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2006年7月の記事

2006年7月30日 (日)

マルサンゴジラのふるさと

「これ、よく出来てますねー。」
1991年冬。私は東京、浅草の「空想雑貨」を訪れていました。
91_1 オーナーの神谷さんに見せられたのはこの、「VSキングギドラ」バージョンのゴジラ。その冬バンダイから発売されたソフビの試作品でした。(写真は発売された商品です)
このソフビは後に発売された「VSモスラ」バージョンよりもリアルな出来で、今でも人気の高いアイテム。
当時私は玩具メーカーからこんなにリアルなソフビが出た事に、驚きを隠せませんでした。

今発売されている数多くの、ソフビやプラモデルなどのゴジラ人形。ガレージキットまで含めれば、それこそ星の数ほどアイテムがあります。
そんな中で、日本で始めて「ゴジラ」を人形化したメーカーと言えば、「マルサン商店」。
Photo_67 お宝ブームの余波で、マニアの皆さんのみならず一般の方々にもその名前が知れ渡った「伝説のおもちゃメーカー」です。「ゴジラ」はこの「マルサン商店」から最初、電動プラモデル(1964年)として発売され、爆発的な人気を博しました。その2年後の1966年に、後々まで「マニアの友」となる怪獣ソフトビニール人形が発売され、ゴジラもそのラインナップに入りました。「第一次怪獣ブーム」の追い風を受けながら、東宝怪獣、ウルトラ怪獣など多くの種類を発売していった経緯は、皆さんならもうご存知でしょう。

今、怪獣玩具を研究する方々には余計な説明ですが、この「マルサンゴジラ」こそ、現在まで連綿と発売され続けるゴジラ人形のルーツである訳です。

このソフトビニール人形というのは、元となる型さえあれば、現在でも簡単に商品化できます。「マルサンゴジラ」も例にもれず、元の型が残っていた為、後に何度も復刻され、今でも比較的容易に手に入れることができます。
すごい事ですよね。今から40年前に発売された怪獣人形が、現役のソフビと肩を並べて店頭を飾るというのも。

このソフトビニール、怪獣人形の素材としてすっかり定着した感がありますが、もともとこの「マルサンゴジラ」が、本格的なソフビ人形のパイオニアだったので、「怪獣にソフトビニール」という発想もマルサン商店のオリジナルだったようです。
実際には、マルサンのソフトビニール怪獣はほんの少し前に「ウルトラQ」の怪獣が商品化されていた為、東宝怪獣としての初商品という表現が正しいのですが、ソフビ黎明期の時代、ゴジラの商品化にも色々なご苦労があったようですね。

そんな怪獣ソフビのルーツに興味を持った私。(なんでOLなのに・・・)お宝ブーム最高潮の頃発売された研究誌や放送された特集番組などを、例の野次馬根性で追いかけ、つたない知識を仕入れる事ができました。以降はそんな資料からの受け売りです。私ごときにはそれが限界で。

当時のマルサン商店でゴジラソフビを開発した、いしづき(漢字変換ができなくて・・・)三郎さんのお話によると、1966年当時、怪獣をソフビで商品化するというのはかなりの冒険だったそうです。当時のソフビは、女の子用の「お人形さん」が主流で、可愛いものというイメージがあったとの事。「怖く、暗い色」である怪獣は、ソフビという素材に向かないのでは、という危惧もあったそうですが、2年前に発売したプラモデルが当たった事もあり、「やってみよう」というチャレンジ精神で取り組んだようです。

アメリカから来たばかりの新しい素材「ソフトビニール」は、当時製造方法が分からず、マルサンのスタッフもかなり試行錯誤をされたようです。成型色(地の色ですね)も「怪獣だから暗い色が」いや「子供のおもちゃだから派手な色を」なんて社内で意見が分かれたとの事。当時、とんでもない色の怪獣ソフビが売られていたのも、その頃の試行錯誤による物だったんですね。(赤いミニラとかね(笑)

素材や色へのこだわりと同時に、怪獣おもちゃで一番重要な「形」についての試行錯誤も続いていました。
ここで面白いのが、「怪獣人形は瀬戸物の原型師によって作られた」という証言。当のいしづきさんがおっしゃっているので間違いないでしょう。
陶器で有名な都市、愛知県瀬戸市。ここに腕のいい原型師さんが居る、と聞きつけたマルサンスタッフは当人を訪ね、原型の製作を依頼したのだそうです。

日本最初の怪獣原型師は瀬戸物の職人さんだった訳です。

Photo_68 Photo_69 その原型師さんは大変丁寧な仕事をしてくれたそうで、その細かさは今も、人形のあちこちに表れているとの事。例えばこの「アンギラス」、かなりの数の背中のトゲを一本一本成形した細かさは、1966年当時賞賛に値したとのことです。

Photo_74 また、原型製作の上でも試行錯誤があったそうで、「アンギラス」もこの「バラゴン」も、その愛嬌ある顔や、映画では四つ足だったものを立たせてしまった点、バラゴンのお腹が丸く膨れているのはキューピー人形を参考にしたなど、「リアル」と「デフォルメ」の狭間で揺れるスタッフの苦悩が見て取れておもしろいですね。

そんな「バラゴン」も、試作品をおもちゃ問屋さんに見せたとき、「発注がなかった」との事で、まだまだ怪獣ソフビが一般に受け入れられなかった時代のご苦労が偲ばれます。
しかし、いざ発売されてみれば爆発的な売れ行き。方向性の正しさを確信したスタッフは次々とシリーズを展開しました。

Photo_71 Photo_72 Photo_73 この「キングギドラ」「モスラ」も、いまだに人気の高い怪獣ですが、今の物とはかなり雰囲気が違いますよね。ギドラの尻尾が一本だったり(笑)。
先ほどの「立てちゃった怪獣」も含め、マルサン商店の怪獣ソフビは基本的に「子供のおもちゃ」というスタンスを出発点にしているのです。これが時代を超えてなお、私達「大きなおともだち」の心を捉えて話さない理由なのでしょう。実際、後年他社から発売されたソフビ怪獣の中で、中途半端なリアルさが愛着にブレーキをかける物も少なくないですからね。

Gs いしづきさんは語ります。「当時の原型師さんは、怪獣の原型を自分の子供のように大切に作ってくれていた。」
きっとその思いが今も、マルサンのソフビ怪獣には生きているんですね。

こんな怪獣人形ひとつとっても、「プロジェクトX」的な開発秘話があるもので。(まさか番組化されてないですよね。見てなかったら一生の不覚(笑)。ゴジラソフビのルーツを探ってみるのも楽しいものです。
今日この記事を書くために、久しぶりに資料をひっくり返してみたのですが、夏のこの時期、子供の頃の自由研究を思い出して楽しい時間を過ごせました。

でも、こんなテーマで研究発表しても、先生には分かってもらえないだろーなー(笑)。

2006年7月29日 (土)

ユルいのが好き

Ff Bs 雨の中立ち寄ったオタクショップ。視界の隅に、どうも引っかかるアイテムが。
昨日のお題「アゴン」つながりの、マーミット製ソフビ「アロン」でした。手にとってみると、これはこれでよく出来ている。もーホント、どーしてこう目の前に魅力的な一品が。なんてブツブツ言いながら、レジへ向かう私。今日の散財も大きかった・・・

記事をご覧になっていて、たまに載る写真をクリックしている方(拡大されるんです)はお分かりと思いますが、私の持っている怪獣などの立体物は、そのほとんどが「デフォルメモデル」というか、いわゆる「レトロタイプ」のソフビです。リアルさを追求した、ハードディテールのガレージキットなどはあまり出していません。

在庫がほとんど無いんです(笑)。

ガレージキット黎明期の1980年代初頭。ゼネラルプロダクツのバキュームフォーム・キットや海洋堂のキャスト・キットがホビージャパンの誌面に登場した頃は、私もご他聞に漏れず、仲間たちとショップを回って、むさぼるように買い集めました。
(ペーパークラフトのメーサー車を、すべてプラ板に置き換えて作ってみよう、なんて野望に燃えていた事も懐かしい思い出です。)
当初発売されていたガレージキットは、メーカー品では到達できないハイディテールと、ポージングに重点を置いたディスプレイ性が売り物で、私もそんな姿勢に新鮮な興味を感じたものです。

ところが、そうして集めたガレージキットも、ある時期を境にそのほとんどを手放してしまいました。今考えてみるともったいないお話ですね(笑)。
私をそうさせたものは一体なんだったのでしょうか。

まあ、一つは「不器用」と「貧乏」のなせる業でしょうねー(笑)。
重く、場所を取ってしまうキャストキットは、組み立ては簡単なものの「塗り」が難しい。
また、貧乏な私には資金が続かない。これは切実な問題で・・・
今でも、腕に覚えのある方々のブログですごい作例などを見ると、ため息が出ます。ここまで作れたら、どんなに良いだろうって。

となると当然、皆さんからツッコミが入るでしょう。
「今は比較的安価でハイ・ディテールのソフビ・キットが数多く出回っているので、そっちを集めれば?」
至極ごもっともなご意見です。実は今でも、ビリケン製のソフビキットなどはいくつか持ってはいるんです。でも、アップする気にならない。きっと単純な理由なんですよ。

ユルいの、好きなんですよね。

制作、塗装技術に自信がない事もありますが、最近になって思います。
きっと私は根本的に「ちょっといいかげんな物」が好きなんですよ。
劇中登場した着ぐるみと寸分違わない、いやある意味ではそれを超える程のスーパー・ディテールモデルは、鑑賞するのは本当に好きで、モデラーの皆さんの作品を拝見するのもネットの大きな楽しみではあるんです。自分には到底できない事ですからねー。
でも、部屋に置くのは「ユルーいソフビ」(笑)。おバカですよね。

昔、ある番組のロケで、私の部屋を使う事になりまして、リポーターやカメラマンなど、仲間のロケスタッフが部屋に来たとき、彼らが言った感想が笑えました。
「ここ、おもちゃ屋じゃん。」
マニアの部屋を評する感想でよくある、「博物館」でも、「模型店」でもなく「おもちゃ屋」という感想。
正直私は、その時嬉しかったんです。無意識にそれを目指していたのかもしれません。
仲間のマニア、コレクターからも、「アンティック・トイショップだねここは」なんて感想をよく漏らされます。

よくお邪魔するブログでみなさんが発表されている、プラモデルなどの貴重なコレクションには到底及びませんが(ホントに大した物は無いんですよ)、なんとなく私の部屋が、1960年代のおもちゃ屋風に見えるのは、そんな「ユルい物好き」が反映しているせいなのかもしれません

これは実際やってみてわかった事なんですが、ハードディテールと比較的リーズナブルな価格で今人気のXーPLUS製怪獣モデル。これを部屋に置くと「浮く」んですよ(爆笑)。
それくらい「ユルいもの」ばかりの部屋なんですよね。
どうやらこれは、生物学上の性別と精神的な性別が異なる私の嗜好が反映されているとも言えるのです。「ユルい物をかわいいと感じちゃう」という。
ブログで何度も感想を書いている「ブースカ」好きも、そんな嗜好の一端なんでしょう。

ところがここで、私の「デフォルメ具合の物差し」というのが顔を覗かせます。
(相変わらずなにかと好みの激しい性格で。)
「デフォルメしすぎはNG」。
このさじ加減はそれこそアイテムによって異なるので、現物を見てみないとなんとも言えませんが、微妙なユルさのセンスが好みのようです。
昔で言う、「マルサン・ブルマァクテイスト」と言うんでしょうか。ああいったテイストは見ていて本当に頬が緩みます。今のソフビで言えば、マーミットのアイテムは私にとって直球ど真ん中。あれば即ゲットです。(お財布の余裕もあれば、ですが)

アイテム事情に詳しい方々ならお分かりの、「ネタが古い」というご指摘もごもっとも。
経済的事情で、かなり安くなってからしか手を出さないもので(笑)。


X Ff_1 Bs_1 そんな訳で、今日「アロン」の他に手に入れたアイテムはご覧の通り。
「持ち物や部屋はオーナーのインナースペース」なんて言いますが、まさに言い得て妙ですよねー。
この精神年齢の低さは、「ネヴュラ」読者の方々に申し訳ないくらいです。

ハードディテールのガレージキットが整然と並ぶ、「ミュージアム風」の部屋に比べれは「子供部屋」程度のレベルで。お恥ずかしいです。まあ好みは人それぞれということで、笑ってお許しいただければ幸いですが。
Photo_65 でも、このロケットプロの「ガメラ・シャンプーボトル」などは、企画スタッフも子供心にあふれた方のようで、タグの裏にはこんなものも印刷されていました。
「架空のチケット」って・・・このユルさも好きですが(笑)。

Photo_66 そんな「極貧コレクター」の私にも、たまにはいい事があるもので。
以前買った、このマルサン復刻「パゴス」には、私にとって格別の思い出があります。
以前記事にも書きましたので、「ネヴュラ」を古くからご覧の方はお分かりでしょう。
今日はこのネタの為に再度出演。記事を未見の方はカテゴリー「パゴス」をクリック下さい。またまた私がやっちゃった恥ずかしい思い出がご覧になれます。

2006年7月28日 (金)

関西のゴジラ

「幻の作品」というものがあります。
企画だけされて、様々な理由で制作に至っていない作品。例えば「S・Fモンスター作戦」や「STOPシリーズ」といったタイトルが有名ですね。
また、資料や文献には載っていても、なかなか見る機会に恵まれない作品。
今日お話する「アゴン」も、私の中で長年、「幻の作品」でした。

Photo_62 この作品、「怪獣マリンコング」と同じジャンルの、テレビにおける特撮怪獣ドラマ。
制作は「ウルトラQ」より前の1964年です。随分古い作品ですね。制作が決定するやいなや各新聞で大々的に報道されたと雑誌「宇宙船」には載っていました。
ところが全4話で制作終了。放送は4年後の1968年にフジテレビ系の正月番組として放送されたそうです。この「4年後の放送」という処置にはどんな理由があったのでしょうか。
ちょっと想像がつきませんねー。(写真は昨年発売されたDVDのチラシ。「ゴルゴ」と戦ったわけではありません(笑)。

私がこの作品に初めて出会ったのはもう20年以上前でしょうか。
私が住む町のローカル局でたまたま深夜、放送されたのです。丁度第三次怪獣ブームの真っ只中。この頃私も怪獣映画に対して貧欲に作品発掘を行っていたので、この放送は大変嬉しかった事を憶えています。

鑑賞前、この「アゴン」に関して私が持っていた情報は知れていて、「アゴンの着ぐるみは「マグマ大使」のアロンに流用されたらしい」程度の事。
ストーリーなど全く知らず、いい意味で「ファーストコンタクト」だった訳です。鑑賞条件としてはほぼベストでした。
初見の印象は「ちょっと間延びしてるかな」なんて感じでしたが、3年程前CSで放送され、10数年ぶりに再会を果たしたのでした。この時の印象を元に、ちょっとお話してみましょう。

「ウルトラQ」制作前なので、当然の事ながらモノクロ作品。放射能による突然変異で、海底に棲む原子恐竜の生き残りが突然変異し、ウランを求めて上陸、破壊の限りをつくす、という、大変オリジナリティーに溢れるストーリーです(笑)。
これはもう・・・

後年知った事ですが、原作・脚本・監修は関沢新一さんでした。確かに、劇中登場する「スッポンの五郎」なる新聞記者、「科学万能の時代」というセリフ、「原子力で第三の火を得た人類こそが自業自得」と語る博士など、関沢ワールド、ひいては東宝テイスト溢れるドラマが展開されるのでした。

もう、「テレビ版ゴジラ」(笑)。

実は、正確にはこの「アゴン」、2話ずつの2部構成なんですね。今お話したのは1・2話。
で、3・4話は麻薬密輸事件に絡む、子供が乗った船をくわえたアゴンとの行き詰る攻防戦、という別のお話が展開されます。第4話ラスト、アゴンの生死は不明です。

ところがこの作品、こうして文章にすると本当に東宝テイストですが、
(私の語りが下手な事もありますが)実際の作品の肌ざわりは、かなり違ったものとなっています。

これは、制作会社である「日本電波映画」という会社の作風なのでしょうか、それとも監督の意向なのでしょうか
「アゴンの造形」と「音楽・効果音」が独特のテイストを持って、見る者に訴えかけてくるのです。

音楽は斉藤超という方。おそらく、制作当時の最新感覚を採り入れたものではないかと思われます。当時怪獣映画と言えば「ゴジラ」「ガメラ」程度しかなかった時代。それもテレビ作品という枠の中では、なかなか劇場作品並みの作曲状況も与えられなかったでしょう。頑張っているとは思います。
アゴンの鳴き声など、東宝や大映の怪獣にはない不思議な印象を受けますねー。(唸り声といった方がピッタリするんでしょうか)

そして今日、私が一番お話したかったのがこの「アゴンの造形」。
これがおそらく、ゴジラとの差別化が最も顕著な部分でしょう。「マグマ大使」のオープニングに登場する大恐竜、本編上の「アロン」を思わせるリアルな造形。部分ごとに処理が変わる表皮の細かいディテール。呼吸とともに動く喉のアクションなど、東宝怪獣風でありながらまた違った、強烈な個性を持っているのです。
この時代にこれ程の造形精度を持ったテレビ怪獣が生まれた事はちょっと信じがたい事実ですよね。

この「アゴン」の造形を担当したのが、作品の特技監督も担当した大橋史典という方。
まあ、後の「マグマ大使」で精密感あふれる怪獣造形を担当された方なので、マニアの方には有名ですよね。この「アゴン」の造形、前述したようにこの「マグマ大使」の「アロン」と同じ着ぐるみと長年思っていたのですが、去年発売された「特撮ヒーローBESTマガジン」のVOL.1を読んでビックリ!

Photo_64 これがその記事に載っていた「アゴン」と「アロン」の写真ですが、なるほど全然違うじゃないですか。
いやー話題は若干古いですがこれはスクープですよねー。

記事を書いた品田冬樹さん、さすがだなー。
確かに全体のフォルムは似ていますが、プロポーションや細かいディテールは全くの別物。ビックリしましたー。でもまるでゴジラスーツの変遷を思わせる楽しい事実ですね。
「初代アゴン」と「マグアゴ(マグアロかな?)」みたいな(笑)。

この造形を手がけた大橋史典さんは京都の方だそうで、氏自身も造形物通り強烈な個性をお持ちだったようです。その長身を生かして数々の怪獣を「自作自演」されたそうで、こうなるともう、中島春雄さんも驚きの「ゴジラ役者」。
創って演る、となるともうこれは、怖いものなしと言うか(笑)。
記事には「アゴン」のスーツについて表記されている「関西のゴジラ」という称号は、そのまま大橋さんの存在自体に当てはまる気さえしてきます。

個性的なデザインの怪獣が絶えて久しい今。こうした文献を紐解いて、かつての「名獣」に思いを馳せるのも楽しいですね。
大橋怪獣を超える、新怪獣の登場を期待したいものです。

2006年7月27日 (木)

あなたの物差しは?

