション下がり気味。
それでも傘を取りに戻って、いつもの公園へ。

今日は最高気温27.9度。久々に真夏日の暑さも無く、非常用のアクティブ・ダイエットも出番はありません。そぼ降る雨は、いつもすれ違う散歩の人々の足を鈍らせ、公園の中は私一人。
いつも休憩するベンチに腰を下ろすと、毎日が暑さとの戦いだったウォーキングルートにも、秋の気配が漂い始めた事に気がつきました。

こんな涼しい雨の日に、ベンチで木の葉を流れる雨粒を見ていると、私の中にはある記憶が蘇ります。

今まで数える程しか行っていない海外の中でも、ひときわ心に影を残す、雨の香港。

お恥ずかしい話、いい年をして私は、ほとんど渡航経験がありません。行った所もほとんどがアジアばかり。アメリカやヨーロッパなどには足を向ける機会などありませんでしたが、私には中国・香港・シンガポールなどの雑多でエネルギッシュな雰囲気が肌に合うようです。特に旅行、仕事を問わず向かった香港には特別な思いがあります。

なぜ、私の中で香港には雨のイメージが付きまとうのか。
その答えは大好きな映画「ブレードランナー」(1982-1991年アメリカ)にあります。
「ネヴュラ」でも何度かお話しましたよね。

Photo_146  未来のロサンゼルスを舞台に繰り広げられる、人工生命体レプリカントと、それを識別し抹殺する「ブレードランナー」の戦いを描いたこの作品。 「エイリアン」のリドリー・スコット監督が手がけた名作SF映画として、現在もいろいろな映画に影響を与えるカルト・ムービーです。皆さんももうご存知ですよね。
この映画、1982年の初公開時には不評だったそうです。その後じわじわと人気が高まり、1991年にはリドリー・スコットの意に即した形に再編集されて、「最終版」として再公開された事も有名なお話。初公開版に比べ、主演ハリソン・フォードのナレーション削除、本篇中のシーンの追加、エンディングの変更などの手が加えられました。

私はこの改訂された「最終版」が大好きであるばかりか、これがリドリー・スコットの最高傑作と思っています。ナレーションの削除により登場人物の表情に意識が集中でき、ペシミスティックなエンディングは物語の余韻を楽しむ愉悦を与えてくれます。

いずれのバージョンもある種の魔力に満ちた「ブレードランナー」。この作品で大きく心に残るのが、2019年のロサンゼルスに降りしきる「酸の雨」でした。

映画のオープニングからラストまで、ロサンゼルスを重く、暗く閉ざす「酸の雨」。アジア趣味が横溢し、街中に日本語が溢れる未来のロサンゼルスは、「静かに滅びゆく世界」の象徴として、私の中に強い影を落としたのでした。

1989年、私は生まれて初めて、香港の地を踏みました。
エネルギッシュな中に退廃の香りが色濃く流れるこの街は、私の訪問を雨で迎えてくれました。
決して強い雨ではありませんでしたが、そぼ降る雨にセピアに煙る街は私に「ブレードランナー」の世界を思い起こさせてくれました。
勢いに溢れながらも、どこか物悲しい街。中国への返還を数年後に控え、街は文字通り混沌とした空気に包まれていたのでした。

やがて雨も止み、街に繰り出した私達でしたが、そこでも私の心には「ブレードランナー」の空気が宿っていました。
非合法に円を高レートで香港ドルに換金する、闇組織ばかりが入ったビル。換金後、どこかへ連れて行かれるのではないかと生きた心地がしませんでした。
知らない間にカッターナイフで切り裂かれたビニールバッグ。
ガイドさんに「ここは駆け抜けないと家から手が出て引きずり込まれる」と言われ、全速力で走った「バード・ストリート」。
街角の露店に並ぶ、ミラーボールが付いたラジカセ。
異様な匂いを放つ「むささびの開き」の串刺しなど、この危なさはもはや完全に2019年のロサンゼルス。
道路に広く張り出した看板に切り取られ、空はほとんど見えません。わずかに雨上がりの淀んだ雲が流れるだけ。

Photo_145 このオープンセットのような街に佇んで、私は幸福でした。
どこか懐かしい、しかし自分の過去とは微妙に違う「デジャブー」を楽しんでいたのかもしれません。

頭の中に流れるのはもちろん映画を彩ったヴァンゲリスのナンバー。

なぜ私達は、「ブレードランナー」の世界観に、これ程惹かれるのでしょうか。
かつては「魔都」と言われた香港を感じながら、私はその時思いました。
「きっと人は、発達しすぎたテクノロジーに疲れているんだろうなあ」なんて。

こんな「懐かしい未来」の中で滅んで行きたい。人は無意識に、そう望んでいるのかもしれません。

Photo_147 きっと当時でもクラシックであっただろう、物悲しい胡弓の調べが流れる街中を歩きながら、この街のどこかに居るかもしれない、ショーン・ヤング扮する「レイチェル」の影を追い求める私がいました。
主人公ハリソン・フォード扮する「デッカード」が心を寄せる女性、レイチェル。彼女のような儚い生き方にも、なぜか惹かれてしまう私(笑)。

奇しくもこの香港旅行は1989年1月7日を跨いでいました。そうです。昭和天皇崩御の日です。私は昭和を香港で終えたのです。
「懐かしい未来」で昭和を終えた私。それ以来私の中には、ブレードランナーの記憶と共に、雨の香港が永遠に住み着いたのでした。

・・・さて、雨も止んだようです。公園を出て家路をたどる私の前に、開いた傘が置いてありました。傘の向こうには動物の気配。誰かが野良猫に餌をやっているのでした。
猫の前にはなぜか缶詰が二つ。私もなにかあげようかと思ったんですが、やめました。

猫が「二つで充分ですよ」と言ったような気がしたからです(笑)。

2006年8月27日 (日)

九十九本目の小娘

おかげさまでこの「恋するネヴュラ」も、開館以来三ヶ月とちょっと。記事数もこれで99本目となりました。
「継続は力」とは言いますが、つまらない私見でも自分で読み返してみると一本一本が可愛いもので。私の場合、見た作品やコレクション毎に独立した記事を書いていないので、なんか支離滅裂っぽいのですが、ほぼ毎日更新のライブ感は出ているなあ。なんて。

さて。「どうせこんな事書くならなんで100本目にしないの?」という皆さんのツッコミにお答えして、今日のお話を。
この所、家で見る映画は日本映画史に燦然と輝く「名作」ばっかりでした。その為、贅沢ながらちょっと肩が凝っちゃいまして。偏食は良くないなー、なんて言いながら昔集めたVHSを整理していたら、出てきたんですよ。

「九十九本目の生娘」(1959年新東宝・曲谷守平監督)が。

この映画、「ネヴュラ」をご覧の方なら、ご存知の方も多いと思います。稀代の興行師、大蔵貢。彼が支配した頃の新東宝映画の中でも、ひときわ異彩を放つ作品群の一翼を担った世紀の「怪作」です。
せっかく今日の記事は99本目だし、タイトルに引っ掛けて久しぶりに見ちゃおうかな、なんて軽いノリで再見、いつもの私見を書いちゃおうという訳です。

今も秒刻みで更新されている世界中のブログの中でも、この作品についての記事を書いているのは私だけ?と思うくらい「知られざる作品」。昔見た時もかなりの毒気を持っていましたが、再見しても印象は全く変わりませんでした。

ストーリーのさわりをちょっとご紹介しましょう。ややネタバレを含みますのでご注意くださいね。
舞台は現代。場所は北上川上流の、山間いのある村。
ここに位置する白山神社では10年に一度、「火づくりの儀式」という謎の儀式が行われようとしていました。
都会から村へ遊びに来ていた女性二人が謎の失踪を遂げます。その秘密を握るのは、村から離れて暮らす刀鍛冶の一族。
女性失踪の戦慄すべき理由とは・・・

どうです?ちょっと横溝作品っぽいおどろおどろしさが漂う、魅力的なストーリーでしょう?
私は以前見て以来、ストーリーをほぼ忘れていたので、今日は実に楽しめました。
それにしてもこの作品、今では絶対に考えられないストーリー展開ですねー。というのは、人里離れた山の中に潜む、何代も続いた一族、なんて設定は、今や通用しないですから。世の中にまだ「秘境」が存在していた頃のお話ですね。

物語前半はその一族と村の対立、中立の立場をとる白山神社の宮司、女性失踪の謎などが描かれ、後半は一族と村の警察との攻防が展開されるんですが、これがまた凄い。
一族は基本的に山で暮らす世捨て人の集団なので、格好が全員「着物」なんですよ。で、一族の部落は近代設備が一切無い。刀鍛冶なんですが「忍者」の雰囲気。
だから部落の映像だけ見ているともう「時代劇」なんです。昭和34年当時、こんな部落というのもあったんでしょうか。
私は比較的町育ちなので、こういう感覚はちょっと分かりません。生まれる前のお話ですし(笑)。

オタクな私が思い出す感覚としては、この前半の雰囲気はテレビ時代劇「仮面の忍者赤影」(1967年東映)に近い。
この作品はモノクロですから、「赤影」をもっと大人向けにして陰惨さを加えた感じでしょうか。一族は長を中心に絶対的な統制が図られていることからも、忍者の里、という雰囲気が漂います。

未見の方も多いでしょうからストーリーはずっとはしょって、後半クライマックスのテイストだけお話しましょう。
前述の通り、一族はまるで「忍者」のようですから村の警察の機動力には叶わない、と思いきや、これが以外にも互角の戦いをするんですねー。
イメージとしては「戦国自衛隊」(1979角川)に近い。だって警官のライフル銃に弓矢で対抗ですよ。地の利を生かして森の中から攻撃してくる一族。追い詰められる警官隊、なんてものすごい展開。空に警察のヘリが飛ばなければ現代劇とは思えない。警官は制服ですから現代劇なんですが、このシーンはまるで警官がタイムスリップしたような感覚を観客に与えます。

その結末も、ちょっと今では考えられないハードかつ悲しいものです。(伏せておきましょう)。すべてを貫くのは「九十九本目の生娘」というタイトルなんですね。この看板に偽りはないんです。
この作品には大河内常平さんという方の原作があるそうなんですが、当時の新東宝の事、劇場向けにどれだけ改変されたかはちょっと不明です。
どこをどう考えればこんな荒唐無稽なお話が生まれるのか。新東宝映画の奥深さには感服せざるをえません。

とはいえ脚本は「吸血鬼ゴケミドロ」(1968年松竹)の高久進(藤島二郎と共作)ですから、観客を作品世界にいざなう手腕は見事なもの。
最近のひとりよがりな「アート系」作品が及ぶべきもない、「見やすい作品」です。
若き日の菅原文太、怪優沼田曜一、めずらしく存在感の薄い三原葉子など、新東宝映画の常連も顔を揃えています。
そしてこの作品を見たらおそらく頭から離れないほど強烈な印象を持つキャラクターが一人。これはご覧になってのお楽しみです(笑)。

それにしてもこの頃の新東宝作品って、どの会社も持ち得ない独特のカラーとテイストを持っていますよねー。ジャンル分けができないというか。
当時でも「エログロの極致」「子供が見たらいけない作品」なんて言われて、不当な評価をされていた訳ですが、今見ると毒もある代わりに発想の飛躍も半端じゃない、面白い作品が目白押しです。新東宝映画の熱狂的な研究者が多い理由も分かるような気がします。

私的には「チクロの味がする映画」なんて洒落てみたいんですが。有害なのにおいしい(笑)。

しかしながらその面白さは、飛躍した発想を映像化できる、確かな演出力あったればこそ、なんて気もします。日本映画界で名を馳せた、石井輝男や中川信夫などを輩出したのは他ならぬ新東宝映画なのですから。
おそらく当時の大蔵貢の「映画は見世物」という経営方針を押し付けられても、自分の確固たる作風を守り抜く意思と恵まれたスタッフに支えられた事が、奇跡のような作品群を作り続けられた原動力だったんでしょうね。
後で調べたらこの作品、9月2日から行われるシネマヴェーラ渋谷の特集で上映されるようで。未見の方、これはチャンスですよ。

この新東宝映画の世界をはじめ、私には邦画、洋画問わず、まだまだ未見の作品が山のようにあります。勉強が足りませんねー。やっぱり食わず嫌いは体に悪い。出来る限り時間を作って、鑑賞にいそしみたい気持ちは山々なんですが・・・
「ネヴュラ」99本目にしてこの体たらく。
映画に関しても私はまだまだ「小娘」のようです。

皆さん、これからもご教授よろしくお願いしますね(笑)。

2006年8月26日 (土)

傍観するカメラ・主張するカメラ

「普通じゃないよ!成瀬の画角!」
ひょんな事から電話をかけた昔の映画仲間。積もる話もそこそこに、やっぱり出るのは私と同じ「私見」の数々。(彼はオタクですが「クイーン」ではありません(笑)。
受話器の向こうで彼が主張するのは「成瀬巳喜男の映画の画角は、人物の上のスペースが広く撮られている、いわゆる「天空き」である」という事でした。

小津安二郎など、カメラワークに際立った特徴を持つ監督とは異質の「作り手知らずの名匠」成瀬巳喜男。
以前「ネヴュラ」でも書いたと思います。「天空き」という事が特に印象に残らなかった私は、映像表現のセオリーである「人物は仰角(下から見上げるような角度)で撮ると「人物を賛美しているような」表現となり、逆に俯瞰(上から見るような角度)で撮れば「やや人物を矮小化した」表現となる事を話しました。

登場人物の哀しい境遇を表現する為に意識的に空の面積を増やし、人物の儚さを表現したのでは・・・なんてね。

久しぶりに映画論を戦わせて、ちょっとテンションが上がっていた私は、(またしても)成瀬監督の代表作「浮雲」(1955年東宝)を鑑賞。わりとしつこいんです。私。

再見してみると、なるほど「微妙に」天空きですね。特に外のシーンでは意識的に空を入れ込んでいるような感じもあります。「浮雲」のタイトル通り、観客に空と、流れる雲を印象付けたかったのかもしれません。でもその目論見は残念ながら失敗に終わっているような気も。雲が薄くてよく見えません。
雲をうまく使った作品なら小津の「麦秋」(1951年松竹)。ラスト近く、菅井一郎が道端でため息をつくシーンに使われた雲が、モノクロの画面によく映えていました。

往年の邦画が再評価されて久しいですが、成瀬巳喜男ほど不当な評価をされ続けた監督も少ないと思います。
東宝という会社の中にあって、常に黒澤明の影でナンバー2に甘んじた印象さえある成瀬。しかし、「浮雲」発表当時、同時期に公開されていた「七人の侍」を、興行成績でも大きく引き離していた事実は、やはり実力に裏打ちされた物だと思うのです。

Photo_142 成瀬演出が評価されにくいのは、以前にも書いた「普通の撮り方」「特徴のなさ」ではないかと思います。誰でも撮れそうで絶対撮れない。その凄さを垣間見たのは、冒頭の彼から譲られた、成瀬作品の関連本を読んだ時でした。
この本は成瀬作品をはじめ、多くの東宝映画に関わった美術監督、中古智さんのインタビュー本で、作品毎の成瀬演出を紐解く上で便利な研究書。

久しぶりに読んでビックリしたんですが、「浮雲」中盤で森雅之と高峰秀子が向かう長岡の温泉。宿屋からお風呂へ続く急な屋外の階段って、セットだったんですね!
(ひょっとして私、物凄く基本的な事を今更発見してます?そんな事も知らないでオタクを名乗るなって?)
あのシーンを見て考えてみれば、そりゃそうですよねー。あの朝、二人がゆっくり階段を登ってお風呂へ向かう「いい風情」のカット。2カットに別れてはいますが、あんなスムーズなカメラの動きはクレーンを使わなきゃ出来ないですもん。

このエピソードに見られるように、成瀬作品はおそらく、カットを普通に撮ったように見せる為、とんでもない準備と努力をしているんですよ。昭和21年が舞台のお話だけに、戦争で焼き払われたマーケットの鉄骨が大きくそびえる町のシーンだって、実に周到に計算された「成瀬組」の努力によって成り立っているんですねー。

事実、当時の大きなカメラなどの機材で部屋の中などを撮影しようとすれば、本当の部屋を使えばものすごく狭く映ってしまう。壁が取り外せるセットでなければ「部屋を普通の広さに映す」なんて不可能なんです。セットについてはテレビドラマのメイキングでご覧になる事もありますよね。

しかし成瀬作品は、そんな準備の上に立ってもカメラが自己を主張しません。「浮雲」の中で人物がアップになるカットは非常に少なく、あっても高峰秀子がほとんど。森雅之はほぼ無視状態です(笑)。あくまでスタンダードを守る画角で全体が貫かれています。極端なズームやパン、ティルトもなし。
「成瀬作品は人物を観る眼が冷酷だ」と言われる事がありますが、それはこのカメラワークによっても表現されているのでは。
悲劇の二人がどんな境遇になっても、それを淡々と捉えるだけのカメラは、登場人物側ではなく、あくまで一歩引いた「傍観者」としての立場を与えられているのです。
その冷酷なまでのカメラワークが、物語の悲劇性をより高めていたのは言うまでもないでしょう。

Photo_143 こんな事を考えたとき、私の中で真っ先に思い浮かぶのが「サスペンスの巨匠」アルフレッド・ヒッチコック。
世界中の映画監督が編集の教科書としたシャワーシーンで有名な「サイコ」(1960年アメリカ)などは、つたない私の知識では成瀬作品の対極に位置する作品です。華麗なカメラワークを駆使するヒッチコックは、自作で数々のミラクルカットを物にしていますが、この「サイコ」でもその才気あふれる演出は健在ですよね。

これもたまたま「階段」のカット。物語中盤、主人公の母親が住む「ベイツ・マンション」に忍び込んだ探偵は、またも謎の人物の犠牲者になってしまいます。惨劇の後、主人公アンソニー・パーキンスがそのマンションの階段を登っていくときの、見事なカメラワーク!
カメラはワンカットで、まるで宙に舞い上がるかのような動きを見せ、「母親」の部屋を望むドアの真上で止まるのです。(ごめんなさい言葉足らずで。あの興奮を伝える術が見つかりません)。

このカメラワークを「神の視点」と呼んだ知り合いがいます。「サイコ」に限らず、ヒッチコック作品で見られるカメラワークには、傍観者の対極となる「第三の登場人物」としての明確な意思が感じられます。このカットで言えば「この探偵を殺したのは・・・もしかするとこの人物?」的な視線を投げかけ、観客の心理をリードする役目を担っているのです。
「カットを割って、エモーションの流れを断ち切りたくない」という理由でヒッチコックが採用したこのショット。シャワーシーンと並んで「サイコ」の顔となる、華麗なショットですね。
自分の存在を示し、観客に主張するカメラ。
ヒッチコックの諸作がしばしば「悪夢のようだ」と言われるのは、そんな特殊なカメラワークに寄る所が大きいのです。


「浮雲」と「サイコ」。比較するにはあまりに乱暴な2本ですね(笑)。
まあ、例によっておバカな私の独り言。軽く流していただければ・・・。
作品のテーマや監督の資質、演出方法によって、カメラの役割まで大きく変わる映像作品はまだまだ奥が深い。
これからはきっと、一般作品にも普及したCGIの使い方が大きな課題でしょうね。「万能の道具」って、実は一番使うのが難しいですもんねえ。

2006年8月25日 (金)

「特技・怪獣オタク」

今日の「ネヴュラ」は、まずこの質問からスタートです。資料を何も見ないで、今日の記事を読み終わるまでに考えて下さい。

「ゴジラ」第一作の封切年月日は?

