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2006年6月の記事

2006年6月30日 (金)

梅雨に「秋日和」

・・・ちょっと体力低下。喉の痛みが辛くて。やっぱり会社の冷房が。OLは辛いです。
「えーい」と、仕事を明日にまわして、今日は療養日にしました。

こんな日は部屋で名作をじっくり堪能を。という訳で、ここ数日のマイブーム、小津安二郎の「秋日和」(1960年松竹)を観ました。お茶とお菓子は欠かせません。オバサンですね。

この「秋日和」は、代表作「東京物語」と並ぶ小津の名作「晩春」のテーマ「娘の結婚」を再び採り上げた作品で、後期の小津映画の集大成と言われます。私も大好きで、先日書いたリメイク作品「娘の結婚」も関連作品として押さえた程。
何故でしょうね。人生の悲哀をこれでもかと盛り上げる黒沢明や、虚構の世界に遊ぶ石井輝男、それこそフィクションの極みである怪獣映画などを嗜好する一方で、こういう映画に挽かれてやまない自分が不思議です。

小津映画の常連である笠智衆、佐田啓二、佐分利信、原節子など、「もう聞いただけで場面が浮かんでくる」俳優がその演技を競う、まさに安心して観られる「秋日和」という作品。私が最初にこの映画に出会ったのは20年ほど前だったと思います。当時映画論を戦わせていた友人に薦められて、純粋に演出テクニックを学ぶ為に観たのを憶えています。
20年余の時を経ての再会で思ったのは、よく言われる「映画は観る年齢によって味わいが変わる」という事。いやー昔の自分がいかに浅い観方をしていたかがよく分かりました。

「晩春」における、笠智衆と原節子の父子の関係を、原節子と司葉子の母子に置き換え、連れ合いに先立たれ独り身となった親と、その親を思う上に結婚に躊躇する娘が、やがて嫁ぐまでを描いたこの作品、別にドラマチックな事が起こる訳ではありません。
黒澤作品や成瀬巳喜男作品のように登場人物が感情をむき出しにする訳でもありません。むしろ日々の営みの中で起こる何気ない会話や仕草を、言ってしまえば「軽め」に描いているように見えます。なのに何故これ程、人の心を打つのでしょう。

「ローアングル」「バストショットの多用」「あえて感情を廃したセリフの応酬」「同じセリフの反復」など、小津作品には多くの特徴が見られます。ひとつひとつを解析していけばこのブログでは語りきれないし、第一おバカな私にそんな頭はありません(笑)。

今回私が観た「秋日和」に関してだけ、感想を言わせてもらえば、
それは「テーマとスタイルの普遍性」という事でしょうか。

テーマに関して言えばそれは、いつの時代になっても変わらない親子の情。私は独身なので子供を持つという「重さ」は分かりませんが、母親役の原節子が「小津に感情を制限されて」綴るセリフの端に見え隠れする、豊かな感情の起伏。娘役の司葉子の、おそらく当時精一杯の演技の中に感じられる瑞々しい本音までもが、名匠小津安二郎の優しいまなざしに見守られ、温かく伝わってきます。

スタイルに関して言えば、虚飾を極力廃した演出が時代を超える、という事でしょうか。
私なんかが語るとどうしても発想が飛躍してしまうので笑って許していただきたいんですが、例えばスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」が今なおまったく古さを感じさせないのは、BGMにあえてクラシックを使った事も大きい、なんて言われてまして、私は小津作品にも同じ香りを感じるんですね。カット割りやセリフ回し、音楽などにあえて制作当時のトレンドをまったく入れなかった事で、時の呪縛を逃れたと。

それは(ここからがさらに私ですが)初代ウルトラマンのデザインにも感じられる訳です。
有名なお話ですが、ウルトラマンをデザインした成田亨さんは、そのコンセプトを「単純化」としたそうで、極限まで虚飾をそぎ落としたデザインが今だに普遍性を感じさせるんでしょうね。小津作品にも、誰にも真似ができない「単純化」の美しさがあるような気がして。

まあ洒落てみれば「シンプル・オズ・ベスト」といったところでしょうか。

確かに「昔の作品」というのは存在します。
でも今日、「秋日和」と再会して「昔の作品」と、「古い作品」は必ずしも同義語じゃないんだな、と感じました。

ところでちょっと思ったんですが、この頃の司葉子って、ちょっと伊東美咲に似てませんか?なんであーいう顔に生まれなかったんだろーなー。
(せっかくの小津作品の余韻が見事にぶちこわし(泣)。

2006年6月29日 (木)

キングギドラ東西

「どーしてくれるの!この空気!」
やっと借りられたDVD「仮面ライダー THE FIRST」。観終わった私が思わず発したセリフです。あーあ、長石多可男・井上敏樹コンビやってもーた。劇場で観てないので語ることはできないんですが、観た知り合いから「とてつもなくつまらない」と聞いていたので、かなり身構えて観たんだけどなー。もうこれ以上は言いません。

Photo_19 でも良かったー。今日は探していた「キラーアイテム」が手に入ったので気分が紛れる。
実はいつもの「オタクショップ」で、一個ずつしか持っていなかったアメリカ・オーロラ社製プラモデル「キングギドラ」「ラドン」の、ポーラライツ社製復刻版が見つかったのです。

「オーロラ」と言えばその精密なパーツと独特の雰囲気作りでオールドキットファンには日本の「マルサン」と並ぶビッグネーム。「ゴジラ」のプラモデルを世界で始めて発売したことでも有名ですよね。この2種類は1975年に初版が発売され、日本ではまだなじみの薄かった怪獣のディスプレイキットとして年長者のマニアに親しまれたようです。

当時子供だった私にはそもそも「怪獣のプラモデルと言えば動いて当たり前」という意識が強く、「ディスプレイモデル」なんて概念はありませんでした。おまけに輸入品ですから私が出入りしていたおもちゃ屋さんなんかにある訳がなく、後々文献で完成品を見ても「あーこんなキットがあったんだ。今ならちょっと挑戦してみたいけど」程度の気持ちだったのです。

そんな環境がにわかに激変したのは1999年。ポーラライツ社がかつてのオーロラ社の名作キットを軒並み復刻した時でした。地方に住む私は近くの模型店で一個ずつしか入手できず、その後しばらくは「在庫確保」にやっきになっていたのです
しかし、潮が引くように店頭からキットは消え・・・。輸入個数が少なかったんでしょうか。それともマニアの皆さんが大量買い占めに走ったか。ダメですね。貧乏コレクターは。

時は経ち、そんな記憶も薄れかけた今日、目の前に現れた2つのキット。
「買うた・やめた音頭」を踊る余裕さえなく即ゲット。

2_4 このキットはさすがアメリカ製、キングギドラの造形をオーロラ風に解釈して、かなり違ったイメージで再現しています。写真集に載っていた完成写真はこんな感じ。なるほどアメリカの人が抱くギドラってこんなイメージなんだー。足も長いし。躍動感溢れるポージングとディオラマベースもいい感じです。このセンスは日本人にはないですよね。

さて、この「キングギドラ」、日本ではソフトビニールやガレージキットで凄いのがたくさん発売されていますね。私もいくつか持っていますが、どうも根が子供なんで「可動」にこだわっちゃうんですよ。お許し下さい。その可動「プラキット」化はと言うと、1972年のブルマァク製カタログにゼンマイ可動キットの写真が載っていたそうですが、実際には発売されていなかったようで、私みたいな「可動プラキットファン」には謎の一品だったのです。

ところが(もうおわかりですよね)2001年、やっぱりあった当時の金型を使い、頭部をソフトビニール素材で作った「復刻版」がバンダイから発売されました。Tシャツ付で8,400円。ゼンマイキットにその価格はちょっと・・・と思いましたが、思いの他売れなかったようで、中古市場では早々に75%オフ!なんて叩き売り。もう買いまくりましたね。

Photo_21 写真はその「復刻版」の完成品。このキットの企画当時発売されていたソフトビニール人形の頭部を流用しているので、プロポーションもソフビと同じ?と思って並べてみたら全然違う!明らかに別造形の金型でした。いやー30余年の時を超えて甦る歴史の証人。ヒョコヒョコと歩く姿に「宇宙超怪獣」の面影はちょっと・・・(笑)でも東西の「ギドラ観」の違いが表れていておもしろいですよね。

きっとこんなお話は、濃い怪獣ファンの方々には常識なんでしょうね。私ももーちょっとリアルタイムなネタを勉強しないとねー。
さてそれじゃ、「GMK」のDVDを棚から取り出して・・・
(やっぱりズレてます?(泣)。

妄想映画館

市川監督のWOWOWドラマ「娘の結婚」をDVDで観ました。地上波のオンエア時は途中からしか観られなかったので、今回が初の完全鑑賞でした。
言うまでもなく、巨匠小津安二郎の「晩春」(1949年松竹映画)のリメイク。いつもの市川作品に見られる「絵画的で、時にトリッキーな絵作り」が影を潜め、小津作品へのオマージュに溢れた、情感あふれる作品でした。
その市川監督がかつての自作「犬神家の一族」(1976年角川映画)のセルフリメイクを制作中との事です。実に30年ぶりの「快挙」。「自作」を禁じ手として、なおも自己表現を模索し続ける巨匠の姿には、心打たれるものがありますよね。

そんなセルフリメイクは特別としても、ここにきて洋画、邦画問わずリメイク作品が増えてますよね。最近でも「キング・コング」「ポセイドン」「オーメン」「スーパーマン」「日本沈没」(偏ってるな)と名だたる名作が甦るようですが。
ところが気になる所はやっぱりCGなどの最新「技術」であって「演出」ではない。そこが辛いところですね。なにしろ前作ファンにとっては「百も承知のストーリー」だから、興味の対象はどうしても「かつて観たかった夢の場面」であるわけで。担当する監督にとっては最初から「ハンディキャップ戦」なんですよ。
前作を超える事は並大抵の事ではない。同じ事をすれば「前作のマネ」新しいことをすれば「前作を汚した」なんて言われるし。そういう意味では高い評価を受けた「平成ガメラ」の伊藤和典、金子修介コンビはとんでもない天才、という事になりますが。

「娘の結婚」のように、かつての名作を「名匠」「巨匠」と呼ばれた監督がリメイクする例はあまりありません。やっぱり食指が動かないんでしょうかね。最初から前作と比べられるのがわかっているから、オリジナル性がすべてに優先する監督には耐えられない事なんでしょうか。

でも私は観てみたいです。「あの監督がもしあの名作をリメイクしたら!」

私も含め、マニアの皆さんが誰しも考えるのがこれ。
[黒澤明の「ゴジラ」]!

オリジナルで宝田明が演じた役は三船敏郎で、(ゴジラに勝っちゃうかも・・・)
オープニングはゴジラに滅ぼされた東京。主人公の回想で始まったりして。不気味な前兆からゴジラ出現、人類との攻防・・・スピルバーグの「宇宙戦争」もかくや、という絶望感。それでもゴジラに立ち向かおうとする人類の強さ。二つの種が生き残りを賭けて激突する、叩きつけるようなヒューマニズム!どうです?観たくないですか?

これもよく言われる
[アルフレッド・ヒッチコックの「エイリアン」!」

宇宙船ノストロモ号の中に甦る、「サイコ」の恐怖。「鳥」で見せた怪物襲撃のリフレインが完全生命体エイリアンによってもたらされます。
おそらくヒッチコック版では、シガニー・ウィーバーはジャネット・リーと同じ運命をたどることでしょう。

そしてこれはテレビ作品ですが観たい
[石井輝男の「必殺仕置人」!」

これはもう、何十年妄想し続けたでしょう。
「カルトの帝王」石井輝男と演技の打ち合わせをする「愛しの」念仏の鉄、山崎努!
謎また謎の展開、魅力的なヒロインに絶対的な悪、そして誰も思いつかない意外な結末。さしもの鉄もキリキリ舞いするんだろうなー。まずまちがいなく必殺シリーズ屈指の異色作となるでしょう。

でもこんな事を考えていたら、ここに出てきた名監督、どなたももう居ないんですよね。
つくづく鬼門に入られた名匠の多い事に気付かされます。
話題やイベント性でなく、名前で勝負できる巨匠の登場に期待したい、今日の私でした。

2006年6月27日 (火)

ガメラ対オタクイーン

「必然たり得ない偶然はない!」と銀河万丈氏ものたまわれている通り、タイトルのお話をするきっかけに出会ってしまいました。

Photo_17 貴重な梅雨の晴れ間の一日、いつものウォーキングで通る公園の道に「それ」は待っていました。一目でそれとわかるシルエットは・・・

1_1 2_3 ご期待通りの「カメ」さんでした。なんでこんなところに。まあこの公園は池が近い自然公園なので、カメが「ウォーキング」していても不思議じゃないのですが。「これは私にガメラについて書けという、永田雅一さんのお告げ?」という訳で、記念写真に納まってもらいました。寝てたのかな?ちょっと眩しそうなお顔も可愛らしい。

「ガメラ対大魔獣ジャイガー」がガメラ映画初体験の私。思い入れもハンパじゃありません。ダイエット中のスローガンは(脂肪を)「芝公園に落とす!」でしたから。
私が親しんだ、昭和から最近の平成ガメラ映画までを振り返ると、まず思い出すのは「視点の多彩さ」でしょうか。ガメラ自身が回転ジェットで空を飛ぶ為、視点にバリエーションが出来、飽きさせない。「ガメラ 大怪獣空中決戦」を観たとき、これはゴジラじゃ出来ないな、と思ったものです。歩く、吼えるといった動きに限定されるゴジラに比べ、文字通り「陸・海・空」を自由に動ける訳ですもんね。

Photo_18 対戦怪獣も特徴を際立たせた者が多く、一頭として似た者が居ないというのも子供には分かりやすかったです。そして何よりも、ガメラをはじめとする怪獣たちの能力がまさに「怪獣類」としか言いようのない「超能力」ぶり。