Photo_60 今日も真夏日。ハードな仕事を終え、フラフラと立ち寄ったHMV。
公開中の「日本沈没」サントラCDの、今日は発売日だったのでした。こんなものを手に入れるとつい昔の習性で、本屋でムック本に手が伸びる始末。ふーん。これ、第2版じゃない。増刷してるんだ。売れてるのね。

当然、今日のBGMはこのサントラ。岩代太郎作曲の、悲壮感に満ちた調べが流れる度に、数々の場面が浮かんできます。映画を反芻する上で最高のアイテムですね。
記憶の中で美化されている分、実物の作品より「いい作品」に勝手になってくれます。

しかしながら、私の中ではこのサントラ、楽しさ半分、悲しさ半分の印象がつきまといます。
楽しさは「新鮮な作品と出会える喜び」。
そして悲しさは「物差しと比べてしまう悪い癖」。

私に限らず、どんな趣味の方でも、いや仕事にだって、「他人に譲れない自分の物差し」があるものですよね。
まあ、こういうブログで固いお話もどうかと思いますので、「趣味」に限らせていただいても、それが自分の嗜好に正直であればあるほど「ここは譲れない」という好みやこだわりが出てしまうもので。

私などは年とともに、ますます「物差し」と比べるガンコ癖が付いてしまい、作品の出来とは関係なく、好みに合うかどうかを判断基準にしてしまう「色メガネ」が鑑賞の大きな邪魔となってしまっています。これは私の周りのマニア仲間全体に言える事で、たまたま好みの作品の傾向が似ているせいか、それ以外の作品はもう、酷いこき下ろし方。
私も反省しなければいけないのですが。

ここ数日、時間がある時に、公開中の「日本沈没」の感想をネットでよく見ています。
公開初日に作品を観る事ができた役得ですが、この感想がいろいろあって、大変面白い。
言ってみれば昔雑誌の「宇宙船」で、ゴジラ映画の新作が公開される度に、編集部スタッフから外部ライターまでが寄ってたかって感想を発表していた、あの雰囲気に近いのです。
ネットという、誰もが参加できるメディアゆえか、投稿者の裾野もうんと広がり(当たり前ですね)、実に千差万別の意見が飛び交う状況です。

こんな事はおそらく、観客層を限定するゴジラ映画では到底あり得ない事でしょう。
特撮を売り物にしながらも、今風にラブストーリーを主軸に置いた「タイタニック」的広報戦略が功を奏したのか、夏のデートムービーとして定着しつつある「日本沈没」ならではの現象です。

例によって私見ですが、感想の内容は大きく二分されるようで。
一つは「キャスト重視のストーリー感動派」
いま一つは「旧作と比較した作品分析派」ですね。

まあ、前者はやはり出演俳優に感情移入した意見が多いので、これはこれで興味深いのですが、やはり私など「古いタイプ」のオタクとしては・・・言わずもがな(笑)。
Photo_61 どうしても1973年版の旧作と比べてしまうのです。これはもう仕方がないこと。
いろんなブログでの感想を見ていると、いかに73年版が多くの人たちに影響を与えていたかがよく分かります。そうでなければ、これ程検索で記事が引っかかるわけがない。
私を含め、新作「日本沈没」を熱く語る人たちの心には、73年版が厳然たる「物差し」として存在しているのです。

正直なところ、リメイク作に関してこれ程議論が交わされる作品も珍しいですよね。
「物差し」になっているという事は、それだけ人々の心に73年版が強く残っているという事なんだろうなと、ちょっと嬉しくなったりして。

意見を読んでいて意外だったのは、73年版を知らずに新作を観て感想を書いている人がかなり居た事です。それだけインパクトのある作品だったからでしょうか。
そりゃそうですよね。日本が沈むんだから(笑)。
そんな人たちの意見には「迫力があった」「特撮が凄かった」「感動した」などが多く、おおむね好評だった事が窺えます。
これらの人たちはこれから、この新作を一つの物差しとして考える事になるのでしょう。

こと映像作品に限って言えば、作品を測る上での「物差し」は、その人が最初に出会った作品によってかなり左右されるようです。
このブログでもしつこいくらいに書いている、怪獣映画、ヒーロー番組にしたってそれは同じで、最初に衝撃を受けた作品が名作であればある程、「長い」物差しが出来てしまう。
後年その物差しを越える作品に出会う事の困難さを、最初に課せられてしまうのです


私達「第一次怪獣ブーム」に育った人たちが最も辛いのはそこですね。最初にオリジナルを見せられすぎた、という。考えてみれば、今も連綿と作り続けられているウルトラ・ライダー・戦隊シリーズなどは、その「初作」から体験し、ゴジラ、ガメラに関しても、観客動員数が一番多かった、盛り上がっていた頃を原体験としている訳ですから。

そういう時代に生まれた事を自慢している訳でも、何でもないんです。同年代の方ならなんとなくお分かりですよね。
「水が一番澄んでいて、冷えていた頃を知っているが故の、今の喉の渇き」というか。
1995年に「ガメラ 大怪獣空中決戦」が公開された時、乾きが癒されませんでしたか?
あんな、十数年に一度の体験だけを望みに生きているような気がするんですよ。

まあ、そんな「物差し」というこだわりにしたって、今のマニアから見れば「古い物差し」なのかもしれませんね。
今の作品も頑張っているとは思うんですよ。
でもなぜかいま一つ私達の「古い物差し」を越える、いや新しい物差しを作る程の作品に出会えない。旧作の遺産だけでやっているような気がする。
そんな閉塞感を感じるのは私だけでしょうか。

「ネヴュラ」をご覧になっている奇特な皆さん。
最近、あなたの物差しにかなう作品に出会いましたか?
もし、おすすめの作品があったら、ぜひ私に教えて下さい。
なんてね。テレビ関係者の私が言ってちゃいけないんですが(笑)。

2006年7月26日 (水)

映像に浮く感覚

どうも記事の文章が長くなるきらいがありまして。
実は7月23日(日)の記事{「鑑賞」と「体験」の境界}には、もう少し書きたかったことがありました。あまり長文でも読まれる方にはお気の毒と思い、割愛していたのです。
今日はいい機会なので特別二本立て。続きを書くことにしましょう。小文ですがお暇でしたらお読み下さい。

昨年の今頃、私が愛知万博「愛・地球博」会場で仕事をしていたことは以前、記事でも書きましたが、その仕事の中には「各パビリオンをVTRで紹介」という物もありました。
割り当てられたパビリオンにアポを取り、お邪魔して内部を撮影、万博の公式ホームページで流す、といった内容でした。

Photo_58 いろいろなパビリオンへ行きましたが、仕事柄やはり私が興味を持つのは映像系。
各パビリオンとも趣向を凝らした映像で、「さすが万博」と思わせてくれました。
中でも私が最も感動したのは、「長久手日本館」の「360度体感映像」というものでした。

Photo_59 万博関係の特別番組で何度か紹介されたので、皆さんもご存知と思いますが、この映像アドベンチャーは、直径12.8メートルの球体の中をすべてスクリーンとして使い、映し出される宇宙空間から地球の海、内部へと至る映像を「体感」するというもの。
お客さんは球体の真ん中を貫く透明なブリッジに立ち、周りに展開する映像を観ることとなるのです。

VTRカメラでこの映像を撮影する事となった私。当然アポ取りをする訳ですが、パビリオンの広報担当から言われた「開館前じゃないとお客さんの邪魔になる」という理由から、まだ誰も居ない朝8時、パビリオンへ向かいました。最初は「眠いー」などとテンション低めの私でしたが、この「誰も居ないパビリオン」は、予想外の体験をもたらしました。

係の方に案内され、たどり着いた「360度スクリーン」。最初は真っ暗で「なにこれー?」なんて感じだったんです。
ところが、電源が入り、大音響とともに映像が映し出されると、これはもう、筆舌に尽くしがたい大迫力!

実際に体験された方はお分かりですよね。この「体感映像」、星や自然、動物や魚などが目まぐるしく動く内容ですが、撮影したカメラも特殊なら、編集もスゴイ。映像がカットで途切れないから数分間がワンカット。
そして当然の事ながらまわり全部が映像ですから「自分が浮いている」感覚になるんですよ。こんなの初体験だったので、眠気も一気に飛んじゃって。いやー人生死ぬまで勉強ですねー(笑)。

終わった後、呆然として立ち尽くしていると、係の方か「いやー迫力ありますねー」と近づいてきました。「あれ?毎日ご覧になってるんじゃ?」と尋ねると、意外な返事が。
「いや、開館中はお客さんがこのブリッジに詰め掛けるので、ブリッジの部分の映像はお客さんに隠れて、本当の360度映像は観れないんですよ。私も今日始めて完全なものを観ました。」なるほどー。貸しきり状態だから出来たこの役得。早起きしてよかったー。

結局こちらの撮影は、無理を聞いてもらって都合3回上映してもらい、あらゆる角度から撮らせてもらいました。もう堪能しまくりで(笑)。

先日の「大画面主義」のお話でも言いましたが、私は「映画のファーストコンタクトは劇場で」と思っています。やはり迫力が違うんですよ。
いずれ映画も、こんな球形のスクリーンで上映されるような作品が創られる時代が来るのでしょうか。
こんなスクリーンで怪獣映画を観たら、もう一生の思い出になるでしょうねー。
ゴジラやガメラが戦う映像の中に「浮く」感覚。考えただけで興奮します。球形スクリーンの効果か、迫る映像が目の前に来る感覚があったりして。これこそ「その場でしか体感できない経験」ですよねー。
仕事で行ったパピリオンでしたが、この経験はいい思い出になりました。

余談ですが、万博開催期間中、他にもいろんなパビリオンを訪ねた私。「ヨルダン館」へ行ったとき、日本語が分かるスタッフが不在で、現地スタッフに身振り手振りで取材の事を伝えたのですが、思った通りスタッフは勘違い。
お客さんと思われて、ヨルダン館一番の売り物「死海体験コーナー」に案内された事があります。もうちょっとで水着姿にされるところでした。

でも、惜しかったかな。映像に加えて「死海」にも浮けたのに(笑)。

「反則」の怪獣

子供たちはもう夏休み。今週末もお仕事の私は、今日お休みをもらいました。
梅雨明け直前、予想最高気温34度!で夏気分も盛り上がります。
今日はちょっと子供に戻って、夏休み気分で怪獣のお話をしましょう。

Photo_53 Photo_54 これ、何だかわかりますか?昔、日東科学から発売されていたプラモデル、「ワニゴン」と「ガマロン」です。写真のキットは1983年に復刻された再販バージョンですが、これをテレビで見た!という方は居ないでしょう。これは日東科学のオリジナル怪獣ですもんね。
怪獣プラモデルのコレクターの方なら「入門篇」のこのキット。私にも深い思い入れがありまして。

私が子供の頃は、子供の遊びといえば怪獣ゴッコ、というくらい、とにかく世の中怪獣が溢れかえった「怪獣ブーム」の真っ只中。
丁度今ごろ、夏休みの季節は、近所の仲間が集まって、公園の砂場から市民プールまで、とにかく怪獣のオモチャで「世紀の戦い」が毎日繰り広げられていました。売られていた怪獣グッズも、今よりはるかにバリエーション豊か。生活用品から衣類に至るまで、子供は全身を怪獣グッズで飾り立て、夜は怪獣を抱いて眠るような毎日を過ごしていたのです。

特に、私の周りで「一番贅沢な遊び」とされていたのが、「怪獣プラモデルの対決」でした。
映画やテレビなどの劇中でその「勇姿」を見せる怪獣が、自分の目の前で動く!そのすばらしさに当時の子供達は目を奪われ、親にせがんで買ってもらった怪獣の可動プラモデルを友達同士で持ち寄っては、その強さを競い合っていたのです。

ここで出てしまうのが、「親の教育方針」の差。当時から高嶺の花で、今もとんでもないプレミア価格がついているマルサンの電動怪獣などは、一部の「親が寛容な家の子供」しか手に入れられませんでした。、私のように大部分の「親が厳しい家の子供」には、もらったお小使いを駆使して、ゼンマイ動力の怪獣を手に入れるしかなかったのです。

後年、仲間と昔話を語るとき、笑い話になるのが、プラモデルの「メーカー派閥」。
「マルサン」「イマイ」など、怪獣やキャラクターのキットで一流どころを集めるメンバーと、「日東」「アオシマ」など、ちょっと低価格帯の怪獣キットを集めるメンバーがいたよね。なんてよく笑いました。当然私は後者。それもモーター動力のキットにはとても手が出ず、ゼンマイこそが動力なんだ。電池もいらないし。なんて意地を張っていた頃もありました。

さて、この「電動」と「ゼンマイ」の怪獣同士の対決。ルールは簡単で、ガチンコ勝負で倒れた方が負けという「一般ルール」でしたが、戦わせるとなると、当然電動怪獣の方がサイズも大きく、そのパワーもゼンマイとは段違い。勝負になりません。私も毎回、友達が持っていたマルサンの「バラゴン」に負け続きで、悔しい思いをしていました。
当時、あの「バラゴン」には、私が持っていた日東のゼンマイガメラ、ギャオス、バルゴン、ブルマァクのゴモラなど、そうそうたる「名獣」が惨敗し、「やっぱりゼンマイキットではモーター動力に勝てないのかなー」と、異種格闘の難しさを味わっていたのです。

そんなある日。私と同じ「ゼンマイ派負け続き」の友達が、意気揚々とある怪獣をひっさげて姿を現しました。
「今日は負けない!」(皆さん、頭の中で「進め!ウルトラマン」のカラオケを再生して下さい(笑)

無敗を誇る「バラゴン」の前に差し出された怪獣こそ、冒頭でお見せした日東の「ワニゴン」だったのです。
「倒れなきゃいいんだよね。」不敵な笑みを見せる友達。
私をはじめ、噂を聞きつけて集まった仲間が固唾を呑んで見守る中、戦いのゴングが鳴りました。そこで私達は驚くべき光景を見たのです!

「ワニゴン」はワニの怪獣で、お腹を地面につけた四つん這いの動き。バラゴンに何をされても絶対に倒れないのでした(笑)!みんなお腹を抱えて笑いました。

「これ、反則じゃないの?」誰かが言いました。みんなも最初は「うーん」と考え込んでいましたが、「まあ動力つきの怪獣プラモだからいいんじゃないの?」ってこととなり、なんと「ワニゴン」は、「バラゴン」を抜いて、仲間内の怪獣チャンピオンになっちゃったのでした。
仲間同士はその後もまったくケンカにならず。おおらかな時代でしたね。
「ワニゴン」「バラゴン」それぞれのオーナーである友達とは、今も親交があります。
一人は金沢、一人はイギリスにいますが、たまに来る連絡には相変わらすオタクな近況が(笑)。

今も笑える懐かしいお話ですが、後年読んだある怪獣関係の同人誌で、「ワニゴンは反則」という記事を見かけ、みんな同じ経験をしているんだなと頬が緩んだことを憶えています。
Photo_55 写真は最近発売された「ワニゴン」「ガマロン」のソフビ人形。カラー彩色版も発売されていましたが、私はこの「黒バージョン」しか持ってません。私はこのソフビを企画した人物を知っていますが、彼にもこの怪獣には積もる思いがある様子。機会があれば聞いて見ましょうか。

「ワニゴン」は日東のオリジナル怪獣ですが、メーカーごとに何かとオリジナル怪獣って出ていますよね。それぞれのメーカーごとにデザイン・ギミックなどの特徴が現れていて面白いんですが。
Photo_56 Photo_57 コレ、どう思います?
「メガゾラン」という怪獣で、出身地はゾラン星。身長の割にヘビーウェイトなこのお方、
どっかで見た怪獣を組み合わせたお姿ですねー。
私はこういうの大好きなんですが、真面目な怪獣ファンがこれを見たら、きっと言うんでしょうね。
「これ、反則じゃないの?」(笑)

2006年7月25日 (火)

いつも心にブー冠を

いろんな特撮関係のブログで、「仮面ライダーカブト」「ウルトラマンメビウス」の感想が語られる中、
今日の記事は「快獣ブースカ」。このギャップがたまりません(笑)。

Photo_49 「ネヴュラ」で「快獣ブースカ」についての記事を書くのは今日で3回目。それくらい大好きな番組です。CSの「チャンネルNECO」で今放送中なのも手伝って、毎週楽しみに見ています。その影響もあってか、「ブースカ」のフィギュアもここ最近コンスタントに発売されていますよね。

昨日記事をアップした後も、毎週月曜、夜10時30分からの放送を楽しんでいました。
昨日のタイトルは第15話「バラサで行こう!」(1967年2月15日放送)。
いつもながらのブースカ・ワールドが展開する、楽しいお話でした。

Photo_50 この「快獣ブースカ」見るたびに思うんですが、あのウルトラシリーズ黎明期、1966年から67年にかけてに円谷プロが制作した番組だけあって、やっぱり出来がいいんですねー。
いや「ブースカ」に関してはそんなクールな言い方は似合いませんね。「面白い」という表現がピッタリきます。
人間の社会に居る快獣「ブースカ」の日常を描いた、のどかなストーリーなんですが、毎回の展開に「そう来るか」というヒネリと、必ず心を打つ「名ゼリフ」があるんですよ。

あまりストーリーを書くのは好きじゃないんですが、昨日のお話はちょっと感動したもので、よければお読み下さい。

昨日はこんなお話でした。
お世話になっている「生みの親」大作君のお父さんからお使いを頼まれたブースカ。
人のいいブースカはお使いの帰り道、困っている町の人を親切で助けているうちに、持っていた「ブースカ・バッグ」を、子供に盗まれてしまいます。
子供はバッグが欲しかっただけなんですが、バッグの中には銀行から引き出した20万円という大金が。子供がバッグを振り回すうち、中のお金はおじさんが引くリヤカーの中へ。また人のいいおじさんは、20万円を拾っちゃった事に慌て、落とし主を探します。そこで、バッグをなくして慌てるブースカと鉢合わせ(ここの会話もがいいんですが)。
無事にお金を返してもらったブースカはおじさんにお礼を言います。その時のおじさんのセリフがまた良いんです。

「親切ってものはな、両方が気持ちいいもんだよ。」

その後、「親切」について考えるブースカ。いろんな場面で親切を行うんですが、失敗しちゃったり、必要としていない「見返り」をもらったりして、親切の本当の意味がわからなくなっちゃうんですね。
「シオシオのパー」のブースカ。そんな時突然、小判が入った「宝箱」を発見してしまいます。

Photo_51 宝箱の落とし主を探す為、「鑑定会」が開かれます。欲の皮の突っ張った連中が押しかけ、会場はニセの落とし主でいっぱい。その中に円谷作品でよく見る「ベタなギャング団」が居るんですよ。ブースカ独自の「鑑定法(これも「そう来るか」の展開)」で本当の落とし主を見つけたまではいいんですが、ギャング団、たまたま会場に居た大作君の友達、メチャ太郎たちを人質に、宝箱を渡せと迫ります。そこでブースカの大活躍!

空を飛び、車を念力で操り、ブースカ・パワーでギャング団をキリキリ舞いさせるブースカ。(今風に言えば「クロックアップ」でギャング団の拳銃の弾を掴んじゃったりね)
人質も宝箱も無事取り戻し、宝箱の持ち主も救ったブースカに、持ち主はこう言います。
「このお金を、ブースカに差し上げたいと思います」。

ここでおそらく、今回語りたかったテーマがブースカの口から出るのです。

「いや、これは僕がもらっちゃいけないんだ。
親切は両方がうれしいものだと教わりました。」

この黄金を基金に、科学や文化に貢献した少年や、貧しくて本やノートが買えない子供達に送る奨学金制度を設けて役立てて欲しい、と提案するブースカ。
これがブースカにとって「両方がうれしい」親切だったんですね。
この「親切は両方がうれしいもの」という言葉が、昨日から頭の中を離れなくて(笑)。
これが「快獣ブースカ」という番組の凄いところなんですよ。
「僕は要りません」じゃなくて「もらっちゃいけない」という表現。「宝はニセモノ」というベタな展開をしない脚本の妙。
ブースカのやさしさやピュアさが全てこのシーンに集約された名場面だと思います。

確かに大人の論理、説教臭さが漂うことも確かです。皆さんもそう思われたでしょう。
きっとそれは、私の文章が下手な為です。こんな道徳じみたお話も、ブースカの口からセリフが出るだけで、「いいもの見せてもらいました」になってしまう。その凄さは、明らかにブースカというキャラクターにあると思うんです。

こんな寓話を「いいお話」にしてしまうブースカ。
子供の頃、「かわいい友達」として認識していたこのドラマにも、しっかりとしたメッセージが込められていたんですね。

寓話と言いながらも、親切には「両方がうれしい」という見過ごしがちな真理がありますよね。無理に行う親切は、相手もどこか重荷に感じたりする訳ですから。そういう意味では、ほぼ40年前に作られたこのエピソードに込められたメッセージは、大人になった今こそ、見る者にボディーブローのように効いてくるのです。
時代を超えて愛されるドラマは、必ず不変の真理を伝えているのだと、今回改めて感じました。(ずいぶん遅いですが(泣)。

Photo_52 私は、「快獣ブースカ」が好きな事を誇りに思います。
こんな宝石のようなエピソードを見るたびに、
「ピュアな心を忘れない」ブースカの精神を、いつまでも忘れたくないと感じるのです。

いつも心に「ブー冠」を。
明日も一日「バラサで行こう」!

2006年7月24日 (月)

闇のアーモンド・アイ

小雨の中、小走りで駆け込んだ、バザール開催中のパルコ。
久しぶりに歩く店内で視界に飛び込んできたのは、「ノスタルジック・ヒーローズ」製、ハヤタ隊員のソフビでした。
「あー久しぶりに見た」と思って手に取ったが最後、お財布を出すまでに時間はかからず・・・
まあ、半額以下でしたから。

Photo_47 この「ハヤタ隊員」、ノスタルジック・ヒーローズ製らしく、「変身途中」というちょっと変わったモデル。」塗装が薄いのは、光に包まれている所をイメージしたカラーリングのようですね。しっかりとミニハヤタさんもカップリングしてあるあたりが気の利くところ。

「ウルトラマン」。もはや説明するまでもない、国産スーパーヒーローの代名詞です。このソフビにイメージされるように、「光」と共に変身するウルトラマンですが、その正体は、「M78星雲の宇宙人」なので、人間とは実に異質な部分が強調されています。
怪獣や侵略者と戦う姿はもう、「人間に味方するヒーロー」というよりは、「超常生命体同士の超能力戦」という趣が強いですよね。

朝日ソノラマのファンタスティックコレクション「ウルトラマン フィルムストーリー・ブック」には、ウルトラマンについてこんな表現がされています。「空を飛ぶ時は赤い球体になる(!)こともあり、「生命」を自在に移植し、人間に乗り移ることも出来れば、空も飛び、手からは自在にエネルギー光線を出す・・・等目もくらむばかりのイメージで、とても「人間的」と呼べるような知的生命体ではない。」

これは放送から10年以上後の評論なのですが、言い得て妙ですよね。放送当時、ウルトラマンに対してまだまだ固定観念がなかった頃、少年雑誌に紹介された「正義の怪人」という表記や、当時発売されたソノシートにある「あっ、ウルトラマンが「シルバーヨード」(オリジナルの技と思いますが)を「吐いた」というセリフなど、まるで怪獣のようなその扱いとこの評論は、奇妙な符合を見せているのです。

ウルトラ第一世代の私にとっても、今のような「スーパーヒーロー」の位置づけがなかった頃のウルトラマンは、まさに「怪遊星人」でした。
幼い私は彼に、なぜそんな印象を持ったのでしょうか?