ちょっと前ですが、私の携帯に珍しい人から電話がかかってきました。昔番組で出演をお願いした女性リポーター。
「ちょっとお尋ねしたいんですが・・・」と聞かれたのが、冒頭の質問。
「実は今、ラジオで番組を持ってまして、今回「誕生日」というテーマでフリートークをしようということになったんです。それで「ゴジラ」の誕生日を調べようとしたんですが、分かりそうな人と言えば・・・そういうの詳しいですよね?」

Photo_138 そりゃもう・・・と言う訳で、調べましたよゴジラ、ガメラから聞かれもしないのに大魔神、ウルトラマン、仮面ライダー。
「マニアの間では封切日、または第一話放映日を便宜上誕生日と呼ぶ」
なんて偉そうに講釈しちゃったりして。私、改めて自分の「オタク魂」に慄然としちゃいましたが。

友達は勿論の事、仕事仲間や局のスタッフ、果ては取材先の人たちにまで知れ渡っている私の「映画、怪獣オタク」。何故知れ渡っているか?それは会う人に私からお話を振るからなんです。つまるところ私のオタク趣味は一種の「コミュニケーションツール」なんですよ。
例えばこんな事がありました。ある地方に取材に行きまして、一緒に向かった初対面の仲間とお酒の席でカラオケを歌った時の事。
皆さんがそれなりの「普通の歌」を歌った後で私はなんと「豹の眼」を歌ったんです。実はこの選曲がミソ。
お店のママさんも「快傑ハリマオを歌う人はよく居るけど、「豹の眼」は少ないわー」。ここで一気に趣味の話に突入する訳ですね。
私達の年代にとって、怪獣やテレビの話題は「共通世代」の証なので、お互いに探りあいが続いていた仲間も風通しが良くなって、スムーズに仕事ができました。

こんな事もありましたね。岐阜県に取材に行った時、駅前ビルの担当者にインタビューしたんですが、その人緊張しちゃってなかなか喋れない。
間を持たせるために「この岐阜駅前って、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖 明日なき男」って映画で最初に出てきますが、今と全然違いますねー」なんて言ったらこれが大当たり。その人「トニー」の大ファンで、人が変わったように饒舌になっちゃって(笑)。
県内の野麦峠へ行った時も「ああ野麦峠」の話をしたら、「家のばあちゃんがあの映画のエキストラで出た」なんて人が現れて、思わぬ取材ができちゃったり。

分かっています。それは多分に私がテレビ関係者だからあり得るという事も。でも、テレビのお仕事を続けていくなら、この趣味を隠しておく必要はまったくないですもんね。
実際このオタク趣味を局関係者に話したら、もう「本物」の話が出るわ出るわ。
Photo_139 「あの人はマグマ大使の照明スタッフだった」「俺は暗闇仕留人のカメラマンだった」「電人ザボーガーのカメラマンと知り合いだ」・・・「えーっ!」の嵐。
自慢でもなんでもないんですよ。私も皆さんとまったく同じレベルで、驚きを隠せませんでした。これだって、私の趣味を話さなければ知りえなかった事ばかりです。

Photo_140 そう考えたとき、私の中で何かが変わりました。
「オタクイーン、次のページへ」ですかね(笑)。
同業者じゃない知り合いにも、私のオタク趣味はどんどん広めていこうと思ったんですね。だから全く隠さない。冒頭の女性リポーターにだって、取材の移動中そんな話ばっかりしてましたから。彼女がゴジラの誕生日の事で私を思い出したのも無理はないんです。

でもそうなってくると今度は「責任」が出てきますよね。
仮にも私の情報が公共の電波に乗る可能性だって出てくる訳ですから、それなりの「裏」はとらなきゃならない。自分の手持ちの資料をひっくり返して記述に誤りがないか調べる。
この辺は仕事の経験上やり方は心得ているつもりですが・・・。

「冥王星を太陽系から外す」なんて今日のニュースにもある通り、今までの常識なんて一瞬で変わります。
過去のテレビシリーズの放映順、放映日時なんて最たるもの。新しい資料が発見されれば古いデータなんて不要になっちゃうんです。
オタクの私としてはこの点に気をつけなければと思いますね。
要は「データが更新された事を知らずに、いつまでも過去のデータを参考にしている」と言われたくない訳で。
そこが「オタクとしての私の良心」なのかもしれません。
(そう言っていながら穴だらけなのもよーく分かってるんですが(泣)。

Photo_141 本当はそんな、過去の記憶を数値化するような、夢のない事はしたくないんです。今までの私の記事をごらんの方々はお分かりでしょう。思い出と遊んでるだけですから(笑)。
でも、それを仕事に活かそうとすると、どうしてもそういうクールな部分も必要になってくる。「趣味を仕事にしてしまった者について回る十字架」ですかねー。
人によってはそれをしたくないために、あえて趣味のまま留めておく、という方もいらっしゃいます。それはそれで、むしろ私には出来ない、強く立派なお考えなのです。

趣味を仕事にしちゃうっていうのは、本当は弱い事なのかもしれませんね。「遊んでいたい」という考えに通じるものがありますから。でも私には今までの「本物に触れた記憶」が、趣味だけで終わらなかったゆえの大きな財産のように思えるのです。

皆さんはいかがですか?他のブログを拝見すると、皆さん明るく楽しく怪獣とたわむれていらっしゃる。これが一番いいんですよ。好きなものは好きと言えなきゃ毎日張りがでませんものねー。

なんか今日は語っちゃいましたねー。ごめんなさい。この残暑の中、余計暑苦しい事書いちゃって。
最後にこれも、別の女子アナに言われた言葉。

「あなた程、自分の事を堂々とオタクだという人に会った事ないわ」。
これは褒め言葉なんでしょうか?
(最初の質問の答え、書くだけ野暮ですよね。)

2006年8月24日 (木)

蒼き流星ウルトラセブン

「天気予報はここでやるんだっけ?」
アナウンサーの声が響く報道スタジオ。そうです。私は今日、スタジオ収録のお仕事。
キャスターの前で「キュー」を振る、フロアディレクターの役目です。

アナウンサーというのは収録の合間はなにかとヒマなもので、準備や副調整室とのやりとりに追われる私を尻目に、普段の自分の「ベーススタジオ」以外で訪れた場所をあちこち見回って遊んでいます。

彼の興味を引いたのは、俗に言う「お天気お姉さん」のテリトリー、「クロマキーボード」の前。皆さんもニュースでご覧になった事がありますよね。
天気図の前で気象予報士が「明日も残暑が厳しいです」なんてやっている場所です。
あれ、画面上は人の後ろに天気図が映ってますが、スタジオでは巨大な青いボードの前に人が立って、ボードを指し示しているだけなんですよ。ひょっとしてスタジオ見学などで体験された方もいらっしゃるかもしれませんね。

あの「クロマキーボード」って、スタジオ上では本当にそっけない物なんですけど、画面で見ると天気図が全面に映って、実に効果的に見えますよね。
実際の所、スタジオで見られる初歩的な「特撮」として、私などはいろんな使い道を夢想しては、一人悦に入っています。

以前一度、こうした「クロマキーボード」で、「特撮」に挑戦した事がありました。
それはいわゆる「オリジナルビデオ」で、安藤広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」の一枚をボードに映し出して、中から江戸時代の旅人に扮した俳優が抜け出てくるという、かなり大掛かりかつ本格的なものでした。
実際副調整室で見ていると、静止画だった浮世絵の旅人がオーバーラップして俳優に変わった瞬間、まるで「怪奇大作戦・殺人回路」のダイアナばりの感動を覚えたものです。

前ふりはこれくらいにしましょうか。
今日の本題は「ウルトラセブン」。
1967年、TBS空想特撮シリーズの第3弾として、日曜夜7時の「タケダアワー」に登場したSFヒーローです。

「ウルトラシリーズ最高傑作」との呼び声も高いこの作品。「ネヴュラ」読者の皆さんならもう既にDVDに穴の開く程ご覧になっていますよね。識者による分析、評論のたぐいも多いので、おバカな私などが語れる事などたかが知れていますが。

文献をひもといていて、私が感銘を受けた事実があります。
ウルトラセブンの体の色についてです。

「成田亨氏のデザイン画では当初、セブンの体色は青だった」という事実。

いろいろな所で書かれているので皆さんもご存知とは思いますが、1967年、「ウルトラマン」放映終了後、「タケダアワー」を東映制作の「キャプテンウルトラ」に明け渡した円谷プロ制作陣は、新企画を立てる上で、「ウルトラマン」との差別化を図ったと言われます。
「ウルトラマン」との関連性が全く無い、新しい作品を模索していたのでしょう。
主人公の設定も「M78星雲人」という関連のみで、体のデザインもウルトラマンとかけ離れた「甲冑を纏った宇宙人」のイメージ。
一目で「これはウルトラマンと別人だ」と認識させる差別化は、やはり前述の「体色」でしょうね。

ウルトラマンの「銀と赤」に対し、「青」というカラーリングの変化。
その「青」が。現在私達が見る事ができる「赤」に、何故変わってしまったのでしょうか。

冒頭でお話した「クロマキーボード」。これはビデオの世界での呼び名なんですが、フィルムの世界でも良く似た方式があります。「ブルーバック合成」という物です。よく文献に出ていますよね。
この「ブルーバック合成」に弱点がある事はご存知ですか?
これはビデオと同じく、青いバックの前で撮影した映像と、他で撮影した映像を編集で合成する方式。青いバックの部分に、他の映像がはめ込まれる訳ですが、青い部分全てに映像がはまってしまうんです。
つまり、青バックの前で撮影される映像が青いと、そこまで他の映像がはめこまれてしまう。

ウルトラセブンの体色が青でなくなったのは、この為だったのです。

今見られるあの、セブンの赤い部分が青だったら。ブルーバックの前に立ったら「生首」ですよ「生首」。ガブラもビックリ(笑)。そんな技術的な理由でセブンの体色は赤くなったんですね。いまでこそグリーンバックやCG合成など、そんな事を気にせず合成ができるテクノロジーは続々と開発されていますが、当時の技術では体色を変更するしか方法が無かったのでしょう。

「ウルトラセブンの色が青だったら。」
セブン以降のウルトラシリーズの変遷を考えると、このやむをえない変更は色々な想像を生みますよね。
まず、「マン」との差別化がより徹底した事で、後の「ウルトラ兄弟」の設定が作られたかどうか。「帰ってきたウルトラマン」制作の可能性も低くなったような。
「マン」「セブン」と、まったく違う方向性を貫いた事により、1971年当時、より新しい方向性を目指した「ウルトラシリーズ」が生まれたかもしれないのです。
(個人的には「ウルトラマンティガ(1996年)がその位置にあると思いますが)
妄想大好きな私は、こんな部分にも「違う未来」を夢見てしまうのですが(笑)。

でも、1970年代に初めて「ウルトラ」に触れた方々には、やはりセブンの体色は赤でよかったのかもしれませんね。色でマン、セブンに若干の関連性を持たせたおかげで、その後の「兄弟」たちの活躍がスムーズに展開していった訳ですから。
後の「平成ウルトラ」の第三弾、「ウルトラマンガイア」(1998年)の「アグル」あたりが「蒼いセブン」のイメージでしょうか。こう考えると、つくづく物事ってちょっとした偶然でいろんな方向へ転がっていく物だと思いますね。

「偶然」と言えば今日、冒頭のお仕事の帰りに局のエレペーターで偶然、兵頭ゆきと乗り合わせました。お子さん連れでした。この後また、アメリカへ帰るんでしょうか。

いや別にただ、それだけの事なんですけどね(笑)。

2006年8月23日 (水)

ネヴュラのティータイム

暑い中ようこそいらっしゃいました。今日もわざわざ「ネヴュラ」へ。
えっ?番犬のバゴスに吠えられた?おかしいな。2時は過ぎてるはずなのに。
まあどうぞどうぞ。

暑いですねー。部屋はほら、このペギラのおかげで涼しいのなんの。ほらガラモン、お客さんをその手で扇いで差し上げて。
今日も一日暑くてねえ。外で鳴くセミ人間の声がよけい暑さを呼びますね。庭のジュランもすっかり元気を無くしてますよ。

Sany0041 ああ、ごめんなさい気がつかなくて。冷たいものでもどうぞ。やっぱり夏は「バヤリース」ですね。お茶菓子は・・・と、あれ、有ったはずなのに。誰か食べちゃったな。カネゴン、ちょっと買ってきて。お金渡すけど食べちゃだめだよ。

「今日はちょっと静かだね」って?ええ。
スダールとボスタングは海へ遊びに行っちゃって。「今頃海はクラゲモンが出るよ」って言ったら、「あれはお蔵入りだから」なんてよく分からない事言っちゃって。一緒に行ったM1号は空を見て「私はカモメ」なんて言ってたようだけど。
ゴーガも砂浜で新しい殻を捜してるらしいし。
いつも可愛がってくれてるゴローは今、里帰り。イーリヤン島から暑中見舞いが来てました。

そうそう、隣のラゴンさん。今朝ラジオ体操してましたよ。音楽が終わるとちょっと不機嫌そうな顔してましたけど。あそこも子連れで大変よねえ。
ゴメスとナメゴンのコンビ?あれはソノシートだけの即席コンビだったんですけど、今日ソノラマから呼ばれてね。なんでもソノシートを映像化するんだそうで。
本当のコンビのリトラと、ほら発育の早いラルゲユウスはヒッチコックさんの所で映画のエキストラやってますよ。
もうウチも大勢だから多少は稼いでもらわないと(笑)。

Photo_133 ああ、カネゴン帰ってきた。何買って来たの?
なにこれ?「円谷ヒーローシリーズvol.0」ってこれ、あんた森永キャラメル買って来てって言ったじゃないの。

こんなもの買って来て。・・・ごめんなさいねお客さんの前で。ちょっと開けてみましょうか。

Sany0031 あららら。これは「ウルトラQ」の商標マークじゃないの。仲間が映ってたから買ってきた」って、カネゴンあんた、これ本当にお菓子?なんか妙に豪華な箱だけど・・・
なーに?「おせんべい」?本当に?お店の人が言ってた?

Sany0039 あらほーんと。こんなのあるのねー。ウルトラシリーズのキャラクターが焼印してある瓦せんべい。おいしそうじゃない。
カネゴン、あんたの絵もあるよ。よかったねえ。ウルトラマンやセブン、円谷のマークに・・・あらあら、ベータカプセルまであるじゃない。ベータカプセルの瓦せんべいって(笑)。

Photo_134 あっ!カネゴン!こんな写真まで撮ってもらっちゃって!この写真につられて買っちゃったね!え?「写真は最初から付いてた」?ほんとー?サービスいいんだ。
よく見たら他にもいろいろ面白い写真や案内が付いてるじゃない。

Sany0014 なんでもこのおせんべいを作った今泉さんは、「ウルトラマンティガ」(1996年)で助監督をやってらした方で、「ティガ」終了後に実家のおせんべい屋さんを継がれる為、現場を離れたと。でも円谷プロとはつながりが続いてたんですねえ。
自分のテリトリーでウルトラシリーズとのコラボレーションを果たした、という訳ね。ふーん。立派な方なんだ。

なんか、こうしたお話って、ちょっと元気づけられますねえ。どんなお仕事をしていても、自分の思いひとつで、夢の世界に携わることができると。え?私らしくない?えー。どうせ私はおバカなOLですから。まあまあお待たせしました。どうぞ召し上がって下さい。
なんかラインナップを見ると、ウルトラマンやウルトラセブンのバージョンもあるそうだけど。

Sany0026 あら、2枚足りない。今、白い子供と小さな女性が持ってった?
あー、リリーと由利ちゃんね。しょうがないなー。
そういえばカネゴン、お釣りは?え?私が渡したお金全部食べちゃった?だめじゃないそれじゃドロボーよこれ。
ちょっとケムール、ひとっ走りお金払ってきて!またパトカーに追われちゃだめだよ!

・・・ごめんなさいね。なんかバタバタしちゃって。
そんな事言ってる内に上から降りてきたのは、あらクモ男爵。もう夜?そんな時間になったの?全然気がつかなかった。
「ダメなんだなあ、私は」。
なんにもお構いできなくて。せっかく来てもらったのにねえ。ほんとに・・・
Photo_135 あれ、このおせんべい、箱の裏を見たら「賞味期限2000年5月9日」って書いてあるよ!
大丈夫?お腹痛くない?ちょっとモングラー!薬持ってきて薬!
そうそうこれ・・・って「ハニーゼリオン」じゃない!
こんなの「モルフォ蝶」と同じ効果になっちゃうよ!だめだめこれじゃ。

「おせんべいだから多少古くたって大丈夫」って、えー?だめよそれは。
こればっかりはピーターの予知でも分からなかったなー。ちょっと、ウチのに送らせるから。「電車で帰る」ってだめよ。最近の電車は急に空飛んで、変なところに連れて行かれちゃうんだから。
ほらこのガメロンならひとっ飛び。甲羅を開けるとスピードメーターがあるからね。
はやくしないと「闇が来る」からね。じゃーごめんなさいね。せっかく遊びに来てもらったのにメチャクチャになっちゃって。

ガメロン、ちゃんとお客さんをお送りするのよ。
あ、そうだ。帰りにへんな雲があっても近づいちゃだめだよ。トドラが居るから。じゃあ、またいらしてくださいね。おやすみなさい。

あーあ、本当にカネゴンったら・・・
明日の朝、太陽の代わりにバルンガが浮いてなきゃいいんだけどなー(笑)。

今日は「ウルトラQづくし」でちょっと遊んでみました。
全部わかった貴方、かなり「重症」ですよ(笑)。

(ちなみにおせんべいは7年ほど前買ったもの。賞味期限切れはメーカーの責任ではありません)

2006年8月22日 (火)

小粋な「先生」

町の中心を走る鉄道の、駅を出て少し歩いた裏通りの角に、小さな映画館があります。
今で言うミニシアター系のその劇場は、一つ前の角を曲がったところに丁度看板が見える位置に立っているので、今上映中の作品がすぐわかる、という仕組みです。

映画館の看板って、いまでもはっきり思い出せる程鮮明に憶えているものですね。
その映画を観た記憶とともに、映画を観る前のワクワク感を一気に高める効果を持っていました。

20年前、一度だけ、その劇場で上映する映画の看板を描いた事があります。

当時私はデザインの専門学校に通う、生意気盛りの「映画オタク」。
日夜同好の仲間と映画論を戦わせていました。そんなある日、仲間の一人が「ちょっと話があるんだけど」と面白い企みを持ちかけてきたのです。

実はその仲間、古い「新東宝映画」の大ファン。中川信夫や石井輝男の世界を、いつか自分の手で世間に認めさせたいという意気込みで、版権を持っていた国際放映からフィルムを借り、劇場を借りて上映会を開いたりしていたのです。まさに「病こうこう」という感じでした。
私に持ちかけてきたお話は、その上映会の「ポスター」を書いてもらえないか、という物。

確かにデザインを勉強中の私にとって、そんなお話は渡りに船。「作品が古すぎてオリジナルポスターが手に入らない」という彼の泣き言も、私には嬉しい悲鳴に聞こえました。
「という事は、自分の好きなデザインでポスターが描ける!」
そんな嬉しさに加え、お互い若かったこともあり、授業そっちのけで取り組んだ作品が「憲兵とバラバラ死美人」(1957年 並木鏡太郎監督)のポスターでした。

上映会後、その仲間から再び話がありました。その上映会のつながりで、ある劇場の支配人と知り合いになったから、一緒に遊びに行こうというのです。
二人で行った先が、冒頭でお話した映画館、という訳です。

その劇場の支配人は、青臭い映画青年だった私達を快く迎えてくれ、ご自分が映画に賭ける情熱を大いに語ってくれました。その劇場は主に日本映画、アジア映画を中心に上映していたので、私達もその勢いに圧倒され、毎日のように通ったものです。

その支配人には口癖がありました。
私達が支配人に会いに、アポ無しで急に遊びに行くものだから、支配人は自分の仕事が片付くまで待っていて欲しい、というのです。その時の口癖。


「まあ、映画でも観て待っててよ」。

素敵な言葉だと思いませんか?「お茶でも飲んで」という所を、「映画でも観て」というカッコ良さ。映画館を持つ支配人にしか言えない、小粋なセリフです。

その支配人こそが、私の日本映画、アジア映画の先生です。いろんな映画の話をしました。黒澤、小津、成瀬、溝口。香港や中国などのアジア映画。もちろん怪獣映画の話も。
「先生」はきっと、私達のような血気盛んな映画好きに、ご自分の思いを語るのが嬉しかったんでしょうね。そこで学んだ「作品の観方」「作品の背景にある制作状況の現実」など、他ではなかなか聞けないお話は、今この「ネヴュラ」でも記事として活かされています。

さて、そんな楽しい日々の中、突然支配人からお話が。
「今度うちの小屋で、新作の邦画を封切るんだけど、丁度あの通りの角の所に看板を立てたいんだよ。でもあそこは縦長だろ?この映画には縦長のポスターが無いし、ちょっと変わった事をやりたいから、看板を描いてもらえないかな?」
他ならぬ「先生」の頼みです。二つ返事で引き受けました。その映画こそ、日本映画の新鋭として期待された、林海象監督のデビュー作「夢見るように眠りたい」(1986年映像探偵社)。

ご覧になった方はお分かりと思いますが、あの映画はモノクロで、東京浅草の仁丹塔が重要な役割を果たしています。
支配人の目論見はこの「仁丹塔」をモノクロで描いた大きな看板を描いて、通りの角を曲がったお客さんに「ワクワクしてもらおう」というものだったのです

おもしろがった私は、仲間を呼んで精密な「仁丹塔」を描き上げました。時間もかかりましたが、「文化祭前の高揚感」みたいなものが、支配人をはじめ仲間全員にあったような気がします。実際取り付けてこると、これはこれで映える。子供の頃映画を観る前に興奮した記憶が甦りました。
封切当日。私は全く知らなかったんですが、劇場に林監督が突然、いらっしゃったのです。仁丹塔を見て「おおー」と唸る林監督は、私とさほど年が違わないせいもあって、ひどく親近感がありました(笑)。

この「仁丹塔」のエピソードを境に、なぜか仲間も私事や仕事に追われ、散り散りになっていきました。今思えば、あの頃が一番、私が映画というものに燃えていた時期だったのかもしれません。

そして数年。今の仕事に就いていた私は深夜のトーク番組を担当していました。
「誰か、番組で呼べるゲスト知らない?」プロデューサーから打診された私は、突然その支配人の事を思い出したのです。久しぶりに顔を出した劇場。「先生」は私の事を憶えていてくれました。相変わらずの口癖。「映画でも観て待っててよ」。

「先生」は、私の願いをまたしても快く引き受けてくれました。過去に数回のテレビ出演経験があるとの事。「昔、私に話してくれたような、熱いお話を!」「いいの?本当に。」私は番組の成功を確信しました。そして収録当日。
「先生」は全く変わっていませんでした。司会者を凌駕するトークのおもしろさ。バックに座るモデルの女の子達に「もっと映画を勉強しろ!」と一喝する姿。
恥ずかしいお話ですが、私は収録室で本番を見ながら、涙が止まりませんでした。
なにか、あの20代の頃の、恩返しができたような気がして。