甲羅から火を噴き空を飛び、火炎を吐くガメラ。
万物を焼き尽くす虹色の光線と、逆に凍らせる冷凍光線を操る
バルゴン。
マッハ3.5で空を切り裂き、300万サイクルの超音波メスを発射する
ギャオス。
合体、巨大化してガメラと対峙する「宇宙人」バイラス。
頭から手裏剣(!)をも発射する「ジャンプする包丁」ギロン。
どう考えたって飛びそうもないデザインなのに、左右のエラをブースターのように使って500メートルもの大ジャンプを決め、あまつさえガメラの体に卵を産みつけるジャイガー。
人間の脳波をコントロールし、細胞活動停止光線を発射する
ジグラ・・・

いわば怪獣そのものが「超兵器」ですよこれは。

こんな怪獣達に負けていない人間側ですが、ガメラシリーズに際立つ特徴は、怪獣を生物として捉え、弱点を想定した点でしょう。
太陽光線に弱いギャオスを外にクギ付けにする為、好物の血液のダミーを使って呼び寄せ、首が後ろに回らない構造を逆手にとって、血液の台座を回転させる作戦には唸らされたものです。加えてこの「対ギャオス」なんて、映画の王道「タイムリミット戦」ですから盛り上がらない訳がない。
「怪獣を倒す」事にドラマの全てが収束していく組み立てはスピード感にあふれ、楽しさいっぱいのエンターテイメントとして、今も愛してやまないシリーズです。

昔、「ガメラ対深海怪獣ジグラ」(1971年)を観に行った時の「事件」も忘れられません。
あろうことか私が見に行った劇場では、「呪いの館 血を吸う眼」(1971年東宝)との同時上映だったのです。今考えてもあり得ない2本立て。
同級生の友人と2人で行った怖がりの私。「対ジグラ」を観た後、どーしても「眼」が観たいという友人に付き合ったまではいいのですが、怖くてスクリーンが直視できない。
怖がる私を元気付けようと、心優しい友人は上映中、劇場の中で大声で叫びました。

「さあみんなでガメラ音頭を踊りましょう!」

当然の事ながら他のお客さんからは非難ゴウゴウ。
誰にでもある「昭和」のほろ苦い思い出です。今は遠い地で暮らしている友人ですが、いまだに交流があります。

ちょっと長話になってしまいました。ごめんなさい。
そういえばウォーキングの行きに出会ったあの「カメさん」、帰りに見たら影も形もなかった。その時私の目には、回転ジェットで飛び去ったカメさんの姿が見えたような気がしました。きっとそうですよね、湯浅、金子両監督。

2006年6月26日 (月)

禁断のゴジラ映画

今日は少し怖いお話です。
最近噂で聞いた学説ですが、過去に公開されたある映画に特殊な細菌が仕掛けられ、公開時に劇場で観た観客にはスクリーンから散布されたその細菌により、一生その後遺症が残るというもの。「リング」の呪いのビデオよりたちが悪い。
学説を発表した生物工学学者の重沢博士はこう語っていたそうです。
「日本でだって三千年前のハスの実に花を咲かせたじゃないか。」さすが重沢博士。凡人にはまったく理解不明のお言葉。

気になるその映画のタイトルは「キングコング対ゴジラ」。1962年に公開され、空前の観客動員数を記録した怪獣映画の決定版です。そしてその細菌の名前は「菌ゴジ」!観る者すべてを一生、「怪獣映画依存症」にしてしまう恐ろしい細菌だそうです・・・なんてね。

まあ、こんなところにしましょうか。それにしたって事実、この映画についていったいどれだけの人達が語ったでしょう。今この時間にだって、世界中の何人がリスペクトの記事を書いているでしょう。この「キングコング対ゴジラ」に関して言えば、おそらくゴジラシリーズの初作「ゴジラ」よりもファンは多いのではないかと思うのです。
東宝映画創立30周年記念の超大作。アメリカのモンスター「キングコング」をゲストに迎え日本代表「ゴジラ」との夢の対決を実現させた、リメイク不可のドリーム・ムービーでした。

冒頭の一文だって、あながち作り話とは言えません。あの映画との初対面が劇場だった人なら、「菌ゴジ」に感染した自覚症状があるでしょう?
この細菌の恐ろしいのは「一生もの」という所です。しかも潜伏期間はゼロ。すぐに発病します。そして年を経るに従って、作品の素晴らしさについてますます語りたくなってくる。グッズを集めたくなってくる。他のゴジラシリーズと比べるゲージになってしまう。非常にやっかいな病状が持続するのです。なぜ分かるのか?私も感染者だからです。

1962年の初公開時には間に合わなかった私。初めて観たのは1970年のリバイバル公開「東宝チャンピオンまつり」の時でした。
私もこのブログで関連記事を書いた事がありましたが、生まれて初めて観た映画が「ガメラ対大魔獣ジャイガー」だった私に追い打ちをかけ、一生抜けられない「怪獣オタク」にしてしまった作品こそ、この「キングコング対ゴジラ」。本当に罪な映画です。

観た当日の事は、まだ昨日の事のように思い出せます。幼い日、母に連れられて入った映画館。リバイバルとはいえ、第二次怪獣ブーム前夜のゴジラの人気はすざまじく、客席は立ち見が出る始末。通路に立ってかかとを上げ、食い入るように画面を見つめる私の、「目」ではなく「全身」にそれは襲いかかってきました。
それまで雑誌やテレビなどで見たどのゴジラとも違う、堂々とした体躯。劇場に響き渡る、このゴジラ独特の「ちょっと低めの」鳴き声。
数あるゴジラのデザインの中でもこのゴジラ「キンゴジ」は、ひときわ異彩を放つデザインでファンの人気もダントツの「名優」。まさに孤高の一頭と言っていいでしょう。私はよりによってスクリーンでのゴジラ初体験を「キンゴジ」でしてしまったのです。

その時の私の感動たるや、修飾語抜きで「天地がひっくり返るような迫力」。ゴジラが、キングコングがスクリーンから転げ落ちてくるんじゃないかと思う程。自分の心臓の鼓動が、コングの故郷、ファロ島のドラムのリズムとユニゾンしている!とでも言えば分かっていただけるでしょうか。日本映画最高の時期に、円谷英二が盟友、本多猪四郎と組んで作った怪獣映画の傑作は、幼い子供に一生もののトラウマを残したのでした。

後々考えても、この「キンゴジ」とのファーストコンタクトは仕組まれていたんじゃないかと思うほどです。今でもこれを越える怪獣映画というと・・・ちょっと考えてしまいます。
まあ言ってみればこの「キンゴジ」 、すごい所ばかり。
初公開時の観客動員数は1,255万人、ゴジラ映画史上第一位の「勤ゴジ」だし、
シリアスとコメディのバランスがとれたストーリーは「均ゴジ」で、
ゴジラの造形も太めながら動きは俊敏な「筋ゴジ」 
思わず敬い慕う「欽ゴジ」なんてね。
これほどのトラウマを残す映画ですから、劇場でもしこの「キングコング対ゴジラ」がリバイバルされたら、ご自分のお子さんを「怪獣オタク」にしたくない皆さん、
この作品だけ連れて行かない「禁ゴジ」にするのが賢明です。
ちなみにビデオ、DVDはスレスレOK。未見の方、一度ご覧下さい。

Photo_15 2_2 写真は部屋にあった、マルサン商店の「ゴジラ」復刻プラモデルその他。
メーカーの遊び心で金メッキの「金ゴジ」仕様にしてあります。
とは言っても映画の「キンゴジ」の体色は真っ黒ですが。

2006年6月25日 (日)

青の円谷、赤の小津

昨日とはうって変わって、気分も萎える鉛色の空。いくら梅雨とは言っても、せっかくの日曜日がこれじゃあね。こんな日は部屋にこもって、好きな映画のお話でもしましょうか。

せめてこんな日には、「青空」の事でも考えたいもの。ところで皆さんは「青空が印象的な映画」と言うとどんな映画を思い浮かべますか?
偏ったジャンルを愛する私が真っ先に浮かぶのは「東宝特撮映画」の数々。(またか)。
それも、円谷英二特技監督が特撮を手がけた一連の作品ですねえ。
お好きな方ならきっと頷かれると思います。ゴジラやラドン、モスラなどの怪獣が暴れまわる精密なミニチュアセットのバックには、いつもピーカンの青空が広がっていました。それがパノラミックな迫力と、ある種の清潔感をかもし出していたと思います。

本邦初のカラー怪獣映画「空の大怪獣ラドン」(1956年)で、初めてカラー特撮を手がける事になった時、当時のカメラマン有川貞昌さんは、カラーフィルムの選定にかなり悩まれたそうです。国産、海外のフィルムの特性を調べ、研究した上で有川さんが東宝に進言したフィルムは海外ブランドの「イーストマン・コダック」。
このフィルムは私が見た感じ、全ての原色をより発色良く再現する特性があるようで、ある種当時のカラーブロマイドに見られる「人工着色風」の色使いが「明るく楽しい東宝映画」の雰囲気にとてもマッチしていました。事実「総天然色」と言えばあの色合い、としか考えられないですもんね。実際、1984年に復活した新作「ゴジラ」の色合いの寂しさにはちょっとした落胆がありましたから。あれは絶対イーストマンじゃないですよね。
ただ、実際撮影現場では有川さんらスタッフのご苦労は大変だったそうで、「現像済みのフィルムに色がついていてビックリした」ぐらいの初めてづくし。やはりどんな事も最初は試行錯誤の繰り返しなんですね。

ここで面白いお話があります。結果としての「青空」が映画の清潔感に貢献した円谷特撮に対し、「イーストマンの空は青みが強すぎる」として、自身がカラー作品を作る際、別のフィルムを採用した映画監督がいました。
黒澤明と並んで日本映画を代表する監督、小津安二郎です。
彼は晩年制作のカラー作品に、海外ブランドの「アグフア・カラー」フィルムを使いました。これは小津と長年コンビを組んだ名カメラマン、厚田雄春の助言によるものだそうですが、全体に赤の発色にその特徴を示すこのフィルムは、「ローアングル」「セリフのオブジェ化」など独特のスタイルを貫く小津演出に、新たな特色を付け加えたようです。

小津のカラー作品第2作、「お早よう」(1959年松竹)を見てみたら、いやースゴイスゴイ。
画面のどこかに必ず「赤」が配置されていました。こたつ布団、女性の上着、照明カバー、ふすまの色から洗濯物のタオル、果ては郵便受けの屋根に至るまで、書き出したらキリがありません。読んでる貴方、「そりゃ今出てきた物は赤くても不思議じゃないでしょ」とお思いですよね。ところがそこが「アグフア」ですよ。目立つんですよ。 「赤の発色に特徴」とはこういう事なんだなーと、あらためて感心。
言ってみれば「女性の顔は紅で華やかになる」この感覚が近いかな。画面のアクセントとして絶妙のバランスを保っているんですね。
さすが名匠、色彩設計も天才的。笠智衆、佐田啓二、久我美子など一流キャストを配しての演出もすばらしい。でも他の小津作品に比べ、軽い作風で好感が持てました。なんといっても出てくる子供がみんな、かわいい。

一口に映画と言っても、作品のテーマやスタイル、監督の主張はフィルムのブランドにまで及んでいるんですね。そんな事を改めて知らされた日曜日でした。ところで私、フィルムのブランドの事でひとつ気になってる事があるんですが。

1975年制作の東映映画「新幹線大爆破」。今でもたまに観る大好きな映画ですが、
タイトルバック「新幹線大爆破」の文字の右下に出ている「富士フィルム」の文字。
あれ、少し大きすぎませんか?
いつもあのタイトルで「新幹線大爆破富士フィルム」と読んでしまうんです。私だけ
?

2006年6月24日 (土)

アンバランス・ゾーンの使者

土曜日の銀行。人気のないATMを操作する私の隣に立った一人の女性。
後姿から想像すると40代。厚手のスーツがちょっと暑そう。しかし体のバランスが・・・
これから数分。あなたの目はあなたの体を離れて、
この不思議な時間の中へ入って行くのです。

このブログを書いていると、事件の方から私を狙って飛び込んでくることもしばしばあります。ネタとして大歓迎なんで、そんな事があると嬉しい限りなんですが、今日の出来事はまさに「直球ど真ん中」のネタ。
ご想像の通り、「彼女」はまず間違いなく「女装者」。身長も低く、足のサイズも小さいので羨ましい限りなんですが、残念ながらウエストのくびれがない。女性特有の丸みがないんですね。きわめつけは普通より一回り大きな「頭」。「ご同業」の私が見てもキャリア10年前後のお方でしょう。
皆さんにお聞きしたいんですが、街で「女装者」に出会った事ってありますか?例えば夜の盛り場などでそういうお仕事に従事されている方々をお見かけすることはあっても、昼間の銀行、隣り合わせたATMで出会うなんて事があるなんて。これは奇跡的に確率の低いことなんですよ。

ATMに向かう「彼女」の顔は、シールドに隠されて見ることができません。たまたま同じタイミングで操作が終わった私は、「彼女」を追うように銀行を出ました。
その時の私はノーメイクなので髭も隠さず、髪を後ろで束ねてTシャツにGパンといういわば「男バージョン」。「彼女」の方からは「同類」には見えていない筈です。後を追ったのでまだ顔は見えない。こういう時はドキドキしますね。反対側から自転車で向かって来たおばさんが、「彼女」とすれ違った途端に顔を確認するため後ろを振り向きました。ちょっと驚いた様子。期待が増します。そして事態は急展開を迎えました!