Photo_48 以前記事にも書いた事がありましたが、ウルトラマンの異質性を強調するのはあの「目」だと思います。
ウルトラマンの目には、いわゆる私達人間のような大きな「黒目」がないですよね。
目をアップにした時のあの独特の「カッティング」は、おそらく、ウルトラマンの企画時のデザイン「レッドマン」から来ていると思いますが、明らかに人間的ではなく、それまでの「仮面の下から人の目が覗く」ヒーローとは異質な、まばゆい光の宿るあの目が、人間と一線を画すデザイン上の大きな意匠だと思うんです。

ところであの「眼光」、実に「白い」と思いませんか?
あの目を見るたびに、人知が及ばない宇宙生命体の存在を感じさせると同時に、「悪い存在ではない」清潔感も感じさせるんですね。
闇の中にウルトラマンが立った時、漆黒を破る目の「白い輝き」と、カラータイマーの「青い輝き」を見ても、「こいつ、怪しいな」とは思わないですもん。
そこが、ウルトラマンの「異質にしてヒーロー」という相反する要素をギリギリの線で両立させていると思うんです。幼い私はきっとそのあたりを感じ取ったんでしようね。
「この人、宇宙人だけど悪い人じゃないな」なんて(笑)。

第2話「侵略者を撃て」に登場したバルタン星人。あのグリグリ動く、黄色く輝く目を思い出して下さい。「怪しさ」爆発じゃありませんか?
そのバルタン星人の円盤を発見したウルトラマンの「透視ピーム」の白い輝きは、「人間と異質」でありながら、光の国の住人が持つパワーと清潔感に溢れていました。
そこで「待て!バルタン」とか言わないウルトラマンの寡黙さも、そのカリスマ性に一役買っているとは思いますが、それはまた別のお話という事で。

ただ、そんなウルトラマンのカリスマ性を保つのも、あの39回という放送回数が限界だったのでは、と思う時があります。
制作予算上の問題で打ち切られたと伝えられますが、きっと、金城哲夫をはじめとする円谷プロ文芸部のメンバー達にも、このままウルトラマンを続けることの、「世界観の維持のむずかしさ」が分かっていたのでは、と思うからです。
既に、「人類を守ることが正義なのか」という問いかけはスタッフ間にもあっただろうし。その問いかけを噴出させたのが「ウルトラセブン」であったとすれば、「マン」の世界観とは違いますしね。

そういう意味で、正義の宇宙人をヒーローとして描けたのは、実はウルトラシリーズでは「ウルトラマン」だけじゃないかと思えるんですよ。
「ウルトラセブン」以降はどちらかというと、変な表現ですが「宇宙人の人間性」をテーマとするシリーズ構成になっていくので、「宇宙人としての異質性」が薄れていくような気がして。だから「ウルトラマン」はつくづく、孤高のシリーズだなー、という思いを強くします。

「ウルトラマン」でフジ・アキコ隊員を演じた桜井浩子さんは、ウルトラマンのデザインについてインタビューで、その目の形を「アーモンド・アイ」と表現しています。

人知を超えた、宇宙を見通す「アーモンド・アイ」。

シリーズも40周年を迎え、新作が作り続けられるウルトラマンですが、「アーモンド・アイ」はこれからも、カラータイマーと並ぶウルトラマンのシンボルとして、その輝きを放ち続けていくんでしょうね。

2006年7月23日 (日)

「鑑賞」と「体験」の境界

「あっらーやっぱり。」
昨日、新聞の映画欄を見た私は思わずつぶやきました。「日本沈没」の上映劇場が変わっていたのです。と言っても、同じ会館の中の劇場なのですが。
この会館、話題作は封切り日以降一週間から二週間ほど、最大席数の600席の劇場で上映するのですが、それ以降はワンランク狭い220席の劇場へ移ってしまうのです。いつ劇場が変わるかは変更週の火曜日に決まるとの事。「大劇場封切り日鑑賞主義」の私は、やっぱり初日に観てよかった、と胸を撫で下ろすのでした。

私が「大劇場主義」になったのは、最近のいわゆる「シネコン」ブームの反動によるところも大きいのですが、何よりも「映画は鑑賞より体験に近い娯楽」みたいな感覚があるからなのです。

Photo_45 数年前、私の街の映画館で「東宝特撮特集」みたいなイベント上映が組まれた事がありました。
これは全国縦断の大イベントではなく、たまたまそういう作品が好きな館主(なのかな?)の発案によるもので、告知もなくひっそりと行われたものでしたが、その中に「妖星ゴラス」がラインナップされていたのです。「ゴラス」を劇場で観たことのなかった私は、「これはチャンス」と喜び勇んで出かけたのでした。

席数はそこそこあり、まあまあの広さの劇場。告知がなかった為、観客は私を除いて2人(しかも20歳そこそこの女の子二人組)の「貸切状態」で観たのですが、これがまた「良かった」。

Photo_46 今までビデオやLDでしか見たことのなかった「妖星ゴラス」でしたが、スクリーンで観るとまるで「別の作品」のような迫力を感じたのです。
迫り来るゴラスの迫力。南極基地の大パノラマ。怪獣マグマの恐怖。緊迫のゴラス回避の瞬間。劇場に鳴り響く「俺ら宇宙のパイロット」(笑)。

興奮さめやらぬまま劇場を出た私は、部屋に帰ってすかさずLDを再生しました。(DVD普及前のお話なので・・・)さっき観た筈の名作を見直しながらずっと頭の隅に残る、ある疑問。

「何故こんなに印象が違うんだろう?」

そりゃーあなた、画面のサイズが違うんだから迫力だって違うでしょう。
そーです。ごもっとも。その通りなんですが、それだけではスッキリしない何かがあるのです。

「鑑賞」と「体験」という言葉が、頭の中をよぎりました。きっとそういう事なのでしょう。
部屋で見るのは「鑑賞」。劇場で観るのは「体験」。(みる、という漢字の使い方も変えたくなったりして。)ことに、怪獣映画をはじめとする特撮映画は、「体験度指数」が高いような気がするのです。しかもその印象の強さは、観た劇場のスクリーンサイズに比例する、といったような感覚。いったい、何故なんでしょう?

「身長50メートルのゴジラが原寸大に見える。」この一言で語りつくされてしまうんでしょうね。そして、50メートルの怪獣の、耳をつんざく咆哮が、本当に聞こえると。
「映画に包み込まれる感覚」とでも言うのでしょうか。


映画を観る経験が増えれば増えるほど、その感覚は確信に変わっていきました。劇場のロビーで買うパンフレットやグッズ、上映前の予告編、上映中の観客のざわめきや笑い声。上映後に劇場から頬を上気させ、目を輝かせて出てくる子供達といった光景さえも、確実にその感覚とセットになっているのです。
「これがなければ映画じゃない」と。

「劇場のスクリーンで観た時以外、評価の対象にしないで欲しい」と、自らの作品について注釈をつけたのは、かのスタンリー・キューブリック。「2001年宇宙の旅」発表時のコメントです。映画監督というものは、それほどまでに自己の作品を「スクリーンに向けて」創っているんですね。確かにあの作品が持つドライブ感は、ちょっと部屋のテレビでは再現できないですよね。
きっと、映画との初対面がテレビ画面だった人は、その作品を劇場で観た人と、観た印象が絶対変わるはずなんですよ。私もそれを何度体験したことか。
「あの映画昨日、ビデオで見たけどさー、あのストーリーが・・・」と語りだす友人に、「いや、そうじゃなくて、あそこの場面では音が前後から聞こえて大迫力で・・・」と、かみ合わない話を続ける私。なんて空しい会話でしょう(泣)。

大画面テレビや、ホームシアターシステムの普及によって、この「鑑賞」と「体験」の境界は今やあいまいになりつつあります。
しかしながら、家であの劇場並みの迫力を再現できるか、と言えば、私は「まだまだだなー」と思ってしまいます。(小さいテレビでビデオを見る私のヒガミですかね(笑)。
私が映画を劇場で観る事にこだわる理由「歴史の証人となる」には、「観に行った」という事実の他に「体験した」という記憶を頭に刻み付ける、という事もあるのです。

でもここに、悲しい現実もあります。「劇場へ観に行きたい映画の激減」。
最近、本当に身に染みて感じていることです。決して怪獣映画に限って観に行く訳ではないんですが、(小津安二郎や成瀬巳喜男、アジア映画も好きなもので)ある本に書いてあった「その作品のみが持つゾクリとした魔力」のある映画が、極端に減ったような気がします。見終わった後、その映画の反芻だけで一日が楽しめちゃうような映画。
そんな映画が「体験」できたら最高ですよね。

この記事を書いている今も、テレビ画面には「妖星ゴラス」が流れています。
南極のジェットパイプ建設現場の特撮映像を見る度に、
「この場面は劇場ではああ見えて・・・」と、ひそかな楽しみに震えています(笑)。

2006年7月22日 (土)

銀翼舞うワイド・スクリーン

最近、仕事仲間のカメラマンから、ある話題が出ました。
「今多いのは、ハイビジョンカメラによる撮影依頼」だそうです。スポーツ中継などで、細かい部分をより鮮明に映し出す、高い解像度のハイビジョンが重宝されているとの事。
私はそこで、ある疑問が浮かびました。

「ハイビジョンって、今の普通のテレビと画面の縦横比が違うよねえ。撮影するとき、今までの画角の決め方と変わる部分ってあるの?」

カメラマンの命と言われる画角のセンス。それは画面の縦横比の変化によってかなり狂わされるそうです。やはり、ずっと使い続けてきた今までの「4:3」から、急にハイビジョンサイズの「16:9」に変わるのですから、戸惑うのも無理はないでしょう。
少しずつ慣れるしかない。彼はちょっと真面目な顔でそう言いました。

私が言った「今の普通のテレビサイズ」というのも、最近はワイドテレビの普及によってかなり認識が変わってきましたよね。テレビで放送されている番組も、ワイドテレビ対応の「16:9」という縦横比が主流になりつつあります。業界内で「レターボックス」と呼ばれるその横長の画面は、従来の画面に比べ、左右の空きスペースの処理に独特のセンスが要求されるのです。私が携わる番組もこのサイズの為、人物配置の微妙なバランス決めに時間がかかります。

でも考えてみれば、私をはじめ特撮マニアの皆さんは、物心ついたときからこの縦横比に馴染んでいるんですよね。そう、「シネマスコープサイズ」の事です。

怪獣映画をはじめ、映画黄金時代の主流を占めた「シネマスコープサイズ」。
「シネスコ」の愛称で親しまれ、洋画は勿論の事、邦画各社も独自のネーミングで集客を競い合った映画ならではの迫力溢れる画面サイズです。
その名前を聞くだけで私達の胸を高鳴らせた「東宝スコープ」もその一つ。
縦横比「1:2.35」というワイドな画面は、スタンダードサイズの「1:1.37」というサイズに比べ、段違いの迫力と映画ならではのダイナミックな画面構成を実現させていました。

Photo_43 この「東宝スコープ」やはり鳴り物入りで登場した方式だけに、私達の記憶に刻み込まれた名場面も数知れず。
ちょっと挙げてみても、「地球防衛軍」(1957年)の、ミステリアンドームに挑むマーカライト・ファープ他超兵器のパノラマ感あふれる画面や、「海底軍艦」(1963年)の海底軍艦・轟天号の試運転の大迫力カットなど、横に広い画面を最大限に活かした画面作りがされていました。
やはり「特撮の神様・円谷英二」。シネスコ画面をも存分に使いこなす才をお持ちだったようです。

もう一つ、私が感心したのは「ゴジラ対メカゴジラ」(1974年)の「あの」シーン。ここまで言えばもはや知らないマニアは居ない、「メカゴジラによるゴジラ・キングシーサー同時殲滅」シーンです。
画面の中央に配置されたメカゴジラが首を180度回し、画面右側のゴジラをミサイルで、画面左側のキングシーサーを目からの破壊光線で同時に粉砕するあのカット!この作品で銀幕デビューを飾った新怪獣「メカゴジラ」の強さとカッコ良さを存分に見せ付けた、中野昭慶監督入魂の名場面でした。
こうした、迫力ある「シネスコ」シーンを作り出した中野監督は、他の作品のオーディオコメンタリーでこんな事を言っています。「意外にもゴジラの放射能火炎はシネスコ向きなんだよね。」なるほど。確かにそうかもしれませんね。

さて、この「シネスコ画面」。画面が横の広がりだけで、奥行きが見せにくいとか、移動撮影の際セットの大きさがスタンダードサイズに比べより広くなる為、予算も多くかかるなど、さまざまなウイークポイントもありますが、「うまく撮れれば」テレビにはない迫力を生み出すことができるようです。
で、この横広画面にふさわしいキャラクター、と考えてみれば、やはり前述の海底軍艦・轟天号あたりが妥当なところ。「地球防衛軍」でも、攻撃戦闘機α号やβ号は轟天型の、細長いフォルムでしたね。ああいう超兵器が画面の端(主に右側。「上手(かみて)と言って主役が出る方向です)からおもむろに姿を現すと、画面いっぱいにその全身が映し出されるまで「長い!大きい!カッコイイ!」という思いが持続する仕組みになっているのです。

私は随分前から思っているんですが、そんな「シネスコ画面」向きの魅力的なキャラクターが、なぜかブラウン管に登場し、窮屈そうにしている所を何度か目撃した事があります。
そう。もうおわかりですね。

Photo_44 「マイティジャック」。第一次怪獣ブームも一段落した1968年、「テレビ初の一時間特撮ドラマ」のふれこみで始まった大人向けのメカ・アクションドラマでした。
この番組の主役、「万能戦艦MJ号」のデザインのカッコ良さといったら!
私はこの「MJ号」こそ、ウルトラホークをはじめ、数々の円谷メカをデザインした成田亨さんの最高傑作だと思っています。船舶と飛行機のフォルムが微妙に溶け合った流麗なそのライン。全体の絶妙なシルエット。
その後にデザインされたどの空中戦艦も、私に「MJ号を超えた」と言わせる事はできませんでした。

ただ惜しむらくはこのMJ号、TV企画だったのが唯一、悔しい所。
あれだけのデザインラインを持ちながら、しかもワイドスクリーン向きのスレンダーシルエットでありながら。
あれが大活躍するストーリーを銀幕で観たいと思うのは、私だけでしょうか?
いや、それが違うんです。

今公開中の「日本沈没」の樋口監督、そして「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野監督両氏が、奇しくも同じ時期、別々に「マイティジャック」新作への熱い思いを語っているのです。
「見たいと思いませんか?」「今の僕の「夢」の一つです」とそれぞれの文を結ぶ両監督に、私は強い期待感を覚えました。やっぱりみんな考える事は同じなんですね。
彼らの「思い」は銀幕とは明記されていませんでしたが、私は観たいです。

「青い海に映える影」は、銀幕でこそ活きると思うから。

2006年7月21日 (金)

自宅で「TVチャンピオン」

「怪獣王選手権」「TVヒーロー王選手権」などのタイトルが踊る番組欄。言わずと知れたテレビ東京系の人気番組「TVチャンピオン」の放送日です。怪獣やヒーローに関する思い入れなら負けない私。朝からワクワクしながら放送時刻を待ち、いざ画面に展開される光景を見て、私はいつも不思議なデジャブーに捕われてしまいます。

「どっかで見た場面だなー」

そう、オタクでありながらテレビ制作の末席に座る私は、
十数年前自宅で、自分主催の「TVチャンピオン」を開催していた事があるのです。

マニア同士が集まれば必ず始まる、ビデオを持ち寄っての大ウンチク大会。当時、私の周りもご他聞にもれず、好き者数人ほどで集まっては、「今度の作品は」「昨日のオンエアは」と私見を語り合っていました。そんなある日、私はふと思い立ったのです。

「これだけ映像ソフトが出てるんだから、
系統立ててVTRクイズかなんかやれば、盛り上がるんじゃないの?」


まあ、マニアであれば誰しも考えそうな事です。ところがそこからが私の悪い癖。下手にテレビ制作のノウハウを学んでいる悲しさから、そうしたイベントをショーアップする事に妙な魅力を感じてしまったのでした。まあ、イベントごっこをやりたかったんでしょうね。

「どうせやるなら本格的にやりたい!学んだノウハウを全部つぎ込んじゃおう」
(仕事やりなさいよ!という周りの声はもはや聞こえません)

「熱狂の夜」という意味を込めて付けたそのイベントのタイトルは「カルトナイト」。何回か行ったカルトナイトの中で、最も手の込んだ回のお話をしてみましょう。
Xデーを決めた時から私の夢の日々が始まります。まず周りの仲間に「参加」の確認。
続いて「サブタイトル」の決定。「カルトナイト」は毎回、全員私の家に集まって焼肉などの食事を済ませた後、「賞品」付きのクイズ大会になだれ込む構成の為、会費制をとっていました。
この回は、少ない予算でどこまでできるかを目標にした為、「2020円の挑戦」というサブタイトルを付けました。(元ネタは皆さんお分かりですね)当然、会費は一人、2、020円。

「カルトナイト・2020円の挑戦」の参加者は主催者の私を除いて8人。私はここで、Xデーまで参加者を退屈させない為のお楽しみを考えました。「パンフレットの作成」です。
当時、事前に全員に送ったパンフレットは、今考えればワープロ打ちの簡素なものでしたが、最後のページにこのパンフの肝、「事前クイズ」が隠されていました。

Photo_40 「カルトナイト」のタイトルロゴは、映画、テレビ、アニメなどのタイトルロゴから一文字ずつをとって組み合わせたもの。当日までにその元タイトルを探して、解答欄に答えを書き込むというクイズでした。これは後で参加者に聞いたところ、Xデーまでの気分を盛り上げるのに大変役に立ったとの事で、自分の手持ちの資料ではどうしても見つからず、書店やCDショップまで足を伸ばしたメンバーも居たとの事。本当にみんな「好き者」ですよね。
写真にもアップしてみました。(右側のロゴです。写真をクリックすると大きくなりますので、皆さん考えてみて下さい)。

メンバーが事前クイズでテンションを上げている頃、私はプログラムとクイズ問題の作成に追われていました。今回はみんなで楽しめるようにと、固い食事はやめてホットプレートによる焼肉大会。この時も会場の雰囲気を盛り上げる為、BGVもちゃんと「カルトナイト」のタイトルバックを作り、飲み物はお酒に加えて「バヤリース」もしっかり準備。使い捨ての紙皿、紙コップにもタイトルロゴを入れる凝りよう。
なぜそこまで?

クイズ問題は4つのステージに分けて作りました。
VTRクイズは「オープニングイントロ当てクイズ」と、「予告編イントロ当てクイス゜」をそれぞれ25問ずつ。
そしていわゆる映画などの名場面の「この後なんと言ったでしょう」クイズ5問。(記憶力が問われるクイズですね)
最後は「怪獣、怪人、SFキャラクター触って触ってなんでしょうクイズ」10問。(専用ボックスにソフビなど立体モデルを入れ、触った感触で当てるクイズ。VTRによるヒントも作りました)・・・問題数は全部で65問!まさに「TVチャンピオン」を超える大ボリュームです。
賞品は国書刊行会「ゴジラコレクション」、イマイ「サンダーバード秘密基地」などマニア垂涎のお宝ばかり。
いやでも気分は盛り上がります。

Photo_42 手持ちのポスター、ディスプレイ、駄菓子屋で買ってきた壁掛け式の「おもちゃくじ」などを駆使して、Xデー3日前から徹夜続きで行った会場の設営も終わり、いよいよ本番当日。クイズ解答用の「早押しボタンシステム」の準備が済んだ頃、造形好きのメンバーが一足先に、「参加賞」となるオリジナルの「ケムール人」キャストモデル完成品を持ってきてくれました。いずれも彼の原型制作、手塗りによるワンオフ品を参加人数分。ほんとに、なぜそこまで?

