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2006年6月23日 (金)

スッピンの心

「あーもう、来月でまた一つ歳とっちゃうよー。どーしよー」女性上司の声が部屋に鳴り響く午後5時15分。「女子社員」4人で過ごす夕方のまどろみの時間。
もうすぐ6月も終わり。早いもので私が女性として仕事を始めてからもう1年と2ヶ月が経とうとしています。

仕事を覚える事から始まり、女子社員としての立ち振る舞い、言葉使い、社内のスタンスに至るまで、初めてづくしのこの1年。私の内部でもいろいろな変化がありました。それを実感したのは、先日行われた祖父の十三回忌でした。
さすがにその日は「男バージョン」で出かけたのですが、そこで叔母に言われた一言。
「あんた明るくなったねえ」。

法事で「明るくなった」というのも何ですが、まったく予想していなかった言葉に苦笑するしかありませんでした。私はいったいどう変わったんでしょうか。
きっとそれは「自分に素直に生きているゆえ」の明るさだと、いい方向に解釈しました。

確かに私の場合、女性として仕事をしていると、男性の頃に比べて感情を押し隠したり理知的に振舞う場面が極端に減ったことが実感できます。その代わり、仕事を進める上で「明るさ」「周りとの協調性」「ソフトな人当たり」などがこれほど重要なのか、という事がわかってきました。そしてその全ての根本にあるのが「素直さ」。

何かをしてもらった時の「感謝の気持ち」
自分が悪かったときの「謝罪の気持ち」
仕事がうまく行ったときの「嬉しい気持ち」などなど、
男の時にどこかでこだわっていた「こんな事ぐらいで感情を表に出しては」という意地がこの一年で、どこかへ溶け去ってしまったようです。
そして残ったのが感情をそのまま表へ出す「素直な気持ち」なのでしょうか。
今までの自分がいかに「男らしさという虚像」に振り回されていたかを思い知りました。

確かに「感情を表に出すのに男女は関係ない」とも思います。
私の場合は女性として仕事をしてみて、初めてその事に気がついたわけです。
遅いですよね。つくづく愚かだと思います。(別に何か失敗した訳じゃありませんよ。加えてここはPHPでも、いんなあとりっぷの誌面でもないですから)

ずいぶん前、こんな出来事がありました。
私は雨が降らない日はミニバイクで通勤していて、駐輪場に停める事もあったんですが、ある日、駐輪場の自転車が将棋倒しになっていて、倒れていない私のミニバイクが「ストッパー」になっていたんです。私がバイクをどかせば自転車は全部倒れちゃうし・・・立ち尽くしていたところへ、通りかかったスーツ姿の男性が自転車を支えてくれて、将棋倒しを直すのまで手伝ってくれたんです。
素直じゃなかった私は自惚れもあって「どうせ下心があるんだろう」ぐらいに思っていたんですが、彼は名前も告げずに立ち去っていきました。
私は心底恥ずかしくなって彼を追い、素直にお礼が言えたんです。

以前の「男の私」なら、会釈ぐらいで済ませていたでしょう。彼に礼を言わせたもの、それが今の私を動かしているのでしょうか。
その後、通りかかった駐輪場で似たような場面に出くわした事もありました。その時やっぱり自然に体が動いて「大丈夫?」とか言っちゃうんですよね。いやーびっくりした。自分の素直さに。

「レディースの服を着れば心も女になる」なんてよく言います。でも私にはそうなるまで1年かかりました。本当の意味で「女性らしさ」を身につけるにはまだまだですが。
それには心の「素直さ」が大事。と言い聞かせてます。いつも気持ちは「スッピン」が一番。

顔の化粧は上達しても、心の化粧はしたくない。
そんなとこかな。(なんて言ってて素直になれない所もあるんですが)

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