「彼女」は突如きびすを返し、私の方へ歩いて来たのです。暑さにまゆを寄せたその顔は・・・
「微妙」。
お年のせいもあるでしょうが、(ゴメンナサイ)「こういう人いるよね」というレベルのお顔。
その意味で「上級者」なんですよ。
私は「彼女」にぜひ声をかけてコンタクトを試みたかったのですが、こういう時、同類の気持ちは千千に乱れるものなんですね。
「声をかけたいけど、かければ「バレてる事」を彼女に知らせる事になる」でしょ。
言わば「親近感と遠慮の葛藤」が私を襲うわけで。

彼女はATMでやり残した事があったようで再び銀行に姿を消しました。取り残された私。
結局、声はかけられずじまい。ご期待に添えなくてすみません。

「彼女」に限らず、私にしたって普通の方から見れば「異世界・アンバランスゾーン」の住人なんでしょうね。精神と肉体のバランスは崩れてるし、無理やり女性の服を押し込んでる体は男だからバランスがおかしいしね。バレてるのは当たり前で、まわりの人は関わり合いになりたくないか、今日の私みたいに葛藤したままタイミングを逃すかね。
本当に「彼女」の姿は自分の鏡のようでした。後悔先に立たずだけど、やっぱり声をかけてお話したかったなー。
同じ「アンバランス・ゾーンの使者」として。

不思議なことに今日は、ちょっと楽しい気分になりました。結構居るんですね。私のような存在は。女装が「余暇の息抜き」なのか「人生の命題」なのかは別としても。
かえって自分たちが「ちょっと特別な存在」に思えたりして。
ネイティブの女性に比べれば「バンカーから始まった人生」だったとしてもね。

年々、女装者は増え続けているそうです。
あの人も。あの人も。あの人も・・・
貴方の隣の女性、その方も「男性」かもしれませんよ。

(「Q」ファンには読めたオチかな?)

2006年6月23日 (金)

スッピンの心

「あーもう、来月でまた一つ歳とっちゃうよー。どーしよー」女性上司の声が部屋に鳴り響く午後5時15分。「女子社員」4人で過ごす夕方のまどろみの時間。
もうすぐ6月も終わり。早いもので私が女性として仕事を始めてからもう1年と2ヶ月が経とうとしています。

仕事を覚える事から始まり、女子社員としての立ち振る舞い、言葉使い、社内のスタンスに至るまで、初めてづくしのこの1年。私の内部でもいろいろな変化がありました。それを実感したのは、先日行われた祖父の十三回忌でした。
さすがにその日は「男バージョン」で出かけたのですが、そこで叔母に言われた一言。
「あんた明るくなったねえ」。

法事で「明るくなった」というのも何ですが、まったく予想していなかった言葉に苦笑するしかありませんでした。私はいったいどう変わったんでしょうか。
きっとそれは「自分に素直に生きているゆえ」の明るさだと、いい方向に解釈しました。

確かに私の場合、女性として仕事をしていると、男性の頃に比べて感情を押し隠したり理知的に振舞う場面が極端に減ったことが実感できます。その代わり、仕事を進める上で「明るさ」「周りとの協調性」「ソフトな人当たり」などがこれほど重要なのか、という事がわかってきました。そしてその全ての根本にあるのが「素直さ」。

何かをしてもらった時の「感謝の気持ち」
自分が悪かったときの「謝罪の気持ち」
仕事がうまく行ったときの「嬉しい気持ち」などなど、
男の時にどこかでこだわっていた「こんな事ぐらいで感情を表に出しては」という意地がこの一年で、どこかへ溶け去ってしまったようです。
そして残ったのが感情をそのまま表へ出す「素直な気持ち」なのでしょうか。
今までの自分がいかに「男らしさという虚像」に振り回されていたかを思い知りました。

確かに「感情を表に出すのに男女は関係ない」とも思います。
私の場合は女性として仕事をしてみて、初めてその事に気がついたわけです。
遅いですよね。つくづく愚かだと思います。(別に何か失敗した訳じゃありませんよ。加えてここはPHPでも、いんなあとりっぷの誌面でもないですから)

ずいぶん前、こんな出来事がありました。
私は雨が降らない日はミニバイクで通勤していて、駐輪場に停める事もあったんですが、ある日、駐輪場の自転車が将棋倒しになっていて、倒れていない私のミニバイクが「ストッパー」になっていたんです。私がバイクをどかせば自転車は全部倒れちゃうし・・・立ち尽くしていたところへ、通りかかったスーツ姿の男性が自転車を支えてくれて、将棋倒しを直すのまで手伝ってくれたんです。
素直じゃなかった私は自惚れもあって「どうせ下心があるんだろう」ぐらいに思っていたんですが、彼は名前も告げずに立ち去っていきました。
私は心底恥ずかしくなって彼を追い、素直にお礼が言えたんです。

以前の「男の私」なら、会釈ぐらいで済ませていたでしょう。彼に礼を言わせたもの、それが今の私を動かしているのでしょうか。
その後、通りかかった駐輪場で似たような場面に出くわした事もありました。その時やっぱり自然に体が動いて「大丈夫?」とか言っちゃうんですよね。いやーびっくりした。自分の素直さに。

「レディースの服を着れば心も女になる」なんてよく言います。でも私にはそうなるまで1年かかりました。本当の意味で「女性らしさ」を身につけるにはまだまだですが。
それには心の「素直さ」が大事。と言い聞かせてます。いつも気持ちは「スッピン」が一番。

顔の化粧は上達しても、心の化粧はしたくない。
そんなとこかな。(なんて言ってて素直になれない所もあるんですが)

2006年6月22日 (木)

その言葉「怪獣」につき

今日仕事で「スポラディックE層」という言葉に出会いました。
なんでも地球の大気中に発生する層だそうで、今の時期、中国大陸からの電波がこの層に反射して、日本のある地域のテレビ電波に干渉し、影響を及ぼすというもの。その為少し放送に障害が出ます。といった告知を収録したのですが・・・
言葉の説明はともかく、なんか「カッコ良く」ないですか?この言葉。

一番多感な時期を怪獣ブームの真っ只中に過ごした私は、この手の「科学的単語」にすごく怪獣映画的テイストを感じてしまうのです。高橋信之氏・池田憲章氏の共著、「ウルトラマン対仮面ライダー」にも書かれていることですが、「初期ウルトラシリーズ」にはやはり擬似科学的単語が多く、当時の子供たちをしびれさせたものでした。
ウルトラシリーズ第一弾の「ウルトラQ」にして、早くもそんな単語が続出。番組に独特のムードを与えていたのです。

「甲状腺ホルモン」のバランスが崩れ、異常な発育をしてしまった巨猿、ゴロー!

ガラダマの飛来により大気圏中に起こる「デリンジャー現象」!

地底怪獣パゴスを粉砕するべく発射される「ネオニュートロンミサイル」!

2020年の世界から地球を襲うケムール人。「Kミニオード」によって増幅された「Xチャンネル光波」が夜の闇を切り裂く!

「シナップスの破壊現象」により、精神と肉体が分離した悪魔っ子リリーを探知するべく「超短波ジアテルミー」を携え、現地に赴く万城目一行!

番組を彩る魅惑の単語の数々。
意味は判らなくても、なんとなく伝わってくる「ああこれはスゴイものなんだ。ここで起こっている事は大変な現象なんだ」という感覚。虚実取り混ぜた「造語」も多いですが、これこそが初期ウルトラシリーズの未来感を増幅させていたと感じるのは私だけでしょうか?
(今日もオタクトーク爆発だなー。ちなみに今聞いているBGMは皆さんの予想通り「ウルトラQ総音楽集」です。)

例えば冒頭の単語なんかはこんな感じになるかな。

「一の谷博士、空から現れたあの生物はいったい?」
「うむ。
スポラディックE層の異変により、電離層に発生した特殊な空間から現れた生命体だろう。もし、万城目くんたちがあの空域を飛んでいたとしたら・・・」
「博士、淳ちゃんはどうなるんですか?」
「心配だ。君、宇宙局にすぐ連絡してくれたまえ」

ありそうな感じでしょう?お好きな方なら会話の主はすぐわかる筈。
ちなみに私、オタクイーンは「由利ちゃん」役を演りたいです。こういう単語に無意識に反応してしまうあたり、さすがに「業」を感じますねー。
Photo_14 今日は「ウルトラQ」の主人公、万城目淳(佐原健二)、第一話「ゴメスを倒せ!」で競演したゴメス・リトラにご登場いただきました。なんかこの並びだと万城目君が怪獣のボスみたいだけど(笑)。

学生時代、地球の内部を解説した授業で、「マントル対流」って単語が出たときも興奮しましたねー。来月公開の「日本沈没」、豊川悦司はちゃんと説明できるのかな?

「鉄」に背骨を折られたい!

隣のテーブルに見えるのは、エアコンの水漏れを直すおじさんの足。そんな光景が広がるいつもの喫茶店。私は先輩の彼女とネットの話で盛り上がっていました。
「ネットで見よう韓流ドラマ」(だったかな)そんな本を大事そうに抱えた彼女はイ・ビョンホンの大ファン。彼が先日出演した「徹子の部屋」もしっかりチェックして、韓国ドラマファンのブログチェックに余念がないのでした。

「好きな俳優」なんて他愛のないお話ですが、私にとっては仕事を決める上で重要な関わりをした人物。話すには襟を正さずにはいられません。
その彼の名は「山崎努」。

黒澤明監督の「天国と地獄」で鮮烈な銀幕デビューを飾った個性派俳優、山崎努。
最近ではTBSドラマ「クロサギ」で渋い演技を披露、健在ぶりをアピールしています。
しかし私が彼にハマったのは、今を去ること29年前の1977年。大人気テレビドラマ「必殺シリーズ」第10弾「新・必殺仕置人」でした。

必殺ファンにはいまさら説明の必要も無いこの番組。低迷するシリーズテコ入れの決定打として復活した「仕置人・念仏の鉄」は、必殺の顔「中村主水」こと藤田まこととの最強タッグを見せ、視聴率上昇の起爆剤となったのでした。一流のキャスト・スタッフが生み出す珠玉の作品群全41話に駄作と呼べるものはゼロ。まさかこれが必殺ファイナル?とのファンの心配をよそに、みなさんご存知の仕事人ブームの架け橋となったことでも有名。ファンの間では中期必殺の最高傑作との呼び声も高いのです。

ハード路線の「仕置人」の中でも群を抜いて高い人気を誇る「念仏の鉄」。その魅力は数え上げればキリがありません。
昼間は骨接ぎを営み、闇の組織「虎の会」に籍を置く凄腕の仕置人。
自分の指を凶器と化し、一瞬で敵を仕留める必殺技「背骨折り」の冴え。

そして何よりも、自分のルールを曲げないハードボイルドな生き方が、私の心を捉えて離しませんでした。事実彼が、正義の為に仕置を行った事など、シリーズ全体を通じて一話もないのです。

自由人という顔を見せながらも、ストイックなまでに自分の生き方を貫く鉄の姿に、私は自分にないヒーロー像を見たのでしょう。後年、この作品を超えるテレビドラマに出会えなかった私に、「だったら自分で作っちゃえ!」と、ディレクターの道を目指すきっかけを与えてくれた作品でした。そんな私の背中を押してくれたのは誰あろう、「山崎努」その人。

4枚の便箋にビッシリと書き込まれた「鉄の役作り」についての質問。すぐ行動に移すタイプの私は、山崎氏本人にファンレターを送りました。忙しい俳優さんに手紙を出したところで返事なんかもらえないだろうと諦めてもいたのですか・・・
数日後の夕方、郵便受けを覗いた私は、驚愕の声を上げたのでした。
住所まで明記されている、山崎氏直筆のご返事。ご丁寧にも便箋2枚に綴られた手紙には、「鉄」についての思いがビッシリ。またこれがいかにも「ドラマ収録の休憩中に急いで書きました」って雰囲気で、加筆訂正しながらの書きっぷりもいかにもあの人らしい。この手紙を書いた右手で「背骨折り」(嗚呼)!後年、「鉄」の可動フィギュアを入手した折についていたご本人のサインと、手紙の筆跡が同じと判った時、さらなる感動が私を駆け抜けました。
単純な話、この手紙一通で私のディレクターへの道が決まったようなものです。
面白いドラマへの道のりはまだまだ遠いですが、私は諦めてはいません。
そして彼、「鉄=山崎努」は、私の永遠のあこがれ、理想の彼氏となったのでした。

手紙の中身を見たいって?ダメダメ。大事なラブレターを簡単に見せられません。
でも中身は「濃い」ですよ。けっこう読み応えあります。なにしろご本人の弁ですから。
ああ、必殺ファンのどよめきが聞こえる!

ところで「虎の会」って、仕置人の指名ってできないんですかね。私だったらまちがいなく
「観音長屋の鉄さん」指名。で、自分を仕置してもらうっていう。
まさに理想の死に方。
「ゴジラに踏み潰される」より「鉄に背骨を折られたい」!

2006年6月20日 (火)

スーパーで恐怖の「アハ体験」

ショッピングカートには「待ちに待った」メグミルクコーヒー牛乳1リットルパック、12本。
ここ数日、探していたんです。
部屋に居て欲しい物がないとパニクる私は、お気に入りの食べ物、飲み物を大量に買いだめする癖がありまして、しかもその数ゆえ単価にはシビア。今日は仕事帰りのいつものスーパーで、「1本99円」の直球価格につられて、夢の12本買いとなったのでした。

ほくほく顔でレジに並んだのはいいのですが、その時にわかに感じた不穏な気配。後ろに殺気!振り向けば、私の後ろに並んだおじさんが、異常に私に接近しているのでした。
その体感距離、10センチ!