部屋に訪れるメンバーも、いずれも「濃い」連中ばかり。
「東宝チャンピオンまつり」の割引券持参で「これで割引になりますか?」と聞く者も居れば、「カルトナイトによく出る問題集」(手作り!)持参で「受験会場はここですか?」とのたまう者も。
みんなも気分を盛り上げているんですね。

さて、焼肉でお腹いっぱい、ビールでいい気分になったところで、いよいよクイズ大会開始。その雰囲気はもう「TVチャンピオン」そのものでした。
なにしろ「オープニングイントロ」なんて、東宝のマークが一秒出ただけでだけで解答ボタンを押す者も!(BGMでわかっちゃうんですよ!)この高レベルはずっと維持され、オープニングや予告編(まあ「解答」ですよね)が流れる間、正解者はその作品のウンチクを語れる(笑)という流れができてしまいました。
こうなるともう、「TVチャンピオン」というより、さらにレベルの高い「カルトQ」の世界。

ただ、出題する私もこうなる事は予想していて、「引っ掛け問題」も作りました。
「ガメラ対深海怪獣ジグラ」のオープニングでは、大映マークの前に当時の上映バージョン「ダイニチ配給」のマークが入ったバージョンをわざわざ探してきたり、ゴジラ映画の予告編では、新作撮影前の「特報」を探してきたり。(ご存知と思いますが、「特報」は新作カットがない為、旧作の映像が使われています。最初にその映像が出ると、何の作品かわからない訳です。)「何と言ったでしょう」では、「ウルトラマン」第16話「科特隊宇宙へ」で、「おおとり」の中でバルタン星人に乗り移られた毛利博士が、仲間のバルタンに「ゆけえ!」と指示する場面。あのセリフ、「ゆけえ!」では正解にならないんですよ。
貴方ならなんて「発音」しますか?

でもまあ司会の私も、正解率より楽しさ重視の「クイズバラエティー」の乗りで進行する事を心がけました。
こんな事で仲間の関係がギクシャクするのは本末転倒ですもんね。

こんな風に、異常に濃密な時間を過ごせた「カルトナイト」。もうクイズ大会の後は、上がったテンションが落ちずに朝までヒーロー、怪獣のよもやま話で盛り上がってしまうのでした。
十数年を経た今でも思い出す、若さゆえのメチャクチャな「仲間内イベント」でしたね。

この「カルトナイト」のインパクトは大きく、参加者は本番後一週間は夢心地で、社会復帰がむずかしかった、と語っていました(笑)。
このクイズ大会の様子、ビデオカメラ(2カメ!)で撮影したんですよ。今も見ながらブログを書いていますが、もう「濃くて濃くて」(爆笑)。

Photo_41 みんなで旅行やパーティーをするように、こんな共通体験を楽しむのもいいかもしれませんね。あの頃のメンバーとはいまだに交流があります。今でもきっとあちこちで、マニアの皆さんによって行われている「仲間内イベント」。私も最後のカルトナイト「東方チャンピオンまつり」(「方」の字は間違ってませんよ)の後、しばらく沈黙を守っていますが、そろそろ復活してもいいかもしれません。
こういうイベントを企画する事が、単調な生活を活性化する事になるんですね。
私はこういう楽しみをひそかにこう呼んでいます。

「カレンダーに爆弾を仕掛ける」なんてね。

2006年7月20日 (木)

30分に賭けた意地

「・・・3秒ね。わかりました。」ここは某地方局のニューススタジオ。私は今日、ある番組のスタジオ収録に立ち会っていました。
収録しているのは12分のコマーシャルなし、ぶっ通しの解説番組。キャスターがニュース方式で原稿を読むという、アドリブ要素のまったくない、「固ーい」番組です。
番組の内容上、原稿は何重にもチェックされ、一言一句間違えられない状態。一度通してリハーサルを行い、本番収録という流れです。冒頭のセリフはリハーサルが終わったときのキャスターの言葉。
「3秒」とはなんでしょうか?

これはリハーサルの時の、原稿の「読み予想」と実際のキャスターの読みの長さ「尺」の時間差なのです。
12分間の読みで3秒の差!これは凄いことなんですよ。だって途中止めずに、ずっと流してやってるわけですから、時間調整のやりようがない。途中数回フロアディレクターから示される残り時間の指示だけを頼りに、「3秒」の差に追い込む、その実力。

そのキャスターはアナウンサー経験も長い大ベテラン。経験上原稿用紙に書かれた原稿を一目見れば、「何秒で読める」とわかるそうです。
経験に裏打ちされた恐るべき「カン」の冴え。
事実彼は、本番収録で原稿との時間差僅か「半秒」という離れ業を見せたのです。
「ま、長くやってるからね」とくったくなく笑う彼の姿に、私は「プロの意地」を感じました。

ごめんなさい。ちょっと固いお話で。これは私のような「テレビ屋」の、時間に対するこだわりを大変感じさせるエピソードなのです。

言うまでもなくテレビというのは、小は15秒のコマーシャルから大は27時間テレビまで、「放送時間」に縛られるメディアです。「番組の尺」などと呼ばれるその時間の縛りはひとつの「型」で、番組の作り手はその「型」の中に番組という「中身」を入れ込む作業をしているのです。
ですから、番組の企画を最初に考える時提示されるのは「番組の尺」と「単発かレギュラーか」そして「予算」。放送される時間帯も提示されますが、まず前述の3要素が重要なわけです。

その中で考えられる企画は、やはり映画などとは違う内容となってきます。単純にテイスト面を考えれば「映画館」と「お茶の間」の違い。「日本沈没」でも、1973年公開の映画版と1974年にTBS系で放送されたテレビ版では、田所博士は同じ小林桂樹が演じましたが、そのキャラクターは大きく変わっています。野人のごとき映画版の博士に対して、テレビ版では娘を持ち、優しい面が強調されているのです。それはやはり、お茶の間を配慮した処理なのでしょう。

「番組の尺」はテレビである限り逃れられない「枷」ですから、そこを逆手に取った企画を生み出すのがテレビマンの才能です。
私はそこでいつも「ウルトラマン」という番組を立ち上げた円谷プロスタッフの才能に感嘆するのです。

Photo_39 日本人であればもはや知らない人など居ないであろう「ウルトラマン」。30分番組、何回かのシリーズ作品という局側のオーダーに、これほど完璧に応えた企画は珍しいと思います。というのは、「ウルトラマン」登場までのテレビヒーロー作品は、大抵は大きな敵との戦いの中での、数回の章というストーリー設計がなされていたからです。30分一話完結のヒーローというのは、日本の特撮作品ではそれまで無かったのではないでしょうか。

番組のフォーマットも実に「30分完結」。怪事件から怪獣出現、科特隊の出動から戦闘、ギリギリのピンチでウルトラマン登場、激闘の後の爽快なエンディング。これだけで語れてしまう単純な基本ストーリーは30分にすると実にテンポよく、すっきり収まる。初作から40年を経た今も使われている事からも、30分という「尺」を最大限に有効利用した好例であると、私は思うのです。

「予算」という怪獣に立ち向かった円谷プロスタッフの「戦いぶり」も見事。タイムリミット3分というのは、もはやウルトラマンの代名詞のように言われていますが、満田監督など当時の制作スタッフの証言では「特撮による格闘部分は一話、大体2分。予算上それくらいの縛りができてしまう。そこから逆算された設定」だそうです。舞台裏はそんな「火の車」だったとしても、当時そんな事を考えて観ていた子供が居たでしょうか?

もし、ウルトラマンの制作予算がもっと多額だったら、カラータイマーは生まれていなかったかもしれません。
胸の輝きが赤く点滅を始めた時、ブラウン管の前で必死でウルトラマンを応援した私達。子供をあれだけ夢中にさせた設定は、「予算」という枠組みを逆手にとったスタッフの「意地」の結晶なのです。

一話完結の為、「何話でも作れる」という、テレビの事情を考慮したシリーズ設定も含め、「ウルトラマン」はテレビでなければ成しえなかった、番組制作の希有な例であったと言えましょう。
発想がちょっと飛躍しますが、例えば劇場用映画の尺、2時間程度で、あの「ウルトラマン」のストーリーをそのまま制作したら、と考えて下さい。間延びしてしまって見られたものではありません。30分という「尺の縛り」があるからあのテンポが出る。カタルシスがある。今まで作られた「映画版ウルトラマン」がテレビと全く違うテイストになってしまうのは、逆にウルトラマンがいかにテレビ向きの企画であったかを証明しているのです。

余談になりますが、歴代ウルトラマンの中でどの作品が好きか、と聞かれたら、私はやはり初作「ウルトラマン」(1966年)と、「ウルトラマンティガ」(1996年)を挙げます。
両作品とも「新しいことをやろう」というスタッフの気概を感じるからです。「ティガ」に関しては、またまた世間知らずの私がやってしまった恥ずかしいエピソードがあるのですが・・・
また別の機会にお話しましょう。

「待ってました!」の美学

突如、観測衛星にキャッチされる宇宙からの訪問者「ガラダマ」。東京を始め、各地に飛来したガラダマは、蒸気を撒き散らしながら「その時」を待つ・・・
やがて訪れた「チェックメイト」の瞬間。ガラダマの表面に入る細かい亀裂は、平和な日常生活の崩壊を意味するのか。
突然の轟音と共に飛び散る破片。視界をふさぐ猛烈な蒸気の中に佇む巨大な影!


いいですねえ。やっぱり、怪獣の登場シーンはワクワク感が頂点に達する所。
まさに怪獣が観客に、視聴者に最初の「大見得」を切るシーンです。
私は怪獣映画で、怪獣が初登場するシーンが最初の見せ場、名場面と思ってしまうタイプなんです。「登場シーンが見事な怪獣は、はずれがない」なんてジンクスがあるんですよね。登場シーンだけで観客を虜にできる怪獣は本物、みたいな考えがあって。
何度観ても「待ってました!」と声をかけたくなる、お気に入りの名場面って、皆さんもありますよね。今日は、私がお気に入りの「待ってました」シーンをいくつか挙げてみましょう。

Photo_37 前述のシーンは「ウルトラQ」第16話「ガラモンの逆襲」に登場するガラモン登場の様子。
なぜ第13話「ガラダマ」じゃないのか、と言うと、この東京飛来のガラモンの「タメ」の芝居が見事だからです。
ガラモンって、ガラダマが割れた直後体を揺すって殻を払い落とすんですが、その後しばらく「タメ」があって、その後おもむろに目を開けますよね。
あの「タメ」がいい。
普通、怪獣ってあんな「タメ」は作らないでしょ。おそらく「遊星人Q(セミ人間)の電波が通じて「起動」するまでのタイムラグなんでしょうが、すぐには破壊を始めないインターバルの恐ろしさがあの「タメ」にはあると思うんです。去年公開されたスピルバーグの「宇宙戦争」でも、トライポッドの起動時、「タメ」の演出がありましたね。

第5話「ペギラが来た!」のペギラも、いい芝居をしてますよね。
極寒の地南極へ向かった万城目一行。現地で只一匹生き残った犬だけが感知する、ペギラの襲来。危険を察知してさかんに吠える「三郎」の恐ろしさ。
不審がる万城目たちの「後ろの山陰」から、吹雪とともに現れる巨大な光る目!
迫る巨体の足音も、吹雪の音に消されてわからない。その事が恐怖感を増大させます。
「自分なりの「ゴジラ」を撮りたい」と取り組んだ、野長瀬三摩地監督の面目躍如。
怪獣登場シーンのスタンダードにしてベストワークですねー。

東宝怪獣での筆頭はやはり「フランケンシュタイン対地底怪獣」(1965年)のバラゴンでしょう。この映画では、まず巨人フランケンシュタインの驚異が描かれ、ついで秋田油田を襲うバラゴン、というストーリー展開がされています。
夜の油田破壊の時には、バラゴンは全身を見せず、発光する角を少し見せるだけ。この「ストーリーの引き」が良いんですよ。
少しずつ驚異を小出しにしていく。この演出が、後の「白根ヒュッテ」でのバラゴン出現に繋がっていく。土屋嘉男語るところの「明滅する光線」の恐怖!

フランケンシュタインの仕業と誤解されるのもいいですよね。
「フランケンシュタインには発光能力は無い筈」なんて混乱が劇中で起こる事が、ストーリーにリアリティーを与えています。
この「リアリティー」が、怪獣という絵空事を観客に信じ込ませる手腕なんですよね。

その「リアリティー」を、迫力でねじ伏せてしまったのが
「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年)に登場する、そう、「宇宙超怪獣」キングギドラ!よく考えたらギドラって、隕石で地球にやって来るわ、炎から実体化するわ、リアリティーのかけらもない怪獣ですよね。でも凄い。
あれはやっぱり見事な造形、卓越した操演、今まで見たこともなかった引力光線の破壊の様子などで、「宇宙にはこういう生物もいるんだ」と観客に強引に納得させてしまう説得力の勝利でしょうね。「見ろ!なにか形になっていくぞ!」という小泉博の名演技も手伝って、あのギドラ初登場のシーンは私のまぶたにしっかりと焼きついたのでした。

あれだけのインパクトを持ちながら、単体での主演作品に恵まれないキングギドラ。
昔友人と、「宇宙超怪獣キングギドラ」という作品を夢想して、悦に入っていたものです。
これは凄いストーリーですよ。また機会があればお話しましょう。

Photo_38 さてここまで来て、「奴」に触れていないとご不満の貴方。お待たせしました。
実は「奴」の登場シーンで一番のお気に入りは「モスラ対ゴジラ」(1964年)なんです。
昔から私は、ゴジラが毎回海からしか現れないのが不思議で仕方がありませんでした。
あの設定(慣例?)が、ゴジラの自由度をかなり奪っていたと、いまだに私は思います。
ゴジラが始めてモスラと合いまみえた本作は、前作でキングコングと海中に没した後である為に、その登場シーンは自由度を増したという事なのでしょうか。台風で破壊された干拓地で見つかる謎の物体。そこから発散される放射能に不吉な予感が走った後、巨大タマゴの出現、モスラと小美人の登場がテンポ良く描かれます。

そして満を持しての「主役」の登場。ここでも「タメ」の演出が光っていました。
干拓地の真ん中で「何か」が動いたと知らせる星由里子。
不気味な胎動を見せる干拓地の中心地。
不審がる宝田明の隣に立つ小泉博の、ガイガーカウンターが示す大きな反応。
人々が見守る中、突如干拓地の端(この位置も絶妙)から吹き上がる蒸気!

この場面での、蒸気が止まってからの「タメ」が、他のゴジラ映画と一線を画す所なのです。静寂の後、地面を割って轟然と立ち上がる巨大な「尾」!
この「尾」というのがいいんですよ。余裕というか、「尾」だけでわからせる主役の風格と言うか。その後の、ちょっと前傾姿勢の「モスゴジ」登場のすばらしさにはもう、異論を唱える方は居ないでしょう。
ゴジラ映画全作を通しても、私の中ではこの「モスゴジ」を超える登場場面にはいまだに出会えません。でもきっとこれも、100人居たら100通りの意見があるんだろーなー(笑)。

怪獣映画というのは不思議なもので、映画人の創造意欲の結晶のような所がありますよね。だからどういう観点から見ても語れてしまう。
当然の事ながら、主役登場という晴れ舞台に「美学」は付き物です。
「待ってました」と声をかけたくなる名登場シーンに、これからも出会いたいものですね。

2006年7月18日 (火)

怪獣王造形諸説

知ってました?1954年公開の「ゴジラ」。
あの初代ゴジラの着ぐるみは、実は他の映画で使った「ワニ」の着ぐるみの流用だったらしいという事。

ゴジラ造形マニアの研究理論を根底から覆す大スクープ!

・・・なんて、ちょっとゴジラを研究した方ならすぐわかっちゃうデマでしたが、このお話、私の創作じゃないんです。
Photo_36 2001年、円谷英二生誕100年の年に発売された写真の本、「素晴らしき円谷英二の世界」で、作家の唐沢俊一さんが寄せたエッセイの中で、円谷英二の「伝説」として紹介されています。未見の方の為にかいつまんでお話しましょう。

なんでもゴジラの元となった縫いぐるみは1940年公開の「孫悟空」(エノケンの孫悟空。山本嘉次郎監督)の為に作られた「ワニ」。徳川夢声扮するワニが沼の中から現れ、孫悟空と会話する、というシナリオだったそうで、円谷英二の手により、縫いぐるみまで作られて撮影も行われた後、山本監督により全部カットされたという訳。円谷さんは、当時貴重品だった工業用ゴムを軍から払い下げてもらい作った、ワニの縫いぐるみをえらく気に入っていて、なんとかこれを活かす映画を、と考えていた所、「ゴジラ」のアイデアを思いついたという事だそうです。真偽はともかく、すごいお話ですよね。

こんなお話がまことしやかに囁かれるほど、話題に事欠かない「ゴジラ」の造形。
そこにはどんな魅力があるのでしょうか。

Photo_32 Photo_33 もともとゴジラは、太古の恐竜が核実験で変異したもの、という設定があります。その為、恐竜のフォルムに加え、核のキノコ雲を連想させる頭部のデザインが、安部和助によって描かれたことはファンの間ではよく知られていますよね。その修正案を元に、造形スタッフの利光貞三によって「雛形」が作られました。私はこの雛形ゴジラが気に入っていて、(映画のパンフの表紙に使われましたね)以前発売されたRICのソフビフィギュアを入手しました。

Photo_35 これは確かに、恐竜のフォルムを持つものの、顔などは「キノコ雲」のイメージを連想させる造形で、当時のスタッフの「恐竜がただ暴れるだけの映画じゃない」核反対のメッセージを織り込もうとした熱意が伺えます。

そして画面に登場するのが、雛形からさらに撮影に適した形になったあの「初代ゴジラスーツ」ですね。
あの独特の迫力を持ったゴジラは、いまだにそれを超える造形を生み出せないほどのインパクトで、私達の脳裏に焼きついています。その後、「ゴジラの逆襲」でよりアクションが容易になったスーツが作られ、海外製作を予定しての「ジャイガンティス」をはさんで、あの「キンゴジ」へ・・・と続く訳です。皆さんには蛇足でしたね。

何故長々とこんな「常識」をお話したかというと、
私は「ゴジラスーツの造形は、最初の数作までは「現場の事情」、残りは「時代に合わせた形」と思うからなんですよ。

「現場の事情」というのは、例えば「重さ」。初代ゴジラの1号スーツが足を角材の高さまで上げられなかったというお話は有名ですよね。そこを改良して、なんとか一作目は乗り切ったと。それが二作目のGOが出たときに、中島春雄さんも言ったと思うわけです。「もうちょっと動きやすくならない?」それを実現させたのが「ゴジラの逆襲」のスリムなスーツ。
7年後の「キングコング対ゴジラ」では、対戦相手のキングコングの「逆三角形フォルム」に対する「正三角形」の形を目指して、と言われますが、そうなると、「逆襲」と「コング」の間に位置する、あのマッシブな「ジャイガンティス」の説明がつかないし。
きっと素材の変化もあったんだと思います。初代の頃に比べ、より軽くて動きやすくなったゴムが開発されてあのフォルムが出来たと。
初代ゴジラの素材で「キンゴジ」作ったら中島さん怒っちゃいますよきっと(笑)。

「時代に合わせた形」というのは、例えば「三大怪獣」や「怪獣大戦争」で、キングギドラと戦うゴジラが、初代ゴジラのフォルムを持っていたらどうか、という事なんですね。
作品の世界が違うように思えませんか?やっぱり時代に合わせた新作を作り、ゴジラのキャラクターも変わって行く中で、フォルムだけが変わらない、というのは許されないんでしょうね。私も初代ゴジラの「シェー」は観たくないし(泣)。

ゴジラシリーズがこれだけ長く続き、「GFW」で一時休止、と言われても、あくまでそれは一時的なもの、というファンの気持ちがあるのも、(それに全国の皆さんが毎日ブログでゴジラの事を語りまくってもまだまだ語り足りないのも)やはりそれはいい意味で「時代に合わせた」ゴジラが作り続けられたからだと思う訳です。
「キンゴジ派とモスゴジ派」なんて二大勢力があるのも楽しいじゃないですか。(これも古いかな。今は平成派と21世紀派?)