収録後、スタジオに集まったキャスト・スタッフの拍手の中で手を降る先生。私はもう、自分の事のように嬉しかった。
この仕事は辛いですが、たまにこんな素晴らしい場面に出くわすと、やめられなくなっちゃいますね(笑)。

あれからまたしばらく、その劇場には顔を出していません。久しぶりに顔を出してみようかな。
きっとまた先生は、嬉しそうな顔でこう言うんだろうな。

「ちょっと忙しいから、映画でも観て待っててよ」。

2006年8月21日 (月)

「豪気」な空気

そこは夜中の編集室。歴戦の編集マンとおバカなディレクターの私、二人きり。
「今日のロケでいい絵が撮れちゃってねえ。夕日からズームアウトすると手前にはロッキングチェアに座った美女。私じゃないよ。なんとか編集で入れ込みたいんだよねー。」
とガンバる私に、こともなげに言う編集マン。
「そりゃ入れるのは構わないけど、このカット入れようとすると、編集変えないとダメだよね。」
殺し文句です。「編集を変える」という事は、「徹夜」を意味するのですから。
思わず答える私。「・・・次の機会にします。」

今はもうそんな会話も少なくなりましたが、撮影というものは、予想していたカットがうまく撮れなかったこともあれば、ひょんな拍子にとんでもないカットが拾えたりするもので。
だから面白い、とも言えるのですが。

ところが、得てしてそういうカットは、「画面としてはとんでもなく良くても、作品のストーリーに合わない」代物が多いのです。
どんなにいいカットでも、それは使い物にならない。「徹夜で編集を変える」というのは、そのワンカットの為に当初のストーリーを捨てる、という意味なのです。
ストーリーとそのカットのどちらを取るか。答えは自明の理です。そうしてお蔵入りになった「名カット」が、こんな私にも数限りなくあります。

普段鑑賞する映画やテレビなど、作品として成立している物には、影でそういったジレンマが常に付きまといます。
こと映像作品については、私達はうまく編集された撮影素材の断片を見せられているのです。(こんな風に言ってしまうと身も蓋も無いですね。ごめんなさい。)素材の編集について全ての権限を持つ監督は、(最近はプロデューサーも権限を持ってますが)作品のリズムやテーマ性の訴求、劇場での上映時間などを考慮に入れて、適正な長さに作品をまとめ上げる責任がある訳です。

さて、作品と呼ばれる以上、監督にとっては一コマも切りたくないのが人情。私にもよーく分かります。
テレビの場合、一秒の30分の1コマ(1フレームと言いますが)にまでこだわったカッティングを行う訳ですから、「ここを切る」と決めるまでの心の葛藤は大変な物です。
実際、「これ以上切るんだったら、ディレクターのクレジット(ラストに出る字幕ですね)を俺の名前にしないでくれ!」なんて言ってた人も居ますから。

これは実は、私達が普段話題にして楽しんでいる怪獣映画などにも言える事なのです。映像作品である以上、その呪縛から逃れる術は無いといっていいでしょう。

ここまで書けば、「ネヴュラ」をご覧の皆さんはピンと来ると思います。東宝怪獣映画幻のシーンとして有名な「怪獣総進撃」(1968年)の「ゴジラ対マンダ」なんて、その典型ですね。
後にそういった未公開シーンばかりを集めたビデオもリリースされたので、ご覧になった方も多いと思います。あのシーン、結構迫力があって、特撮にありがちなミニチュアなどの「バレ」などもまったくない、実に「いいシーン」だと思いませんか?
ところが、完成作品にはそのシーンが無い。見事にカットされているのです。

私も当初、このシーンを編集し直して、「完全版」として出してくれればいいのに、なんて思ったものでした。でもそれは、今の仕事に就く前のお話。
今は、「どんな事情であれ、カットしたのは制作側の意思だから、それには従うべき」なんて、180度考えが変わっちゃいました。でも、カットしたからにはそのシーンが無かったものとして作品を見る。その代わり、評価は下しますよ。というスタンスです。

結構、監督側に立った考えですよね(笑)。職業病かも。
でも、それが作り手に対して誠実な姿勢だと思うんですよね。実際作り手の苦労も知ってますし。

周りからの「カットしろ」「編集を変えろ」「ナレーションでフォローしろ」などの、作品に対しての「横槍(こう言ってしまいましょう)」に対し、作品を守るのは大変な事です。ほとんどの監督はそれに負けてしまう。作品を見ればなんとなく分かります。

ところが!名作と呼ばれる作品にはやはり、そういう気配がない。これは私の衰えた鑑賞眼を持ってしても分かる、歴然とした事実だと思います。
かつてある本で読んだエピソード。「黒澤明監督は、自作の為だけに作らせた金箔の「月」を撮影したが、編集段階で「ストーリーに関係ない」という理由でカットした」というものです。
記憶なので細部が違っていたらごめんなさい。でもこのエピソードは強烈に心に残っています。それは何故か?

貧乏臭くない所。
「豪気な所」と言い換えてもいいでしょう。これだけお金をかけたカットを、作品の完成度の為にあっさり捨ててしまう度胸と言いますか。これが作品に「豪気さ」「余裕」を与えるのではないかと思えます。
「出来た作品はこういうものだけれど、その裏には数え切れない取捨選択があったんだよ」と思わせる作品の「深み」があるような気がして。

それだけの取捨選択があり、余計な部分をそぎ落としたからこそ、作品に通るテーマが骨太で、ゆるぎないものになるのでは。

枝がたくさんある木は幹が見えにくいですものね。

そんな作品の中に流れる空気は、どことなく「豪気さ」に溢れています。邦画だけでも「七人の侍」「東京物語」「浮雲」「キングコング対ゴジラ」「日本沈没」・・・
もちろん、前述の「怪獣総進撃」も「豪気」さにあふれていますよね。
(好みもあるので参考にはならないかもしれませんが(笑)

そう考えると、最近まだ幅をきかせる「ディレクターズ・カット版」のDVDには、依然として疑問が残りますよねー。「作品のテーマをより深く」なんて謳い文句で、カットされた場面を編集し直してリリースされますが、昔嬉々として追いかけていた自分が恥ずかしい。
あれこそ「売らんかな」のプロデューサー的思惑が見え隠れする、いやな「商売」に見えて仕方がありません。作り手の末席に座る者として、この傾向は頷けるものではないと。

断腸の思いはしても、切った物は切った物ですからねー。

ただ、矛盾を覚悟で書きますが、1991年に公開、後にリリースされた「ブレードランナー最終版」(リドリー・スコット監督)だけは、私の中で別の輝きを放っています。
あの作品は、1982年の初公開版とは「別物」だからです。

もう圧倒的に、「最終版」の方がいい。
第一、初公開版より上映時間が「短い」ですから。中身もちょっと意味が変わってるし。
ああいう「本来のディレクターズ・カット」版が見たいものです。

えっ?ゴジラ映画も「チャンピオンまつり」版はオリジナルより短いって?
そうかー。あの一連も枝葉を切った、ある意味「豪気」な作品群でしたからねー(笑)。

2006年8月20日 (日)

怪獣という天変地異

Sany0023 古いファイルをめくっていたら、こんなものが出てきました。
「ゴジラストーリー募集」。
1984年「メカゴジラの逆襲」以来9年間の沈黙を守っていたゴジラ映画の復活とともに、新作ゴジラのストーリーを広く募集するものとして東宝映画が企画したものです。
この募集、締め切りは1985年6月10日。その結果、小林晋一郎氏の応募作が採用され、「ゴジラVSビオランテ」(1989年)として平成ゴジラシリーズの口火を切った事は、「ネヴュラ」をご覧の皆さんならご存知ですよね。

Sany0030 いやー懐かしい広告。当時、私の周りでもこの募集を見て、「新時代のゴジラ映画を作るチャンス」とばかりに、温めていたアイデアを原稿用紙にぶつけていた仲間が何人もいました。
かくいう私もその一人。
実際、いわゆる「84ゴジラ」の出来が私にとって納得できるものではなかった為、(ファンの皆さん、ゴメンナサイ)その不満を一気に爆発させていたきらいもありました。若かったんですね(笑)。
締め切りギリギリ、6月9日に出来上がったそのストーリーを、私は東宝宛に送り、その結果を待ちわびたのです。

結果的にはそのストーリーは「ボツ」(爆笑)。そりゃそうですよ。世の中そんなにうまくはいきません。
でもこの時、全国の何万人、何十万人のゴジラファンが、「あわよくば自分のストーリーが」と壮大な夢を見たことでしょう。
私の中で、この応募は「自分の理想とするゴジラ映画とは」という事を自分に問い直す、いい機会だったのです。

さて、ここまでネタふりをすればもうお分かりですよね。そうです。この広告と一緒に、出てきたんです。応募したストーリーのコピーが。
なにしろ21年も前の事。応募方法にもある通り、200字詰め原稿用紙41枚に叩き込まれた当時の私の熱きゴジラへの思い(笑)。若き日に出した東宝へのラブレターは、21年の時を経て今再びの目に触れる事となったのでした。

本当に久しぶりに読み返してみましたが、実は私、ちょっと感心しちゃいまして。
「面白いじゃん、これ」なんて。

確かに人生経験も浅い頃したためたものだけに、登場人物の気持ちの動きなど、かなり背伸びして表現されている部分もあります。しかしながら、おそらくその後のいわゆる「VSシリーズ」に憤懣やるかたない方々には、溜飲を下げていただけるようなものが書かれているのでは、なんて勝手に自惚れています。

今でもそうなんですが、私にとって怪獣とは、「天変地異」なんですね。地震や津波、火山の爆発、土地の陥没など、「とんでもない事」が起こっているという感覚なんです。
不謹慎な言い方ですが、怪獣に襲われたらもう「命がない」というイメージがあります。怪獣の出現は、それくらい差し迫った状況と考えているんですよ。


当時応募したストーリーにも、その考えは今より色濃く、よりストレートに現れていました。
本当ならここで、ストーリーをこまかく説明すればより分かって頂けるのでしょうが、色々なお立場の方々に配慮せざるを得ない内容なので、差し支えない部分のみお話します。
逆に言えば、それだけハードな内容という事。おそらくこのストーリーをそのまま映像化したら、「ノストラダムスの大予言」(1974年東宝)と同じ末路を辿ることとなるでしょう。(事情通の方ならお分かりですよね。そういう事です。)

Sany0011 私のストーリーでは、ゴジラは大都市の真下に眠っており、発散される放射能の為、地上では通常考えられないような事態が起こります。お話はその異常な状況を調べる人々を中心に展開され、ゴジラの存在と覚醒のタイムリミットが判明しますが時既に遅し。「モスラ対ゴジラ」のように大都市の地面を割って巨大な尾が出現し、周りの建物をなぎ倒す、という阿鼻叫喚の図が展開されます。
遂に地中からその巨体を現したゴジラの影響で地殻変動が誘発され、都市ひとつが陥没してしまう。
ゴジラの体温で熱の対流が起こり、都市中心部は超高温に・・・という、「歩く天変地異」としての巨大生物が描かれているのです。

Sany0006 さて、このストーリー、このテイスト、どこかで観たことが・・・と思われた貴方。そうです。その通り。当時の私は気がついていませんでしたが、今読み返すとはっきり分かります。
私は「ゴジラ」で、1973年版の映画「日本沈没」を再現したかったのです。

Sany0020 ストーリーの隅々に、73年版「沈没」のテイストが見られます。気がつかないほど微妙に傾く建物。主人公が「もしかしたら!」と看破した瞬間に起こる巨大な胎動。「大きさ4メートルの火炎瓶」と化した自動車が飛び込むビル。
あの、73年版「沈没」で繰り広げられた悲惨な災害の図に加え、ここでは書けませんが「核の申し子」としてのゴジラが放つ強烈な影響。
おそらく「ゴジラの逆襲」以降制作されてきたゴジラ映画が意識的に避けてきた「怪獣災害の悲惨な部分」が、全て盛り込まれているのです。

私の考えでは、怪獣災害の悲惨さはおそらく「ガメラ3 邪神覚醒」(1999年大映)で描かれたあの「渋谷シーン」の比ではないでしょう。
私の中でどんな怪獣映画を観ても「ぬるい」と感じるのはきっと73年版「沈没」で起こる悲惨な状況を、怪獣映画に追い求めているからなんでしょうね。私のストーリーが不採用になったのも無理はありません。このストーリーはエンターテイメントとしてはあまりにもバランスの悪い作品ですから。
でもきっとこれが、徹底的にリアリズムにこだわった、「私の理想の怪獣映画」なのです。

Sany0033 そんな「怪獣災害」の片鱗を、ほんの少しだけ垣間見せてくれたのが「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」(2001年東宝)でした。
そりゃー怪獣はあれくらい怖くなきゃいけませんよ。ゴジラの放射能火炎でキノコ雲が起きなきゃおかしいですよ。人間が怪獣に踏み潰されるのだって、あの状況だったら絶対起きる筈ですよ。

確かにあの作品のゴジラは、他の作品とは設定が違う「別人」とは思います。
でも、金子修介監督は思ったんではないでしょうか。

「一作目「ゴジラ」の怖さを再現するには、もう今のゴジラでは不可能」と。
ゴジラの本質を表現するには、ゴジラであってはならない、というこの皮肉。

ここでゴジラ論を展開すると、またまたスペースが足りなくなるのでいずれじっくりとお話させて下さい。まあ怪獣をどう捉えるかで、理想の怪獣映画なんて変わってきちゃうので、100人の心の中には100匹の異なるゴジラが居て当たり前。これはあくまで私のつたない「私見」です。性別がちょっと不自由なOLの独り言とでも思って、笑ってお許し下さい。

古い募集記事と、昔の応募原稿なんかが出てきちゃったので、可愛くありたい自分が「20年前の生意気なオタク」に戻ってしまいました。おバカですねー。
でも時の流れは本当に不思議なもので、クールダウンした頭で昔の自分の文章を見てみると、影響を受けた作品って浮き彫りになるものですね。今更ながらに73年版「日本沈没」の影響の大きさを痛感します。

はからずも今、おそらく私と同じような道を辿ったであろう樋口版「日本沈没」の公開中。
この記事、ストーリーが見つかったのも、何かのめぐり合わせかもしれませんね。

それは描かれないが故に

夕方6時半からのウォーキング。いつもの自然公園もこの時間だともう街路灯のみで、ちょっと怖い雰囲気でした。足早に済ませて部屋にたどり着いたのが8時。シャワーを浴びてゆっくりしたら、もうこんな時間です。

昨日お話した成瀬巳喜男の「浮雲」が、ちょっと頭から離れなくて。
ラストシーン、屋久島に降る雨が、私の中で淀みとなって溜まっちゃってるんですね。ガラにもなく(笑)。ま、こんな日もあります。

そんな気持ちを振り払う為に、今日は小津安二郎の「彼岸花」(1958年松竹)をレンタルしました。この所本当に「名作」づいてますね。
近作のアクション映画などには全く食指が動きません。なんか枯れちゃったのかなー。そんな年でもないのに。

この映画、小津監督初のカラー作品。以前「ネヴュラ」でも書きましたが、小津監督はあまたあるフィルムメーカーの中から赤の発色に特徴を持つ「アグファ・カラー」を選びました。この「彼岸花」は、初のカラーである事が多分に意識され、画面の隅々にまで「赤」を意識させる色彩設計がなされています。(この作品の為に出演者の着物をわざわざ染色させた、という用意周到ぶり)。

この作品も、小津作品の永遠のテーマの一つ「娘の結婚」を採り上げたものです。父親は佐分利信、母親に田中絹代。娘には有馬稲子、年の近い旅館の娘に山本富士子という、小津作品常連キャストとやや毛色の違うキャストが、作品に微妙な空気をもたらします。
笠智衆、佐田啓二など、いつもの「小津の顔」キャストも健在ですが、私、いい年をしてこの作品は初鑑賞でしたので「原節子が出ない小津作品」ってものすごく新鮮に見えるんです。

年頃の娘を持った父親が抱える、「嫁に出したいけど相手は自分で決めたい」という思い。同じような事情を抱える周りの娘たちの、自由な恋愛の形には理解を示せるが、いざ自分の娘が眼鏡にかなわぬ相手を選ぼうとすると、その葛藤は頂点に達し・・・というお話です。
佐分利信演じる父親は、娘の有馬稲子と相手の男性(佐田啓二)の結婚をどうしても認められません。そこへ旅館の娘、山本富士子が仕掛けた「トリック」(これは作品をごらん下さい)でつい、「好きな者同士の結婚」を認めてしまう。

この騒動の後で行われる、父親世代のクラス会で、佐分利信の同級生、笠智衆が言います。「まあ結局、子供には負けるよ。思うようには行かんもんだ。」
こんなセリフの応酬が、独特の「小津リズム」で展開される訳ですね。

こんな作品を見ていると、ちょっと心が和みますねー。別に大きな事が起こる訳ではない。とんでもない悲劇があるわけでもない。
ものすごく乱暴な言い方をすれば「ギャグのない吉本新喜劇」のような展開(賞賛の言葉ですからね)で、心を射抜かれるようなドラマチックさがない代わりに、普段の生活に根ざした「ご近所事件」を実に丁寧に描く作風は、さすが名匠の仕事、と唸らせる風格があります。

確かに考えてみれば、人生ってそんなに毎日事件がある訳ではないですからね。生活のほとんどは「何にもない一日」。
でも小津作品の凄い所は、そんな毎日を「会話」と「省略」だけでドラマチックに成立させてしまう所だと思います。その演出を行う為、監督はなかなか気づかない気配りを世界観づくりに施しているのです。

「浮雲」ラストシーンのイメージが強かったので、今日改めて思ったんですが、小津作品って「雨の無い世界」なんですよ。全作品の中で雨のシーンがほぼ、無い。
文献で調べても雨が降る作品は2、3作品に限られるそうです。それだけでなく、空はいつも晴れで、雲がゆっくり流れ・・・というイメージが非常に強い。お天気の急激な変化というドラマチックな場面演出が意図的に廃されているのです。あの一種のどかな「小津リズム」は、こんな周到な気配りの上に成り立っていたんですね。

「彼岸花」で、一番印象に残った演出は、最もクライマックスとなるべき「娘の結婚」シーンの「思い切った省略」でしょう。
本来ストーリーは、佐分利信が娘有馬稲子の結婚をしぶしぶながら認め、いよいよ結婚・・・となるはずなのです。しかし小津監督は、その結婚前夜までを描いた後、佐分利信達同窓生のクラス会のシーンへ飛んでしまう。「式数日後」のシーンに移ってしまうわけです。
これは海外作品の演出にもままあった事なのでさほど驚きませんでしたが、名匠と呼ばれる人たちの省略の大胆さは、洋の東西を問わないんだなー、と改めて思いましたね。

「一番見たいと客が思うものは隠せ。客に説明しようと思うな。どう解釈しようと客の勝手だ。」撮影中の小津監督はこの言葉が口癖だったそうです。
これは私も同感ですね。確かに、この「彼岸花」のストーリーで娘の結婚シーンをどう描いても、それはそれまで観客によって培われた想像を超える事はできないと思いますから。


前述の、洋の東西を問わず「クライマックスを描かない」という戦術を名匠が採用する理由は、その事を監督本人が分かっているからだと思うのです。
でも、それを分かっている監督は本当に「名匠中の名匠」。ほとんどの監督は、「クライマックスを描かない」という事を怖がる。作品の一番大事な部分を見誤ってしまうのかもしれません。

「彼岸花」を見て改めて思った「省略」の美学。ケースは違いますが、確かにそんな作品は後々「意図的に省略されたシーン」を想像する楽しさが残りますよね。
妄想好きな私などはそういう作品が大好き。「自分だけの彼岸花」を想像する楽しさが加わりました。でもそういう作品を作るって本当に難しいんですよ。

皆さんもありませんか?省略されたがゆえに気になる作品。
一種の「魔力」を持つそれらの作品に出会うたびに、私の「妄想魂」は燃え上がるのでした。

2006年8月18日 (金)

思い出は美しすぎて

突然の夕立に目が覚めました。贅沢にもお昼寝をしていたのです。
今週は日曜日がお仕事なので、今日はお休み。
私にはなぜか周期的に、名作と呼ばれた映画をむしょうに見たくなる癖がありまして(新作映画を観て話題を作ればいいものを)昨夜と今日は邦画、洋画の名作を落ち着いて「鑑賞」しました。名作なので皆さん一度はごらんになったでしょうが、たまたまその2本、テーマが似ていて面白く、今日はそのお話ができればと。起きぬけなので大したお話はできませんが(笑)。

昨夜見た作品は「浮雲」(1955年東宝)。成瀬巳喜男監督の代表作ですね。
先日NHK-BS2で放送されたものを録画しておいたのです。これはもう、誰に聞いても「日本映画を代表する一本」と言われますね。
太平洋戦争中、日本の占領下にあった仏印ダラットで愛し合った男女が、終戦後日本で再会し、再び愛し合うというシンプルなお話です。

主人公富岡兼吉(森雅之)には日本に奥さんが居るので、ダラットでの恋愛は言ってみれば「浮気」ですが、女性幸田ゆき子(高峰秀子)は仏印の思い出が忘れられません。
復縁を迫る、というような積極的な行動というよりは、戦後日本を生き抜くバイタリティーを持てずに、仏印での「夢のような」日々の思い出を、兼吉に投影しているような節がありました。

こういうお話の場合、男女どちらかの主人公が倫理的で、観客はその倫理観に感情移入できるものなんですが、この作品の場合、もう見事なまでに二人とも「ダメ人間」。事業の失敗で職を転々とする富岡。好きでもないGIの愛人や、かつて自分の貞操を奪った義兄の囲い者になるゆき子。見ていて心は暗澹となるばかり。

そんな境遇にあっても、二人は純愛・・・なんてお話なら、それはそれでモチペーションが保てるんですが、作品が終わるまで、そんな爽快感は微塵も味わえません。
「腐れ縁」と言うか、「やむにやまれず」と言うか。タイトルの、風に流される「浮雲」のように、お互いを恋愛の対象と言うより「傷を舐めあう相手」として見ています。
それはお互いの貧富の差が逆転し合う人生の節目ごとにも訪れ、決して富のみが幸福をもたらさない事も描写しているのでした。

そのラスト、ゆき子は富岡と一緒に暮らす屋久島の宿舎で、肺炎の為亡くなってしまいます。その死に目に会えない富岡。ダラットでの思い出を夢として過ごした二人に、現実は無常を突きつける、という作品でした。ラストシーンでこの作品は、ストーリーが二人の「純愛」に向かっていた事を見るものに理解させるのです。成瀬巳喜男のこの手腕!