おじさんは謎と恐怖の入り混じった表情で私の姿を凝視。その形相はまるで、
「日本沈没」(1973年東宝映画)の序盤、日本海溝の底で深海乱底流を発見した小林桂樹そのもの。
いやー久しぶりの視線。私のような人を見るのは初めてだったんでしょうねー。

昔の私ならその視線に耐えきれず、カートを押してレジ待ちの列を離れたところですが、今の私は「職業婦人」。(表現が古すぎるか)すかさずおじさんに「目で」言いました。

ここで問題です。貴方の前に居る人物、今、体のどこかが少ーしずつ変化しています。
さて、分かるかな?

最近話題の「アハ問題」。さて、おじさんは私の変化に気がつくのでしょうか?

「女性の姿」で外出を志した頃の記憶は、私のような生き方をする人達なら誰でも覚えている筈です。TPOを考えず、「着たいから」という理由だけで選んだ服(ほとんどの方はお水スーツが多いですよね。私も(笑)をウキウキで着込むのはいいのですが、部屋の玄関で足が止まる。ドアが開けられない。一歩が踏み出せない。フリーズ状態の平均時間30分(いいかげんなデータですが)で、「今日はよそう。いつか・・・」
ま、だいたいそんなとこです。私も何十回経験したことか。
でも、「いつか」って永遠に来ないんですよね。今日を「いつか」にしないと。
で、「悪い事してるわけじゃなし」と思い切ってドアを開ける。

私はいったい何のドアを開けてしまったんでしょうか。その時、確実に人生は「次のページ」になったのでしょう。

あの日からもう10年以上。メンタルな部分に外見を合わせるまでに、随分遠回りをしたような気がします。でも年相応の格好にはなかなかなれない。
「生まれてから人生ずっとレディースファッション」の女性は、年相応のセンスが磨かれるのですが、「ある年齢まで男物しか着た事がない」私などは、まったくの初心者なんです。その為、妙に若い格好になってしまう。同じ年齢の女性が磨いてきたファッションセンスに、後から女性を始めた私が「早送りで」で追いつこうとする訳ですから。女性の10年分の着こなしを2年ぐらいで卒業しなきゃならない。まだ今は勉強の途中です。
でもそれはものすごく楽しいことなんですよ。

最近はスカートの方が慣れちゃって、「夏は涼しくていーわー」と、スーツ姿のサラリーマンを横目に通勤してます。ただスカートも良し悪しがありまして、私はここ数年「スカート焼け」に悩んでます。要はスカートから出している部分の足だけが日焼けする、という奴。女性の皆さん、どう対処されてますか?やっぱり日焼け止めオイル?
でもこんな事を話す私も度胸だけはつきましたね。やっぱりこの格好で「仕事してる」事実は強い。へんな目で見られても「なんか文句ある?」って感じで。あまりふてぶてしいのも良くないけど、なんとかネイティブの女性のみなさんに追いつこうとしています。

さて、冒頭の「アハ問題」皆さんは分かりましたか?
男性の皆さんはすぐお分かりでしょうね。夕方は伸びが速いんですよ。
あー顎がかゆい。

「ブルームーン」で会いましょう

昨日の舞台の事がなぜか頭から離れません。出演者の旧友や、お知り合いの方々からもコメントをいただき、「映画、ドラマ時々舞台オタク」の血は騒ぐばかり。こんな時つい観てしまうのは、愛してやまない石井輝男監督の傑作「黒線地帯」(1960年新東宝映画)。
(ここであきれた貴方も相当な好き者ですね。)

「網走番外地」という傑作を残し、昨年他界された「カルトの帝王」石井監督が、大蔵貢の悪名(?)高き新東宝映画でメガホンを取ったアクション・サスペンスの傑作です。この時期の新東宝映画ならではの、「無駄な部分が一切無い、見せ場の塊」のような作品。
なにしろ社長の大蔵貢による上映時間の制限(一本75分と言われた)や、「見世物に徹する」作品の選定によって、芸術大作など生まれようも無かった土壌の中で、「天才」石井輝男が作ってしまった「アクションの芸術映画」だから、ある意味奇跡のようなものですよこれは。(といって芸術性云々の話で必ずやり玉に上がる、鈴木清順とはおそらく対極にある作風ですが)

お話は簡単で、秘密売春組織を探る事件記者がコールガール殺人の濡れ衣を着せられ、警察に追われながらの逃避行の末、真犯人を突き止める、というまあ「よくあるストーリー」。ところが、私この映画を(ビデオでですが)少なくとも20回以上は観ています。要はこの映画の魅力はストーリーじゃないんですね。

黒澤明監督があるインタビューの中でこんな事を言っていました。
「映画は他のどんな芸術に近いか。あえて言えば音楽だね。」
リズム・緩急・セリフというメロディーを奏でる出演者、そのハーモニーが作品を形成するのでしょうか、おそらく私もこの「黒線地帯」が「好みの一曲」なんでしょうね。
一つ一つのシーンを挙げればキリがありません。朝目覚めた主人公(天知茂)が隣で死んでいるコールガールを発見し、部屋を逃げ出してから警察の検死シーンに繋がるスマートなカット割りや、一緒に逃避行を続ける女性(三原葉子)との、バス停でのサスペンスなどは、石井監督の才気がほとばしる名場面。(文章で説明しないのは、ヒッチコックの演出を言葉で表現できないのと同じです。)

出演者も一人一人が「キャラ勝負」の個性派揃い。そういう点でも今ではこんな布陣は組めないだろうなと思います。(平成ガメラの樋口特技監督の言葉を借りれば「全員トンカツ」状態。胸焼けしそう)。それでいて後味が悪くないのは、やはり石井監督の名シェフぶりゆえなのでしょう。
中でもビリー・ワイルダーとマリリン・モンローのごとく、おそらく石井監督と組んで最高の輝きを見せた三原葉子がすばらしい。いやらしくなるギリギリの所で観客の頬を緩ませる演技の軽さは、おそらく彼女天性のものでしょう。彼女は私のあこがれの女性でもあるんですよ。

Photo_13 そして石井監督がインタビューの中でも言っている「思い切った飛躍」「余分な部分のカット」がこの作品では生かされています。最低限の説明で観客にはもう十分。といってアーティストのプロモ風「スタイリッシュ」な映像とは違います。整合性スレスレでお話も成立しているんですよねー。とにかく「映画のおもしろさをギュッと詰め込んだ」作品です。後年の「黄線地帯」も好きだけど、私はやっぱりこっちかな。

素朴な疑問なんですがこの映画に限らず、新東宝映画にはたまに「ブルームーン」という名前のクラブが登場します。敵のアジトだったり港町の遊び場だったり場所はまちまちですが、スタッフのたまり場の名前だったんでしょうか?私は新東宝映画なき今でも、旅先などで「ブルームーン」を見かけたら、お店のドアを開けてみたくなります。
中ではドキドキワクワクの、アクションサスペンスの世界がありそうで。

2006年6月18日 (日)

観る側、演じる側、演じさせる側

「本番前」最後のウォーキング1.6キロの絞り込みに成功。体重測定が終わったボクサーよろしく、ちょっと体にカロリーを与え、買ったばかりの白デニムスカートに足を通せば、「観劇準備OK」。フィジカル・メンタル共、ほぼベストコンディションでの出発。

という訳で行ってきました。
幼なじみが出演する舞台「R.P.G.」。宮部みゆき原作の小説を、劇団一跡二跳の古城十忍が脚本化したミステリー劇でした。
インターネットの世界で擬似家族を演じる男性が殺害され、その犯人を巡って展開される取調室の密室劇。他人同士で構成される擬似家族のメンバーと、男性の本当の家族が取調べという行為を巡ってそれぞれの思いをぶつけ合います。ネット社会の今問われる「人と人とのコミュニケーション」「家族のあり方」がテーマの、骨太の作品。

擬似家族のふれあいに始まり、事件の解決までを2時間あまりの上演時間で一気に見せる、濃密かつスピーティーな展開は、かつてこの劇団が手がけた作品とは一線を画す出来栄えで、その点では拍手を送りたい「意欲作」ではありました。私も上演開始直後はかなりの乗り気、だったのです。しかし・・・

この手の「原作物」については既に存在するお話が脚本化されている訳なので、感想はどうしても脚本、演出寄りの「芸談」に向いてしまいます。その点はご勘弁を。

観終わって思ったのは
「この原作は舞台向きじゃなかったんじゃないの?」でした。

私がまず引っかかったのは、「舞台と客席の遊離感」。舞台の上で起こっている事がライブ感として伝わってこない。それは原作の特徴なのか、またあまりにも演劇としての完成度を高めすぎたゆえの事なのか、「テレビドラマみたい」に見えてしまうのでした。「ビデオで撮影したお芝居を上映しているみたい」で、客席との「呼吸」が重要な、舞台のライブ感が希薄に見えてしまうのです。客いじりがいいとは思いませんが、2時間余りの上演時間中、お客さんのリアクションがゼロ、というのはどうかと。

次に、「時間軸の過剰な操作」。取調室で起こっている「擬似家族」の取調べと、それをマジックミラーの後ろで見ている「本当の家族」の様子が同時進行で展開する構成になっているのですが、これを舞台でやろうとすると、映像作品のようにカットバックでお互いの家族を捉える事ができない為その心の動きを表現するには「擬似家族側」と「本当の家族側」にそれぞれスポットを当て、同じ時間軸を2回ずつ繰り返さないといけない訳です。その他、回想や別の場所の出来事が同じ「取調室」で入り乱れる展開。今日この演出を初めて観た時は斬新なやり方に感心しましたが、何度も繰り返されるのでちょっと・・・
やがてこの時間軸は重なって、取調室と奥の部屋に居る出演者のセリフが絡み合い深い意味をなす展開になるのですが、私などはその前に「勘弁してよ」となってしまうのでした。
この演出は、場面の区切りでメリハリをつける事でうねりにも似た効果が出るのでしょうが、ごめんなさい。メリハリがつく程役者さんの演技が「立って」なかった。

最後にやっぱり「練習不足」かなあ。セリフのミスを言い直すのは舞台に立つ上で誠実な事とは思うけど、会場代とはいえお金を取って上演してるわけだから、その点はプロも社会人劇団も同じ筈。私の少ない観劇経験から言っても、プロはもっと上手くごまかします。
「トチッた」という心の動きが客席にまで伝わってはいけないと思うわけで。

でも、斬新な演出をはじめ、主役の刑事さん、女性捜査官、擬似家族のお母さんなど、「光る」演技にうならされたのも確かですし、幼なじみの演技も好感が持てました。
でもあえて言わせてもらえば「あなたならもっと出来るはず」。
「おまえはいったい何様じゃ」とお叱りを受けるのは覚悟の上。好きだから言ってるんですよ。これだけ言えるのも作品の完成度の高さゆえ。もし関係者の方がご覧になられていたら、観る側の勝手な解釈ですので、ネコのオナラでも聞いたと思ってください。
近々飲みに言った時、この続きはおおいに語り合いましょう。きっと話したかった裏話もいっぱいある筈。ぜひ聞きたいです。

最後にこのお話、テーマは別として「生きていた男」(1958年英 マイケル・アンダーソン監督)がお好きな方は楽しめると思います。原作もぜひ読んでみて下さい。

2006年6月17日 (土)

銀幕に降る雨

仕事の帰り道に突然降り出した。用意していたレインコートのおかげで「被害」は最低限に治まりましたが、この時期、雨具は手放せませんね。

しばらくはぐずついたお天気だそうで、空の明るさでその日の気分が左右される私にとってはつらい「梅雨の日々」。こんな日は部屋に居てもついつい雨の事を考えてしまいます。
今日は、私が独断で選んだ「映画の雨シーン」についてちょっと、お話ししましょう。(かなり偏ってますのでご了承くださいね。)

「雨」と聞いてまず思い浮かぶのが、「七人の侍」(1954年)。
ご存知、黒澤明監督の代表作、日本映画の最高峰です。クライマックス、野武士と侍たちの戦いを盛り上げた、「叩きつけるような雨」。この雨はほとんど人工的に降らせたものでしたが、ラストシーンの撮影時本当のみぞれが降って、画面の効果を高めたそうです。黒澤ぐらいの巨匠になると、お天気も味方するんですね。

海外作品ではアルフレッド・ヒッチコックの「海外特派員」(1940年)が印象的。
雨のアムステルダム、広場で行われる殺人。犯人を追う主人公が詰め掛けた群集の中、傘をかきわけ進む様子を俯瞰で捉えたカットはグラフィカルな美しさにあふれていました。

ヒッチコック作品では「サイコ」(1960年)も心に残る作品です。
会社のお金を持ち逃げした女性、ジャネット・リー。夜、車での逃避行は、彼女のその後の運命を象徴するような「雨」に祟られました。ワイパーの向こうに浮かび上がるのは「ペイツ・モーテル」の文字。殺人鬼アンソニー・パーキンスの登場です。有名なシャワールームの殺人はこの後。すでにここで怖い。

オタクイーンならでは、特撮作品では、「ゴジラVSビオランテ」(1989年)。
クライマックス、人工的に稲妻を起こして高周波を作り分子を振動、過熱する「超大型の電子レンジ」サンダー・コントロールシステムが発動、豪雨の中、ゴジラを追い詰めます。
人類による本格的なゴジラ迎撃作戦に興奮したものです。

「ゴジラ×メカゴジラ」(2002年)では、映画の冒頭、大型台風13号とともに出現したゴジラに立ち向かう、特生自衛隊の最新兵器「90式メーサー殺獣光線車」の活躍が見もの。でも雨の中では光線の威力は半減、ゴジラ迎撃に失敗してしまいます。画面の密度も濃い名場面です。後に続く本編はちょっと・・・(笑)

TVアニメーションでは「ルパン三世」第6話「雨の午後はヤバイゼ」(1971年11月28日放送)
雨の午後、びしょ濡れで部屋に駆け込んだルパンに訪れたのは、助けを呼ぶ女の知らせと「ヤバイ男」お子様ランチ。大隅正秋テイストが楽しめる1本です。ここでは雨は災難の象徴のようですね。

そして最後、私の一押しは「ブレードランナー最終版」(1991年)。
ほぼ全編雨。酸性雨にけむる「なつかしい未来」2019年のロサンゼルスの雰囲気がなんとも。1982年の初公開版ではラストシーンが晴れでしたが、この最終版ではリドリー・スコット監督の意向によりラストも「雨」。ハリソン・フォードのモノローグをカットした処理も含め私はこの「雨に閉ざされた映画」が圧倒的にお気に入り。今でも、こんな雨の日に観たくなる映画のベスト1です。ヴァンゲリス演奏のサントラも大好き。

所で、今日私が思い出した作品って、なんとなく「梅雨の映画」って感じがしないんですよね。「ブレードランナー」にした所で、あの雨は「秋の長雨」ってイメージなんで。
結局「梅雨」っていうのは夏に続く、「開放的な季節の前の雨」なんで、「暗い」「寂しい」という雨のイメージとは少し違うのかもしれませんね。まあ私がそういう作品を知らないだけだと思いますが。

どなたかおすすめの「梅雨映画」を教えて頂けませんか?