作品毎にファンの評価が別れ、それぞれの主張はあっても、新作のゴジラの造形にファンは一喜一憂するんですね。監督、ストーリー、出演者、敵怪獣、そして主役のフォルム。そのひとつひとつにファンがこれ程気を配り、しかも過去の作品と比べるシリーズ作品なんて、世界中探したってそんなにあるもんじゃありません。
それがゴジラ映画の奥深さであり、いまだにファンを増やし続ける理由なんでしょうね。

さて、以前ちょっと書いたこともありますが、最近リメイクされた「キング・コング」の波に乗って、我らのゴジラもリメイク、なんて事になったら、貴方ならどんなストーリー、造形で臨みますか?
新作が止まっているこんなエアポケット的な時こそ、温めていたアイデアを出すチャンス。予算も製作期間も関係ない「夢のゴジラ」が、今も無数に考えられているんだろうなー。
なんか、ワクワクしますね。

2006年7月17日 (月)

紅蓮を纏う巨影

和食ばっかり食べてるとたまには浮気をしてみたくなるもので。
今日は久々に観た外国映画のお話です。

Photo_31 「怪獣ゴルゴ」(1960年MGM映画)。このブログをご覧の方にはもはや説明の必要もない、イギリス製怪獣映画の名作ですよね。私は去年の7月に発売されたこのDVDを予約して買いました。
というのはこの映画、随分昔にテレビ放送で見たきり、1980年代に出たセルビデオも入手の機会を逃したまま(後で海賊版という事がわかりましたが)現在に至る、私にとっての「幻の逸品」だったのです。
昔、まわりの仲間に「こんなすごい怪獣映画がある!」といくら力説しても、現物を持っていなかった私への対応は冷淡そのもの。「あー、「ガッパ」の元ネタね」ぐらいに軽くあしらわれ、「じゃー観たの?実物を?」と食い下がっても、「あのストーリーなら観なくても別に」って感じで鼻も引っ掛けてもらえなかったのです。おわかりですか?私の悔しさ。

なにしろこの映画をはじめて観た時の私の衝撃はすざまじく、
「これ、円谷英二監督がイギリスへ呼ばれて撮った作品?」ぐらいのクオリティーの高さ。
それもそのはず、特撮は、後に「2001年宇宙の旅」を制作するトム・ハワードによるものだそうで、ボキャブラリーの乏しい私には表現しにくいですが、「ゴルゴ」の存在感はある意味ゴジラを超えているのです。(あーやっぱり月並みな言い回しになっちゃった。)

未見の方の為に簡単にストーリーを。
アイルランド沖で体長20メートルの怪獣が発見され、見世物としてロンドンにつれて来られるんですが、実はそれはまだ子供だったんですね。さらわれた子供を取り返すべく、体長60メートルの「親」がロンドンに上陸、破壊の限りを尽くしてから、子供を連れて海へ帰る、という74分です。
まあ、確かに「大巨獣ガッパ(1967年日活映画)」なんですが、これがオリジナルストーリーなんですね。

しかしながらこの映画、見直すともう、すごいすごい。
「イギリス、本気」。ストーリーは前述の通りなんで、あとはもう特撮の密度なんですが、
これは実は「円谷監督、ゴジラをこう撮りたかったんじゃないかなー」と思うくらい、人間との合成シーンに違和感がない。

ゴジラと同じく、夜ロンドンの街に現れる親ゴルゴ。
画面の奥に、ゴジラ型のフォルムを持つゴルゴが居て、手前に逃げる人たちが居るという、「怪獣映画の黄金率」的な画面構成も、そのカット中で決して人間に襲いかかることがない東宝怪獣に比べ、ゴルゴは建物を壊しながら歩いてきて、その壊れた建物の下敷きになる人間までを絶妙なカットバックで体感させてしまう!この恐ろしいまでの臨場感。続いて、崩れた瓦礫に道が塞がれて、逃げ場のない群集に迫る、悪鬼のようなゴルゴの顔!(建物に残って逃げられず、窓から飛び降りる人まで居る)「平成ガメラ」以上の恐ろしさが画面に展開するのです。
やっぱり昔観た記憶は間違っていなかったー。

何故これ程の迫力が出るのか。
これはやはり「ぬいぐるみ特撮」である点が大きいですね。ミニチュアの精度もハンパじゃない。何故1960年に、突如としてイギリスに、こんな日本式怪獣映画が生まれたのか、今もって謎です。でも、円谷英二の特撮は「2001年宇宙の旅」のスタッフが認めた方法というわけですよね。それは考えてみればすごい事な訳で。

この作品、DVDは副音声のオーディオコメンタリーに雨宮慶太監督が参加しているんですが、公開当時劇場で観た雨宮監督は、ゴルゴの印象を「赤い目」と表現しています。
そう、ゴルゴは白目の部分が「赤」。そして、この映画にはもうひとつ、「赤」が重要な役割を果たしているのです。

ゴルゴによって破壊された街が燃える「紅蓮の炎」の赤。

街を破壊するゴルゴをロングで捉えたカットのバックは、燃える炎が照り返す、真っ赤な夜空がありました。
見た者の脳裏に焼きつく強烈な「赤い空」。
初作の「ゴジラ」(1954年版)がカラーで撮られていたら、きっとこんな感じであっただろう、炎に焼き尽くされる街。
不謹慎な言い方かもしれませんが、やっぱり怪獣は「炎」が似合います。

この「ゴルゴ」も、炎の街を歩きながら時々サーチライトに照らされる、黒い塊として描かれていました。このサーチライトの演出も、身長60メートルの巨体を演出する名脇役ぶり。
対象が大きすぎて、ライトの大きさでは全体像が捉えきれない。そこが、怪獣の恐怖感を増大させていました。「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966年東宝映画)や「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年大映映画)でも実証済みの、「ライト効果」の原形にして完成形が、既にここにあるのです。

例によって私見ですが、この「怪獣ゴルゴ」以降に作られた怪獣映画で、「ゴルゴ」のテイストに近いものと言えば、東宝なら前述の「サンダ対ガイラ」大映は「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967年)あたりでしょうか。いずれも「夜の戦闘」が多く、しかも現れる怪獣は「食人」という人間にとっての脅威ですから。闇から現れ、逃げ場が無い。
街を破壊するだけとは言えど、ガイラやギャオスに匹敵する恐ろしさがゴルゴにはあるのです。それが円谷式の、精緻なミニチュアワークと卓越した色彩設計にある事は間違いないでしょう。(ここに「ガッパ」が入らないのが辛いところですねー)。

ちょっと余談になりますが、今でも時々、「ギャオス」(昭和版の)に襲われる悪夢を見ます。
昭和版ギャオスって、私の中では平成版より怖いんですよ。
というのはあのギャオス、「夜は不死身」という感覚がある。突如あの鳴き声と共に滑空してきて、どこへ逃げても超音波メスで建物ごと真っ二つ、というイメージがあるんですね。だからもう助からない。
不思議な事に、その夢の中のギャオスが飛ぶ空はあの、ゴルゴのバックの「赤い空」なんです。
きっと子供の頃見た人工着色のブロマイドとかのイメージが残っているんでしょう。

毎回、その夢を見ているときは怖くてしょうがないんですが、
朝起きた時、「タダですごい怪獣映画観ちゃった。得したー」と思っちゃうんです。
こういうのって、なにか精神的に病んでるんでしょうか。
きっとフロイトにも解析できない「オタク脳」の仕業なのでしょう(笑)。

2006年7月16日 (日)

東宝撮影所第11スタジオ跡

昨日観た「日本沈没」のおがけで、古い記憶が次々と甦ってきました。
新作の、CGで描かれた沈み行く日本列島の全景も、1973年の旧作では東宝内のスタジオに組まれた巨大なミニチュアによって表現されていたなあ、なんて。
公開当時の漫画週刊誌にグラビア特集された、そのメイキング写真を見て、ミニチュアの大きさに驚いたものです。

実は私、過去に一度だけ、砧の東宝撮影所を訪れた事があります。1991年制作の「ゴジラVSキングギドラ」公開直前の事でした。

当時私は、まだ駆け出しのAD(テレビ業界内で一番低い身分でしょう。「アシスタント・ディレクター」の略ですが私達は親分であるディレクターから「あなたの奴隷」の略だと教えられました。)で、番組作りの雑事に追われていましたが、局内にゴジラ好きのディレクターがおり、同じ趣味を持つ私を懇意にして下さっていたことから、彼が立てた番組企画にGOサインが出たとき、私に白羽の矢が立ったのでした。

その番組企画は、「VSキングギドラ」公開に先駆けて、集客目的の為深夜に放送する「過去のゴジラ映画特集」。解説部分にゴジラ好きの漫画家、みうらじゅんを解説者として迎え、東宝撮影所内をいろいろ回りながら、VSキングギドラの魅力を語る、というものでした。当時、ゴジラ最大の敵ギドラの出演は鳴り物入りで、企画を立てた先輩ディレクターも私も、興奮を抑え切れなかったものです。

撮影当日、砧の東宝撮影所でみうらさんと合流した私達撮影チームは、撮影所内をいろいろ回り、解説部分を収録していきました。他の番組などで露出の多い撮影所社屋からメインストリート、撮影所内を流れる川の前など。
中でも最大のハプニングはこの作品の特技監督、川北紘一監督にお会いできた事です。これはスケジュールのいたずらが生み出したまったく予定外の出来事で、急遽予定を変更、みうらさんとの対談を実現させたのでした。無理なお願いを快く引き受けて下さった川北監督の笑顔は、今も忘れられません。

昼食を撮影所内の食堂でとった私達は、みうらさんの並々ならぬ「サンダ対ガイラ」フリークぶりに驚かされました。あの羽田空港にガイラが現れるシーンを熱く語るみうらさんに、私達も仕事である事を忘れてのめりこみました。もうこうなるとタレントとスタッフというよりも、只の怪獣マニア同士(笑)。
と、後ろを通り過ぎる人影。なんと大林宣彦監督でした。すてきなサプライズ。こんな出会いもあるんですね。

話が興じて、みうらさんから「あの、ガイラが現れた羽田空港のシーンって、今はもうない「第11スタジオ」だったんでしょ?」なんて話が出ました。
「妖星ゴラス」の南極基地や「怪獣総進撃」の決戦場、富士山麓。冒頭の「日本沈没」の日本列島などなど、特撮映画のクライマックスを盛り上げた、パノラマ感あふれる広大なセットが組まれた(と推察する)、国内最大級の広さを誇った「第11スタジオ」。特撮映画冬の時代、維持費などの問題で取り壊され、今はホームセンターの駐車場になっていると聞きました。

「怪獣総進撃」の解説も収録予定に入っていた私達。誰からともなく「行ってみようか」という話が持ち上がりました。
こうなるともう、番組制作というより完全に「趣味」ですね。

そこは食堂からあっけないほど近い、2階建ての駐車場でした。
ただみうらさん達は興奮をもう抑えきれず、「ここに富士山が」「ここにガイラが」なんて、駐車場内を走り回って「夢の跡」に思いを馳せていたのでした。
私は円谷英二、中野昭慶両監督への思いと共に、あの「沈み行く日本列島」のセットが組まれたであろう第11スタジオがここにあったのか、という思いで胸が一杯。頭痛がするほど感動しました。こんな事は後にも先にもありません。

その「11番スタジオ跡」から程近い所に、これも今は取り壊されてしまった東宝撮影所名物の「大プール」がありました。この場所も数々の名場面を盛り上げた、ファンにはこたえられない名所。関係者がよく言う「このプールには「ゴジラにエサをあげないで」という立て看板が立っていて」というのはウソでしたが(笑)、
プールには誰かが投げ込んだであろう、缶ジュースの空き缶が沈んでいました。今にして思えば拾っておけばよかったかなー。自分の中ですごい思い出になったのに。

Photo_30 そんなこんなで無事収録も終了、「夢の一日」は終わりました。写真は撮影所で番組資料として頂いた「VSキングギドラ」のプレスリリース。今となってはお宝ですね。
「日本沈没」をはじめ、東宝の特撮映画を観るたびに心をよぎるあの日の記憶。きっと一生忘れることはないでしょう。仕事と言えど私にとっては、ディズニーランドやUSJなどとは比べ物にならないほどの思い出として、強く心に残っています。

新作「日本沈没」の樋口監督も、1984年の「ゴジラ」でこの地を初めて踏んだ時には感動に打ち震えた事でしょう。
彼ら新時代を担う監督が活躍を続ける限り、特撮映画の未来は明るいと信じたいものです。
こんな片田舎でそんな事を言っても、本人には届かないですが(笑)。

2006年7月15日 (土)

私の心は乱泥流

日本海溝の底、8740メートルの深海に挑む潜水艇「わだつみ」。
突如船体を襲う、強烈な振動。船窓から海底を覗く田所教授の顔が驚愕に震える。
「乱泥流だ!」

ご安心下さい。これは1973年版「日本沈没」の1シーン。ネタバレではありません。
さて、今日観た新作の「日本沈没」。このシーンは・・・・

かなりの期待と気合で臨んだ新作「日本沈没」。
朝4時半起きで熱いシャワーを浴び、朝シャンで気分もスッキリ、メイクも完璧。まゆ毛もうまく引けました。この日の為に新調したワンピース(もうこれはドレス?)をまとえば、すでに臨戦態勢。一人で行くのにまるでデート。
そう。今日は「映画とデート」の気分なのでした。
劇場は拡大ロードショーのふれこみ通りの600席。これは大迫力が期待できます。お客さんの入りもそこそこ。開演のチャイムが鳴りました。そして場内が暗くなり・・・・

ここからは、帰ってからのお話です。さすがに公開初日という事もあり、ネットで調べても全国で「観ました」という記事のオンパレード。キャストの感想、作品の考察とりまぜて、おもしろい閲覧ができました。
今日観たばかりのこの作品、私もお話したいのは山々なんですが、まだご覧になっていない方も多いはず。
そこで今回は、私なりにネタバレにならない程度の感想を書きたいと思います。
(私見ですからね)

ひょっとしてカンの良い方はわかっちゃうかもしれないので、
(このブログの読者は、1%の言葉で120%の読解力をお持ちなのでうかつな事は書けなくて)後は皆さんの自主性にお任せします。

まず、今回の作品、テイスト(あくまで「作品の雰囲気」)は、かなり73年版と異なります。
物語の進み方はむしろ「1962年公開のあの東宝映画」に近いです。
ほら、「We did・・・」
そして、登場人物の雰囲気はあえて言えば「1961年公開のあの東宝映画」でしょうか。
「シアワセダッタネ・・・」
物語のあちこちには、樋口監督がインタビューなどでしばしば話していた、「お好きな映画」のオマージュがちりばめられています。1975年公開の「あの」映画とかね。あと偶然でしょうが、1937年の「あの」外国映画を思わせるシーンもありましたね。

そして肝心のストーリー。これは劇場で確認して下さい。
私は、うーん・・・ノーコメント。

鑑賞後の印象は、樋口監督、本当に前作の映画が好きだったんだな、という事。
と言うのは好きすぎるあまり、「同じ事をやっても絶対に前作を超えられない」という脅迫観念にも似たものを画面から感じ取ったからです。でも作るのは楽しくて仕方がない。いきおい、自分の好きな映画のすべてをこの作品に盛り込んだ、そんな雰囲気が漂います。でもそれは仕方がない事で、リメイク作品の宿命のようなものですよね。

そういう意味では、あえて自分のフェイバリット作をリメイクするという「攻め」に出た樋口監督の姿勢は高く評価すべきと思います。「あの名作を今作ればこうなる」という気概も充分感じました。特撮の盟友、神谷監督もよくやっていると思います。

ところが。(ここからはさらに私見です。ご気分を害された方はごめんなさい)
今回の映画に、前作にあった、思わず他人に話したくなるような「名場面」「名ゼリフ」があったでしょうか?辛口のようですが、これに関しては私は「前作」に軍配を上げたいと思います。「カンです」「ただちに門を開いて避難者を宮城内に入れてください」「このつっかえ棒がなくなったらどうなるかって事だよ!」「わしは日本が好きだった。これからも、日本人を信じたい」・・・ちょっと考えただけでも奔流のようにあふれ出てくる前作の名ゼリフに匹敵するセリフが、今回の作品ではどうしても見あたらないのでした。
いわゆる映画の「顔」となるべき名場面、
「コク」となるべき名ゼリフの不在、という所でしょうか。

「セリフが浮いてる」と感じた部分は何箇所かありましたが。
年で頭が固くなり、「感力」が鈍っているせいですよね。そう思いたいです。

本当は他にも書きたいことは山ほど(おそらく私の記事のボリュームで50記事分ほど)あるんですが、今日は一応、これくらいにしておきましょう。ご意見ある方、ぜひお聞かせ下さい。

とはいうものの、やっぱり「日沈」といえばどうしても、お財布のヒモはゆるんでしまい・・・
またまた劇場の売店に張り付いて、こんなものまで買ってしまったのでした。

2006 ファイルセット、ポストカード、パンフレット、そして劇中活躍する「わだつみ6500」のミニモデル。
ドレスを着た女性がこんなのを血眼になって買っている姿を想像してみて下さい。
小林桂樹さんならこう言うでしょう。
「わからん!・・・もうさっぱりわからん!」

2006年7月14日 (金)

「監督の仕事」を観たい!

あの黒澤明の名作「椿三十郎」を、森田芳光監督がリメイクするというニュースを聞きました。
主演は織田裕二だそうです。彼があの、三船敏郎が演じた役を演るわけですか。
となると、仲代達矢の役は誰が?その演出は?・・・

映画のリメイクの話が出ると、私は必ずこうなってしまいます。前から何度も記事にしていますが、リメイク作の監督にとって、その制作は最初からハンディキャップ戦。しかもこの作品って、ある意味「結末の一太刀」が話題になった作品ですよね。
「ネタが割れている」作品をあえて選んだ森田監督の胸中は?勝算は?
周囲のプレッシャーにめげずがんばって欲しいものです。

こと映像作品において、監督の力量こそが作品の要、と私は思います自分が似た仕事(規模は比べ物にならないくらい小さいですが)に携わるひいき目を差し引いても、監督によってこうも作品のテイストが変わるものかと、呆然とする事もあったりして。
これは同じ俳優やキャラクターを主役に据えた、シリーズ物の映画などでものすごく如実に出ますよね。

私は「バットマン」シリーズが大好きなんですが、1・2作目のティム・バートンのダークなムードが好みで、3・4作目のジョエル・シュマッカーにはちょっとガッカリしていたんです。
ところが!昨年公開された5作目「バットマン・ビギンズ」を見てビックリ!私の理想とするバットマン映画はこれだったんです。バートン作品のダークなムードは影をひそめましたが、全編に流れる「ハード」な空気。「犯罪をやめなければ・・・殺す!」という姿勢の、バットマンの異常なテンション。コレクターズDVDを予約して買ってしまいました。
クリストファー・ノーラン監督。彼の名前は、私の中に永遠に刻まれたのです。

そんな訳で、昔から映画を「俳優」ではなく「監督」で観る癖が付いている私は、周囲と話が合わない事がたびたび。特に私の周りはやっぱり「あの人が出てるから観たーい」という人たちばかりなので、「なんであんたはあの俳優が出るのに観ないの?」ばっかりです。
けっして特別意識を持っているわけではないんですが、一種の職業病なんでしょうね。

私にとって映画とは娯楽ではなく、
「監督をはじめとするスタッフ・キャストの仕事を観にいく」という感覚なんですよ。


だから観る前にはものすごくテンションが上がります。
若い映画マニアのように「Xデー」の数日前から関係情報は一切シャットアウト。先に観たなんて人が現れないよう、できる限り公開初日、一回目の上映に出かけます。その日は完全に「映画」中心の一日。全集中力を映画に注ぐので、見た後はクタクタになっちゃいますが、その作品がお気に入りとなったらもう止まらない。劇場販売のグッズを2万円分以上買い込み、あまつさえ周囲の書店、CDショップを「絨毯爆撃」。荷物だらけになって帰ったこともあります。その日はもう上機嫌。DVDが待ち遠しくてしょうがないという、
典型的な「映画オタク」なんですよね。

それはやはり、その仕事を成功させた「監督とスタッフ・キャスト」への賞賛がさせる行動なんでしょう。
「その作品を劇場で観た、歴史の証人」的な記録を残すという行為。

いい年して何書いてるんでしょうね(笑)。
だから必ず、入場料を払って観る。実は試写会にも何度か行った事があるんですが、どうも「お金を払っていない分、文句も言えなきゃ賞賛もできない」的な居心地の悪さを感じるんですよ。「映画に参加していない」感なんでしょうか。映画への接し方が真面目すぎるのかもしれません。でもそうなっちゃう。
笑って下さい。自分でもおバカだと思いますから。

以前、幼なじみが出演した舞台公演を観にいった折、このブログで書いた感想が、「酷評」なんて言われた事がありました。本人には申し訳ないなと、後で電話で謝ったりもしましたが、私が作品を観る姿勢は今日書いた通り、「真剣勝負」なのです
ヒマつぶしなら絶対行きません。かなりの気合を入れて観にいくのです。だからそれなりの感想も出てしまう。許して下さいね。嫌いだったら言わないんですから。

「そんな観方をしていたら、映画を純粋に楽しめないんじゃないの?」と、周囲からもよく言われます。ところが、そういう観方にもそれなりの楽しさがあるんですよ。
世の中に溢れる「映画好き」の方々のブログ。その中には私のような観方をする人も多くいらっしゃいます。そりゃ楽しいですよ。監督に共感できる幸せ!

