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2006年7月20日 (木)

30分に賭けた意地

「・・・3秒ね。わかりました。」ここは某地方局のニューススタジオ。私は今日、ある番組のスタジオ収録に立ち会っていました。
収録しているのは12分のコマーシャルなし、ぶっ通しの解説番組。キャスターがニュース方式で原稿を読むという、アドリブ要素のまったくない、「固ーい」番組です。
番組の内容上、原稿は何重にもチェックされ、一言一句間違えられない状態。一度通してリハーサルを行い、本番収録という流れです。冒頭のセリフはリハーサルが終わったときのキャスターの言葉。
「3秒」とはなんでしょうか?

これはリハーサルの時の、原稿の「読み予想」と実際のキャスターの読みの長さ「尺」の時間差なのです。
12分間の読みで3秒の差!これは凄いことなんですよ。だって途中止めずに、ずっと流してやってるわけですから、時間調整のやりようがない。途中数回フロアディレクターから示される残り時間の指示だけを頼りに、「3秒」の差に追い込む、その実力。

そのキャスターはアナウンサー経験も長い大ベテラン。経験上原稿用紙に書かれた原稿を一目見れば、「何秒で読める」とわかるそうです。
経験に裏打ちされた恐るべき「カン」の冴え。
事実彼は、本番収録で原稿との時間差僅か「半秒」という離れ業を見せたのです。
「ま、長くやってるからね」とくったくなく笑う彼の姿に、私は「プロの意地」を感じました。

ごめんなさい。ちょっと固いお話で。これは私のような「テレビ屋」の、時間に対するこだわりを大変感じさせるエピソードなのです。

言うまでもなくテレビというのは、小は15秒のコマーシャルから大は27時間テレビまで、「放送時間」に縛られるメディアです。「番組の尺」などと呼ばれるその時間の縛りはひとつの「型」で、番組の作り手はその「型」の中に番組という「中身」を入れ込む作業をしているのです。
ですから、番組の企画を最初に考える時提示されるのは「番組の尺」と「単発かレギュラーか」そして「予算」。放送される時間帯も提示されますが、まず前述の3要素が重要なわけです。

その中で考えられる企画は、やはり映画などとは違う内容となってきます。単純にテイスト面を考えれば「映画館」と「お茶の間」の違い。「日本沈没」でも、1973年公開の映画版と1974年にTBS系で放送されたテレビ版では、田所博士は同じ小林桂樹が演じましたが、そのキャラクターは大きく変わっています。野人のごとき映画版の博士に対して、テレビ版では娘を持ち、優しい面が強調されているのです。それはやはり、お茶の間を配慮した処理なのでしょう。

「番組の尺」はテレビである限り逃れられない「枷」ですから、そこを逆手に取った企画を生み出すのがテレビマンの才能です。
私はそこでいつも「ウルトラマン」という番組を立ち上げた円谷プロスタッフの才能に感嘆するのです。

Photo_39 日本人であればもはや知らない人など居ないであろう「ウルトラマン」。30分番組、何回かのシリーズ作品という局側のオーダーに、これほど完璧に応えた企画は珍しいと思います。というのは、「ウルトラマン」登場までのテレビヒーロー作品は、大抵は大きな敵との戦いの中での、数回の章というストーリー設計がなされていたからです。30分一話完結のヒーローというのは、日本の特撮作品ではそれまで無かったのではないでしょうか。

番組のフォーマットも実に「30分完結」。怪事件から怪獣出現、科特隊の出動から戦闘、ギリギリのピンチでウルトラマン登場、激闘の後の爽快なエンディング。これだけで語れてしまう単純な基本ストーリーは30分にすると実にテンポよく、すっきり収まる。初作から40年を経た今も使われている事からも、30分という「尺」を最大限に有効利用した好例であると、私は思うのです。

「予算」という怪獣に立ち向かった円谷プロスタッフの「戦いぶり」も見事。タイムリミット3分というのは、もはやウルトラマンの代名詞のように言われていますが、満田監督など当時の制作スタッフの証言では「特撮による格闘部分は一話、大体2分。予算上それくらいの縛りができてしまう。そこから逆算された設定」だそうです。舞台裏はそんな「火の車」だったとしても、当時そんな事を考えて観ていた子供が居たでしょうか?

もし、ウルトラマンの制作予算がもっと多額だったら、カラータイマーは生まれていなかったかもしれません。
胸の輝きが赤く点滅を始めた時、ブラウン管の前で必死でウルトラマンを応援した私達。子供をあれだけ夢中にさせた設定は、「予算」という枠組みを逆手にとったスタッフの「意地」の結晶なのです。

一話完結の為、「何話でも作れる」という、テレビの事情を考慮したシリーズ設定も含め、「ウルトラマン」はテレビでなければ成しえなかった、番組制作の希有な例であったと言えましょう。
発想がちょっと飛躍しますが、例えば劇場用映画の尺、2時間程度で、あの「ウルトラマン」のストーリーをそのまま制作したら、と考えて下さい。間延びしてしまって見られたものではありません。30分という「尺の縛り」があるからあのテンポが出る。カタルシスがある。今まで作られた「映画版ウルトラマン」がテレビと全く違うテイストになってしまうのは、逆にウルトラマンがいかにテレビ向きの企画であったかを証明しているのです。

余談になりますが、歴代ウルトラマンの中でどの作品が好きか、と聞かれたら、私はやはり初作「ウルトラマン」(1966年)と、「ウルトラマンティガ」(1996年)を挙げます。
両作品とも「新しいことをやろう」というスタッフの気概を感じるからです。「ティガ」に関しては、またまた世間知らずの私がやってしまった恥ずかしいエピソードがあるのですが・・・
また別の機会にお話しましょう。

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コメント

いつもながらのことですが、オタクイーン様のキレのある文章には、舌を巻くばかりです。なるほどなあ、と感心させられたくてこのブログにおじゃまさせてもらっているといっても過言ではありません。特に「固いお話」とおっしゃった部分に、感銘をうけました。ギリギリの抜き差しならない状況で、普段通りの力を発揮するプロ。私もある時間を与えられて、その中で効果を上げることができるか否かを問われる職についていますが、オタクイーン様や、そのキャスターのかたに比べれば大甘の世界です。うーん。しっかりしなければいけませんね。

コメントありがとうございます。こんなお話にまでコメントいただいて大変恐縮です。
本来お仕事の事を長々と書いても、他の職業の方には退屈かと思うこともあるのですが、やはり趣味に近いジャンルを職に選んでしまった辛さゆえか、つい綴ってしまいます。お許しください。

でも本当に、どんなお仕事にも苦労は付き物。hiyokos654321さんも例外ではありませんよね。「大甘」なんておっしゃらないで下さい。私から見れば、「時間内に効果を上げることができるか」という部分では全く同じ、むしろ私より大変なお仕事のようにお見受けします。
尊敬に値するお仕事です。

ここ数日、理屈っぽいお話が続きました。今日の記事は思いっきりバカバカしく行こうと思います。笑ってやって下さい。

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