2006年6月16日 (金)

バーバラ・ベインにはまだ遠い

・・・視界の隅に3秒間隔でフレームインしてくる、「頭」。私の隣のデスクの彼がうつらうつらと居眠りをしているご様子。まったく。まだお昼前なのに。
昨日お話した仕事の他にも、私はまだいろいろお仕事をしています。今日はその一つ、「デスクワーク」なんですが、このお仕事はちょっと特殊で、2時間以上テレビモニターを凝視するという、ある意味とても集中力を要求されるものなんです。2時間もモニターを見ていれば居眠りをしたくなる気持ちも分かりますが、それじゃこのお仕事の意味がない。どうしようかと考えて、彼に差し出したのは「ミンティア」。これで目を覚ましてね。

彼は20代の青年で居眠りの常習者。以前、私の年下の「先輩」(よく話すあの子)が、居眠りする彼に「寝たらいけないよ」とストレートに注意をしたところ、逆ギレされたとのことで、私も彼への接し方を考えてはいたのです。

そうでなくても女性として勤務する以上、私としてはやっぱり「ソフトな対応」を心がけたいわけですよ。周りはほとんど男性の職場なので、女性に求められるのはやっぱり「職場を和やかにする空気」だと思いたいわけで。実際男として働いていた時も女性スタッフの存在に現場が和むこともしばしばありましたから。
ところが、これが実際「女性」の立場になってみると「むずかしい」。出すぎず抑えすぎず、このさじ加減が実に微妙。最初話した「居眠り」の彼も、声をかけただけで注意されたと思って目を剥かれましたから。私としてはこの後の「笑顔」と「これ、どーぞ」の言葉に精一杯のソフトテイストをトッピングしたつもりなんです。いやー大声で怒鳴るよりむずかしい。

例えば今年のバレンタインデー。一応女子社員なので、男性スタッフ全員分の量を考えて(一人一人渡すと誤解を招くし)「皆さんでどうぞ」と大箱のチョコを持って行ったまではよかったですが、量が多すぎてみんな一週間はチョコ漬けにさせちゃうし、女子社員一年生はそういう事が「右も左もわからない状態」なんですよね。結局はこれも「慣れ」なんでしょうか。

私が大好きな海外テレビ番組「スパイ大作戦」。毎回、不可能とも思える指令を遂行する秘密機関の活躍を描いたアクション・サスペンスの傑作です。その中に、レギュラーメンバーが今回の作戦についてディスカッションする一場面があります。リーダーのスティーブン・ヒルが(私はゴリゴリの第一シーズンファンなので、ピーター・グレイブスはちょっと・・・)作戦内での各メンバーの役割を説明するシーン。マーチン・ランドー、グレッグ・モリスなどスゴ腕のエージェントに役割を説明した後で、「君は・・・」と声をかけるのが紅一点の「バーバラ・ベイン」。彼女はいつもの、片方の眉をちょっと上げたおすまし顔で言うのです。

「みんなの潤滑油になればいいんでしょ。」

ある時は女性ならではのソフトな人当たり、またある時はそのものズバリ「女の武器」を使った彼女のフォローにより、秘密の作戦はあらゆる局面で危機を脱するのでした。まあ、こんな風にうまくは行かないものの、バーバラ・ベインの「女スパイ」ぶりは、私の「気配り魂」の原点になっているようです。

そんな事を考えながら帰り支度をしていた仕事終わりの夕方、女性の上司にちょっと呼び止められました。
「ひょっとして、軽く香水つけてる?」
男の汗の匂いを消したくて、制汗コロンぐらいはつけてますけど無臭なので、「なにか?」と聞いた所、私とすれ違うと甘いいい香りがする、と言われ、有頂天。「チロルチョコ好きですからその匂いでは?」とごまかしましたが、いい香りがすると言われて嬉しくない女性はいません。単純な私は足取りも軽く、家に向かったのでした。
でも、帰ってシャワーを浴びながら良く考えてみれば、「部下のテンションを上げて来週の仕事を乗り切らせる」為の彼女の「気配り」かもしれないな、とか思ったりして。女性ならではのスマートなやり方ですよねー。私なんか全然かなわないわー。

こんな気配り下手な私の悩みをバーバラが聞いたら、なんて言うんでしょうか。
まさか、「成功を祈る!」なんて言わないよね。(それは大平透でしょ)

2006年6月15日 (木)

気分は小姑

「すいませーん」鈴をころがすような声がアナブースに響きます。「うーん、もう一回やってみようか」と私。永遠に続くこの繰り返し・・・

私の仕事の内容をこのブログで書くのは初めてです。今まで書くのを避けていたのですが、今日は「恋するネヴュラ」向きの出来事があったので、差し支えない程度にお教えしましょう。実は私、仕事をいくつか掛け持ちしています。一つは先日のお話「怪しい二人」でお世話になっている会社での仕事。もう一つは「フリーのディレクター」という仕事です。「ディレクター」と聞いて皆さんはどんな仕事を思い浮かべるでしょうか?まあ、そこから先は皆さんのご想像にお任せするとしましょう。とにかく、今日はいつもの「三週間に一回のハードワークの日」。冒頭の光景は今日の夕方、「局内」(一地方局ですが)での一コマです。

「ディレクター」としての仕事の一つに、「ナレーション収録」という物があります。私の作る映像作品は、ロケーションによって「映像素材」を収録するのと同時に、ナレーション原稿をアナウンサーに読ませ、「音声素材」を作って最終的に編集で一本化する工程をとるのですが、今日はその「ナレーション収録」の日。アナウンスブースに篭って、耐えるがごとくの時間を過ごすわけです。

このブログとはまったく違う文体で思い入れたっぷりに書き上げたナレーション原稿。ブティックのPRなど、おしゃれな飾り文句が要求される作品なので、その原稿もファッション雑誌のキャプションのパクリ風。「フェミニンな雰囲気あふれる」一文となります。仕事とはいえ、そのウェアを着ている自分を想像(妄想?)しながら書くのは楽しい。たまにスタッフから「乙女チックだねー。」と言われることもありますが。

さて、「ここまで書いたんだからそれなりのムード出して読んでよね」オーラ出まくりの原稿を読むのがいわゆる「女子アナ」なんですが、これが、「読めない」。
そもそもこういう原稿をアナウンサーに読ませようとする私も悪いんです。「原稿を正確に伝える」教育を受けてきたアナウンサーと、「原稿のムードを汲み取ってそれらしく読む」ナレーターとは、根本的にそのあり方が違うんですよね。映画監督の金子修介さんが、「ガメラ」シリーズでアナウンサー役に絶対タレントを使わなかった事と同じです。
でも、今日の場合はそのレベルの一つ下、「滑舌」が出来てないじゃないのって事だったんです。

「原稿に書いてあるように聞こえない」のが、私にとっては最大の悲しみ。「そうじゃないでしょ」と言いたいんだけど、それを口に出せば彼女は萎縮しちゃって永遠にOKテイクにならない。今までの経験で分かってる事なので、のどまで出かかってる言葉をぐっと飲み込んで、「もう一回いってみようか」と明るく言う私。まあそんな事はいいんです。つらいのはその後。

「すいませーん」って言う彼女の「ドジでかわいいでしょオーラ」が私を直撃するのです。
実際女子アナですからそりゃ「可愛い」。奮闘の末私が出したOKに「あー良かった」と胸を撫で下ろす仕草まで、にくたらしいくらい「可愛い」のです。別に彼女に興味がある訳ではないんですが、この可愛さには私も嫉妬しちゃいます。ダイダロスアタック?いや、イデオンソード並みの「女の武器」に、私はもう「小姑気分」。口には出しませんが「あんたが磨くテクはそれじゃなくて、滑舌でしょ!」と思わず心のサンドバックを殴りまくるのでした。

でもああいう技ってほんと、人を選ぶよねえ。私がやると「怖い」もん。

2006年6月14日 (水)

「女優魂」でテンション上げ上げ

「うーんこれはわかんないなー・・・」5時半起き、朝のシャワーも目覚ましにならず、眠いままファンデを塗る朝7時。ドレッサーの鏡に映るのは、昨日の深夜にタイマー録画した番組「女優魂」 。今回のテーマは「ニューハーフ4人の中から本物の女性を当てろ!」

ご存知の方も多いと思いますが、この番組は毎回いろいろな職業に就く女性が4人出演し、その中に一人だけ紛れ込んだ「その職種になりすました女優」を、回答者が質問を繰り返して当てる、といういかにもな深夜バラエティー番組。新聞のテレビ欄に踊る「性同一性障害」やら「ニューハーフ」やらの文字に敏感に反応してしまう私は、今回もエアチェックに余念がないのでした。

実はこの番組、以前にも「ニューハーフの中の女優」を当てる回を放送していて、今回はその第二弾。前回もエアチェックしていた私はその内容の軽さが分かっていたので、今回もさほど期待していなかったのですが・・・

世間一般で言われるところの「ニューハーフ」はいわゆる「夜のお仕事」の方々を指す言葉だと思っていました。ところが今回、「女優魂」では、「キャリア・ニューハーフ」という言葉(新語?)をキーワードに、昼間働く「ニューハーフ」の人達を集めて来たのです。いやーついに世間もここまで来たか。朝から「目からウロコ」。まさに「私のお仲間」じゃないですか。

スタジオに並んだ4人の「キャリア・ニューハーフ」の姿を見て出たのが冒頭のセリフ。
皆さんお綺麗で、とても男性に見えないのですが、私が感嘆したのは「一人紛れ込んでる女優」の演技力でした。そりゃ確かにテーマに合った、「ニューハーフ風の女優さん」をキャスティングした制作側もスゴイですが、「本人」もスゴイ。現役の私が見抜けないんですから。一番ビックリしたのは「低い声」の安定した再現。ニューハーフの声は宝塚歌劇の男役とは違う発声法ですから、普通の女性には再現できないと思ってたのになー。
正解発表の瞬間、彼女が出した地声の高さに思わず「おおー」と口走ってしまいました。

会社に出勤し、仕事をこなしながら私は、二つの事が脳裏を巡っていました。
昨夜出演した人達の職業はバンドのボーカルや女装クラブのオーナー、セクシャルマイノリティの人達がスタッフのIT企業の社長など、「普通の職業」とは少し違っていましたが、それでも「夜のお仕事(決して差別している訳じゃなく)ではない」んですよね。そうした職業の方々が堂々とテレビに出られる時代になった、という事。
そして、(これ言うと怒られちゃうかな)やっぱり本物の女優さんがニューハーフを自己演出する手段に「低い声」を使った、という事です。やっぱり外見は女性でも、声の低さで男と思われちゃうんですよね。

以前、「低い声がネック」なんて事を書きましたが、結構私も声だけは気にしていて、今の声を使いこなすまで紆余曲折ありました。それでも本物の女性にはかなわない。「それらしい」というだけですから。全然満足してないんです。でも今はそれが限界。深夜のバラエティーでそんな事を思い知らされるとは(笑)。
別に「女性として生きる」という事は「女性へのイミテーション化を競うゲーム」じゃないんだからと頭じゃ思っていても、やっぱり透き通るようなソプラノには憧れちゃいます
まあ、いろんな事を考えて、テンションの上がった番組でした。中京テレビさん、罪だね。

2006年6月13日 (火)

落日の決闘

夕方5時30分。松本梨香の「Alive A life」をBGMに、「フル装備」で腹筋。痛いお腹を押さえながら、今日2回目のウォーキングに出発
朝10時半にも通ったいつものコースは、夕方だけあって犬の散歩をする男女や、少年サッカーチームの練習で賑やかでした。その中を黙々と歩く私は、きっと少し怖い顔をしていたでしょう。仕事の時間をやりくりしての、一日2回のウォーキング。「なぜそこまで?」ちょっとした理由があります。

今朝、以前にも書いた、仕事を持ち役者を続ける幼なじみのブログをちょっと覗いてみました。いよいよ公演も近づき、ここ数日の記事は彼の芝居に賭ける理由や原体験、公演を前にしての焦りや稽古の疲れなどが綴られていました。文章の量やその表現から彼の精神状態が手に取るように分かります。彼は毎日稽古の帰りの電車の中で、疲れた体で携帯でブログを打ち、投稿しているので、ストレートな気持ちが文章に表れるのでしょう。

全く同じ日、同じ時間帯に私と同じような事をしているなーと笑ったりもしましたが、幼なじみの彼が公演というまさしく「大舞台」を前に頑張る姿に、私自身も少し影響されたようです。正直、彼が芝居を再開したのも、私が女性として生活を始めたのも昨年。
やりとりした年賀状にも「お互いサプライズな年だったね」と、不思議な偶然に驚きを隠せない一文が添えられていました。なぜか昔から「普通の人生」に縁のない?二人のようです。趣味として片付けられない「業」のようなものに突き動かされる所は同じなのかもしれません。

彼の姿は私には「眩しく」映ります。「走ってるな」と感じます。「自分はまだ走り足りないな」とも感じます。と言っていきなり本当に「ウォーキング」かい!と笑われそうですが、
なにかこう、私が「走ってる証」みたいなものが欲しいんですよね。思いつくのは「女性らしくあること」。プロポーションを維持して美しさに磨きをかけ、出来る限り女性に近づく事が、今の私が立てられる証みたいに思えてしまうんです(土台が最悪なのも分かってますが。だから余計に)。

「巨人の星」(古っ!)で、星飛雄馬の大リーグボール2号の完成を知らされた花形満が、自分の部屋で突然バットの素振りを始めるようなものかな。(記憶なのでコミックスで確認しないでね)本当にあきれる程のバカですよね。

でも、同世代で頑張ってる人に励まされる事ってあるじゃないですか。そんな存在が身近に居るって事を私はすごく幸せに感じます。
以前彼は私の記事にコメントをくれ、芝居を続ける自分の事を「悪あがき」なんて言ってましたが、悪あがきでいいと思います。私も彼以上の悪あがきをしてるんですから。

お互い昔からの「悪ガキ」の「悪あがき」。ゴロもいいしね。

Photo_12 ウォーキングの途中に寄った公園の池で、久しぶりに夕焼けを見ました。ちょっと曇ってたけど、綺麗な夕日が撮れました。公演初日まであと4日。公演中、どこかで観に行くからね。
ウォーキングの成果も楽しみにしててね。(変わらないかも・・・)

2006年6月12日 (月)

ブースカ「新種」捕獲!