さて、とりとめのない事を長々と書いてしまいました。
何故こんなにテンションが上がっているかというと・・・
それは明日の「ネヴュラ」に続く!

2006年7月13日 (木)

怖さのツボ

「心臓の弱い方、お一人でご覧になる方は、
今日の「恋するネヴュラ」はご遠慮下さい。」

梅雨が明ければもう夏ですね。家で見ているケーブルテレビでも、「夏のホラー特集」とかで稲川淳二の露出がやたら多くなってきました。
ここ数年、「和製ホラーブーム」と言われていますよね。「リング」や「呪怨」など日本製ホラー映画がハリウッドでリメイクされたりして、世界中が日本の「恐怖観」を新鮮に感じているようです。
私は別にそうしたホラー映画についてくわしい訳ではありません。その分野では流行遅れと言っても良いでしょう。
というのは、今の日本製ホラー映画というのは、私にとって「さっぱり怖くない」からなのです。
本当は怖くて、強がりを言う訳でもありません。OLをやってる私としては、むしろちょっと可愛く「あの映画怖くて、まだ一人では観れないんだよね」なんて言ってる方が好感度も上がりそうなものですが(笑)。最近の和製ホラーを観ても、「これのどこが怖いの?」と、まったく可愛げのないコメントで、周囲の反感を買っております。

どうも私は、他人と「怖さのツボ」が違うようなのです。

最近の作品によく見られるのは「不幸な目にあった人がその怨念で現代に甦る」的なお話。「リング」なんか典型ですよね。「そりゃあなた、見た目は怖いけど膝を突き合わせて話せば同情できるよねえ」なんて、悲しいお話が多い。
これは「悲しい怖い」であって、「本当の恐怖」というものとは違うような気がするのです。
私が恐怖を感じるのは、もっと「見世物的な怖さ」。「切り落とされた手の平だけが動く」とか、「首が宙に浮く」とか、「瞬時にバラバラになる五体」とか、「壁にめり込む人体」とか。なんか書いてるとイリュージョンの演目みたいですね(笑)。

1_9 こんな恐怖を私に植え付けたのが「怪奇大作戦」。1968年9月から「ウルトラセブン」の後番組としてTBSテレビ系で放送されたホラードラマです。これは凡百のホラー作品が太刀打ちできないくらい怖かった。「ウルトラセブン」で円熟の境地に達した円谷プロの演出陣が取り組んだだけに、脚本、演出、撮影、キャスティングなどは既に子供番組とは思えない仕上がりで、今放送してもかなりの恐怖を与えられるドラマと思います。これを日曜日の午後7時、今の「さんまのからくりTV」の枠で放送していた訳ですから、当時のテレビマンにも「恐怖」をおぼえます。
では、そのどこが怖かったのか?

2_9 「怪奇大作戦」で、よく語られる評価があります。
「怪奇現象を恐怖でなく事件として捉えた」「現象を起こした人間の闇の部分こそが怪奇」などですね。
これは番組が、「怪事件を追う科学捜査組織SRIの活躍」という基本フォーマットに沿って作劇されているからです。事件であるからには犯人がいて、犯罪は一応の解決をみる、というストーリー。(未解決の事件も多かったですが、一応「オチ」がつく)。
ところがそれは、番組放送何年後かに、再評価の時言われた事なんですよね。
そういう意味で言えば、筆頭に上がる実相寺昭雄監督の「京都買います」や「呪いの壺」、「恐怖の電話」などは大人の鑑賞に耐える名作という事になります。
でも当時子供だった私には、そんな高尚な作品解析ができる訳がありませんでした。

第1話「壁ぬけ男」で怪盗キングアラジンが、階段の踊り場へめり込んでいくカット。
第6話「吸血地獄」で、吸血鬼となったニーナの「大魔神」さながらの変身カット。
第8話「光る通り魔」の、燐光人間による人体消滅カット。
第16話「かまいたち」の、そのものズバリの「かまいたち」カット。(ご覧になった方は言わなくてもおわかりでしょう)
第20話「殺人回路」の、美女ダイアナが絵から抜け出るカット・・・

こうやって書いているだけでも背筋が寒くなってきます。「雰囲気」じゃなくて「映像」で現象そのものを見せる怖さ。当時、あれを見て怯えない子供はいなかったのでは?

言葉では説明しづらいですが、この番組の特撮は一種異様なテイストを持っていました。
合成のマスクのズレが、編集精度の限界ではなく怪奇現象の為に起こる空間の歪みのように見えてしまう。
単なるスローモーションが、悪夢を見ているような気分にさせてしまう。

そんな言ってみれば「特撮のアラ」までもが、子供を怯えさせるのに充分な効果を生んでいたのではないでしょうか。

これはあまり語られない事なのですが、「怪奇大作戦」はその本放送当時、番組の最後に「クイズコーナー」がありました。それは過去話数の怪奇現象部分を流して「これはどんな特撮技術を使ったものか」を募集、正解者に賞品が当たる、というものだったのですが、
これが私のトラウマ「壁ぬけ男」の踊り場カット、あれが当時の私にはどうしても、「本当にめり込んでいる」ようにしか見えない!キングアラジンの「表情」も手伝って、「怖い!」となってしまうのでした。
他にもダイアナの絵抜けカットや、第17話「幻の死神」の、海上で何本もの手がおいでおいでをするなどカットが出題され、特撮にうとい私は部屋の隅で、親にしがみつきながら見ていたものです。

ああいう「映像」で見せる即物的な恐怖を体験すると、最近のホラー作品はいかにものんびりした、怖さの質が違うものに見えてしまいます。幼児体験がいかにその後の人生に影響を及ぼすかがよく分かる。いやーハードな映像を見せられたものですね。
いまだに夜の階段の踊り場はちょっと苦手です。団地の階段って、踊り場の所で階段が方向を変えていますよね。あの見えない向こう側から、なにか恐ろしい者が顔をのぞかせそうで、怖い。

私はマンションの角部屋住まいなんですが、朝5時ごろの出勤もあるんです。ある冬の出勤日、部屋のドアを閉めてカギをかけていた時、視野の隅に映る階段の向こうから、突如飛び出す人影を見て、心臓が止まるほどビックリした事があります。その正体はジャージを着て髪が爆発した、ノーメイクのおばさん。新聞配達の途中でした。キングアラジンを思い出しちゃった。ひどいトラウマですよね。

余談ですが、10年ほど前に椎間板ヘルニアを患い、病院で手術を受けた事があります。
退院後、迷惑をかけたまわりの人を呼んで、ささやかな食事会を開いたんですが、その時のタイトルが「快気大作戦」。
どうやら病院でも、私のオタクは治せなかったようです(笑)。

2006年7月12日 (水)

80年代の「ブロガー」達

今日の記事は昨日よりさらにマニアック。確実にアクセス数は減るでしょう(笑)。

Photo_29 昔のコレクションを見ているといろんな事を思い出すもので。こんな物が見つかると、その頃の自分までが鮮やかに甦ってきます。
特撮映画同人誌「轟天号」。1970年代末から1980年代初頭にかけての「第三次怪獣ブーム」に乗って、全国各地で起こったファン、マニア活動の一環です。
当時私はこの同人誌を愛読していまして、同年代のファン達が起こすムーブメントに心を奪われていました。

この頃、全国的に起こったこのようなファン活動は、首都圏を始め各地でかつてない活況を見せました。「PUFF」「衝撃波Q」などのファンジンが数多く発刊され、商業誌やマニア本ではフォローしきれないファンの生の声を誌面に反映させていたのです。実際、1980年創刊の雑誌「宇宙船」がツボを突く編集方針でファンの心を潤すまで、これら同人誌が、ファン同士の思いを共有する唯一のツールだった訳です。
実際、これら同人誌で活躍したライターの何人かがプロデビューし、当時の梁山泊とも言える「宇宙船」のスタッフとなった事実を考えても、この同人誌ブームの果たした役割は大きいと思います
(現在、「宇宙船」は休刊中ですが、そのマニアック度を考えると朝日ソノラマって、ソノシートの昔からマニアの心を掴む出版業界の「マルサン」的会社ですねー。)

そんな事を考えながら、久しぶりにこの「轟天号」を開いてみましたが、いやーこれは・・・
一言で言うと「記事が熱い」!なにしろ、丁度ゴジラシリーズが制作されていないエアポケット的な時期だから、とにかくリバイバル上映の感想から、地上波で放送したカットだらけの旧作を有難がる記事、思い入れたっぷりの作品論などが炸裂する、まさに80年代初頭の空気満載の誌面。でも、特撮映画冬の時代を体験した私には、その思いがイヤという程わかるのです。

1982年の「東宝半世紀傑作フェア」中のプログラム、「ゴジラ」他のリバイバルに狂喜し、1983年の「ゴジラ1983復活フェスティバル」に通い、同年の「さよならジュピター」をはさんで、満を持して復活「ゴジラ」が登場するのが1984年。同人誌ブームはその直前だった訳ですから。そりゃ喉も渇きに乾き、当時やっと普及し始めたビデオデッキに地上波のカット版怪獣映画をエアチェックして、擦り切れるまで観たものです。 (映画館の雰囲気を再現したくて、わざと夜、部屋の電気を消して観たりしてね。)そうやって仲間内の誰かが「お宝」を手に入れると、すぐ集まって鑑賞大会。そんな毎日でしたね。

トリミングされた画面、フィルムの状態も悪く、音質も決して良くはなかったですが、ニュープリントの画面、デジタルリミックスされたクリヤーな音の作品を観られる今よりも、作品への集中度は高かったような気がします。この「轟天号」には、そんな時代の空気が詰まっているのです。
私も何度投稿したいと思ったことか。それだけの魅力も確かにありました。

さて、この「轟天号」の記事を見ていて気が付いた事が。
「これって、今ファンの皆さんがブログで書いてる事と同じじゃん。」
手書きの原稿、当時の不自由な環境を差し引いても、特撮映画に込めた「思い」は、私がいつも読ませてもらうファンの皆さんのサイトと同じ。時代は変わり、同人誌・ブログと媒体は進化しても、自分の思いを誰かに伝えたいという思いは不変のものなんですね。
当時の同人誌のライターさん達は、私達の先輩、という訳です。
いや、彼らは「80年代に、同人誌というブログを舞台に暴れたブロガー」だったんですよね。彼らの何人かは今も、個人のブログで熱い思いを語っているかも。このブログもご覧になっているかもしれませんね。(確率は低いけど)

今、ささやかながらこのサイトを開いている私は思います。
「80年代当時、私が思い描いていた「思いを語る場所」がいまやっと」ってね。
26年かかっちゃったけど。

で、またささやかですがお願いです。このサイトもおかげさまで、意外にもアクセス数が伸びてるんですよ。(ココログはアクセスカウンターがないので分かりにくいですが、管理ページでは時間毎に分かるんです)ところがアクセス数に対して「コメント」が異常に少ない。大変奇特なお方がいつもコメントを下さるので、「手ごたえ」をなんとなく感じるぐらいで。
まあ、偏った内容という事も充分承知してますし、特殊なキャラの私がやっているサイトなので無理にとは申しません。
罵詈雑言でも結構です。せめて「一言」残していって下さい。26年待った私が言うんですからたぶん合っていると思います。

「見てるより、参加する方が絶対楽しいですから」。

2006年7月11日 (火)

魅惑の「目力」

1_8 2_8 「あーこんなのあったねー」部屋のオタクグッズの中にこんな物を見つけてしまいました。
以前発売された「ウルトラQ」のDVDボックスのショップ特典、「ナメゴンの目」だそうです。なんでも「実際に撮影に使用されたぬいぐるみについていたもののレプリカ」で、中央のガラス模様は目を均等に光らせる為に張られたものでは?との事。直径は約8センチなので、ぬいぐるみの大きさを逆算すると1メートルぐらいのものだったんでしょうか。
こんなものを特典に付けるというのもHMVさん、「粋」にも限度と言うものが(笑)。

考えてみると、日本の怪獣の「目」には、海外の怪獣にない特徴があるように思います。
例えば世界中のファンから悪評を受けたアメリカ・トライスター版の「ゴジラ」(1998年)。あの目に強い印象があるか?と聞かれると、う~ん・・・となりませんか?
海外版ゴジラに限らず、エイリアン、プレデターなど、海外の名だたるモンスターの「目」は、和製モンスターに比べて印象が薄いように感じるのです。まあその代わりに、他の部分で思いっきり個性を出しているので、マイナス要因にはなりませんけどね。

やっぱりそれは、日本人と欧米人の「瞳の色」の違いが原因なんでしょうか。黒い瞳を持つ私達日本人の方が、「目力」に対しての思いが強いという。
どうも生まれた時、既に「ゴジラ」が存在していた私には、「怪獣の瞳は黒で当然」という常識が出来てしまっていて、以後なんの疑問も持たずに育っちゃったもんですから、物心ついてから観た海外のモンスターには、いまひとつ感情移入ができないんですよ。
その感情移入の出来なさがモンスターらしくて良い、という考え方も確かにありますが。

私達が夢中になった、昭和の日本の怪獣の目は、「黒い瞳にきれいな白目」、という暗黙の了解があったような気がします。そして特筆すべきは目の「表情」。
初代ゴジラの、左右で視線の違う「イっちゃった」目。キンゴジの「ファイターアイ」。モスゴジの「恐怖の三白眼」。ガメラの「クリクリ目」。
テレビに目を移せば、前述のナメゴンの「血走り目」に始まり、ペギラの「眠そうだけど開くと怖い目」。ガラモンの「無表情の目」。怪獣ではありませんが「悪魔くん」の「百目」なんてのも居ましたね。数えだせはキリがありません。
確かに、モンスターの数では世界で群を抜く日本ですから、目のバリエーションが多いのも頷けますが、それにしたってこれだけ「目の演技」が達者なキャラクターが多いのは不思議です。

やっぱりこれは、東宝-ウルトラの流れをくむ、一連のデザインラインにあるんでしょうね。

すぐに思い出すのは高山良策さんの「ウルトラ怪獣」。白目を電飾で光らせる発想は大したものです。あれが怪獣の生命感、キャラクター性、感情移入のしやすさに貢献していたのは間違いないでしょう。怪獣がウルトラマンに倒されて、白目の電飾がスーッと消えていく時、「あーかわいそう」と思った方、いらっしゃいますよね。
あの目があったからこそ、怪獣はエイリアンのような「種族」ではなく一頭一頭の「名前」を持つ「キャラクター」となれたんじゃないか、とも思います。ここが海外のモンスターと大きく違う点なんでしょうね。

生命感に溢れた怪獣とは反対に、あえて感情移入を拒否することを目的にデザインされた(であろう)キャラクターもいます。言わずと知れた「ウルトラマン」。もし彼に瞳があったら、今ほどの人気を持ちえたでしょうか。きっと彼は、最初から人知を超えた存在となるべくして生まれてきたのです。「仮面ライダー」もそうですよね。表に感情が出ないからこそ、観る側はその内なる感情を推し量ることができる。という。
このあたりはよく言われる「能面」的な、日本人ならではの感覚なのでしょう。怪獣とヒーローの「目」の対比。研究するには面白いテーマかもしれません。

目と言えば、怪獣関係のコラムやエッセイなどでよく書かれるコメント。
「ウルトラQのオープニングナレーションで、「これから30分。あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中へ入っていくのです」ってのはウソだよねー。自分なんか30分どころか、もう本放送以来ずーっと離れっぱなしだもん」というやつですが、

私もまったく同じ気持ちです。今年で「体から目が離れて」40年目に入りました!

2006年7月10日 (月)

超兵器アクティブダイエット

「気も狂うような暑さと湿気。そして、熱病と死を運ぶ虫ども。
緑に覆われてはいるが、ここは地獄に違いない。」

(郷田ほづみ氏の声で呼んで下さい)

それは私の完全な誤算でした。お天気もいいしと、軽い気持ちで始めたウォーキング。
いつもと違う気温と湿気に、もっと早く気が付くべきだったのです。
しかし・・・

Tシャツ4枚、トレーニングウェアの上にサウナスーツ。いつもの「フル装備」で出発してから30分。ここ数日と違う気温と湿度が私の体力をじわじわと奪っていきます。吹き出る汗はTシャツに張り付き、動きは鈍る一方。サウナスーツによって篭った熱は体外へ逃げません。かつてない動悸、息切れ、目まいが容赦なく襲います。
完全な「熱中症」状態。
体中の水分が沸騰するように蒸発する気分。意識が遠のいていきます。
「限界だ!」と日陰に逃げこむのがもう3分遅かったら、私は本当に危なかったでしょう。

ふらふらになりながら部屋にたどり着き、20分のこん睡状態の後シャワーを浴びて、量った体重は実に2キロダウン。一時間半で大型のペットボトル1本分の水分を放出した事になるのです。
いつもは能天気に喜ぶ私も、この時ばかりは少し恐ろしくなりました。

「そんな事してると、帰ってくる世界が違う所になっちゃうよ。」社長の奥さんが笑いながら言います。実はこの恐怖、先週の土曜日に味わったものなのです。
今日は幾つかある私の仕事の一つ、デスクワークの日。冷房が効いたオフィスで笑い話にできる幸せに、私は胸をなで下ろしていました。

どうも私はのめり込むと思いがどんどん加速する「昭和型根性派」のようです。ウォーキングにしたって、その日の予想最高気温が高ければ高いほど、そのコストパフォーマンスに喜ぶタイプ。いてもたってもいられません。実際効果があるからついやってしまう。
「熱中症で危なくなるタイプ」の典型です。今までも意識が遠のきかけたことがあるのに。
いい加減学習しなければいけません。

考えてみると、去年の夏からサウナスーツ導入と同時に携帯している物がある事をすっかり忘れていました。確かに「危なくなった」時役に立つ物。我ながら気づくのが遅かった。
それは何のことはない、「ビニールパックのダイエット飲料」だったのです。ビニールパックの効果に感動したのは、意外にも昨年開催された「愛・地球博」会場。

実は私は、約6ヶ月の会期中、一ヶ月に一週間の割合で会場へ出かけていたのです。もちろん「仕事」です。出かけられた方はお分かりと思いますが、会場の中心には「グローバル・ループ」という通路があり、来場者はその通路を歩いて各パビリオン向かいました。私はその「グローバル・ループ」でお客さんを待ち構え、一言インタビューをもらうという仕事を担当していたのです。
Photo_27 それなりにやり甲斐はあったのですが、なにしろグローバル・ループは「日陰がほとんど皆無」の通路。去年は猛暑でしたから、一日中立っていてはそれこそ熱中症になってしまいます。(実際なったお客さんも居ましたね)。ペットボトル飲料は持ち込み禁止。会場内で売っている飲み物はあまり冷えていない。そんな時私の味方になってくれたのがこれ、「ドリンクゼリー」でした。これを凍らせて携帯すれば、溶ける前は小型の氷枕。溶けてもエネルギー補給ができるという、大変すばらしい一品だったのです。

万博会場で「ドリンクゼリー」の良さを知った私は、ウォーキングにも使おうとしました。ところが、一日中歩き回る「長期戦」の万博と違い、一時間半で体力を使い切る「短期戦」のウォーキングでは事情が違う。「なるほどー」と、しばし考え、「なら栄養より水分」と割り切ったのがこれ、「ダイエット飲料」だった訳です。実際使ってみると、なるほど短期戦にはエネルギーより迅速な水分補給が必要という事がわかりました。
体が要求するんですね。「食べるより飲みたい」と。

Photo_28 そんな訳で、今日もお仕事の帰りにスーパーで大量購入に踏み切る私。
でもさすがに「アクティブダイエット」を箱で買うのはOLとしては抵抗があります。
「箱なんか重くて運べなーい」って顔で、カゴに10個ぐらい放り込むのが可愛い買い方。
既に凶器のような固さに凍らせて、スタンバイOKって感じです。

「灼熱の自然公園に、きわどく涼しい風が吹く。
走り抜けた後に、オタクの神話が蘇る」

(銀河万丈氏の声で読んで下さい)

2006年7月 9日 (日)

「創意」の「総意」

私が持つ顔の一つに「ディレクター」という職業がある事は、このブログで何度かお話している通りですが、そのお仕事に日曜、祝日はありません。
今日も終日お仕事だったんですが、その内容は「荒編集」。
これは撮影した素材(ロケテープですね)を簡単に編集してみて、使うカットを決めてから後日行う編集マンとの本編集に備える、という行程です。まあご同業の方が読まれていれば、パソコン編集が当たり前の今、なんて古い事を、なんて笑われるかもしれませんね。本当、その通りです(笑)。