今日見た作品は「望郷」(1937年フランス ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)。これもまた、洋画のベストテンに必ず顔を出す名作ですね。
これは以前にも書いた「500円DVD」で見ました。安上がり。
クライマックスが樋口版「日本沈没」の一場面として使われていた事でも有名です(笑)。

「カスバ」と呼ばれるアルジェリアのある地域。迷路のように入り組んだこの場所は、警察の管理も及ばない治外法権地域として、犯罪者の格好の潜伏先となっています。
このカスバで王者のごとく君臨するのが、強盗の常習犯ペペ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)。

仲間を率いるリーダシップとその奔放な魅力で、カスバの人気者です。女性にももうモテモテ。
愛人も居る彼ですが、ある悩みがありました。これが邦題の「望郷」。

彼はこのカスバを出て、生まれ育ったフランスへ帰りたいんですね。ところが強盗として名を知られた彼はカスバを一歩でも出れば逮捕されてしまう。顔見知りのように周りをうろつく刑事まで居る始末で、彼の望郷の思いは強くなるばかり。
そんな彼の前に、フランスからカスバ見物に来た女性ギャビー(ミレーユ・バラン)が現れます。
「メトロの匂いがする女性」ギャビーに、ペペが夢中になるのも無理はありませんでした。つかの間の恋に燃え上がる二人。

ここでも、ペペの思いはギャビー本人に加えて、「フランスの思い出」に対する比重が大変強い。ギャビーが他の国から来た人だったら、ペペは恋に落ちたかどうか。

警察はギャビーを使って、ペペをカスバの外へおびき出そうとします。ギャビーの乗った、カスバを離れる船を見送る為、愛人女性の静止も振り切り、ついにカスバを出るペペ。
手錠をかけられたペペが船に向かって叫ぶ「ギャビー」の言葉が、汽笛でかき消される名シーンは語り草ですね。ヨーロッパの香り漂う名作として、私の中でも上位にのぼる作品です。

この二つの作品、テーマは似ているように感じます。キーワードは「美化される思い出」。おわかりですよね。
「浮雲」の二人、「望郷」のペペも、昔の思い出に生きている。現状が辛ければ辛いほど、思い出は美化されるんですね。おそらくこれらの人々が生きた過去は、それ程美しいものではなかったと思うんです。でも人間、思い出の辛い部分を忘れて、美しい部分だけを思い出してしまう。

過去の記憶は、人を助けると同時に滅ぼしもする、両刃の刃だという事を改めて感じました。

でも、悪い思い出を忘れちゃうっていうのは、人間のいい所でもありますよね。でなきゃ心の避難所がなくなっちゃいますから。心が疲れた時、ちょっと記憶の糸を辿って思い出に遊んでみる。それが明日への活力になる事は確実ですものね。ちょっと偉そうな事書いちゃってごめんなさい。別に何かあったわけじゃないんですが(爆笑)。

今日お話した二つの作品、「ネヴュラ」でよくやる「芸談」(テクニックとかのつたないお話)がないのにお気づきでしょうか。この二作品に関しては、私はもう「完敗」です。
あえて言えば「普通に撮っているのにものすごい作品」という所でしょうか。
小津のローアングル・ヒッチのトリッキーなカットなど、監督毎の強烈な特徴が、この二作品にはないんです。けれど凄い。

最近は成瀬巳喜男もデュヴィヴィエも数々の研究書が刊行されていますが、「芸談」にはならない。テーマや現場のエピソードなど断片的な情報から推測するような感じがします。

となれば、後は作品から解析していくほかないんでしょうね。数々の逸話を残すスタープレーヤー的な監督も多い中で、こうした「作り手知らずの職人」的な作品を作る名匠の諸作に触れてみるのも、大きな勉強かもしれません。
作品だけしか判断材料がない、というのは、ある意味最も健全な鑑賞姿勢かもしれませんね。

生前、周りに本心を語らない事で有名だった成瀬監督。何かとほじくりたくなる私などきっと、「作品を見てごらん」なんて一言でいなされちゃうんだろうな。

私もそんな一言、言ってみたいです。言い訳ばっかりですから(笑)。

2006年8月16日 (水)

バット・ガールに花一輪

「しばらくぶりだねえ」そのおじいちゃんは、少しはにかみながらつぶやきました。
今日立ち寄った近所での、たまたまの再会。
午前中すぐれなかった体調も持ち直した午後2時半。外出したときの出来事。

今日はお休みをもらっていたので、昼下がりの時間をたっぷりと楽しむ事ができました。
そのおじいちゃんは今年71歳。ある病院で外科医をしていた経歴の持ち主です。今は現役を退き、ある製薬会社の経営アドバイザーとして、週何日か出社しています。
ところがここ数年、年齢による体の不調で入退院を繰り返し、今回も7月末に退院したばかり。それなのにこんな暑い夏の日中、気丈にも外出したらしいのです。知り合い程度で、以前にも顔を合わせた機会がありましたが、こんな偶然もあるんですね。

「どうも家に居ても、落ち着かなくてねー。」おじいちゃんはすっかり薄くなった頭をなでながら、嬉しそうにつぶやきました。このところ毎日外出しているとの事。久しぶりの退院で、外に出るのが楽しくて仕方がない様子です。

「最近何か、楽しい事は?」私の問いかけに、彼はこう答えました。
「やっぱりあなたのような人と、こうやって話せる事かな。」

71歳。お腹もすっかり出て、足腰も弱くなったおじいちゃん。私の母と同年代です。でもこの人「気が若い」。私のような者ととりとめもない会話をするのが、何よりの楽しみなんだそうです。

私の近況、興味がある事、日々の悩みやちょっとした楽しみ。「ネヴュラ」の事も「うんうん」と嬉しそうに聞いてくれるおじいちゃん。その姿はまるで、外科医というよりカウンセラーとでも言えそうな雰囲気で。
「みゆきちゃんのその「ブログ」みたいな事を、ボケ防止にわしもやってるんだよ。」
家の周りに畑があり、奥さんと簡単な家庭菜園を楽しむ彼は、収穫した野菜を使って家庭料理を作るのが何よりの趣味。医療業務の経歴と料理の趣味をアレンジして、イラスト入りの家庭料理レシピをノートに書き記しているのだそうです。現在第7集という超大作です。
「これを息子や親戚に配ってるんでね。まだまだやめられないわ」と笑うおじいちゃん。
こんな他愛のない話に、なぜか顔もほころんでしまいます。

「なぜ、私みたいなのがいいの?」
私と話をしたがる人たちに、よく尋ねる言葉です。たまにあるナンパや興味本位のからかいに対する牽制の意味で、つい尋ねてしまうのです。こんな時ほとんどの相手は、言葉につまるか、おざなりのお世辞でお茶を濁すのですが、この質問をした時の、おじいちゃんの答えはちょっと違っていました。

おじいちゃんが病院で活躍した頃は、外科医の権力と地位は絶対のものがあったそうで、看護婦さんとの私語など厳禁。看護婦さんもそれが当たり前と思っていたそうです。当時、医療のあり方を真剣に考えて突き進む「真面目一徹」のお医者さんだったおじいちゃんは、こんな空気に余計感化され、病院と家との往復のみ。たまに製薬会社が設ける接待の席でも、高級クラブのホステスさんには普通の女性の魅力を感じなかったとの事です。
恋愛経験はゼロのまま、幼馴染のような関係の女性と結婚したおじいちゃん。子供は息子一人なので、身近に女性を感じる存在がないまま、今に至るそうなのです。

「やっぱり女房って言ったって、兄妹みたいな感覚しか持てなくてなあ。」
そんなもんかなー、と思う私は、ちょっと意地悪な質問をしました。
「じゃあ、私じゃなくて、本物の女性の方がいいんじゃないの?」


「いや、そうじゃないんだよ」彼ははにかみと、ちょっとした自信に満ちた目で答えました。
「わしみたいに長年、女性と接していない男は、女性との距離があまりにも遠い。どう接すればいいかわからないんだ。それに寄る年波のせいで、そういう女性ならではの扱いが煩わしくなることもあってねえ」
「で、私で代用を?」
「いや、そうじゃなくて。」

「貴女のような、女性の心を目指す人は、男性の心も女性の心も持ち合わせている。本当の女性には理解できない男の気持ちも、貴女なら分かってもらえるだろ?
わしは口下手だから、説明しなくても分かってくれる、貴女のような人が一番いいんだよ。」

なるほどねえ。なんとなく分かったような分からないような。
でも、この言葉一つで心がちょっと、軽くなったような気がしました。


私のような存在は、心の有り様が大変不安定で、ある時は男、ある時は女だったりするんです。(ある時はオタク、だったりもしますが)自分の中でそんな心の処理に困ったりする事もあるんですよ。仕事中に自分の主張を通そうと意気込むとき、そこに頑強な男の顔を見せてしまったりね。自分はどっちを目指すのか、ガラにもなく悩んだりする場面も。

おじいちゃんの言葉は、そんな自分に「無理やり線引きをしない所が良いんだ」と言ってくれているようで。悩みは解決しなくても、ちょっと心を揉み解してくれるような。

まあ、私のような「男でも女でもない」コウモリ的存在、言ってみれば「バット・ガール」には、そんな一輪の花のような言葉が嬉しかったりするんですよ。
いつもおバカな私にもこんな一面がある事を、皆さんにもちょっとお話したかったりして。

「うまい事言っちゃってー。やるなーこのプレイボーイ」なんて照れ隠しの一言に、おじいちゃんは笑って答えました。
「いやいや。わしには一人息子しかおらんから、みゆきちゃんは娘みたいなもんだよ。」
「娘ねえ。じゃ秋になったら親孝行に、車でどっか連れてってあげるよ。」

夕方。時計は5時。もう2時間半もしゃべってたのねー。「気をつけて帰ってね」と振った手に、笑顔で応えてくれたおじいちゃん。まだ暑さの残る街を駆け抜けながら、私は思いました。

「おじいちゃん、心の外科手術の腕は、まだ健在だね。」

2006年8月15日 (火)

風雲プラモ作り

お盆休みで、気分も子供に戻る夏の一日。
押入れの片隅から懐かしい物が出てきました。

昔作ったプラモデルの「設計図」です。

子供の頃、私にとって週一、月一のイベントであった「プラモデル作り」。
大はモーターライズの可動キットから、小はディスプレイの小物キットまで、当時のおもちゃ屋さんに並ぶキャラクターキットをかたっぱしから制覇していったものでした。
中でも私達仲間が熱中したのは「可動キット」でした。
以前記事でも書きましたが、とにかくプラモデルは「可動」が命。ディスプレイモデル全盛の今と違い、販売されていたキットも子供向けのものは「可動」に重点を置いたものばかりだったのです。

Photo_126 今日ごらんいただく物は当時、私が実際に作ったプラモデルの設計図ばかり。正確には「組立図」と呼ばれるものですが、やはり私達は「設計図」と呼んでしまいますね(笑)。
お金がないのでいつもは復刻版しかお見せできませんが、今日ばかりはオリジナルです。
なんでこんなものだけ残してあるんでしょうかねー。

Photo_127 私達の時代、電動ゴジラと言ったらマルサンではなく、何と言ってもこのブルマァク。
これ、なかなか出来が良かったんですよ。大きかったし。モーターのウォームギヤーが足りなくて、お店のおじさんに相談したら、手持ちのパーツを探してくれてタダでくれたのがうれしかったな。

Photo_128 このゼンマイガメラはきっと読者の皆さんも作られたのでは?私も3個以上は作りましたね。
このキット、初版は200円。子供にはお小使いを貯めてギリギリ手が届く価格でしたからねー。この他、ギャオスなどいろんな種類があるんですが、私には「ギャオス」に深い思い入れがありました。
この設計図でもありますが、尻尾のパーツにおもりを入れますよね。「ギャオス」の場合、おもりを入れたパーツを接着すると、おもりの重さで尻尾がよくとれたんですよ。
父親に泣きついて、尻尾はハンダゴテで胴体と「溶接」してもらいました。後日友人の家へ行った所、友人も同じギャオスを持っていて、尻尾がまったく同じ「溶接」。これには笑いましたね。

Photo_129 ブルマァクの「ゴモラ」も当時としてはよく出来たキットでした。
箱絵は後々文献で「一期」から「三期」まであったようですが、私が入手したのは「一期」。原型が木型だった云々など、設計側の事情は当時の私には分からなかったので、オレンジ色の成型色もまぶしいこのキットを手にした私は大喜び。一人で「怪獣殿下」していたわけですね。

Photo_130 第二次怪獣ブーム、アオシマが発売していた主役キャラクターのゼンマイ歩行キットも作り倒しました。
ただこのアオシマ製歩行キット、人間型主役キャラのプロポーションとポージングには独特のセンスがあって、両手を挙げて歩く、というひどく無防備なフォルムだったんですね。そのわりに、「ミニモデル」と呼ばれていたディスプレイの小さいキットの方がプロポーションが良かったような。それにここにはありませんが、「スペクトルマン」のゼンマイ可動怪獣なんかはすごくプロポーションがいいんですよ。(これは「現物」を持っています。別の機会にお見せしますね。)
アオシマはヒーローより、怪獣の造形センスが良かったようですね。

Photo_131 「可動」にこだわっていた私は、これらのメーカーオリジナルロボットにも手を出しました。
今考えると、当時の私はテレビキャラクター、メーカーオリジナルの区別なく、とにかく「動く物」に執着があったようですね。
ところが!この「メーカーオリジナル」のキットは、設計側のメーカーと購入側の子供達の間で日夜、火花散る「読み合い」が繰り広げられていたのです。

このバンダイの「アタックボーイ」。メーカーオリジナルの世界でかなりメジャーな部類のこのキットも、実は私、完成できなかったんです。
実際に作られた方はお分かりではないでしょうか。なんとこのキット、ボディーパーツの背面が天地で1ミリほどずれていて、接着すると「合わない」のです。気が遠くなるほどすり合わせを繰り返しても、当時の私の技術では無理でした。
サイズ、プロポーション、ギミックともすごく気に入っていたキットだったので、今でも手に入ればリペンジしたいですねー。(大きさ違いで何種類か発売されていたようですね。後年イマイから復刻された「ベビーサンダー」はもちろんゲット)

同時に映っているマルイの「スーパーロボ」は比較的簡単なキットでした。
ただ子供の頃って、作ったらすぐ遊びたいじゃないですか。接着剤が乾くまで待ちきれないんですよね(笑)。

こういう可動キットにとって、接着しきれていない可動部分に負担がかかる事ほど大きいダメージはない訳で(爆笑)もうおわかりですよね。ゼンマイボックスは外れるわ、背中のミサイルは割れちゃうわで、試運転前に大破、という悲惨な目に何度会った事か。指先と接着面をガビガビにしながら、泣く泣く補修したものでした。
おかげでオーナーの証、「指紋」はしっかりキットに刻まれましたが。

こうして昔のキットの設計図を見るのも楽しいものですね。
最近のディスプレイキットとはまた違う、設計者の熱い思いを感じます。
以前私の友人が、ノスタルジックヒーローズから復刻されたマルサン製ウルトラマンの電動キットを組み立てたんですが、その時の感想を思い出しました。

「この頃のプラモデルは、コストバランスをギリギリまで考えながら子供たちに精一杯楽しんでもらおうとする、メーカー側の愛情を感じるよ」

なるほど。設計図にあるギミックの数だけ、メーカーの愛が詰まっていたんですね。
いや、それにしてもそのキミックに泣かされた記憶も数知れず。それもまた楽しい思い出です。こういう「キットの泣き所」って、大体どなたにお聞きしても同じなのがいいですよね。そのキットの経験者同士しか分からない楽しみというか。

Photo_132 今日もいつも通りの、とりとめのないおバカなお話になってしまいました。ごめんなさい。
せめてこんな暑い日は、この設計図でも見て涼んでいただければと。
ダメ?昭和のオチ?寒い?(泣)

2006年8月14日 (月)

今だに心はデラミネーション

朝6時からのウォーキングで、午前中はすっかりダウン。まったく自分が使い物にならず。まだお休みだから良かったような物の。
まどろんでいる内に、意識化にある2006年版「日本沈没」への胸のつかえの元がちょっと分かったような気がしました。(午前中「沈没」していたせいですかね(笑)。

奇しくも今日、8月14日で公開初日より1ヶ月。初日に観てから寝かしておいた思いが発酵するのに丁度いい頃合い。書かずにいると頭に溜まっちゃって収拾がつかなくなるので、とりあえず今日は「鑑賞1ヶ月後」のつたない私見を綴ってみようと思います。
今日はネタバレがありますので、未見の方はご注意下さいね。

2006年版鑑賞後、ブログを検索していろんな方々のご意見を拝見しましたが、そこで起こった胸のつかえは、
「なぜこんなに評価が分かれるのか」という物でした。

2006年版の評価は「良かった」と「大失敗作」の真っ二つに分かれるのです。
どうもこの評価、私が考えるに「鑑賞する視点」によって分かれるような気がします。

「良かった」という人の視点は、出演者のキャスティング、日本が沈むというバックポーン、全体的なテーマなどに感情移入できた、いわゆる出演者の視点「沈む側」の視点に立った観方ではないかと。
私の周りでも演出うんぬんというよりは、「草なぎ君カッコイイ」「コウちゃん素敵」「もしも日本が沈んだらどうしよう・・・」的な感想が実に多いのです。小野寺の特攻、絶体絶命の「ひょっとこ」メンバーの元にかけつける玲子などに「感動した」と感じる向きもいらっしゃるようで。

それに対し、「良くなかった」という視点を持つ人の多くは、1973年版の旧作映画を観てストーリーを熟知しており(または旧作への心酔が強く)要は演出側、もっと言うと日本を「沈める側」の視点に立った人ではないかと思うのです。

こう考えた時、私の中で(ちょっとですが)胸のつかえが取れたような気がしました。「沈む側」「沈める側」相反するこの二つの視点で見ると、この2006年版は「役者の演技は良いけれど、ストーリー・演出に難あり」という事なのでしょうか。

さて、私はバリバリの「沈める側」として(笑)2006年版鑑賞1ヵ月後の感想を書いてみたいと思います。(ちょっと力入りすぎですね。いつもの調子で読んで下さいね。)

まず最初に言いたいのは「脚本のメリハリの無さ」でしょうか。

ドキュメンタリーじゃない以上、劇映画は「ストーリー」が命ですよね。とすれば、ストーリー制作側は、観客の気持ちを演出意図に準じてコントロールする必要があります。
この「日本沈没」という映画の場合、日本が沈むという地殻変動の恐ろしさや規模というものを観客に充分与えなければ、ラストのあの「大逆転劇」のカタルシスが得られないと思うんです。これがドラマ作りのセオリーではないかと。

ところがこの2006年版は、「この大変動があまり悲惨に見えない」。

田所博士の調査によって、沈没の時期が早まった事を国民は知らない。「沈むんなら逃げなきゃ」程度の思いで淡々と避難する。無事避難の終わった、誰もいない都市は静かに沈んでいく。
その映像はまるで「絵ハガキ」のように見えてしまうのです。

例えば1973年版であれば、田所博士が調査船の上で「最悪の場合、日本列島の大部分は海に沈んでしまう」というセリフ(「日本が沈む」という言葉を田所博士はここで初めて使うので、サプライズ・ワードでしょう)を放った直後、映画中盤の見せ場となる東京大震災が起こります。
後半、山本首相が国民に日本沈没の事実と、非難命令をテレビで発表した直後、富士山が爆発。その爆発に巻き込まれて離れ離れになる小野寺と玲子、といったように、
「沈没をドラマチックに盛り上げるストーリー作り」がされているのです。

こういうメリハリが欲しかったんですよね。
例えば、沈没時期が早まった事実を玲子に言えない小野寺、といったような(これじゃ1974年のテレビ版ですね)小さいお話にせずに、(ものすごくおいしい設定だと思うんですよ)「沈没迫る!」なんてマスコミにスッパ抜かれて、それを知った国民は大パニック、そこへさらなる大変動が・・・危機に陥る人々。真相を隠匿した政府の発表の遅れと、地震による空港施設の壊滅、津波などにより日本に「閉じ込められる」国民。高まる不信感に追い詰められた政府の対応は!なんて方向へ物語を持っていく事はできなかったんでしょうか。