Newgs ごめんなさい。タイトルまんまです。(笑)CSの「チャンネルNECO」で放送開始とともににわかにマイブームとなっている「快獣ブースカ」 。放送日の月曜は朝からブースカ気分(どんな気分だ?)で、一日「プリプリのキリリンコン」とがんばっているんですが、実は今日ぐらいそろそろ、とあたりをつけていた「フィギュアショップ」へ行ったところ、大当たりのご対面となったのでした。写真はその「新種12体」勢ぞろいです

今日は仕事も自宅でほとんど済ませてしまったので(前の記事がお昼にアップされていたのは仕事の合間に書いたからなんですね)夕方5時からはフリータイム。その「フィギュアショップ」の近くで仕事が終わったのも何かの知らせだったんでしょう。私とブーちゃんの運命を感じます。(ダメだ。まともな文章になってない。)実はブログ書き込みの合間にやっていたネットサーフィンの途中、たまたま覗いたメーカーのホームページでこれの発売を知り、店頭に並ぶのを心待ちにしていたのです。

お店のウインドーに飾られたこの可愛い姿が目に入った瞬間、私の周りにはオーラが放たれました。そのオーラはまるで「吸血鬼ゴケミドロ」で円盤に近づいていく高英男さんの、「合成に失敗したらしい」抜けの悪いシルエットを彷彿とさせる形(ついて来れる人だけついて来てね)。これだからオタクはやめられません。本当はこの12体に加え、シークレットもあるそうですが、シークレット入りのセットは金額が倍に上がっちゃって「買えやしない」(泣)

New2s 今回のシリーズで特にお気に入りなのがこの2体。昭和41年の放送以来初の立体化となる「オープニングアニメーションバージョン」です。「ブースカ」は主題歌の部分がアニメーションで演出されていて、本編のコメディータッチに見合う雰囲気を作っていました。私もこのアニメのブースカは大好きで、「こんなのが部屋にあればなあ」とかねがね願っていたのです。ですからこのアニメバージョンとの「再会」は実に40年ぶり!やっぱりブーちゃん、私の所へ帰ってきてくれたのね!大きさは6センチ弱。テレビを入れて8センチ程度というのもナイスです。隣のチャメゴンもいい感じ。このブーちゃんが毎日目の届くところに居て欲しい私は、早くも「オープニングバージョン大量購入作戦」を立案すべく、家計簿との交渉に入るのでした。(パソコンの壁紙にもしちゃったよ)なんでこんなに好きなんだろ。「ラーメン好き」の趣味が似てるから?

今日は他にも気になる本(またまたオタクな一冊)を手に入れましたが、ブーちゃんの事で頭がいっぱい。読む暇も無いのでそのうちゆっくり書きます。

さて、放送時刻も迫ってきました。それじゃ今日はこの辺で「バラサ・バラサ」。(ちょっとオチが読めたでしょ)

祖父のまなざし

パソコンのディスプレイに映し出される1960年代の風景。当時をコメントする私と従弟。 昨日の日曜日、母の実家でくり広げられた光景です。

昨日は母方の祖父の十三回忌。近しい親戚が集まって祖父を偲びました。読経に始まり、お墓参り、食事と続く淡々とした流れ。私より2つ下の従弟の、小学生の子供になつかれ「叔父」を演じる私にも、この子ぐらいの頃祖父に可愛がられた記憶があります。歴史は繰り返すものと、過ぎ行く時に思いを馳せる瞬間。祖父の遺影の前の私は少年に戻っていました。

祖父は戦中、戦後を通じ大変新し好きで、最先端のメディアを使いこなす「ハイカラ」な人だったようです。楽器は三味線から始まってギターやバイオリン、民謡も謡いこなし、アマチュアカメラマンとしても各地へ出かけて精力的に作品を制作していました。昭和30年代から50年代にかけて、私たち親戚一同が成長する姿を捉えた数々の記録は、いまでは貴重な思い出として私たちの目じりを下げさせているのです。

一年ほど前、祖父の遺品の中から、昔祖父が私たちを撮影した「8ミリフィルム」が発見されました。物心つく頃、年の近い従弟と兄弟のように遊んだ頃の光景が捉えられた懐かしいものです。今では映写機も動かず、フィルムの上映は半ばあきらめかけていたそうですが、叔父や叔母がつてを頼って近所のカメラ屋さんでVHSテープにダビングしてもらったとの事。劣化を防ぐ為さらにDVDにダビングし、永久保存版として甦りました。

1960年代に撮影した8ミリフィルムですから当然音は入っていません。おそらくこのDVDもいずれは他のメディアに取って替わられるでしょう。時の流れの中、少しでも祖父の足跡に参加をしたくて、今日の十三回忌をきっかけに当時の「被写体」が語る「オーディオコメンタリー」の収録を思いつきました。パソコンに「上映」しながらの即興コメントです。

フィルムには私の両親、従弟の両親の結婚風景から子供時代の私たち、また当時の近所の風景が記録されていました。子供の頃、祖父によって何度も開かれた「親族上映会」により、このフィルムの存在は知っていましたが、数十年を経た今、過去の映像との再会は「ほとんどがカラー映像」という驚愕の事実とともに感慨深いものでした。

気の合った従弟との掛け合いも楽しいものでしたが、いつしか心は、ファインダーを通してフィルムに込められた祖父のまなざしを感じていたのでした。

祖父が私の今の生活を知ったら、どんな風に感じるのか、とも。

新し好きの人だったから、案外驚きは少ないのかも。とか。

そして何よりも私に流れる「オタクの血」は、おそらくこの祖父からのものだという事を。

収録したコメンタリーはBGM入りで8ミリ映像と編集し、しずれ祖父の遺影の前で上映会を開く予定です。かつて祖父が私たちを楽しませてくれたように。 (ゴメンナサイ。たまにこんなんなっちゃうんです。許してね。たぶん次回からはいつものテイストに戻りますから)

2006年6月10日 (土)

壁のスクリーンに飛ぶロケット

「映画館で観たかった映画」というのがあります。映画の黄金時代と言われた昭和30年代の、洋画、邦画を含めた名画の数々には、残念ながら私は間に合わなかったので、後々になってテレビやビデオでしか作品に触れる事はできませんでした。でもその作品が素晴らしければ素晴らしいほど、「劇場で最初に出会っていればもっと良かったのに」と悔しがる映画って、やっぱりあるんです。

先日、100円レンタルで借りた「宇宙大戦争」も、そんな映画でした。この作品は「特撮の神様」円谷英二が、名匠本多猪四郎監督と組んで昭和34年に製作した「空想科学映画」。この時代に量産されたいわゆる「超兵器による科学戦争映画」の一本ですが、有名な「地球防衛軍」や「海底軍艦」などに比べると、モゲラやアルファ号、轟天号といった売りがない分、ちょっと損をしている映画かな、と思います。ただこの映画、私の中ではかなり上位に食い込む「特撮映画」なんです。

私見をメインとしている「恋するネヴュラ」。データの羅列は避けますが、この種の映画はやはり「本物の大きさに近くてナンボ」だと私は思うのです。生まれて初めて観た映画が怪獣映画だった私には「怪獣観るなら原寸大」という確固たる主義ができてしまい、その後テレビやビデオなど、ブラウン管(今なら液晶画面?)で観るこの手の映画はどうにも迫力不足に映ってしまうのです。

特撮監督の中野昭慶さんも怪獣映画の演出の中で、「特撮から本編(俳優さんの映るパート)へカットを渡す時、なるべく怪獣のアップから俳優のアップといった繋ぎ方はしないように」本編監督と綿密な打ち合わせの上、撮影に臨んだそうです。つまり「怪獣と俳優の大きさの差が出なくなってしまう」からの配慮です。またテレビ番組の「ウルトラQ」でも、「小さなブラウン管の中でなるべく怪獣を大きく見せる為に、怪獣のアップを多用する」演出方法が採られていました。もともとテレビと映画では演出方法が異なるわけです。(皆さんついて来てます?)ですから本来、この手の映画は劇場で観るのが本来の鑑賞方法。テレビで観るのは「押さえておく」って感じでしょうか。

お話は「宇宙大戦争」へ戻りますが、昨年話題になったスピルバーグの「宇宙戦争」に「大」がついただけでこんなに爽快な「空想特撮映画」が出来るものかと感心します。いろいろな評論でも書かれていますが、この映画の白眉はラスト、宇宙空間で繰り広げられる宇宙人の円盤と地球軍の戦闘ロケット隊との攻防戦でしょう今までいろんな「宇宙戦」の場面を見てきましたが、未だにあんなの観た事ありません。確かに「スター・トレック」や「スターウォーズ」的な画面の作りは精巧で、また贅沢に見えますが、おそらくルーカスやスピルバーグも研究したであろうこの宇宙戦の場面は、その悲壮感と画面構成、伊福部昭の軽快なマーチと見事にマッチしたスビード感でもって、未だに色褪せない魅力を持っているのです。

昔、格安で手に入れた投射型のプロジェクターで、部屋の壁に映画を映して楽しんでいた頃、真っ先に「上映」したのがこの作品の宇宙戦部分でした。画面の左右に飛び回る円盤、ロケットを「首を振りながら」目で追って、やっぱり特撮映画はスクリーンで見なきゃなあと、一人感心していた私。自分の部屋なのに気分を出して「バヤリース」と「都こんぶ」もしっかり手元にあったりして。DVDで手軽に映画が楽しめるようになった今、あのスクリーンの大迫力がさらに遠くなったような気分になるのは私だけでしょうか。(昨日からうって変わってオタク話爆発だなー。同一人物の文章か?)

Photo_10 家にあった「宇宙大戦争」グッズを集めてみました。これも「ジャイガー」の時みたいに大した物が無くてごめんなさい。東宝レコードのサントラLPは買って帰った後食べたラーメンの味まで覚えている感動の一枚。手前のブラジルレベル製X-15の意味は、「改造ベースのキット」とでもしておきましょうか。わかる人にはわかりますよね(笑)。

2006年6月 9日 (金)

まゆ毛がうまく引けた日は

「自分になじむ化粧道具」ってありませんか?私には数年来愛用しているチークブラシがあります。私が持っている数本のチークブラシの中でも、急いでいたり特別な日だったり「失敗できない」日に手が伸びるのはこの一本。なんでしょうね、「勝負ブラシ」ってとこでしょうか。今日は朝から私用で動いていたのでほぼ「スッピン」。このチークブラシもお休みということで、綺麗に洗って陰干ししてあげました。

毎日出勤前にメイクをするようになって、女性の皆さんがよく言う「化粧のノリが悪い」という言葉の意味がやっと分かってきました。(遅いって?)確かにお肌のコンディションって毎日変わりますねー。季節や体調、その日の気分まで関係してくるから恐ろしい。私は本当に貧乏でしかも化粧キャリアもあまり無い為、化粧品のブランドもあまり知らなければ高級品の良さも分かりません。ドレッサーを買ったのも去年だし。(マイドレッサーって嬉しいですねー。)でも女性のお化粧に対する「思い」みたいなものは毎日ドレッサーに向かう事でなんとか理解できつつあります

ちょっとでも寝ていたい朝、睡眠時間を削りながらもドレッサーに向かう「身だしなみ」の時間。過去、男として仕事をしていた頃、出勤してきた女性部下の顔色が冴えなかったのでちょっと心配して、「体調悪いの?」と言ってしまった事があります。彼女はビックリして「すいません。ちゃんとします」と言うとすぐメイクルームで顔を整えてきました。後で聞くと口紅を注していなかったとの事で、無神経な言い方をしてしまったと今は反省しています。女性にとってメイクとは、男性がひげを剃るのと同じ「身だしなみ」の行為だという事が、今毎日鏡に向かうようになってようやく体感できたのです。(永久脱毛なんかしてない私は髭剃りもするので、男女両方の身だしなみ「フルコース」を毎日やってる事になりますね。倍の時間ですよ。倍。)

それにしてもメイクは髭剃り以上に奥が深い。乱暴な言い方をすれば「毎日コンディションの変わるキャンバスに絵を描いてる」ようなものですからね。しかも「合いのいい画材は一生かけて探す」覚悟が必要みたいで。私なんか全然初心者、やり方も自己流なのでネイティブの女性から見れば「ケンカ売ってんのか」的な仕上がりを人前に晒しています。しかも元々地味~な地顔のせいでどんなに塗っても「ナチュラルメイク」と言われる始末。 好きで自然派やってる訳じゃないんだけどなー(笑)。