今日も自分が担当する作品の「荒編集」を行っていたんですが、これが「気持ちいい」。
どういう事か、というと、自分が構想したタイミング、リズムで撮ったカット、ナレーションが実にうまい事収まるんですよ。
誤解を恐れずに言えば、「編集」というのはディレクター、映画で言えば監督の「生理」に任せられる部分が大きいのです。以前記事でも書いた黒澤明監督の「映画に一番近いのは音楽」発言の通り、監督という指揮者が振る指揮棒の強弱、緩急が作品のリズムを生み、見やすさを作る。という訳です。
今回の私の作品の場合、先日収録し直したナレーション(7月6日「現場に棲む魔物」参照)のリズムと、当日収録したカットのハーモニーが私の生理に合っていたという事でしょうか。
こういう時、必ず感じる事があります。「やっぱり映像作品って総合芸術なんだな」。

映画やテレビの撮影現場をご覧になった方もいらっしゃると思いますが、撮影というのは必ずしも監督が思った通りには進みません。
屋外で建物の外観を撮影するというだけでも、日差しによる影の出方やお天気の具合で、意図したものと違う映像になってしまう事があるのです。「うららかな日の午後」という事を言いたいのに、撮影直前に急に風が強くなっただけでも、揺れる木々の写りこみによって「風雲急を告げる現場」という意味になってしまう事もあるのです。
時間に余裕のある大作や、社運を賭け大監督が撮る作品ならば、「空にいい雲が流れるまで待ち」なんて「大名ロケ」も可能なんでしょうが、芸術家なんて程遠く、「街の絵描き」に近い私などに、そんな時間的余裕などある訳ありません。過酷な条件の中で非力な私を助けてくれるのが、一緒に仕事をしてくれるスタッフ達。
今回のお仕事で言えば、何度も現場を共にしたカメラマンと、卓越した読みのアナウンサーに寄る所が大きいのです。

年は私より少し下ですが、長年のキャリアにより身についた映像センスと段取りの良さが素晴らしいカメラマンの「彼」。私の言う「ロングショット」「PAN」「ZOOM」「フォーカスIN」など様々な指示に、実に素早く対応してくれます。例えば私のカット割りが決まっていなくて、「この場所でイメージカット3カット」なんて苦し紛れに言う前に、既に「この場所なら撮影ポイントはあそことあそこ」という風に自分で考えて、すぐに動いてくれるのです。
そして彼の真骨頂は「寄り」「引き」「PAN」のストローク。
カメラマンによっては「いいカットだけどズームの長さが中途半端で使いづらい」とか、そういう事が必ずあるのですが、彼の場合、それが実に私の生理に「ピタッ」と合う。「ストローク何秒」なんて指示は出していないのに。不思議な程気持ちいいカットなのです。これはきっと「この現象を見せるならば長さはこれくらい」という考え方が、彼と私は極めて近いという事なのでしょう。

毎日のニュース読みで滑舌、イントネーションもすばらしいアナウンサーの「彼女」。
作品のナレーション原稿は事前に私が作成して、一つ一つの秒数も設定しておくのですが、その場合、ナレーションの長さは私が自分で読んで計る為、ナレーション収録の時にアナウンサーが私と同じ速度で喋らなければ、秒数が足りなかったり、また余りすぎたりして格好悪いものになってしまいます。そればかりか撮ったカットの長さにも影響してくる大変重要なパートなのです。それが彼女の場合、私の読みの速さとまったく同じ。こんな事はめったにありません。
しかも、いわゆる「立てたい」フレーズを瞬時に理解して、実に「わかりやすい」ナレーションとして完成させてくれる。おまけに声質も落ち着いていて私好み。
看板アナウンサーと言われる所以でしょう。

恵まれたスタッフの中で仕事をして、その「創意」の「総意」が実を結んだ時ほど、仕事冥利に尽きることはありません。私に、この業界へのあこがれを与えてくれた映画やテレビ番組も、監督や出演者など話題にのぼる関係者の他に、実に多くのスタッフの皆さんによる「創意」の「総意」によって成り立っているのです。
「必殺シリーズ」第一作、「必殺仕掛人」のカメラマン、石原興と照明、中島利男のコンビが作った「深いコントラスト」の映像演出が、シリーズ全体の方向性まで左右したように。
(これは当時の監督、深作欣二の指示ではなかったそうで、お二人が作品に賭けた思いに二度ビックリ。)

当然、収録日毎にスタッフも変わります。私にだってこんなめぐり合わせなんてめったにない事なんですが、
こんな喜びがあるからこそ、お仕事を続けようという気になれるんです。どんなお仕事だって同じ事ですよね。
(今日はちょっと真面目すぎたかな?)

お財布を狙う怪獣

例えば貴方の目の前に、エクスプラスのドラコ(5,999円)が売っていたとしましょう。
そしてその隣の売り場には、可愛いキャリングケースに入った夏のトラベル用コスメセット(2,800円)があったとします。
怪獣マニアの方なら間違いなく、あの出来のいいドラコに手が伸びるでしょう。ところが今日の私は、不覚にも迷ってしまったのです。それはコスメセットに惹かれたせいもありますが、何よりも6,000円近く散財するならこれ、という「一頭」が別に居るからなのです。
どうしても好みの怪獣というのは出てきてしまうもので。ドラコに思い入れがおありの方、ごめんなさい。決して否定しているのではないんですよ。

だったらお前の好みとやらは?よくお尋ね下さいました。よろしければお聞き下さい。
1_6 ゴジラなど東宝怪獣を別格とすれば、私の最も好きな怪獣は、「ウルトラマン」第3話「科特隊出撃せよ」に登場した「ネロンガ」なのです。古代から地中に棲み、剣豪に退治されて山に篭った怪獣。地上に発電所が出来たおかげで電気をエネルギーに変える事を覚え、普段は体を透明にして、電気を「捕食」したときだけその巨大な体躯を現す。
動物にはあり得ない超能力。まさに「ウルトラ怪獣」の見本のような一頭です。

考えてみれば、「ウルトラマン」という作品中、本格的な怪獣対決ストーリーはこの第3話が始めてなんですよね。第1話は宇宙怪獣ベムラー、第2話は宇宙忍者バルタン星人と、どちらかと言えば変化球で来ていますから、当時の怪獣デザインの流れから言ってもこの「ネロンガ」が、本格怪獣として満を持して登場、という感はあったと思います。
(1話、2話の面白さは当然の事ですが。)

1_7 なんといってもこの怪獣、「血筋」がいい。バラゴン、パゴスという「名獣」の着ぐるみ改造ですから。しかしながら頭をすげ替え、多少の装飾を加えて彩色を変えただけでよくあれだけイメージが変わるものですよね。今さらながら造形担当・佐々木明氏の卓越したセンスと技術には驚嘆せざるを得ません。その後ガボラ、マグラと続く一連の「地底怪獣」ラインナップにも、当時の造形陣の才能がいかんなく発揮された事は、皆さんならよくご存知でしょう。

そんな地底怪獣の「サラブレッド」ネロンガのどこに私は惹かれるのでしょうか。

まず「怪獣」という名称以外に表現しようのないデザイン。ツノの先から尻尾の端まで、あんな動物は地上に存在しません。(地中については未知ですが)
それならガラモン、ペギラなど同じ理由の名デザインはいっぱいありますよね。なのでそこからはもう「好み」としか言いようがありません。(笑)

2_7 そして、「ストーリーの要求に合った能力と、それを活かした演出」。
この「科特隊出撃せよ」は、実に「ウルトラマン」という番組の基本フォーマットに忠実な作り方がされています。城の古井戸からの唸り声、という怪事件発生から怪獣出現、建物破壊と来て科学特捜隊の「出撃」、息詰まる攻防の果てに、「我らの」ウルトラマン登場、胸のすくような活躍の末の大団円。「ウルトラマン」とはこういうお話ですよ。という見本のような一本です。初期のお話なので、脚本の山田正弘・演出の飯島敏宏両氏もそういう部分を意識されたのでは。そんなストーリーに登場するネロンガも「怪獣の見本」(そんなものがあればですが)のような一頭である必要があったのでしょう。

その登場の仕方も心憎いばかりに「怪獣映画」。井戸の中、ホシノ少年の目の前で見開かれる巨大な目!ネロンガの大きさと迫力を一目で印象付ける名演出です。
透明状態の発電所襲撃もいいですよね。突如放たれる地中からの稲光に続いて、発電所敷地内の山肌を踏み抜く透明な足跡!後年「禁断の惑星」(1956年アメリカ)を観た時、イドの怪物の円盤襲撃シーンに「これネロンガじゃん」と思ったものです。ネロンガは透明状態の時でも鳴き声だけは聞こえるんですよね。この迫力もいい!

電気を蓄えて現したその姿も大迫力。あの顔が目の前に来たら腰を抜かすんじゃないでしょうか。もう意志の疎通なんか最初からあり得ない顔ですもんね。あのツノの電飾もたまりません。触覚のアクションと共に放つ放電光線も、超能力を持つ「ウルトラ怪獣」の魅力たっぷり。

3_1 そのタイトル通り、このお話では科学特捜隊は防衛軍と共同で実に勇壮な活躍を見せます。暴走したホシノ少年がネロンガの目に致命傷を与えるも(彼は井戸で見た「目」に一矢報いたわけです)怒ったネロンガに追われ危機一髪。
「正義のヒーロー」ウルトラマンの登場!
いいですねえ。この流れ。そしてウルトラマンの強さがまた、並じゃない。
あの細身のウルトラマンが、自分の体重の何倍もありそうなネロンガを頭上に持ち上げ、投げ飛ばしちゃうんですから。そしてあの体躯を一瞬にして爆破する、スペシウム光線の威力!
あの圧倒的な強さこそ後のシリーズにはない「ウルトラマン」のカリスマ要素と思うのです。

いつのまにかウルトラマンのキャラクターにお話が移ってしまいましたが、結局「脇役なくして主役なし」という事なんでしょうね。ネロンガのあのルックス、暴れっぷり、超能力のカッコ良さ。その散り際も含めて、あれだけの活躍を見せてくれたネロンガが居たから、ウルトラマンも光ったと。

Photo_26 いやーでも、これだけ長く続くウルトラシリーズですが、現在に至るも「ネロンガ」の二代目とか、ネロンガジュニアって出てこないですよね。(「マックス」のゲロンガは別物ですから)
この「親族怪獣の無さ加減」も大好きな一頭。
40年も前に一回しか出現していない怪獣が、なんで「マイ・フェイバリット」なんでしょう?
自分でも不思議です。その後私は未だに「ネロンガ」と見ると、すぐお財布に手をかけてしまう習性が身に付いてしまいました。おかげで家の「ネロコレ」はご覧の通り。まったく節操がありません。

なんとかしてよ。「村井強右衛門」さん!(当て字です(笑)。

2006年7月 7日 (金)

祖師ヶ谷からの贈り物

Photo_25 今日は七夕。垂れ込めた雲の下では、織姫と彦星のデートも想像するだけに留まってしまいますが、私を含め特撮マニアの皆さんには、この日はもう一つの「特別な日」。今日は、この、何の変哲もないバンダイ製ナメゴンがいざなう、暑い日の思い出です。

1901年(明治34年)7月7日。この日、私達を夢の世界へ案内してくれた人物がこの世に生を受けました。「特撮の神様」円谷英二監督です。カメラマンとして映画界でデビューした監督は、スモーク・グラスワーク・スクリーンプロセスなど独自の撮影方法で後の特殊撮影の基礎を築き、1942年制作の東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」で本格的な特撮に挑戦。その後、1954年制作の「ゴジラ」以降、怪獣映画、SF映画を量産。テレビ界にも進出し、「ウルトラマン」など良質の作品を生み出しました。今日の特撮映像界に多大な影響を与えた人物です。

当時制作されていた世界中の特撮、SF映画にまったくひけをとらない、ある意味独自な世界を築いた円谷監督の作品群は、1970年の監督他界後、今に至ってもまったく色褪せることがなく、「世界のツブラヤ」の名は国内、国外を問わず、燦然と輝き続けています。このブログでも作品のすばらしさは何度か記事にしているので、目にされた方もいらっしゃるでょう。

1980年代。私達ファンの機運が高まり、自然に起こった「第三次怪獣ブーム」。その多くは同年代のマスコミ人たちが書籍や映像などで過去の作品を振り返る観点のムーブメントでしたが、それなりに作品毎の分析も行われ、1990年代の新作ラッシュへの土台が築かれた時期でもありました。なんのとりえもない私もその熱に浮かされ、各地で行われた旧作や自主映画の上映会に精力的に顔を出していました。(「大怪獣ゼラン」なんて懐かしいですね)
そんな余熱の中、怖いもの知らずの私はまた無茶な事を考えたのでした。

そうだ。円谷プロを見学に行こう!

当時テレビなどで「昭和の夢工場」的な扱いを受け、何度か取材されたこともある「円谷プロダクション」。昨年引越しを行い、今は八幡山に立派な本社を構える円谷プロですが、80年代当時はあの「皆さんがよく知っている」世田谷区の旧・砧本社屋でした。
つまり、あの第一次怪獣ブームを支えたウルトラQが、ウルトラマンが、セブンが作られた社屋だったのです。

オリジナルの空気を感じるにはもう、これしかない!地方都市に住む私には無茶な行為でしたが、中途半端にオタクの私が行動力を発揮する対象としてこれ以上の「秘境」も無かったわけですね。

「作戦決行」は今日のような蒸し暑い、7月のある日でした。現場は小田急線の「祖師ヶ谷大蔵」を降りてから歩いて約20分。しかし私にはその道もが「円谷プロへ続く道」に感じられて、なにか特別な道に思えました。ケムール人が飛び出してきそうな路地、カネゴンが住んでいそうな家。まさに自分が「アンバランスゾーン」に迷い込んでしまったような感覚。暑さも手伝って少々ハイになっていたのでしょう。社屋の駐車場に佇む「ウルトラマン」や「ミラーマン」を見つけた途端に、「これは現実なのか」と立ち尽くす私が居ました。

電話で予約をしてあったので、担当の方にもごくスムーズにご案内いただけました。現在は分かりませんが、当時は電話で予約するだけで、一般人でも見学が出来たんですよ。社屋の中は本当にあの「テレビでよく見た」制作部、応接室などが並び、そこかしこに当時発売されていたウルトラグッズ、ガレージキットの完成品などが置かれていました。
ガレージキットのほとんどは原型師さんからの寄贈品だそうで、それらを見るだけでも興奮するのに、なにしろ自分が今立っているのは「金城哲夫さんが、市川森一さんが、円谷一さんが、そしてなにより円谷英二監督が居た場所」なんだと思うだけで、もう膝から崩れ落ちそうな感動。あー生きてて良かった。

次に案内されたのが「お待ちかねの」怪獣倉庫!さすがに80年代後期では新作が作られていなかった為、アトラク怪獣ばかりでしたが、これでも「本物」。
これはもう「ウルトラファイト」第196話「怪獣死体置場」の「ライブバージョン」!押し寄せる感動に胸が一杯で、大変な思いでした。倉庫の隅に「チビラくん」の頭が置いてありましたが、ディテールの精密さからしておそらく撮影に使われた本物では・・・なんて発見もあったりして。
倉庫の真ん中、畳敷きの場所でマンの塗装を直すおじさんに挨拶をして、さあ帰ろうか・・と思って、事務所の扉を開けた途端、今回の訪問、最大の収穫が待っていました。

事務所のデスクで仕事をする、満田監督。その向こうで新聞を読む人影。新聞を下ろしたそのお姿は・・・なんと高野宏一特技監督だったのです。ウルトラのクリエイターお二人にいきなりお会いした私は、「がんばって下さい!」と挨拶するので精一杯。お二人は快く会釈してくれました。

もうその後はどうやって帰ったかも覚えていません。気が付けば祖師ヶ谷の駅前。なにか記念を。というわけであたりを見回せば、目に入るのは商店街のおもちゃ屋さん。そこで買ったのが、冒頭の「ナメゴン」なのです。ここのおばさんがまたいい感じの人で。やっぱり買った物って、買った時の記憶とセットになっているんですね。
今でも、どこでも手に入るナメゴンですが、私にとっては円谷プロ訪問の記憶とともに大切にしたい「祖師ヶ谷からの贈り物」なんです。

この駅前商店街は、昨年4月より「ウルトラマン商店街」として地域の活性化に貢献しているそうです。七夕の今夜、円谷監督も、遠いM78星雲からご自分の街を見下ろして、あの優しい笑顔を浮かべているんでしょうか。それとも、垂れ込めた雲に遮られているのでは?
ご心配なく。どんなに天気が崩れても、地球上には「ウルトラの星」が見える私達多くのファンがいます。
これからも円谷の名前は永遠に語り継がれて行くでしょう。
後は私達に任せて、そちらで余生をごゆっくりお過ごし下さい。
(私が言うのもおこがましいですが)

2006年7月 6日 (木)

現場に棲む魔物

「いやーさすが。ベテランはやっぱり違うわー」いつもの番組ナレーション収録。NGが一つも出ない、すばらしい出来にため息も出そうな、見事な仕事ぶり。こんな気持ちのいい現場も珍しい、なんて思ったその直後、あり得ないトラブルが勃発してしまいました。
収録機材のトラブルでなんとナレーション素材(声の事)がまったく録音されていない!
そりゃ慌てましたよ。青くなる録音担当者を後に、再度アナウンサーにナレ読みを依頼しましたが、本人はお忙しく今日はこの後NG。(地方局とはいえ看板アナ。キー局にもたまに出演するので全国区でもある有名女子アナですから。)頭を下げまくってようやく明日の再収録をセッティングできました。とりあえず、大事に至らなくてよかったー。

ディレクターなんてお仕事を何年もやっていると、いろんな現場に棲む「魔物」に出くわします。今日のような機材トラブルから始まって、ロケ現場の天候不順、現場付近の渋滞、取材相手のスケジューリングミス、現場状況の不測の事態、タレントの演技設計ミス・・・・
どちらかと言えば「トラブルなし」の現場の方が珍しい。
その度に臨機応変な対応に迫られる訳ですが、これがまた笑えるほど「うまくいかない」。
後で出来上がった作品を見て「あんなに頑張って撮ったカットなのにいー」と、そのあまりのさりげなさに愕然としたりね。そんな事ばっかりです。(笑)。
これはどんなお仕事でも同じですよね。どんな現場にも「魔物」は棲んでいるんです。

今日のような事がある度に思い出すエピソードがあります。
いずれももうすぐ公開の超大作「日本沈没」の樋口監督がらみのお話です。

一つは監督が「素晴らしき円谷英二の世界」という本に寄せたコメント。「キングコング対ゴジラ」(1962年東宝)のクライマックス、キングコングとゴジラが戦いながら熱海城を壊すシーンで、ゴジラとコングと「壊れる」熱海城が同一場面に収まったカットはワンカットもない。という趣旨のお話です。。つまり、あの場面ではフルショットでの熱海城の壊しが現場として成功していないらしいのです。別撮りしたカットのモンタージュでうまく危機を脱していますが、あの円谷英二でも「現場の魔物」には勝てない事を表したコメントとして、強く心に残っています。

もう一つは、これは有名なお話ですが、監督ご自身が特技監督を務めた「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年大映)での出来事。夕日の中、ギャオスが東京タワーの上にたたずむ「怪獣映画史上最も美しい」と言われるカット。あのカットはオープン撮影された「実景」ですが、撮影時期にはなかなかああいう綺麗な夕焼けが見えず、あのカットにこだわりを持つ監督は、スケジュール超過のリスクを背負いながら、「ギャオス映えする夕日」が出るまで何日も待った、というお話。おそらく監督の中では「不測の事態」も予想できた筈です。そうでなくてもスケジュールの超過なんて半端なプレッシャーではありません。夕焼けの出ない「空の魔物」を恨めしく見る監督の気持ちもよくわかるのです。

「現場の魔物」のお話をすると、もう一つ、円谷特撮の名シーンを思い出さずにはいられません。もうおわかりですよね。「空の大怪獣ラドン」(1956年東宝)。そのクライマックスシーンです。
ラスト、阿蘇山の上空を飛ぶラドン。その最期、火口に落ちる「原始の翼」の姿は涙をさそう名場面ですが、撮影現場ではラドンのミニチュアを釣る糸が切れ、ミニチュアが火口に落ちてしまうという不測の事態、いわば「魔物の仕業」が起こったのです。
しかしそこでカメラを回し続けた円谷監督の手腕。そのシーンは力尽きて火口に消えるラドンの哀れさを見事に表現した名シーンとして、今もファンの語り草となっています。

このお話を思い出すたびに、いつも考えます。
現場には魔物も棲むけど、神も居るんだなー、なんてね。

私はまだ、現場で神に会った事はありません。奇跡のような出来事に遭遇できるのは、やっぱり人一倍努力している人なんだろーなー、なんて思います。
私もそれなりに頑張ってるつもりなんだけど。ひょっとして、明日のナレーション再収録の時に奇跡が起こって、彼女のように透き通る声になるとかね。
(その妄想が魔物を呼ぶんじゃ!というツッコミが周り中から聞こえます(泣)。