他にも、鷹森大臣(大地真央)がN2爆弾設置の為、各地から船を集めるくだりでも、その交渉の難航状況の描写がまったくない。
1973年版では、海外に難色を示される国民引き受け交渉の様子が活写され、緊張感を盛り上げていたのとは対照的です。
こういう盛り上げがもっと要所要所にあれば、と思えてなりません。

言ってみれば2006年版は、その事実をドラマ部分不在のまま伝える脚本作りに於いて、「沈没リサーチ200X」とでも言いたくなるような、ドキュメント方式のストーリー展開だったのでは。
小野寺と玲子のラブストーリーがメイン、という観方もありますが、あの程度で「ドラマ」って・・・成瀬巳喜男の諸作を観てみて下さい(笑)。
これは実は演出の問題ではなく、ストーリー・脚本作りの問題です。要は「設計ミス」という所でしょうか。ですから樋口監督ばかりに非難が集中するのはちょっとかわいそうかもしれません。

次に言いたいのは「演出の未熟さ」でしょうね。

実は私、「日本が沈没しない」というラストはアリ、と思うんです。前述した、悲惨な部分やドラマチックな展開をきちんと描いていけば、ラストで「人間の英知と命が地殻変動に勝つ」というドラマを力技で見せることができたと思うんです。
ところが鑑賞後、そういう清々しさがないのは、きっと脚本の問題に加えて、そこかしこに見える樋口監督の「1973年版への心酔ぶり」なんですよ。

インタビューなどで監督が「1973年版との接点」と語る、1973年版と同じタイトルロゴ、タイトル後の富士山バックの新幹線や「この地方には、まだ被害はない」のスーパー。こんな演出って必要なんでしょうか?
こういう演出がある事で、監督の「前作を変えたい」という強い意識が削がれてしまう。

「こんな所に前作と同じカットがあるんだよ」という遊びにしか見えないのです。
加えて、監督のお好きな「新幹線大爆破」(1975年東映)の「タバコの灰」のカット繋ぎ、「望郷」(1937年フランス)の汽笛の演出などの「オマージュ」の数々。

こんなハードなお話に遊びなんて必要でしょうか。これは素人の発想ですよ。「ガンダム」で宇宙空間に飛ぶ鉄人28号を見つけて喜んでいるファンと同じレベルですよ。
どうせなら、「1973年版とまったく違うが、これも「日本沈没」だ」と言われる作品を作る、この作品だけの名シーン・名ゼリフを作る。それくらいの意地を見せて欲しかったです。
これはどう弁明されても納得できません。というのは、1973年版が制作された時は、森谷司郎監督は「マネ」なんて事、微塵も考えていなかった筈ですからね。

そして最後、これは私が逃れられない1973年版フリークであるがゆえの弱みなので、本当にお許し下さい。
今だに結論が出ていない事なんですが、「キャスティング」についてです。

要は1973年版と印象が変わったキャストが、私の中で整理出来ていないんですね。例えば「日本沈没」という作品の中で、私が一番のヒーローだと思った「田所博士」。2006年版では豊川悦司が演じましたが、私には今一しっくりいかない。
これはもう私の中で、「豊川悦司だから良くない」のか、「1973年版の小林桂樹じゃないからイヤダ」なのか、区別ができないのです。
これははっきり言って、鑑賞1ヶ月後も引きずっている感覚です。
こんなもんですよ。ファンなんて(笑)。

リメイク作品であるハンデはよく分かります。樋口監督もそれなりに頑張ったとは思います。でも、脚本・演出についてはもう、完全に1973年版に軍配が上がります。
「日本沈没」としても「映画」としても。

くだらない事を長々とお話して申し訳ありません。思いの強さがお分かりいただければ幸いです。おバカなんで、短くまとめられないんですよ。ブロガー失格でしょうかね(泣)。

最後に小ネタをひとつ。福岡県で先日、「日本沈没」上映中の劇場内で消火器をぶちまけた41歳の男の人が逮捕されたらしいですね。
お酒に酔っていて、災害発生のシーンで我を忘れた笑えない行動だそうですが、これも後世、公開中のエピソードとして語り継がれるんでしょうか。

「日本珍没」とかタイトルを付けられてね(笑)。

2006年8月13日 (日)

キラリと光る涼しい目

夏休み真っ最中。大人も休むお盆がやってきましたね。
毎年この時期、子供の頃の私は、2つ年下の従弟の家に2週間ほど、泊り込みで遊びに行くのが慣例となっていました。遊び盛りの二人。異常な程仲の良かった私達は、とにかく遊びという遊びに興じましたが、その頃のお手本、というか真似の対象は、何と言ってもテレビの子供番組でした。

まあ、私達の子供の頃の遊びと言えば定番は「怪獣ゴッコ」でしたが、それと並んで人気があったのが「忍者ゴッコ」。
毎日、草むらに隠れて虫さされと戦いながら、拾った木屑を手裏剣に見立て投げあったり、早く走れば残像で体が何人にも見えると本気で信じていたものでした(可愛い!)
そんな私達のお手本は、なんといっても「仮面の忍者赤影」。
1967年に放送された東映制作の特撮テレビドラマでした。


Photo_123 おそらく私の世代が、「忍者を信じた最後の世代」じゃないかと思います。それほどこの番組が私達に与えた影響は大きく、同じ頃に放送されていたテレビアニメーション「風のフジ丸」とともに、私達の毎日に忍者の存在をアピールしていたのです。
(残念ながら私は「隠密剣士」には間に合わなかった世代。だから牧冬吉と言えば「霧の遁兵衛」ではなく「白影」なんですよね。)

とにかくあの番組はスゴかった。
あの番組を見ちゃうと、忍者装束の中はもう、四次元ポケットじゃないかと思うほど大きな物が入るんだなーと感心する間もなく、「豊臣秀吉が木下藤吉郎だった頃」とはとても思えない、ロボット、怪獣、超兵器のオンパレード。あの番組における「忍術」って、超科学を超えて(変な表現ですが)ましたよね。
飛騨忍者(実際には飛騨に忍者の里って無いんですが)赤影・青影・白影の三人組が敵忍者軍団と繰り広げる忍術戦は、まさに毎回「子供に夢を与えて」いたのです。

「赤影」に関して理詰めで解析を試みても、おそらく無駄でしょう。逆に野暮と言うもの。
敵忍者が巨大ロボット・金目像で現れ、町を破壊しても、あの独特のファンファーレと共に赤バック白抜で「涼しい目」の仮面ヒーローが現れれは、すべてOK。「赤影がんばれー」となってしまうのです。
対抗する武器も凄かったですよね。仮面中心の宝石から光線、というのはまだアリとしても、腕のカバーがバズーカ砲になるなんて、どなたの発想なんでしょう(笑)。

Photo_124 またその赤影がピンチに陥ったとき「パトカーのサイレンと共に現れる」影の字の大凧!
「やさしいおじさん」白影と、「だいじょーぶ」の少年忍者、青影の登場ですよねー。
おそらく赤影のBGMをひとつ挙げろと言われたら、まず間違いなくこの「白影のテーマ」でしょう。私はこのBGMに彩られた、白影の活躍が大好きでした。
あの「赤影トリオ」って、とにかく「暗さ」がなかったですよね。忍者という存在にありがちな「影に生き影に死す」的な追い詰められた生き様が微塵もなかった。
「正義の忍者」という大看板が、フィクションの世界へ私達をいざなってくれたのでしょう。

敵の忍者も一年を通じた放送期間の中で四団体(笑)登場しましたね。私もご他聞にもれず、時代劇の重鎮、天津敏率いる金目教、卍党が大好きでした。あの個性溢れる「イリュージョニストと芸人の狭間を疾走する」キャラ勝負の敵忍者達にワクワクしたものです。

子供の頃、ああいう番組に影響を受けちゃうと、子供番組にとっての「リアル」って何なんだろうと思っちゃいます。
現実の世界を忠実に描く事が「リアル」とするなら、赤影の世界はもう「メッチャクチャ」ですが、あえて確信犯的に「ここでこの武器が出て欲しい」「この展開の方がスカッとする」方面に心が向く方が健全なような気がします。
しかし、「他人を裏切らない」「悪い事は悪い」「守るべきものは全力で守る」など、伝えたいメッセージはまったくブレがなく、番組を通して私達に伝わって来たのです。
そういう意味で、この「赤影」は、飛びぬけた発想で子供の心を掴み、普遍のメッセージを後世に伝えた「忍法・子供教育」の名手であったのです。

後年、私が今の仕事に携わったばかりの頃、番組で「忍者」を特集する事になりました。
取材先は「世界忍者戦ジライヤ」(1988年東映)で主人公の師匠を演じた戸隠流忍術師範、初見良昭氏。過去には前述の「風のフジ丸」で忍術解説も行っていた本物の「忍者」です。
千葉で実際に忍術教室を開いていらっしゃいますが、そのトレーニングも武道、剣道などを中心とした独特のものでした。

これはちょっとしたカルチャーショックでしたねー。過去に見たどの訓練とも違う、「武道にして武道にあらず」的な動きで。
忍者の刀っていわゆる武士の剣より短いんですよ。ほんとにあるんだこんな刀。
鎖がま対刀のパフォーマンスも見せてもらいました。「忍刀法」って言うんです。

あと、高い塀を二人がかりで超える技術。

見事な体術が披露され、その身のこなしにも肝をつぶした私。「ちょっと『くの一』やってみたいぞ」って感じでした(笑)。

赤影の荒唐無稽さはさすがにありませんでしたが、子供の頃に感じた「戦国時代のスーパーヒーロー」の片鱗を感じた取材でしたねー。
「ジライヤ」にも俳優として出演を果たした初見氏。やっぱり子供の心を失っていないんでしょうね。訓練で見せた厳しい表情も、忍者について語る時は夢見る少年の目でしたから。

Photo_125 さすがに忍者ゴッコをする年代は過ぎてしまいましたが、今でも私はあの赤影の仮面から覗く「涼しい目」を憶えています。
あの坂口徹郎さんの目は、正義を見通す眼力を感じさせるとともに、子供の頃の「澄んだ心」を思い出させますよね。

自分の視力は、最近めっきり落ちちゃいましたが(泣)。

2006年8月11日 (金)

疑惑に淀む街

「爆破予告があってねえ。」苦虫を噛み潰したような顔で、担当者はつぶやきました。
真夏日。うだるような白昼、正午前。都心中心部のビル。
フィクションではありません。今日、私が実際経験した事です。

今日も私は、いつも通り打ち合わせを済ませ、テナントが並ぶそのビルのアトリウムを歩いていました。と、エスカレーター近くで制服姿の警官が、植え込みの中を何か探索しています。こんな光景を見たのは初めて。思えば今日ビルの前に数台のパトカーが停まっていたような。
たまたま一階に居た顔見知りのビルの担当者に、私は訊ねました。
冒頭のセリフは、その時の担当者のものです。

「昨日イギリスで、大型テロが回避されたでしょ。ああいう事が公になると、世間では何かと面白半分に、イタズラ電話をかけてくる奴が居るんだよ。」
「そのたぐいの電話だったんですか?」
「まだわからないけど、前々からそれに近いイタズラはあってねえ。まあきっとそんな所だと思うけど、予告があった以上、何もしない訳にもいかないし。一応警察を呼んでね。」

他の担当者が状況を報告に来たのをきりに、挨拶をしてビルを離れた私。その後現在に至るも、ビルの異常がニュース等で報道されていない所を見ると、まあ、イタズラだったのでしょう。ここまで毎日暑い日が続くと、おかしな輩が現れて来るものです。

お盆の帰省、海外旅行ラッシュも始まり、空路も混雑を極める今の時期。成田空港でもテロに備え、機内持ち込み荷物の特別規制が行われているそうです。近くに実家があり、海外とも縁がない私、そんな話題は違う世界の事とたかをくくっていたのですが、まさかこんな身近にテロの影響があるとは思いませんでした。それにしても、人騒がせなイタズラですよね。そんな事をして何が楽しいんでしょうねー。

ビルを出て街中を走る途中も、私の頭にはまだその時の、担当者の言葉が響いていました。
「この見慣れた街並のそこかしこで、一歩間違えば大惨事が起こりかねない。」
そしてもうひとつ、私達のような立場の存在にしかわからない「疑惑の目」の存在も頭をよぎるのでした。

「ネヴュラ」をご覧の皆さんはもう、よーくご存知と思いますが、私「オタクイーン」は、生物学上は男性ですが、服装など生活のあり方は女性、という変則的な人生を送っています。
ここしばらくはオタク趣味全開の記事ばかりでしたので、「ほんとは男なんじゃないの?」という疑問をお持ちの方も多いと思いますが、どんなに怪獣に傾倒していても、私の生活は依然として「女子」しているのです。
まあ、こんな思いとはうらはらに顔や体型は男そのものなので、そのギャップに悩む事も多いですが(おバカな性格もね(笑)それなりに充実した毎日を送っている訳です。

ところが、前述の「テロ」など、世間を騒がす事件が起こる度に、私のような存在はいつも、疑惑と好奇の目に晒されるのです。
ひょっとして読者の皆さんの中にも、私のような方がいらっしゃったらきっと頷かれていると思います。

数年前日本中を騒がせた某教団のメンバーが、「女装して犯行を行った」と言われた頃もそうでした。
別に私達はなにも悪い事はしていないのに、どうも周りの見る目が違う。これは肌で感じる事なので説明しづらいですが、明らかに「不審者扱い」の目なのです。

それでもここ数年、「性同一性障害」という言葉が世間的に認知されつつある事が幸いして、以前のような視線を感じる事はほとんどなくなりました。下着を買いに行った時、店員さんに「必ず試着して、納得してから選んでね」と言われた時など、ひどく感動したものです(笑)。
そういった世間の認知が、ちょっとした性的犯罪の手段に使われた「女装」や、先日のテロに便乗したイタズラなどが横行する度に、「やっぱり怪しいんじゃないの?」という意識へ戻ってしまう。

自分のブログなのでここで言わせて頂きますと、ああいう「性的犯罪者」や「テロのカムフラージュ」の女装って、いわゆる「素人」なんですよ。見ればすぐわかる。本当に怪しいですもんね。それはやってる本人が「本気」じゃないからでは?
本当に「女性として生活したい」「女性として認知されたい」と思ってないですもんね。彼らって。だから、自分の目的を達成する為だけに女装する。

いくつか拝見させていただいてる、私のような立場の方々のブログでも、「女装の痴漢逮捕」なんてニュースが流れる度に、大変な反響があるのです。
そういう犯罪者は本当に「大迷惑」です。(私の顔の出来はさておいて(号泣)

今日の私は、GパンにTシャツといういわゆる「男モード」だったので何とか難を免れましたが、これがちょっとドレスアップした姿だったらもう、どうなっていたか・・・
今だに制服姿のおまわりさんを見ると、悪い事してないのに足がすくむんですから。
本当に、私達みたいなのは弱い存在なんだなーと思いますね。

そんな意味でも、こういう人騒がせな事件は起きて欲しくない。
日頃のウォーキングですれちがいざまに挨拶をしてくれる名も知らぬ老夫婦や、スーパーでお母さんの服にしがみつく小さな子供の姿を思い出す度に、こんな人たちと同じように、私も日々を送って生きたいなー、なんて思う訳です。
皆さんと何も変わらないですからねー。頭の中はゴジラとブースカでいっぱいでも(笑)。

ところで!今日ついにゲットしました。
おととい書いた「超合金メカゴジラ2」!

定価を知らなかったのでオタクショップの売価だけで悩んでいたのですが、なんと定価の半額!中古とはいえ開封しただけ、というコンディションでピカピカです。
これはいい買い物。私のなかではかなりのヒットです。
今、ポーズを取らせて飾ってありますが、やっぱりメカゴジラは昭和バージョンがいいですねー。しかも胸のデザインは「逆襲」タイプの1975年モデル。超合金の硬質感がたまりません。なんと飛行モードも再現可能。「スペースチタニウム」も付いてるし。
同じサイズのゴジラを対峙させてみたい衝動がもう・・・

写真はベストアングルを研究してからアップしますので、もう少しお待ちを。って
記事の趣旨変わっちゃいましたね(笑)。
やっぱり「オタクイーン」ですね。私。

2006年8月10日 (木)

「変えない」という技術

新聞に、「サザエさん」の脚本家、雪室俊一さんのインタビューを基にした記事が載っていました。
アニメーションのクリエイターを長期に渡って採り上げるこの連載記事、私も楽しみにしているのですが、今日の記事もなかなか興味深いものでした。私、「サザエさん」にメインライターがいらっしゃるなんて、失礼ながらまったく知りませんでした。
雪室さんは放映開始以来、実に1600本もの脚本を手がけているそうです。これは凄いことですよね。

かねがね私は「おそらく日本のアニメ脚本で、もっとも難しく高度なものは『サザエさん』だろうなー」と思っていました。
私も放送業界の末席を汚す身なので、あの作品の難しさはよーくわかるのです。というのはあの作品、二つの相反する要素を両立させているんですよね。

変えちゃいけないけど変えなきゃいけない。

日本に居て「サザエさん」を見た事がない、という人はもう、日曜日の夕方は密室にでもこもって動かない、非常に特別なライフスタイルを送る方でしょう。それくらい、「日曜の夕方はサザエさん」というイメージは定着しています。
いったい私達が「サザエさん」を見る理由はなんでしょうか?
私で言えば「なんとなく」「時計代わり」「日曜日のシメ」などの、どちらかと言えばさほど積極的な理由を持たずに見ています。
でも私が知る限り、(おそらく放映開始以来見ている筈ですが)「今日のサザエさんは突出した名作だ!」とか、「ちょっと出来が悪かったなー」なんて、特別な感想を持った回はありません。皆さんもそうではないでしょうか。

毎回、同じテイストを持ちながら新作を作り続ける。
恐ろしい程の、クオリティーの均一化が図られているのです。

私も、毎週放送される番組の脚本を手がけているのでよく分かりますが、この「クオリティーを保ち続ける」というのは非常にむずかしい事なのです。
しかも、長谷川町子さんの「サザエさん」原作は全68巻。私も随分昔、全巻を読んだ事があります。確かにこれは、それなりに全て面白い。一本一本が「立っている」印象を受けました。
しかし長谷川さん没後の今、新作が作られない中で、あの原作のエッセンスを崩さずにアニメーションを制作する上での努力というのは、これはもう想像を絶するものがあると思うのです。

雪室さんの凄いところは、「原作だけではいずれ話が持たなくなる」と、新しいキャラクターを作り、それを定着させてしまった事です。
中島君、花沢さん、三郎さんを誕生させたのはなんと雪室さんなんですよ。

もう今や、中島くんと野球の練習をしないカツオ君なんて考えられないですよね。ちなみにイクラちゃんの命名も雪室さんです。

インタビュー記事で面白かったのは、「つなげるのは編集者の仕事であってクリエイターの仕事ではない」という言葉でした。
ちょっと補足しますと、「サザエさん」はライターに対して、制作陣からは毎回原作の四コママンガが3~5本渡されるそうです。要は「元ネタにしてください」という事なんでしょうが、雪室さんはその内一本しか使わないそうなんです。その理由は、「楽をしたくないから」。
凄いですよねー。私には真似できません。

若手の他のライターにも、「原作数本とオリジナルを繋げても、面白いのは原作の部分だけだよ」と言っているそうです。それだけ原作に敬意を払っているんですね。
そして、オリジナル一本だけを元ネタに、自分を追い込む。

元々四コマで起承転結を表現する四コママンガと、一本が7分のテレビアニメは全く作劇術が違う筈なのです。本当に、作品の長さが1分違うだけで、そのテイストは全く変わってしまいます。そんな中、大事件など起こしようもないあの世界で、ドラマを成立させなければならない。

これは本当に「プロ」の仕事です。

時代の流れだってありますよね。原作が描かれた昭和が終わってから既に17年半。携帯電話やパソコンが普及した現代でも、磯野家には今だに、それらのハイテク機器はありません。しかし、番組を見ている間はそういう事に疑問を持たない。
原作の空気を壊さない事を目的とした、そういう作劇がされているからです。
おそらくメインスポンサーである東芝の理解を得た上での措置でしょう。電気メーカーが自社提供のホームドラマに最新の電化製品を出さない。
バンダイにも見習って欲しい姿勢です(笑)。

さらに面白いのは、「単なるホームドラマは他のライターに任せて、ちょっとはみ出した部分をやりたい」という言葉です。
雪室さんはメインライターでありながら、「ウルトラマン」に於ける、佐々木守さんのポジションを取ろうとしているのです。

「他のライターと作品が似ない点では自信がありますね」と語る雪室さん。これは、どんなに自分が変化球を投げても、「サザエさん」という作品の幅からはみ出さない、という自負なのでしょう。

私も、仕事で書いた台本に直しが入る時、担当者に「この番組でこの表現はないでしょう」なんて言われることがあります。創作を行う上で小さくまとまってしまうのもよくないのですが、実はその番組のメインライターは私なんですよねー。自分が番組の幅を超えちゃいけませんよねー(笑)。

記事の最後に、今日の冒頭の言葉の答えらしき事が書いてありました。
「サザエさん」はいつも同じでいつも違う。同じ料理でも、盛りつけが変わっているのです。

なるほど。原作は「食材」。どう料理するかはライターの腕次第、といったところでしょうか。
私ももう少し、食器洗いから勉強し直す必要があるようです。

樋口監督。どうです、一緒に勉強しませんか?(笑)

2006年8月 9日 (水)