メイクを始めた頃、男の格好で化粧品コーナーへよく行きました。店員さんに相談する勇気もないまま目の前にある口紅をひっつかんで「クロックアップ」でレジへ向かい、家で付けてみたもののその後二度とキャップが開かれない「授業料」は数知れず。そうして掴んだ「好みの一本」も「土台の悪さ」に加えて「眠い朝」と「テクニック不足」とに阻まれます。化粧品には悪いなーと思うんですよ。こんな奴に使われて(泣)。

でもね。

「まゆ毛がうまく引けた日」は、外へ出るのが楽しい。こんな「男顔」でも(当たり前か)何日かに一回成功する「自分の思ったような顔になれた日」は楽しいんです。これは女性だけに許された特権なんでしょうね。でもそんな日に限って仕事の他になーんにも予定が無かったりするんですよ。だからこの「成功メイク」を落としたくない日は、仕事帰りに服を選んだり、本屋さんでファッション誌を立ち読みしたりね。ちょっと「女子」してます。私を知ってる方、街で服を選んでる私を見かけたら、「今日は成功メイクだな」と思って下さい。

「あれで成功?カンベンしてよ」なんて言わないで。

2006年6月 8日 (木)

女声というハードル

Sany0105 店頭価格を一万円値切ってやっと手に入れた「ホームカラオケ」。これは何も私の趣味じゃなくて、母親の連日のリクエストに応えた一品。親孝行な娘でしょ。実は今度の日曜日、母方の祖父の法事で親戚一同が集まるので、その時使いたいというよくわからない理由でかなり前から頼まれていたのでした。母は昔からママさんコーラスや近所のカラオケ教室にも参加する歌好き。私にも少なからずその影響があります。

歌は好きでも機械は音痴な母の事、どうせ操作は私にまかせっきりになるので、今のうちにやり方を覚えておこうとパッケージを開け、早速部屋のテレビに繋いで軽く一曲。 どこも触ってないのにいきなり「採点モード」になってるよ。だから嫌いなのよカラオケって。それでも一曲歌いきってしまう私もどうかと思うけど。案の定点数は74点。ひ、低い!    曲名は「ああ無情」でした。(昭和のオチですね)

このブログを前々からご覧になっている奇特な方は、私「オタクイーン」についていろいろ疑問をお持ちの事と思います。こんなのもあるんじゃないですか? 「女性として会社に勤めているのにこいつは地声なのか?中尾彬みたいなドスの利いた声で「おはようございまーす」なんてやってるのか??」 とかね。カラオケのお話ついでに、今日はちょっとそのあたりをお話しましょう。

今の私に会った事のある何人かの方はお分かりと思いますが、実は私は「男性モード」と「女性モード」で声を使い分けています。もともと男としては地声が高い方だったので、女性らしき声(あくまで「らしき」ですが)を出すのは比較的簡単でした。これがまた「裏声」ではないので長時間の発声にも耐えられるという利点があります。いわゆる「ハスキーボイス」という奴。誰の声に似てるんだろう?私に会った事のある方、どなたかコメント下さい。

情けない話、ルックスが男そのものの私にとって唯一の武器がこの「声」なのです。つまり一見「絶対男だろお前」と見られても、会話をすると「こういう女もいるのかな?」と、ちょっとだけ認識を女性寄りにしてもらえそうな「心のよりどころ」。あくまで思い込みに過ぎませんが。ただ、私に恵まれているのはこの「声」のおかげで人とのコミュニケーションがとりやすいという事なんです。私のような立場で悩んでいる人達には、ルックスはどう見ても女性なのに、声で男とバレちゃう為、街へ出ても常に「会話の恐怖」が付きまとって楽しめないなんて事もあるんですよ。私もそういう仲間と街に出た時は、よく「会話担当」を引き受けたものです。ま、外見でバレてるから私は最初からダメダメなんですが。でも「会話できる」というのはやはり強い。仕事まで出来ちゃうんですから。

ですから私はもう、仕事や買い物をはじめ、およそ人とコミュニケーションできる所ではこちらから話しかけます。女性並みのルックスの方々と違い、私なんかは「喋らないと女性に見られない」むしろ逆のコンプレックスを持っている訳ですから。

まあそんな事情で、カラオケも絶対「ボイスチェンジャー」を使わないという強い意志の元に歌ってました。痩せる前は体に空気を溜め込んで声を伸ばす「声量押し」タイプだったんですが、痩せたと同時に見事に声も出なくなりましたね。今日の74点が私の実力です。ああ、「地上の星」で98点出してた頃が懐かしい。唯一無二の高得点でした。こんな日は栄養つけて頑張らないと。

Sany0092 たまの贅沢にたくさん買ったパンがおいしそうに見えて仕方の無い今夜の私なのでした。だってお腹グーグー鳴ってるのに食べる前に撮影してるんですよ。何やってんでしょうか!(ちょっと自分にキレ気味)

2006年6月 7日 (水)

怪しい二人

目の前には「キン」と冷えたアイスコーヒー。向かい合った席には、買ったばかりのおもちゃが面白くてしょうがないような口ぶりでパソコンの楽しさを語る女性。そう、今日私は、仕事の帰りに「彼女」と喫茶店へやってきたのでした。

「彼女」は私が勤めている会社の「先輩」正真正銘の女性です。私は彼女の「後輩」となるんですが、歳は私の方が上の為、ちょっと妙な関係です。今の職場は女子社員が少なく、私が入社するまで女性は上司を除いて彼女一人。ですから私が入社した時彼女から「女性が少ない職場だから、辞めないで下さいね。」と念を押された事を憶えています。

なぜか彼女は私とウマが合うようで、よく相談を持ちかけられます。私と同じく「映画好き」という趣味趣向があるせいかもしれません。まあ、フェリーニの「道」やビットリオ・デー・シーカの「ひまわり」「自転車泥棒」がお好みの彼女と、石井輝男の「黒線地帯」が好きな私とはかなりの隔たりがあるんですが。

「実はネットやってて、画面にこんな表示が出たんですけど」なぜか敬語を使いながら、彼女はいつもこんな言い出しで小さな手帳を差し出します。質問項目をメモッてあるんです。動画を見ようと思ってクリックしたら、再生ソフトが対応していないので見られないそうで、 「こういう事ってあるんでしょうか?」との質問。なにしろ先月、彼女に付き合って何軒も電気屋さんをハシゴし、値切りに値切ってパソコンを選ばせたのはこの私。質問受付担当にならざるをえません。少ない知識を振り絞って、リンク先やCPUの影響によるものかな?とか必死の解説をひねり出していました。

それにしても私のつたない説明ひとつひとつに目を丸くする彼女は本当に「可愛い」。(「男の目」じゃなくてね。) 「素直」というのか、男が自分を出そうとすると邪魔になる「妙な男の意地やプライド」を持たない(当たり前か)ストレートな仕草、声。これが本当の女性なんだなあといつも感心してしまいます。彼女に言わせると私は「冷静」「クール」だそうで、ちょっとした事では動じない女性に見えるらしいんです。

でもそれって「男らしい」って事じゃん。それは本意じゃないよ。(笑)

韓流ドラマにはまっている彼女。「ネットで韓国ドラマのサイトへ行くんですけど、ハングル語なんで全然読めなくて。でも俳優の写真がついてるからなんとなくわかるんです。」とうれしそうに話す「先輩」。ちょっとイジワルしたくなって、「あんまり変なサイト行くと、間違えて有料サイトに紛れ込んじゃうよ。」なんて言っちゃいました。          「えーっ!有料と無料をどうやって見分けるんですか?」喫茶店の中で声を張り上げられて、ただでさえ怪しい二人組は、お店の人にさらに怪しまれるのでした。

ありがたい事に、今日も「カミングアウト・レター」の返事を電話でくれた友人が一人。ブログも全て読んでくれたようです。今一人からはコメントが寄せられました。二人とも私の今の状況を理解してくれて、変わらない友達付き合いを約束してくれました。いいものです。何年も連絡なんてしなかったのに。この年になって友達のありがたみが分かるなんて、ちょっと遅すぎますが。みんな本当にありがとう。

2006年6月 6日 (火)

どー見えてるの?

「やっぱり貸し出し中!仮面ライダー THE FIRST」。期間限定1枚100円の看板につられて、ついフラフラと寄ったレンタルDVDショップ。やっぱりマニアの考える事はおんなじですね。この1枚借りたさにレンタル開始日から数えて5回目の「敗退」。まだまだ先は長い。

ところで私、家の近くにDVDのレンタルショップが2軒あるんですが、最近は2軒とも女性の姿で行ってるんですよ。今日なんか仕事帰りだったから白のデニムジャケットにキャメルのゼブラ柄タンクトップ、ボトムスはデニムのスカート(古っ!デニム×デニム)といういでたち。当然借りることもある訳なんですが、会員カードは本名、男名前です。証明書類は免許証ですから改ざんできません。その会員カードを堂々と出してレンタルできる不思議。最初はヒビリまくりでしたが2軒ともスルー。とがめられもしません。これはどういう事なんでしょうか?

私はよく分からないんですが、会員カードを作るときの免許の写真はお店側でコピーをとりますよね。レンタルするとき店員さんが見るパソコン画面は本人との照合に使ってるんじゃ?という事は、店員さんはカードを出した人物が会員本人と分かる筈。私本人と分かればどんな格好しててもレンタルOKって事ですかね。これはビックリ。今日みたいな姿してれば完全に「不審者」なのに。もしくは「男」だけど「その筋のお仕事の人」と思われてるか。それはそれでいいけど。レンタルする度に思うんですよ。どなたか事情に詳しい方教えて頂けませんか?「そういうお客用のマニュアルがある」とかね。

「女装」して電車の中で破廉恥な行為をしたとして、兵庫県で逮捕された公務員の事件がワイドショーを賑わせています。「女装に開放感を感じた」と供述しているそうですが、私のような立場からするとこういうのが一番困るんです。全ての「私のような」人達がそんな風に思われてしまう。

「デーモンとデビルマンの区別はつかない」んですから。        (オタクな説明だなー)

今までも痴漢や下着泥棒などの犯人か「女装」していたという事でマスコミのネタにされる事件も多く、私たちは目立たないように普通に暮らしているのに、色メガネで見られる事が多いのです。改造モデルガンの犯罪のおかげで健全な拳銃ファンが迷惑するのと全く同じ構図。私たちも疑われるような行為は慎む必要があるのですが。

女性の姿をしてDVDをレンタルしても「おとがめがない」事と今回の事件は、ひょっとして紙一重なのかな?などと、私などは感じてしまうのでした。ただ、今日もしっかり借りましたが。「宇宙大戦争」(昭和34年東宝映画)。そっちの方が危ない?

このブログを書いている途中、「カミングアウト・レター」の届いた友人から電話が入りました。「別にいいんじゃないの?」との返事。電話じゃ言えなかったけど、ありがとうね。

2006年6月 5日 (月)

夏スカート購入作戦

自分の身長の半分ほどもある、買ったばかりの大きな枕を両手で抱えて、友達との会話に我を忘れる女の子。今日そんな光景を見ました。なんて羨ましい姿でしょう。「女性は何をやっても女性に見える」。彼女の姿は、ただ「可愛い」の一言。私が永遠に到達できない光景なのです。

今日もお休み。朝方少し曇っていた空もやがて晴れ、梅雨前の絶好の日和となりました。こんな日はたまった洗濯物を一気に片付け、お気に入りの服をアイロンがけ。これはこれで楽しい休日の過ごし方です。

ここ数日仕事の忙しさにかまけてなかなかできなかったんですが、いざやってみると気が付くことが多いもので、

「そう言えば夏物の着まわしバリエーションが今一足りないよねえ。」

考え出すと止まりません。お気に入りの服をとっかえひっかえ組み合わせ、出した結論は「スカートの数が圧倒的に足りない」。私の日々のコーデの貧弱さはここに原因があったのです。現在夏物として使えるスカートの枚数は7枚程度。(鼻で笑った女性の方々も多いでしょうね。)これはいかん。品格を疑われる、という訳で、早速今日のタイトル通り、めぼしいお店を回ってみることにしました。冒頭の一文はその時見かけた光景ですが、羨ましいですよね。彼女の格好は白のブラウスにベージュのタイトスカートだったんですが、これがまた「似合う」。やっぱり女性の服は女性の体型に合わせてデザインされている事が良く分かります。先日も泣き言を書いたので同じ事言ってても仕方が無い。なんとか似合う物を探すのみです。

一軒目、臨時休業。二軒目、サイズがない。三軒目、明らかに昨日の日曜日に売れちゃった風の空気。(女性の方からなんとなくお分かりですよね)別に変わったデザインを求めているんじゃありません。ごくごく普通の、黒か白のひざ上スカートを探しているだけなのに。そりゃ売ってることは売ってますよ。大抵のお店なら。

ところがここに服選びの難しさがあります。たとえモデルやマネキンが着ていて似合うものでも、「私」に合うかどうかは別の話。要は「丈」と「シルエット」の問題です。これは男の服選びには無かった事で、レディースの服を揃え出した頃にはかなり失敗しました。今でも決して似合っているとは思いませんが、昔よりは少しは形になったような気はします。でも、うーん。昨日で運を使い果たしちゃったのか、今日は「運命の一枚」とのめぐり合いはありませんでした。

Photo_8 Photo_9 その代わりと言ってはなんですが、私が毎日欠かせない「トマト」が今、安い!早速ミニトマトも一緒に買い込みました。そしてもう一つ、行き着けの「大型駄菓子ショップ」で新たに見つけた子あじの干物「あじはいい~」を「箱買い」。この干物、「お菓子」ではなくちょっとしたおつまみ的に食べるとおいしい。一袋2枚って言うのも丁度いいし。

スカートは見つからなかったけど、こんな「レギュラーの皆さん」に囲まれて、「ま、いいか」と思う私は、女を捨ててる?