2006年7月 5日 (水)

さすが!円谷忍法

雲行き怪しい平日の夕方。部屋に帰りついた私は一日の疲れにもう、ウンザリ。
こんな時見たい、とっておきの清涼飲料番組が私にはあるのです。

「ウルトラQ」から始まった栄光の「空想特撮シリーズ」。途中「ウルトラシリーズ」と名称は変わっても、その高尚なテーマ、精緻を極めた特撮技術は近作にも生かされています。ところがここに、ウルトラファンからちょっと違った目で見られている(熱狂的なファンの存在も知っていますが)作品が。その名は「ウルトラファイト」。

1970年、毎週日曜夜7時の「タケダ・アワー」における番組制作が一段落した円谷プロが、「外部に持ち出す現金支出ゼロ」を目指して制作した、5分枠の平日デイリー、帯番組です。その内容は、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」のクライマックス、怪獣との格闘シーンの「抜き焼き篇」と、ウルトラセブンと怪獣の格闘を新たに撮影した「アトラク篇」からなる全196本にも渡る「果てしなき戦い」。いわゆるストーリー部分がまったくないので、ほんとに看板に偽りなしの怪獣バトルが楽しめた番組でした。

本放送は毎週月曜~金曜の夕方5時30分からだった為、夕飯を待つ一時の怪獣タイムといった風情で、本放送で見た(はずの)ウルトラマン・セブンの勇姿を再確認するとともに、バラエティーに富んだ怪獣達との再会も楽しみにしていたのです。

後々よくマニアの皆さんが語る「ウルトラファイトの二大魅力」があります。
「山田二郎アナの実況風ナレーション」と「アトラク篇の面白さ」ですね。
ところが本放送当時、私はそのどちらも好きになれませんでした。どちらかと言えば「マン・セブンの本放送にはあんなナレーション無かったのに」「造成地で光線も出さずに「夕方」戦うセブンなんて・・・違う!」みたいな感じで。こればっかりは周りの友達と話が合いませんでしたねー。やっぱりビデオが普及していない1970年。頭のハードディスクに録画する映像はあくまでオリジナル!という「オタクエンコードソフト」の干渉があったんでしょうね。

Photo_24 さて時は経ち1990年代。激増する特撮作品のソフト化に伴い、この「ウルトラファイト」もレーザーディスク化(絵の出るレコード!)されました。それまで他の円谷作品LDのおまけ扱いだったこれが、遂に(ほぼ)全話ソフト化という快挙。もうこれを逃せば手に入れるチャンスは無いと、約30,000円もの大金を投じて購入したのでした。
古いお話ですよね。先月28日に発売されたDVDのレビューだと思った皆さんゴメンナサイ。この古臭さが「恋するネヴュラ」なんですよ。

「ウルトラファイト」との再会は、私にあの懐かしい「1970年の夕方」を思い出させてくれました。おそらく私も含め、マニアの皆さんには「Q」「マン」「セブン」あたりまでは度重なる再放送や高画質のソフトの見すぎで「本放送」の記憶がやや薄れがち、という方も多いのでは?ところがこの「ウルトラファイト」は再放送の機会も少なく、ソフト化と言えばこのLDと今回リリースのDVDぐらい。極端に鑑賞のチャンスが限られていただけに、言ってみれば「スレていない」作品なのです。しかも!その全貌が一望できる!

「ウルトラファイト」全話のサブタイトル、あらすじを記憶している方を私は尊敬します。200話近くある作品ですし、なにしろ中身が「似ている」(笑)。よほどのウルトラファンでもこの作品の全貌については解説がむずかしいのでは。でも、別にいいじゃん!と思わせる「おおらかさ」がこの作品にはあります。

というのは「ウルトラファイト」って、一本正味2分40秒(オタクイーン調べ)なので、LD(DVDもですが)連続で見ると、オリジナルとのあまりの世界観の違いに一種ドラッグ的なドライブ感を呼び起こすのです。これは見た方ならうなづかれるはず。
いいんですよね。あの「脳が溶けてゆく」感覚。

そして、子供の頃苦手だった山田アナのナレーション、これがまた「味がある」。
第16話「ブルトンが不気味だ」
なんて、山田さんちょっとカミ気味で「ウルトマン」なんて言ってるし、ブルトンが「ウルトマン」の攻撃で内部からスパークした時なんかのナレーション「オーバーヒートです。ちょっとやりすぎました」なんて、食事中にLD見てた私にはご飯噴き出す程のナイス実況。ちょっとクールな話しぶりも絶妙のマッチングです。

で、造成地で延々と戦いを繰り広げる「アトラク篇」!オリジナルとの落差がありすぎで「特撮というものがいかに難しいか」という事が日を追ってわかる脅威のラインナップ。
一日で何本も撮ってるから、何本かに一回は日が落ちる直前の撮影で、何が映ってるか分からない回もあったりして。さらに、アトラク篇の主人公「ウルトラセブン」のスーツが一着しかなかったんで、多分撮影の合間に洗ったんでしょう。みょうにツヤのいいセブンが居たりして。そんな撮影のご苦労までが偲ばれる、すばらしい作品なのです。

こんな「ウルトラファイト」を見ていると、「自分はなんてつまらない事で悩んでたんだろう」と、妙に心が広くなり、仕事でやりあった相手にも一理あるよね。なんて落ち着いて考えられてしまいます。これはホントですよ。
ああ、この作品のすばらしさに、36年も経って気がつくとは。我ながらなんておバカ!
難しいテーマを追い求めるオリジナルとは別に、「怪獣番組にはこんな楽しみ方もある」と教えてくれた「ウルトラファイト」。未見の方はぜひご覧下さい。
ただ、その時は必ず「20話単位」で見て下さいね。なーに。ほんの一時間弱。
でも見終わった貴方はもう、「元のウルトラファンには戻れない」。

2006年7月 4日 (火)

S13地区の模型店

ふいに出来た一日のオフタイム。梅雨の合間の真夏日です。久しぶりにウォーキングに出て、熱いシャワーで体をほぐした後、何しようかと部屋を見回したとき、ある一点で目が止まりました。「これこれ。いつ見てもいいよねー」

Photo_23 「これ」とはこの写真の通り、いにしえのプラモメーカー「マルサン」の代表キット達。
日本で始めて「ゴジラ」の可動プラモデルを発売し、その後の第一次怪獣ブームで子供達に絶大な人気を博した「怪獣プラモデル」を続々と世に送り出した、伝説のプラモメーカーでした。その後「マルザン」と社名を変更し、1968年に倒産の憂えき目にあった、まさに「怪獣とともに生きた」メーカだった訳です。

写真のプラモデルはマルサン・マルザンの黄金期を支えた「名キット」達。最近は落ち着いたお宝ブームですが、これだけのラインナップが揃っていればそのプレミア価格はとんでもない逸品ばかりです。優にマンションの一部屋ぐらいは買えるでしょう。
でもまあ貧乏コレクターの私にそんなアイテムが揃えられる訳がありません。マニアの方々にはとうにお分かりの通り、これは昨年ユニファイブから発売された「縮小復刻版」なのです。(写真も縮小されています。画面をクリックすると大きくなりますよ)

1_4 比較用にオリジナルサイズの「ゴジラ」プラモデル(これも復刻版ですが)と並べてみました。かわいいですねー。この縮小復刻版は過去の記事にもたびたび登場していますが、私のようなオタクから見ると大変な物なんですよ。

ここ数年吹き荒れた「フィギュアブーム」。世の中もうフィギュア化されていない物は無いくらいの勢いで、怪獣マニアの皆さんも充実したコレクションをお持ちの事と思います。ところが私の中でこの「縮小復刻版」だけは、ちょっと思い入れが違う物なのです。
別に特別なエピソードがある訳ではありませんが、「昔のプラモデル」を「パーツの状態」で、しかも「箱や組み立て図」まで再現するというのは、あらゆるアイテムを発売してきた復刻メーカーでもあり得なかった快挙でした。
これを店頭で見かけた時の私の驚きはちょっと言葉になりません。上から下までレディースウェアの私も、その時だけはただの「怪獣オタク」。お財布の中身を確認せずに、あるだけの在庫を抱えてレジへ向かうなんて、私にしてみれば考えられない事だったのです。
まあ、こんなアイテムは言ってみれば「ブームのあだ花」。案の定、私の住む田舎ではそれ以来まったく見かけなくなったのでした。

でもこの復刻版、よくできてますねー。いずれもモーターによる電動キットだった為、コントロールボックスのパーツまで再現されています。腕のあるモデラーの方々のサイトで、これに動力を仕込んで本物通り動かす、なんて凄いこともされていますよね。羨ましい限りです。私ももうちょっと器用だったらなー。

たまに考える事があります。
これは復刻版じゃなくて、「ウルトラQ」の第17話「8分の一計画」に登場した「S13地区」の模型屋さんで売られていた物では?なんてね。
そこは、人間縮小機により8分の一サイズに縮小された人々が暮らす、全てが8分の一サイズの都市。放送された昭和41年当時、問題となっていた人口増加対策の一環として採られた政策、という設定です。
お話はシリアスなテーマなんですが、私にはこのS13地区は、今も昭和41年で時間が止まっていて、角の模型屋さんの店頭にはこんなキットが並んでいて・・・なんて考えてしまうのです。当然看板娘は「由利」ちゃん。(番組内で「縮小」されちゃったもんね)
毎日学校の帰りに寄る私に「あらーまた来たの?怪獣好きね。今度出たのはね・・・」と気さくに話しかけてくれる由利ちゃんの姿が目に浮かぶのでした。

今日はゴジラにしようかな、それともガラモン・・・
あ、だめだ。体は縮小したけれど、千円札は野口英世のままだ・・・(ドラえもん的オチ)。 

2006年7月 3日 (月)

6番目の日本が沈む時

さすがに昨日は風邪でダウン。今日はその分を取り返そうと、朝4時半起きでがんばりました。おかげでお昼の1時には仕事も終わり、さて何しようかと考えたとき、ふと思いついた単語が。

「人間には不思議な感覚がある。
それほど関心を持たずに聞き流した言葉が、何かの瞬間に甦る。」

「日本沈没」。最近、どこかで聞いたこの単語。以前から気になっていたんですが、何故思い出したのか?「そーだ!前売り券買ってないじゃん!」
2_6 最近の映画鑑賞は、すっかり「レディースデー」ばっかりの私なんですが、気合いを入れて観たい映画だけは前売り券を買うようにしているのです。今月15日から公開のこの映画、これは私にとってかなりのイベント。気分を盛り上げようと、早速(プレイガイドではなく劇場で)前売り券をゲットしました。こうして鑑賞当日までワクワクしながら待つのも、映画オタクの私にとって楽しい時間なんです。

「・・・来ますぞ!」

この「日本沈没」という作品。言うまでもなく、小松左京のSF小説で、1973年の発表当時440万部を売り上げた大ベストセラー。流行語にもなりましたねー。
この作品、発表当時のブームも手伝って、原作小説に始まり、週刊少年チャンピオン連載の漫画(さいとうたかを氏)、ラジオドラマ、映画(1973年東宝)、テレビドラマ(1974年TBS)
と、都合5つのメディアで展開され、それぞれの作品が見せる独自の「沈没」ぶりを楽しめた訳です。当時子供だった私も、身近なラジオドラマ(平日デイリー!)などは夜の放送だった為、楽しみにしていました。そんなオタクな子供のメインイベントと言えばやはり、「映画」でしょう。そんなワクワク感が、今回で6番目となる「日本沈没」にもあるのです。

「何もせんほうが、ええ」

1_3 1973年の映画公開当時、私はこの作品を、劇場を変えて都合3回観ています。
やっぱり最初観た時のインパクトが強すぎたんでしょうか。何度も観に行きたくなる魅力があったんでしょーねー。正直、翌年に放送されたテレビ版は、特撮こそ凄かったもののストーリーはかなり改変され、「別物」としか思えなかったですから。やはり原作と、それをうまく映像化した映画版の魅力に取り付かれた私にはちょっと・・・って感じで。
この映画版のすばらしい所は、設定やセリフなど重要な所はほとんど変えず、原作のエッセンスをうまく映像作品として再現している所だと思います。
このあたりは脚本の橋本忍、そして監督の森谷司郎の手腕でしょうねー。
「いい部分は変える必要はない」という割り切り。これが大事なんですよね。変えることで原作の良さを台無しにしている映画もたくさんありますから。

「あの旦那が張り切ってる。お遊びで済めばいいんだがなあ」

そしてこの映画版、出演者のテンションがハンパじゃない。
物語は「日本が沈む」という一大災害(地球規模ですよね)を中心に、潜水艇の操舵士、小野寺俊夫(藤岡弘)を通して描く一般国民側の「個のドラマ」と、国の代表である山本総理(丹波哲郎)を通じて描く国家レベルの「群のドラマ」を交互に描く構造。
そしてこの「個」と「群」の間に入るのが名優、小林桂樹演じる「田所博士」その人!
もう私なんかは「田所博士」といったら小林桂樹しか思い浮かばないもん。「吸血鬼ゴケミドロ」(1968年松竹)の高英男ぐらいのハマリ役。この頃の小林さんは恰幅がよく、頬のふるえなんかはもう「モスゴジ」(笑)。このキャスティングで映画版の成功は決まったようなものだったと思います。
さらに、首相役の丹波哲郎がまた凄い。この映画、特撮ばかりが話題になりますが、私には特撮より、むしろ本編側の演技に鬼気迫るものを感じます。その白眉は物語のクライマックス、首相と、日本を影で操る大物、渡老人(島田正吾)との会話。「日本民族の将来」について語るシーン。ここはカット毎に撮らず、カメラ2台で通しで撮影されたそうですが、ここの重苦しい空気感は言葉で表現できません。加えて丹波さんは、「いい間」で涙を流し、しかも顔をうまく照明に向けて涙を光らせるという離れ業を見せます。これぞ役者根性!

もちろん特撮のすばらしさは言うまでもありませんが、それだけではない「演技の重厚さ」が1973年版「日本沈没」の凄さ。まさに「黒澤組」森谷司郎と「円谷組」中野昭慶の才能が幸福に融合した作品だと思うのです。

「樋口監督、「日沈」を頼みます!」

新作「日本沈没」の樋口監督が、この1973年版にリスペクトしている事はよく知られています。私も彼と同年代ですから、幼少期にあの作品に出会ってしまった者の気持ちも痛いほどよく分かります。
(余談ですが、私のダイエット計画の名称は「D計画」でした。)
だからこそ樋口監督にはがんばって欲しいのです。
「自分はクリエイターなのか、アレンジャーなのか」と自問自答を続ける監督。その苦悩の一端が見え隠れするであろう今回の作品を、私は膝を正して観たいと思います。
「6番目の日本が沈む時」私はスクリーンから何を受け取るのでしょうか。
「ローレライ」の出来が私にとってちょっと辛かっただけに、
いやな「直感とイマジネーション」がはずれる事を祈っています。

2006年7月 1日 (土)

見せずに「魅せる」ヒッチコック

ユニバーサル映画「サイコ」のシャワーシーン。ジャネット・リーがナイフで惨殺されるというショッキングなシーンです。公開された1960年当時に寄せられた評論には、「ナイフが深く突き刺さっている」とありました。
ビデオが普及するはるか前、スクリーンで観た印象のみで感想を話した評論家の目にはジャネット・リーの背中に深く突き刺さったナイフが見えたのでしょう。ところがこのシーン、カット割りを見てみると、体にナイフが突き刺さるカットは只のワンカットもないのです。

世界中の映画監督がカット割りの教科書として研究したシャワーシーンで有名な「サイコ」言うまでもなく、この映画の監督こそ「サスペンス」の名手、アルフレッド・ヒッチコックです。

映画好きの方々のみならず、ヒッチコックの名前を聞いたことがない、という人は少ないのではないでしょうか。凡庸な監督が演出すればつまらない作品になってしまうようなストーリーを、ハラハラドキドキのまさに「悪夢のような」サスペンス作品としてまとめ上げるその手腕は、今見てもまったく色あせることがありません。
私にとってはテレビや映画館でつまらないサスペンスを観てしまった時の、心のよりどころといったところでしょうか。その名匠の仕事ぶりは「忘れかけた頃に観ると、やっぱり唸らされる」のです。

今日久しぶりに見た「フレンジー」(1972年イギリス=アメリカ)も、そんな作品でした。
イギリス出身のヒッチはアメリカに渡り「めまい」「裏窓」「北北西に進路をとれ」「サイコ」「鳥」「マーニー」などのヒット作を連発した後、「引き裂かれたカーテン」「トパーズ」などやや不得意なテーマでスランプと言われました。(私的には充分楽しめる作品なのですが)
その後古巣のイギリスへ戻って久々にメガホンを取ったこの「フレンジー」。確かに絶頂期の作品のようにジェームス・スチュワートやケイリー・グラント、イングリット・バーグマン、グレース・ケリーなどの世界的スターの出演もなく、物語のスケールもさほど大きいものではありません。でも「この作品でヒッチが甦った」という当時の批評にもある通り、「フレンジー」にはヒッチの話術の楽しさが詰まっているのです。

物語は「疑惑の影」「見知らぬ乗客」などの流れをくむ、ヒッチお得意の「巻き込まれ型サスペンス」。ネクタイを使って女性を絞殺する異常な殺人事件。犯人と間違えられた主人公と犯人の動きを交互に追いながら、「サスペンス演出のショーウインドー」のようなヒッチの世界が展開します。

ヒッチ演出の特徴として私が強く感じるのは、「観客に想像させる演出」。例えばこの「フレンジー」の中でも、映画ならではの「思い切った省略」が随所に見られます。今までも多く語られてきたことですが、やっぱり観ると書きたくなっちゃうんですよね。

(ここからはネタバレなのでご注意下さいね)
最初の殺人シーンで犠牲者となるのは、犯人に間違えられた男性主人公の元妻。別れて結婚相談所を経営しています。以前、相談所に押しかけ、元妻と口論をした主人公は、相談所の女性秘書に不仲ぶりを知られています。秘書が食事に出かけたスキに起きる陰惨な事件。
犯人はその相談所の男性会員で、異常な性癖の持ち主。元妻と二人きりのオフィスで殺人を犯すのです。犯人がオフィスを出てすぐ、たまたまやってきた主人公はオフィスのドアをノック、返事がない為外へ。ここを、帰ってきた女性秘書に見られてしまう訳です。不審な表情でオフィスビルに入る秘書。
長々と書いてきましたが、ここの場面には唸りました。カメラがオフィスビルに入って行かない。秘書が入った入り口を延々と映しているのです。その長さ約23秒。静寂が秘書の悲鳴によって破られるまで、全く無人のオフィスビルの入り口だけを延々と捉えるカメラ。まるでフリーズしたかのようなその時間は、秘書がドアの鍵を開け、元妻の変わり果てた姿を発見する様を観客に想像させているのです。

もうひとつ印象的な場面は、2人目の犠牲者となる主人公の今の恋人を、犯人がその手にかけるシーン。異常な性癖があるこの犯人は、犯行前に相手の女性にかける言葉が決まっています。
「君は僕のタイプだ。」
自分の部屋に女性を連れ込み、ドアを閉める瞬間、犯人はこのセリフを言うのです。ここで見せる流麗なカメラの動き。カメラは閉まったドアからゆっくり離れていき、階段を降りて廊下をトラックバック、ついにはアパートの外へ出て、惨劇が起こっているであろう建物の外観を捉えるのです。この間ワンカット。
後年鑑賞したいろいろなサスペンスドラマで、例えばセリフの後で場面が変わる演出は何度も見ましたが、観客を場面ではなく「時間的」に参加させ、「知っているのは自分だけ」という一種の共犯関係的な心理状態に置くこの演出は、ヒッチ独特のものでしょう。ここでもカメラは殺人の現場を映さず、観客の想像に委ねているわけです。

最新のCG技術によって、トリッキーな場面が簡単に作れるようになった映画の世界。ですが、今の映画は「見せすぎ」のような気がします。「演出の為のカメラワーク」ではなく「技術のサーカス」と化した最近の映像は、やはり禁断の実を手に入れた制作陣が通る「過渡期」ゆえの産物なんでしょうね。カメラワークのすばらしさで有名なヒッチコックも、ケレン味だけではない深さがあるからこそ、時の重みに耐える作品を作り続けられたのだと思います。

1_2 2_5 さてさて、これはビックリ。昔オーロラ社が出していた(らしい)「サイコ」の主人公、ノーマン・ベイツが「母親と暮らす」「ベイツ・マンション」のプラモデル。最近ポーラライツ社が復刻したものです。こんなの出てたんですねー。さしものヒッチオタクの私も知らなかったー。
シュリンクパックのパッケージなので中身は見てないんですが、これ、当時売れたんでしょうか?だってどう遊べばいいの?
これで遊んだ子供って、相当悪趣味と思うけどなー。

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