私は見た!メカゴジラ秘密基地

「うーん・・・」痺れるほど腕を組みっぱなしで眺め続けたショーウィンドー。
今日もお仕事の帰り道、暑さを避けるように寄った「オタクショップ」で、またしても目の毒、「心を熱くさせる」アイテムに出会ってしまいました。

一昨年、ゴジラ生誕50周年を記念して発売された、バンダイ製「超合金メカゴジラ2」。
発売されていた事は知っていましたが、出荷数が少なかったからか店頭で見かける事はついに叶わず、今日パッケージと共に発売の事実を初めて知った、「幻のアイテム」だったのです。
新製品の情報には極端にうとい私。毎回中古店に出回る度に初対面を果たすアイテムは数知れず。今日もそのパターンでした。

まるで楽器屋さんでウィンドーのトランペットを眺める黒人少年のような気持ち。予算が・・・。
今日のところは引き上げ、とばかりに組んだ腕をほどきました。

帰り道。ミニバイクを飛ばす私の脳裏には、メカゴジラのパッケージにあった、あるオマケの写真と、そのキャプションが浮かんでいました。
「スペースチタニウムのレプリカ付」。

スペースチタニウム。そうです。読者の皆さんはもうご存知でしょう。メカゴジラの外皮を構成する宇宙特殊金属。
メカゴジラの初登場作品「ゴジラ対メカゴジラ」で判明し、メカゴジラの宇宙サイボーグ性を演出した金属の名称です。
私には、この宇宙金属にまつわる、ある思い出があるのです。

Photo_113 1974年春。「ゴジラ対メカゴジラ」公開時、私の周りでは、仲間達による「メカゴジラ賛美」の声でもちきりでした。当時は空前のロボットアニメブーム。テレビでは「マジンガーZ」が空前の人気を誇り、後年まで語り継がれる劇場超大作「マジンガーZ対暗黒大将軍」を7月公開に控えた、あの頃でした。
子供達はメカニカルなヒーローの活躍に心を奪われ、毎日が「ロボット・メカ」のオンパレード。時代のエッセンスを敏感に吸収してきたゴジラ映画が踏み切った「ゴジラのロボット化」も、ストライクゾーンど真ん中の企画として子供達に歓迎されたのでした

Photo_114 メカゴジラは(映画の出来はともかく)ケレン味あふれる登場シーンからゴジラに対する圧倒的な強さ、全身武器というメカニカルな魅力で、ゴジラを凌ぐ人気を得ました。
確かに、当時現役で子供していた私達の間にも、「もはやゴジラは古い。これからはメカゴジラだ」的な空気が蔓延していたのは事実です。
Photo_115 Photo_116 いち早く映画を観た私はもう博士気取り。「メカゴジラの皮膚はスペースチタニウム」っていう金属で出来てるんだ。」と触れ回っていたものです。周りの仲間も「へえー。そんな金属あるのかなー」「超合金Zみたいな物かー」なんて言っていた時代でした。(このあたり、今改めて書くとホントに、おバカ丸出しですね。お恥ずかしい)

んなある日、私は見つけたのです。「スペースチタニウム」を。

Photo_121 Photo_122 高度成長の余韻が残り、公害が社会問題化していた1974年。当時、私の家の近くにも大きな金属加工工場がありました。この工場でも、製品加工で余った「金属クズ」を一時的に工場の裏などに出していたのです。

学校の帰り道、その工場の裏を通った私。
その時、見慣れた筈の金属クズの中にキラリと光る、あるパーツが。

直径5センチ程の、円形の、銀色に光る金属のかけら。
それはまるで、劇場で観たメカゴジラの、「あの表面」にそっくりだったのです。

Photo_119 当時すっかりメカゴジラに心酔していた私は、そのかけらを、そっと持ち去ったのでした。
私はそのパーツを「スペースチタニウム」と名付け、メカゴジラへの思いをさらに強くしていったのです。仲間にも「スペースチタニウムって、こんな色、表面なんだ」と自慢しまくり。

皆さんにも憶えがありませんか?子供の頃、今考えると本当にガラクタとしか思えない石や貝、果てはボルトやナットみたいな物まで、まるで宝物のように大切に集めていた記憶。
私はそれを、素晴らしい事だと思うのです。

そこにはきっと、「ガラクタが宝物に見える」子供達の「夢見る力」があったと思うからです。当時発売されていた、本物とは似ても似つかない怪獣のソフビ人形も、きっと子供達には「映画やテレビで見た通りの本物」に見えていた事でしょう。

実際私だって、「スペースチタニウム」が本物とは思っていないんですよ。でも、そこには夢をフォローする何かがあった。
愛用していた自転車はサイクロンより早い、夢のスーパーバイク。
近くの神社に生えている松の木は、まるで大怪獣。
Photo_120 スペースチタニウムがあった工場だって、私の目には「メカゴジラの秘密基地」に映っていたのです。きっとあの工場の中には大きなドックがあって、メカゴジラが整備されているんだ、なんて。

皆さん、お笑い下さい。私は本当に子供の頃からこんな、妄想癖のひどい子供だったのです。でも少なくとも、当時の私の仲間は、多かれ少なかれそんな子ばっかりでした。
そうじゃなきゃ、怪獣ゴッコなんて成り立ちませんよねー(笑)。

年を重ねてしまった今、そういう気持ちを持ち続けるのは難しいと思います。
そりゃそうですよね。毎日のお仕事の中でそんな事ばっかり考えていたら、生活していけませんから。
でも、私は考えます。きっと「ネヴュラ」をいつもご覧頂いている方々は、そんなピュアな気持ちを忘れていないってね。
私が拝見しているいくつかのブログで、怪獣やプラモデル、おもちゃなどの記事を読んでいると、皆さん楽しそうですもん

あの、スペースチタニウムを見つけた頃の私の気持ち、分かって頂ければ嬉しいです。

成長するにつれ、どこかへ行ってしまった「スペースチタニウム」。今日のあの「オタクショップ」での特別封入パーツは、あの時とは比べ物にならない程いい出来でした。
でも、パッケージの写真一つで、結構思い出すものですね。
なんか、思い出させてくれた今日のメカゴジラが、妙にいとおしい気持ちになってきました。うーん。予算を捻出しなきゃなー。

どうやら狙っていた秋物のスカートは、先送りになりそうです(泣)。

2006年8月 8日 (火)

大人の怪獣図鑑

昨夜、NHKBS2で、大伴昌司さんの仕事ぶりを描いた特別番組が放送されました。
ご覧になった方も多いと思います。私も鑑賞しながら、稀代の編集者大伴氏の世界を懐かしく回想しました。
私の世代で大伴昌司さんと言えば何と言っても「怪獣図鑑」。
番組でも紹介されていた朝日ソノラマの怪獣大図鑑なども、復刻版ながら買い求めました。今見ても懐かしいものですが、今日はもうちょっと新しい、私が「大人」になってから文字通り「集めた」怪獣図鑑のお話です。

Photo_102 今から4年ほど前、グリコから発売されていた「ウルトラQスナック」。
先行発売の「ウルトラマンスナック」「ウルトラセブンスナック」に続くウルトラスナックシリーズ第三弾として、スーパーやコンビニなどで売られていましたね。
当時私は、「マン・セブンスナック」にも多少の興味は持っていましたが、さほどの関心は湧かなかったのでした。というのもこのスナックシリーズ、おまけはスナック菓子の定番「カード」なんですね。「マン・セブン」のカードというのは比較的メジャーなのであまり食指が動かなかったのです。(後にオタクショップなどでカードを見ましたが、かなりレアな図版や、フィルムからの極美プリントで構成されていて、後悔しました(笑)。

まあそれにした所で、「それはそれ」的な感覚だったのです。ところが!
第三弾としてウルトラQが採り上げられるや、私の胸は一気にヒートアップしたのでした。

だって、ウルトラQだけでスナックって、過去ありませんよ。
「少年ジェットスナック」や「豹の眼スナック」並みに、スナックそのものがレアですよ。
こんな機会を逃す訳には、というわけで、あえて「大人買い」をしないことを自分のルールとして、スーパー、コンビニを買い歩いたのでした。
いやーやっぱり楽しかったですね。確かに「大人買い」はおまけがコンプリートできる満足感はありますが、「集めていく」楽しみはないですから。ましてやおまけはカード。抜けていたカードが出た時の嬉しさと言ったら。
精神年齢が低い私にとって、それは今日の占いにも等しい運試しなのでした。単価も安いしね。

Photo_103 Photo_104 さてさて、そうして集めたスナックのおまけカード。仮面ライダースナックの昔から、こういうものはアルバムに収め、収集の日々を思い返しながら眺めるのが定番の楽しみ方です。
ご他聞にもれず私も、専用のカードホルダーを買い求め(やっぱりホルダーは市販されてなくて、メーカー申し込みしか入手できないのが「伝統」なのです)集めたカードを入れていきました。
このホルダーも、大人の鑑賞に耐える(?)ハードカバーのスタイリッシュなデザイン。

Photo_105 実際カードを入れてみると、モノクロ作品の「ウルトラQ」だけに、ホルダーのページの見栄えがまた、渋いですね。
まさに「大人の怪獣図鑑」の風格充分です。


Photo_106 Photo_107 カードの裏には「例によって」怪獣やエピソードについての一口メモが記されており、カードを集める事で一大「ウルトラQ図鑑」が出来上がる、昔ながらの仕掛けでした。
まあ、確かに情報の内容は、今売られている怪獣マニア本と比べれば大した事はありません。ほとんど語りつくされた事ばかりです。ちょっと撮ってみましたので、よければご覧下さい。(写真はクリックすると拡大します)
たぶん皆さんもご存知の事ばかりですよね。でも私は楽しかった。「集める行為」というか、その過程が楽しかったんですね。昔の「カード集め」の楽しさを再演出したかったのかもしれません。

Photo_112 このスナック、心憎い事に「ラッキーカード」がありました。2枚集めると、「世にも貴重なカラーカード5枚をプレゼント!」これはなんとしても引き当てなきゃ!
(スレたオタクに成り下がった私。ウルトラQのカラー図版がどれとどれで、何がカード化されているかも大体予想はつくんですが、ここは子供のピュアな気持ちで・・・)
Photo_108 運よく2枚、ラッキーカードを引き当てた私は遂に「カラーカード」5枚をゲット。
ウルトラQ放送中、放映後などに、銀座のデパートや川崎の遊園地で撮影されたらしいです。いいですねえ。マニア本で見慣れた図版も、こうしてカードになると特別な感じがして。
貴重なカラーリング云々というよりここは、「昭和41年の澄んだ空気」を楽しみたいです。

Photo_109 川崎の遊園地の写真は他にも、カードホルダーについていた特別カードで見ることができます。カード裏面の解説にもありましたが、この夏も全国で行われている怪獣ショーの原点がこれなんですねー。
当時の子供達の、怪獣の存在を信じる目の輝きも、しっかり収められています。

Photo_110 それにしてもなんでこう、ウルトラQと聞くと目の色が変わるんでしょうか。「マン・セブン」がカップリングされていればこれ程入れ込まないんですけどね(笑)。
このカードも「大人の怪獣図鑑」としてお気に入りの一品なんですが、(ホルダーも気に入ってるし)

唯一の難を言えば、「コンプリートできなかった」んですよ!

Photo_111 このスナックが売られていたのは4年前。多分今でもコレクターショップへ行けば抜けている分は手に入るんでしょうが。
なんか、それはやりたくないんですよね。せっかく大人買いしなかった事だし。
あえてコンプリートせず、抜けている分を想像してニヤリとする楽しみも、取って置きたいような無いような・・・

こういうのは「大人の楽しみ」って言うんでしょうか?
いや、只の負け惜しみですね。やっぱり(泣)。

2006年8月 7日 (月)

伝説怪獣ゴーグ対ギャロン

この夏私は、ある資格をとるべく猛勉強をしています。
ある組織の「隊員資格」です。
その資格の取得には、科学特捜隊なんか目じゃない、難しい技術が要求されます。
「人間を超えなければならない」かもしれません(笑)。

組織の名は、『川口浩探検隊』。

俳優川口浩をリーダーに、世界中のどこへでも出かけて行き、知られざる秘境、未確認生物、伝説の財宝などの謎を解き明かす任務を負っています。
四半世紀も前にテレビで彼らの活動を見た私は、その冒険に限りないロマンを感じたのでした。
女性隊員は居ないようですが、私は頑張ります(笑)。

Photo_96 探検隊の活動はこうした映像記録となって後世に残されています。私はこれを見ながら、日夜勉強に励んでいるのです。
今日は私がこの映像記録を見ながら考えた、探検隊の活動のすばらしさと、隊員の超人的な活動についてお話しましょう。

私が最初に感銘を受けた冒険はこれ。
「恐怖!双頭の巨大怪蛇ゴーグ!(1982年5月12日放送)」

Photo_97 南部タイ、カウング島。「蛇島」と呼ばれるこの島で王者として君臨している二つ頭の蛇「ゴーグ」を捕獲する為、島に向かった探検隊の活躍を描いています。
島中蛇だらけの中、勇敢にもゴーグを捕獲するという目的だけの為に突き進む彼ら。
しかし、探検隊の行く手には数々の苦難が待ち構えているのです。

ゴーグ探索の為、ボートで洞窟の中へ進む探検隊。その奥には「照明が仕込まれた」洞窟の様子がよく見えます。隊員は川口隊長が来る前に、洞窟で照明のセッティングをしなければならないのです。電源はどこで取ったのでしょうか?

突如ボートに落ちてくるヘビ!しかしテレビカメラはまるで、それを知っていたかのようにヘビの落下をフォローしています。隊員には予知能力も必要なのです。

ジャングルの途中に現れた川を歩いて渡る探検隊。それをかなり離れた場所から捉えるカメラ。そこで突如水中の蛇に襲われる川口隊長!緊迫感溢れる場面が撮られています。カメラが切り替わると、隊長の真後ろから「蛇に襲われる瞬間の隊長」が撮られていました。さっきのロングショットでは、隊長の後ろにカメラマンは居なかったのに・・・

隊員は番組の為に、同じ場面を2回演じてもらう交渉能力さえ要求されるのでした。

Photo_98 捜索の上、ついにゴーグ発見!その頭は伝説通り二股に分かれていました!
この時のカメラの動きがまた、絶妙!「首の部分が微妙に岩で遮られていて見えない。2匹にも見えないこともないけど・・・」

どちらにも見えるように撮る。この高等技術!
さらにゴーグを追って、間一髪で逃げられてしまう隊員のタイミング!
「逃したな」川口隊長の、この一言がカッコイイ!

すべてはこの川口隊長の一言で、帳消しになってしまうのでした(笑)。

「恐怖の巨大怪鳥ギャロン!(1985年1月16日放送)」も感動の大作でした。

Photo_99 南米ベネズエラ・ギアナ高地に生息するという、翼長約2メートルもあろうかという怪鳥、ギャロン。捕獲するべく現地に向かった探検隊の行く手を阻む大自然の驚異!

ギャロンを目撃した唯一の老人が、ギャロンのものと思われる羽根を保管していました。随分昔の目撃なのに、羽根はまるで新品。実に巧妙な伏線に期待も高まります。

ギャロンが棲むという、高さ1000メートルの巨大な滝、「アンヘルの滝」を目指す一行。現地周辺を覆う鉄鉱石の為、方位磁石が使用不能となり、一気に緊張感は頂点に。
こういう事前情報を調べておきながら、ストーリーを盛り上げる為にあえて知らせない隊員のすばらしさ。

ジャングルで「おもしろいカエルがいました」と、その時だけ子供のように隊長に見せに来る隊員。川口隊長は顔色を変え、「毒ガエルだ!」と叩き落とします。
隊長に見せ場を作ってあげるのも隊員の重要任務なのです。

急勾配を登り、滝に近づく一行。「体力は限界に近づいていた」雰囲気の映像ですが、カメラはその一行をずーっと離れた場所からロングショットで撮っています。
全員が疲労困憊のはずなのに、カメラマンだけは離れた場所へ行ける超人的な体力が要求されちゃうのです。ディレクターはきっと人でなしでしょう(笑)。

一行は「問題の洞窟」へ。ここで例によって「人一人がやっと通れる穴」を川口隊長が降りているのを「横からカメラが撮っていて」その後ろから隊員が滑り落ちていく、という恐るべきシーンが。カメラマンはきっと「小人のマーチャン」並みの体格に違いありません。
洞窟を進む隊長の前に、ギャロン目撃者の老人が拾ったものとまったく同じ鳥の羽根が!「空の大怪獣ラドン」で、ラドンの翼の写真と図鑑の絵がピッタリ合っちゃった時と同じ爽快感が駆け抜けました。「ラドン」を観た隊員の仕込みでしょう。実にいい仕事です。

いよいよギャロンとの遭遇。ギャロンに警戒心を与えない為、洞窟の中ライトを消して息を殺す隊員たち。しかしそこで、静寂にたまりかねた一人の隊員がライトを点けてしまいます!それを「点ける前からアップで」狙うカメラ!
もう間違いありません。カメラマンは超能力者です!

Photo_100 ギャロンの群れ登場!洞窟の地上に降り立ったギャロンを捕獲すべく近づく隊長。ところが隊員の一人がギャロンにライトを当てた為、ギャロンは飛び去ってしまいます。
この失敗振りの素晴らしさと、隊長に花を持たせる気遣いに・・・(以下同文)
ギャロン捕獲を諦め、洞窟の出口を探す一行。一筋の外光を見つけ、遂に光差す外界に踏み出す感動の隊長を・・・
カメラは洞窟の外から狙っていました(爆笑)。

素晴らしい!こんな過酷な隊員の姿に涙しながらも、「私に務まるかしら」と不安になります。しかし、このDVDの制作秘話を読んで、少し安心しました。
当時の制作者はこんな意味のことを語っています。
「これは『ドキュメンタリー番組』というドラマなんだから」
「そりゃ事前にロケハンして行くんだから怪物は居るに決まってるよ」

うーん、さすがテレビマン。本当の事はなかなか言いませんね。
私はまだ信じていますよ。今作り手の立場になって、どんなに裏の事情が見えても。
「世界には未知の生物が、必ず存在する。」そう考える方が楽しいじゃないですか。

続く「藤岡弘、探検隊」でもその冒険スピリットは健在。
さすがに最近の作品は、藤岡隊長の芸達者ぶりが祟って「ドラマ」過ぎてますが(笑)。

Photo_101 昔からこの「水曜スペシャル」が大好きだった私。
好きが高じてDVDボックスまで買ってしまいました。なぜか、夏の季節になると冒険心がうずきますね。
きっと子供の頃の「夏休みの記憶」がそうさせるのかもしれません。

でも考えてみると、あの子供時代は、「川口浩探検隊」の隊員資格を持っていたような気がしませんか?
「隊員資格」って「探究心と子供のピュアな心を失わない事」なんですよ。きっと。

2006年8月 6日 (日)

明日の沈没予想

Photo_88 いやーとうとう買っちゃいました。
「日本沈没TELEVISION SERIES プレミアム・ハザードBOX」DVD9枚組!
全26話+特典映像+解説書+初回限定特典オリジナル・マウスパッド!
この散財で、私のこの夏のレジャーは終わりです(泣)。

この夏公開の映画「日本沈没」に合わせて発売されたスペシャルBOX。
Photo_89 実は、私はこのテレビ版のDVDを2枚持っているんです。以前単品で発売されていたものですが、2枚買ったところで資金が続かなくなってしまって・・・
市場には全巻が発売されていたのですが、買いだしたのが遅かったため、徐々にショップからも姿を消し・・・ついに手に入らなくなってしまったのです。
「日本沈没」フリークを自負する私はその時の屈辱を晴らす為、今回の映画公開でなんらかの動きがあるものと、市場の動向を狙っていたのですが、「直感とイマジネーション」が当たったようです。

Photo_90 さて、このDVDBOX、実はまだ開封していません。
まあ、実際には1巻と2巻は単品で持っているので、あわてて開ける必要もない、というのが一つの理由ですが、せっかく「ネヴュラ」で皆さんにお話を聞いてもらっている事だし、という事で、今日はちょっとお遊びをしてみようかと思います。

私はこのテレビ版を、1974年の本放送、1980年代に一回だけされた再放送、そして2年ほど前に買った単品DVDの1話から6話までしか見ていません。
その記憶を駆使して、このDVDBOXを再見する前に、テレビ版沈没の印象、感想を語ってみようと思います。見る前に文章にしておくと、いかに自分が記憶の中で事実を美化しているか、ねじ曲げているかがわかるかなー、なんて思いまして。
必死に思い出すと、自分がこの作品のどこに一番惹かれたかがわかりますよね。
ある意味自分に対する「実験」。
記憶をふまえ、再見前に「テレビ版日本沈没を予想する」わけです。

まず、この作品を本放送で見た時、やっぱりやってしまったのが「映画との違い」でしょうね。同じ「日本沈没」というタイトルでありながら、半年間26話もあるわけだし、映画と同じ訳がないと。どこが違うの?と、子供の私は目を皿のようにしてブラウン管を凝視していました。で、これは再放送、DVDともに思った印象です。ちなみに「映画」という表記は以後、すべて1973年公開の前作を注します。