昨日出した「カミングアウト・レター」が届いたという電話が友人から入りました。彼はプロバイダー契約をしていないのでブログを見ることは出来ないらしいのですが、しばらく連絡をとってなかったので積もる話も盛り上がり、楽しい時間が過ごせました。でも彼が今日のブログをもし見ていたら、果たして電話をくれたでしょうか。そんな事を考え出すと、今更ながら暗澹たる気持ちとなるのでした。(ヤバイ。暗い引きにしたくなかったのに)

2006年6月 4日 (日)

穴場スポット「Hobby OFF」

「こりゃ全部見るのに時間かかるぞ!」商品棚の向こうから嬉しそうなお父さんの声が響きます。今日は日曜日。私もお休みだったので午前中にウォーキングを済ませ、久しぶりに近所のお店を散策に出かけました。そしてやってきたのはここ、「Hobby OFF」

このお店、「BOOK OFF」などの系列店で、おもちゃ類などを買い取って販売するリサイクルショップ。私の家の近くには先月の6日にオープンしたばかりだったので、訪れたのは今日が初めてです。やっぱり日曜日だけあってお客さんも多く、特に家族連れの姿が目立ちました。最近のフィギュアブームの影響もあって、店内に所狭しと並ぶカプセルトイや食玩は子供から大人まで興味の対象となっているんですね。

私が普段、フィギュアなどを手に入れる為に出没するお店の客層はこの「Hobby OFF」とまったく違います。たしかに並んでいる商品は似たような物ですが、お客さんは見るからに「オタク」(私も含めて)。ちょっと一般ファミリーが近づき難い空気をかもし出す、不思議な空間なのです。だからこのお店の開放感、清潔感は私にとってちょっとした驚きでした。 なにしろ店内が広いから「見やすい」。普段私が出没するお店の、優に20倍はあるでしょう。それからこれは私だけかもしれませんが「後ろめたさがない」。フィギュアをかごに入れながらはしゃぐ親子を目の前にすると、オタク特有の「どうせ日陰の趣味ですよ」的な卑屈感が微塵も無くなるのです。(やっぱり引け目感じてるなー。まだまだ修行が足りないよ)

そしてこれが最大の特徴ですが、「価格が安い」これは大きい!リサイクルショップだから当然と思う方も多いでしょうが、販売期間が短くまた販売個数の少ない玩具やプラモデル、フィギュアの類は、実はコレクターの手で早々に完売となり、その後はプレミアがついて値が上がる運命を辿ります。「定価で手に入ればラッキー」のアイテムも数知れず。それがこのお店では、他のフィギュアショップで1.5倍から2倍程の値がついている物が、なんと定価の60%程度の金額で売られているのですやはり「中古」だからという事でしょうか。そんな事にまったくこだわらない私は、めぼしい「掘り出し物」を次々とカゴに放りこむのでした。(いけない。熱くなってるよ。女を忘れちゃだめだよね。)

Photo_4 Photo_5 Photo_6 Photo_7 という訳で今日「捕獲」に成功したのがこれ。後ろのプラモデル、ニットーの「フレーダーマウス」は今は無き「S.F.3.D ORIGINAL」ブランドですよ。それも未開封。(箱も分厚い)当然「保存版」。ブースカグッズに目のない私は当然この二つもゲット。プライズ商品だからある時に買っておかないともう手に入りません。後はおなじみ、怪獣の皆さんですが、普通のフィギュアショップに比べ、遥かに安く手に入りました。例えば、「タイムスリップグリコ」の「ペギラ」が税込み210円。他のお店で840円で売っていた物です。いずれも目をむくほどのレアアイテムでは無いですが、そこはそれ、「ロープライス」ですから。

まあとにかく、今日は「大漁」。私は基本的に「定価より高い物は買わない」主義ですが、やむにやまれずプレミア物を買って涙する事もあります。そんな時の「貸し」は、今日みたいな買い物で返してもらうんです。あー気持ちいい。(おバカ丸出し)

カミングアウトの朝

夜が明けてしまいました。毎日更新してたのに。まあ今回のネタは特別だから、一晩寝かせるのもアリかと。自分にとっては重大発表だしね。

とりあえず昨日の話から。                         友達の力になってやれないというのは情けないものです。大した事をする訳でもないのに、「自分の生き方」に阻まれる。やっぱり人の道に反してるんでしょうかねー。                                        すごく気を使ってくれる友達に悪くってね。昨日は「頑張ってね」というのが精一杯。彼がこのブログ読んでない事を祈るなー。恥ずかしくてさ。書かなきゃいいんだけど、どっかに気持ちを吐き出しておかないと辛くて。たぶん昨日の夜書いてたらもっとグチグチ文になってたと思います。一晩でリセットできる単純頭で良かったよ。

実は、「女性として生活する」私を知っているのは仕事の関係者ごく数人と、限られた友人数人だけ。「カミングアウト」した時の相手の反応はそれぞれでしたが、いずれも「まあ中身は変わらないんだから」と好意的に受け止めてくれたようです。                     今になって考えれば、いきなりスカート穿いて現れて「女始めました」って言われたらパニクるよね。申し訳ない事をしたなあと反省もしています。でも生活のほとんどが女性型になっていくと、友人に隠し通す事の方が気持ちの上で困難になってきちゃうんですよね。そんな訳で、このブログを通してカミングアウトすることに決めました。

昨夜は、ここ数年疎遠になっている数人の友人にこのブログの事を伝える手紙を書いていました。私は友人との付き合いにはムラがあり、親しい時には毎日でも電話をかける、そうかと思えば何年も年賀状も出さないような、すごく「非礼」なヤツなのです。こんな自分が突然「カミングアウト!」と手紙を出して、はたして受け入れてもらえるんでしょか? こればっかりは出してみないと分かりません。受け入れられないなら仕方がない。こっちが無理言ってるんだから。

もう一つ危惧があります。私のような存在を何人も知る人に言われた事です。                                                   「カミングアウトする事でお前は楽になるだろうけど、された方は悩みを抱えることになるんだから、話す相手はよく選べ」。その通り。黙っている方がいいのかもしれない。                                        でも話さずにはいられないんです。ブログにはふさわしくない言い方だけど、この手紙を受け取った方、「出すのにかなり迷いました。貴方だから出したんです」とお伝えしておきます。手紙には「ブログを始めた」としか書いてありません。「今の私」についてはブログを見て理解してくださいという事です。

手紙を受け取った人、ごめんね。こんなバカな奴で。胸を借ります。連絡をもらえるなら、こんなに嬉しいことはありません。  

2006年6月 2日 (金)

公園に住む「先輩方」

昨日のお話に興味を持った方(タイトルもアレだったし)がいらしたのか、昨夜から今日にかけてのアクセス数は開設以来最多数となりました。くだらないお話に付き合ってくださって有難うございます。まあ今まで誰も見ていないブログだったからねえ。トラックバックもすこーしあったけど、なんといってもこんな分裂気味の文章を通して「私がどう見えているのか」が知りたくて、コメントも出来れば入れてもらえれば嬉しいなと。軽いお話ばっかりだけど、私も生身の生き物なので、「反応」や「別の考え方を教えてもらえる」のは有難い訳ですよ。「オタク話」も大歓迎だし。

今日は久しぶりのお休み。午前中にたまった用事を片付けて、午後はまたしても「フル装備」でウォーキングに出かけました。今年2日目の腹筋をやってから出動したんですが、なにしろしばらくやってなかったもんだから今日はお腹が痛い痛い。もっと早く始めておけばよかったよ。そんな訳でお腹をさすりながらの歩き出しでした。    昨日に比べて気温も低い上、風も少しあったので「完全戦闘状態」というよりは「気ままなお昼の散歩」なんて感じになりましたが、サウナスーツの効果でもう汗だく。体力が奪われないのが不思議なくらいでした。

先日のお話でも書きましたが、私のウォーキングルートは家の近くの「池の周りの公園」。近くに住む人たちの遊び場として、また犬の散歩ルートとしても絶好の場所です。また自然公園ですから、時間帯によってはタヌキやネコなどのかわいい動物から、トカゲやヘビ、カメといった爬虫類寄りのみなさんも「ウォーキング」している、ある意味大変賑やかな公園なんです。私が歩くのは舗装された道ですが、ある時はその「舗装路」でヘビと競争した事もありました。それはさておき、実は私が2年前にダイエッターとして「公園デビュー」する前からここに居るらしい「先輩」がずっと気になっているんです。

公園の真ん中にある見はらしのいい「池」。ここにその「先輩方」はいらっしゃいます。私はウォーキングの途中でたまに「会いに」行くんですが、日によって居たり居なかったり。それが今日なんとご機嫌が良く、快く?撮影に応じて下さいました。

Sany0046 Sany0042 これがその「先輩方」。私の家には動物図鑑がないので、「カモ」か「アヒル」かはっきりとは分かりませんが、とにかくその類の「鳥」三羽組です。この三羽、2年前から全く同じメンバーで、(メンバー交代も新メンバー加入もなく)仲良くつるんでいるんです。なにをするにも三羽一緒。離れている所を見たことがありません。色が三羽とも違うんですが、親子なんでしょうか?こういう事に詳しくない私は、この三羽を見るたびに首をひねるのでした。

Sany0051 それにしても今日の三羽はフレンドリー。散歩ついでにエサを与える人たちが多い為に、人間に対して警戒心がないようで、かなり近づいてもまったく逃げません。岸辺でくつろぐ姿ものどかそのもの、一番左の一羽なんてまるで「デコイ」(笑)。

昨日のお話の余韻が少し残っている私には、カラフルな彼らから  「いろんなカラーがあっていいんじゃないの?人間も」なんて言われているようで。

先輩、いい勉強させてもらいました!

今、外をわらび餅屋さんが通りました。                       もう夏なんですね。           

2006年6月 1日 (木)

男の私が「スカートを穿く」という事

私の住む都市の新聞に今日、男性のスカートファッションを記者が体験するという記事が載っていました。気になって読んでみると、純粋にスカートをファッションとして楽しむ男性が著した本に興味を持った記者が、著者の男性に取材し、実際にスカート姿で街を歩くといった内容でした。こういう記事が「文化について考える」という触れ込みで新聞紙上(一般紙ですよ)を賑わせる。時代も変わったものだなーと思います。

記事の内容では、この本の著者はいわゆる「性同一性障害」などとは違い、言葉遣いも男性、恋愛対象は女性だそうで、こういう生き方もアリなんだなあと感心させられ、エールを送りたくなります。ただ私の場合、この著者とはちょっとスタンスが違うので、同胞意識というよりは「お隣さん」的親近感から来るものですが。

「女性として生きる」私の場合、どこにこだわりがあるかと言えばやはり「内面」。ルックスはまるで男ですから変えようがない訳で、それでも「女性として見られたい」という気持ちがスカートをはじめとするレディースウェアに走らせるようです。(この「気持ち」の部分は話すとものすごく長ーくなっちゃうのでまたその内)ところが、ニューハーフなどの、ホルモンや手術で肉体を変化させている方々を除いて「男性が女性の服を着る(えーい、使いたくない言葉だけど使っちゃおう!「女装」)する場合、男性と女性ではそもそも体型が違うので、男性が女性服を着ても女性に見えないというのが通説としてまかり通っているわけです。

職場に「私はスカートを全然持ってないんですよ」と笑う女性スタッフが居ます。確かに彼女、トップスはTシャツ、ボトムスはカーゴパンツやデニムばっかりで、スカート姿を見たことがありません。「似合わないから」といつもはぐらかされますが、女性特有のボディラインがすばらしく、いつも羨望の眼差しで見てしまいます。女性のボディラィン(いわゆるボンキュッボンですね)は、こうしたボディにフィットするウェアの方がより強調される事はおわかりですよね。

コンパクトな上半身に細い「ウエストのくびれ」そしてボリュームのある下半身。男性である私はそれとは間逆の「ボリュームたっぷりの上半身にくびれてないウエスト、女性にくらべればスリムな下半身」の体型をどうごまかそうかと、日々腐心しています。つまり私などがパンツやデニムなど穿いた日にゃ、下半身のボリュームがなさ過ぎてよけい男が強調されてしまうと。

その為に私は穿くのです。「スカート」を。

いろいろ試した所では、スカートはその丈にもよりますが「ウエストの位置を上に見せられる」「足に視線を集中させられる」「裾の広がりにより下半身のスリムさをごまかせる」など、いろいろな利点がありました。後はカラーコーディネートで(トップスをダークカラーにしてコンパクトに見せるとかね)なんとか日々を乗り切っています。ただ仕事の時の身のこなしがまだ、なかなかむずかしくて。(いけない。女装雑誌の投稿だよこれじゃ)

今書いたような事はネイティブの女性の方なら常識なんでしょうが、女性のファッションについてほぼ初心者の私からすれば、ここ数年間の「失敗に失敗を繰り返した末に学んだセオリー」な訳で。まあない知恵絞って完成させたコーディネートも、元が悪いですからあんまり意味がなく、周りに嫌悪感を抱かせないように気を使うのが精一杯です。

Photo_3 「視線を浴びても堂々としていれば」「生き方の多様性を認めて欲しい」など、冒頭の記事は語っています。確かにそうなんだけど、男性が男性として堂々とスカート姿で街を歩く時代が来ると、私の気持ちは微妙だな。「スカートは女性としてのアイデンティティーの表れ」と思ってるので。「認められ」はしても「女性として」じゃないもんねえ。写真はモンキー・パンチ氏のキャラクターのフィギュア。この体型を目指して、今日から腹筋を始めました。(無駄な努力)。

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