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2006年7月25日 (火)

いつも心にブー冠を

いろんな特撮関係のブログで、「仮面ライダーカブト」「ウルトラマンメビウス」の感想が語られる中、
今日の記事は「快獣ブースカ」。このギャップがたまりません(笑)。

Photo_49 「ネヴュラ」で「快獣ブースカ」についての記事を書くのは今日で3回目。それくらい大好きな番組です。CSの「チャンネルNECO」で今放送中なのも手伝って、毎週楽しみに見ています。その影響もあってか、「ブースカ」のフィギュアもここ最近コンスタントに発売されていますよね。

昨日記事をアップした後も、毎週月曜、夜10時30分からの放送を楽しんでいました。
昨日のタイトルは第15話「バラサで行こう!」(1967年2月15日放送)。
いつもながらのブースカ・ワールドが展開する、楽しいお話でした。

Photo_50 この「快獣ブースカ」見るたびに思うんですが、あのウルトラシリーズ黎明期、1966年から67年にかけてに円谷プロが制作した番組だけあって、やっぱり出来がいいんですねー。
いや「ブースカ」に関してはそんなクールな言い方は似合いませんね。「面白い」という表現がピッタリきます。
人間の社会に居る快獣「ブースカ」の日常を描いた、のどかなストーリーなんですが、毎回の展開に「そう来るか」というヒネリと、必ず心を打つ「名ゼリフ」があるんですよ。

あまりストーリーを書くのは好きじゃないんですが、昨日のお話はちょっと感動したもので、よければお読み下さい。

昨日はこんなお話でした。
お世話になっている「生みの親」大作君のお父さんからお使いを頼まれたブースカ。
人のいいブースカはお使いの帰り道、困っている町の人を親切で助けているうちに、持っていた「ブースカ・バッグ」を、子供に盗まれてしまいます。
子供はバッグが欲しかっただけなんですが、バッグの中には銀行から引き出した20万円という大金が。子供がバッグを振り回すうち、中のお金はおじさんが引くリヤカーの中へ。また人のいいおじさんは、20万円を拾っちゃった事に慌て、落とし主を探します。そこで、バッグをなくして慌てるブースカと鉢合わせ(ここの会話もがいいんですが)。
無事にお金を返してもらったブースカはおじさんにお礼を言います。その時のおじさんのセリフがまた良いんです。

「親切ってものはな、両方が気持ちいいもんだよ。」

その後、「親切」について考えるブースカ。いろんな場面で親切を行うんですが、失敗しちゃったり、必要としていない「見返り」をもらったりして、親切の本当の意味がわからなくなっちゃうんですね。
「シオシオのパー」のブースカ。そんな時突然、小判が入った「宝箱」を発見してしまいます。

Photo_51 宝箱の落とし主を探す為、「鑑定会」が開かれます。欲の皮の突っ張った連中が押しかけ、会場はニセの落とし主でいっぱい。その中に円谷作品でよく見る「ベタなギャング団」が居るんですよ。ブースカ独自の「鑑定法(これも「そう来るか」の展開)」で本当の落とし主を見つけたまではいいんですが、ギャング団、たまたま会場に居た大作君の友達、メチャ太郎たちを人質に、宝箱を渡せと迫ります。そこでブースカの大活躍!

空を飛び、車を念力で操り、ブースカ・パワーでギャング団をキリキリ舞いさせるブースカ。(今風に言えば「クロックアップ」でギャング団の拳銃の弾を掴んじゃったりね)
人質も宝箱も無事取り戻し、宝箱の持ち主も救ったブースカに、持ち主はこう言います。
「このお金を、ブースカに差し上げたいと思います」。

ここでおそらく、今回語りたかったテーマがブースカの口から出るのです。

「いや、これは僕がもらっちゃいけないんだ。
親切は両方がうれしいものだと教わりました。」

この黄金を基金に、科学や文化に貢献した少年や、貧しくて本やノートが買えない子供達に送る奨学金制度を設けて役立てて欲しい、と提案するブースカ。
これがブースカにとって「両方がうれしい」親切だったんですね。
この「親切は両方がうれしいもの」という言葉が、昨日から頭の中を離れなくて(笑)。
これが「快獣ブースカ」という番組の凄いところなんですよ。
「僕は要りません」じゃなくて「もらっちゃいけない」という表現。「宝はニセモノ」というベタな展開をしない脚本の妙。
ブースカのやさしさやピュアさが全てこのシーンに集約された名場面だと思います。

確かに大人の論理、説教臭さが漂うことも確かです。皆さんもそう思われたでしょう。
きっとそれは、私の文章が下手な為です。こんな道徳じみたお話も、ブースカの口からセリフが出るだけで、「いいもの見せてもらいました」になってしまう。その凄さは、明らかにブースカというキャラクターにあると思うんです。

こんな寓話を「いいお話」にしてしまうブースカ。
子供の頃、「かわいい友達」として認識していたこのドラマにも、しっかりとしたメッセージが込められていたんですね。

寓話と言いながらも、親切には「両方がうれしい」という見過ごしがちな真理がありますよね。無理に行う親切は、相手もどこか重荷に感じたりする訳ですから。そういう意味では、ほぼ40年前に作られたこのエピソードに込められたメッセージは、大人になった今こそ、見る者にボディーブローのように効いてくるのです。
時代を超えて愛されるドラマは、必ず不変の真理を伝えているのだと、今回改めて感じました。(ずいぶん遅いですが(泣)。

Photo_52 私は、「快獣ブースカ」が好きな事を誇りに思います。
こんな宝石のようなエピソードを見るたびに、
「ピュアな心を忘れない」ブースカの精神を、いつまでも忘れたくないと感じるのです。

いつも心に「ブー冠」を。
明日も一日「バラサで行こう」!

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コメント

うーん。ブースカは、再放送も、ビデオも見たことがないので、ほとんど覚えていませんでしたが、そんなエピソードの結晶でしたか。なるほど「快」の字を使うわけですね。見終わった後、心地よい気分にさせてくれる「快獣」というわけだったんですね。
ブースカで、覚えていたのはホント単語の断片でした。
王冠・バラサ・シオシオノパー・大作・チャメゴン・イモラ・ラーメン好き・・・ぐらいでしょうか。
記事を読ませてもらうと、今、アニメでも実写でも、こんな考えさせられるモノがあるか?と考えてしまいますよね・・・。
少なくても、子どもを取り巻く空気は、今より澄んでいたと思います。

コメントありがとうございます。どちらかと言えば特撮コメディーは苦手な私なんですが、この「快獣ブースカ」だけは別格扱いで(笑)。

おっしゃる通り、子供を取り巻く空気も、当の子供の瞳も、今より澄んでいた頃のお話で、しいて挙げれば「ウルトラQ」というよりは「ウルトラマン」の突き抜けた明るさをご近所レベルにしたような作風でした。

数年前、お仕事で知り合った構成作家の先生が、携帯電話のストラップにブースカをつけていまして、「懐かしいですね」と声をかけたら、「ブースカ、大好きなんですよ」と嬉しそうに答えてくれた事を思い出します。

ブースカにはそんな、なにか人を笑顔にさせる不思議な魅力があるようですね(笑)。

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