その1  『寄り目の『わだつみ』
映画、テレビともストーリー前半、海底乱泥流発見などの名場面を盛り上げた、深海潜水艇「わだつみ」。10万メートルもの潜水性能を持ち、当時のハイテクを駆使した純日本製の潜水艇でした。この「わだつみ」、テレビ版は映画のものと(おそらく)同じ設定のものを使っているはずなのですが、テレビ版は映画のものとデザインが微妙に違うのです。
Photo_91 写真は最近復刻された、テレビ版の「わだつみ」ミニキットの箱絵ですが、これを見て映画版との違いがわかる方はかなりの「沈没」フリークですよね。
そう、「ネヴュラ」をごらんの方はもうおわかりでしょう。
テレビ版の「わだつみ」はフロントのライトが「寄り目」なのです(笑)。
子供の頃、この「寄り目」を見た時、変な印象を持ったものでしたが、後にDVDのオーディオコメンタリーで、新作映画の樋口監督が同じ事を言っていたのが笑えました。

その2  『ヒゲの田所博士』
その鬼気迫る演技で、映画版に絶大な緊迫感を与えた「田所博士」。「わしは、日本と心中です。」首相との別れのシーンは、いまだに私の中で一級品の輝きを放っています。
この田所博士は、映画版、テレビ版とも同じ、小林桂樹が演じています。いずれもさすがの名演技なのですが、映画版とテレビ版では、そのキャラクターが若干違うのです。
Photo_92 外見上の差は何と言っても「ヒゲ」。テレビ版はソフトなイメージのおヒゲによって、映画版の、眼光鋭い狂気の天才、というイメージが影を潜め、演出設計の差も手伝って、「日本を憂うやさしいおじさま」というキャラクターになっていたのでした。
確か娘さんが居て、涙の再会を果たす、なんてシーンがあったような無い様な・・・(笑)。

その3  『超兵器ケルマデック号』
Photo_93 映画版ではビニールシートに覆われ、船体の下半分しか見えなかった「わだつみより性能の劣る」フランス製深海潜水艇、ケルマデック。本当に映画では影の薄い存在でしたが、テレビ版では八面六臂の大活躍を見せていたのが印象的でした。
田所博士と小野寺は、このケルマデック一隻で、離島や沈没によって取り残された人々の元へ駆けつけていたような印象があります。(さあ、このへんから記憶が曖昧ですよ(笑)。
映画版ではまったくと言ってもいいほど活躍しなかったケルマデックだったので、このテレビ版での活躍は私にとって大きな楽しみとなっていました。「燃料は?」「そんな性能あったの?」なんてツッコミもものともしない、まさに「超兵器」だったのです。

その4  『ご当地沈没』
Photo_94 テレビ版の魅力を語るとき、最も多く言われるのがこれでしょう。毎回日本のどこかに異変が起こる。天才田所博士の「次は何処どこが危ない!」という予言の通り、毎週、日本の名所が沈んでいくのです。
これも子供の頃の私には、不謹慎ながら見所となっていました。もう「怪獣の出ない怪獣映画」でしたから。それくらい特撮の精密さはテレビ作品とは思えないくらいのクオリティーを見せていました。
印象に残る「沈没劇」は、よく話題に上る「金閣寺」などの有名なお話ではないんですが、
埋立地で作業をしている作業員の人たちが、周りが次々と沈んでいって取り残される、といったエピソード。追い詰められる恐怖が幼い心にトラウマを残しました(笑)。

その5  『そして・・・『あしたの愛』
このテレビ版の主題歌は五木ひろしの「あしたの愛」。いかにも、という歌なんですが、特撮ファンでこの歌が好きな人って多いんですよ。
番組のテイストをよく表した曲だと思います。日本が沈んでいく悲しみと、祖国を失っても生きていれば希望はある、というメッセージを持っていたと思います。
番組中にはよく、こんな場面があったと記憶しています。田所博士と小野寺(テレビ版では村野武範が出演)が、「どんな状況になっても、最後の一人まで助けるんだ!」と語るシーン。
これがおそらく、「無常」を感じさせた映画版とは違うテイストの、テレビ版のメッセージではなかったのでしょうか。この会話が繰り返される事で、地球規模の地殻変動に立ち向かう小さな人間の、心の叫びを描く事ができたと。

・・・とまあ、こんな所でしょうか。
かなり記憶に頼った所があるので、間違っていたらごめんなさい。でも、事実と若干違っていても、「受けたイメージ」はきっと、テレビ版をご覧になった方ならさほど変わらないと思います。

さあ、ささやかな私の「夏の収穫」いよいよ開封です。
この「明日の沈没予想」を再確認する作業が始まります。26話あるからたっぷり楽しめそう。
きっとその感想を「ネヴュラ」で語る事もあるでしょうね。

2006年8月 5日 (土)

醒めない夢の為に

そこには、身長3メートルはありそうなティガ像が立っていました。
2000年1月17日。大阪、毎日放送前。

「行くぞ。」お世話になっている会社の社長は、私に促しました。
鞄には、その年3月14日から公開された映画「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」に向けた、特別番組の企画書。
「やっとここまで来たか。」不安と期待で張り裂けそうな胸を抱え、私は社長の後に続きました・・・

ディレクターという仕事につく人間が、その仕事を選ぶ動機、きっかけは大体決まっています。いろんな人間に合って語り合いました。
「タレントに会いたい」「なんとなく面白そうだから」「緊張する世界の最前線で、生の声を伝えたい」などなど。
中でも一番多かったのが、
「自分が影響を受けた番組があって、そんな番組を作りたい」というものでした。


ご他聞にもれず、私がこの道を目指したのもそんな動機からでした。
言ってみればディレクターという仕事は、昔見た夢の世界からいつまでも醒めることができずに、その世界をいつまでも追いかけているような物なのです。
だから私のように夢想家(妄想癖とも言いますが)が多い。

ただ、その「影響を受けた番組」というのは、いざこの仕事に就いても続々と放送される物なのです。私の場合も(それは極めて少ないですが)そんな番組の影響で、今の自分が形作られています。
冒頭でお話した「ウルトラマンティガ」も、そんな番組のひとつでした。

Photo_86 「ティガ」の評価については、放送開始直後からそれこそ数限りなく書かれ、語られていますので、今日は控えましょう。実際私もあの番組に関しては、いくら時間があっても語り足りないぐらいですから。別の機会にじっくりお話しますね。
ただ、冒頭にあったように、私はこの「ティガ」がウルトラシリーズ・クラシックにならない内に、なんとか自分の手でその良さを伝えたいと思ったのでした。それくらい影響を受けた、と思っていただければ。まあ、笑ってお読み下さい。

大阪、毎日放送は、当時「ティガ」のキー局としてティガ関係の全ての仕切りを行っていました。私がお世話になっている制作会社の社長のお知り合いが、たまたま毎日放送の関係者と古い仕事仲間だったのです。
その事を知った私は、社長に猛アタックをかけました。この企画はどうしても関係者に見せたかったのです。おそらく2000年当時、こんな企画を考えた特撮好きのテレビ屋さんは、それこそ星の数ほど居たでしょう。
でも、やりたかった。

企画の内容を詳しく書いてしまうと、関係各位にいろいろご迷惑がかかりますのでご勘弁ください。ただ2000年当時世間で認知されていた「ウルトラマンティガ」に関するすべてを語りつくすというものでした。特撮作品に造詣が深い、皆さんがよくご存知のライターさんをキャスティング、「THE FINAL ODYSSEY」に向けての現場や、出演者の声も聞くという内容。思い入れが先行していたせいか、盛り込みすぎぐらいの「濃い」分厚い企画書でした。

結論からお話しますと、この企画、「ボツ」でした。(爆笑)
一言で言えば「盛り込みすぎ」が祟ったという事です。

まあ、こんなもんですよ。企画のプレゼンという物は、そんなにドラマチックなものではありません。思い入れたっぷりに書かれた企画に制作サイドが感動して、「やろう!」なんて事は、私の今までの経験の中でもゼロですから。(企画力がないのが一番の理由ですが)
実際には、予算と放送時期に大きなウェイトがかかる現実があります。
いくらすばらしい企画書でも、局側でスポンサーを集める勝算がない限り、「絵に描いた餅」に過ぎないわけですね。

でも、私はこの日、夢のような気分でした。
こんな無茶苦茶を許してくださった社長、つなぎをつけて下さったお知り合いの方。(私のつたない企画に目を通して下さり、経験者のお立場から貴重なご意見を下さいました)
そして、毎日放送の番組担当の方々。後日、円谷プロの鈴木清プロデューサーにもお電話で丁寧にお話いただきました。
毎日放送玄関で出迎えてくれた「ティガ」像も、忘れられない思い出です。

Photo_87 ディレクターをやっていてよかった。そう思うのは、こんな日が過ごせた時です。
自慢するわけではありませんが、こんな、自分の夢を具現化する手段が許される業界は他にないからです。
チャンスが与えられている。たとえ1パーセントに満たなくても、「醒めない夢」がある限り不可能じゃない。

毎日ハードな仕事に追われるディレクターにとっての、それは唯一の希望なのです。
そう、「ティガ」が、地球上の人々の光でガタノゾーアに立ち向かったように、
「希望という名の光」は、ディレクターの心にいつもあるのです。

プロデューサーの机の上にはいつも、ボツ待ちの企画書がうず高く積まれている事もよく分かります。そんな現状を見る度に曇る「醒めない夢」。
でも、私を含め、テレビマンはなかなかしぶといです。たまにやる「無茶苦茶」に思いを馳せて、今日も地味な打ち合わせに走ります(笑)。
「やる」という事が大事なんですよね。「何か考える」ということが。

オタクな私にとって、この「考える」という事が実に楽しい。
皆さんがよくブログなどで発表されている「こんなウルトラマンが見たい」「理想のゴジラは」なんていう事が、私の中にもあるんです。
私の中にある「理想の番組」が、ひょっとしたら、なにかの間違いで、現実化する可能性がゼロとは言えない。
その為に私達テレビマンは「醒めない夢」を追い続けるのでしょう。

先日も局の入り口で、去年万博のお仕事でご一緒したディレクターにばったり会いました。その方は私より10歳近く年上。もう髪も真っ白です。
でもその時、彼は言いました。
「またなんか、でっかい事やろうぜ」。

この人も、まだまだしぶといようです(笑)。

言えなかったさよなら

夏休み。暑さに負けず、元気に遊ぶ子供たちを見かけるたびに、子供の頃の自分の姿を思い出します。前回、おもちゃがらみの恥ずかしいエピソードをお話しました。今日も、幼い日々に私に訪れた、ちょっとほろ苦い思い出です。

Photo_82 「キャラメル箱」。こう呼ばれるプラモデルの箱があります。
大手メーカーから名も知らぬメーカーまで、50円程の小額プラモデルに採用されていた箱の総称で、普通の上下割の箱に対して、左右に空け口を持つ形の箱です。キャラメルの箱に形が似ている事から、いつしかそう呼ばれるようになりました。

Photo_83 1970年代初頭。この「キャラメル箱」のプラモデルは、一般のおもちゃ屋などとは別に、いわゆる「駄菓子屋」に流通経路を持っていました。
50円という金額は、子供にとってちょっとお小遣いを貯めれば出せる、3日に一度程度の贅沢だった訳です。
当時私も、駄菓子屋特有のあの薄暗い店の奥に並ぶキット達を眺めながら、友達に先を越されないよう、くじもお菓子も「3日の我慢」。そうして手に入れた「キャラメル箱」を後生大事に抱え、家路を急いだものでした。

この頃、全国にどれだけの駄菓子屋さんがあったのでしょうか。
今はコンビニやファーストフード・ショップの出現と共にすっかり姿を消した駄菓子屋さん。当時は子供が自分の判断でおもちゃやお菓子を選び「買い物」のなんたるかを覚える初歩のコミュニティー空間として機能していたように思います。
そして、どこの学区でも最低2~3軒の駄菓子屋さんがあり、子供たちは毎日、「新製品情報」についてホットな情報交換をしていたのです。

数軒あった駄菓子屋さんで、子供達にもっとも強い印象を残したのは、なんといっても「お店のおばちゃん」
「各店」に名物のおばちゃん、おばあちゃんが居て、お店の敷居をまたぐたびに「いらっしゃい」と笑顔を向けてくれたものでした。(あまり毎日覗くと、「あんた宿題は?」なんて怒られたこともありますが)

そんな駄菓子屋の中で、私が特に気に入っていた「行きつけ」の一軒がありました。そこは小さなおばあちゃんが一人でやっていたお店で、子供好きのおばあちゃんは私達の訪問をいつも嬉しそうに迎えてくれました。お菓子やおもちゃの事とは別に、いろいろなお話をしてくれた事も憶えています。

これは当時、駄菓子屋さんに通った人だけ分かる微妙な感触なんですが、駄菓子屋さんって「割引」しませんよね。只でさえ利幅の薄い駄菓子は、割引などしていては儲けにならないからです。裏を返せば、それだけ儲けの薄い駄菓子屋さんを続けている、という事は
子供好きの人である事を証明している訳ですが。
子供心にも「割引しないのが当たり前」と思い込んでいた私。そんな私に、衝撃はふいに訪れました。
以前からどうしても欲しかった日東科学のキャラメル箱キット、「ミラーマン」を買いに、お店を覗いた時の事でした。
「あんた、これ40円でいいよ。」いつものおばあちゃんは、急にそんなことを言い出したのです。「なんで、50円持ってきたのに。」たずねる私に、おばあちゃんはこう答えました。

「お店、もうすぐ終わりにするんだよ」

Photo_84 幼い私にとって、馴染みのお店がなくなる。それは初めての経験でした。
「えー、どうして?」意味がわからず問いただす私でしたが、おばあちゃんは寂しそうに笑って答えてくれませんでした。
その「10円引き」は、「店じまい在庫一掃セール」だったのです。

寂しさと話題性をないまぜにしながら、私は周りの友達に、その事を触れ回りました。
今になって思えば、親友が転校してしまうような、一抹の寂しさを一人では受け止めきれず、友人達と共有したかったのかもしれません。

Photo_85 そしてなぜか私の足は、そのお店から遠のいていったのでした。本当なら、「常連客」として店じまいの日まで通いつめ、最後の日にはおばあちゃんに笑って「さよなら」を言いたかったはずなのに。
これも、幼い日ゆえの、「別れに対峙できなかった」微妙な心がそうさせたのでしょう。

思い出は必ずしも、ドラマチックでもいいお話にもなりませんよね。

結局幼い私は、別れのつらさを直視できず、おばあちゃんに別れを告げられないままだったのです。
「あのお店、もうなくなっちゃったよなー」と噂で聞いて、後日お店の後を覗きに行きました。そこには友達の笑いも、お菓子の甘酸っぱい香りも、おばあちゃんの笑顔もありませんでした。

結局、おばあちゃんがなぜお店をたたむ事になったのかは分からずじまい。
各地で駄菓子屋さんが姿を消し始めたのはこの頃からではないでしょうか。日本の高度経済成長は、こういうコミュニティーのあり方を少しずつ変えていたのでしょう。

子供が初めて体験する「親しい人との別れ」。
今も私は「キャラメル箱」のプラモデルを見ると、心の隅に軽い罪悪感を感じるのです。
あの「言えなかったさよなら」の記憶とともに。

後年、椎間板ヘルニアで3週間程手術入院した事があります。
その時病室で隣のベッドだったのが、小学3年生のやんちゃ坊主。

ヒーローや怪獣にくわしい私はたちまち彼になつかれ、毎日彼は私から離れませんでした。
そして迎えた、私の退院日。
私より長期の入院が必要だった彼は、幼い日の私のように、退院に立ち会ってはくれません。彼を探した私は、病棟の隅でお母さんに抱かれ、泣きじゃくる彼を見つけたのでした。

彼の泣き顔は、あの日の私そのものだったのかもしれません。
彼の頭をそっと撫でて、私は病院を後にしました。

後日、私は両手に抱えきれないほどのプラモデルを持って、彼を見舞いました。
なんか、そうしたくなっちゃって。
さすがにその時は、「キャラメル箱」は持って行きませんでしたが(笑)。

2006年8月 3日 (木)

ジェットビートル・コンプレックス

「怪獣出現!」フジ隊員の声に緊張が走る科特隊日本支部。
「全員出動!」ムラマツキャップの号令を受け、ヘルメット片手に飛び出す隊員たち。
基地のカタパルトから轟音とともに垂直離陸する「ジェットビートル」。
胸躍る、「ウルトラマン」の名シーンです。

星川航空のセスナ機、ヘリコプターの昔から、ウルトラシリーズの戦闘シーンを盛り上げた「ウルトラメカ」の数々。レギュラー、ゲストメカを含め、各シリーズで個性溢れる超兵器が番組の未来感、SF感を演出していました。

ウルトラシリーズに限らず、洗練されたデザインでひときわファンの多い、円谷プロの超兵器。これはもう、ゴジラのデザイン以上に好みが別れるところではないでしょうか。
私の周りのマニアの間でよく話題に上るのが、
「ジェットビートル派かウルトラホーク派か」という物。

ここで大体、私は不利な立場に立たされます。

そうです。私は生粋の「ジェットビートル派」なんです。

1s ジェットビートル。科学特捜隊の専用機。岩本博士によって開発されたこの超兵器は、空対空、空対地における戦闘攻撃、さらに兵員輸送、移動作戦室などあらゆる作戦行動を目的とする万能機です。機体下面に3基のロケットブースターを持つ事で垂直離着陸、空中リフト機能を合わせ持ち、機体後部には2基の推進用ジェットエンジンを装備しています。(ハセガワ発売のプラモデル解説書より)
ハイドロジェネートロケットを装備して宇宙へ向かったり、数々のオプションパーツで作戦を遂行する姿は、単なる攻撃用兵器以上の汎用性で、「万能機」の設定を十二分に活用していました。

昔から、アットホームな雰囲気に安らぎをおぼえる私。
ウルトラシリーズにおいても、ハードな未来感が売りの「セブン」も好きですが、ハートウォームな空気が流れる「マン」により心が引かれるんですよ。
この番組上に流れる空気の差は、超兵器のフォルムにも表れているようですね。

3_2 よくマニアの方の考察に、「ウルトラホーク1号こそウルトラメカの頂点」「三機分離合体は画期的」「成田亨デザインの最高傑作」などの表現があります。実際放映当時、プラモデルもホークの方が売れたようですし(笑)。私の周りでも圧倒的に「ホーク派」が多く、私はいつも肩身の狭い思いをしています。
「ビートルのどこがいいの?」と聞かれると、私はちょっと困ってしまいます。ホーク1号を称えるような理論的な解析が思い浮かばないからです。ちょっと考えて、こう答えるしかないのです。

「あの丸さがいい」。

Up 私には「ジェットビートル」のあの丸い形が、シャープなシルエットの「ウルトラホーク1号」よりも、より身近に感じるのです。笑われちゃいますが(笑)。
ジェットビートルの操縦席に流れる空気は、そのフォルムと同じように「丸かった」。
上空からムラマツ隊長に傘を落とした操縦席。休暇で訪れたパティ隊員とメンバー全員で東京を眺めた操縦席。ホシノ少年が勝手に忍び込める操縦席・・・(これは小型ビートルか。でも流れる空気は一緒でしたね。)
ジェットビートルの操縦席では、緊張感と共に、いつもやさしい空気が流れていました。
どうも私はああいう「昭和の空気」(とでも言うのでしょうか)に弱くて。

クールに戦闘を行うウルトラホークのカッコ良さも捨てがたいのですが。

Photo_79 こんな私のビートル好きを決定的にした、幼い日のエピソードがあります。
ある日、小学校の図工の授業でなんと、「プラモデルを作る」というものがあったのです。
各自200円程度のプラモデルを買ってきて、授業中に組み立てるという(笑)。
これは、当時プラモまみれの毎日を送っていた私にとって、夢のような出来事でした。
「授業日」が近づくにつれ、もうクラスメイトは気が気じゃありません。私も「工作材料代」だからと大いばりでお金をもらい、いきつけのおもちゃ屋へ向かいました。

当時日本中の子供が同じだったと思いますが、200円のプラモデルなんてそう簡単に買えるものではありません。毎日顔を出すおもちゃ屋で目ぼしいキットを見つけると、「これは自分の獲物。いつか必ず買う」とばかりに、商品棚の奥に隠したりして勝手に「取り置き」していたのです。
今日はその「取り置きキット」を引き取る日。意気揚々とお店に入ったのはいいのですが・・・

ない!取り置きキットが売れちゃった!
そのキットこそ、ブルマァク製ゼンマイキット「宇宙ビートル」だったのです。
(識者の方は疑問でしょう。あのビートルは300円。200円では買えないよ。と。
そのお店はプラモデルが2割引。親からは200円もらって、貯金から40円足したのでした・・・それも無駄でしたが)

もう真っ青。他の「行き着けおもちゃ屋」を探しましたが、当時爆発的な人気を誇ったこのキット、どこにもありませんでした。
しぶしぶアオシマ「ワイルド7」のミニキットを買って、失意のうちに学校へ。そして迎えた授業の時間。そこには・・・

なんとそのビートルは、よりによってクラスメートの手に渡っていたのでした。
考えてみれば当然のお話。小学生の行動範囲なんてたかが知れています。ビートルを「取り置き」していたのは私だけじゃなかった、というオチです。
彼の不器用な手元を見ながら、「あー、窓のクリアパーツにセメダインつけちゃだめ」なんてハラハラしていた事をよく覚えています。

Photo_80 この日以来、「ビートルは見たら買わないと無くなる」という、強い「ジェットビートル・コンプレックス」が私にはあります。今だにあるんだから子供の頃のトラウマって大きいですよねー(笑)。そんなこんなで集めた「ビーコレ」。今ではどこでも手に入る「ビートル」ですが、どんなに集めても集め足りないアイテムの一つです。と言ってる割に抜けてる物も多くて。ひとえに経済的理由です(泣)。

あの時買えなかった「宇宙ビートル」。最近はいろんなメーカーから復刻されて、手に入りやすくなりました。いい時代になったものです。
でも、わがままを一つ言わせてもらえれば。

Photo_81 これ、中身はほぼ一緒だけど「箱絵」が違うんですよねー。私のトラウマキットは「初版」。
どこか、初版の箱絵で復刻してもらえませんか?
もうパソコンで箱絵作っちゃおうかな(笑)。

2006年8月 2日 (水)

テレビ番組・映画化の袋小路

「面白くなかったよ。「M:i:Ⅲ」。
仕事仲間から、不意に言われた感想。
「ふーん、そうなんだ」と答える私は心の中でつぶやきました「やっぱりね」。
実は、私は「M:i:Ⅲ」は観ていません。ご覧になった方はお気を悪くされると思いますが、これはあくまで仕事仲間の感想なのでお許し下さい。

「M:i:Ⅲ」。言うまでもなく、今公開中の映画です。
トム・クルーズ主演、この季節にピッタリの爽快なアクション・ムービー。全国超拡大ロードショー。主演のトム・クルーズが日本で展開した、大掛かりなプロモート戦略も記憶に新しいですよね。
これ以上なく恵まれた上映条件でありながらいざ封切ってみると、あれ程の前評判だった話題作が、さほど盛り上がらない。集客ランクも週を追って下がる一方。いったいなぜでしょうか?

今度の映画はきっとつまらない。この私の「直感」。これは、ある条件の映画に関してはかなりの的中率を誇ります。
今日のタイトルでほとんどの方はご想像いただけるでしょう。
ある条件。それは「テレビ番組の映画化」なのです。

Photo_77 「ネヴュラ」読者の方々には説明するまでもありませんが、この「M:i:Ⅲ」。かの有名な海外テレビ番組「スパイ大作戦」の映画化第三作です。(と言っても、設定だけ借りた別物ですが)
設定の元となった「スパイ大作戦」は、1966年、アメリカのデジルー・プロによって製作され、全171話のロングランとなった大人気テレビシリーズ。1989年には新シリーズが作られた程の人気ぶりでした。

この一時間ドラマは、基本的には一話完結。毎回オープニングに流れるナレーションが番組の内容をすべて物語っています。

スパイ大作戦。実行不可能な指令を受け、頭脳と体力の限りを尽くしてこれを遂行するプロフェッショナル達の、秘密機関の活躍である。

そのままです(笑)。毎回番組の冒頭、「当局」から出される秘密指令(政府の要人の救出や、闇の組織の壊滅など、ものすごく難しい指令でした)を、文字通りその道一流のプロフェッショナル達が見事な技術とチームワークでやり遂げる、サスベンスいっぱい、ハラハラドキドキの一時間でした。
この「スパイ大作戦」製作一年前の1965年。映画界ではスパイ・アクションの超大作「007サンダーポール作戦」の公開により、世界的にスパイ・アクションが大流行。テレビでも「0011ナポレオン・ソロ」の放送が始まり、人気を博していました。
しかしながら「スパイ大作戦」は、これらの「痛快スパイアクション」とは一線を引く作風で、独自のテイストを放っていたのです。そのテイストとは?

「スパイ大作戦」は、基本的には「アクションドラマ」ではないのです。
SF映画まがいの秘密兵器を振りかざし、半笑いで敵を粉砕、世界中に顔を知られる「シークレット・サービス」の活躍よりは、むしろ「犯罪ドラマ」に近い。
主人公たちの「秘密機関」は、「仲間が殺されても一切関知しない」当局の指示で動く、いわば「非合法組織」。その為、殺しのライセンスもなければワルサーPPKの携帯も許されない訳です。(そのお方の活躍も大好きなんですが、また別のお話。)
そんな彼らが行うのはもう、「水も漏らさぬ秘密作戦」。敵はおろか、警察にだって見つかる事を許されない、隠密行動なのです。
だから作戦遂行上のサスペンスは半端じゃない。主人公達はもう犯罪者感覚で作戦を行う。
視聴者達は完璧に組み立てられた作戦が失敗しそうになる場面にハラハラし、全てがうまくいったエンディングに感動する。そういうドラマなんです。「スパイ大作戦」は。

私が考えるに、このストーリー設計では「アクション」はむしろ邪魔になるんです。
派手なアクションは確かに目を引きますが、「サスペンス」より目立ってしまう。爽快感がある代わりに緊張感が失われてしまうんです。特に「スパイ大作戦」タイプのドラマでは。

そしてもう一つ。この手の「一時間で全てが解決するドラマ」は、毎回視聴者に「予定調和の安心感」を与えるんですね。だから途中、どんなに主人公が窮地に陥っても、翌週の放送があるんだから命を落とすはずがない。視聴者はそう思ってブラウン管に向かうんです。

さらに挙げれば、「スパイ大作戦」は「一時間ドラマのリズム」があります。一時間で作戦が完了するからあの爽快感が生まれるわけです。確かに二話連続の前後篇もありましたが、前編のラストには必ず次回への引きがありました。つまり、一時間目にクライマックスが来るドラマ設計がなされていて、制作側はそこで一週間の空き時間まで読んでいるわけです。前後篇を二話続けてみても、二時間の映画とは違うリズムがあるんですよ。

Photo_78 これを痛感したのは、10年前に公開されたトム・クルーズ版一作目「ミッション・インポッシブル」を劇場で観た時でした。(これは観に行ったから語れますよ(笑)。
映画というのは広告収入で制作費を作るテレビ番組と、基本的に全く違う。最初に映画を作るときのお金は、興行収入を当て込んでいるわけで、言わば「赤字からのスタート」。
映画を「バクチ」「興行」などと表現するのは、「蓋を開けるまで分からない」不安定な状況下で作品を制作するからなのでしょう。

トム・クルーズは子供の頃「スパイ大作戦」の大ファンだったそうで、いざ自分が映画を作る立場になった時この作品を選んだそうですが、出来上がった作品はコアなファンから散々な評価を受けました。かく言う私も熱心なファン。観た直後は劇場で呆然としてましたが(笑)。あのブライアン・デ・パルマが・・・とかそういう事は抜きにしても、
「これ、スパイ大作戦じゃないじゃん」の方が大きかったのです。

考えてみれば、トム・クルーズも困ったと思うんですよ。
テレビと同じ事をするなら映画の意味がない。といって興行収入を上げるため、話題づくりに映画用の派手な見せ場を作ればスパイ大作戦でなくなってしまう。
折衷案ではどっちつかずになっちゃうし。
全ての「テレビドラマの映画化」が抱える問題ですよねー。
ここをどうクリアするか。トム・クルーズの選んだ方法は後者でした。それは「M:i:2」でもジョン・ウーによって踏襲され、今また「M:i:Ⅲ」で・・・
大体の予測がついてしまうのです。本当はこんな予想、外れて欲しかった。
本当に「スパイ大作戦」大好きなんです。私。

確かに、テレビと同じでなくても、面白ければOKです。
でも冒頭の仕事仲間は、このテレビシリーズを見たこともないんです。その彼が「面白くなかった」と言っている。おまけに、テレビで流れたあの派手なハイライトシーンを見せられると・・・
トム・クルーズ、「テレビの映画化の袋小路」に迷い込んじゃったのかなー。
それとも生まれたばっかりの子供の為、自分の思い出と決別して、プロデューサーになりきっちゃったのかなー。

観てもいないのに、勝手な事ばかり言っちゃってごめんなさい。でも「スパイ大作戦」への憧れを、これ以上壊されるくらいなら・・・
私の足は、さらに「M:i:Ⅲ」から遠のくのでした(泣)。

2006年8月 1日 (火)

ペロリゴンの棲む池

Sany0017 いつもウォーキングをする公園の真ん中に、大きな池があります。
人間水のほとりに立つと、太古の記憶がそうさせるのか、なぜか癒されるのですが、オタクの私にはそれと同時に、ある楽しい想像が頭をよぎるのです。

この池、「ペロリゴン」の棲む沼に似てるよねー。

「ネヴュラ」をご覧の皆さんには今更説明の必要もないこの言葉。
「ペロリゴン」とは、1966年に放送されたテレビドラマ「悪魔くん」に登場した、沼に棲む巨大妖怪の事です。
8月に入りました。夏は妖怪が闊歩する怪談の季節。今日は「悪魔くん」のお話です。
夜、こんな薄気味悪い池のほとりに佇む気分で、お読み下さい。

「悪魔くん」(今の若い人には「実写版」とでも書かないと分からないでしょうか・・・)は、怪獣ブーム真っ只中の1966年、東映が放った特撮テレビドラマ。
「悪魔くん」と呼ばれる少年、山田真吾くんが、魔方陣の中から呼び出す悪魔メフィストとともに、毎回人間社会に登場する妖怪などと戦う、一話完結の30分ドラマです。

なにしろ放送当時は「ウルトラマン」が本放送中で、子供達は雑誌などのメディアミックス展開に盛り上がった大ブーム。各局趣向をこらして「怪獣をどう見せるか」にやっきになっていました。本家円谷プロの「快獣ブースカ」、ピープロの「マグマ大使」などと並んで、東映が怪獣市場に参戦した初作品がこれ。
モノクロならではのおどろおどろしさが作品のカラーととてもよくマッチした、怪獣ブーム黎明期の秀作でした。

設定として面白かったのは、「悪魔くん」こと山田真吾少年が、3000年前のユダヤの予言にある、この世の不幸と戦う少年として生まれてきた、という事でしょう。
ドラマ上は「多少知恵の働く子」ぐらいの印象しかありませんでしたが(笑)。ファウスト博士、という怪しい老人に導かれ、悪魔メフィストと契約して、絶妙のペアぶりで繰り広げる「妖怪」との戦いは、毎回文字通り「手に汗握る」展開を見せていました。

Photo_76 何故、「悪魔くん」がこれ程までのスリリングな展開を見せたか。
後年発売されたレーザーディスク(これも古いですね(笑)で見直した私は、大きく三つの要素があると考えました。
いつも通りの私見ですので笑ってお読み下さいね。

一つ目の要素としてまずこの作品、やはり怪獣ブームの真っ最中に制作された為、「妖怪の描き方が怪獣、宇宙人テイスト」なんですよね。

普通、妖怪と言えば水木しげるさんに代表される、「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される敵妖怪の姿を思い浮かべますが、この「悪魔くん」に登場する妖怪は、第1話の「百目」(ガンマーという別名が既に怪獣テイスト)にしてからが、「目から殺人光線」(!)を発射する堂々たる怪獣ぶり。
第3話「ミイラの呪い」のミイラ男も、その初登場は天空から飛来する巨大な腕で、人間を掴んで連れ去るというワイルドさを見せます。あまつさえクライマックスには巨大化するという大サービスぶり。
Photo_75 第5話の「ペロリゴン」は、沼に封じ込められ、お地蔵さんによって封印されていた妖怪(「GMK」の元ネタでしょうね)でありながら、身長50メートル、巨大な舌からは強力な溶解液を出し、遊園地を舞台に大破壊劇を見せるという、完全な「怪獣」です。
この番組では日本古来の妖怪、「雪女」(第18話)までが巨大化し、口から冷凍光線を(ペギラか!)吐くという、子供にはたまらない暴れっぷりを見せていたのです。

宇宙人テイストの代表格はやはり、私の多くの知り合いに強烈なトラウマを与えた「首人形」(第6話)でしょう。
「マネキン人形の首が魔力を使えるようになったもの」なんて設定でしたが、男性の皆さん、ちょっと考えてみて下さい。例えば目の前に絶世の美女が現れて、仲良くなった途端に「首が落ちる」(!)その首の二つの目がくっついて一つになり、口から吐く粉を浴びると自分がマネキン人形になってしまうなんて事が起こったら!「マネキン星人」ですよこれは。
このお話を制作した東映スタッフは、まさか放送40年後まで、「このエピソードのお話だけは勘弁して!」と怖がる50代の男性を生み出すとは考えていなかったでしょう。(知り合いに居るんです(笑)。

二つ目の要素としては、「悪魔くんとメフィストの絶妙なコンビネーション」でしょうか。
毎回、悪魔くんの呪文により、魔方陣から呼び出される悪魔、メフィスト。エンビ服にシルクハットという実にダンディーないでたちに、私などはひどく「大人」を感じたものでした。
ところがこのメフィスト、悪魔くんのいう事をなかなか聞かない。悪魔のくせに実に「人間味」あふれるキャラクターなのです。出現する妖怪の事も「自分の家の隣に住んでるあいつ」なんて呼んだりして、まるでご近所感覚。悪魔くんの願いにしぶしぶ付き合う姿は、颯爽としたウルトラマンや、正義感あふれるマグマ大使とはかけ離れた印象を与えていました。

そして、この番組のサスペンスフルなテイストを最も高めていたのが、「メフィストの弱さ」。
このおじさん(笑)弱点の塊なんです。

まず、ステッキから放つ「魔力」がメフィストの武器なんですが、スペシウム光線の様に強力じゃない。全然効かない事もあったりするんです。
敵と戦うヒーローが「弱い」。これ程サスペンスフルな展開があるでしょうか(笑)。
他にも女性には弱い、美醜を気にする、血で大地を汚すと翌日まで魔力を使えない、なんて弱点ばっかり。悪魔くんの「ソロモンの笛」や「好物のチョコレート」にも弱かったですね。

その「メフィストの弱さ」を補うのが「悪魔くんの知恵」。
窮地に追い込まれたときの危機的状況回避案が、快刀乱麻を絶つ悪魔くんの口から放たれた時、このコンビは無類の強さを見せるのです。
子供の頃は気がつかずにいましたが、ペロリゴンの胃袋から脱出する時、「魔力・ボーリング」で胃に穴を開けるアイデアを考えたのは悪魔くんでしたからね。
メフィストの方も、妖怪退治よりは悪魔くんとのコンビ芸(?)を楽しんでいた節があります。2人の掛け合いも楽しそうでしたから。

そして三つ目の要因。「モダンなドラマ作り」です。
「妖怪」という存在にありがちな、どこか暗い、陰湿なテイストが、この番組には全く無い。むしろドライな印象さえ与えます。
それはやはり、妖怪の怪獣性、悪魔くんとメフィストの軽快な掛け合い、メフィストの「笑い声」(笑)、魔力の現代性(前述のボーリングをはじめ、マシンガン、つららロケット、ビッグアームなんてのもありましたね。いずれも魔法というよりは、ステッキが変幻自在の武器に変わるイメージで)などが渾然一体になった物でしょう。
山下毅雄(ルパン三世!)のBGMも絶大な効果を上げていたと思います。

放送当時も大人気だった「悪魔くん」ですが、この番組のフォーマットは全く古さを感じさせません。この設定なら、今でも充分面白いドラマを作れると思うのです。

家の近くの公園の大きな池。ここからもし、巨大な妖怪「ペロリゴン」が出てきたら。
私はすかさず、あの呪文を唱えます。
「エロイム、エッサイム」
今も地獄の住処であくびをしている、あの「憎めないおじさん」は「人使いの荒いガキだぜ」とか言いながら、きっと来てくれるんでしょうね(笑)。

作品の出来を決めるもの

・・・さすがに昨日はダウン。お仕事は比較的早く終わったのですが、いつも以上に集中した為、帰宅してすぐ寝てしまいました。

昨日は番組の「編集」だったのです。

映像作品というものは、企画から始まって、「台本作成」「撮影」「ナレーション収録」「編集」「音入れ」など、段階を踏んだ行程が踏まれます。
それぞれに集中力が必要ですが、私はこの中で「台本作成」「撮影」「編集」が、作品作りで特に重要な部分と思います。
今日は私の、仕事の上での考え方をお話しましょう。
ちょっと固いお話なので、苦手な方はごめんなさいね。

まず最初の行程「台本作成」。実はこれは、このブログが結構役に立っているんです。
考えを言葉にする練習。その日のお話を書き通す技術。自分のボキャブラリーの限界を知る事もいい事で。
実際の台本作成で言えば「テーマにあったストーリー」を考える事に、まず一番時間を使います。それを終えてしまえば後は言葉を操る作業ですが、これは私にとって楽しい作業だったりして。好きなんでしようね。(「名ゼリフ」が浮かばないときはそれこそ七転八倒しますが、そういう事も含めて)

作品づくりの設計図「台本」が完成すれば、次はいよいよ「撮影」ですが、私は、この撮影現場では「照明技術」が最大の要、と思っています。
同業者の方には異論がおありかと思いますので補足しておきますと、照明以外の、出演者の演技、カメラワーク、気象条件などは「既に出来上がっている」か、「現場ではどうしようもない」かのどちらかと思うからです。実際現場に立ち会ってみると痛いほど分かりますが、ここでの「下準備の重要さ」がいかに大事かと言う事は、年だけは重ねた今も痛感します。

照明の重要さについて面白いエピソードがあります。
知り合いのディレクターの奥さんの、ドラマの照明についての印象。
その奥さんは無類のドラマ好きで、最近のテレビドラマはほとんど見ているそうですが、
「フジテレビ系のドラマは照明がベタで、TBS系のドラマは照明のコントラストが深い」。と言うのです。
ひょっとして皆さんもお気づきの事かもしれませんが、面白い印象ですよね。

出演者、カメラワークなどと同様に、照明もそのドラマのテーマにあった効果を狙うものなのです。
例えば20歳代の若年層をターゲットにした明るいテーマのものや、コメディータッチのドラマなどは、全体に照明が行き届いた画面づくりがなされますし、シリアスなドラマや人生の意味を訴えかけるような深いテーマのドラマなら、「光と影の芸術」とも呼べる、明暗に差があるハイ・コントラストの画面が作られます。良い悪いではなく、作品のテーマによって画面作りも変わってくる訳です。

前述の奥さんの印象も実に的を得ていますよね。
決してフジテレビ系のドラマにシリアスなドラマが無いわけではないのですが、全体的に明るいドラマが多いので、そういう印象を持ってしまうという。逆に「ドラマのTBS」と呼ばれたTBS系のドラマは、例え明るいテーマであってもそんな印象を与えてしまうんですね。

そんなドラマに比べればはるかに規模も小さい私の作品も、照明担当に言わせると「なかなか面白い」そうで。
実際現場で画面を見ていても「この現場でこの画面が撮られたとはとても思えないねー」なんていうミラクル・カットに何度も遭遇、その一瞬はスタッフの職人技を感じたものです。こんな風に照明効果というのは、見る者を画面に引き込む力があるんですね。
そこからは出演者、カメラマンの仕事となるわけですが、それらも重要なファクターである事は言うまでもありません。

そんな風に撮られた映像素材は、言ってみれば「パズルのピース」のような物。これをベースにはめこんで、一つの形にまとめ上げるのが「編集」です。
ディレクターの中にはこの編集作業が一番楽しいと言う人もいますね。前述の通り、台本という設計図を目標にしながらも、様々な現場状況によって変更せざるを得なかった撮影素材をまとめ上げるのですから、最初の目論見とは当然違ってきます。
「作品づくりは編集が要」なのです。
(「ネヴュラ」風に言えば、円谷英二監督も編集好きでしたねー)

実際、編集によって作品は大きく変わります。
バラエティー番組などでお笑い芸人が言う「お前きっと編集されてオンエアでは無口になってるぞ」なんてネタがありますが、実際カットされて悔しい思いをした芸人の、心の叫びだったりするんですよね。
事実、その長さが決まっている番組の編集は実に非情なもので、タレントの発言はおろか、そのタレントが番組に出演した事実までカットする事さえ可能なのです。そういう意味ではディレクターは、番組制作の上では「神」とも言えましょう(ここで日頃のうっぷんを晴らしたりして(笑)。

そんな風に制作した作品ですが、ここでディレクターには宿命とも言える苦難が待っています。

自己評価と、世間の評価のギャップです。

これは本当に不思議な事なんですが、評価の高い番組というのは、そのほとんどが精神的、時間的に追い詰められて、苦し紛れに作ったものが多いんです。逆に予算も時間的余裕もたっぷりあって、自分でも満足がいった作品の方か、評価が低いという(笑)。

追い詰められた状況での集中力が、作品の完成度を高めるんでしょうね。

ここでオタクの私などは、ある逸話を思い出してしまいます。
ウルトラマンティガ(1996年)第3話「悪魔の預言」。
当初この第3話は別の作品が予定され、その為の脚本も用意されていましたが、プロデュースサイドの意向で急遽別の作品を放送する事になり、脚本担当の小中千昭はわずか2日間でこの脚本を書き上げたというお話です。

あの、ティガの世界観を構築した一篇を、わずか2日で紡ぎあげたとは!

規模はまったく違えど、同じ「ものづくり」に関わる私などは、こういったお話に強い共感を覚えます。
つくづく「作品の出来」って、時間じゃなく「集中力」なんだなーと思うんですね。
いやーダメですね。編集程度で疲れてちゃ(笑)。

ここまで書いて、こんな言葉を思い出してしまいました。(カッコつけてる訳じゃないんですが、思い出しちゃったもので。ごめんなさい)
故・円谷英二監督が、どんな難しい特撮画面を要求されても、涼しい顔で言った言葉。

「出来るよ。」

この一言の裏で、自分を追い詰めて集中力を高めていたんでしょうね。
私にはまだまだ言えない、深く、重い言葉です。

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